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五十個目*俺の番

ついに始まってしまった、カナとアカギの社内成仏。

やなぎは何としてでも止めようと話術で試みるが、神職のプロ――橋和管拓麿をなかなか論破できない。


必死の叫びと想いをぶつけるやなぎだが、ふと漏らされたカナの言葉で止められてしまう。

 幽霊と人間って、一体どんな関係なのだろうか?


 俺が視る限りだと、両者は同じような生き物にしか感じられない。言葉を発し、想いを抱き、感情を備えた存在同士なのだから。

 何が異質だと言われたら、やはり実体の有無だろう。幽霊は人間と違って、何にも触れられず通り抜けてしまうからな。

 

 しかし、どうして似た者同士の人間と幽霊が争わなくてはいけないのか?


 単純に仲良くできないものなのだろうか? 

 アイツらだって、好きで人間を驚かしている訳ではないのに。


 どうしてもできないのだろうか? 人間と幽霊の共存って……。




 そんな両者の共存を考える俺、麻生あそうやなぎ の目の前では現在、神社の石畳に膝を着けて抱き合う二匹――カナとアカギたちが、封印の御札を身体中に貼られたことで、深夜でも黒光る多くの鎖で縛られていた。

 地面から発生した鎖たちはカナとアカギの四方八方から延ばされており、またたくさんの神職の者たちも取り囲み、二匹の幽霊に逃げ場すら与えない情景が広がる。



「アカギ!! カナ!!」



 もう遅いのはわかっていた。わかっていたが俺は思わず大声を鳴らして、周囲を気にせず二匹の安否を確認する。

 瞳を閉じながら抱き合う姉妹の姿。苦しそうな様子はなく、むしろ穏やかな表情であることが、鈴虫の鳴き声に促され視て取れた。

 まだ二匹は無事のようだと、安心まではしなかった俺はすぐに近寄ろうとした。



 ――パシッ……。



 だが、ふと背後から片腕を捕まれてしまい、進行を止められてしまう。


「誰だよ!? 視聴率下げる気……」

「……やめろ! やなぎ!!」

「こ、小清水こしみず!?」


 俺の言葉尻を被せ驚かしたのは、この神社の後継ぎでもある存在、且つ腐れ縁の仲――小清水こしみず千萩せんしゅうだった。頭に巻かれた包帯は以前と変わりなく、神社の中一人だけ、俺と同じ身軽な私服姿で鋭く目を尖らせていた。


「とりあえず、無事で良かった……」


 どうやら小清水は俺の安否を心配していたようだが、正直今は何の嬉しさも感じない。むしろ傍迷惑だ。


「いいから離せ!! 今はお前と恋愛ごっこしてる場合じゃねぇんだよ!」

「誰がゲイだ!! そんなことより、今から橋和管はしわくださんによる、社内しゃない成仏が始まるんだ!」

「は、橋和管?」


 小清水の言葉から名前を聞いた俺は、すぐに辺りの神職たちの顔を覗く。ほとんどが見た覚えのない男ばかりだったが、その人ごみに紛れた一人、袴の色が違う特徴的な男の姿が目に映った。


 間違いない。あれは橋和管はしわくだ拓麿たくまろだ。


 神職の中でも上級者を示す白の袴、そして大人らしさを強調させる眼鏡と共に、俺は橋和管拓麿の月影が、カナたちに手のひらを向けるところを目撃する。


南無大慈悲救なむだいじひきゅう 苦救くぎゅう 難広大霊なんこうだいれい 感白かんびゃく 衣観世音いかんぜおん 菩薩ぼさつまかさつ……」


 聞き覚えがあると感じた俺は今、橋和管が繰り返し口ずさむ呪文が白衣観音の神呪だと気づく。しかもなかなか早口で手慣れた様子で、目を見開いて身の毛が弥立ってしまった。




 ――カナとアカギの成仏が、マジで始まった……。

 


「――アカギお姉ちゃん!!」


 その刹那、鳥居の方から放たれたショウゴの儚き叫び声が神社を包む。だが人だかりが多いせいか、アカギには届いておらず、振り向きもせず目を閉じたままだった。


「待ってくれ! 橋和管! さん!!」

「やなぎ!!」


 いくらなんでも残酷的な別れになってしまう。

 そう思った俺は何とか小清水の魔の手を振り払い、カナとアカギの前に立って、御経を止めさせるよう試みる。


「やなぎさん……」

「やなぎ……」


 背後からカナとアカギの小さな囁きも受けながら、俺は前に立ちはだかる橋和管を強く睨み付けていた。


「麻生くん? 何のつもりだい?」


 いつもは優しい笑顔で話し掛けてくれる橋和管拓麿。高い男声は顕在だが、今夜に限ってはキリッとした表情で呟き、月明かりが加えられる分、余計に不気味に見えてしまった。


「頼む……ちょっとだけ、待ってくれ……」


 数えきれぬ神職たちの視線を受けて狼狽ろうばいしていた俺は何とか喉を鳴らすも、橋和管は一切頷きもしなかった。


「君の後ろにいるのは、悪霊ですよね? 幽霊が視える君なら、簡単にわかるはずだと思うのですが……?」


 間接的に退けと言っている橋和管はやはり一歩も退かず、見たことがない細い目で俺を退場させようとしている。

 相手の神職たちからすれば、きっと俺のことは精神崩壊者として見られているに違いない。悪霊という邪悪な存在を庇おうとしているのだから。人間の味方なんて、俺には一人もいないはずだ。




