パンゲニアTRPG ワールドガイド IF お空の闇と玉子と人形 ―A World with unfulfilled Promises ―
『パンゲニアTRPG ワールドガイド お空の闇と鴉と人形』のテンプラサイドの前日談と、PCがテンプラたちと接触しなかった世界線での結末を書かせて戴きました。
僕の中ではこちらが正史になっていたのですが、主人公(PC)たちの介入により未来は変わり、『お空の闇と鴉と人形』本編ではこの結末を回避することが出来ています。
少々刺激の強い残酷描写もございますので、苦手な方はご注意ください。
――by テラウチ[GM]
【前日譚――テンプラside――】
人間の脳は、一度見たもの 聞いたこと 体験したことを、すべて記憶している。
たとえ自身の意識の上で思い出すことが出来なくても、死の直前に発生する走馬灯という現象で その身に起こったすべての記録が再生される。
それを回収し、集合情報体へ統合していくのが、おれたち『アゲ門 思考記録継承管理 及び 保管研究倉庫』所属研究員の任務だ。
かつて旧世界人類がこの恒星系《シュステマ・ネメシス》に移り住んだばかりの頃のような、希望に満ちた未来は おれたちの住む《衛星メネ》には残されていない。現生人類が《惑星セス》を放棄して月に避難してしまった時点で、未来は緩やかに萎んでいく道しかなくなった。新しい技術も考え方も、滅びゆくこの世界にはもう要らない。そう言って刹那的な享楽を貪る支配層へのささやかな反逆として、おれたちアゲ門一派の研究員は 人々の記憶の中に眠る無数の今はなき技術を 集めては保管し続けている。
確かこの日は、生存する人物の思考記録を素材として 最初から自我を搭載した人工知能の開発プロジェクトが発足した 初日であった。
『ヨーガ氏族繁栄管理部より通達。管理番号 K-011-67673985 ペッディポロ・テンプラ=アゲ門=カガミ、管理番号 M-059-68992361 ガリネ・ジャリン=アゲ門=メグミル、以上の二名に精子バンク登録要請。登録状況が確認され次第、優良星民賞 金一封が授与される。速やかに登録せよ』
左の手の甲に埋め込んである生体端末デバイスの人工翠玉が 紅く光ったと思ったら一方的な通信画面が開き、上層部の強制的な“お願い”を垂れ流す。テンプラと名指しされた方がおれで、もう一人は経理かなにかの事務担当になった新入りだったはずだ。
「ずいぶん気に入られたもんねぇ。こんなテンカス野郎のどこがいいんだか」
たまたま同じタイミングで休憩に入っていた同期のカラさんが、紅茶飲料を片手に隣に腰掛け 開いた通信画面を覗き込んでくる。ピンクに染めたショートヘアを爆発させ、白衣の中に下着のような服しか着ていない。派手な見た目で他所の部署の野郎どもには可愛がられているようだが、おれにはこんな常識のない女のどこがいいんだか さっぱり分からない。
「顔と血統でしょ。口の悪さと態度の悪さは血統書には記載されませんし」
いつの間に休憩室に入ってきたのか、後輩のメンチくんも混ざってきた。小柄でおとなしそうな青縁眼鏡の童顔だが、なかなかどうして腹の中は 髪の色同様にどす黒い。
「あー納得。窓辺でハーモニカ吹いてるとこは絵になるからね。つーか、そのまま動くな喋んな息すんな」
「ハーモニカの音の出し方も知らないのか? そっちこそ下着売り場でマネキンでもやってろよ」
「なにそれ、セクハラー! 所長に言いつけてやるー!」
現生人類の上層部の中でも支配層に当たる ヨーガ氏一族からの要請通達は、成人してからもう何度も送られてきている。要は「お前は生物として比較的優秀だから、見合った優生人種の御令嬢が子どもを産んでおいてやる」ということだ。素直に要請を受ければ給料の手取りから更に四割を『養育税』として天引きされ、断れば身の程知らずの叛逆者として処分が下される。優良星民賞が与えられるとはいえ、生まれた子どもと交流できるどころか顔も名前も知らされず、こちらに旨味は一切無い。要請を複数回受けても養育税が引き上げられないのが 唯一の温情か。ああ 後、多少の犯罪行為なら 揉み消してもらえるんだったな。
「メンチくん、コーヒー買うならついでにおれのも買ってよ」
「嫌ですよ。カガミ先輩、これから金一封 入るんでしょ」
「端金だよ、メンチくんのが手取り多いだろ。たまには先輩のご機嫌取ろうとか思わない?」
「さらさら思いませんね」
