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月夜と黒猫  作者: 陽夜
第2章
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Mission19 兄とケーキとペンダント

「ただいまー」

 流石にケーキを濡らす訳にはいかず、ケーキ屋さんを出てからはさしていた傘を畳んで玄関に入る。

 傘立てに折り畳み傘を入れ、個人用の小さな下駄箱からスリッパを取り出して脱いだローファーを放り込む。

「おかえりー!」

 今度も声は返ってこないだろう……と思っていたら、聞き覚えのある声と共にパタパタと足音が鳴る。

 そのまま少し待っていると、キッチンの方からひょっこりと姿を見せた予想通りの顔。制服の上からエプロンをしているけれど、今日の夕食担当は別の人だったような。

「おかえり、かののん!遅かったね?」

 そう言って私の方に駆け寄りながら小首を傾げるゆかりんは、まるで小動物のようで少し可愛い。身長はそれほど変わらないのにこの溢れ出る小動物感はやはり性格の違いだろうか。

「んー、ちょっとねー」

 そんなゆかりんを微笑ましく見つめながらわたしは答える。そっかそっか、と深く追求してこない辺りが少しありがたい。

 そのまま中に向かって2人で歩き出す。

「今日はどうだった?」

「倉ちゃん先生手強かったけどもうちょっとで何かが掴めそう」

 少し疲れが見えるものの、嬉々として語る彼女の横顔はやる気に満ち溢れている。

「それは良かった」

 その何かを掴むのはきっと大変だろうけど、ゆかりんなら絶対できると信じている。

「帰りはごめんね、一緒に帰れなくて」

 ゆかりんは申し訳なさそうに眉を下げる。

「全然?気にしてないよ」

 確かに寂しい、とは思っているけれどそこに怒りの感情は全くない。

 上がヴォリュビリス隊の実戦投入に慎重なのは、多分彼女達の両親の意向になるべく配慮してなのではないか──そのご両親と話した事もなく直接面識のないわたしはそう踏んでいるけれど、どこか心の中では早くゆかりんと2人で任務に出てみたいと思っている自分もいる。

「ローレンス先生は任務でいないし、他に槍系統の先生って倉ちゃん先生しかいないし、人気だから早く行かないと、と思って」

 そこで一旦言葉を切って、今度は少しホッとしたようにわたしの顔を見る。

「占い最下位で落ち込んでたけど持ち直した?」

「……ん、そだね。今日はお兄ちゃんに助けられたかな」

 答えるとゆかりんは詩音先輩優しいもんね、と笑う。本当、人の機微に敏感で、どこまでも聡い親友である。


「ゆかりん」

 階段の前で立ち止まって、彼女の名を呼ぶ。

 ん?という風にわたしの方を向いたゆかりんに一言だけ添える。

「ありがとね」

 彼女は少しだけ不思議そうな顔をして──その後くしゃりと破顔した。

「どういたしまして!」



 明日お礼に持ってくお菓子作ってる途中だった!と慌ただしく引き返していった親友の背中を見送った後、わたしはまず凜さんの部屋へ向かった。

「凜さんいますかー?」

 ノックして様子を伺う。掃除当番だからちょっと帰り時間が遅いと思うよ、とは朝の時点で聞き及んでいたけれど、17時を回ったこの時間帯ならそろそろ帰寮しているだろう。

「はーい」

 予想通り、返事と共にパタパタと足音が聞こえる。わたし達兄妹ほどではないものの外見上はあまり似ていない蒼井姉妹は、ふとした時の仕草や言動がそっくりでたまにこちらの笑いを誘う。

 カチャ、と開いたドアの向こうにいる凜さんはトレーニングウェアに着替えていて、先程まで着ていたであろう制服はハンガーに掛けられて壁に吊るされている。

「これ、ありがとうございました」

 感謝の言葉と共に差し出したのは、今日1日借りていたサボテンとお礼のコーヒーゼリー。役に立っていたのかどうかは正直微妙だが、借りは返さねばならない。それにいつも兄の相手をしてくれてありがとう、という意味も込めて。……まあ、本人はそんな気さらさらないだろうが。

