第96話 公爵家の悪魔
(公爵領とシュタイン家領との国境沿い)
太陽が頭上に登り、暑く熱し輝いている。
数時間前に、両軍がぶつかり大規模な戦闘行為があったのだが、この場所は氷に閉ざされた一面冷たい銀色の世界になっている。
霧が立ち込め、氷粒が地表を舞っているのだ。
シュタイン家の幹部イクサバの攻撃によって放ったレプリカの神武器・雪月花氷剣の効果で大地が凍り付いたままの状態に陥っている。
日差しが強いのだが、まったく氷が溶ける様子が伺えない。
そんな中で黒のローブを纏った怪しい者達と公爵家の工兵が仕切りなしに祭壇と魔法陣の準備に追われている。
目的はこの地に公爵家が代々使えている悪魔を呼び寄せる儀式をする為にだ。
公爵家に綱らなる分家の当主、ウォエレス・アシュリンはその作業をかたずとなく見守っていた。
地面には戦闘で死んだ、公爵家の騎士団、兵の無残な亡骸が氷の中に固まった状態で見えるのだ。
アーサーのグンニ・グルの攻撃で、燃え焼けて散らばった遺体も、氷漬けになりそのまま放置されている。
悪魔を呼びだす為の生贄として、わざと片さずにそのまま放置されている。
そんな中、突然一人の男性が空間転移をしてきたのである。
何もない銀世界に天まで届きそうな黒い縦に割れた亀裂が入り、その中から一人の若い黒ずくめの男性がやってきたのだ。
その若い男は、背が高く、黒髪、顔には鎖の付いた片眼鏡をかけ、黒く尖った裾の長い燕尾服を着ている。
どこぞの貴族の執事をしている様相が伺える。
執事の若い男性は整った顔立ちの切れ長の目をしており、かなりの二枚目で、自ら声などかけなくても女性が寄ってくる華があるように思える。
しかし異様な雰囲気をかもし出しているのだ。
「・・・
馬鹿な。
お前は、アザゼイル。
何故、この場所に居る。
いや、来られると言って良いのか?
お前は公爵家が治める街の中から一歩も出られないのではなかったのではないか?」
黒ローブの者達、護衛で付いていた公爵家の騎士、兵士達は作業を辞め一様に皆が振り返り驚いた様相を見せている。
「アシュリン殿、先日は失礼しました。
こんなところでお会いするとは、奇遇ですね」
アザゼイルと言われた黒の燕尾服を来た若い執事がアシュリンに話しかけた。
「奇遇とか、そう言う問題ではない。
お前はあの街から、一歩も出られないのではなかったのか?
その為に我々は此処に悪魔召喚の議式の祭壇を設け、召喚魔法陣を組む手筈だったのに・・・」
「街から出られない。
おかしなことを言いますね。
誰がそんな事を言ったのですか」
「誰とは、お前が言ったのではないのか。
公爵様の奥方様に、その話を聞いて我々はこの祭壇を用いているのだぞ。
それにお前、これほど太陽の光を受けて大丈夫なのか。
いつも城に居るのは、光を嫌うと言う話を聞いていたぞ。
どういうことか説明して貰おう。
そうでなければ、この地に眠る我が同胞に私はなんて答えて良いか分からなくなる」
「どういうことかと申しましても。
私は奥方様とはそれほど接点は有りませんから。
話した事などもそれほど有りません。
現在のアレクサンダー家の当主ハーツ様ともそれほど私に仕事をくれる事など有りませんからね。
剣聖様が居るので私など此処千年は出るまでも御座いませんでした。
剣に生きるハーツ様は私など必要も無いと思っていた次第です。
契約も此処千年はいつもどうり形だけと言いう事ですからね」
「そうなのか。
知らなかった」
「それに私は別に吸血鬼では無いので、太陽の下には普通に歩けますよ。
上位の吸血鬼だって、太陽の光を浴びてなんの問題はないでしょう。
それに、私はただ出不精なので直接は街から出なかっただけですよ。
特に出られないと言った事はないのですがね。
それに実はですね。
分身体を創り、姿を変えて街中や外へ遊びに行っているのですよ。
その方が楽で良いですからね。
私の今の姿は街ではかなり有名ですよね。
どういうふうに有名かは貴方の知っているとうりですから、姿を変えてたまに遊びに行っている方が気が楽で良いのですよ。
当然のごとく、名前も変えていますが」
「そ そうなのか。
まったくその事も知らなかった。
話してくれても良かったのではないか。
この一大事と言う時に・・・
それじゃ、お前は何故此処へ来た。
いや、来てくれたと言って良いのだな」
「個人的に用が有りますてね」
