魔獣の森*4
それからランヴァルドとネールは昼食を摂り、午後はまた、魔獣の森へ潜った。
昨日の今日だから収穫は減るだろうと思われたが、そんなことも無かった。今日も魔物は元気いっぱいに襲い掛かってきてくれたのである。
「ったく、本当に『魔獣の森』の名は伊達じゃないな……」
ランヴァルドはネールを手伝って魔物の皮を剥ぎつつぼやく。ついでに、『脱税の為にこの森を抜けようなどと考えるべきではなかったな』と改めて思った。この森はあまりに危険すぎる。ここまで魔物が出るという話は聞いていなかったのだが、ここ最近、事情が変わったのだろうか。
「……う」
そんなことを考えていたランヴァルドだが、ふと背筋を走る感覚に身を震わせる。ぞくり、とするような感覚の後に熱に浮かされるような感覚が続く。
ランヴァルドが蹲ると、ネールはすぐさまぴょこんと戻ってきて、心配そうにランヴァルドの周りをくるくる回る。
「いや、大丈夫だ。この辺りは魔力が濃いもんだから……少し、酔っただけだ」
幸い、症状には覚えがある。そして一過性のものだとも分かっている。
……要は、魔物が生まれるような魔力の濃い場所に居ると、その魔力に中てられるのだ。ランヴァルド自身は多少、魔力に敏感な方であることもあって、魔力酔いの類をよく起こす。
「ほら、さっさと皮剥いで次行くぞ」
少し蹲っていれば、自分の魔力が安定してきて症状が治まった。ならば休憩は終わりだ。またさっさと働いて、次なる獲物を狙いにいきたい。
手早くナイフを動かし始めれば、ネールもまた、すいすいとナイフを動かして皮を剥ぐ作業を進めていった。
……そういえば。ネールはこの森を元気に駆け回っているわけだが、魔力酔いの類とは無縁なのだろうか。
或いは、魔力酔いというものを知らないばかりに、症状が出ていても気づかない可能性もあるが。……バカは風邪をひかない、というのは、あながち間違いでもない。気づかず終わってしまえばそれきり、ということはある。知っているからこそ気づいてしまい、気づいたからこそ苦しくなる、ということは、まあ、魔力酔いや風邪に限らず、よくあることだ。
……若干、ネールが羨ましいような、羨ましくないような、複雑な気持ちになりつつランヴァルドは作業を進めていった。
そうしてまた夕暮れ前まで働けば、それだけで二人分の背嚢がいっぱいになってしまった。
魔物の毛皮や牙ばかりでは流石に値崩れするだろうか、と考えたランヴァルドによって、今日は薬草の類が多めに採取されている。薬になるものも、毒になるものも、この森には数限りなく存在している。少し草を摘んで帰ればそれだけで大金を得られるのだから、やはり、この森は素晴らしい場所だ。……ここに滞在していても死なない程度の武力と運があるなら、だが。
「……それ持ったまま宿に戻ると顰蹙だろうからな。このままさっきの店に戻って、売る物売ってから宿に戻るぞ」
ネールは、葉や樹皮が薬になる月光樹の大ぶりな枝を一本丸ごと抱えている。ネールがてくてくと歩く度、ネールの身の丈より長い枝の先にたっぷり茂った葉っぱがわさわさ揺れて、中々に賑やかである。
ランヴァルドは、『あの店の店主が腰を抜かすだろうな……』と思いつつ、元気に歩くネールを伴ってカルカウッドへ戻っていくのだった。
案の定、買取の悪徳店を訪ねたら、店主に驚かれた。
ついでに、『こんなに一気に寄越すな』とも言われたが、ランヴァルドが『黙って買わないなら俺はこの店を脱税の疑いで通報するか、はたまたお前の後ろに居る連中をちょいと困らせてやるかのどっちかだ』と返して黙らせた。そして買わせた。
また金貨8枚の値で素材を買い取らせて、ランヴァルドはネールを連れて、ほくほくと宿へ戻る。
「いやあ、お前は中々にいい拾い物だったな。お前に出会えて本当に良かったよ」
ランヴァルドが上機嫌にそう言えば、ネールは不思議そうに、しかしなんだか嬉しそうにそわそわと首を傾げてランヴァルドを見上げてくる。
「これからも頼むぜ、ネール」
詳しい話などしない。ランヴァルドはただそれだけ言って、ネールに笑いかけてやる。そしてネールはまるで気にする様子もなく、ただにこにこと笑って頷くのだ。
……非常に強くて、金になる。それでいて無知で、実に騙されやすい。ランヴァルドのことを善人か何かだと勘違いして、健気に後をついて歩く。こんなに都合のいい存在が、果たして他に居るだろうか?
