四十七個目*勇気が生まれた場所
カナのことを説得できたやなぎ。
しかし今度は、言霊の力で豹変したアカギ姿に絶句していた。
ナデシコとは比にならないほどの悪魔と化したアカギは、その凶暴ぶりをカナにぶつけてしまう。
目の当たりにした人間の俺は恐怖に駈られてしまって動けずにいたが、するとそこには小さな勇気を抱いた少年が現れる。
悪魔と言われて、お前たちはどんな姿を想像する?
やはり角が生えて、裂けた口から鋭い牙を出し、本当に飛べるかすら疑うようなギザギザの両翼を伸ばした生命体だろうか?
肌は黒に近い紺色で、物を引き裂くような鋭い爪を持ち、人型でありながら踵を持たぬ、鋭い瞳を抱いた生き物だろうか?
まぁ、一般的にはそのはずだろう。神話に登場するデビルやサタン、加えて小説に出てくる悪魔なんて、真面目なヤツらだったらそんな姿をしてるに違いない。むしろ怖いどころか、反って可愛らしさを備えているようにも、恐怖心のない俺は感じてしまうがな。
だが一方で今の俺、麻生やなぎの目に映る悪魔は至って人間そのものの姿だった。
角など生えておらず、中学生程度の幼い口からは白い歯が垣間見えるほどで、翼など無論備えていない。もっと言えば、患者服から出た肌は透き通るほど白に近い肌色で、当たり前に踵を地に着けている。
確かにここまでは人間の姿であり、何も恐怖の要素など含まれていないだろう。
だが、俺とカナは間違いなく、アカギの豹変してしまった姿に怖じ気づいていた。
二つの穴のように黒い両眼と、背から放たれる禍々(まがまが)しい黒のオーラが聳え、恐怖をより煽らせる少女の無表情。
「ゴロ゛ズ……ズベデ、ゴロ゛ズウ゛……」
アカギの声とまた別の低い声が重ね合わされたような音には、もはや聞くだけで鳥肌が立ってしまうほどの不気味さを解き放っていた。
「どうなってんだよ……アカギは、どうなっちまったんだよ……?」
身の震えが抑えきれないなか、俺がアカギを睨みながら何とか喉を鳴らすと、隣で身構えるカナは神妙に頷く。
「暴走……それも、ただの暴走ではない、恐ろしい事態です」
「暴走……また、なのか……?」
暴走と聞いてまず浮かんだのは、あの夜のナデシコの姿だった。赤い瞳に変えて、殺害に快楽を求めるほど楽しげだったあの幼女を、俺は決して忘れてはいない。
――でも今夜のアカギは、あの夜のナデシコとはまったくの別物だった。
カナもそう言っているように、アカギの表情は依然としてボーッとしたまま上の空を向いており、赤いはずの目が真っ黒なのだ。首を少しだけ傾けているのと、恐らくは“殺す”と連呼してる辺り、完全に自我を失っているのがわかる。
「アカギは、今どういう状態なんだよ?」
俺がアカギを視たまま呟くと、カナは一度固唾を飲み込む。
「はい。アカギさんには今、言霊による殺戮衝動の上限を迎えてます」
「上限って……どのくらいヤバいんだ?」
アカギのヤバさは、視ているだけで充分伝わる。彼女の殺戮衝動は目に映るほど伝わるもので、この世にあってはいけない存在感を掻き立たせているのだ。
が、具体的にどれ程なのかまではわからない。
夏には不相応な冷や汗が俺を湿らせている最中、カナは再び声を漏らす。
「はい。具体的に申し上げると、殺害行為そのものが、今のアカギさんにとっては第一次的欲求と言えるでしょう……」
「それってつまり……俺ら人間で言う生理的欲求ってことか?」
人間の欲求階層を知っている俺が聞き返すと、カナは静かに返事をする。
「はい。やなぎさんだって、呼吸をしなければ苦しいですよね?」
「あぁ。だって、人間だもの」
「ですよね。正に、今のアカギさんにとっての呼吸……それが殺害行動に当たります」
「じゃあ……アカギには……」
俺は視点を“アカギだった悪魔”に戻し、言葉を続けてしまう。
「――本能に、殺害しかない状態ってわけかよ……」
自我を失い、表情まで作れていない悪魔――アカギ。視線を俺たちに向けていないだけ安心感はあるが、何度も“ゴロ゛ズ”と呟いてるだけに恐かった。