 ――それでも、孤独を味わってきた俺は絶対に退かない。




「なぁ橋和管さん。一つだけ質問がある……」

「後にしてくれませんかねぇ?」

「いや、今だからこそ聴きたいんだ……」


 いつしか敬語も無くなっていた俺の言葉に、橋和管は不機嫌染みた顔で首を傾げていた。

 温い深夜の気温のせいではない汗が垂れるなか、俺は一度固唾を飲み込んでから声を鳴らす。




「――なぁ橋和管。幽霊が神社に住まうことはできねぇのか?」




「……」

 すると橋和管は黙りこくってしまった。きっと予想もしていなかった質問を投げられたからであろう。

 確かに俺の言ったことはメチャクチャなはずだ。悪霊を成仏することが仕事の一つである神職として、幽霊との共存などもってのほかに違いない。きっと呆れ返って物も言えないのだろう。


「やなぎ!! お前、何を言ってるんだよ!?」


 横から小清水の罵声も浴びせられたが、彼だって同じ神職だ。俺に反対してきて当然である。


 それでも俺は決して、この話から退こうとも思わなかった。


「そんなこと、無理に決まってるだろ!?」

「でも、いたじゃねぇかよ!……一人だけ、共存しようとしていた人が、さ」

「……まさか、やなぎ……」


 俺の目を合わせた返しに、小清水は声を鎮め勢いを失う。だが共に、俺の伝えた内容を理解してくれた様子が、コイツの見開いた瞳から伝わった。

 一方で他の神職たちはざわつきながら不審がっていおり、前方の橋和管もおかしいあまり微笑していた。


「御坊っちゃまの言う通り、神職と幽霊との共存など無理ですよ。共存をしようと考えた方がいるとは、全く理解に苦しみますねぇ」


 どうやら俺の意味を理解してくれたのは、小清水だけのようだ。しかし、それもそのはずである。


「まぁ、アンタは会ってねぇもんな?」

「会っていない?」


 幽霊と人間の共存を試みた、たった一人の存在と。

 襲われても成仏しようとしなかった、勇敢極まりない一人の神職と。


「一体、誰のことを言っているのですか?」


 正体を聞こうとしているが、どこか挑発気味な橋和管拓麿。だがその英雄は、もちろん小清水は知っている。


 そして俺だって、実際に恩恵を受けた湯沢ゆざわ純子じゅんこやアカギから、この耳でしかと聞いているのだ。




「――小清水こしみず一苳いっとう! アンタがこの町に来るまで神職務めてた、素晴らしき人格者の一人だよ!」



「小清水、一苳……」

 胸を張って堂々答えた俺に対し、橋和管は再び言葉を止めたが、相手を目で殺すように睨み始めた。

 もはや日常の彼がどこに行ったのか疑わしいばかりだが、俺は周囲の神職も黙らせたことで、今度は声援として聞こえてきた鈴虫の声に背を押される。


「一苳のじいさんは、襲ってきた悪霊ですら成仏そうとしなかった。いや、この世界に悪霊なんていないと、わかっていたからだ!」


 幽霊となった魂は、四十四個の言霊を集めなければならない。入手方法は大きく三つあり、一つは人間を驚かすこと、二つ目は人間を殺害してしまうこと、そして最後は地道に拾い集めること。

 その内二つの方法が人間に害を与えてしまうのだ。それなのに人間は悪霊と呼んで妨げ、無慈悲な神職は幽霊たちの未来を平気で奪いやがる。

 そりゃあ幽霊だって自分の身を守ろうと、神職を襲ってくる。全く不思議ではない敵対関係だ。


 でも、一苳のじいさんだけは違った。


 決して魂を成仏しようとはせず、無事に天国へ逝けるよう言霊集めを続けさせたり、湯沢に関しては霊の相談役という存在意義まで与えてくれたのだ。


 なぜなら幽霊が、本質的な悪霊でないことをわかっていたから。



 彼らの悪行は、ルールに基づかれた仕方ない行いだと、人として知っていたからだ。




 ――そして人間も幽霊も、心という同じ概念を抱いた存在だと、身をもって認識していたからだ。




 やっぱり一苳のじいさんはスゴいと感じながら、俺は自信を持つと共に口を横に伸ばし、再び橋和管へと下す。


「俺は言い切るよ! コイツらは悪霊じゃねぇって!」


 実際にアカギからは、初対面のときに殺されそうになった。話を聞いた限りカナも、俺と出会ったときに金縛りを掛けて殺害しようとしたヤツである。


 でも、それは過去の二匹だ。


「……今は人間と同じ確かな想いを抱き、命に愛を持つようにもなった、心優しき幽霊だってな!!」


 だからこそ俺は、超能力だって使える二匹の幽霊に殺されなかったのだ。それはもちろん、カナとアカギが命の尊さを知ってくれたから。相手の気持ちまで思いやれるような、清き心を持つようになったからだ。


 これで決まりだな、橋和管拓麿。


 言葉を返されない俺は脳裏にチェックメイト! の言葉を浮かばせ待ち構えていた。幽霊と神職との共存が叶えば、カナとアカギは――神社からは出られないが――成仏されずに済んで存在が残る。そうすれば、アカギを慕うショウゴたちだって、カナの存在を大切にしていた湯沢だって安心するだろう。



