Γυναίκα -〝女〟-
『では我々の願いは聞届けることができないと......?』
『はい。あなた方が何を言おうと、私たちは無敵です』
昨夜、自分の部屋を訪れたトゥニカにエスはこう言った。トゥニカはなんだか衝撃を受けたような、予想外の事態になったかのような顔を浮かべていたが、エスが”帰ってください”と冷たく言い放つと大人しくどこかへ消え去った。
エスにとって、アドが分析したような”トゥニカに負ける可能性”はありえない数字となっていた。
彼女には最早、アドは万能、そして無敵の象徴と化しているのだ。
どんな敵にも余裕を持って勝利し、驕る事なく淡々と彼女のためにと戦う存在。
そんな、アドに対する信頼か、もしくは思考停止的油断が彼女の中に含まれていた。
だから、トゥニカに対しても、特段脅威ではないと軽視できる。
彼は最早、エスにとってどうでもいい存在となってしまったのだから。
◇
爆発によって、あたりはパニックに包まれていた。
泣き叫ぶ子供の声。逃げていくカップル。子供を守ろうと必死になる家族......。
どうやら母神教の教徒が手榴弾のようなものを投げているようだ。各々が母神教のシンボルが描かれた旗を掲げている。満面の笑みで家を焼き、街を壊している。投げているものは瓶に火薬を詰めたもののようで、その破片が民間人の肌を切り裂いていた。
「始まりましたね」
「行きましょう!」
エスが杖をコートの内側から引っ張り出す。いつ如何なる状況でもスムーズに取り出せるような構造になっているのか、杖は全くコートの内側に引っ掛かることなくスッと取り出された。
アドの顔には感情らしきものが全く浮かんできていないものの、頭の中ではエスのことを心配してやまないようで、常に視界にエスが居るような位置で走り始めた。
「この死を! この街の血と、そして魔力を! 全てを母に捧ぐ! 我々、そしてこの世に救済が齎されし時! 即ちその時こそ、母の帰還せし時である! その時に備え! この世界を浄化せよ!」
一番激しいところに行くと、トゥニカが大声で演説とも言い難い、呪文のような言葉を叫びながら街を練り歩いていた。教徒たちは、トゥニカを中心にタウバッハの街に出鱈目に火薬が詰まった瓶を街に投げつけ、人を襲い、それが正しいことだと信じ切って暴れている。最早、テロの域だ。しかし、これは冷血で合理的なものではなく、ただの信仰心から行っているものであるということが恐ろしい、とエスはその惨さを肌で感じ取る一方、どこか安心しきっていた。自分にはアドがいる。アドがいる限り、すぐに終わることだ......と。
「おや。これはこれは......」
「どうも。一応”騎士”の名前を貰っていますからね。対処しない訳にもいかないんです」
「それは......また、随分大変な役割を持っていますね。そして、それは本来、貴女が意図しないことであるということも、私には分かりますよ」
トゥニカは全てを見透かしたような目と口調でエスに語りかけると、臨戦態勢を既に取っているエスの魔術の射程外に出て、喫茶店でやったように指を少し上に向けると、どこからともなくあの喫茶店で出会った女が現れた。今度は左手に大剣を握り、引き摺っている。魔石らしきものは持っているようには見えない。トゥニカは女の方に手をポンと置くと、チャイルド達とどこかへと歩いていった。しばらくするとすっかりトゥニカの姿は見えなくなり、二人は女の方に注目した。
長い黒髪を風に靡かせて、アドを睨みつけている。エスは女に自分に対する敵意が殆ど無いことに気がつくと、そろりと背後に回って楔形の氷弾を二発、撃った。
女は驚いた様子もなく大剣で氷弾を撃ち落とすと、ゆっくりとアドの方へと歩いて行った。一歩一歩に殺意が込められている。勿論、アドはそんなこと分からないのだが。
「うりゃああああ!」
[コードβ作動。22190154]
女が大声を上げながら大きく踏み込み、アドを一刀両断せんと大剣を思いっきり振り下ろした。アドはコードβの槍でそれを受け流すと、脇腹めがけてエモノを突き出した。
喫茶店で見せた、人間に出せるはずのない脚力で女は飛び退くと、剣を投げ捨て自分の貫頭衣の内側を弄り始めた。それを隙と見たエスが、再び背後から楔形氷弾を一発。確実に女のこめかみを撃ち抜く軌道を描いた氷弾は、女の体に触れる寸前……溶けて無くなった。
「は?」
エスの口から思わず声が漏れる。一瞬何が起きたか全く理解できなかった。が、よく目を凝らすと女の周囲から熱気が放たれていることが分かり、エスは女が魔石を隠し持っていたことに気がついた。熱系の魔法でレジストされたのだ。氷弾を包むように凝縮した熱波をぶつけ、溶かしたらしい。
エスの舌打ちを尻目に、アドは再び槍で攻撃を仕掛け始めた。女は貫頭衣の内側からライフルを取り出すと、突き出された槍に対し大きく仰け反って避けながら、銃口をアドの方に向けて引き金を引いた。
至近距離で放たれるレーザー光線。アドの腹部めがけて内部回路を確実に破壊せんと迫る。
そして、アドの腹部に到達した瞬間……機械片が散った。女の歓喜の声が、その場を包む。
……が、アドの腹部は撃ち抜かれず、代わりに出現したものは……。
[コードδ作動。22190154]
三枚の盾であった。アドの周りを青い光を放ちながら浮遊している。尤も、先ほどの攻撃で一枚は破損しているが。
それを見た女は、怒りに怒り狂って再び貫頭衣の内側から投げ捨てたはずの剣を持ち出すと、片手で軽々と振り回してアドの盾を叩き落としに向かった。
パンと心地よい音が石畳から発せられ、女が思い切り大剣を振り下ろす。アドはそれに対抗し、盾で受け止めると、槍を左手だけで持ち、コードγを作動して右腕をキャノン砲に変形させた。
女は収束する光に気がつき、咄嗟に飛び退こうとしたものの、もう遅い。アドの手から凝縮した光の筋が放たれ、女の脇腹を貫く。......が、女は脇腹を抑えつつもなんとか地面に立っている。
(外した!)
アドは撃った直後に理解していた。自分の攻撃は避けられ、致命傷には至っていないことを。
しかし、それを横から見ていたエスはそこに生まれた一瞬の隙を見逃さなかった。エスの杖から、再び楔形氷弾が放たれ、女の眉間を貫こうと進む。
女は隠し持っていた魔石を握りしめ、再び熱系魔法でそれをレジスト。だがその直後、女は自身の失敗に気がついた。
溶かした氷弾の後ろから、もう一つ氷弾が出現したのだ。隠し弾。先程のレジストの影響で僅かに溶けているものの、人を一人殺すには十分な鋭さを維持している。
「しまっ......」
女がそう言い終わらないうちに、女の頭は吹き飛ばされた。血が地面にべったりと貼り付き、嫌な臭いを発する。
「対象の生命活動の停止を確認。エスさん、トゥニカのところへ行きましょう」
「いやぁ......そう言いますけどね。まだ戦闘続きますよ」
エスが頭の後ろをポリポリと掻きながら言いつつ、アドの背後を指差した。
アドのメインカメラと、腐臭をばら撒きながら女の脊椎から現れ出た怪物の目はバッチリ合った。




