朝〜魔王の目覚め〜
「くっくっくっ……よくぞ避けた勇者よ。それでこそ我の永遠の好敵手、底知れぬ実力よ……」
不敵な笑みを浮かべ、横倒しになった扉から降り立つ魔王──ファルシール・アルバ。
力の大半を封印されたとはいえ魔王の威厳や風格は衰える事を知らず。現に背後からは吐き気を催す邪悪な色のオーラを放ち、隙さえ見せれば首を切り飛ばさんと言わんばかりに爪をチラつかせている。
流石は異世界を何百何千年と支配していた魔王女帝。自分達が出来ない事を平然とやってのけるその貫禄に痺れて憧れたであろう悪魔の配下が多かったのも頷ける。
「さぁ、勇者よ……自らの眼に終焉の光を見出したくなければ──早急にこの家の所有権を我に譲るのだ」
隙を生じぬ佇まいで歩み寄ると、魔王は俺に手を差し伸べる。
なるほど。要するに「お前なんかいつでも消せるんだから、消される前にさっさと家寄越せ」、という事か。
いい台詞だ、感動的だな。
──だが無意味だ。
「どっせぇぇぇぇぇぇぇぇいっ!!」
ドゴォォッ!!
「ふゅぎゃぅおぁぁっ!?」
日頃のストレスその他エトセトラを込めた拳を腹に打ち込むと、やけに発音しづらい悲鳴を上げて吹っ飛び、魔王は階段の向こうに消える。
「びぎっ!? なっ!? ろなっ!?」
ガン、ゴン、ドンと階段を落ちる音と共に魔王の短い悲鳴が聞こえてきたかと思うと、ドスンッ、と最後に一際大きい音と「きゅぅ……」という可愛らしい声。
以降何も起きないので、どうやら階段下で気絶したらしい。
「まったく、朝から余計な体力使わせる……」
寝起きでまだ本調子が出ないのに、他人を殴らせるのは止めてくれないのかあいつは。特に今日は学校なのに。それにドアの修復代もそれなりにかかる。
もう3日前から続くこのやり取りに慣れてしまってる自分が怖い。
「あれ、サーシャのやつどこ行った?」
ふと、サーシャの姿が忽然と消えているのに気付き、辺りを見回す。
確かファルのやつがドアぶっ飛ばす直前まで俺の後ろに居たはずなんだが……。どこ行きやがった。
「あっ……はぁんっ…………カ……カオル……様……んんっ! もっと……踏んでくらひゃい……ひゃぁんっ!」
「人に踏まれて発情すんなこの雌猫っ!!」
お望み通り乗っているドアを粉砕する勢いで踏み抜いてやると、ドアの砕けた残骸の下から発情モードのサーシャが顔を出した。
多分さっきドアを回避した時に俺がリード持ちっぱなしだったから、それに引っ張られて哀れドアの下敷きになったに違いない。
「サーシャ、お前が今そうなってるのは俺の責任だ……。だが俺は謝らない。その変態精神を克服して、必ずノーマル精神に戻ってくれると信じているからな」
「だが断ります、カオル様……」
慈悲の心を込めた台詞を投げ掛けてやったのに、何故かどっかのスタ◯ド使いの漫画家みたいな顔で切り返された。
「このサーシャ・バスティートが世界で最も好きなことの一つは、ノーマルに戻れと轟き叫ぶカオル様の申し出を『NO』と断る事ですにゃ……♡」
「お前立場上は俺の奴隷なんだよな? 奴隷って主人に絶対服従だよな? だったら戻れよ」
「…………カオル様」
「なんだよ」
「ノーマルっていうのは、なろうとした瞬間に失格なわけですにゃ。つまりサーシャは、いきなりアウトって訳だにゃ」
──ゴンッ。
「今回はこれで許してやる」
「うぅ……痛みは心の栄養ですにゃ……」
お仕置き代わりに頭に1発サーシャに食らわせると、着替える為に一旦部屋に戻る。
1歩踏み出す度に足元で変わり果てたドアがバキバキ音を立てて崩れるが、どうせ直さないといけなかったしこの際構わない。どうせなら今度は鋼鉄製にするか。金はかなりかかるだろうが、毎日毎日壊されるよりは遥かにマシだな、うん。
ファルもファルで、みんなと同じように家具を揃えてやったんだから少しは感謝してほしいんだかな。
「んじゃ、サーシャは外で待っとけ。入ってきたら……分かってるな?」
「ま、まさか……このサーシャにカオル様のお世継ぎを孕ませ──」
「──るとでも思ったか? 残念、逆さ吊りの刑でした」
「デスヨネー、ニャハハハハ…………ぐすんっ」
その程度で泣くなサーシャ。そう簡単に俺がヤる訳がないだろう?
皆をちゃんと元の世界に返す為にあと13年は童貞を守らないといけないのだ、分かってくれ。
そんな訳で、滝のように涙を流すサーシャを廊下に座らせると俺は部屋に入って制服に着替える。
しかし異世界がこの世界より時間の進みが早くて本当に助かった。
異世界で1年過ごしてた事に気付いた時は学校どうしようかと思ったが、何処ぞのデジタル世界よろしく異世界での1日がこっちでの1分だったみたいで、帰ってきた時は出発した時から9時間ちょいしか経ってなかった。
それ知った時にゃみんなを連れて来た事忘れて号泣したよ。神様ありがとう。
しかもその日が金曜だった事も幸いして、昨日までパーティーと魔王の分の家財道具の買い出しと部屋の片付けができた。俺の休みぶっ飛んだけどな!
「──よし、そろそろ行くか」
着替えを終えてカバンを手に取ると、リード片手に再び部屋を出る。
「さて、サーシャ。今からお前には俺の朝食作りを手伝って貰う……分かったな?」
「も、勿論ですにゃ! カオル様の為なら、血肉を注いでサポートさせていただくにゃ! でもその代わり……」
「マタタビだろ? 帰りに買ってきてやるよ」
「にゃーっ!! 頑張るにゃーっ!!」
サーシャと略式の取り引きを終えるとその首輪にリードを繋ぎ、駆け足で1階キッチンへ向かう。
ファルのせいで時間を食ってしまったから、急いで朝飯を作らなねば。特に大飯食らいのサーシャにしてみれば空腹はそれこそ地獄だ。いくら中身がアレでも、ともに旅した仲間。苦しませる訳にはいかない。
それに、俺以外に料理が出来るのはサーシャしかこの家には居ないので今みたいに急いでいる時は本当に役立つ。
ただ、さっきみたいに取り引き持ち掛けないと俺の童貞がマジでその命を神に返す753秒前になるので注意しなければならないが。
そんな事を思いながら、階段の曲がり角から一気に2人で飛び降りる。
「おのれ勇者、ゆ"る"さ"ん"っ!! 勇者絶対にゆるさねぇ!! いつかフルーツジュースにしてやげぶぅ!?」
あ、魔王踏んだ。