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目覚め

 世界の中心に聳え立つ大樹アルデバラン。その麓に倒れる一人の少女。木々に紛れる緑の髪のその少女は、不思議と周囲の魔物の木を引くこともなく、ただ眠っているようでもあった。

 同じ麓に入り込む一人の男性。足音を忍ばせるように、こちらも魔物の気を引かずに行動していた。それでも避けられない時には自慢の双剣を振るい、その命を刈り取っている。逆手に構えるその特徴的な戦闘スタイルは食物連鎖の上位に位置する魔物であっても簡単に排除はできないようだ。彼はその倒した魔物の死体をゆっくりと観察し、首を傾げた。


「やっぱりおかしい。こんなの前いたか?」


 小さな独り言。綺麗な黒髪を血に濡らし、同じく黒い瞳に紅い液体を映している。少しすると他の魔物が血に惹きつけられて寄って来ることを恐れてその場を離れた。その目は変わらず動植物の小さな変化を捉えて動く。そしてそれは別の物も発見した。

 不自然な地面の盛り上がり。前回来た時にはなかったはずの盛り上がりだ。この緑に溢れる世界樹の麓には様々な植物が茂り、ここにしか分布していない薬草もある。彼はその採集のために度々訪れていた。今回も同じ理由での探索だったのだが、その中で異変に気付いた。角度が違えば見知った物でも違って見えることはある。そう彼はその山に近づいた。しかしそこに警告の声が一つ。


「これ以上先に立ち入れば敵と見做す。即刻この場より立ち去れ。」


 頭上から落ちた女性の声。しかしその姿は見えない。敵対の意思を感じ取り警戒しつつも、彼は地面の盛り上がりに見えた場所に慎重に近づく。

 不自然な地形の変化。遠目にはそう見えた物は倒れた人だった。緑の髪と服が完全に地面に同化していた。


「警告!聞こえないのか、人間!」


 言葉の消えないうちに、ドンという音と共に地面に窪みができる。それは彼のすぐ前方足元に出現し、さらに少女と彼の間に一人の女性が降り立った。その手に握られた長い銃身から弾丸が飛び出す。彼は銃口を避けるように移動し、何とか命中を避けた。幸い連射はできないようで、続く攻撃はない。その代わり、地面にその銃身を突き立てた。

 緊張感に満ちた戦闘の始まりだ。変わらず少女は意識を取り戻さない。そんな空気の中、彼は迷っていた。倒れている身元不明の少女を助けるか、自身の安全のために引き返すか。少女を助ける義理はない。元々ここには魔物が出現していた。そんな場所に入るということ、それは自分の身の安全を誰にも保障されないということ、自分で自分を守ることが前提となるということ。倒れている人間を見捨てて逃げたとて誰にも責められることではない。助けるためにその人の身に危険が降りかかるならなおさらだ。


「聞こえてるよ。けど、上から目線の奴に大人しく従うのは俺の性分じゃないんでね!」


 安全を第一に、冷静に判断するなら引き返すべきだ。そう理性は結論を下した。しかし彼の感情はそれを受け入れなかった。相手はライフル銃を一丁持っているだけの女性だ。それも連射性能に優れない。自分の実力なら十分勝ち目があると、彼は距離を詰めた。

 素早く繰り出される彼の斬撃に女性は対応する。長い銃身を巧みに操り、斬撃を受け止める。一瞬の隙をついて、射撃を試みる。一撃、また一撃と地面に穴が増えていく。彼もまた彼女の銃口をよく観察し、その直撃を避けていた。しかし足場が徐々に悪くなっている状況では、その場に留まっての攻撃に適した銃に軍配が上がる。


「ここは人間の立ち入って良い場所ではない。己が領分を守れ!」


 女性は再び銃身を地面に突き刺した。それが好機と彼は距離を詰めようとする。しかしそれは読み違い。相手の銃弾で崩された足場を避けて背後に回り込もうと動き出した所で、銃身を中心に、崩れた地面の中に落ちる銃弾同士を繋ぐように、円状の光が発生した。その円の中だけでなく周囲の地面も波打ち、歩行することすら困難だ。彼は体勢を整え直すためその場を離れようとするが、波打つ地面に足を取られ、それすら容易にはままならない。

 今の目的は女性を撃退することではなく、少女を救出すること。そう彼は意識を切り替える。女性を中心に波打つ地面から離れ、少女に最も近い場所から一気に飛び込む。少女は地面に揺さぶられてもまだ意識を取り戻さない。すぐさま連れ帰り、医師に診せるべきだ。女性は地面を操ることに意識を集中させている。今なら気付かれずに少女を連れ出せるかもしれない。