 きっと一苳のじいさんだって、天国で喜んでくれているはずだ。





 どうやら、ハッピーエンドを迎えられそうだ。





「――クッフフ……」

 すると橋和管は突如笑みを漏らし、不気味な口元を手で覆っていた。


「な、何だよ……?」


 後がなくなったからといって、悪あがきはしてほしい。

 勝利を確信していた俺は、笑い続ける橋和管をじっと観察していたが、すぐに大きなため息を漏らされて頬の緩みを残した面を向けられる。




「――だって、君の後ろにいる二匹の内一匹は、その小清水ー苳を殺した張本人じゃないか?」




「――!?」

 橋和管が悪役のように顎を突き出した先には、俺の背後でうずくまるカナに向けられていた。まさかカナの過去を、寄りによって一苳のじいさんの話で被せてくるとは。


「そんな悪霊と共存しろと? しかもこの小清水神社で!? 皮肉にも程があるでしょ~麻生くん?」


 気づけば橋和管の高音はなくなっており、更に俺を追い込ませる音と化していた。

 まさかの形勢逆転かよ……。

 このままではマズいと察した俺は、急いで脳みそをフル稼働させ、優勢な橋和管への論破の道を探る。


「……そ、そんなのわからないだろ!?」

「はぁ?」


 ギロリと瞳を向けてきた橋和管に、俺は無理強いに絞り出した方法で貫こうとする。


「カナが……この幽霊が! 一苳のじいさんを殺した証拠なんてないはずだ!」


 俺の記憶が正しければ、橋和管は一苳のじいさんが亡くなった後に笹浦市を訪れてきたのだ。神主を失った小清水神社の、代理神主として。

 だとすれば橋和管は、カナが殺人犯だと決めつけるのはおかしい。恐らくは神職関係者らの噂を通じて知ったに違いないから、核心的な証拠など持っていないはずだ。


 嘘をつくなど、もはやヤケクソ状態であることは自負している。それでも俺は二匹の成仏を阻止するべく、橋和管に強い睨みで威嚇し続けた。


「証拠、ですか……」


 すると橋和管は別人のような重低音を鳴らすと、ゆっくりと人差し指を立てる。俺、若しくはカナとアカギに向けられるのかと思ったが、彼の指先は徐々に逸れていき、自身の右目を差したところで制止する。




「――証拠は、この目ですよ。君と同じ、幽霊の姿を視ることができる、ワタシの目」




「――は、はぁ?」

 迷いなく堂々と答えた橋和管に、俺は息を飲まされ瞳孔を開けてしまう。確かに橋和管は俺と同じく、霊が視える神職である。それは小清水からも聞いていたし、何よりも橋和管自身が公言したことだ。


 いや、だからといってそれが証拠に繋がるのか……?