「個人的に用だと・・・
いや、それは何でも良い。
来てくれたのは嬉しいのだが、今用意している召喚用の祭壇が無駄になってしまったな。
あの時に、話しをして貰えていたら良かったのだが。
お前が此方へ問題も無く来られるならば必要はなかっただろう」
「そんな事は御座いません。
今準備して下さっている祭壇は、私の力をこの地に移すのに必要なアイテムですからね。
街の中に封印している力が有るのですよ。
その為に私があのアイテム、魂の鎮魂歌をお貸ししたのですから。
この様子だと準備はまだまだ時間がかかりそうですね。
今までと同じように、私にはなんのお気遣いも無く作業を続けて下さい。
用意出来たら、私が勝手に使うので問題はありません。
用意が出来るまで、此処ら辺をお散歩していますので。
お気になさらずに」
「お気になさらずだと・・・」
「知り合いがこの場所に来ていたのですが・・・
此処に居たのは間違いないと思った次第です」
「知り合いだと、此処には奴等との戦闘で無残になった死体だけだ。
原型すら残っている者は少ないのだぞ」
「ええ、知っていますよ。
この現状を見れば誰にだって分かりますから」
「・・・
いったい誰を探して居るというのだ」
『ギロリ』
アザゼイルと言う男性はアシュリンに鋭い視線で睨んだ。
アシュリンから視線を外し、此処から少し離れた氷漬けの場所に移動した。
アシュリンは一端怯むが答えが聞けないので追及し直す。
「待て、アザゼイル何処へ行く。
私の話を聞いていたら答えろ」
「五月蠅いですね。
死にたくなかったら大人しく此処で待っていて下さい。
これ以上、私に指図するなら殺しますよ」
「・・・」
「此処に眠っている者達を同じく、貴方も氷漬けになって死にますか?
唯でさえ、今日は機嫌が悪いと言うのに、私の感に触ることを言わないで貰いたいですね」
アシュリンはアザゼイルと言う執事に、それ以上は問いかけはおこなわなかった。
人間と同じ身丈、顔、身成をしているが、れっきとした上位悪魔だ。
彼の内心の感情は人間と違い、読み取ることなど予想も出来ない。
人間とは思考が違く、どんな風に考えているかまったく分からないでいる。
この男が殺すと言う言葉は現実に起こり得ることで、今まで違えた事が無いので慎重に話しかけているのだ。
あの勇者さえ容易く葬ったのは戯言ではない。
周りの者達も同じように、なるべく関わらない、怒らせないように昔から心がけているのだ。
アザゼイルは無造作に歩き出し、三百メートルほど歩いたらピタリとその場で立ち止まった。
地面に凍っている兵士の遺体の一部を発見し、右手をかざす。
硬く凍った氷の中からその一部とみられる右手のみが、氷をすり抜け、宙に浮きだす。
硬く凍った氷の中から、右手を取りだしてしまったのだ。
取り出した右手は、子供の様な女性の右手だった。
子供の様な右手をアザゼイルは手に取り、顔に近づけ頬ずりをした。
「こんにちは、キャンベルさん。
このような姿にお替わりになられて・・・」
アザゼイルは女性の右手に、目の前に人がいる様に話しかけた。
「魂まで砕かれて霧散しているのではないですか。
だから私はあの時言ったのではないですか。
今回の公爵軍の遠征には参加してはいけないと・・・
幼年学校の貴女は、参加する義務の必要はまったくなかったのに・・・
貴女の家の者が見栄を張って参加をさせたのはわかりますが、それでもなんでこのような時に貴女を送り出したのかを私には理解しがたい事ですね。
御免なさいね。
貴方は悪くなかったはずなのですからね」
先日まで会った事があるような口ぶりで返事のない右手に一方的に語りかける。
「それにマリンさんも、こんな姿になって。
貴女は原形がまったく無くなっていますよ。
肉片の一部で貴女と分るのは私ぐらいです。
こんな姿になっては、私の事をいつも揶揄しに来ていたのに、もう二度と来られなくなってしまったのではないですか。
残念に思いますよ」
アザゼイルと言う悪魔は、肩を落とし猫背になって下を向いてしまった。
アザゼイルは顔を上げ、その場に左手を前にかざし
「ソウル・クラウド」
と呪文を唱えた。
アザゼイルの左手付近に、青色の光と黄色い光の二つの光が集まり始める。
集まり始めたら炎のような青色と黄色の二つの塊が宙に浮いているのだ。
青色と黄色の二つ炎の揺らめき光が目の前に出現し炎のように揺れ動く。