 そんな焦りがいけなかったのだろうか。彼が一瞬目を離した隙に、橙の狼が少女の前に立ちはだかっていた。唸り、どこか少女を守るように、彼を威嚇していた。女性の姿は消え、先ほどまでいたはずの場所にはあの銃だけが落ちていた。


「即刻、立ち去りなさい。」


 狼から発せられる声は間違いなく先ほどの女性のもの。しかし唸り声は明らかに狼のもの。戸惑いに動きを止めてしまった彼の隙を、それは見逃してはくれなかった。彼の肩に狼は噛みつく。痛みに耐えつつ剣を構えれば、狼は素早く飛び退く。目の前に少女の体があるというのに、狼はそれには敵意を示さない。しかし彼が手を伸ばせば威嚇の声を上げる。

 互いの出方を見る膠着。彼はこれを好機と狼に語り掛ける。


「俺はこの子を保護したいだけなんだ。この子を連れて、すぐに立ち去る。だから、見逃してくれ。」


 返事は唸り声。悪い足場に手間取りつつ、用心深く少女に近寄る。狼が再び飛び掛かってくるが、今度は引かずに自分の身が傷付くと知りながら強引に距離を詰めた。最早剣を握っていることも難しいほどの激痛。それに耐えつつ、狼を牽制するため少女の隣に剣を突き立てた。少なくともそちら側から狼に飛び掛かられることはないだろう。動かせる側の腕で無理に少女を背負い、急いでその場を離れた。

 追いかける女性に逃げる男性。木の影に彼は少女を下ろした。少女に温度はあった、呼吸もあった。それでもこの状況で目を覚まさないのは異常だ。一刻も早く医師に診せたいと思いつつ、それを阻む女性への対処に手間取っている。残る一本の剣を、この後も魔物に遭遇するかもしれないにも関わらず、彼は女性に投げつけた。


「世界樹の守り手に仇なす者よ、呪われろ!」


 呪詛の言葉を吐き出しつつも、女性は貫かれた腹部を庇い立ち止まる。その姿を確認することもなく、彼は少女を再び背負い、医師の下へと急ぐ。常に警戒し、幾度も振り返りつつ、女性と狼から逃れるために。物音一つ、木の葉の擦れる音一つに心を乱されつつ、彼は走った。呼吸を乱し、自身の怪我の悪化も考えに入れず。

 あの後女性は諦めてくれたのか、一度も追いつかれることなく、追いかける影さえ以降は見ることなく、彼は無事医師に診せることができた。少女の容態と自分の怪我と。どちらも安静にしていれば問題ないものだった。


「なんで目覚めないんだろうな。」


 自身の所有する船へと連れ帰った彼は、形ばかりの医務室に彼女を寝かせる。土で汚れたその顔も服も綺麗にした。その間も目覚めることのなかった彼女の傍で、今回の探索の目的であった薬草を確かめ始める。

 間違いなく目的の薬草であるかを確認し、その数が十分かを数える。一枚、二枚、三枚と静かな呼吸音と葉の擦れる音だけがその部屋には響いていた。


「何か持ち物でもあれば身元が分かるのにな。」


 ついでとばかりに彼は知り合いの商人に少女の身元を尋ねていた。しかし見覚えのある人物はおらず、それどころか同じ年頃、似た容姿の少女が行方知れずになっているという話すらなかった。情報の集まる港町で何の情報も得られなかった。そのことに疑問を抱きつつも、今はただ少女の目覚めを待つ。優しい手付きで頭を撫で、しかし起こすつもりではなかったのだろう、身じろぐ彼女に少々驚いた。

 慎重に手を離し、じっくりと少女を観察する。しかしそれ以上の動きはなく、ただ無意識に反応しただけのようだ。彼は再び薬草の枚数を数える作業に戻った。


「はー、終わった。」


 十分な数を確保し、これで依頼が一つ片付いたと書類を片付ける。未だ少女は眠ったままだ。身元は不明となればひとまず自分が保護するしかないだろう。こういった場合に受け入れてくれる施設もあるが、人一人を保護する程度の余裕は自分にもある。目覚めれば身寄りの有無も分かるだろうと結論を出すのは後回しにした。

 目覚めた時に誰もいないと戸惑うだろうと仕事の終わりの一服を始める。そうしつつ改めて眺めても、やはり見覚えのない顔だ。目、目、口、鼻とただの人間の顔で、これといった特徴はない。強いて言うなら可愛いと形容できるような容貌か。深い緑の髪も美しいと表現できるものの目を引くほどとは言えない。その瞳がどんな色だろうと思ってはみても、どんな色でもただの人間といった印象を覆すに足る物となることはそうないだろう。そうただ何となく彼女の寝顔を見つめていると、少女は目を覚ます。