 証拠不充分だと罵ろうとしたが、鼻で笑う橋和管の言葉は終わりではなかった。


「いや~麻生くん。君は大きな勘違いをしていますよ?」

「勘違い、だと……?」


 俺のどこが勘違いをしているのか自覚はなかったが、橋和管は気味悪い笑みを浮かべる。


「君は、小清水ー苳が亡くなった“後”に、ワタシがここに来たと言っていたね?」

「だってそうじゃねぇか、よ……え……? まさか……」


 その刹那、俺は改めて気づかされたが、邪悪な微笑みを浮かべた橋和管自身が、全てをおおやけに晒す。




「――ワタシは小清水ー苳が亡くなる際、すでにこの市にいたのですよ。だから視ることができました。殺人霊の姿を、しかも生でね」




「そ、そんな……」

 揺るがない真実を告げられた俺は意気消沈し、肩の張りが一気に無くなり落ちる。なぜなら橋和管の言った証拠が、霊感抱く瞳という、核心を貫いた決定的な要因だったからだ。


 もう、どうすることもできないのか。


 何も話せず御手上げ状態否めない俺は、次第に目線が下がり俯いてしまう。月に照らされた石畳には、小さな小石が二つほど転がっており、僅かな影を俺に延ばしていた。


 だが後ろにいる二匹には、姿形すら成仏されてしまうのか。



 鈴虫やコオロギたちの、夏の虫たちによる合唱が深夜に響く。小さくとも、誰にも見てもらえなくとも、ただひたすら明日を目指して鳴き続けていた。




 ――しかしカナとアカギにはもう、明日を存在きる資格さえ認めてもらえないのだろうか。




「……明日……未来……」


 俯く俺は足下の二つの石ころたちに呟き、歯軋りと共に両手を強く握る。


「……未来……まだ……まだだ……」


 ふと俺には、橋和管の首を傾げた影が近寄るのが見え、二つの儚き影を飲み込もうと迫っていた。


「……まだ……まだ、決まってない……!」


 だがその瞬間、俺は勢いよく顔を上げて、距離を縮めようとしていた橋和管の歩みを止める。




「――未来は、変えられる゛!!」




「未来?」

 真面目な表情に戻っていた橋和管は依然として恐く見えたが、息を吹き返した俺は眉間の深い皺たちを放つ。


「確かにコイツらの過ち、罪深き過去を変えることはできない゛!」


 まさかこの言葉を、しかも人前で話すときが来るとは思っていなかった。少年漫画にありがちな、この熱血染みた台詞を。


「でも、それが未来を決める訳じゃな゛い゛!」


 橋和管の冷徹な上から目線を浴びるなか、俺は屈せず全身に力を込める。



「決め゛る゛のは、覚悟を゛持った己の心! そして……」



 普段ならこんな恥ずかしい言葉など、口が裂けても言えやしないだろう。だが俺は狼狽うろたえすら見せず、すでにガラガラな声を鳴らす。




「――相手を゛思いやる゛、他者の穏便な想い゛だァ゛ァ゛!!」




 めいいっぱいの想いを載せた俺の声。声帯が炎症を起こしているのではないかと疑える雑音は、社内で山びこのように何度も繰り返され、徐々に夜の静けさへと変わる。

 一方で橋和管は冷たく黙ったまま固まり、ただ目の前の俺を睨み、光る眼鏡越しの瞳を合わせていた。

 どうか俺の声が、周りの神職たちの耳まで響いてほしい。そしてどうにか俺の想いが、橋和管の心にまで届いてほしい。

 ただそれだけを祈りながら、肩で息をする俺も橋和管と対峙する。


 霊感を持つ神職と、霊感を抱く一般ぴーぽー。俺たちの間では一言も会話がなくなり、止まぬ沈黙が長く続こうとしていた。




「――もう、いいよ……?」




「へ……?」

 それは常日頃聞いてきたはずの、弱々しい微かな声だった。少しだけの震えも伝わる、か弱いのに背中に突き刺さるような、儚き女声の

 荒れていた呼吸が驚きで止まった俺は、恐る恐る踵を返して背後を確認する。すると目の前では、再び驚かせる光景が広がっていた。




「――カナ、アカギ……泣い゛でるのか……?」




 幼い少女の姉を抱いた、大きく成長した妹。

 姉妹関係を破った姿の二匹だが、今の彼女たちには共通したものがあった。それは、月光を取り入れた瞳から涙を垂らしていたこと。そして、俺に優しい微笑みを視せていたことだ。


「ありがとな、やなぎ……」

「ア゛カギ……」


 涙を拭う力も残っていないのか、アカギは俺を見つめたまま、頬を緩ましながら小さく呟いた。

 アカギが俺の前で泣き顔を視せたの初めてだ。いつも恐怖を掻き立たせる一つの片目が、こんなにも潤っているとは。

 しかし、俺はわからなかったのだ。アカギを含めた、この姉妹二人が流す涙の意味が。


「お゛前ら、どうして……?」

「嬉しかったから……」

「カナ……」


 敬語を消したカナの涙声に、俺はすぐに反応し振り向く。アカギから手を放さないまま涙を拭わず、口許を微動させた顔を視せられた。


「……やなぎ……さんが、わたくしたちを大切に思っていること……優しい思いやりが、とても伝わったからですよ」

「だから……だから、ありがとな」


 カナの涙ながらの囁きに、同じく顔がクシャクシャなアカギが便乗し、俺に恩を伝え困らせた。


「何でだよ……? 別れの言葉みたいなこと、言うんじゃねぇよ゛!? お゛前らだって、こんな未来望んでいないだろ゛!?」


 ガラガラな俺も必死に訴える。安全な成仏を目標に据え、日々天国を夢見てきた二匹の幽霊を。

 だが、ふと互いの目を合わせた姉妹は共に首を横に振り、俺の叫びを否定していた。


わたくしたちにはもう、未来なんて無いから……」

「はぁ? 何で……」

「……決めたからだよ、アタシたちは運命をさ……」


 再び鳴らされたカナのタメ口も気にしなかった俺の言葉尻は、自嘲気味に笑ったアカギに被される。

 お前たち本人が諦めてどうすると、ポリープも発生しかねない喉を震わそうとしたが、アカギは夜空を眺めため息を漏らす。



「……運命を決めた時点で、未来は消えちまうんだよ……愛してくる人や、大切に考えてくれる他人から、どんなに思いやられても、さ……」



 運命を決めた――つまりアカギは、自分ら二匹が成仏されることを決めたと言っているのだろう。

 消されることを覚悟し、この世で存在きる未来を捨てた。だが、本当にそれで良いのか……?


 星の輝きを秘めた涙が落ちる頃、アカギは今度首を曲げて、鳥居の門下で泣き待つショウゴたち浮遊霊集団を覗く。


「アカギお姉ちゃん!!」


 ショウゴの叫びが真っ先に鳴らされると、加えて他の者たちも声を挙げていた。しばらく黙ってはいたが、アカギを呼び止めたい気持ちは、俺なんかよりも遥かに上に違いない。アイツらにとって誘因霊――牧野朱義とは、無力な浮遊霊を哀れみ助けてきた、英雄的存在なのだから。