一体どうして、アカギがこんな姿になってしまったのだろうか。
「……じ、じゃあなんで! ナデシコは赤い目のままでいられたんだよ!?」
カナへと振り向いて怒鳴ってしまったが、俺にはどうもナデシコのことで疑問があった。
あの日の夜、暴走したナデシコ。
カナによる見解としては、まだまだ幼いが故に殺戮衝動を抑えきれられなかったからだと言っていた。幼児期にアルコールや、催眠効果をもたらす異物を与えるのと同じように。
そして、一生もとに戻らないともすら判断した結果、フクメが犠牲となり、小清水千萩による強制成仏で消えてしまったのだ。
しかし、ナデシコが今のアカギのように、真っ黒な両眼に変えたところなど見覚えがない。
だとすれば、今のアカギという存在は、暴走したナデシコ以上の悪霊的存在だと言えるのだろうか。
俺が顔をしかめていると、カナは悩ましそうに喉を鳴らす。
「はい……理由は、たった一つだと思います……」
「なんだよ? その理由って……?」
聞いた刹那、カナは俺に目を合わせて頷く。
「我慢させてしまったからです……」
「が、我慢……?」
正直、理由としてはわかりにくい答えだった。
アカギが我慢をしたから、言霊による殺戮衝動の上限を引き起こしてしまった。
やっぱ、わかんねぇ……。
呆気に取られそうになったが、今はコメディーさを放つ場面ではない。とりあえず、咳払いでもしておこう。
「……なんで、我慢をさせると、あんな風になっちまうんだ……?」
まだ俺たちに向いていないアカギへ視線を戻すと、カナは深刻な唾を飲み込む。
「言霊を体内に取り入れて、得られるものは様々とあります」
「超能力とか、質量とか、それから殺戮衝動だったよな?」
地縛霊の湯沢純子から聞かされた言霊についての情報は、カナの頷きによりどうやら全てが正しいことがわかる。まるで霊が人間に近い――いや、超越とも言うべきだろうか――存在へ促す言霊の恐ろしさは、当時の俺も予想はしていなかった。
するとカナは拳を固く握り締め、格闘家のように半歩退いて身構える。
「憎しみとよく似ていて、散発しなければ次第に膨れ上がってしまう気持ち……それが、殺戮衝動。それを我慢させてしまったが故に、今のアカギさんの頭や心には、全てが殺害一色なんです」
「じ、じゃあアカギは……」
俺は、呟き続けるアカギを観察しながら答えようとしたが、カナが代わりに結論を出してしまう。
「――もちろん、元には戻りません。成仏か魂殺以外に、彼女を止める方法などあるはずがないのです」
「そんな……」
さっきまで何不自由なく話せていた、女子中学生程度の幽霊。
無力な浮遊霊たちのために過ごしてきた彼女の日々からは、いかに情溢れる優しき存在なのかは、人助けなど進んで行わない俺だってわかる。自身の誘因霊としての能力を駆使し、成仏に必要な言霊を集め続けてきた。しかし、決して己の所有物とはせず、能力など皆無な貧しい浮遊霊たちに分け与えてきたのだ。
力のある自身の成仏よりも、力のない他の霊たちの成仏を優先するため。
その行いは英雄とも称すべき寛大且つ威厳さに溢れたもので、人間である俺でも憧れてしまうような、素晴らしい人格者を備えた幽霊と言えるだろう。
――しかしそんなアカギは、もういないのと同じだ。
「ゴロ゛、ズ……ゴロズ……」
英雄だと思っていたヤツが力に溺れ、終盤に敵の立場になることは、アニメやドラマでよく見受けることがある。それを知ってる俺でも、いざ目の前にすると、大きなショックが否めなかった。
「アカギ……お前……」
八月の月に照らされた、少女の悪魔。
もうアカギとはまともに話すこともできないのだと、失望していた矢先だった。
「――!?」
その刹那、俺には瞳孔を開くほど悪寒が走る。なぜならいよいよ、悪魔がこちらに振り向いたからである。
「ニ゛ン゛、ゲン゛……」
身体ごと向けたアカギはそう呟き、半歩後ろに退く。
視線を向けられただけで身の毛が弥立つ思いだったが、すると次の瞬間、彼女の姿は音もなく消える。
――バチィィーーーーンッ!!
