Aίνιγμα - 〝謎〟 -
来れ、我父に祝せられたる者よ、世界開闢より汝等の為に備えられたる国を得よ。
マタイによる福音書、第二十五章三十四節。最後の審判の時、イエス・キリストは再びこの地へ舞い降り、全ての肉体は復活する。人の善業と悪業は霊魂と肉体を用いて終わりなく賞せられるか終わりなく罰せられる。その後、キリストによる審判の後、悪人は霊魂、肉体とともに地獄へ行き、永遠と終わりなき死に苦しむが、善人は霊魂、肉体共に楽園へ行き、終わりなき生を謳歌するのだそうだ。
……私達は、最初から生きてなんていない。霊魂も無い。生み出された時点で死体だった。キリストの審判すら受けられないなら、終わりなき生と死の狭間で苦しむなら。
私が最初から、作り直す。
◇
水の流れる音、そして騎士の喋り声が聞こえる。風呂場にある窓からは朝日が差し込んでおり、現在時刻が朝である事がわかる。
この国の文化として、風呂は朝に入るものだ。この国では風呂は疲れを癒すより身支度を整えるという意味合いの方が強い。アドは以前まで夜に入っていたと記録している。文化による困惑などはなかった。教えられたことをすぐにこなせるのはロボットの強みだ。
それよりも、アドはエスの様子の方が気になっていた。なぜ、彼女は泣いていたのか。過去を見返して悲しんだからだろうか。感情を分析する機構は何も答えない。その様子から、アドは自分が壊れていることを再度自覚する。
「おい、何ボーッとしてんだよ、正体不明の騎士さん?」
「私にはアドという呼称が与えられています。そちらで呼んでください」
湯船に浸かっていたアドに話しかけてきたのは、褐色の肌に切れ長の目が特徴の男、ラスティン・バイロームだった。
王国騎士団の問題児である。実績によって騎士の評価と階級は変わるのだが、この男は特例として何の実績もないにも関わらず上級騎士である。それは実戦の際の実力からの評価なのだが、いつも碌に仕事をせず女を口説いてばかりな為、騎士団長が直接指示できる階級に置かれている。
そんな彼がアドの何を気に入ったのか、よくアドは絡まれている。
「俺さ、性格こんなだからさっき変な仕事与えられちったのよ」
「変な、とは?」
「十年前に起きたタウバッハの失踪事件について調べる仕事。まあやるわきゃないがな!」
その言葉、タウバッハという単語を聞いた瞬間。アドのシステムからエスの言葉が再生される。
”三人で、王都の近く。タウバッハっていうんですけど”
エスが以前住んでいた街だ。アドはそれを聞くなり、風呂を飛び出した。
◇
「タウバッハに住んでいた頃、何かあったかって?」
仕事を始めるために女性騎士の寮へ装備を取ってこようとしたエスをアドが呼び止めた。仕事、と言っても単純なペット探しや薬草採取だ。そこまで切羽詰まった状況ではないので、エスはアドの話を聞き始めた。二人ともいつもの服を着ている。既に他の騎士たちは訓練に出払っており、食堂には人が全く居ない。二人は臨時騎士として自由行動をしていいことになっている。朝日を照明に、エスとアドはテーブルを挟んで会話をしている。
「何もなかったはずですけどね。人生で一番平和な暮らしをしてた時期でしたから。それに、何かあったとしても子供の時期じゃぁ……」
「そうですか」
「突然どうして?」
「エスさん、以前タウバッハに住んでいたと言っていましたよね。十年前そこで爆発事故があったらしく」
「その調査、と。最近は母神教もハオスも鳴りを潜めてますからね」
ハオス、というのはあの脊椎から誕生する肉塊の怪物の事だ。殺しても蒸発し、逃せば街を破壊しながらどこかへと消え去る傍迷惑な存在。その特性からサンプルを採取出来ず、研究成果も出ていない。ここ最近、名前がついたばかりだ。
「私の方でも少し調べてはみます」
エスはそう言って話を切り上げると、再び女子寮へ戻っていった。それを見送ると、アドも男子寮へと足を進めた。
◇
「天に御坐す我が母、世界開闢より我に居場所をくださった者、どうか再びその目を開き、この世界に救済を齎し給へ」
