Μαύρο -〝黒〟-
「はーぁ......」
ラスティンは今、タウバッハに居る。何故か? 理由は簡単で、タウバッハの復興事業の監視に送り込まれた騎士に、ラスティンが選ばれたのだ。因劉を追い掛けてタウバッハに居るなら都合が良い、そのままそこに居ろ、という指令が下った。ラスティンはこの地に何か所縁があるわけではないし、因劉が何か王国に対して影響力を持っているはずはないから、誰かの計略を疑う余地はない。あと一週間ほどで帰るのだが、それまで因劉の計画を手伝うなど、耐えられるものか。
だから完全なる偶然によって、ラスティンはタウバッハに居る。初めは因劉の怪しさを警戒してやってきたが、まさかそのままそこに居ろと言われるとは微塵も思っていなかったし、因劉は因劉で訳の分からないことをしている。
ラスティンは頭を抱えた。一体何が起きているのか分かったもんじゃないと。因劉がいう《プログラム》とやらも全く意味が分からない。一応説明されたが、それはラスティンの頭の中でよく分からない粘性の概念へと姿を変え何処かへと逃げていった。どうも何やら不穏な気配がありながら、その真相は彼の立ち入りを拒むかのように暗闇の中に黒い壁を作っていて、全く近づけない。
サラサラと紙に適当にメモをとって、その辺の段差に腰掛けた。こんなもの適当で良いのだ、というラスティンなりの粗さをメモに滲ませながら。
そうしていると、どこからともなく因劉がひょっこりと顔を出して言った。
「明日、頼んだぞ」
「あぁ......」
ラスティンは気の抜けた返事をして俯いた。因劉は言いたいことだけ言うと、街の復興作業を手伝いに何処かへと消えてしまった。
彼は逃げはしない。しかし、確かに怖気付いている。世界の真相、未知とやらへ進むこと。それは確かに大冒険の幕開けのようで、彼の趣味ではあるのだが、確かな恐怖がそこにはしっかりと根付いていて......それが一体どういうことなのか......その答えをすでに彼は持っている。
(どうも、それほどまでに人間を近付かせたくないようだ......)
◇
王は無言で、その書類を見つめていた。
〝I〟から〝V〟までの番号が割り振られたその書類は、カラバイアの悪事……といっても、法に触れていないというのが腹の立つところだ……を、はっきりと記していた。
しばらく待つと秘書であるラクムが部屋へと入ってきて、茶を出してきた。王はそれを啜りながら、四日後に控えた会談のことを考え始めた。
まずは一つ目の内容からだ。これだけでも、王国がどれだけのことを隠蔽してきたか、はっきりと分かる。しかも理論・根拠全てがハッキリと明示されており、以前使いに向かわせたものもそれをハッキリと目に焼き付けてきたらしい。正直、送られてきたのがレポートのどれか一つだったとしても、自分は王国との戦争を決心していただろう。それほどまでに悪どいのだ、カラバイアは。Dというものには感謝しよう、と王は考える。一体何者かは知らないが、きっと、世界がこのままであるのを望んでいないのだ。王もそうだ。その点では、二人は協力関係にあるといっても過言でない。
二つ目は、カラバイアの魔法技術についてのレポートだ。これが一番まともなのだが、それでもカラバイアに対して質問したい箇所は大量にある。魔法文明を作り上げたのは妖精たちだ。所詮は科学文明を少し応用してそこに魔法という名前を割り当てただけの物理現象。その距離の近さから世界で最も魔法文明の発展が早いカラバイアとは、既に条約を結んでいて、加工した魔術理論を共有することになっているはずだが、それが守られていない。明らかな条約違反だ。
そして、王が最も問題とするのは三つ目の内容だ。
内容としてはこうだ。〝妖精を魔石へと加工する技術〟。
◇
ゴポゴポと嫌な音が鳴っている部屋。そこに、背広姿の男と、影の手の中でジタジタと暴れる妖精……今の今まで防腐剤につけられていたらしく、ひたひたと緑色の雫が垂れている……が、部屋へと入ってきた。
背中をつままれた妖精は何が何だか分かっていない顔で、全裸で男に、部屋の中央にある装置へと運ばれた。妖精のサイズに対してあまりにも大きい、彼らにとっては部屋のように見えるその鉄の箱に放り込まれ、その扉を閉じられた妖精は、パニックを起こして、ここから出すように訴えかけるためにその装置の扉をガンガンと叩いた。しかし装置はビクともしない。するはずもない。男は何を考えているのかわからないが、扉の緑色の透明の窓から妖精の様子を覗き込んで、隣のスイッチをオンにした。
その時、ビーッと嫌な音が響き、男は耳を抑えてそこから離れた。
装置の中で妖精はパニックを起こしながら、逃げようとブンブン飛び回る。しかし装置がそれを許すはずもなく、程なくそれは開始された。部屋の四方から放たれたレーザーのようなものが、妖精の皮膚を溶かしていく。やがて妖精は完全に蒸発してなくなってしまい、気化した残骸が装置のフィルターを通って別のマシンへと運ばれる。