「えっそんな、気なんて遣ってくれなくて良かったのに」

「いえいえ、気持ちですから」

「んー、でも」

「せっかくですし。コーヒーゼリーお好きなんでしょ?」

 押し問答の末、うーん、じゃあ……と凜さんは遠慮がちに受け取る。

「このお店、ケーキがメインですけどコーヒーゼリーも絶品ですから。食べたら感想聞かせてくださいね?」

「そうなの?ありがと」

「いえいえこちらこそ」

 あらかじめゆかりんに凜さんの好物を聞いておいて良かった。申し訳なさそうな動作とは裏腹に、表情には喜びが滲み出ている。

 それじゃ、と振り返って立ち去ろうとすると、凜さんは「あっ、待って待って」と言ってわたしを引き止めた。

「…………?」

 部屋の中に戻っていく凜さんをドアの所で少し待機していると、彼女は慌ただしそうに何かを持って帰ってきた。

「はいこれ」

 コーヒーゼリーのお礼に、と差し出されたのはふた粒の飴。

 お礼にしちゃ、ちょっとショボいけど……と言いつつ、凜さんはわたしの手にしっかりそれを握らせる。

「えっ、サボテンのお礼だったのにそんな……」

 わたしが戸惑っていると、彼女は「いいからいーから」と手を振る。こういう時、凜さんもゆかりんも少し強引だ。

「あっ、じゃあこれ持ってくお駄賃だと思ってくれれば」

 そう言って更に彼女が差し出したのは──わたしにも見覚えがある、あの一対のペンダント。

「なんか今日銀髪の女の人にこれを詩音に渡してもらえる?とか頼まれちゃってさ。あたしからだと受け取ってもらえなそうだし、花音から渡してくれないかな?」

 なぜ、これが彼女の手元に。それに銀髪の女とは、まさか例の──……。

 凜さんに尋ねようと思ったけれど、わたしはその思考を振り払った。聞いたところでそいつ(・・・)は名乗ってすらいないだろう。

「……分かりました。兄に渡しておきますね」

 一瞬固まっていたわたしに彼女は不思議そうな顔をしたが、じゃあお願いするね、と元の表情に戻った。

 ドアを閉めようとする凜さんにわたしはさりげなく尋ねる。

「凜さん、この後ご飯までどうするんですか?」

「手合わせするにも誰も相手してくれなそうだし、訓練場で射撃でもしてようかなー、って思ってたけど?」

 どうかした?と凜さんは首を傾げるけれど、この件はわたしの一存であれこれ話す訳にはいかない。

「いえ、なんでもないです」

「そう?」

 まあ何かあるならいつでも言ってね、と優しい言葉を掛けてくれる彼女に申し訳なさを感じつつ、わたしは凜さんの部屋を後にした。



 さて本題はここからだ。

 湿気った制服を着替えて兄の部屋の前に立ったわたしは、深く息を吸ってドアをノックする。

「いる」

 そんな短い返事が返ってきて、わたしは勝手にドアを開ける。すると兄は部屋の正面に位置している、卓袱台の前で胡坐をかいて座っていた。

「あの、お兄ちゃん」

 どう切り出せばいいか分からなくて、とりあえずおずおずと口を開く。開いて、結局言葉は続かなくて。視線を彷徨わせながら纏まらない台詞をどうにか絞り出そうと頭を捻る。

 すると予想もしなかった言葉が兄から発せられた。


「悪かった」


 ……悪かった?……へ?わたしは思わず固まった。あの兄が謝罪している?

 気不味くて上げられなかった顔を兄の方に向けると、普段は仏頂面で喜怒哀楽の怒しか持っていないような兄がほんの少しだけ眉を下げて申し訳なさそうな表情をしている。

「花音こそ……ごめん」

 素直にこの言葉が口に出た。どんな毒を吐かれたにせよ、先に手を出してしまったのはわたしなのだ。今回の件はわたしの方に非がある。

 少しの間沈黙が続いて、そして破ったのは2人同時だった。

「「これ」」

 相手が差し出したものを見て、2人で目を合わせて笑った。

 両方とも「デセール・ボー」と書かれた箱を持っていた。



 2人で買ってきたケーキを平らげ、下から持ってきた紅茶を飲んで、ほぅ……と息を吐く。お気に入りのお店のケーキは、いつ食べてもとても美味しい。

 しばらく何も考えずに余韻に浸っていたが、ふと水に流した不幸な記憶と共にあのペンダントの存在が頭を過ぎる。

「お兄ちゃん」

 これ。最低限の言葉だけで差し出した一対のペンダントは猫と三日月のモチーフで、間違いなく両親がしていたもの。

 驚愕に目を見開いた兄は、短く唸るように呟く。

「なんで、これを」

 わたしは首を振って答える。

「分からない。凜さんが例の銀髪から受け取ったって……」

 ありのままを伝える。分からない。わたしにだって分からないのだ。どうしてその人が両親のペンダントを持っていたのか。なぜ直接でなく、凜さんを通してそれを渡してきたのか。

「花音」

 兄がわたしの名前を呼ぶ。

「あいつはどこにいる?」

 顔に浮かぶのは怒りと焦燥と、そして多分憎悪。

「地下の、訓練場」

 一言だけ答えると、兄はやはり急ぎ足でわたしを置いて自室を飛び出した。



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