最後の一個*心の在処――新たなる未来へ。
新たに始まる二学期の朝。
やなぎはまず、大嫌いだった家族への電話をする。
そして登校の時間、三人の同級生と共に歩むことになったが、ふと気づいた己の違和感に立ち止まり、やなぎはこの四ヶ月間で学んだことを心で語る。
霊感を欲しがるヤツらはどうかしてる。
ついに最終回です。
――プルルルル……プルルルル……。
時刻は午前八時前。
八畳一部屋に住まう一人の俺は、夏の時期にはありがたい、ひんやりとしたスマートホンを耳に当てていた。こうして他者に電話をすることなど、近年では希な行動だ。大概はショートメールや、SNSアプリを使っている俺としては、どうもこの電話音が慣れない。
――プルルルル……プル……。
ふと鳴り止んだ冷たい電話音。それは共に、新たな一歩への号令でもあった。
『もしもし? 麻生大樹です』
「俺だ……やなぎだ……」
電話越しの相手は正しく俺の父親――麻生大樹である。親に対しても非通知設定をしていたため、電話主が俺だとやっと気づいた様子だった。
『……なんだ? どうか、したのか……?』
言葉が片言になっていた父親からは、俺からの突然の電話に驚いているのがわかる。大学理系学者としては、なかなか珍しい心持ちだ。
正直言えば俺だって、コイツと話すこと、声を聞くことすら嫌悪していた。この前の夏休みでは殴られるハメにもなったし、子を見捨てるように仕送りを止められたし、そして大切な家族の一人の存在を、完全に消そうとまでした。
俺にとってのストレスの根源は何かと聞かれれば、迷いなく、この親の存在と答えてきただろう。
――だが、今は違う。
「あのさ……」
沈黙を埋めた俺は再び言葉が止まりかけてしまうが、もどかしい想いも抱えながら、力強い握り拳をして小声を鳴らす。
「――ゴメン……親なのに、ひでぇこと言ってきてさ……」
『……や、やなぎ……?』
父親は相変わらず困惑した声で返していたが、俺が父母に醜い罵声を浴びせたのは間違いない。死んでほしいとまで放ったくらいだ。そう簡単に許されるなど、毛頭思ってもいない。
「だからさ、ホントに……ゴメン……」
それでも諦めず謝罪を述べる俺は頭すら下げていると、間を置いた父親の咳払いが鳴らされる。
『……私も、お前には親らしからぬことをしたと思ってる。本当に済まなかった……』
「親父……」
俺は驚いて細い目を大きく開けていた。あれほど他者に謝罪を述べてこなかった偉い父親が、頭を下げている言葉を発したからである。いくら電話越しだからといっても、脳内には鮮明に映し出された。
「……悪かったな。朝っぱらから、変なこと言って……」
学者にとっては、忙しい朝からの連絡などたいへん迷惑だっただろう。学校の準備だって色々ありそうだし、そこらの地方公務員とは異なる過労民なのに。
申し訳なさが芽生えた俺は電話を切ろうと、画面に映し出された会話終了ボタンに親指を伸ばした。しかし電話口から再び、ちょっと待て! と父親の声が響き、再び耳にかざすことになる。
「なんだよ? 忙しいんじゃ……」
『……やなぎ。これからは家族いっしょに、暮らそうじゃないか』
俺の言葉尻を被せた父親の声は、いかに真面目で必死に訴えたのかがわかるほど、耳のうずまき管を振動させた。
『私はもちろん、冨美枝だってそれを望んでいる。だから、これからは麻生家として、みんなで暮らそう』
母親の名前も持ち出した、俺の父親。両親共々、俺を独り暮らしから解放しようとしていることが聞き取れた。そこには家族という温かな想いが込められており、しばらく麻生家から離れて過ごしてきた俺には、味わった覚えがない確かな心の温度だった。
「ありがとな、親父。それに、御袋も……」