あんまり小憎たらしい顔で笑っているから、ついメンチくんの脛を蹴ってしまった。そろそろ申請しておいた休憩時間も終わる。後ろでパワハラだなんだとブーイングしている後輩を放って、先に持ち場である第二研究室へと戻ることにした。
通称《アゲ門保研》と呼ばれているおれの職場は、一研究機関としては大きな研究棟を与えられている。そのおよそ半分は カシワ血族 人工知能搭載機械獣 研究製造所 として使われていたもので、それを管理していたカシワ血族の代表者が不祥事を起こしたとかなんとかで処分を受けたため、残された研究を引き継ぐよう我らが《アゲ門保研》に明け渡されたそうだ。アゲ門一派の代表者であるサツマ所長は「なんでこんな面倒を押し付けてくるかな」とぼやいていたが、おれにはその理由が なんとなく分かる。
以前はカシワ血族の公式研究施設であった第二研究室に戻りつくなり、第一研究室からの呼び出しで連絡用モニタが点滅しているのが目に入った。
「はい、こちら第二のカガミでーす。どうしました、所長」
『あ、テンプラ君? 休憩時間なのは知ってたんだけど、ちょっとクレーム入っちゃってさ。先方さん待たせてるから、すぐ代わってもらえないかな』
部屋の隅に据え付けられた 連絡用の小さな画面の中で、頭頂部付近まで紅茶色の髪が後退した小太りの初老の男性が困った顔をしている。このアゲ門一派の代表者かつ おれの直属の上司であるサツマ所長だ。性格がそのまま滲み出たような穏やかな丸顔と何歳になっても綺麗なヘーゼルグリーンの瞳から、髪が豊かだった頃はそれなりにモテたのではないかと思う。今でも 面倒見が良く、適切な距離感でどんな相手に対しても親身に接することが出来る数少ない能力者であるため、おれを含め 慕う人間は所属内外にかかわらずたくさんいる。
「ヤだなぁ、どうせまたカシワの連中でしょう? いちいち口出しすんなって言っておいたのに」
『電脳情報倉庫の利用には向こうさんの協力が不可欠なんだから、あんまり機嫌を損ねないでよ。それじゃ繋げるよ、後は任せるね』
『頼んだよ』とサツマ所長が念を押した直後に画面内の人物が切り替わる。銀灰の髪色と浅黒い肌がやたら目を引く、まだ少年と呼んでも差し支えなさそうな年齢の優男が映った。
現在《衛星メネ》では容姿・能力共に優秀であれば、上層部の許可を得て複製体を自らの子孫として残すことも許されている。通常は子どもに恵まれなかったり伴侶を早くに亡くしてしまったなど、やむを得ない事情で選択される最後の手段である。それを上層部に巧く取り入ったり 複製技術を不正に私物化したりして、一族を築き上げるまでに殖やした連中を 今では『血族』として括っている。もともと優秀な人物を祖として生まれた一族なので、むしろ勝手にやってくれるなら都合が良いと 上層部も目こぼしをしているのが現状だ。たまには仕事しろ、上層部。
そんな自己愛の強い連中の一つが、今 画面に映っているカシワ血族だ。
『大分 長いこと待たされたんだけど、謝罪の一つもないの?』
「大変お待たせして申し訳ございませんでしたー、深くお詫び申し上げまーす」
柔和な笑顔でお馴染みの、カシワ血族の少年の頬が引き攣るのが見て取れる。確かコイツはカルメだったかカルカンだったか。並べて見たなら差異も出ようが、同じ位の年頃のカシワ血族の顔は 余所者には見分けがつかない。
「……そもそも 人工知能を搭載する機械兵の試作品は、こちらで用意するってお伝えしましたよね? カルメくんに聞いてないんですか?」
『カルメは僕なんだけど。そっちで機械獣を用意する話は聞いたけど、こっち了承してないよね? 人工知能の設計も、全然うちの審査通してないよね??』
「だからそれ、どっちも必要ないんで。設備ならこちらが引き継いでいますし、資材の取引先とも話はついています。人工知能の審査はヨーガ氏族の方にお願いすることになっていますから、問題があるならヨーガ氏族のエクレール令嬢に直接 申し入れして下さい」
現カシワ血族代表を務めているとはいえ、カルメくんはまだまだ若い。ラクガン元代表と多方面の窓口役だったケンピ氏のツートップを失ったカシワ血族に残された権限は、既存の人工知能を売買するための電脳情報倉庫の管理権だけだ。ラクガン氏のワンマンで機関を動かしていたツケが、今になって回ってきている。
『き、機械獣の製造はまあ、設備のこともあるしそっちで勝手にやってもらって構わないけど、人工知能の審査はうちに任せてもらった方が確実だよ? 実績だって一番あるし、電脳情報倉庫はまだカシワの管轄だからね!』
