Παρελθόν - 〝過去〟 -
私の家は、優秀な魔術師の家系でした。父親がギルドで冒険者として生計を立てながら、そのお金で家族3人......父と、母と、私で、王都の近く。タウバッハって言うんですけど、その街でなかなか裕福な暮らしをしていました。父親が18歳、母が15歳の時に結婚して、その2年後に子供が出来たそうです。
父も母も、正義感だけは人一倍強い人間でした。私はきっと、両親のような正義を守って、生きていけるって思ってました。
母と父は、あまり詳しく聞いたことはありませんけど、どうやら同じ迷宮で恋に落ちたらしいです。それから、私が幼いまま家族が居なくなったら可哀想だから冒険者業を辞めようか、って話になって。冒険者というのは死がいつやってきてもおかしくない職業ですから。母は冒険者から身を引いて私を育ててくれました。
父は不器用な人間でしたから、ギルドを辞めるってなると職に困ると思ったんですかね。ずっと迷宮潜りを続けていました。
タウバッハで私は、自慢ではありませんが結構可愛がられていた方だと思います。何分親が優秀でしたので、私にも成長が期待できると思われたんでしょうね。父がいない時は母が、二人とも出払っている時はやってきたシッターさんが魔術を教えてくれました。私の得意魔法は氷系でしたから、みんな優先的にそれを教えてくれました。今思えば、シッターさんは一目で得意魔法を見抜いていたんでしょうね。
話を戻します。あれが起きたのは、私が9歳の時でした。父親が奴隷として売られたんです。ある日突然、黒い服に身を包んだ奴隷商人がやってきて。私の家にあったものすべて差し押さえて、私の家族は何もできない状態になりました。
勿論、借金などしていませんでした。嵌められたんですよ。当時の私には理解できませんでしたが、今ならわかります。昔、父親と母親がパーティを組んでいた時に、一緒だった男。どうやら母に好意を寄せていたらしくて、勝手に父を連帯保証人にして、私たちを追い詰めました。
あいつの、にちゃついた笑みが、くっさい体臭が、今でも夢に出てくるんです。
◇
「そう、夢に......」
エスの手が震えている。アドはそんなエスの様子を案じてか、肩に手を置いた。すると、エスは少し落ち着いたのか、深呼吸をしてギムレットを再び一口。バーテンダーがこちらを心配そうに覗き込んでいる。
「......続き、話しますね。家を差し押さえられたあたりでしたか......」
◇
家を差し押さえられてすぐに、父親は奴隷として売られていきました。優秀な魔術師で傷も少ないということで、しかも当時物価が高騰していましたから、結構なお値段がついたようです。この国の奴隷って質が良くてですね。一番安くて、一万ミナ程度。カラバイアは冒険者から奴隷になる者が多いから、奴隷の質を維持できるんです。わざわざ他の国から買いに来る人がいるほどなんですよ。
......奴隷の話は一旦やめて、その後の家族の話をしましょうか。
父が奴隷として売られてすぐに、私たちを嵌めた男が母にプロポーズをしました。この国では夫が死ぬか奴隷になるかしたから再婚する、というのは当たり前の文化で、近所でもよくそういう話を耳にしました。
ですから、きっと母も再婚するんだろうなあ、と幼いながらに考えていました。そしてまた、変わらない暮らしが続く、と。
しかし違いました。母は誠実で正義感の強い女でした。男のプロポーズを断って、国外へ逃げようとしました。知っての通り、カラバイアにはひっそりと悪が根付いています。それを利用することにしました。要は違法船です。戸籍を提示しない乗船は本来違法なんですけど、それを許してくれる船があるとの噂を聞き、それに賭けることにしました。
結果として、私も母も追いかけてきた奴隷商人に再度売られました。違法船の到着は数ヶ月後でしたから、その間に見つかってしまったのです。貧乏な暮らしをして、逃亡を続けていたので、抵抗できるような体力は残っていませんでした。
男に捕まって、二人で檻に入れられました。その時、私はどうして捕まったのか、理解できていませんでした。言いようのない不安と一緒に、奴隷商人に運ばれて行きました。
行き先は、まあよくは知りませんが、カラバイアの北方です。少し寒いんですよ。そこで、薄布一枚着せられて、何ヶ月もの間他人のゲロみたいな食事で生きていました。
私たちについていた値段は、そりゃあ安いものでした。奴隷小屋の隅っこで、ろくな飯も食えないから、値段はどんどん安くなっていって、待遇も悪くなって行きました。暴力を振るわれるのは日常茶飯事で、痣ができても治癒する魔力なんて残ってませんでしたから、その時にできた傷が今でも残っているんですよ。
◇
「あ、ギムレット、飲み切っちゃいましたね。もう一杯もらいましょうか......お酒の力って、凄いですね。ここまで話せるんですから」
「抵抗があるようでしたら、話さなくて結構ですよ?」
アドの発言に、エスはうっすらと微笑んで、テーブルの上に手を置いた。
「いいえ、いつかは話さなくてはならないと思っていましたから。寧ろ、話させてください」
エスは再び運ばれてきたライムがのせられた宝石のようなそれを、一口飲んだ。エスの口が辛味と爽やかな感覚で満たされ、頭がスッキリする。そして、エスは再び口を開いた。
◇
そんなある日のことでした。チャンスが、訪れました。買い手がついたんです。母と娘で、白い髪の毛で、若く、状態は大きい傷がないということ。
