第3話 「一票の重さ」と強制執行官
(5)1票の重さ
先述の炊き出しをしている「イスト」達に「委任状」を渡すのは論外として…ブローカーに売ったほうが臨時収入になり大きいのだが、どのブローカーに「委任状」一番高く売れるか、今のうちにアンテナを張っていないと、と考える。
「委任状」とは、このあらゆる格差が大きい社会でも、「統一機構」、正式名称はかなり長いらしいが、通称「ユニティ.org」、まあ俗には「ユニティ」なり「オーガ」とも市民に呼ばれる、社会全体を統括する特殊な組織で、世界で原初契約とルールブックスに基づいて裁きを下す機構がある。
ただし、それを間違えても人前で「政府」や「国家」などと呼ぶと、少し厄介な事になるが、それに参与する「人権」として与えられる一票を行使する権利を委任する同意を指す。つまり、票は売れる。
そうその統一機構に対しての意思決定に参加できるよう、ブラックランクのようなのは例外として、誰でも最低1人1票を、俺達レッドにも平等に「人権」として付与されている。
ただ、その基礎票の1票に加えて、統一機構への拠出金、社会信用ポイントと、セキュリティランクの負付加ボーナス票、社会的地位での責任、その他様々なものに応じて計算される付加票数がそれらの人々に付与されるため、ある意味本当に平等な1人1票なのは俺達レッドくらいだ。
本来なら「人権だ」と票など与えられても興味がないが、ここには俺のようなレッドの1票や、ランクとしての付加票を合わせ最低2票持つオレンジの市民に対し、「投票権をすべて委任します」という「委任状」を買い取る契約をして集める様々なブローカーがいて、「委任状」はそれなりの値で売れる。
毎年1回の各人への票の付与日は、俺達にとってはボーナスデーであり、貴重なマネー収入だ。今回のように臨時に付与される事もあり、有り難く買い取ってもらう事にする。
話によると富豪なりメガコーポレーションなり様々な大きさの中小のエンタープライズや中小の各種グループが、ブローカーからさらに票を買いとるらしい。
あとは「人権を持つ」と認められたAI、ルールブックス上は「電脳人」とも呼ばれるらしい、正式名称は確か、「Human Artificial Intelligence」、略称で「HAI」と略されるAIなどの存在が最近は台頭してきているようだ。
そういった票が必要な存在にブローカーは買い取ったものを売って儲けている。そういった票を買える力を持つ個人なり法人なり電脳人なりの存在が、統一機構の運営についての権利をそれぞれの目的のために行使しているらしい。
例の様々な「イスト」の各団体も、炊き出しと引き換えなのか、理念に賛同してなのかは分からないが、とにかく委任してもらった票を、団体としての理念に基づき行使するらしい。
実際問題、俺達が団結して投票をしたとしても、そう一致して行使するにしても、富豪やメガコーポレーションや中小のエンタープライズやHAI達が各付与条件で付与されている票数で既に相当な票数で、太刀打ちしようとする気が起きないだろう。
一応は「イスト」達の言う話には、レッドとオレンジの票を足せば、票は過半数以上を占める事ができるらしいが、それは夢物語だ。誰だってそんな夢物語よりボーナスを選ぶ。
だがまあその「委任状」のブローカーの買い取り相場が、今年は前回よりかなり下がったから、「イスト」達の炊き出しに結構人が集まっているらしい。
そのためなのかは分からないが、それぞれの団体の「イスト」達は、「我々の訴えと投票の行使で、無料配給の味が改善された!」と、それぞれ自分のところの手柄だと訴えている。
だが俺にはマネー収入が一番だ。無料配給の味が上がろうが下がろうが…まあ、上がった方がもちろんいいが、「イスト」達のやることは基本的に俺には関係ない。
むしろ票を売らず、何かあった時にための総合保障保険などに入らず、まったく蓄えがないとどうなるかは、このゲットーの道端に無料の「診療所」では対応できなかった、死にかけ寝転がってる者たちを見れば嫌でも分かる。
飲み干したエール2杯の代金を払い、俺はさてぶらつくかと酒場を出て大通りへの道へと扉を開いた。
(6)強制執行官
大通りに出るといつも通り屋台が出て賑やかで混み合っていたが、そのような考えても仕方のない事を考えながら歩いていると、「おい!そこの兄ちゃん、危ないよ!」という叫び声が歩道からかけられ、身構える。
遠いサイレンの音が聞こえ近づいているのに気付くと、道の斜め向こうの脇道からボロ着を来たチョーカーがオレンジな人間が逃げ飛び出してきて、サイレンの音が大きくなってくる。
すると、サイレンを鳴らす白いボディに黒いストライプの入ったエアバイクが脇道から飛び出してきて、乗っている黒い制服の人間が、そのオレンジの男をレーザーで右足を撃つ。
とたんに悲鳴を上げオレンジの男は倒れ、うめきながら転がった。
エアバイクから降りた黒い制服の者…若い女性なので驚いたが、「強制執行官」と呼ばれる、武装した、統一機構の契約しているコーポレーションに所属していると思われる者が、自分が撃った男の元へ歩いていき倒れた男性を見下ろし口上を述べ挙げた。