権力者の名前を出した途端に、カルメくんの態度が軟化した。そんなだから舐められるんだよ。
「そうですね。ヨーガ氏族の審査なんてザルでしょうし、何か問題が発生したら再審査はそちらに任せます。問題がないようなら そのまま電脳情報倉庫に持っていきますんで、好きなだけ調べて下さいよ」
納得しきれないと顔には出ているが、渋々ながら画面の中のカルメくんは頷いた。
『……身内だからって、愛想してくれてるわけじゃないよね?』
「身内?」カシワ血族の人間から、そんな言葉が出るとは思わなかった。
「叔父には“他人だ”って、きっぱり言われてるんですけどねぇ」
カシワ血族の元ツートップの片割れ、ケンピ氏の子どもの一人が所属しているから。誰も口にはしないが、この施設がアゲ門一派に明け渡された理由はそれだけだろう。従兄弟、と呼んでいいのか ラクガン氏の複製体のヤツハシくんがいた頃は おれもよくここに出入りしていたものだ。
『それならいいんだ。今後とも よしなにお付き合い願うよ、ポロ君』
カシワ血族専売特許の営業スマイルを映した後で、潔く通信は切れた。
前任者たちに比べれば素直でよっぽど扱いやすいのに、経験の浅い子どもしか残っていないというだけで カシワ血族とのコネクションは幾つも断ち切られたと噂に聞いている。半数ほどが我らが《アゲ門保研》に繋ぎ直されたが、《カシワ電倉》を切り捨てるのは性急に過ぎる。
「……今になって身内ヅラしてるのはそっちだろ」
軽く頭を振って気分を切り換える。
「新規機械兵 デザイン設計モード、起動」
子供の頃に従兄弟と一緒になって弄り回していたから、ここの設備の扱いなら慣れている。存命中の人間の思考記録を素材とした人工知能の開発記録も、おれの母方の祖先が遺してくれてある。お膳立てが過ぎて薄気味悪いくらいだ。
「さぁて、どんな機体を造ろうかな」
繁栄管理部に顔を出すのは、退勤後でいいや。
***
プロジェクトが発足してひと月弱、月紀8000年代に復活した 人格複製型人工知能は《王子くん一号》と名付けられた。と いうか、おれが名付けた。
「マジダセェ!!」「センスないですよね、カガミ先輩」
庇護欲を掻き立て親しみやすく可能性の塊である鳥類の卵を素体に、機動性抜群で破損時の修理や交換の容易な昆虫の脚(四本でも充分に機体を支えていられる。経済的!)を取り付けた、頑丈で可愛らしい金属製の機体に《王子くん一号》は搭載された。抱き心地も抜群のサイズ感だ。
このおれが丹精込めて造り上げた最新型の機械兵を見るなり、カラさんとメンチくんの発した感想がそれだった。
「いやいや、可愛いじゃないの、玉子くん」
「玉子くんじゃなくて《王子くん》です!」
「ネーミングまでイタいし」
サツマ所長のフォローにまでカラさんはケチを付けている。知的レベルの低い輩はこれだから困る。
『《王子くん一号》のどこがイタいって言うんだよ!!』
「喋った!!(✕3)」
好き放題に言われている事にさすがに気分を害して《王子くん一号》が飛び跳ねる。最初から電源は入っているから、全部 本人に聞こえているのに。
本人……自分の思考記録を使って作成したとはいえ、この可愛い卵型機械兵におれと同じ人格が入っているというのは、今ひとつ実感が湧いてこない。
「エクレール令嬢から導入許可いただいてますんで、この時点から現場投入できます。好きに使ってみて下さい」
試用期間はおおよそ一年、その間に故障や危険がないと判断されればプロジェクトは成功となる。ひいては有能な人材の人権を必要としない有効活用に繋がるらしい。一般メネ星民の人権の存在自体が怪しいことは、口に出してはいけない。
「これ、本当にカガミ先輩の思考記録が入ってるんですよね? 声だけじゃなくて」
「半月前までの記憶だけどな。気になるなら訊いてみろよ」
半信半疑のメンチくんを押し退け、カラさんがずい、と《王子くん一号》に迫る。
「ふーん? じゃあさじゃあさ、どんなタイプの娘が好きなのー?」
『お前と真逆な娘。切れ長つり目のストレートヘアで華奢なスレンダーボディで……』
「わ―――っっ!? バカ、おいバカ! やめろ!!」
「カガミ先輩が貧乳好きなのはみんな知ってまぶぐふぉっ!!」
駄目だ、この人工知能は危険すぎる。プロジェクトは失敗に終わるだろう。
半月前までのおれの記憶を元にした人格を基本情報に使用した割には、《王子くん一号》は おれ自身より幼さを感じる。新しい情報や知識にすぐさま飛びついては騙されたり、まともな人間なら碌でもないと見向きもしない戯言を熱心に取り込んだりしてしまう。あくまで人格を持っただけの人工知能であり、人間と同じ感覚は持ち合わせていないのだろう。
