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Πετρα〝ペトラ〟

 

 天井に飾られた煌びやかな装飾は、静かに青く輝いている。

 スーダに案内されてやってきた部屋には、おそらく高級な素材が使われてるのであろう手触りのいいテーブルクロスが敷かれた長テーブル越しに、グレーの髪の女が座っていた。グレーの髪は短く切られ、少年的な印象を与える。

 この女が、スーダの言っていたディーだろう。ディーというのはコードネームか、単に本名だろうか。


「君がエスだね」


 ディーが口を開く。耳触りのいいアルトが、ディーの持つ少年的な印象をますます濃くする。ディーはウエイトレスが運んできた、赤い葉でグレーの具を包んだ謎の料理を口に運んで、続きを話した。

 エスが料理を食べたのを確認してから、ゼットも料理を口に運んだ。独特の辛味と、その後にほんのりとくる甘味。美味である。


「スーダから聞いているよ。だいたい内容は伝わっている、と」

「同盟に関して、こちらからは好意的な返事はできない、と伝えに来たんだ」


 ディーの表情は一切変わらなかった。向こうもそういう返事を想定していなかったわけではないのだろう。こちらに協力する理由がないことぐらい、考えればわかるのだし。


「本当にいいの? 私たちと手を組めば。妖精の丘を我がものにできるよ」

「ならば、その保証を見せてくれよ。出来るんだろう?」

「もちろん。なんなら、今お見せしよう」


 そう言って、ディーはテーブルの横の舞台を指差した。紫色の幕が開き、舞台に立っている人型のシルエットがはっきりと見えた。

 エスは思わずダガーに手をかけた。それが、以前見た、ハオスと機械が組み合わさったものだったから。


「あまり警戒しないでくれ。君の心情もわかるよ」


 ディーの台詞が、エスに向けた言ったことではないと、エスは分かった。しかし、サリヴァンに言っているというのも違う。エスはよくわからないその言葉が気に食わなかったが、そんなことはおくびにも出さず劇場に集中した。

 劇場では、例の機械が十体ほど、隊列を組んで、檻から放たれた魔物……それも、見た感じΒクラス以上のハイクラス……をバッタバッタとなぎ倒していた。全ての魔物を倒しきると、舞台に整列した。


「どうだい? 彼らはほぼ無限に存在し、見ての通りの強さだ。この兵力を、僕たちと組んでくれれば無償で提供しよう。百体は先にプレゼントしたっていい。それで彼らの実力を確かめてくれたまえ」



 ◇

 話が終わってから、エスはゼットと別れて不思議な村をぶらぶら歩いていた。どこに行っても不思議な水がまとわりつく。水が空を映す世界で、特に理由もなく歩くだけというのも、楽しい。散歩が好きだとかそういうわけではないが、この非日常感は楽しまなくては損をするとエスは考えていた。


「あ! ペレストロイカの人だ、おーい!」


 エスはぎょっと目を見開いて声の主を探した。

 長い紺色の髪、首が痛くなるほど高い位置にある頭、金色の瞳にタレ目。

 間違いない、あの日、あの森の夜に出会った女だ。

 エスは警戒せずにはいられなかった。今や同盟を組まないか、という誘いを受けた相手だが、一度は殺し合おうとした仲。向こうがそういうことをしない、と頭で理解していても、本能が警鐘を鳴らすのだ。


「そんな警戒しないでよお。悲しくなっちゃうジャン?」


 女はチャラついた口調でエスを小突こうとしたが、予想外にエスの身長が低かったのだろう、肘はあらぬ方向を突き、女はバランスを崩して思いっきり転んだ。水滴が目の方に飛んできたが、目に入る前に水滴はすべて消滅した。一定時間大気に触れると消滅する水、ということだろうか?

 エスは一度水の考察をやめ、転んだ女に話しかけた。


「大丈夫ですか……?」

「ンン、ダイジョブ。ねね、君、名前何? ウチね、ペトラ」

「エス……」

「エス! やっぱり! どっかで見たことあると思ってたんだ」

「は、はあ……?」


 慣れないテンションだった。今まで、エスの周りにこのような人物が居なかったせいだが、それ以上に、エス自身が苦手なタイプである。

 ペトラはボサボサの髪を掻き毟りながら、「メシ食いに行かない?」と旧知の中であるかのように誘った。

 エスはこの場で険悪な雰囲気を出すのも問題だろう、と考え、快く頷いてしまった。


「やったぜ。近くに美味しいおそばやさんあるんだ」

「おそば?」


 エスは聞き返した。ソバ。何年か前に取引していた相手が、ソバが好物と言っていたのをエスは覚えている。


「そそ。ディーの友達が持ってきたお料理でね、真っ黒でドロドロしたツユにパスタをね……」

「うーん……」


 あまりにイメージとかけ離れた解説をされて、エスは困惑した。そういえば、先ほどまで食べていた料理はなんだったのだろう。毒味に気を取られすぎて聞き損ねてしまった。機会があればまた食べてみよう。

 そんなことを考えながら、ペトラの向かう方へとついていく。細い路地へと入り、その分かれ道を通り、また分かれ道を通り……流石にここまでくると、再び戦闘が始まるのでは、とまで考えたが、そんなことはなく。普通に、のれんのかかった引き戸のソバ屋へとたどり着いた。カラバイア語でソバと書いてある。


「……らっしゃい」


 入ると、無愛想な店主が挨拶をしてきた。ペトラはチャラついた口調を変えず、「いつもの」と注文し、エスにも同じものを注文するよう言った。

 すぐにソバはテーブルに置かれた。大きいザルに板のように薄く引き伸ばされたパスタと、隣の小さい器にとろみのついた黒いソースが注がれている。


「独特だなあ……」


 そうとしか表現できなかった。あまり食欲をそそられる見た目ではないが、ペトラは美味しそうに食べている。

 とりあえずエスも麺をソースにつけて口に運んでみる。口の中で酸味と塩辛さみたいなのがともに広がり……。


「独特だなぁ……」


 二度目の独特だなあ、が出てしまった。中々クセの強い味だが、それがまた確かめるように次の一口を誘い……気がつくと完食していた。


「えっちゃん、それ気に入ってくれたんだ」

「……えっちゃん」


 思わず言われた単語を反復した。気に食わない呼ばれ方ではある。自分の名前はシェリーであって、エスというのは仕事に使う名前でしかない。それをニックネームとして使われるというのは、エスにとってはいささか不本意であった。


「あの、できればそのえっちゃんというのやめていただければ……」

「いいジャン。呼ばせてよ」


 エスはため息をついて、運ばれてきたお茶をすすった。これは特に変わった様子のない、普通の紅茶だった。エスは心の中で愚痴を呟きながら、それらを濃縮したため息をついた。

 ガラガラと引き戸がひかれる音がして、エスはふと逃げるようにそちらを見た。最初に目に入ったのは、高級そうな黒い布。入ってきた者に被さっている。そして次に、いつしか見たようなぐちゃぐちゃで、引きちぎれて銅があらわになったコード。

 次に見えたのは、まん丸の瞳と短い黒髪……。


 アドだった。


 アドは入って少し歩くと、エスの顔を見て、何も言わずに、倒れた。


「やばくない?」


 呑気なペトラの声だけが、ソバ屋に響いた。

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