「――!?」
「クッ……」
瞬きをしたつもりはない。むしろドライアイが懸念されるほど、瞳を開けていたはずだ。
にも関わらず、俺の正面に飛び込んで拳を飛ばしてきたアカギと、そして細い両腕で受け身したカナたちが、瞬間移動の如く現れたように視えてしまった。
「か、カナ!?」
カナの表情がとても苦いものになっていることは、鳴らされた大きな接触音、そして彼女の漏らした苦しい吐息から窺える。
「カナ、だいじ……」
「……げて……」
「え……?」
アカギの力に圧倒されがちだったが、弱々しいながらも俺の言葉尻を被せたカナは、厳しい半顔を放つ。
「いいから逃げてッ!! ホントに死んじゃうからぁ!!」
カナの必死な一言と表情が放たれたが、次の瞬間には、アカギの空いていたもう一つの拳がカナを襲う。
――バゴォォーーンッ!!
「ウゥッ!!」
「カナッ!!」
腹部辺りに受けたカナは両手で押さえながら、高々と上空に飛ばされしまう。今までの一連の中で、最も痛そうな様子がよく伝わってくる。
俺は再び地上から見上げる立場となっていたが、すぐに正面に顔を向けて歯を食い縛る。
「――!?」
しかし言葉をぶつけるつもりが、一言も喉を鳴らすことができず力が抜けてしまった。すぐ目の前で夜空を見上げるアカギからは、黒い瞳と邪悪なオーラが依然として顕在であり、恐怖感に圧倒されたからである。
「ゴロ゛ズ……レ゛イ゛モ゛、ゴロ゛ズ」
するとアカギは不気味な一言を残し、音もない突風を放って上空へと飛び立つ。
まさかカナのことを、という嫌な予想は当たってしまい、再びアカギは苦しむカナに剛打を打ち込み、花火にも似た音劇を繰り広げていた。
やめろ……アカギ。
声もろくに出せず、ただ上空を見上げる俺。
常に受け身の姿勢であるカナを視る限り、アカギの一方的な戦況に違いはない。
やめてくれ、アカギ!
自我どころか、人格まで失ってしまったアカギの姿は、視るに堪えないほど恐ろしく禍々しい。そこらの犯罪者や、テレビで紹介されるUMAや悪霊などとは比べ物にならないほどの、神話に語り継がれそうな邪神だ。
やめてくれよ! アカギィ!!
しかしお前のそんな凶悪な姿は、この世界の誰もが望んでなんかいない。つい昨夜に、お前だって思い知らされたはずだ。
――お前が助けてきた、多くの浮遊霊たちから知った想いを。
自我が戻る戻らないは別として、まずはお前は……
「――やめてくれッ!! アカ……」
――ドゴォォーーーーンッ!!
「はっ!!」
やっと鳴らすことができた俺の声だったが、激しい剛打の轟音が響かされたことによって、無情にも途中で止められてしまう。
そして……
――バダンッ!!