思わず頬を緩めた俺は呟いたが、今後の生活を予め決めていたため、言葉を紡いでしまう。
「でも、独り暮らしは、続けようと思ってる……」
『ど、どうしてだ? 学校が遠くなるからか?』
確かに実家から通うことになれば、現在徒歩十分で行ける笹浦一高までの距離は必然的に増える。同じ市内の実家と言えども、学校までは自転車を駆使しても三十分近くは掛かるに違いない。
「まぁ、それもあるけどさ……」
しかし、俺が独り暮らしを止める気がない理由は他にある。
登下校の時間ではない、もちろん家族をまだ信じきれていない訳でもない。
それも全ては、今俺が見下ろしている、小さく低いテーブルの上に載せられている。そこにあるのは言うまでもなく、俺が描いた妹の似顔絵、一匹の幽霊が着けていた鬼の覆面、暴走までしたもう一匹の幽霊が縛っていたヘエゴム。
そして、カナ……いや、麻生はな自身が最後に遺してくれた、世界でたった一通の想いの手紙である。
それらこそが、俺を独り暮らしから逃れさせない、最大の理由なのだ。
「――ここにはさ、大切なモノたちが、存在るからさ……」
一種の呪縛なのかもしれない。霊感がある俺にしか視えないものだってあるのだから。しかし俺にしか視えないものだからこそ、責任を持って預かりたかった。離れた実家ではなく、アイツと出会い過ごした、この静かになった一室で。
『……そうか……いつでも、家に帰ってきていいからな? ずっと、待ってるから』
父の声がいつにも増して高音だった。もちろんオカマやオネエではなく、俺を受け入れてくれた優しさを素直に表している。
「あぁ、感謝してる。これからもよろしくな、親父」
最後に感謝の意を述べた俺はゆっくりと耳から電話口を離し、温度が籠った瞳で会話終了ボタンをタップした。
***
新学期など明るく言われても、正直テンションが全く上がらない。
特に長期休み後の二学期となれば、脳裏には憂鬱というあやふやな漢字しか浮かばず、ため息ばかりが肺から出てくるばかりだ。新たな出会いの始まりとか、新しき生活のスタートとか、取り合えず人間は前向きに捉えがちだが、それも辛いことから少しでも目を逸らそうとする習性なのかもしれない。
人の世とはなぜこんなにも、変化と称する概念に囚われがちなのだうか?
毎日が同じことの繰り返しの方が悩みも少なくて、平凡という幸せが続くとしか思えないのに。
だが変化というのも、人間自身が生きることにおいての定めなのだろう。
したいとか、したくないとかではなく、しなけらばいけないのだ。
人は成長という変化を抱く動物であって、この概念からは心臓を動かしている限り、魔法少女でもなければ脱け出せない。
生まれて、呼吸して、目を開けて、歩いて、走って、転んで、起き上がって、腹を空かせて、飯を食って、眠って、そして言葉を発するようになる。
つまり俺たち人間は、変化という義務から逃れることができない。それがどんな苦しい状況に立たされたとしても、心臓の鼓動が止むまで背負わされる運命なのだろう。
まぁ、それでも俺は変化を嫌いながら生きていくがな。
そんな新しき変化を絶賛拒否的立場にいる俺――麻生やなぎも、今日から二学期がスタートする。進学校に通ってしまったおかげで、八月下旬から始業式が始まることとなり、クリーニングから手に戻った夏服とは真逆に、俺の表情はいつもにも増してシワクチャだ。
「……はぁ……じゃあ、行ってくるな……」
独り暮らしのこの空間には、無論他者など存在しない。しかし俺はまるで部屋に誰かがいるかの如く喉を鳴らした。その声の方向は言わずもがな、大切な妹の似顔絵が描かれた写真立てである。
――もちろん、亡くなった麻生はなの笑顔が飾られている。