まるで人の魂を形どっているようにも思える。
その二つの炎の光を背中に宿して、また歩き始めた。
少し歩き場所を替え立ち止まる。
「ミイシャさんとカリンさんも此処におられたのですか。
身体中燃えカス状態になっていますね。
貴女達の魂もキャンベルさんと同じように霧散していますよ。
これでは話かけられないではないですか。
・・・
ミイシャさんの可愛らしい姿がこのようになっているとは、本当に悲しい限りです。
・・・
カリンさんは私が異世界で覚えた昼食用のパンを横取りしましたよね。
城の厨房で苦労して私が直に焼いたメロンパンですよ。
珍しい物だと言って、私が一口食べたら袋ごと全部持っていってしまうとは、酷い話ですよね。
皆に私が貰ってきたものだから食べてだなんて分けてしまうとは・・・
あれは私の物では無いですか。
悪魔の私から横取りするなんてとんでもないことをしましたよね。
本来は対価をすぐに貰う必要でしたがあの時は、後で代わりの美味しい物を作って持ってくると言っていましたが、どうやらその約束はこれでは違える事になりましたね。
私はまだ、メロンパンのお返しをして貰っていないのですよ。
こんなかたちで逝ってしまうとはね。
本当に残念に思えますよ」
アザゼイルは先ほどと同じよに左手を前にかざし。
「ソウル・クラウド」
と呪文を唱えた。
赤い光と緑色の光が集まり始め、炎の形にかわる。
「仲の良かった貴女達少女が、こんな形ですがいつもどうり集まったのです。
私に感謝して下さいね」
そう言って同じよに、背中に炎の塊を背負ってしまう。
「赤、青、黄、緑、面白いくらい魂の色、波長が違っていたのですね貴女達は・・・
そんな個性が違う、貴女達だったから仲が良かったのではないですかね。
私の魂は恐らく黒でしょうね。
私も仲間の入れてもらえたのでしょうか。
違う色の魂同士、これからは交わり合えない事になってしまいましたが、せめてこの一時だけでも分かち合いましょう。
・・・
アザゼイルが話しかけていた名前の少女達は、公爵家の城付近にある聖美神女学院に通う女学生達で貴族の家系に綱らる者が多く通っている学校だった。
幼年学校と呼ばれる学校で、十歳から十五歳の若い小、中学生くらいの少女達が通っていたのだ。
一般教養、聖神魔法系の勉強をする学び舎だった。
アザゼイルは分身体を創り、たまに掃除の手伝いをする使用人として潜り込んでいた。
彼女達と同じ年齢の子供として姿を変えて仕事(遊び)に来ていたのである。
学園には他にも多くの子供が働かされているのが見受けられる。
下級貴族の三男坊や商人の子供とかも働いている事が多い。
気に入られ引き抜かれれば、使用人として雇ってもらえる。
上位貴族の斡旋を兼ねて仕事をしているのだった。
アザゼイルはチャームと言うスキルを使いなんの疑いもなく、学校に紛れ込んでいた。
教師、生徒と彼女達と接する事が問題なく出来ていたのだ。
しかし、チャームの魔法は支配をするほどまでは使っていない。
あくまで、学園内の仕事をする者程度としか認識されないように抑えていたのだ。
仕事の休憩時間帯に、彼女達と会い他愛無い話をする。
永年の時間を過ごす彼にとっては退屈しのぎにとても良い事だった。
毎日の日常過ごすのに、暇つぶしには良い遊びとして交流を続けていたのだ。
しかし、長年付き合いだしているといかに上位悪魔でも情がうつてくる
彼女達が居なくなって、はじめて気づいた事によりショックを隠せないでいる自分がいるのだ。
はるか昔に、別の世界で同じような事が有り、人間を妻に娶った為に、地上に追いやられ堕天した事を思いだしてきた。
後悔は今でもしていない。
ただ人間は余りにも短い寿命なので分かれるのが早すぎた為に余計に愛が濃くなってしまった。
昔のように、今もこんな自分が居たとは再認識されていたのだ。
今回の事は本当に残念に思っている。
結果が前から分かりきっていた事だけに悔いが残っているのだ。
公爵との新たな契約により、此処で先発隊が犠牲になる事は分かりきっていた。
彼女らを止められなかった。
どんな理由が有ってもだ、悔いが残る。
幼い彼女らが参加し魂を自ら捧げたのだ。
実際に目の前にこのような姿を見てしまうと、悪魔でも悲しみが零れてくるのであった。
少女達の無残な姿を見て、うっすらとだが涙を浮かべる上位悪魔アザゼイルであった。