「セキュリティランク・ホワイト、氏名ウブライ・アシュケナージ。生年月日2044年7月12日、中央アジアブロックG8管理区のカザンジク市生まれ、対象者本人だな?」と見下ろしてを令状と彼女の強制執行官の資格証を空中投影しながら尋ねる。
「認めないならDNAを採取させてもらうが」とさらに冷たい目でさらに見下す。
ウブライと呼ばれた男は何度も涙目で頷き、その様子を周囲のレッドやオレンジの市民がこわごわと見てひそひそと囁き合う。そして執行官がさらに令状を読み上げる。
「2079年12月12日に対象者ウブライ・カトウとゼネラルファイナンス社との間に結ばれた10億グローブの金銭消費貸借契約について、弁済期2082年2月28日を過ぎても弁済が無く、統一機構中央アジア下級審判院へ、ゼネラルファイナンス社よりその審判申し立てがなされた」と温度の低い声で読み上げ、続けた。
「統一機構中央アジア支社下級審判院は、民事契約ルール第201条、『債務履行遅滞時の身柄確保』の条項と、民事執行ルール第17条『強制執行官の権限』、第26条『管轄地域外の代理執行』の条項に基づき確保命令の令状を発し、よって我々が代理確保をする」と、すらすらと良く噛まずに言えるものだと思っていたが、さらに読み上げる。
「この令状の通り、我々法務執行法人イーストファームが代理確保するが、AIも含む弁護人を呼ぶ権利がある」と読み終わり「本債権に対し何か直ちに抗弁できるものがあるか?」と男に尋ねると男は首を泣きながら横に振った。
執行官が「腕をこちらへ」と腕を出すよう促し、「2084年3月5日17:30,対象者代理確保」とうなだれる男に手錠がかけた。
強制執行官の権限を持つ者で構成される企業は無数にあるが、それらは恐怖の対象であり同時に護り手でもある。
債務に関して言えば、何せもともと支払えるなら、金利が逃げても重なるだけだし、わざわざ身柄確保までされるまで待つわけないので…身柄確保されるということは、支払えないということ。
つまり債務不履行が確定している事を示している。そして債務不履行になった場合、その金額に応じて社会信用ポイントが下がり、かなりの場合はブラックランクに堕ちてしまう。そうなったら「人権」が無くなる。
そう恐ろしい存在だが、ブラック以外の人間にとって、総合保障保険に入ってガードマンに守ってもらうにしても、入っていない場合にしても、強制執行官は犯罪にも逮捕権限があるので、その点は市民の護り手といえる。
ただ、あくまで治安維持は各コミュニティ、各ソサエティで、という事になっているので、強制執行官は基本的に各集落をパトロールなどしないし、個人で総合保障保険に入る方がいいにしても、大きめの集落や街なら、集落や街ごと消防も含む総合治安保障契約を結んでいるところが多い。
なので集落や街に住んだ方が最低限の治安は守られ、各社のガードマンが街に駐留してパトロールをして、ゲットーとはいえ治安はそれなりには保たれている。
仮に保険に未加入の者がいても、犯罪被害や災害被害を受けた後に守ってくれる、「事後保障料金」でかなり高額なのを支払えば。というか、守られた後にかなりの請求が来る。
まあ、普段から総合保障保険の一番安い最低限度のに入っても、保険料は票をブローカーに売った額から差し引くとまだクレジットが余るくらいなので、実質的にはよほどの理由がない限りはたいていの人は保険に入っている。
しかし気の毒に、わざわざ強制執行官に代理させると、請求金額の半分は手数料として取られるから、わざわざ強制執行官に債権回収を頼む人は多くないのに…。
まあ多分、債務者への『見せしめ』なんだろうな。ホワイトといっても個人アカウント停止をされれば交通機関は使えないので、わざわざ徒歩なのか車なのか、どうやってか分からないが中央アジアから東アジアまで逃げてきて、チョーカーもどうやらニセのチョーカーでオレンジのふりをしてここまで来たのに、ある意味気の毒だ。
逃げる時点で10億グローブなんて、そもそも払えないだろうから、取り立てようがなく、さっきの男は「レイバーキャンプ」に収容されるか「被登記者」に堕ちる事になるのだろうけど、10億じゃ何年拘束されることになるのだろう…?
駆けつけた応援らしき白黒のエアカーが彼女、執行官のところへ飛んで向かうのを横目に、俺はそろそろマンションに帰るか、とまだひそひそと気の毒そうに見ている野次馬の人込みを抜け出る。
大きな通りを歩いて、かつては百貨店だったと耳にする大きなビル、現在は住居やら色々な事務所やらになっている建築物の前のバス停で足止める。
少し雨がぽつぽつと降りだし、大雨になると困るなと思っていると、旧型であるタイヤ式の乗り合い電気バスが角を曲がってこちらへ走ってきて、目の前に止まった。
バスに乗り込むと、老け込んで疲れたような老人から、空中投影してどうやら競馬情報誌らしきものを見ている中年の男、恐らくは大通りの市場で食材を買い込んだであろう中年の主婦、ゲットーではあまり多くはないはずの、有料のミドルスクールへ通っているらしき制服の女学生などが軽く目を向けてくる。
俺はそう珍しい恰好をしている訳ではないが、一応ゴミ漁りをしていたので、それなりに臭うかもしれないと、申し訳ないなとは思いつつ、黙って席に座った。