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Αρχή II -〝始まり II〟-

 

 結局、スーダに言われたことの具体的な答えをエスは出せなかった。

 当たり前ではないか、とエスは思う。スーダのいう深く巨大な真相など、彼女に理解できるはずはないのだ。それは彼女が自身の矛盾した境遇に悩まされているからでもない。どうも彼女はその真相とやらの中心部に居るようだが、それは彼女が真相に辿り着けることとイコールで結ばれない。


 しかし、そんな中で彼女は一つだけ決意した。

 自己の思考をもう放棄しない。

 それは自分に嘘をつかないこととイコールで結ばれる。自分に必要ないはずのものでも、欲しいと思ったものは手に入れる、という強欲さを欺かない。父母、アドの存在、それらは必要ないかもしれなかったが、エスはそれらを欲していた。


(スーダ......)


 エスはその決意をさせるきっかけとなった男を先日と同じ場所で待っている。

 正直、彼は何を目論んでいるのか、エスはさっぱり分からなかった。しかし自分に依頼することの大方の予想は付いていた。


 暗殺依頼だ。


 わざわざエスを当たった理由は分からない。今まで比較的多くの暗殺を行ってきたかもしれないが、それがわざわざ自分を当たる理由だとは、彼女は到底思えなかった。

 しかし、彼女に金を積んで依頼するようなことといえば、そのようなことしかないのだ。具体的な説明をしないのも、それをぼかすためにしているのだろう。

 何故喫茶店なのかは知らない。どうもスーダはこういう依頼に慣れていないのではないか、というのがエスの予想だ。

 彼女にさっきを向けられた時のスーダの表情は、どう見ても彼女のいる世界の人間ではなかったし、凡そ必死で噂話を掻き集めて自分を見つけたのだ、と彼女は考えている。


 しばらくコーヒーを啜っていると、スーダがやってきた。

 何やらそわそわしている。大分不安がっているらしい。


「決めてくれたか......」

「はい」

「それは良かった。じゃあ具体的な......」


 エスは人差し指を唇に当てて、微笑を浮かべた。

 スーダはそれでエスが言わんとしていることを察して、「場所を変えるか」とだけ言って席を立ち上がった。


 ◇


 エスはスーダに路地裏に連れ込まれた。

 確かにある程度は通行人に盗み聞きされたりする可能性は抑えられるが、その可能性は無視できないほどにはある。そう考えたエスは防音魔法を構築しようとしたが、既に似たような魔法が周囲に張られていることに気がついてやめた。スーダがやったのか、それとも他に誰か協力者が居るのだろうか、とエスは警戒を更に強めた。


「オマエ、〝ペレストロイカ〟の暗殺者だろ」

「そうですね」

「だから、暗殺の依頼をしたい。事前に見せた報酬で納得してくれたか?」

「今までぼかしてきたお話をしていただければ」


 スーダはキョロキョロと辺りを見回して、ホッと胸を撫で下ろした。その仕草にエスはやや違和感を覚えた。まるで他に誰かが張っていることを〝確信させた〟ようではないか。それとも自分の考え過ぎだろうか。そんな疑念と、他の協力者に対する警戒を露わに、エスはスーダの話に耳を傾けた。


「近頃、カラバイアの王と妖精の丘の王が会談をするだろう。公になってはいないが、ランベンノも、妖精の丘の王もその準備を着々と進めている」

「それは......考え得る限り、最悪のパターンですね」


 エスの呟きに、スーダが首を傾げた。それを見た彼女はその反応があまりに予想外だったがために、少しだけ目を見開いて、そして再び平静を取り戻した。スーダという男はエスの居る世界に足を突っ込むにしてはあまりに知識がなさ過ぎる。私怨での暗殺依頼を寄越してこないといいのだが、とエスは考えた。暗殺自体あまり気持ちのいいものではないが、彼女は私怨での依頼は特に嫌いだ。大抵、必死で情報をかき集めてたどり着きました、みたいなのが私怨で依頼する。

 その予想に反したことを、スーダは言った。


「俺からの依頼は一つ。〝妖精の丘の王を殺してほしい〟。彼が死ねば......」

「いいえ、動機は結構。私は依頼を遂行します」


 動機を聞かないのは、エスなりの配慮だ。気にならないわけではなかったが、何か余計なことであっても困る。

 スーダはそれを聞いて、ホッとしたような顔を浮かべて、どこかへと去っていくエスを見送った。


 ◇


 エスは自身の体をベッドに放り投げた。

 久々の暗殺依頼。ゆうに数ヶ月ぶり。

 暗殺というのは多額の報酬は積まれるが、そうそう易々と舞い込んでくるものではない。だから、そうそう断ることはないが......というか今回も結局断っていないが......エスは少し考え込んでいた。


(どうも理性的な判断が下せなくなっている......)


