俺は異世界に転生しない
もしこの世に神がいるのなら、俺はこう言ってやりたい。
俺は絶対に、異世界になど転生しない、と。
だというのに、いままさに、巨大トラックが俺を異世界へ転生させようと迫っているところだった。弾丸のような速度。それでいてやたらと幅が広く、絶対に直撃させてやろうという鋼鉄の意思さえ感じられた。
そう。
轢かれる以外に選択肢はない。
耳をつんざくようなブレーキ音、そして衝撃、バンパーのヘコむ音が、なぜか俺の体の内側から聞こえてきた。
俺は弾き飛ばされた。
スローモーションのように、などと景色を堪能している余裕はない。スーパーボールがポーンと弾かれるように、俺の体はいともたやすく弾き飛ばされ、壁かなにかに強烈に叩きつけられた。
だが、それだけだ。
いいか。
俺は言ったはずだ。
絶対に、異世界になど転生しない、と。
絶対にだ。
トラックに轢かれた程度で異世界に転生するような、ヤワな体ではない。鍛え方が違う。
運転手が駆け寄ってきたので、俺は立ち上がって手で制した。
「待て! 神に伝えておけ、絶対に転生などしないとな!」
「えっ? いや、いま救急車を……」
「断る!」
「……」
「いいか。伝えるんだ。神にな。俺は絶対に……」
「……」
ややふらふらする。
だが、いい。
俺は生きている。この世界にいる。問題ない。
*
たゆまぬ努力により、俺は異世界へ飛ばされぬよう最善の選択をしてきた。
たまに聞こえる神の声もすべて無視した。
だというのに、事件は起きた。
唐突かつおもむろに異世界の門があらわれた。それも、俺の住む家の前に、だ。そこから異世界の住人が出てきた。
そいつらはやたら布面積の小さな服を来て、流暢な日本語で会話しながら庭でBBQを始めた。肉を片面焼きしながらチラチラとこちらをうかがっている。まるで「私たちは両面焼きを知りませんし、教えてくれたらとても驚きます」とでも言いたげな表情で。
それだけではない、ほとんど半裸のエルフ耳の女が、俺を指差してこんなことを言い出した。
「見てください長老。あのホクロの位置、まさか救世主さまでは……」
「むむう、間違いない。あれはナローシュの紋章……」
俺はドアを閉め切り、なにも見ないことにした。
このままではなにか理由をつけて異世界へ連れ去られる。一刻も早くこの家から去らなくては。
*
その後、俺はBBQの煙に耐えつつ新居を探し、引っ越すことに成功した。
謎の手紙が来て「あなたは選ばれました」と言われたり、オンゲで見たこともない謎のアイテムをゲットして謎のギルドから接触されたりもしたが、すべて無視した。オンゲはキャラデリして引退した。
絶対に、俺は、異世界あるいはその手の話に乗らない。絶対にだ。
やがて魔王軍まで攻めてきて、連中が街中でキンキンとチャンバラしているときでさえ、俺はすぐさま現場を離れて可能な限り距離をとった。巻き込まれて謎の力が覚醒したら困る。ひょんなことから不思議な少女をかばってしまわないとも限らない。
*
そう。
門が現れてほんの数日のうちに、日本は異世界になっていた。それまで「現実」だったものは時代遅れとなり、「現実」を幻視することは「現実逃避」と化していた。俺の知っている「現実」は死んだ。
世界の趨勢は、すでに異世界なのだ。
ドワーフがコンビニで買い物をし、役所でエルフが働くようになっていた。食堂だか居酒屋では、みんなが日本のメシに群がるザマだ。以前どんなメシを食っていたのかさえ知れない。よほどクソみたいなメシしかなかったのだろう。
*
そしてある日――。
俺はエルフの女上司に叱られながらも仕事を終え、くたくたになって帰宅した。
終電だ。
オークの働くコンビニで、弁当とビールを買って帰った。いったい彼らはどんな気持ちで焼き豚を販売しているのだろうか。死んだ目をしていた。
部屋でテレビをつけると、アニメが流れた。
最近流行りのジャンルらしい。主人公がトラックに轢かれて「異世界」へと転生し、エルフもドワーフもいない環境でサラリーマンとして働くという内容だ。
俺は腹の底から溜め息をついた。
ちょっと待てと。
俺がいたのは、そもそもそっち側なのだ。
チートもない。ハーレムもない。覚醒もしない。選ばれもしない。みんなと同じように働いて、みんなと同じように暮らすだけの日々だ。
俺はもうこの世界にはうんざりだった。
世界でもっとも先進的だと自認しているであろうアメリカ人でさえ、しょっちゅう銃で問題を起こしている。だというのに、ろくに肉も焼けず、たいした文化も持たない異世界の連中が、剣と魔法で武装して堂々と歩き回っている。
ここは地獄だ。女がチョロくて薄着ということ以外、なにもいいことがない。
日曜になれば、また連中は庭先でBBQを始める。伯爵や令嬢までもが参加するやたらとフレンドリーな会合だ。いったいなんの集まりなのか逆に気になってくる。
最近では、BBQの最中に、なぜか俺へ向かって魔法を誤射してくるようになった。こちらが魔法の通用しない体質なのを知っているのだ。
このとき、俺が平然としていれば「まさか伝説の」が始まるし、効いたフリをすれば聖女が出てきて回復魔法をかけてくる。巧妙だ。どうあっても詰む。
俺はまた引っ越すしかない。
*
数日後、仕事を終えて家路へ向かう俺。疲れからか、不幸にも黒いドラゴンに追突してしまう。俺をかばいすべての責任を負った聖女に対し、ドラゴンの飼い主、伝説の魔女タ・ニオカに言い渡された示談の条件とは……。
(※小説「俺は異世界に転生しない」は作者就寝のため打ち切りとさせていただきます。不覚たん先生の次回作にご期待ください)