「おはよう。気分はどうだ?」


 返事はない。ただ彼を見つめて首を傾げる。どうしようかと彼はひとまず吸っていた煙草を灰皿に置き、少女の緑の瞳を真っ直ぐに見つめた。その手の動きを少女は目で追うものの、それ以上の特段の反応は見せない。


「君は世界樹の麓で倒れていたんだ。覚えてるかな?」


 少女は再び首を傾げる。彼が言葉を発している間はじっと見つめているが、それが声は聞こえているためなのか、ただ口元の動きを見ているだけなのか判別できない。声が聞こえていたとしても言葉の意味まで理解できているのか分からない。試しにと彼は名前を問うた。それにも少女は首を傾げた。


「俺の言ってることは分かるか?」


 今度は頷いた。意味は理解できているらしい。それならばと再び彼女の名を問うても、首を横に振るだけ。表情も変わっているようには見えず、完全にお手上げの状態だ。


「名前が聞きたいだけなんだけどなぁ。そもそもないとか言わないよな。」


 首を縦に振り、横に振り、じっと彼を見つめる。言うのか言わないのか分からず、彼は聞き方を変えてみる。名前はあるのか、と。少女は首を横に振った。取り違えがあるのかもしれない。今度は名前がないのか、と問う。少女は首を縦に振った。


「ないのか。不便だな。何か付けてもいいか?」


 少女は頷く。しかし人に名付けた経験のない彼には少々難易度の高い問題だ。識別のためだけではないその名を付けるため、良い案も思いつけない。先送りにするように、彼は自己紹介を始めた。


「俺はカイトス・シャマリー。有難いことに海の精霊の名前を付けてもらってるんだ。残念ながら俺は水属性の技は苦手なんだけどな。」


 少女の表情は読めない。ただ聞いているだけで頭の中には入っていないのだろうか。しかしそんな様子など気にも止めず、カイトスは少女の名を考える。深緑の髪に瞳、まだ幼さを残す顔つきに体つき。透き通った肌は世界樹の麓に一人で倒れていたことが信じられないほど傷一つない美しいものだ。鬼のような目つきの女性と狼が攻撃して来た場所とは縁遠いその姿が、彼女の素性を隠していた。

 自身の名にもなっている海の精霊は空想上の存在だ。海に溶け、空を映し、世界を透かすと言われている。その姿も語る人によって大きく異なり、幼い少女の姿と言われることも老いた男性の姿と言われることもある。


「君は、セタスにしようか。これも海の精霊の名前なんだ。地域によってカイトスって言われたりセタスって言われたり色々でさ。」


 少女は頷く。自身の名をセタスと認めたようだ。一つ問題は解決と肩を下ろすカイトスだが、名前のない、あるいは覚えていない子の身寄りなど探せるはずもない。一時この船で預かろうとしていたのは目覚めるまで、あるいは家に送り届けるまでのつもりだった。しかし無表情のセタスからは今後に関する希望も何も出て来ない。何が必要なのかも分かっていないのかもしれない。


「外の空気でも吸うか。歩けそうか?」


 歩けるという返事の代わりにセタスは立ち上がって見せる。ふらつくこともないその様子にカイトスも安心し、彼女を甲板へと連れて行く。名前もない、行く当てもない子を放り出そうという気はない。ここには人を受け入れる余裕がある。しかし手摺から身を乗り出し、海すら物珍しそうに見るような子を傭兵団で受け入れることが本当にその子のためになるのか。その点が疑問だった。

 せめてとこの場所にいたいと思ってもらえるようにまずは知ってもらおう。そうカイトスは船の説明を始めた。


「この船の名前はアーシュレーシャー、抱擁っていう意味なんだ。」


 乗組員を包み込む優しさ、そんな意味合いを想って命名されている。傭兵団フォルティチュードも不屈の精神という意味だと教えた。セタスの記憶や知識がどの程度あるか分からないと何者にも決して屈しないという意味合いまで説明してあげている。

 説明の間も興味があるのかないのかさえ分からない表情でカイトスを見つめるセタス。表情も考えも読めないが、今後を共にする仲間となるのだ。そう傭兵としてどの程度当てにできるだろうと彼女を改めて観察する。

 細身の肉体は決して貧弱なわけではない。教えれば戦闘だって可能だろう。それでも時に人間と戦うことになるこの職業は決して人に勧められるものではない。


「ここの手伝いをしてくれるか?できそうなものを探すから。」


 カイトスはセタスの意思を確認するが、彼女は彼の服の裾を握るだけで、自分で決める気はなさそうだ。放り出されたくないという意思表示なのか、分からないから返事できないのか。その区別もつかないまま、カイトスはしばしの方針としてセタスの保護を決めた。

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