 その自覚は彼女の中にあった。

 選択を迫られた時、自己の矛盾が内包する恐怖に押し負けかけて潰れそうになる。そして、恐怖に押し流されて立ち向かわない選択をしようとしてしまうのだ。

 恐怖とは必ずしも立ち向かわなければならないものではない。

 彼女は恐怖と共に生きていたから、そのことは知っている。人を殺す恐怖、いつしか捕まってまともな生を歩めなくなる恐怖、魔石に対する恐怖......。

 そして今抱く恐怖......以前の様な不安と違う、もはや確信に近い恐怖......。


「なるほどなぁ」


 どこからか声が聞こえてきて、エスは飛び起きた。キョロキョロと辺りを見回すが、誰もいない。

 コツコツと床を叩いてみるが、誰か居るような音は返ってこない。どこかに隠れているというわけではなさそうだ。その正体にエスはすぐに感づいた。

 幻聴だ。以前少し聞こえていたが、ついにこんなにはっきり聞こえるようになったか、とエスは頭を抱える。

 エスの声とほとんど同じ声をしているのも、エスが頭をかかえる要因の一つ。


「辛いだろう。怖いだろう。私にはわかるよ」


 どこの誰とも知らぬような奴に共感されても、エスの心にはより恐怖が募るばかりで、何か解決するわけではない。


「いいや分かるさ。私は本当の君だから......君とは違って」


 それを聞いた瞬間、エスは察した。

 自分は自己を放棄したがっているのだ、と。自己全てをどこかへと放り投げて、自分の世界に閉じこもる、そんなことを正当化するためのもっともらしい理由を探している。石畳の上にぶちまけられた絵の具を見ないふりをしてその絵の具で絵を描く、そんなこと。そこには微塵の嘘も含まれない。

 それをはっきりと意識した瞬間、彼女の中で今まで詰まっていたものがとれたのが分かった。

 今までのような目の背け方とは違う、急に視界がひらけたかのような感触が彼女を襲ったのだ。その〝全く新しい世界を見た〟感触は、世界が彼女を意識していることを彼女にはっきりと理解させた。自分は存在しない人間ではなく、きちんと存在していながら、存在していないように振舞いたがっていたのだと、空間中に舞う原子の全て、過去の遺物は知らないものを含むその集合がピクリとも動かずに伝えた。


 ◇


 エスが狂気と正気、そして存在の狭間から帰ってきた朝は、彼女は陽の光が射し込む部屋に連れてこられていた。

 急に朝目覚めたら仕事の内容を伝えられる、というのは情報が漏れる可能性を極限まで減らした故の結果なのだが、中々趣味が悪いとエスは思う。何処かの国の死刑囚のようではないか。朝、目が覚めたら一方的に伝えられるのだ。

 といってもやることといえばボスからの暗殺依頼をこなすというだけだ。命を放り投げる覚悟は勿論必要とされているが、死刑囚と違って絶対にそうしないといけないわけではない。

 相変わらずボスの表情は逆光でよく見えない。が、何か重い依頼をしようとしているのはその彼が纏う雰囲気ではっきりと分かった。


「エスよ。今朝、王国は妖精の国と対談すると語った」


 エスはボスが投げてよこした新聞を受け取って、一応目を通した。インクを決まった位置に落とす、そんな簡単な魔術で作られ、大量に生産されていながら、上流階級でしか流通せぬその在り方の愚かさを、エスはこれを見るたびに感じる。そして、スーダが言ったことが正しいかどうか、というのは彼女の中で未だ疑問視していたところであったから、スーダ、旅人らしき少年で、貴族ですらない彼がそれを知っていたというのは彼女を大いに驚かせた。


「そこで今から依頼するのは、我々の目的、再構築に大きく関わる仕事なのだが......」


 ボスはゴホンと咳払いをすると、エスに静かに語った。


「〝妖精の国の王を殺させるな〟。彼が死ねば、最早再構築を行う余地はなくなってしまうだろう。引き受けてくれるな?」

「............ぇ」


 声にもならぬ言葉が絞り出されたのは、彼女がそれだけの衝撃を受けたということだ。

 途端に脳を回し、相反する二つの依頼をどう処理するかを考えていく。

 どちらの依頼を断るか。

 スーダの依頼を断るのは難しい。エスは彼の連絡先を知らないし、もし殺さなければ、彼女の信頼は大きく損なわれる。しかし、彼一人からの信頼を失おうと、そう大した問題とならないかも知れない。

 ボスの依頼を断るのは、やはりこれも難しい。今この場で断ってしまえば、今後の信頼関係に関わってくるかもしれない。一番金が入る暗殺依頼を寄越してくれるボスが協力してくれなくなるのは、エスにとって大きな問題となる。

 ボスはそんなエスの焦りを感じたのか、こう付け加えた。


「報酬は五千万。お前の父母に三千万以上の価値があるならば、この話は蹴ってもいいぞ」

「......ごせ......」


 その脅威的な報酬は、エスの迷いを振り切らせるには充分すぎる額だった。エスが父母の話を気にしていることをボスが知っているというのを気にさせぬほど。

 エスは迷いとともに、その場を去っていった。

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