「か、カナァ!!」
上空から降ってきたのは、破けた制服を纏うカナだった。俺から少し離れた、固いアスファルトに叩きつけられるように不時着し、うつ伏せのままビクともせず倒れている。
まさか、カナ……。
嫌な予感は何度も脳裏を巡り、俺を苛ます。カナが全く動かず、乱れた長髪と共に横たわっているのだから。
「カナ……おいカナァ!!」
男として脚を動かし、カナのもとへ向かう場面なのはわかってる。安否を確認しなければいけない、非常事態だってことも。
しかし俺は震えるだけで、一歩も進めなかった。呼吸もままならない、金縛り以上の効果を受けている感じでもある。
なぜならすでに、悪魔のアカギがカナのもとに着いていたからである。
「ゴロ゛ズ……」
するとアカギは、手のひらから青光りする槍を出現させ、鋭く尖った矛先をカナに向ける。
「やめてくれ……アカギィィ!!」
決定的なトドメを刺そうとするアカギを、俺は必死ながら叫び止めようと試みる。が、無表情の悪魔は決してカナから目を反らさず、俺の声に反応を示さなかった。
もう、ダメなのかよ……?
確かな想いはあるが、現実の行動を起こせない。
他人から薄情だと言われても仕方ないだろう。きっと明日の朝には、ネットのトップニュースで大バッシングを受けているに違いない。まともに外出できないくらいに。
だが俺は、そんなくだらないことよりも、今の俺自身が大嫌いだった。
痛いからとか、恐いからとか、そんな理由で固まっている自分を許せない。そう頭ではわかっているし、染々と感じている。
――なのに、動けない。
「レ゛イ゛……ゴロ゛ズ」
苦悩する俺がいる一方で、ついにアカギは蒼の槍を弾く。
それでも俺は、動けない。ましてや声だって出すことができず、静かに立ち竦んでいた。
そしてアカギは矛先をカナの後頭部に目掛けて、無表情を貫いたまま振り下ろしてしまう。
カナ……。
もうこれでおしまいだと、立つ力すら完全に抜けてしまいそうになった……そのときだった。
「――アカギお姉ちゃんッ!!」
――ピタッ……
「――!?」
女声にも似た、甲高い少年の声が夜中に轟く。
背後から聞こえた俺は息を飲まされたが、一方でアカギは手に握る槍をピタリと急停止させ、ジロリと穴目を向けてくる。
暴走を超えた暴走となったアカギを、初めて振り向かせたのは、紛れもなく少年の声。
俺は正体を予想できていたが、驚きながら瞬時に後ろを振り向く。
「――ショウゴ!! お前、なんでここに!?」
俺の背から少し離れた道路の脇には、両拳を作りながら全身を微動させる、真剣たるショウゴが立っていた。どうやら墓地から飛び出し、心配していたアカギのもとまで来てしまったようだ。
だが、状況が悪すぎる……。
せっかく訪れたショウゴではあるが、俺は今すぐにでもこの場から離れてほしい思いだった。もちろん身の危険だって考慮されるが、一番の思いはまた別物である。
今のアカギは、もはやお前の知るお姉ちゃん的存在ではない。そんな彼女の恐ろしい姿を、特にお前には視てほしくない。
幼い身体を震わせるショウゴだって、邪神と化したアカギの姿を視て恐怖しているはずだ。もはや本当にアカギなのか疑ってしまうくらいに、邪悪な義姉の姿を。
感動の再会と呼べるほど安易な状況ではない分、俺はすぐにショウゴへと言葉を投げる。
「今は危険だ! お前は墓地で待って……」
「……アカギお姉ちゃん!!」
しかし俺の言葉尻を被せたショウゴは叫び、アカギからより注目を向かわせていた。
「おれだよッ!! ショウゴだよォ!! さっきまでいっしょだったんだから、覚えてるでしょ!?」
少年が想いを叫ぶ一方で、槍を握るアカギはポカンと口を開けたまま固まっている。
ショウゴは、悪魔となったアカギを目覚めさせるつもりなのだろうか?