しかしこの似顔絵は妹の成長に合わせて、一年ごとに新しく描いている。まぁ、絵の才能が皆無な俺が筆を運んでいるのだ。クオリティーは欠けほどの塊すら存在しないくらいだろう。
ただ、今年になって更新した似顔絵は、今まで以上に上手く描けた気がする。理由はきっと、今までいなかった絵の対象者が、四ヶ月間も俺のそばにいてくれたからだろう。
――麻生はなの今年の似顔絵。それはあまりにも、カナに似た顔をしている。
「あ゛~溶ける~……」
ガチャッと扉を開け早速襲ってくるのは、俺が嫌い尽くしな夏の熱い朝陽だ。まだ八時を少し過ぎた頃だというのに、すでに汗が吹き出しそうなほどの灼熱地獄が待っていた。
まったく、夏空はインドア信者のことが相変わらず嫌いらしい。再び部屋に戻って新学期からバックレたい気持ちは、早くも有頂天に上り詰めそうだった。
「あら? おはよう、やなぎくん」
俺が仕方なく鍵を掛けた刹那、隣の開けられた玄関から大家さんこと、九条輝美と目が合う。俺の部屋の隣に住まうおばさんの表情はいつにも増して豊かで穏やかで、優しい温度で照らしてくれた。
「ちゃっす。てかもう暑すぎて、学校行く気が失せかけてるんすけど……」
「ウフフ……そんなことしたら、満に何されるかわからないわよ?」
「ですよね~……」
“何を言われるか”では済まされない。“何をされるか”まで考慮しなくてはいけないのが、俺の担任――九条満という凶暴的存在だ。下手すれば命まで奪われることだろうと、俺は今でも思ってる。
突きつけられた残酷的現実に肩を落とした俺だが、得意のため息変換で気持ちを切り換える。
「……んじゃ、行ってきます」
輝美おばさんに背を向けた俺は扉から離れ、気怠い猫背を鮮明に放ちながら去ろうとした。が、まだ温かな笑い声を漏らされたことが気になり、踵を返してしまう。
「なんすか? 俺の姿、そんなにおかしいっすか?」
「そんなことないよ。ちょっとしか」
「おい……」
つい突っ込んでしまった俺だが、輝美おばさんの笑いはなかなか止まらずにいる。何をそこまでおもしろがっているのだろうと考えさせられたが、不思議と腹立たしさは感じなかった。
「あの、何をそんなに……」
「……麻生くん、何かあったでしょ?」
「はぁ?」
すると輝美おばさんは俺の言葉尻を被せ、疑念を抱かせると共に、落ち着いた安ぎの瞳を見せる。
「ついこの前よりも、ずっと明るくなった気がしてねぇ」
「……おばさん……」
輝美おばさんが笑っていたのは間違いなくこのことだ。普段から陰鬱な俺が、明るい青年として映ったからであろう。
もちろん俺は演じている気もなければ、明るくなった自覚も全く覚えなど皆目見当たらない。ただ、何かあったかと言われれば、今でも鮮明に脳へ刻まれている。
多くの悲しい別れと運命を目にしてきた。
だがそれは共に、数多なる華々しい出会いがあったことを意味している。
「――まぁ、そうかもな……」
自嘲気味に笑いながら告げた俺には、再び輝美おばさんから穏和な微笑みを放たれていた。もはや本当のお祖母ちゃんのように、たくさんの皺の数だけ優しさを受け取れる。
「……新学期、がんばってね?」
「……あぁ。行ってきます」
微笑みを微笑で返した俺は再び背を向け、輝美おばさんが管理するアパート――であい荘という名の城から離れる。決して望んでいる訳ではないが、二学期初の登校へと、静かに一歩踏み出した。
***
城から学校までは僅かな距離。そのせいもあって学校の姿は、俺が住む二階の部屋からでもよく見えるほどだ。
城の外付け階段を降りて目の前の小道へ出向けば、すぐに笹浦一高の禍々《まがまが》しい佇まいが視界に入り、本日も朝から顕在の白き建物が、俺の嫌気を激しく煽ってくる。
「あ~、転校してぇ~」
どうして進学校という忙しい学校に入学してしまったのか?
