2219/9/2
「うぇっ。しょっぱ......」
グランド-52に出現した不明構造体の内部調査。
そう銘打たれた仕事に駆り出されたサリヴァン・フレンチクロームは、不明構造体全体が浸かっていた部分の液体をペロリと舐めて、顔を顰めた。
「......」
当然ながら、彼女の行動は周囲からしてみれば異質も異質である。地面のよくわからない液体を舐めるなどというのは。
だが、それに対して誰も何も言わない。
新米らしい若い顔はその目をギョッとして見開いたが、隣で複雑な接続が成された金属の棒を持った、老け顔に言われて作業に戻った。
そんな他人など一切眼中にないサリヴァンは、誰も調べようとしないであろう部分を調べている。偶然にも落ちていた食器にこびりついているこれは何だろう? 病気に罹った跡のようなものはないだろうか? 例えばトイレとか。 外はどうだ? 人々はどのような暮らしをし、何と共にあった?
そう考えながら作業をしているうちに、少し老けた、壮年の男がサリヴァンに話しかけた。
「室長。このエリアの調査終わりました」
「えー。まだ全然だよ」
「ノルマは達成しました。気になるのはわかりますが、先に向こうへ行きましょう。あの奥の構造物は面白いものがありそうですよ」
「......本当に?」
「......これはあまり言いたくなかったのですが......微小ですが、特異点反応が出ています」
それを聞いた瞬間、サリヴァンが奥の構造物へ走り出そうとしたので、白衣の襟を掴んで止めようと......したが、彼女がぐっと堪えたものだから、男は意外やら感慨深いやらという、とにかく驚いた気持ちになった。
奥へ、奥へと進んでいくうちに、サリヴァンの目的地、微小特異点の反応を出す、三角形が積まれた形の建造物へと到着した。
あちこちに持参した機材を向けながら、石で出来たらせん階段を上る。
そして最上階、装飾は最小限だが、特異点反応がより大きい場所、つまりこの事件の発端が隠れているかもしれない広間には......。
二人の少女が寝ているのみだった。
◇
「あぁ......この中ね」
サリヴァンは色々な装飾がなされた祠の扉を無遠慮に開放し、中にあった無数の凸だか凹みだか、判別不可能な不思議な拳大の球体を目にするや否や、「おお」と感嘆のため息を漏らして、精密機械を用いて作業を始めた。
「何かわかりますか?」
「うん。だいぶ膨張した形跡があるね。今は安定じょ、う、た、い......っと、ここが出現した原因はこの特異点とみて間違いなさそう。信じられないぐらい小さいけど。このサイズだと、一瞬でも膨張するのには大分エネルギーを注いだりしなきゃいけないはずだけど、どうしたんだろ。後は......」
「わかりました。後で報告書に記載、お願いします」
話を遮られたサリヴァンは不満げに口を尖らしたのち、ふと二人の少女の方を見た。
白金の色をした、膝裏まである長いくしゃくしゃの髪と、赤い三白眼が印象的な少女がエス。小柄だから、14歳ぐらいだろうとサリヴァンは見積もっている。着ているコートは大分使い込んだらしく、ボロボロだ。
紺色で、やはり腰ぐらいまである長いくしゃくしゃの髪、それからタレ目で、190センチメートルはあろうかという巨体が特徴の少女がペトラ。背中にロングボウを背負った狩人の格好をしている。
両者とも、言語自体は解読できない。
だが、人間は何も言葉を解読するのみでコミュニケーションをとるわけではない。例えばその身振りや、繰り返される単語から断片的に情報を判断する。
その術を、ここにいる学者の全員は習得していた。
「ふぇえ......ここどこ......」
「わからないけど、怯えなくても大丈夫。ほら、向こうも危害を加える様子がないみたいっぽいし」
キョロキョロと辺りを見渡すペトラを、必死で宥めているらしいエスの様子が、まるで姉妹か何かのようで、サリヴァンは何故か噴き出してしまった。
エスとペトラの二人は、研究者の案内のもと、村の外に止まっていたトラックに乗り込むよう案内された。
スタスタとステップを踏んで乗り込んだエスに反して、ペトラが何か物怖じしている様子なので、エスは彼女の手を引っ張った。
「えっちゃん......私たち、どうなるの? 誰もいないし......」
「信じるしかないんじゃない。みんなは無事生きてて、どこかに隠れちゃっただけ、私たちはきっと元の世界に戻れて、また......」
日常に戻れる、と言おうとしたところでエスは口をつぐんだ。
二人の日常は、血生臭く、『死』というものに限りなく迫る。
だから、日常に戻ったとしても、この異常が、より親しんだ異常になって帰ってくるだけ。
「えっちゃん」
そうした暗い現実から、ペトラの声がエスを引き上げた。
「戻れないと。えっちゃんのゴールはここにないでしょ」
「......ハッ!」
鼻につくような台詞を、それに感化されそうになった自分を鼻で笑ったエスを乗せて、無機質な塊は淡々と目的地へ行く。
最後に急に異質な揺れを受けて、ペトラとエスは全く同時にギョッとした。
そして白衣を着た連中のジェスチャーを見て、おそらく目的地に着いたのだろうと考え、トラックから降りた。
「おぉ......」
感嘆の息を漏らしたのは、ペトラ。
目の前にあるものを見れば、むしろ驚きも何も感じてもいないような態度のエスこそ異質だ。
そこは、学者たちの住処とは到底思えないような建物だった。
夕陽のオレンジを一面ガラス張りの上階が反射し、橙の中には巨大な円筒、エスやペトラでも一度は見たことあるような望遠鏡が鎮座していた。
その横を見れば、大木と、その周囲がツタで覆われている区画があるし、定期的に爆発音だって聞こえてくる。
でも、それらが全て互いを干渉し合わず、理路整然としている、と二人は感じた。
しばらく呆然としていると、真っ白な外壁を、夕陽がより赤く、赤く染めあげはじめたので、何か急かされたような気がして、二人は建物の中へ入っていった。