今考えてみると、明らかに性奴隷を買おうとしていました。大きい傷さえなければ、ちゃんと食事を与えさえすれば性奴隷として使えますから。買おうとしていたのは上級貴族で、私達を一目見てその髪の色がいたく気に入ったと言って買おうとしました。小太りの男で、体臭を誤魔化すためか、キツイ香水の臭いがする男だったと覚えています。上級貴族に買われてどう、とかっていうのは正直考えていませんでした。私は気がつくと、綺麗な服を着せられて、豪華な食事を食べる、元の生活へと戻っていました。母も同じく、元の生活へと戻りやせ細った体はすっかり元に戻りました。でも、母は最後まで男に警戒心を抱いていたように思います。
私達を買い取った男は奴隷にも分け隔てなく接するような人物でした。......少なくとも、普段の振る舞いは。奴隷に屋敷を掃除させていたんですが、モップがけをする奴隷にすら労いの言葉をかける男で、私はその男がとても優しい男なんだと思い、警戒を解かない母を疑問に思っていました。
私は、いつもなら案内された部屋で屋敷の掃除をする仕事をして、夜には眠るという生活を送っていました。母と同じ部屋を紹介されましたが、母が夜に部屋に戻ることはありませんでした。そんなある日、どうしても寝付けないことがあって、屋敷をうろついてみる事にしたんです。
その時何もしなければ少し幸せだったかもしれない、なんて、時々思うんです。あいつの性奴隷になっておけば、少なくともいい待遇は約束されていましたし。飽きて捨てられても、冒険者として食いつないでいけますから......。
私は、目撃してしまったんです。男と母の情事の部屋を。
男は倒錯した性癖を抱いていました。女の体を物のように扱うのが好きで、媚薬で興奮させてから腹や頬なんてところを殴ったり、時折鞭で全身を叩いたりしていました。
母は情事の最中、ずっと泣いて、懺悔の言葉を口にしていました。元に戻った体は、情事が終わる頃にはボロ雑巾のようになっていて、男は側に控えているメイドに回復魔法をかけさせ、見かけ上は健康になったかのように見せていたのです。
すぐに逃げました。ここに居たら、自分も同じ目にあうと、そう思って、ひたすらに逃げました。母がどうなったとかは考えず、ひたすらに逃げました。
男のメイドや奴隷が追ってきましたけど、そこは盗んだ杖で地形を凍らせる魔術を使って全て追い払いました。何キロも何キロも走って、街に訪れては盗みを繰り返して、逃げるという生活を送っていました。
そんなある日、私はあるものを目撃します。
◇
「......ふう。私の醜悪な半生、そろそろ聞くのやめたいですか?」
[分析開始......リザルト:私にとって とても重要 な情報です]
「そうですか。そう言っていただけるとありがたいです」
エスはギムレットを再び一口煽る。一方アドは、エスの過去をログに残していくのに必死で、あまりカクテルを飲んでいない。バーテンダーが食器を洗う音と店内に流れるピアノをBGMに、続きを話した。
◇
貴方も薄々勘付いたとは思うんですけど、ペレストロイカの取引を目撃しました。
私はその場で屈強な男に取り押さえられ、まるで身動きが取れず、そのままペレストロイカの事務所へ連れて行かれまして。
そこで、私はボスに会いました。ボスはその時も今でも本名を教えてくれませんけど、私はそんな人物を強く信用しました。きっと、その時に言われたことが頭に残っているんでしょうね。
「お前は、この国に足りないものが何か分かるか?」って。この人は周りの人とは違う。この世の不平等は神のせいでも、環境のせいでもなく、人のせいだと理解しているんだって、そう思いました。その時の私は、その質問に平等さと答えましたが、何か違ったみたいです。未だに答えは知りません。
ボスは私の何を気に入ったのか、部下の一人に私に魔術を教えるよう命じました。その時既に魔術の基礎が身についていた私は、あっという間に殆どの魔法を扱えるようになりました。
その魔術の腕を用いて、色んな事をしてきました。初めの仕事は、魔石を運ぶ事。取り扱いにさえ気をつければ誰でも出来る仕事で、たくさんお金が入ってきました。その魔石が本来は法律上グレーな存在である事を聞かされた時は、かなりのショックを受けました。だって、魔術師は皆魔石がついた道具を使わなくては魔法を使えないのですから。
他にも、他国に送られて暗殺の仕事をしたこともあります。体を売るふりをして、その誘いにのった上級貴族の脳天を氷魔法で貫きました。
仕事を選ばずやって来たから、あれだけのお金が貯まったんです。
◇
「ですから、私は必ず買い戻してみせる! 私が失った幸福を! 全てを!」
その話を聞いて、アドはひたすらにそこにあるエスの感情を計っていた。
エスのいう幸せも、この世の不平等さも、アドには理解が出来なかった。全ての情報を0と1でしか処理できないロボットに、エスが抱いている感情など到底演算できなかった。
しかし、彼女が自分にとって大切な存在である以上、無下には出来ないし、しようともしない。
暫く計算してから、一つだけ、アドは質問をすることにした。
「......最後に一つだけ。何故、貴方はこの話をしようと思ったんですか?」
アドの質問に、エスは酔ってきて赤くなってきた顔で答える。
「そろそろ、話さなくてはいけないと思っていたんですよ。なんでしょう、臭いセリフになりますけど、貴方と出会った時、”運命”みたいなのを感じたんですよ。貴方もそうでしょう?」
アドは”運命みたいなもの”が具体的に何かはわからなかったが、エスが自分と同じようにして出会った事に、少しだけ単純に”喜び”を感じていた。
その計算外の出来事に、感情のようなものが入力されるアド。エスと出会ってから、自分の計算の範疇を超える出来事ばかり起きている。それが彼には大切な事だと思えた。
「ですから、これからもよろしくお願いします。私の運命の人」
エスは人類防衛用アンドロイドヘテロジニアスセカンドサイト型0154番をそう形容すると、二杯目のギムレットを飲み切った。