 数えきれぬ幽霊たちから声援を受けるアカギ。すると彼女の涙は石畳へと落ち、僅かな雨をもたらす。


「やなぎ……アタシの最後の願い、聞いてくれよ」

「はぁ……?」


 最後という言葉には妙に胸を締め付けてられが、俺は首も傾げず理解不能の信号を送った。しかしアカギは涙の瞳を俺に向けて、相手を労るような優しい表情で微笑する。




「――アイツらが集めた言霊、ショウゴに使ってやってくれ……」




「――!? お前、サプライズのこと知ってたのか……?」

 俺はただではえ細い目を見開いた。アカギに感謝を込めたサプライズとして、今日までショウゴたちが集めた言霊。それをアカギ本人が知っていたからだ。

 すると頷いたアカギは再びショウゴたちに目を向け、小さな儚き声を、俺だけに聞こえるよう話す。


「何年アイツらの姉、やってきたと思ってんだよ……? フッ、何がサプライズだよ? 行動とか表情でバレバレだっつうの……だからさ、やなぎ……?」


 名を放ったアカギは俺を振り向かせ、未だに止まらぬ雫たちと語る。




「――アタシの心を助けてくれたショウゴを、先に天国へ逝かせてあげてくれ。それがアタシの、一生に一度の願いだ……まぁ、幽霊なんだけどさ……」




 笑えねぇよ、このバカ姉貴……。


 最後と言ったアカギの言葉すら、俺は内心否定してしまった。確かにショウゴの存在、言うなれば少年の想いが、殺人霊だった彼女を変えてくれた。

 しかしそんな恩人に対しても、アカギは目の前で消えるつもりだというのか。相手の想いに背くなど、それでは本当の悪霊ではないか。




「――やなぎ……さん……?」



 アカギに説教を食らわそうとした矢先、今度はカナが言葉を紡ぐ。アカギ以上に涙を溢す彼女は笑顔でいたが、反って俺は哀れむ瞳で受けてしまう。


わたくしも、貴方あなたにはとても感謝をしています。この場を借りて、御礼申し上げます……この場だけに……」


 笑ってみせたアホ霊だが、もはや俺は突っ込む気持ちも失せていた。しかしカナは微笑みを絶やさぬまま、俺に煌めく瞳を向け続ける。


貴方あなたと出会えたおかげで、ポッカリと空いたわたくしの心は、たくさんの想いに触れ、たくさんの愛をもらったことで、溝を埋めることができました。幽霊としてではなく、もう一度人間として生きたいと思ったほど、希望だって抱くことができたのですよ……」


 だったら成仏から欺き、言霊を集めるまで待ってもらおうと考えたが、カナの涙目は下がり、抱いたアカギに向かう。



「しかし所詮、わたくしたちは悪霊……実態を持たず、人々を恐怖におとしめなければいけない、しき幽霊なのです……」


 己の存在を否定するカナの言葉に、俺は叫び止めたかった。


「だから……」


 やめろ!! と何度も胸中で叫んだ。しかしこの世界には吐き出されず伝わらなかったのだ。心の叫びは、誰にも聞こえないのだから。



「だからね、最後はせめて……」




 やめろ、カナ……。


 喉を鳴らせない俺は眉をハの字にして歯軋り音を放っていると、ついにカナが涙と共に漏らしてしまう。




「――大切な貴方あなただけは、わたくしたちのせいで苦しんでほしくないの……」




「……カ、ナ……」


 その刹那、俺の呼吸は止まりかけ、放心状態のまま立ちすくんでしまう。まるでサヨナラを表したカナの言葉は、小さくも胸を貫かれるほどの衝撃力を秘めていたから。


 それが、カナから俺への、最後の願いだったからだ……。


「ありがとうございました……麻生、やなぎさん……」


 そんなこと、話の流れ的にすぐわかる。カナはアカギからバトンをもらい受けたのだから。互いの願いを言って、何も不思議ではない場面だ。


「……」


 だが俺は一言も発することができず、僅かな夜風にも揺れそうな浮き足立ちだった。口を開けたままでいるのも、単純にショックを受けたから。


「さようなら……」




 ――カナの最後の願いは、俺から遠ざかることだと知ったからだ。




「……」

「御坊っちゃま! 彼を退かしてください! 社内成仏を続けますから」

「は、はい! かしこまりました!!」


 橋和管の注意声に小清水が返事をしていたが、今の俺は音を言語することができず呆然としていた。


「やなぎ! こっちだ!」


 再び俺の腕を掴んで引きずる小清水。それでも俺は、ゆっくり離れていくカナの泣き顔から目を逸らせなかった。俯いたまま目を閉じ、何滴もの涙を落とす幽霊のことを、ただひたすらに想いながら。


 ――「「「「南無仏なむぶつ 南無法なむほう 南無僧なむそう……」」」」――


 なぁ、カナ……覚えてる、か? 俺たちが初めて出会ったとき、お前が言ったことを。


『……それでも、思い出したいです!! せめて、思い出してから消えたいです……』


 あのときも泣いてたけどさ、正直俺はマジでお前が鬱陶しくて、今すぐにでも消えてもらいたかった。 俺の平和な独り身生活が終わりを告げらたような気がしてさ……。


 ――「「「「南無救なむきゅう 苦救ぐきゅう 難観世音なんかんぜおん 菩薩ぼさつ……」」」」――


 でもよ、カナ……そのあとに俺が言ったこと、お前は覚えてるか?


『俺ができることはわからねぇけど、せめてお前が記憶をとり戻せるまで、手伝うよ……』


 なんであんなことをお前に言ってしまったのか、今の俺にはわからない。全く怖くなかったお前の演技を視て、別に気が動転していたわけでもないのにさ。

 ただ何となく、お前のことが放っておけなかったとしか言えなくて、明確な答えは想像できないんだ。


 ――「「「「怛只他奄とーじーとーおん 伽羅伐多からはた 伽羅伐多からはた……」」」」――


 なぁカナ、篠塚しのづかの梨農園に行った日の夜、お前が隣で眠ったときに俺が言ったこと、覚えてるかな……?