ピーッ、ピーッと小鳥のさえずりを不快にしたようなブザーが鳴って、その完成を告げた。男は透明な石みたいになったそれを取り出すと、持参したカバンの中へとしまった。男は透明な石…魔石が入ったカバンを持ち上げると、ある異変に気がついた。どうも、ずしりと重たいのだ。まるでその場に縫い付けられているかのように重たく、持ち上げることができない、思いっきり引っ張ろうとビクともしない。
「なんと。こんな方法で製造していたんだ、それ」
不意に、女の声が聞こえた。辺りを包む不思議な香り……一生嗅いでいたくなるような香りに包まれて、男は一瞬だけ思いっ切り気を緩めた。その異常さに気がついて意識を取り戻したがもしそのままで居たら、自分は殺されていたに違いない……そんな直感が男の中を駆け巡る。ここは危険だ、離れろと本能が男の体を動かそうとするのだが、カバンを持って帰らなくてはどのみち殺されるのだ、そんなことはできない。
どこからともなく、その声の主が現れた。服からアクセサリーまで全てが黒く染まったその女は、妖しげな雰囲気と艶かしい仕草で男を魅了した。
「なるほど。向こうの連中か。ご大層にこんな場所に拠点まで構えて……しかも、誕生の部屋からわざわざ妖精をパクってくれちゃって、まぁ……」
黒い女は苛立ちを隠せない様子で男の目をまっすぐと見つめた。男は近づいてくる女の顔を見て、頬を赤らめた。もう殺してくれても構わないぐらいの覚悟を、男はした。
「わかった。僕は君の命を奪わないことにしよう」
黒い女はそう言ったが、男はどこか寂しそうだ。今ここで殺されるならば本望と、そんな考えが本能とともに男を空間に拘束した。鼓動が早くなり、体温が上がるのに、声を漏らすことができない。
「君は僕の協力者だ。これを持ち帰ってほしい」
男は黒い女に渡された小瓶のようなそれをカバンに入れると、黒い女をじっと見つめてから、その場を後にした。
黒い女……ロズウェルは、それを見て満足げに頷いてから、装置の窓を自身の衣服の裾から伸びた黒い布で破壊して、その布で自身の身体を包んでその場を後にした。
◇
「おーい、アドさん。その木、こっちに渡してくれ!」
大樹の前で充電しているアドを、王の秘書だというラクムが呼んだ。アドは充電から戻って、目の前の非常に小さい角材を持ち上げて大樹を登ろうとした。
……ギシギシと、嫌な音がする。ロズウェルの解説によれば、アド自身の体重は百二粁あって、海に浮かせて漁師に回収させるということができたのは魔術学的にも奇跡に等しいんだそうだ。
「難しそうだな……じゃあその身長使って、こっちに伸ばしてくれよ!」
「承知しました」
アドはその身長を使って、大樹の上にいるラクムへとそれを伸ばした。
ラクムはそれを受け取って、建設作業へと戻っていく。妖精の丘はその国土面積とは裏腹に、居住区は過剰なまでに小さいから、海から上がって来た魔物が入り放題……そのはずなのだが、何故か上がってこない。だから、ここしばらくはアドは戦っていないのだ。その在り方は彼にどうしようもないまでの不安を植え付ける。自身は自身に下したタスク……つまり、エスを守るということを達成できているだろうか? アドの中の未来予測演算はこう告げる。自分がのうのうとここにいる間、暗殺者の家業に身を投げて命を落とした。また、同時にこうも告げる。今や彼女は精神を崩壊し、社会的な死を言い渡されてしまい、ペレストロイカから除名された。ネガティヴな計算結果ばかり出力する未来予測演算の、nやxといった数字のパターンの中で最もポジティブなものはこうだ。
エスは今、アドのことを考えながら必死で生きている。
アドはそのことを前提に、どうにか妖精の丘からカラバイアへと戻る方法を模索中だ。そのための方法として、やはり演算が出したのは、妖精たちと信頼関係を築け、というひどく簡潔な解だった。だからこうして、ロズウェルのいう計画に協力しながらも、妖精たちとの生活を満喫するというロボットらしからぬことをしている。
そのことはやはり、間違ってはいなかったのだろう。しかし、未来予測演算というのは、ご大層なことを言っておいて、人間にできる当たり前の予想をプログラムという形に変えたものに過ぎない。所詮は数字を入れ替えて無数のパターンを提示するものだ。無数にある現実予想に対して、現実は一つしかない。その一つを見つけ出すのは至難の技だ。
だから、こうなるのはある種必然だったのだろう。ラクムに角材を渡した直後、妖精の丘に鳴り響いたサイレンは、鳴るのは必然だったのだ。その後に繋げられた言葉も、ウィルウィット=ヒューイは教えてくれなかったが、必然の産物であるはずだ。
「全妖精たちに伝達します。パターン4・軍隊出動準備を言い渡します。繰り返します……」