白い服の男は一人静かに祈りを捧げていた。貫頭衣に、頭に花冠をのせた姿で、一人手を合わせて祈っていた。その様子を壁にかけられた蝋燭が照らしている。目の前にある三つの”I”と閉じてしまった目から全てを包んでくれる腕が描かれたマーク……母神教のシンボルの前で跪き、両手を合わせて祈りの言葉を口にしている。その瞳からは、涙が伝っているようにさえ見えた。そんな男の元に、近づくものが一人。
「おや……誰かと思えば、貴方でしたか。なんの要件でしょう?」
近づいてきたのは、男と同じく白い貫頭衣を着た女だった。女はシンボルの前で跪き、男と同じように祈りを捧げると、男に向かって恭しく一礼をしてから口を開いた。
「どうやら、”アダム”らが動くようです。タウバッハに向けて」
「おや……それは素晴らしい。真実を追い求める事、素晴らしい事であると言えますから。ふふ……私は、暫し様子見でもしましょうか。”迷い人”もあの街には多い」
男はニヤついたいやらしい笑みを口元に浮かべると、最初からそこに居なかったかのように消え去った。同時に蝋燭の灯りも消え去り、女もまた、闇へと消え去った。
◇
「ここは……どこだ……」
気がつくと彼は不気味な森の中にいた。アジア系の顔立ちと、鋭い目付きから、カラバイアの人間でないことは分かる。唖然としている彼の表情からは、わざわざ狙ってここへやってきたわけでもない、ということも読み取ることができる。右手にカップラーメンとスナックが入ったレジ袋を持っているあたり、先ほどまでコンビニで買い物をしていたようだ。
彼は自分の身に何が起こったのかを考え始める。なぜこのような森に投げ出されたのか、全く覚えがない。異世界転移、という単語も浮かびこそしたが、科学的に不可能だとして考えを捨てた。
ここで考えていようと結論が出ないであろうことを悟った彼は、森の出口を探そうと歩き出し……目の前に飛び出してきた黒い影に襲われた。
◇
「タウバッハ爆発事故…………これか」
再び日が昇った。窓の外から、ラスティンとアドとエスを除く騎士たちの練習風景が見える。別段練習しても金は出ないし、自由参加である。それに全く興味がないエスは先日言われたタウバッハの事故について、独自に調べていた。
王城の一室にはこういう事件ファイルを保管しておく部屋がある。普段全く使われない部屋なので臭いが充満しており、その匂いに顔を顰めながらエスは十年前、つまり191年と書かれたタウバッハのファイルを手に取る。タウバッハの事件ファイルは幾つもあったが、その中で爆発事故のファイルは圧倒的な量でエスに主張してきた。一つのリングを通されただけのファイルとも呼べないような簡素な作りの紙束を開き、エスはその情報を見ていく。
「191年盾の月の23……」
———
事件はタウバッハの中心区で発生し、その影響で中心区に住んでいた人間達は跡形もなく消え去ってしまった。その生き残りは実際に何があったのか全く覚えておらず、まるで自分が元はタウバッハに住んでいなかったかのような言動をしている。しかし、戸籍も身元も完璧に本人のものと一致し、これは爆発による記憶の混乱だと考えられている。現在王国の医療班による精神治療が施され、回復の兆候を見せており、三年後には街の混乱は完全に収まると考えられている。右の挿絵は当時、焼け野原となったタウバッハで発見された目と"III"が描かれたシンボルである。
この爆発事故の影響で被害額は5000万ミナにも及ぶ。被害内訳は右図......カラバイア歴201年現在タウバッハは復旧がかなり進み、活気を戻しつつある。
この事故で行方不明になった人物も多く存在する……。
———
「……?」
明らかに、エスの記憶とは違う記述があった。彼女がタウバッハに住んでいた時、そのような爆発事故は無かったはずである。それに、隣の挿絵。間違いなく母神教のものだ。エスはその事に疑問を抱きつつ、次のファイルを開いた。
それは行方不明者名簿であった。Aから順に、ギリシャ文字と大文字が混ざった氏名がずらっと記載されている。エスはそのファイルを適当にパラパラとめくっていき、”S”と書かれたページで手を止めた。
エスの目が驚愕に見開かれる。そこには......。
『Shery Weσter』
エス自身の、本名が記載されていた。