『……ったく、早く集めろよ……それまでは、見届けてやるよ。フクメのことも、お前のこともな……』


 俺、言ったよな? お前のことも、フクメのことだって、天国に逝けるまで見届けてやるってさ。

 それなのにお前は今、自らの意思で諦めるって言うのかよ……?

 だったら、応援していた俺の気持ちはどうなるんだ? フクメのことだって見届けてやれなかった、無力な俺の想いはまた無駄になるのか……?


 ――「「「「伽訶伐多かこはた 羅伽伐多らかはた 羅伽伐多らかはた 娑婆訶そわか……」」」」――


 なぁカナ。アカギが悪魔になっちまったついさっきだって、俺はお前に言ったよな?


『良いじゃねえか。カナは、カナのままで……バカで、アホで、涙脆くて……感性豊かな、一匹の幽霊でさ』


 お前には伝わらなかったのか? あれはお前が、有りのままのお前であってほしい意味だということを。独り身だった俺が、カナの存在を受け入れてやろうとした、初めての想いだってことを。



 ――「「「「天羅神てんらじん 地羅神ちらじん 人離難じんりなん 難離身なんりしん…… 」」」」――


「なんで、だよ……?」

「やなぎ……?」


 何周もした詠唱が夜の神社を包むなか、俺の漏れ台詞に小清水が不審気に首を曲げる。だって、わからなくて仕方なかったからだ。


 どうしてカナが、俺の想いに応えてくれないのか。


 なぜカナは、自らの魂を絶とうとしているのか。



 そしてカナがどうして、俺を突き放すような真似をしているのか。



 ――「「「「一切いっさい災殃さいおう化為塵かいじん 南無魔訶なむまか 般若はんにゃ波羅蜜はらみつ……」」」」――


「――なんでだよ゛お゛ぉぉ~~~~!?」


 依然として声が荒れている俺は叫び、呪文を唱えられているカナとアカギへ近寄ろうとする。だがすぐに背後の小清水から手を掴まれ、終いには両腕を握られてしまう。


「なんでだよ゛~~!!」

「やなぎ!やめろ!! 行くな!!」

「な゛んでだよッ!!」


 その瞬間、俺は腕を振り乱して、小清水からなんとか解放された。しかし直接カナたちの元には向かわず、まずは踵を返して幼馴染みの男に怒り顔を放つ。


「なんでだよ゛!! 小清水!!」

「やなぎ、落ち着けよ!?」

「お゛前はこれでい゛い゛のかよ゛!?」


 荒れ狂う俺はそのまま小清水の胸ぐらを掴み、強い睨みと握力で持ち上げる。


「一苳のじいさんは悪霊を成仏しな゛かったんだぞ!? 襲われても゛、殺されそうにな゛ってもしなかったんだぞ!?」

「やなぎ……」


 顔をしかめる小清水は何か言いたげな様子だったが、感情的な俺は何度も揺さぶり脅す。


「それな゛のに゛! テメェは俺を止め゛て、悪霊を簡単に消させるの゛かよ゛!?」

「……」


 目の前で罵声を浴びる小清水は何も言わず、ひたすらに悔しさを表情に出していた。だが彼の想いも考える余裕がない俺は更に握力を強め、唾が飛ぶことを恐れず口を開ける。



「突然来た橋和管な゛んかの意見に寄りやがって!! それでもテメェは一苳のじいさんの孫なの……」

「……わかってるよっ!!」



 しかし俺の言葉尻は小清水の目覚めた叫びで被され、息を飲まされると共に俯く姿を見せられる。


「……わかってるよ、そんなこと……俺だって、お祖父様の想いを大切にしたい……でも……」


 小清水が下を向いているせいで、どんな表情をしているのかまでは見えなかった。しかしコイツの握り拳が震えていることから、あらがい切れない己の弱さを悔いていることがわかる。




「――今の小清水神社のトップは、橋和管さんだ。上級クラスの神職に、下級クラスな小清水家の意見など、通る訳がない……」




「小清水……お前……」


 本当なら、一苳のじいさんのような神職でありたいと言ってるのか……?


 言葉を失った俺は、改めて小清水千萩という見習い神職を観察していた。家族とはいえ、一苳のじいさんと師弟関係を築いてきたコイツはきっと、憧れる師匠の真似をしたいはずなのが伝わってくる。