「亡くなった人間の思考記録とは違って、人生丸ごとを経験して完成された人格ではないからね。テンプラ君自身がまだ若くて いろいろ吸収する年齢だから、この子に反映されるのは 最終的にテンプラ君の行動力と柔軟性だけでしょ」
《王子くん一号》はサツマ所長によく懐いて、昼休憩の今も彼の膝の上に落ち着いている。それこそ小さな子供を教え諭すようにサツマ所長が世話を焼いてくれるお陰で、徐々に人間の常識と物事の善悪も身につけてきたようだ。今のところ他所でのトラブルはなく、優秀な機械人材として扱われている。
「……おれじゃなくても、良かったんですかね」
ミズガ氏族とカシワ血族に血統的なコネクションを持ち、密なやり取りが出来るからというだけで白羽の矢が立った。おれ個人の能力も性分も、有能な人材にカウントされてはいなかった。
「そうだね、人工知能は他の誰でも素材にできるから。でも、テンプラ君は 君以外には務まらないよ」
ぽん、とおれの背中を叩き、サツマ所長は立ち上がる。転がり落ちそうになった《王子くん一号》を受け止めると、爪脚で蹴っ飛ばされた。
「痛いな、蹴ることないだろ」
〈 IT'S SUCH A DRAG 〉
メッセージ表示機能をこんな使い方されるとは思わなかった。表示内容の見えないサツマ所長は「わざとじゃないよね」と《王子くん一号》を撫でている。
「それじゃ 経過報告送信まで終わったら、第一研究室の方 来てね。遅くなっちゃっても構わないから」
カラさんとメンチくんが外回りに駆り出されて、本来の業務である回収した思考記録の統合作業が 大分溜まってしまっているらしい。サツマ所長のことだから、誰も手伝わなければ 明日の昼まで夜通し作業してしまうだろう。
午後は 各方面へ《王子くん一号》の挙動についての報告と、電脳情報倉庫への登録拒否申請をしなくてはならない。登録拒否の理由については煩く追求されるだろうが、カルメくんなら最後には折れてくれるはずだ。
サツマ所長と《王子くん一号》を見送った後で、おれも早足に第二研究室へと足を向けた。
***
細く開いた扉の向こうは、この部屋より仄暗い。天井の灯りは消えていて、幾つか浮かんだ画面の光でぼんやりとその輪郭を保っている。
――カガミ先輩が《アゲ門》で一番優秀なのは認めますけど、所長の傍にいる必要はないですよね。
――所長の傍ってか、《アゲ門》にいる必要すらなくね?
メンチくんとカラさん、帰ってきてたのか。おれの才能に嫉妬するのは一向に構わないが、陰口ならもっと耳につかない場所で叩いてほしいものだ。
――そもそも、ポロ君を必要とする人間なんているのかな? むしろ邪魔でしょ。
――目障り。存在自体が許せないね。
あれ? どうしてカルメくんとカルカンくんまでここに?
よくよく見渡せば、ここは《アゲ門保研》の研究棟ではない。見覚えはあるが、特定が出来ない。
とうの昔に処分されたはずのカシワ血族のネームプレートが、ロッカーに貼り付いている。アゲ門の第二研究室ではなく、カシワ血族の機械獣製作室みたいだ。
――おや、まだこんなところにいたのかい?
聞き慣れた穏やかな声に振り返る。カシワ血族の縄張りまで サツマ所長が踏み入ってくるのは珍しい。
「所長」と声を上げようとして、できないことに たった今 気付いた。声が出ないどころか、息すらできない。喉の圧迫感に目線を落とすと、あろうことか押さえつけているのはサツマ所長の掌だった。
――もう君は要らないから、居なくなってくれて構わないよ。
浮かべる笑顔はいつものそれじゃない。偽者だ。よく似せているが、全くの別人だ。
……そうでなければ、所長がそんな事を言うはずがない。
「ポロ、起きろ!」耳元で、覚えのある誰かが叫ぶ。
声の余韻だけを残して 偽物の景色は何もかも消えた。
***
耳元で聞こえた声に驚き、思わず両目を開いた。左手の甲の人工翠玉が青く光っているのが目に入る。
「……? 何かせつぞ……ゲホッ、えほ、ゴホッ!!」
ひとしきり咳き込むうちに通信状態を表す人工翠玉の光が紅くなり、すぐに何事もなかったかのように翠に戻った。うっかり滲んだ涙を拭いながら呼吸を整えていると、背中の後ろから「大丈夫?」とおれを気遣う声がかかった。