俺は過去の自分に一度会って、強制的に別の学校へ入学させたい思いだった。とはいえ、あれだけ文系ができなかった俺が――今でも国語全般は苦手だが――よくも偏差値の高い笹浦一高に入学できたものだ。何か裏で力が働いたのかと疑わせるくらいに、自己採点ではボーダーライン全く満たなかったというのに。
「反って大きな御世話だっつうの……」
独り言を漏らし、現実逃避に憧れながら進む俺は大通りに出ると、やはり登校時間で多くの一高生が歩いていた。夏休み会えなかった友だちと愉快に話す者たち、朝っぱらから恋愛模様で寄り添うカップルどもと、皆誰かと隣り合って歩んでいる。
一方で独りの俺は言うまでもなく、静かに嫌いな学校へと向かっているが、ふと目に映りこんだ一人の同級生と目が合い停止する。
「あ、篠塚……?」
「や……やなぎくん! お、おはよ~!」
少し離れた道中から、俺と同級で同じクラスである女子――篠塚碧が緊張気味に叫び呼んでいた。
誰かを待っていた様子が窺えたが、篠塚はすぐに俺の前に走り寄り、小柄な身長で進路方向を塞がれてしまう。
「どうした? 水嶋のことでも、待ってるのか?」
「ううん、その、ね……」
彼女の親友――水嶋麗那と登校するのかと予想していたが、篠塚は否定し俯いた。
だったらどうして一人だけで立ち待っていたのかと考えてみた。が、その答えは、俺の目の前で両人差し指をモジモジと会わせる篠塚が、決意を抱いた様子でやっと明かす。
「い、いっしょに学校、行こ~!?」
「……え?」
思わず俺は聞き返してしまった。声が裏返るほど緊張していた篠塚から、まさかの共に登校することをを迫られたからである。
予定もしていない、寄りにもよって、二人きりで……。
「だからね、その……やなぎくんと、いっしょに行きたくて……」
俺から目線を逸らした篠塚は小声で想いを呟いていた。眉間には悲しげな皺が寄せられ、今にも泣き出しそうだ。
「……わかったわかった。ほら、じゃあ行くぞ?」
「……うん! ありがとう!」
目の前で泣かれたら、きっとこの俺が悪人扱いされてしまうだろう。
嫌々ながら進んでしまった俺だが、篠塚には眩しいまでには至らない明るい笑顔が灯り、二人寄り添いながら一高への道を歩むことになった。
一方的とはいえ、俺は篠塚から愛の告白を受けている。もちろん、まだ受け止めたつもりはない。
篠塚がどうしてこんな俺を選んでしまったのか理解に苦しむが、まぁ嬉しそうに笑っていてくれるなら、あえて聞かないでおこう。
「……今日も、いい天気だね?」
「そ、そうだな……」
「……」
「……」
はい、早くも会話が終了しました……。
当たり前だろ!
こうやって男女二人きりで登校するなど、独りの俺にとっては生まれて初めての出来事だ。喜ばしくも思えないし安心もできないし、緊張と不安ばかりが募って早足になりそうな状況である。
しかも予定などしていなかった事態だ。何を話せばよいのか考える時間もないまま臨んだ朝で、アドリブ苦手な俺にとっては口だけ数倍の重力が働いているように感じていた。
参ったな~……やっぱ学校なんて来るんじゃなかった……。責めてギリギリに出れば……。
「……あのね、やなぎくん?」
無言の空気に包まれていた俺たちだが、ふと篠塚の表情には強張りが消え、俺の顔を下から目線で覗く。
突然の変化に俺は首を傾げてしまったが、篠塚は変わらず頬を緩めながら言葉を紡ぐ。
「――翠への御線香、ありがとね」
「……そんな気にすんなよ。俺に減るものはないんだし……交通費以外は……」
恥じらいを見せたくなかった俺は目を、篠塚の瞳からそっぽへと逸らしてしまう。
篠塚が言ったことは、ついこの前の御盆期間のことである。
俺は電車やバスを利用して、篠塚碧の実家である、篠塚梨農園に向かったのだ。もちろん、たった独りだけで。
その家には亡くなった篠塚の妹――篠塚翠の小さな仏壇が飾られていることを知っていたため、俺はボランティア活動の如く御線香を一本挿してきた。彼女が生きていた当時に会ったことはないが、ナデシコとして出会えたことを理由に、無力なのかもしれないが焚かせていただいた。
そのときは篠塚の祖父母からも感謝を示されたが、とても困ったのは……。
