2219/9/4
研究所に到着してから二日。
病的なまでに白い廊下に接した、真っ白な扉を開き、二人はベッドの上に寝転んだ。
すぐに看護婦がやってきて、鋭く尖った針を、エスの細腕に、ペトラの平均的な腕に近づけていく。
エスは針を見た瞬間にぎゅっと目を瞑り、入ってくる違和感に眉をピクピクと揺らした。
終わった後で、また次の目的地へ歩きながら、ペトラはニタニタとしながらエスに話しかける。
「えっちゃん超怖がってんじゃんー」
「......うん」
「あれ......『うっさい!』って言われると思ってた」
「言ってほしい?」
ペトラが「ううん」と言ったのと同時に、目的地へ到着した。
『実験室』と空中に投影された扉に入っていくと、そこには学者たちが慌ただしく何かの準備をしている。
二人が辺りを見渡していると、すぐに白衣を着た黒い髪の小さな少女が近づいてきた。自分よりも低いその身長から、14歳ぐらいだろうとエスは見積もっている。
『ヤア、はじめまして。私はサリヴァン・フレンチクローム。この言葉が理解できたなら、返事をください』
最初から決定していたような、わざとらしい台詞を放った後、小さな手をエスに差し出してくる。よく見ると、サリヴァンの口元には小型のマイクが付いていて、腹のあたりに持ったスピーカーから声がしているようだった。
エスは多分それが言葉を翻訳しているのだろう、と思いながら、その手を握った。
「ああ、よろしくお願いします。私の名前はエス。正直何が起きているのか、まるで分かっていないのですが......」
『勿論、後々説明させていただくとも。ただ、今は実験の方を優先させてほしい』
そんなの後でいいじゃん、とエスは思ったが、よく考えてみると彼女から見た自分にも同じことが言えるので、納得して黙った。
『さて、今回は君たちが普段どうした生活をしているかのインタビューだ。気を楽にして、私生活を......というか、街の様子とか。それを話してほしい』
「「......」」
エスとペトラは揃って口をつぐんだ。
多分、暗殺者です、と声を大にして言えないのは今も昔も同じだろうなあと確信しながら。
結局、『自分たちは暗殺者で、殺しで金を稼いでいます』と言えないまま......つまり、『農家』とか『宗教家』とかいう滅茶苦茶な嘘をついたまま、インタビューは終わった。
インタビューは夕方まで続き、二人は経験したことのない疲労感でぐったりとしていた。そして二人は帰ろうとするのだが、その途中でエスが何があるかわからない角を曲がりまくったり、入ってはいけなさそうな場所にずかずかと立ち入ったりするものだから、珍しくペトラがエスに振り回されていた。
そんな状況になったものだから、当然ながら二人とも、自分たちの身に何が起きたのか聞けるような精神状態ではない。
ついに疲労が限界になったペトラは、恐る恐るエスに尋ねる。
「えっちゃん、ここそんなに面白い......? よくわかんない黒い箱しかないけど?」
「面白くは、ないですね......?」
「......なら、なんで......」
「何を言うんだ! ここは面白いだろう!?!?!」
突如として機械の陰から出現した小さな女、サリヴァンを見て、二人は同時に「うわっ」と声をあげた。
その汚物でも見たかのような声の上げ方に、サリヴァンは不服そうにしながらも、ここの『面白さ』とやらを、語り始めた。
「ここはなんと〝時空転移装置〟の保管庫! この奥に進もう、さあ、足を動かして! ほら着いた! さあこの整然と並べられた巨大なカプセルこそ、時空転移装置! まだ実験の段階で、人間を入れたりはしていないのだが、それでも有意な成果が報告されている! ん? どうやって未来に送られたかというのが疑問だって? なるほど、それはいい質問だ! 時空というのはいわば巨大な波、我々は波を構成する一つでしかないからこそ、自らに接した未来にしか影響できない。だが、そうでない、つまり断絶された未来へと影響すれば、過去に特殊な波が返ってくるのは道理! それを観測した結果、現状タイムスリップは成功しているという結論が提出されている。
現段階では残念ながら社会実装は程遠く、まず安全性も確保されていないが、理論上は転移できる。おや、原理を詳しく知りたいのかい!?!?! そうだ、そういう顔をしているぞ、エスよ!!!! さあ詳しく解説しよう、まずこの装置の発明を可能とした、分子、否、マシンが最近発見された。それは......」
「「ストーーップ!!」」
二人は同時にそう言った。
もし言ったことが理解できなかろうと問題はない。この言葉は二分でまくしたてられたわけで、この場にいる人間では、サリヴァン以外誰一人として理解できていなかったのだから。
「えー、もう少し解説を聞かないかい」
「何一つ理解できなかったよう! わかる言葉でゆっくり言ってよう!」
ペトラはその長い腕を振り回しながら、パンク寸前の知性を見せつけた。
そんな様子を見てしまったサリヴァンは、ハァ、とため息をついて、ならば、と呟いて、決めた。
「君たち、後で私の部屋にーーー」
サリヴァンがそう呟いた瞬間、『警告』を意味する音がけたたましく鳴って、三人は同時に体を強張らせた。
ライトで赤く染まる周囲。これは緊急避難の警報だ。これを聞いたサリヴァンは、「すまない、早く部屋に戻るんだ!」と言って去って行った。
「......戻ろうか」
時空転移装置の前に取り残されたエスがそう提案すると、ペトラはこくこくと頷いて、帰り道を歩き出した。
◇
『バイオメトリクス認証:成功 ようこそ ドクター・サリヴァン』
認証装置がこの緊急事態にのんびりと告げる。身体認証の正確さが上がり、もはや緊急時においてもこうした認証をしているだけの余裕があるのは、イマイチ緊張感がなくていけないな、とサリヴァンは思う。
開いた自動ドアの先には、すでに白衣を着た目つきの悪い男が待機していた。アジア風の顔立ちは、少なくともこの近隣では見かけない顔だ。
彼はコンピュータが整然と並んだ部屋の、入り口のすぐ近くに立っており、サリヴァンを見るや否や待ちきれなかったと行った風に話しかけてきた。
その顔に向かって、サリヴァンはからかうように話しかける。
「因劉。私の力が必要かい?」
「HSSが一台暴走を起こしました。既に鎮圧部隊が向かっていますが、武器庫に自由にアクセスしており、苦戦を強いられています」
「何故......というのは、後で聞くか。他のHSSは?」
「非戦闘型は非難させ、戦闘型は二機が対応に当たりましたが、半壊。HSSー154の使用許可を」
「了解。ヘテロジニアスセカンドサイト0154、起動」
サリヴァンはそう唱え、空中に向かって指を振った。
すると、部屋の奥にあったエレベーターの扉が開き、中から人型のシルエットが現れる。
唯一、顔部分だけが強化シリコンで覆われた、真円の瞳。一切人間らしさを感じさせない機械の体に反し、性別の要素を直感させる、男性的な顔立ち。
彼は降りてくるや否や、外で待機していたトレーラーに押し込められた。