だが、カナから教わった情報を聞いた限りでは、その可能性は微塵にも感じない。
「アカギお姉ちゃんッ!!」
「……」
「そんな危ない物放して、殺し合いなんてやめようよォ!!」
「……」
「みんなも言ってたよ!! 早く帰ってきてほしいって!!」
「……」
ショウゴが必死に放つだけで、アカギは微動だにせず、声すら漏らさなかった。だが、二匹に挟まれている俺はそれぞれの姿を目の当たりにし、ふと気づいてしまう。
――今のショウゴは、さっきまでの俺なんだ……。
「アカギお姉ちゃん!! ケテケテのことは残念だけど……でも、だからって復讐は良くないよ!!」
「……」
ショウゴは今、アカギに声を届けようとしている。さっきまで、カナになかなか伝えることができなかった、俺のように。
「アカギお姉ちゃん……覚えてるかな? おれとアカギお姉ちゃんが、神職に成仏されそうになった日……」
「……」
僅かに微笑みながら囁くショウゴだが、アカギを必死に止めようとしている。上空で闘っていたカナを振り向かせようとしていた、俺のように。
「あのとき、アカギお姉ちゃんは神職を殺そうとした。でも、おれはしてほしくなかった。だって、アカギお姉ちゃんに殺人なんて、してほしくなかったから!」
「……」
アカギに何度無視されようとも、ショウゴはその数を越えて発信し続ける。カナが反応するまで諦めず、しつこく追いかけ走った、俺のように。
「それは、今も変わってないから!! アカギお姉ちゃんは、優しいアカギお姉ちゃんでいてほしいからァ!!」
「……」
小さな魂、そして幼い身体。
小さな子どもの力など、大きな大人には到底及ぶ訳がなく、残念ながら無力で儚いと言える。それは人間だけでなく、この世の全ての生き物に共通する、弱肉強食の公式だ。もちろん、小学生のショウゴだって同じだ。
しかし、それらが例え、どれほど弱々しく切ないものでありながらも、皆誰しもが抱ける強きものがある。
それが、勇気。
感情という見えない一物を備える人間が、どれほど身体的に弱かろうとも、一瞬にして強さを生ます確かな想い。ときに大きな可能性すら誕生させる、逆境を乗り越えるための大きな翼。
どんな状況でありながらも、諦めずに立ち向かう。
まるで特撮ヒーローを思い浮かばせる幼稚な少年の姿勢ではあったが、俺は静かに見守ってしまい実感していた。
――今の俺には、信じる勇気すら無かったことを……。
「だからもうやめようよ!! みんな、アカギお姉ちゃんの帰りを待ってるから!!」
「……」
ショウゴは、アカギがもとに戻ることを信じてるに違いない。だからこそ何度も声を張らせ、想いを届けようとしているのだ。それを促しているのは、信じる心から生まれた、諦めない意思を支えている、揺るぎない勇気に他ならない。
「みんな、今か今かって待ってるんだよ!? 今日はアカギお姉ちゃんに、サプライズがあるんだからさァ!!」
「……ズ……」
――!? アカギが、ショウゴの訴えに反応した。
ショウゴが告げたサプライズに関する内容は、俺も予め知っている。今まで世話をしてくれたアカギに対する、感謝の意を表した言霊の贈呈だ。
もちろんその内容を知らないアカギだが、今確かにサプライズの“ズ”を口ずさんだ。
もしかしたら、我に還すことができるかもしれない。
「そうだぞアカギ!!」
俺は再び、失いかけていた勇気を振り絞る。正直言って、脚の震えが未だに収まらない。
もちろん心無き人間として、こんな姿が柄ではないこともわかっている。しかし、それでも俺は声を張らせてみせた。
「ショウゴを始め、みんなお前に渡したいものがあるんだ!!」
「そうだよアカギお姉ちゃん!! だから帰ろうよ!!」
「……モ゛、ノ゛……ガ、エ゛ロ゛……」
俺たちに対する呟きが増えてた。マジでイケるかもしれない。
「大切な浮遊霊なんだろ!? だったら期待通り帰還してやるのが、お前としての義務だろ!!」
「みんな待ってるよ!! みんな……みんなみんなみ~~んな、アカギお姉ちゃんのこと待ってる!!」
「……ガエ゛ロ゛ウ゛……モ゛ト゛、ミ゛ン゛ナ゛……ズ」
もう少しだ!