「うちの碧と結婚するのかい?」
と、真顔で言われてしまったことである。
どうして第三者はこんなにも展開を早めたがるのだろうか? バラエティー番組のディレクターじゃあるまいし……。
俺は言うまでもなく否定し、まだ付き合っていることすら認めていないと告げた。とんでもない精神攻撃を受けるはめとなってしまったのだが、最後にははみずみずしくて美味しい篠塚家の梨を貰えたことが、今でも続く唯一無二の満足感だ。
ちなみにだが、俺はこの御盆期間、他の場所でも御線香を一本ずつ添えてきた。
一番遠い篠塚翠の仏壇の後は、同じ市内ながら城から距離がある墓石――水嶋啓介のもとだ。すでに御線香や花束を寄せられていたことから、彼の妹である水嶋麗那がすでに訪れていたらしい。相変わらず、兄の思いの立派な妹姿だ。
――良かったな。お前も、俺と同じだ……。
またその次は、俺が勝手に作ってしまった道中の墓石――天童彩のもとに向かった。フクメという、天真爛漫で勇敢な幽霊だった彼女が強制成仏で消されたアスファルトの傍、俺は土の箇所に御線香と、“天童彩”と記した掛軸を添えたのだ。
訪れた当初は俺の御線香一本だけだったが、昨日買い出しの帰り道の途中に寄ってみると、なぜか御線香がもう一本増えていたのだ。が、俺はすぐに主の正体を、天童彩と縁ある人物を知る者として、すぐに察しが着いた。
「神埼……アイツ、見つけてくれたんだな……」
神埼透だとしか、俺には思えなかった。
六十年前という昔から変わらない愛を、天童彩に示してくれたのだろう。掛軸を見かけただけで添えるとは、本当に彼女を一途に愛していることが窺える。
――甘酸っぱいのも、悪くないかもな……。
その次は幼い頃世話になった、小清水一苳の墓だ。
神職として生きてきた一苳のじいさんだが、その墓は以外にもひっそりとした市営墓地に埋められている。しかし表には奥津城と彫られていたことから、数ある墓石からすぐに見つけ出せた。
――安心してくれ、一苳のじいさん。アンタが守ってくれた湯沢が、今度はアンタの代わりに護ってくれてるから。
成仏をこなす神職でありながら、幽霊を信じ存在を消そうとしなかった、優しき確かな人格者である一苳のじいさん。彼にはやはり、湯沢純子の現状を伝えたかったのだ。
またその場立ち去ろうとした頃、俺は小清水神社の代理神主――橋和管拓麿とばったり遭遇してしまった。
「はっ! 橋和管、さん……」
「おや? 麻生くんも来ていたのですか?」
穏やかに返されてしまったが、俺はこの前暴言を吐いたことを初めに、頭を下げて謝罪を示した。きっと笑顔の裏には、彼の引きずる闇があるはずだと。
しかし、割りと橋和管は根に持っていなかったらしく、案外あっさりと許してもらい、社内清掃のバイトもまだ続けていいと告げられたのだ。
――もしかして、一苳のじいさんの加護かな……? だったら、ありがとな。
そして最後はもちろん、この四ヶ月最も世話を焼かせた姉妹――牧野朱義と牧野紅華の墓だ。
御盆の最終日だというのに、御線香は儚くも一本たりと無かったことが印象的だった。もしかしてコイツらの親も、今は亡くなってしまったのだろうかと、少し深く考えさせられた。この世にはもう、牧野家は誰一人として残っていないのだろうかと。
「でも大丈夫だ。俺が責任持って、ちゃんと挿すから……」
俺は静かに一本ずつ――計二本を挿してその場を後にし、もう牧野家の状況を考えなかった。他人が他の家庭事情に首を突っ込むなど、反って失極まりない行動だと気づいたからだ。第三者として、コイツらが確かに存在していた記憶だけを持っていれば、それだけで良いと思えたからである。
――御互い消えても、仲良くしろよ? だって、姉妹なんだからさ……。
「きっと翠も、天国で喜んでくれてると思う。だから、ありがとう」
篠塚からは感謝しきれない様子が伝わり、内心直視できたものではなかった。
「……そうだな。喜んでくれてると、いいな……」
だが、そんな静かな微笑みを篠塚に、俺は上空を見つめながら囁いた。俺が出会えた幽霊たちの中で、無事に言霊を集め天国に逝けたのは、たった一人――ショウゴしか思い浮かばない。つまり、湯沢純子を抜いた他の幽霊たちは皆、魂の存在まで消されたことを意味している。