 しかしそれを敵わせないのが、コイツらの縦社会なのだろう。

 階級が上であれば、下級の者による意見に耳も傾けてくれないのだろう。その一人の小清水が、このときばかりはかわいそうに思えてしまった。




「――ウゥッ!」

「――グフッ!」




「――はっ! ア゛カギ! カナア゛ァァ~~!!」

 アカギとカナの悲鳴に気づいた俺は、結界に包まれた二匹のもとに駆けようとした。きっと今にも成仏されそうなんだ。

 しかし三度みたび動きを止める小清水のせいで、必死の進行が停止させられる。


「カナァ!! カナア゛ァァ!!」

「やめてくれ……頼むからやめてくれよ! やなぎ!!」


 俺は全力の声を何度も放つが、多くの神職による一斉の詠唱のせいで響かない。離れた鳥居の方から鳴る、ショウゴたちの叫びだって尚更だ。

 詠唱が進むにつれて、カナたちの足下から筒状の結界が誕生し、白く包まれた異空間が天に延びる。


「やめろ! や゛めろや゛めろ!!」

「なんでだよ!? やなぎ!!」


 暴れ動く俺を背後から羽交い締めしてる小清水が、今度は先程の俺の如く訴えていた。


「離せよ! 小清水!!」

「お前、水嶋みずしま篠塚しのずかが襲われた日だってそうだった!」

「何がだよ!?」


 暴走したナデシコを強制成仏した過去を持ち出された俺は振り向きもしなかったが、一方で冷静さを保っている様子の小清水は、俺の後頭部に隠れた脳に向けて放つ。




「――なんでそこまでして、悪霊を守ろうとするんだよ?」




「――!?」

 声をぶつけられた俺はその瞬間、暴れることを止めて血相を変える。全く動かなくなったことは小清水のことも驚かせ、彼の羽交い締めが緩くなるのを覚えた。


「やなぎ……? どうし……」

「……俺の、番なんだ……」

「はぁ?」


 弱い声で呟いた俺は、気づいてしまったんだ。

 このとき、やっと……。



『ねぇ、お兄ちゃん?』

 初めは、俺と同じクラスメイトである女子高校生、水嶋みずしま麗那れいなだった。

 夢を叶えてくれた兄――水嶋みずしま啓介けいすけへの、感謝の想い。


『お祖父さま、聞こえますか?』

 その次は、今ここにいる腐れ縁の幼馴染み、小清水千萩だった。

 祖父でありながら師匠でもある神職――小清水一苳への、憧れる想い。


『大好きだよ、すい

 そして次は、俺に告白までしてきた同い年の少女、篠塚しのづかみどりだった。

 幼いままにして亡くなってしまった幼女――篠塚しのづかすいへの、愛する想い。



 皆それぞれの想いを抱きながら、この世界を人間として生活している。感謝を考えながら、ときに憧れながら、そして愛を持ちながら、苦しい人生を全うしようと呼吸しているのだ。


 だが、対象とされた存在が消えてしまったとき、抱いた想いはどうなるのだろうか?


 人間とは脳に知識を詰め込みながら生きる、地球上において珍しい知的生命体だ。覚えることがあれば、ときに忘れることもある。忘却という名の魔法を備えていることは、誰だってわかってくれるだろう。

 だが大切な想いは忘れないと、胸を張って貫くヤツらもいるに違いない。忘却という言葉を用いた俺の意見は、非人情だとさげすまれても不思議ではない。


 ただ、対象がいなくなるってことは、人間はその想いを記憶として脳に仕舞いこむんだろ?


 できるのであれば、永久に記憶していけばいい。ただ、もうそれは想いではなくなっているだろう。だって、想いとは手紙ともよく似ていて、相手に届ける心であるから。そして想いとは、脳に記憶するべき知識ではないのだから。



 その結果、対象不在となった想いとはどうなるか……何度も見てきた俺は、こう考えてしまう。
































 ――届かなかった想いは、届けられない思い出に変わる。




 そしてその順番が俺に回ってきたのだと、やっと気づいたのだ。






























  ┓

 い゛

 や゛

 め゛

 ろ゛

 お゛

 お゛

 お゛

 お゛

 お゛

 お゛

 ぉ゛

 ぉ゛

 ぉ゛

 ぉ゛

 ぉ゛

 ぉ゛

 ぉ゛

 ぉ゛

 ぉ゛

 ぉ゛

 ぉ゛

 ぉ゛

 お゛

 お゛

 お゛

 お゛――ポロッ……。

 ┃

 ┃

 ┃

 ┃

 ┃

 ┃

 ┃

 ┃

  !!


 鳥肌を覚えて叫んだ俺は、間違いなく恐怖していた。カナという存在が、この世でもあの世でも無くなってしまうことを。


 ――「「「「南無仏なむぶつ 南無法なむほう 南無僧なむそう 南無救なむきゅう苦救ぐきゅう 難観世音菩薩なんかんぜおんぼさつ……」」」」――

「や゛めろ!! や゛めろや゛め゛ろや゛め゛ろ゛~~!!」


 怖いんだよ……想いが思い出になることが。もうカナいう存在事態が、俺の記憶にしか残らないことがさ……。


 ――「「「「怛只他奄とーじーとーおん 伽羅伐多からはた 伽羅伐多からはた 伽訶伐多かこはた 羅伽伐多らかはた 羅伽伐多らかはた 娑婆訶そわか…… 」」」」――

「や゛め゛ろ゛や゛め゛ろ゛や゛め゛ろ゛や゛め゛ろ゛や゛め゛ろ゛や゛め゛ろ゛や゛め゛ろ゛や゛め゛ろ゛や゛め゛ろ゛や゛め゛ろ゛や゛め゛ろ゛や゛め゛ろ゛~~~~!!」


 精神錯乱状態でひたすらに叫び放つ俺。

 しかし詠唱止めない橋和管拓麿と神職たち。

 そして嫌々ながらも俺を羽交い締めする小清水。


 天羅神てんらじん 地羅神ちらじん 人離難じんりなん 難離身なんりしん一切いっさい災殃さいおう化為塵かいじん……」」」」――

「カナァ゛!! カナア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」


 ここから俺の手がカナに届かないなんて、考えなくてもわかってる。今俺とカナの間には、数メートルもの距離があるのだから。それでも俺は左腕を伸ばし、カナとアカギに向けてたなごころを開いた。