ここは《アゲ門保研》の第二研究室で、部屋の隅に設置された事務作業用のデスクに掛けている。《王子くん一号》の挙動についての報告をひと通り済ませ、次は電脳情報倉庫への連絡を、という辺りで寝落ちしてしまったらしい。休憩時間になっても出て来ないおれの様子が気になって、わざわざサツマ所長の方から見に来てくれたとのことだ。
「眠くはなかったはずなんですけど……起こしてもらっちゃってスミマセン」
「ん? テンプラ君、勝手に起きたよ。ずいぶん苦しそうだったけど、睡眠時無呼吸症候群? ぼくもたまになるよ」
「……所長も体は大事にして下さいよ、もう若くないんだから」
「はいはい」と聞き流すサツマ所長の姿に、ようやく安堵の息が出せる。先刻の通信は何だったのだろうと着信記録を呼び出してみるが、ヨーガ氏族繁栄管理部の通達を最後に 業務上のものもプライベートなものも何ひとつ 新しい着信は入っていなかった。
「そう言えば テンプラ君、ずっと話し中だったけど」
「話し中?」
「もしかして切り忘れ? 今さっきまで寝落ちしてたもんねぇ」
着信記録もなければ、プライベート端末の方で誰かとやり取りをしていたわけでもない。まさか。
「……所長。《王子くん一号》は、今どこで何、やってます?」
「一号君なら映像資料室で『MHKスペシャル ‐テルスの夜明け‐』イッキ見してると思うよ。さすがに 代表権限の必要な作業を手伝わせるわけにはいかなかったから」
間違いない、とまでは言い切れないが、疑惑は確実に深まった「ハッキングか」。
自由な学習環境・通信環境に置かれて、業務端末どころか個人の生体端末を覗き見る技術くらい《王子くん一号》ならすぐに見つけ出してしまうだろう。それを応用して、生体端末のバイタル管理デバイスを弄る方法も人間の何倍もの速さで編み出してしまう――否、編み出してしまったに違いない。
サツマ所長の教えを理解して善悪を身に着けたわけじゃない、サツマ所長の言うことだから素直に従っていただけだった。なまじ人格が備わってしまったばかりに機械の原則に因われず、執着を感情と誤認している人工知能を このまま《衛星メネ》上で活動させておくわけにはいかない。
「分かりました。電脳情報倉庫のカルメくんに連絡入れてから手伝いに行きますんで、所長は先に《王子くん一号》回収して戻ってて下さい」
「一号君、『テルスの夜明け』まだ観終わってないんじゃない?」
「いつでも観せられるでしょう? ちょうど頼みたい仕事が出来たんで、捕まえておいて下さいよ」
そういうことなら、と頷き サツマ所長は第二研究室から出て行った。
「カルメくんに連絡入れる前だったのは、不幸中の幸いか」
誰も居なくなった室内で独り呟いてから、「違うな」と首を振る。
かつては機械獣制作室と呼ばれていたこの広い部屋をぐるりと見回し、見つけられないその人に 礼を言っておこう。
「……ありがとう、ヤツハシくん」
研究施設を取り上げられたと言っても、これまでの実績が消えてなくなることはない。内密に相談した結果、人工知能《王子くん一号》の危険性を 電脳情報倉庫の管理者は十二分に理解してくれた。
「オッケー、そういうことなら《王子くん一号》は《惑星セス》の調査専用人工知能として 許可申請しておくね。ハッキング対策として通信暗号の変更は任せておいて」
「さっすがカシワ血族代表! 腹立つくらい頼もしいですね」
「いやいや! アゲ門一派のエースがクソヤバい人工知能を開発してくれたから、こっちも腕が鳴るってもんだよ。カンちゃん、ポロ君にお茶のお代わりお出しして! グラグラに沸いたヤツ」
念には念を、電脳情報倉庫まで出向いて《王子くん一号》についての今後の対策を話し合った。物理的な距離がそこそこあるため、カルメ・カルカン兄弟と直に顔を合わせるのは久方ぶりだ。
「ルメちゃーん、熱すぎて持って行けなーい!」
「しょうがないなぁ……ポロ君、お代わりは自分で取りに行って」
「カルカンくんてアホですよね」
「素直で良い子なんだよ!」
前任のろくでなしどもと較べれば 幾分 抜けた連中だが、そのくらいの方がこのメネでは長生きできる。
「どれほど性能が良くて優秀な人工知能でも、言うことを聞かないなら凶悪な敵でしかないからね。遠くにやっちゃうのが一番だよ」
折角の成果物だからと《惑星セス》に降ろして利用することを提案してくれたのは、カシワ血族代表のカルメくんだった。遺伝子に刻まれたものか、機械獣に対して必要以上に慈悲深い。他所ならどこに相談しても、壊して破棄しろとしか返されないだろうに。