悲惨な結末だろうか。
バッドエンドっていう残酷なヤツなのだろうか。
……いや、決してそうは思っていない。
なんか、アイツらが今、どこかに存在る気がしてならなかったからだ。
理由としてはまず、俺の記憶にヤツらの顔が残っているからである。存在が消えるというのは、他者の記憶からも失せてしまうものだと思っていたからとも言える。心で生きるとは、なかなか良い言い伝えだ。
それに、この予想が当たるで有名な篠塚碧自身が、今も存在しているというニュアンスの言葉を放ってくれたのだ。彼女の言葉があるのだから、きっとアイツらの魂は、今もどこかに残っているのかもしれない……いや、違いないと信じたい。
天国ではないどこかで、今ごろお疲れさま会と称して、ドンチャン愉快にやってそうだ。幼稚に、アホっぽく、バカ騒ぎしながら……。
「――もぉ~! 碧ちゃん!? 麻生くん!?」
突如俺と篠塚の後方から、聞き覚えのある女声をぶつけられた。
思わず揃って振り向いてみると、やはり正体は水嶋麗那だった。決して怖くはなかったが、彼女の強い睨みが徐々に近づき、ついに俺たちの目の前まで来てしまう。
「れ、麗那ちゃん……」
隣の篠塚は反って怖じけづいた様子で震えているが、俺は何に怯えているのか検討がつかず、首を傾げて二人の女子高校生を観察していた。
すると次の瞬間、怒っている様子の水嶋は、篠塚の低く狭い両肩を鷲掴みし、前後と激しく揺らす。
「いつになったら手を繋ぐの~!? 恋の登下校は手のひらの温もりからって、昨日散々言ったでしょ!!」
「アワワワ~! でも、でもやっぱり朝からは無理だよ~!」
そうか……どうやら、俺と篠塚を会わせる状況を招いたのは、この憎たらしいほど麗しい女の仕業のようだ。昨日の夜にでも水嶋から一方的に先導されてしまったのだろう。御世話役どころか、厄介招きな生徒会長様だ。
もちろん俺だって、水嶋から強制的に指示された篠塚に激しく同意していた。朝から共に歩くことだって、こちらとしては心許ない足取りになる。加えて手を繋ぎながらなど、想像もしたくないほど心苦しい。
「――ったく、やっぱお前に彼氏とか、今世紀中は向いてないな、やなぎ?」
すると今度は水嶋の後方から、呆れたように鳴らされた男声が届いた。
これまた聞き覚えがある俺は、姿を見ずとも正体を察し、大きなため息を置いてから冷徹な瞳を開ける。
「なんだよ、ホモ水?」
「小清水だッ!! 勝手に悪印象つけるなァ!!」
相変わらずリアクションも大きく、近所迷惑で喧しい男だ。めんどくせぇヤツ……。
「……てか珍しいな? お前、神職の習い事、今日はねぇのかよ?」
「大切な勉学に励みなさいって、橋和管さんから言われたんだ。修行は下校してからで充分だ、って」
小清水はいつも、遅刻早退をしながら神職業に力を入れてきたため、登校姿事態俺は初めて目にしたことに驚いた。しかしそれも橋和管の教えのためか、どうやら二学期からは学校にも普通に通うらしい。まぁ、嬉しさなど毛頭ないのだが……。
「もぉ~、碧ちゃん好きなら強気になってよね?」
「あっ! 麗那ちゃん待ってよ~!」
離れていく水嶋麗那から背を向けられ、手を伸ばしながら追う篠塚碧。
「さぁ、俺たちも行くぞ?」
「へいへ~い……」
小清水千萩が進んで前の女子二人を追ってから、ため息を溢して歩みを再開した俺――麻生やなぎ。
結局四人で登校する形となった俺たちだが、まぁ俺としては二人きりよりも気が楽になった。三人が会話をしていてくれれば、一人残った俺は黙って後ろをついていくだけで済むのだから。
水嶋と小清水には助けられた気も生まれ、また笑顔の三人による会話から愉快さも垣間見え、俺はふと、無意識ながら微笑みを顕にした。
――っ!
しかし俺は突然、足を止めてしまった。何も発することなく、表情も作らず、ただ茫然と静閑に。
「……や、やなぎくん……?」
俺の異変を最初に気づいたのは篠塚。そして水嶋も小清水も振り向き、揃って不思議そうに見つめられる。しかし俺はコイツらの顔ではなく、自分自身の中に生まれていた違和感のみを直視し、ゆっくりと胸に手を当てて、想ったのだ。
――俺、いつからこんなに、優しい人間になったんだろ……?