 ――「「「「南無魔訶なむまか 般若はんにゃ 波羅蜜はらみつ……」」」」――

「カナア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!! ――!?」


 ふと息を飲んだ俺は、白い結界の中にいるカナとアカギの涙目が向けられていることに気づく。泣いてはいるのだが、安らかな微笑みが残った表情が際立って視えた。


「……お前、良かったな。やなぎと……あんな良いヤツと出会えたさ……」


 アカギは聞き取りづらい小さな声で、カナに向けて頬を緩ましていた。


「はい。やなぎさんはわたくしにとって、かけがえのない御方です」



 俺を見ながらも頷いて言葉を交わしたカナは、幸せそうにニッコリと笑っていた。



「カナ……」

「ありがとうございました、やなぎさん。……ううん……」




 なぜか首を左右に振ったカナは、もう一度笑顔を放ちながら、俺と目を合わせ大粒の涙を溢す。




「ありがとう、……」



 ――ピシッ!!



「――!?」

 カナが言葉を続けようとした刹那、姉妹を包んだ結界にはヒビが発生した。だが、もう遅かった……。




「――悪霊退散!!」

「……ん」




 ――バリイイィィィィーーーーーーーーン!!




 橋和管の言葉が決まった刹那、カナたちを包んでいた白の結界は花びらのように散り、俺の目の前をゆっくり通っていく。


「カナ……カナ……」


 力が抜けた俺は地面に崩れ落ち、小清水からも解放されていた。無意識に結界の破片を取り集めようと、何度も何度も握って手のひらを覗いたが、やはり何も残らない。




 ――そして、カナとアカギがいた場所にも、何も残っていなかった。


 



「アカギ、お姉ちゃん……ア゛カギお姉ちゃ~~~~ん!!」

 ショウゴの叫びも止まず、アカギを尊敬する浮遊たちの涙声も収まらない。

 霊感を抱く俺には聞こえているのに、一目も触れず去っていく神職たちが、よりショウゴたちの悲惨さを際立たせているようにも感じた。


「なんで、だよ……? なんでまた、こうなるんだよ……?」

「麻生やなぎくん?」


 四つん這いのまましかめた顔を地面に向けた俺に、橋和管らしき高い男声が届いた。近くで囁くように、辺りには聞こえないくらいの小さな音だ。


「神職と幽霊の共存はね……」


 上から話し込む橋和管の顔など見る気も起きなかった俺だが、彼の言葉だけが胸を貫く。




「――天使と悪魔が、手を繋ぐようなものだよ」




「――!?」

 最後まで脳裏に共存の否定を唱えた橋和管は去っていくが、うずくまる俺はただ絶望していた。両親に殴られた苛立ちで家の机を殴ったときみたいに、石畳を叩いて悔しさを晴らすべきなのだが、今はそれもできないほどの喪失感に襲われ、口すらまともに動かせなかった。


「やなぎ……」


 背後から小清水の、同情を示した囁きを受けた。だが振り向かず、そして涙までは落とさず、ただ石畳とにらめっこしていた。



 ――ピカッ……。



「は……?」

 ふと月光の反射で煌めいた物体が、俺の虚ろな瞳に映り込む。それは無色透明で、凝視しなければ見当たらないほどの大きさと存在感の球体が、石畳上で儚くも光っていた。


「これ……俺の、なのか……」


 意気消沈の俺は、ビーズに似通った球体を摘まんで取り、顔の前に置いて観察する。


「俺の……言霊……」


 言霊――それは、人間が心から驚いた際に、悲鳴と共に吐き出される、活力のもととなる球体。


 そんな無色透明な言霊を見つめる俺はしばらく動けず、儚く散った結界の破片が無くなるまで立ち上がらず、傷めた喉を休ませていた。


 いや、立ち上がれなかったんだ。だって、もうカナは、何処にもいねぇんだからさ……。


 神職の人間もいつの間にか姿を消し、真夜中の静けさに包まれた小清水神社。そこでは確かに、たくさんの浮遊霊たちの泣き叫ぶ声が鳴らされ続けていた。近所迷惑を全く考慮しない、無責任な大声で。だが、周囲に住まう人間たちは誰も気にしないようで、ただずっと彼らたちの声が夜空を舞うこととなった。




 ――カナとアカギの魂を包んだ、結界の破片と共に。




 八月御盆間近、午前二時五十七分。

 アカギ――生存当時の名は牧野まきの朱義あかぎ――、及びカナ――生存当時の名は牧野まきの紅華こうか

 両者共に小清水神社にて、遺品すら遺さず消失。

 皆様、こんにちは。

 ここ三週間休みのない田村です。

 ダブルワークは、アカンすよ……。


 さて、今回は非情に長く、且つもはや小説ではない作品となってしまい、たいへん申し訳ございませんでした。

 今まで恐怖で驚かなかったやなぎの悲鳴を、どうにかインパクトある形にしたかったので、つい……。


 そしてついに、カナとアカギが離脱しましたね……。書いている者として、とても残念です。


 それでも泣かないのが心無き男、麻生やなぎ。彼の精神力は、私も羨ましいくらいです。


 そして次回は、カナとアカギが消えた、平和な世界の始まり。

 もはやコメディーでもなければ小説でもない作品ですが、残り僅かな内容をよろしくお願いいたします。



 残り、三話です***



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