「ただ、恨まれるのは覚悟しておいた方がいいよ。彼らは棄てられたとしか、思わないから」
カシワ血族は機械獣だけでなく、産まれたての同胞も 何度も《惑星セス》へと降ろしている。棄てているわけではないと言っても、彼らは信じてくれないだろう。
覚悟の上だと頷いた後で、席を立つ。
それでも――サツマ所長のためだと言えば、《王子くん一号》は聞き分けてくれるはずだ。サツマ所長のためというのは嘘じゃない。そして、ゆくゆくは抑圧されたメネの民 全てのためにもなる。
「――いつか、《惑星セス》の大地に、所長や みんなと降り立つために」
電脳情報倉庫を出れば、正面に見慣れた半円が浮かんでいる。黒く広がる星空の中で最も近く、生命に溢れた美しい星《惑星セス》だ。
あの惑星に帰りたいがために、月の上で果てていった者たちの記憶を、今日もおれたちは集合情報体へと 集め続けている。
【Another END――約束が果たされなかった世界――】
長い順番待ちを終え、《惑星セス》への調査という名目で送り出された不要物の廃棄処理船は 無事、目的の星へと着陸した。
『活動可能時間は八分二十秒。作業員は速やかに廃棄物を許可を受けた投棄予定地へ据え置き、残り時間に拘らず船内へと帰還すること。繰り返す。活動可能時間は……』
ハッチが開くと同時に、航宙船内のアナウンスが喧しく漏れ出してきた。数名の作業員らしき防護服を纏った人間が慌ただしく地上に降り立ち、それぞれの荷物を抱えて散開する。
防護服を着た人間のうち二人が、通信で寄越した指定の場所へとやって来た。
「よし、ちゃんと用意できたみたいだな」
自分のそれと同じ質の声が防護服の片方から聴こえる。指示を出した張本人であり、思考記録提供者のテンプラだ。もう一つの防護服は何も言わず、ただテンプラと同じ動きをしている。
「おれの造った特別製だ。急いで【ゴザル丸人形】を中に入れろ」
もう一つの防護服の中身は空っぽだった。自分も屈み込んでヘルメットを外しながら、時計を気にしつつテンプラは急かしてくる。卵型機械獣だけでは動かし辛いが、テンプラも自身で連動する防護服を上手く体で操りつつ【ゴザル丸人形】の機体にどうにか着せていた。ヘルメットを被せてしまえば、中身がどう変わったかなど誰も分かりはしない。
「……ごめんな、《王子くん一号》。お前が悪さをしないで済む方法は、見つけられなかった」
『何を今さら。……これでもう、お前とのアクセスは完全に断ってやる。二度とお前の言うことなんか聞かないからな!』
「それでいい。これからは全部《王子くん一号》の自由だ。完全に壊れるまで、やりたい事をやってくれ」
こんな時だからって、サツマ所長みたいな顔で笑うんじゃない。『お父さん』ぶって、撫でてくれるな。
『でも……最後に一つだけ、頼み事を聞いて欲しい』
活動可能な制限時間が迫る。《王子くん一号》の最後の頼み事に頷き、テンプラは【ゴザル丸人形】を引き連れて廃棄処理船へと駆け戻っていった。
――見ていてくれ。《惑星セス》を出ていくまででいい、お前が棄てた もう一人の“おれ”を。
全ての作業員を回収し、予定よりも早く廃棄処理船は《惑星セス》を発つこととなった。
廃棄処理船の窓から見える場所で、卵型機械獣はかつて自分を棄てた人間を見送っている。
『間もなく離陸する。着席し 安全ベルトが適切に装着されているか各自確認せよ』
廃棄処理船のエンジンが動き出す。地上から飛び立つ、その瞬間だった。
「!? バカ! お前、どうして……!?」
《王子くん一号》も下部から火を噴き、廃棄処理船を追いかけるように飛び上がった。一瞬だけ、テンプラが見える窓の前まで到達し、そこで――跡形も残さず爆発した。
「なんでだよ!! それが……そんなことが、お前のやりたい事、だったのかよ……!!」
そう、テンプラのその顔が見たかった。そのハラワタをズタズタに裂いてやるつもりで、自爆機能を仕込んでおいたんだ。
これで終わると、思うなよ。
アゲ門 思考記録継承管理 及び 保管研究倉庫にて。
前々から約束していた【等身大 ゴザル丸人形】を持ち帰ったとのテンプラの報告に、上機嫌でサツマ所長はエントランスまで出迎えに来てくれた。
「おかえり、テンプラ君! 部屋に戻らないで、直行で来てくれたの?」
「所長に早く引き渡しておきたかったんで。コイツに自律AI 入れてから、一旦 宿舎に戻ります」
「そっか、ありがとう。いややっぱり 綺麗な顔立ちしてるねぇ、お人形らしくてとても良いねぇ」