長年、孤独と共に生きてきた俺。感情の起伏だって人前では表さず、ただつまらない学生生活を過ごしてきた。できるだけ人を避け、可能な限り独りでいようと、自ら現実逃避を繰り返しながら、孤独という見えないバリアを張り続けてきた。
そんな誰とも関わろうとしなかった俺が、今ではこうして、誰かが傍にいることを受け入れている。
それも一人だけではない。
俺に告白をして距離を縮めた篠塚碧、同じクラスで何かと面倒な水嶋麗那、腐れ縁という名の旧友である小清水千萩。
三人も、だ。
そして笑い合っていた三人に向かって、心ない俺は笑顔を示したのだ。
俺は考えてみた。自分が変わってしまった原因を、どうして他者らの笑顔が伝染したのかを。
だが、案外簡単にわかった。
それは多くの人たちと声を交わし、様々な幽霊たちと遭遇したことと繋がる。が、決してそれ自体が原因ではない。なんせ建前ばかりに包まれる世界だ。ただ会話をしたり、テキトーな関わりを持っただけでは、孤独な人間に優しさなど芽生えない。
そう。それは言うまでもなく、たった一つの真実である。
――多くの想いに触れ、心を分けてもらったからだ……。
想いとは、人間誰しもが抱く、かけがえのない相手への心遣り。
カップルだって、仲間だって、友だちだって、そして家族だって、どんな相手のことでも考えたときにはすでに、想いという概念が生じている。それが音として空気を振動させたとき、俺たちは口を揃えて本音と呼んでいるのだ。人間は自分自身想いなど、容易に語ろうとしない内気な生き物だからな。
また想いとは、人間だけが抱けるものではない。
――姿は視えないが、魂として存在する幽霊だって、同じく備えられるのだ。
『ホントに済まなかった、麗那……。』
夢を諦めさせてしまった謝罪だが、それ以上に大切な妹を愛して止まない、水嶋啓介の想い。
『ゴメン……透。』
死に別れてもなお、信頼できる彼氏への確かな愛を示した、フクメこと天童彩の想い。
『なぁ、巻よ?』
長年ピアノを奏でた妹へ感謝をしながら、歌と共に言葉を奏でた、湯沢純子の想い。
『ス~イス~イスイ~っと!』
梨農園の神様として、誰もが楽しめる世界を誰よりも求めた、ナデシコこと篠塚翠の想い。
『お前を守れなくて、済まなかった……。』
魂を救えなかった妹へ放ちながら、他のヨワキ魂を護る決意を貫いた、アカギこと牧野朱義の想い。
そして……。
『ありがとう、やなぎお兄ちゃん。』
悪に手を染めても内なる愛を告げようと、独りの俺を孤独にさせなかった、カナこと牧野紅華……いや、麻生はなの想い。
霊感を持つ俺は人間だけなく、多くの幽霊たちの想いにだって触れられたのだ。そこで更に視えたのは、自身の心が相手の心へと向かっていく、以心伝心に相応しい数々のシーンらである。いや、移心伝心と俺たちは呼ぶべきなのかもしれない。
どっかの偉い心理学者は、ある日こう言っていた。
心とは、人と人との間に存在する、と。
決して間違っていない。流石は心を専門的に研究する、立派な学者様だと思う。が、俺にはあまりにも説明不足のように感じてならず、素直に頷けない。
なぜなら、俺は実際にこう学んだから……。
――心とは、人と人との間を経由し、相手の魂の中に納められる。つまり心は、魂の一部として存在しているのだと。
前にも言ったことがあるが、想いを抱く俺たち人間は、自分だけの力で心のキズを治すことができない。いつまで経っても、血液と共に血小板を含まない心にカサブタなど発生しないからだ。
しかし、治す方法はたった一つだけある。
それはもちろん手術ではない。集中治療室に入ることとも該当しない、医療的救援とは無縁の治し方だ。
たった一つだけ……誰もが治療可能な、国家資格無しでできる方法。
――心のキズは、相手から分けてもらった心で、治すことができる。
優しく、温かく、心地よい心。いわゆる、真心ってやつだ。
弱く脆い人間はきっと、他者から多くの真の心を与えてもらうことで、転んでも諦めず立ち上がって、日々の努力を重ねることができて、健全と存在きているのかもしれない。心の支えという、視えない力を裏で働かせながら。