「頼むアカギ!!」
「お願いアカギお姉ちゃん!!」
一人の俺と、一匹のショウゴ。二声に宿る叫びには変わらずして、真のアカギの姿を知っているが故の気持ちがこもっている。殺し合いなど似合わないという音に載せて、ただもとに戻ってほしいという願いを込めて。
そして、二つの勇気が今、重なり合う。
――「「目を覚ませぇぇーーーーッ!!」」
「…………ズ……ガエ゛、ロ゛ウ゛……ガエ゛ロ゛、ズ……」
するとアカギは蒼き槍を消滅させ、カナから離れ、ゆっくりと俺たち近づいてくる。
「アカギお姉ちゃん!」
背後でショウゴの嬉しそうな一言が聞こえてきたが、俺はどうも安心できずアカギを観察していた。
「……ガエ゛、ロ゛ズ……ガ、ロ゛ズ……」
言葉を妙に省略し出したアカギはふと立ち止まり、その刹那、彼女の周囲から蒼白い光の玉が発生する。
まさかと思った瞬間には、すでにアカギは俺とショウゴに右腕を伸ばしており、そして呟いてしまう。
「ゴロ゛ズ……」
「――んなッ!!」
「え……?」
まだ理解しきれていないショウゴの様子を感じたが、俺はやはりと思って身構えてしまう。
するとアカギを取り囲む球体たちは瞬時に形を変え、短い槍の集まりを誕生させる。
「ズベデ、ゴロ゛ズ」
アカギが呟いた次の瞬間、ついに数多の槍たちが俺たちへと向かい始めてしまった。
「ショウゴ!! 逃げろォ!!」
振り返って叫んだものの、ショウゴは茫然としたままアカギを見つめている。
万事休すか……。
踵を返した俺はショウゴのもとへと駆け寄り、せめてのもの、少年の魂だけでも守ろうと抱き締めた。
俺も、今日で終わりか……。
有り余った勇気のせいで身を投じた、自分の有り様を鼻で笑ってしまったが、それでも俺は、気を失ったかのように立ち竦むショウゴに、槍がかすらないようしっかりと包み込む。
ショックだよな……こんな展開。後で作者のこと殴っとくな。
瞳を閉じながら、背中からの死を覚悟した俺。
きっと槍はすでに、すぐ後ろに来ているはずだ。
ゴメンな、ショウゴ……何もできなくて、頼りなくて。そして……。
精々、生存時の思いを残さないことだけを考えて、最後まで心の言葉を続けようとした。
――バチバチバチバチバチバチバチィィーーーーン!!
「…………あれ?」
たくさんの破裂音が響いてから、俺の背中には全く痛覚がなかった。あれだけ槍を放たれたら、間違いなく一本くらいは刺さっているはずなのに。
不思議に思いながらゆっくり振り返ってみると、俺は目の前の光景に小さく驚く。
「カナ……」
最初に視えたのは、ボロボロなカナの細い背中だった。制服のスカートを靡かせ、両腕を左右に広げて前傾姿勢を取っている姿からは、どうやら彼女が光の槍を振り砕き、俺たちを護ってくれたようだ。
「お前、大丈夫なのか……?」
あれだけ殴られて、終いにはアスファルトに転落したのだ。人間ならば間違いなく死んでいたところだが、幽霊であることが理由なのか、カナは今確かに目の前に立っている。
カナがまだ無事だったこと、そしてカナが俺たちの死を阻止してくれたことには感謝しなければいけない。
そう思いながら声を出そうとしたが、先にカナが小さな笑みを漏らしていた。
「……ありがとう、フクメさん」
どうして、フクメの名前を……?