本当に、ランヴァルドはいい拾い物をした。これなら失った分の金貨を取り戻すのもそう遠くないだろう。ランヴァルドはにやりと笑って道を急ぐのだった。
そうして宿で夕食を摂って、早めに就寝した。ベッドに潜れば、すぐに眠気が訪れて、そうして眠って、気づいたらもう朝だ。鎧戸の隙間からは朝陽が漏れていて、鳥の囀りが聞こえ始めている。そして。
「……ん?」
ランヴァルドは大きく伸びをしてから、ネールのベッドを見た。
……ネールはまた、もふ、と毛布を被って丸くなっていた。が、起きている気配はある。ランヴァルドが起きる気配を察知して丸くなったのかもしれない。また、ランヴァルドを見ていたのだろうか。
……ネールがこうなってしまうのは何故なのだろうか。ランヴァルドを警戒しているのか、はたまた、余程ランヴァルドの寝顔が気に入ったのか……。
ランヴァルドは少々頭の痛いような気分になりつつ、ベッドを出てネールを起こす。ネールはもそもそと毛布から出てくると、ランヴァルドを見上げてにこにこと嬉しそうに金貨を差し出してきた。
ランヴァルドはそれを受け取り、大分重くなってきた財布を確かめてにやりと笑う。
だがまだ、これで満足はしない。今日は朝一番に魔獣の森へ入ってみよう。
……最早何も考えずとも、魔獣の森でそれなりの戦果を得ることができてしまった。
ランヴァルドが教えたことは、ネールの中で着実に定着しているらしい。ネールは、高く売れるものとそうではないもの、需要が高いものとそうではないものをしっかり覚え、しっかり選んで背嚢を満たすようになってきた。
ランヴァルド自身は最早、ほとんど何もせず、ただネールを見守っているだけでよくなってきた。ネールにあっさりと狩られた獲物の皮を剥いだり、ネールの背嚢がいっぱいになってきたら『荷物は俺が持っててやるからお前は身軽でいろ』と背嚢を預かったりするだけで、後は勝手にネールがやる。
今日も中々の収穫である。ネールは狩人としてあまりにも優秀だった。
魔物と戦う様子はやはりあっさりとしすぎな程だ。冒険者達があくせく働き、時に命を落とす中でなんとか手に入れているものが、こうもあっさりと手に入ってしまう。ネールには戦いの天賦の才があるのだろうが、才能というものは持たざる者から見てみれば、まあなんとも残酷なものだ。
……だが、そんな才能を利用できる立場にあれば、残酷だなどとは思わない。
ランヴァルドはネールの才能を存分に利用して背嚢をいっぱいにし、そうして昼前にはカルカウッドの買取の店へと戻ることになったのである。
買取の店主は、またもやってきたランヴァルドとネールを見て『勘弁してくれ』というような顔をしていたが、ランヴァルドは容赦しない。
……ランヴァルドとしては『今までネールを食い物にしてきた分を返す意味でも、たっぷり搾り取られてもらっていいだろ。正当だ正当』と思っているところなので、まあ、容赦しない。そしてネールはきょとんとしながら、にこにこしているばかりである。店主を救う者は居ない!