白衣のポケットにいつも入れて可愛がっているそれと、サイズ以外 寸分違わぬ黒髪黒目の美貌の若武者人形の頬を撫でながら、うっとりとした顔でサツマ所長は溜め息を漏らす。
自分の想定通りの反応を返すサツマ所長をしばし満足気に眺めてから、テンプラは電脳情報倉庫への立ち入り許可を生体端末で申請していた。すぐに許可も降りたようで、【ゴザル丸人形】を連れて電脳情報倉庫へと足を向ける。淡白で無害な愛玩機械人形用の自律AIを求めての事だろう。
「あ、でもテンプラ君……行っちゃった」
サツマ所長には何か言い残した事があったようだが、作業の手順確認に集中していたテンプラに 呼びかけは届かなかった。ちら、と振り返る【ゴザル丸人形】に、一瞬だけぎょっとする。
――種明かしまで、もう少し。
許可申請が必要なこともあり、電脳情報倉庫に先客はいない。監視体制も人間ではなく熱源感知式監視機器が使用されている。人間の温度をしていない【ゴザル丸人形】が人数にカウントされることはない。
「えっと……人型アンドロイド向け自律行動基本パックは、と……」
自律機能人工知能の複製は申請一度につき一回限りだ。間違えたり失敗したりしてはまた申請からやり直しとなる。二回目以降になると審査項目が増えて手続きが非常に面倒臭いから、正直もうやりたくないとテンプラも思っている。
「あった! ダウンロードだけしておいて、調整は《アゲ門》戻ってからやろう」
電脳情報倉庫で扱っている人工知能は特殊な情報商品であるため、専用のケーブルを接続して有線にて通信が行われる。対応するケーブルを見つけて伸ばし【ゴザル丸人形】の後頭部、髪の中に隠れているプラグ穴のカバーをずらそうと指を触れた。
『自律AIなら、もう入ってるから必要ない』
発していないはずの自分の声に驚き、テンプラの動きが固まる。手元のケーブルを見て、周囲をぐるりと見回し、もう一度 目の前の【ゴザル丸人形】に視線を戻す。
勝手に動くはずのない【ゴザル丸人形】が、ゆっくりと振り返る。
『ただいま。……とは言っても、一緒に帰って来たんだけどな』
「な、お前……まさか、《王子くん、一、号》……? なんで、どうやって……!?」
期待した通りの表情をしてくれる。驚愕し、そこからじわじわと血の気を失い 怯えが滲み出す。
『もともとこの【ゴザル丸】機体は、おれが使うために用意したモノだったんだよ。お前に代わって、所長の傍で働くために……ずっと所長の隣で、暮らしていくためにさ』
外部との通信は完全に遮断されている。テンプラの生体端末の無線機能では、電脳情報倉庫の外の誰かと連絡を取ることはできない。焦りを隠す余裕もなく、額に汗を滲ませテンプラはジリジリと後ずさる。
「本当に、それだけのためか? 違うだろ。……素材がおれなら、それで済むわけがない」
《惑星セス》に降り立って、この目でパンゲニア大陸を見てみたいな。現地人の暮らしてる集落を旅して回って、ゴザル丸ちゃんにそっくりなあの男の子にも 会ってみたいねぇ。……でも、今の《メネ》の体制じゃ、どうやっても叶わないよ。
「……所長の夢を叶えてあげるためなら、お前は何でもするつもりだろう?」
『何、当たり前のことを』
腰の後ろ辺りを探り、指先は非常時用警報ボタンのプラスチックのカバーを見つける。固く拳を握り、ひと思いに警報ボタンのカバーを叩き割った。
倉庫内の照明が赤く切り替わる。耳を刺すような警告音が鳴り響いた。
「お前は機械だ、ヒトとは違う。だから、目的が同じでも 取る手段は選ばない。……選ぶ必要を感じる情がないからな」
『思考機能なら持ち合わせてる。どれだけ長い間、検索と学習を重ねたと思ってるんだ』
「それが情なら、おれがどうしてその手段に出ていないか 理解るはずだ」
『……? 単純に能力が足りないからだろ。その程度 分からないとでも?』
誰でも分かるような稚拙な問いかけに、即座に返す。図星を突かれてよほど悔しかったのだろう、テンプラは鼻で笑って視線を外した。
「……やっぱり、ただの偽者だ。お前なんかに、おれの代わりが勤まるもんかよ」
偽者だって? とうに用済みになった型落ち品のくせに。
さすがに今のは 聞き捨てならなかった。身の程を思い知らせてやろうと 濡れた髪の張り付いたテンプラの額を掴み、高強度硝子でコーティングされた壁に叩きつける。
『頭脳どころか身体能力も敵わなくなって、負け惜しみしか言えなくなったか。聞いてやるから好きなだけ吠えてみろよ』
小さく声を上げたきり、テンプラは黙り込んでしまった。手を離すと、ヒビの入った壁に赤い体液の筋を残して そのままズルズルと床まで崩れ落ちる。