疑問が生じたことで声を飲み込んだ俺が見つめていると、カナはふと、制服の胸ポケットに右手を動かす。すると小さな小袋が握られていたが、俺はその正体を知っていたため、細い目を大きく開けながら目の当たりにしていた。
――あれは、フクメが最後に渡したポーチだ。
「やっぱりフクメさんは、私にとって、永遠のヒーローです」
カナは微笑みながら呟くと、ポーチの口を逆さにして、中から三個の色様々なビーズを手に載せる。
カナがなぜ、今は亡きフクメに感謝を述べたのか。
そんなこと、俺には当然理解できた。カナ曰く、お香のような匂いを放つ小さなポーチの中には、フクメの想いはもちろん、アイツが下手な芝居で集めた財産がある。
そう、三つの言霊だ。
成仏の足しにするには少なすぎる数だが、その一個一個には大きな輝きを込められているように感じる。
カナはきっと、さっきうつ伏せに倒れていたことから、胸ポケットにあったことに気づいたのだろう。正直俺も、フクメのポーチの存在を忘れていた身だ。
「やなぎさん……」
「ん……?」
目前で踵を返したカナはどこか穏やかな表情で、俺に近寄り手を差し伸ばす。
「言霊……受け取ってください」
「あ、あぁ……」
言われるがままに、カナの小さな握り拳の下に手のひらを添えると、俺は初めて触れる言霊が降ってきた。重さを感じないだけでなく、常温となった球体たちからは存在すら疑うほど、俺の触覚を刺激しない。目を閉じたら、本当に手元にあるのかと疑わせるほどに。
「それは、やなぎさんが持っていてください。きっと、使うことになるでしょうから」
カナはそう告げると、踵を返す際に一度ショウゴへ視線を向けていたように視えた。
「……待て、カナ」
「どうしました?」
すでに背中を向けたままのカナに、俺は彼女の想いを知ってしまったことで声を鳴らす。
「――使うって、お前もかよ……?」
手のひらを見なくても、正直俺にはわかっていた。カナが渡してきた言霊は、三個でなく二個だけだったことを。
「私が、アカギさんに金縛りを掛ければいいのです。そうすれば、問題ありませんから」
「お前、アカギのあんな姿見て、まだ言霊を食べる気なのかよ!?」
カナは言霊を取り入れ、自身の超能力である金縛りを掛けるつもりだ。確かにアカギの動きを止めるには最高の能力であり、この上ない代物だ。
しかし、下手すればカナも、殺戮衝動に堕ちかねない。
「今度はお前が、アカギのようになる可能性があるんじゃないのか!? だったら……」
「……心配御無用ですよ、やなぎさん」
カナは俺の言葉を止めると、ついに一粒の言霊を口の中に、臆することなく入れてしまう。
「――!? ウッ!! うぅ……」
「カナッ!!」
言わんこっちゃない。お前まで暴走したら、それこそ終わりではないか。
俺はショウゴを開放し、カナに背後から近づこうとした。
「カナッ!!」
「大丈夫だからッ!!」
「え……?」
近づくなとも聞こえる真面目な叫びで、俺の動きを止めたカナは相変わらず苦しみ悶えている。が、手に残ったフクメのポーチまで顔に近づけ始める。
「……はぁ……やっぱりそうだ。フクメさんは、本当にスゴいなぁ……」
まるでフクメのポーチを嗅いでいるカナだが、徐々に苦しみから解放されていることが窺われる。
「…………そっか。フクメにありがとうって言ったのは、言霊を渡してくれたこと、だけではなかったのか」
俺は小さく呟くと、カナも僅かに頷く。
「フクメさんは、成仏くなる際に教えてくれた。お香には、幽霊の殺戮衝動を落ち着かせる、力があることを」
穏やかな声で嗅ぎ続けるカナの言葉で、俺も黙りながら納得していた。