「まあまあ、そんな嫌そうな顔するなって。あんたでも捌くのに流石に苦労する頃だろうと思って、日持ちするものを多めに持ってきたからな」
「日持ち……おいおいおいまた皮か!?皮なのか!?日持ちしねえだろうが!せめて干してもいい薬草とか……!」
「ははは、皮なら鞣せばいいだろ」
「俺は皮鞣し職人にでも転職すりゃいいのか!?冗談じゃない!あんたらがここ2日で持ち込んだ皮、全部で何枚あると思ってるんだ!10を超えてるんだぞ!?」
皮鞣しは重労働だ。1日に何枚も鞣せるものではない。だからランヴァルドはやりたくない。
が、皮を腐らせずに売りたいだけなら適当に、塩漬けにでもしておけばいいのである。無論、そうなると使う塩が馬鹿にならない量になってしまうだろうが、そのくらいの出費は飲んでもらいたいところだ。
ランヴァルドはけらけら笑いながら『ほら金を出せ』と迫ってやった。店主は『そろそろ本当に金がねえんだ!』と言いながら、金貨3枚と銀貨28枚をばらばらと出してきた。本当に金が無いらしい。
……だが流石にこの額でこれだけの品を売ってしまっては、ぼったくられるのもいいところである。ランヴァルドは思案した結果、牙と魔石を引っ込めて、更に、昨日売った黄金林檎やドラゴンもどきの鱗を貰って帰ることにした。これならまあ、『正規の値段』程度にはなる。
「じゃあ、また金が入った頃にまた来るからな」
「もう来ないでくれ……」
店主が『売り物が沢山くるのは嬉しいけれど限度がある』というような顔でしょげているのに笑顔で別れを告げて、ランヴァルドは店を出たのだった。
「じゃ、お前の取り分はこっちだな」
ランヴァルドはネールに金貨を2枚渡した。残った金貨1枚と銀貨28枚、そして引っ込めてきた牙と魔石、そしてドラゴンもどきの鱗については、ランヴァルドの背嚢の中である。
ネールも大分ランヴァルドにぼったくられているのだが、ネール自身はまるで気にしたところが無い。まあ、野生同然の暮らしをしていたようなので、金というものに頓着が無いのだろう。なんとも都合のいい狩人である。
さて。そうして金も分け終えたら、また次の金稼ぎの相談だ。
「今日は……そうだな、また魔獣の森へ行ってみるか?今日は乾燥させて使う薬草の類を教えてやるよ」
ランヴァルドがそう提案すれば、ネールは嬉しそうにこくこくと頷いた。更にきらきらと目を輝かせて、ランヴァルドに尊敬の視線を注いでくる。
……ネールの純真無垢な視線を浴びると、なんとなく、ランヴァルドは居心地が悪い。何せランヴァルドは純真無垢から程遠いので。だが、まあ、それを隠して、ランヴァルドはネールに笑いかけた。
「まあ、飯を食ってから出発しよう。何はともあれ、飯だ。折角金が入ったところだしな」
今日もまた金儲けができるわけなので、ランヴァルドとしても上機嫌だ。だがまずは食事を、ということで、ランヴァルドは買取の店の裏手にある食事処へ向かうべく、細い道に入り……。
「よお、マグナスの旦那。随分と元気そうじゃねえか」
……そこで、出会いたくない相手と出会ってしまった。
多少、油断していたかもしれない。だが、それだけだ。
大金を抱えた状態で路地裏に入ることが危険だということくらいは、ランヴァルドにも分かっていた。いざそうした連中とすれ違うことになっても、それとなく通り過ぎることくらいはできる自信もあった。
だがまさか……自分の全財産を奪い、自分を殺そうとした奴らとそこで出くわすとは、流石に思っていなかったのである!