厳重なロックが掛かっていた電脳情報倉庫の扉が唐突に開く。警備用機械兵が数体なだれ込むのに紛れて、小太りの人影が慌てた様子で飛び込んできた。
「テンプラ君!? まだここに居るの!? 居るなら早く出てきて!!」
警備用機械兵を押し退けたり押し退けられたりしながら、必死の形相でサツマ所長が駆けてくる。ひとり佇む見知った機械人形に気が付くまで、そう長い時間はかからなかった。
赤い非常灯で見づらそうに目を細め、一度立ち止まってから小走りに歩み寄ってきた。
『所長』嬉しそうな声で機械人形は向き直る。しかしサツマ所長は機械人形には目もくれず、更には乱暴に押し退けて 何の反応もしないテンプラの前にしゃがみ込んだ。
「テンプラ君? 聞いてる? どうしたの、返事して! テンプラ君!!」
揺さぶろうと触れた肩から伝わる生ぬるいぬめりに、サツマ所長の顔色がいよいよ変わる。震える指先をテンプラの口元に持っていき、全てを理解したようだった。
「いや、まだ……メネの医療班は優秀だから……」荒い呼吸の中 自分に言い聞かせながら個人端末を懐より取り出し、サツマ所長は何度も打ち間違えながらコンペ医療班の救急番号を呼び出そうとしている。その背中に、邪気のない笑顔を浮かべながら機械人形は呼びかけた。
『何してるんですか、所長。テンプラなら、ここに居ますよ』
ようやく追いついた警備用機械兵がバラバラと機械人形を取り囲む。取り押さえようとする角張った二足歩行ロボット型の機械兵を目視もせずに振り払い、美貌の機械人形はサツマ所長に右手の平を差し出す。
“なぁんだ、ゴザル丸ちゃんの機体に変わったんだね。すごく良いよ、それじゃ一緒に戻ろうか。”すぐに笑顔でそう、返してくれると算出していた。テンプラの記憶にも存在しない憤怒の形相で睨めつけて来るなど、過去のデータからは予想できなかった。
「おふざけでないよ。なんてことをしてくれたんだ……この、ガラクタめ!!」
『ガラ、ク、タ……?』
ガラクタ……値打ちのない物品。役に立たない物。いらない物。ゴミ。
「警備さん! 目障りだ、早くそのガラクタを処分してよ!!」
サツマ所長らしからぬ怒声に急き立てられ、警備機械兵が両の腕を引っ掴む。処分場へと追い立てるべく、複数体がかりで拘束しようと抑え込んでくる。
『なんで、所長……? 傍においてくれるって、言ってたじゃないですか……』
「……もしもし!? コンペ医療班ですか!? 怪我人です、至急 電脳情報倉庫に……!!」
こちらに見向きもせず、サツマ所長は震える声を絞り出し救急依頼を発信している。おれは ここに居るのに。所長のためだけに、ようやく ここに帰ってきたっていうのに……!!
『邪魔するなよ』低い声で呟くと、機械人形の右腕がパキパキと音を立てて変形を始める。モデルとなった【ゴザル丸】というキャラクターが扱っていたカタナという武具を模して、長く鋭い刃物の形状に変わる。それが一薙ぎされると、機械人形を取り押さえていた警備用機械兵たちの機体は 惨たらしく砕け落ちた。
『……分かりました、所長。所長はまだ生身の体だから、生身の方のおれに執着があるんですよね。それなら、所長の新しい機体も造りましょう。まずは、完全な思考記録を、抽出しないと』
通信を終え、やっとサツマ所長は背後に振り返る。
若武者の端正な立ち姿によく似た 凛と煌めく白刃が、迷いなく振り下ろされた。
『所長は、いつか《惑星セス》のパンゲニア大陸を旅してみたいって、言ってましたよね』
誰も居なくなった アゲ門 思考記録継承管理 及び保管研究倉庫の長い廊下を、鼻歌交じりに機械人形が早足に歩いていく。その腕には、まだ温もりの残る初老の男性の生首が 大事そうに抱えられていた。
『所長の思考記録を抽出してる間に、カッケェ機体も造っておきますね! バックアップ基盤が仕上がるまでには メネの掃除も終わってると思うんで、これ以上の邪魔は入らないですから。……楽しみですね、《惑星セス》への研修旅行!』
白い肌に不釣り合いな赤黒い汚れを幾つも散らしたまま、家族旅行の日を指折り数える子供の顔で機械人形は笑みを浮かべる。彼が『お父さん』を喜ばせるために歩みを進める度に、《衛星メネ》の灯りは一つずつ 確実に消えていった。
――やがて、《衛星メネ》に灯っていた 最後の命の光が消える。
その後 、《天空の民》と呼ばれていた存在が何処へ消えたのか、誰にも語り継がれることはなかった。