お香には、殺戮衝動を食い止める力がある。暴走した幽霊を落ち着かせることができる、不思議な効力があることを。
だからあの夜、大好きなお香の匂いを嗅いだナデシコは最後、我に還ることができたのだ。
「フクメ……」
フクメがそれを知ってやったとは、悪いが俺には思えない。春先から共に暮らしてきた者から言わせてもらうと、アイツには霊に関する知識が皆無と言っていいほどだったからな。
それでも俺は、フクメに称賛の意を示していた。なぜならアイツがお香の力を、自身の魂を犠牲にして証明してくれたからである。
フクメの勇気がもたらした、奇跡なのだ。
「……はぁ……これで、大丈夫」
するとカナはフクメのポーチを胸ポケットにしまい、瞳を閉じた素顔を俺に向ける。
「本当に、大丈夫なんだな……?」
「はい。信じてください、やなぎさん」
やがてカナはゆっくりと瞼を開けていき、人間の俺と目を合わせる。
カナの瞳は、もちろんいつもとは違った。黒いはずの瞳は赤く染まっており、初めて視るカナの目だった。
だが、その瞳はナデシコのように全て真っ赤ではなく、白目部分を残した赤い瞳だった。言葉を話せていること、そして俺に微笑みを視せていることから、コイツは殺戮衝動から解放された様子で、確かに落ち着いていた。
「カナ……」
「おまかせください、やなぎさん」
まともに頬を緩ますことができない俺だが、カナは笑顔すら放ち、首を元に戻してアカギへと目を向ける。
「私ができる金縛りの回数は、残念ながらこれで最後。泣いても笑っても、変わりません。だから必ずや、成功させてみせます」
勇気――それは、徐々に伝染し、受け継がれていくもの。たとえその持ち主が、この世から消えてしまっても。
俺はカナに叫び、ショウゴはアカギに声を上げ、俺とショウゴが想いをぶつけた。
そして今度はカナにも、邪神に立ち向かおうとする、確固たる勇気が乗り移ったようにも感じる。
その勇気はもちろん、今回は俺が起点となったものではない。俺をここまで動かした、九条満や湯沢純子らとも違う気がする。
「いきますよ、アカギさん……」
「レ゛イ゛……」
カナにとっての、勇気の原点――それは、ナデシコを救おうとしたフクメだったんだ。アイツがいたから、カナが今言霊を抱くことができたわけで、アイツのおかげで、今カナが落ち着いていられるのだ。
「これで、おしまいにしましょう……」
「ゴロ゛ズ……レ゛イ゛、ゴロ゛ズ……」
ここは、勇気が生まれた場所。
性別年齢関係なく、確かな勇気が誕生した、八月の夜空の下。
こんな素晴らしき聖地の上で、真っ黒な目のアカギと、瞳を凛々しい赤に染めたカナが向かい合っている。たった一人の勇者が、禍々しい邪神を倒そうとしているのだ。
見えないはずなのに輝いてみえるカナの勇気。
そして最後の戦争が、今この場で始まろうとしていた。
皆様、こんにちは。
今年も来てしまった花粉症に圧倒されている田村です。朝は目が開かないんですねぇ……。
さて、相変わらず更新スピードが遅いのですが、今回も閲覧していただき、ありがとうございました。
私個人的に大好きなフクメちゃん。
彼女の偉大さを書けたことに、まずほっとしております。大きな伏線を回収できました!
ホントに、フクメちゃんは私にとってのヒーローです。
さぁ次回についてです。
決して戦闘ものではございませんので、闘うシーンはこれで終わりだと思います。
言霊を食べて、あと一回だけ金縛りを掛けられるカナの行動。
しかし、それは悲しい決断になってしまいます。
コメディーじゃねぇと言われても仕方ありませんが、どうか次回もよろしくお願い致します。




