Θυμός〝怒り〟
暗闇だ。
どうも明かりらしいものは天井に張り付いているが、彼からしてみれば役にも立たないものだ。
ボスは預かったランプで因劉を照らしつつ、魔法で支援している。その種類は単なる身体強化やらバリアやら様々だが、今のところ攻撃魔法は一度も繰り出されていない。
ラスティンは敵の銀の鱗がランプに照らされた時の、僅かな光を元に、鱗が剥がれやすいと考えられる箇所に攻撃を仕掛けていく。
首、ダメ。足の付け根、ダメ。上体腹部、ダメ。目、片目を潰したのにまだ動いている。
ワニ口の魔物は片目を失ってもなお、何かを守るようにその大きな腕を振り回す。短い四本脚で、地面に着きそうな下半身を支えて駆ける。馬の形はしていないのに暴れ馬と呼びたくなる。
ラスティンは近くの使い物にならなくなって久しい照明にしがみつき、ワニ口の敵の片目めがけて突進した。剣を突き立て、引き抜いたら、そのまま体を重力に任せて落下。部屋の中央から左下にズレたポイントが目的地。風魔法で衝撃を抑えつつ、受け身をとってすぐ立ち上がる。いくら魔法が万能とはいえ、あの高さから落下した衝撃と痛みは消せない。何本か骨が折れたことを確信しつつ、剣を構える。
「ワニ野郎......てめえのその鱗、寄越しやがれ。言い値で売ってやらあ!」
ラスティンが欲望をむき出しにして大声で叫んだ。
失明し、攻撃対象を見失ったワニ口の魔物はその音を頼りにラスティンめがけて突進。
彼はそれを待っていたかのように、少しだけしゃがんだ。
剣の先に手応えを感じて、ラスティンは思わず口を鉤爪のように歪めて駆け抜けた。
もっとも弱点の可能性が高かった、下腹部を、一文字に切り裂いてやった。
何が起きたのか理解できていないワニ口の魔物は、駄目押しでデタラメな方向へと突進し、下腹部から内臓を一直線に撒き散らして死んだ。
「おお! ラスティン、さすがだ」
「お待ちください。ただいま、回復魔法をかけますので」
ボスことヴィッツがそう言ってラスティンの体に触れず、回復魔法をかける。
ボスが回復魔法をかけ終えると、ラスティンはすぐに因劉に尋ねた。
「今のはなんだ! 教えろ」
因劉はまっすぐにラスティンの目を見つめることはできなかった。
喉から出かかった言葉が、また心臓の方へと戻っていく。目が潤い、喉から咳にもならない空気が出ていく。吐瀉の時の感覚と似ている。
「今のは......お前たちが魔物と呼ぶ生き物の、原型とも呼べるものだ......いや、隠し事はやめよう。今のは、私、私たちが作り出した魔物だ」
その話を聞いて、ボスもラスティンも目を丸くした。しかし、すぐに意識を引き戻し、ラスティンは剣に手をかけて因劉の目を見た。
「へえ......カラバイアのお伽噺にさ、『魔物使い』って話があるんだよ」
「言葉が分かるようになってすぐ読んださ......魔物を作り出した魔術師たちの話だったな? アレにはいろいろ載っていた......例えば......」
「魔物の肉は食えない話」
「......」
「今後千年農作物が育たない不毛の土地に、魔物の魔法が変えた話」
「......」
「あまりに強大すぎる力を得たが故、国一つを滅ぼした魔物の話」
因劉は何も言わなかった。後半の話はお伽噺に載っていない話であることにすら触れなかった。
彼らはこの瞬間まで、魔物を天災として扱っていた。自然の強大な力は敵でも味方でもない。どれだけ人が死のうと誰のせいでもない、しょうがないのだとしていた。
しかし今ここに、その全ての元凶を自称する男が現れた。
ラスティンだって騎士や冒険者をやっていたのなら、大切な人を何人も魔物に殺されてきたはずだ。
その気持ちは、因劉も理解している。
因劉は無理やり言葉を続けた。
「......ああ。全て、我々の研究のせいだ。更に言えば、十年前にタウバッハで起きた爆発事故のことも」
「......もういい加減、腹も立たなくなってきたわ。居なくなった連中は戻って来ねえ。俺たちは連中がどっかで幸せにやってることを信じるしかねえ。だから、てめえにキレてもしょうがねえ」