心の処方箋とは、他者の心そのものだったんだ。
それがわかったのも、全ての始まりを生ませたアイツのおかげだ。
煩く喧しいたった一匹の……命よりも大切に思えるたった一人の、幼いときからずっと信じてきた存在。
――ありがとう、はな。
「やなぎくん、どうしたの? 大丈夫……?」
するとボーッとしていた俺のもとにはいつの間にか、篠塚が心配気な顔で現れた。相変わらずわかりやすい眉の形を放つ小さな姉だ。
「ありがとな、篠塚も」
「へ……?」
篠塚は突然の感謝の言葉に固まってしまうが、俺が微笑みを放つと微笑を浮かべてくれた。眉間の皺もなくなり、穏やかな安心を抱いたようだ。
「それに、水嶋も、小清水も……ありがと」
今度は篠塚の後ろで半身のまま待っていた二人に、俺は微笑みを消さず立て続けに感謝の意を表した。
「どうしたの麻生くん? なんか、いつものドエスがなくなって、麻生くんらしくないな~」
水嶋は過去の俺を掘り下げたが、それでも最後は無邪気な笑顔を放ってくれた。
「……ほら、早く学校行くぞ? これでまた遅刻になるなんて、バカバカしい……」
小清水は頬を赤く染めて背を向けてしまうが、少なくとも俺には、コイツの内心が嬉しさで満たされていたことがわかる。
「あぁ、行こう」
そして俺は登校を再開し、篠塚碧と、水嶋麗那と、小清水千萩の四人並びで学校へと向かった。
歩けばすぐに校門が現れ、新学期と共に大きく開門されている。
吸い込まれるように多くの生徒たちが入校していくなか、俺は一度深呼吸をしてから、新たに訪れる未来へ、確かな一歩を踏み出した。
「さぁ、はじめよう……」
人間離れした能力は必ず、持ち主の人間性を変えることになる。なぜなら現実では理解できない物事を学んでしまうからである。幸か不幸かは別として、誰も知らない真実を。
たぶん今回の俺は、どちらかといえば幸せ側に落ち着いたのかもしれない。だって、人前で表せる笑顔を得ることができたのだから。
しかしたくさんの危険もあったことを忘れてはいけない。痛い思いは何度もあったし、怪我を背負いそうにもなったし、終いには命すら失いかけた。
それでもお前らは、夢のように憧れるだろうか?
やっぱ、俺には理解に困る。
こんな経験をするくらいなら、一般ぴーぽーとして平和に暮らした方が望ましいと思うからな。
だから俺は、最後までこう言い続ける。
持ち主として、実体験を想像しながら……。
――霊感を欲しがるヤツらはどうかしてる。
これこそが、この四ヶ月で一番感じ取った、俺自身の想いだ。
皆様、こんにちは。真面目に不真面目な田村です。
霊感を欲しがるヤツらはどうかしてる。
ついに最終回を迎えることができました~\(^^)/
これも、たくさんの皆様から応援していただけたおかげです。心の底から感謝を述べさせていただきます。
ありがとうございました!
始めにも言った通り、この物語はとある心霊番組観て思い付いたものです。怖い幽霊に驚きながら観ていたのですが、ふと疑問が浮かんだのです。
どうして幽霊は、人間を怖がらせるのか……?
きっと何か理由があるはずだと、スキマスイッチの『奏』を聴きながら考えた結果、言霊の存在、天国への道、そして言霊の存在を思い当たったのです。
最初は気晴らし的に、テキトーに書いていこうと思っていたのですが、いつしか真剣に執筆する自分が現れ、ずいぶん長々と費やしてしまいました。私って、ホントばか……。
私はさすがに霊感などございませんが、話途中のところどころには実際の体験が含まれています。まあそれがどこかを説明するのは、また今度で……。
さて、物語はここで終了ですが、あえて連載中設定にさせていただきます。
まだ、エピローグができていませんからね。
エピローグは現在行っている改稿活動が終わり次第投稿しますので、どうか御待ちいただけることを願っております。
一年と約三ヶ月。
ホントにありがとうございました♪