「そうか......。よか」
その言葉を最後まで聞くより先に、ラスティンはデタラメな方向に剣を投擲した。
腐っても騎士団で鍛え上げられたその技術。剣は先ほど倒されたワニの魔物の内臓に突き刺さった。
「だがそれで納得できるほど、俺はデキたやつでもねえ! それが本当なら、今すぐぶっ殺してえ! いや、ぶっ殺してた! だがな、なんでか知らねえが俺の中の何かが〝お前を殺すな〟って言ってる! それを教えろ、この先にあるんだろう!」
「......わかった」
因劉はそう言って、ラスティンの方を振り向こうともせず、開いた大扉の向こうへと歩みだした。
◇
眩しすぎる。
白い髪の少女は、その赤い瞳で窓の外の景色がすっかり変化したのを発見し、薄い布切れをどかして起き上がった。
朝だ。アエテルナエの村で経験する朝としては、三回目の朝である。ディーという女が用意してくれた宿は陽当たりも良く、エスが不安になる程出来た宿だ。特に、掃除がいき届き過ぎて埃の一つすら見当たらないというのが、エスに得体の知れない不安を覚えさせる。
ヘテロジニアスセカンドサイト〇一五四号は窓際で、祈りを捧げるかのように手を組み、太陽の方を向いている。
(懐かしいな......)
決して声には出さない予定の声がエスの脳内で響いた。
タウバッハで彼女の過去を追っていた頃、こう過ごしていた。最安値のボロ屋で、エスは毎朝アドの姿を見ていた。
ただ窓の外から見える風景は、地面に水が張っていて、建物は皆球体が連なったような形をしているという異世界だが。
「おはようございます、エスさん」
そんなことを考えていると、アドが起きた。昔まで聞こえていた異音はなく、ほぼ無音の駆動音。どうもロズウェルという女に直されて以降、調子がいいらしい。
あの黒女だ。確かに美人だと感じたが、エスの感性を持ってしてみれば不気味だ。なんだか、完璧にデザインされた女性という感じがする。アレで男は落とせるのだろうか。
「いきなりドーン! えっちゃん、ご飯だよ」
「はいはい、びっくりしませんよ。足音がうるさすぎます」
「え〜? 今度忍び足の上達法とか教えて!」
ペトラはハイテンションにそう言うと、廊下の方へ駆けていった。
エスはため息をつくと、アドを揺すり起こして部屋の外に出た。
木の扉と、同じ材質の木材でできた廊下に出て右に行くと階段がある。カツカツという心地の良い音ともに螺旋状の階段を降りると、ここの女主人が挨拶してきた。エスは挨拶を返し、玄関で待機しているペトラと合流する。
外の水を踏み、幾何学の町を潜り抜け、人々が作る案内縄の端に立つ。
アエテルナエの村の朝食は配給制である。ここの土地神であるアエテルナエが、百五十年前にそう決めたらしい。エスはそんな話に微塵も興味はないが、朝餉に困らないというのはありがたい。
長い順番待ちの退屈しのぎに、エスはアドと話をしてみることにした。ここ一ヶ月だかの彼の調子は、まだ全て聞いたわけではない。
「......という国でして、ロズウェルさんは結局妖精王とどのような関係であるのか教えてくれませんでした」
「へえ〜。いつか行ってみたいものですね」
エスの口から思わず思ってもないことが出たが、エスはさらりと流した。罪悪感はやはり残るので、早いうちに違う話に変えようとロズウェルの話を掘り下げる。
「美人なんです?」
「私には美人という感覚がわからないので、サンプルとして重宝しています」
「え」
エスは心の中で考えうる限りの悪態をついた。
容姿にコンプレックスがあるわけではないが、知らないうちに彼にそういう基準が生まれている事実に無性に腹を立てた。
(一目見てやろう。アドさんに言えば、はっきりと見せてくれるはず!)
エスはそう考え、アドに尋ねた。
「その方の写真とかありません?」
「ええ......というか、目の前にいますね」
アドがそう言って指差したのは、この日差しが強い中黒い服で温まった謎汁を受け取る女、ロズウェルだった。




