四十五個目*拳の形
学校から抜け出したやなぎは、カナとアカギがいるであろう墓地へとたどり着く。しかしそこでは既に、二匹の悪霊による激しい攻防が行われていた。
そして、言霊を食べてしまったアカギに吹き飛ばされたカナを視て、やなぎは意気消沈して迷いが生まれてしまう。
俺に、何ができるっていうんだよ……?
もはや諦めかけてしまったやなぎだが、ショウゴの一言、そして少年の小さな拳に気づかされる。
この世界は、美しい。
悪いが、俺はそう思っていないし、きっとこれから先も感じられないだろう。
善と悪の心を兼ね備えた人間が、それぞれ我が物顔で支配している世界だ。こうも二極化されていれば、大きく重い地球だって不安定になるのが必然だと言える。
確かに、善悪の判断基準とは曖昧なもので、当人の感情や受け取り方で、右往左往するものだということが否めない。
アイツは正しいと言うが、また別のヤツは間違っている。
毎日が論争の嵐を引き起こすのが、言葉を喋られる人間の特徴だ。
なぜこうも意見が割れるのかは、人間には“正義”と呼ばれる、心とよく似た概念的思想を抱いているためである。その種類とは様々で、一人の人間につき一つの正義があるほど、多種多様で溢れているのだ。
正義と正義が入り交じる、不安定な世界。
正義の対義語こそ、また別の正義なのであって、それがたくさん存在する世界に、安らかな平和なんて訪れやしない。
これでもお前たちは、この世界が美しいと思えるか?
残念ながら、俺は全くもって感じられない。むしろ何事もなき日々の平和を願うのみで、正義など、心など、人間から無くなってしまえばよいと考えてるくらいだからな。
――もちろん幽霊たちにとっても、同じことが言えるのだ。
そんな世界の残酷さを知ってる俺、麻生やなぎは現在、夜の真っ暗な歩道を疾走している。時刻も既に十一時を回りだしてるため、人気はほとんど見当たらず、走る車の数も僅かだった。
因みにこの茨城県には『茨城県青少年の健全育成等に関する条例』という決まりがあり、俺のような十八歳未満の人間は、夜の十一時から四時の間での外出を禁止されている。見つかれば警察による自宅までの補導、下手すればタイーホもあり得る仕組みだ。
しかし今は、そんなことを気にしている場合ではない。
「アカギ……カナ!」
体力のない俺は既に息を荒げているが、足の俊敏さを変えずに突き進む。
俺にできることは、一体何なのだろうか?
無理矢理に喧嘩の仲裁か、言葉巧みな言い聞せか。だがわかっているのは、殺し会おうとする彼女らを、どうにか止めなくてはいけないことだ。どうにかしなければ。
だだ一つの思いだけが、確かにインドア派の俺を稼動させていた。どうにか間に合ってくれ。始まってしまったとしても、まだ二匹が消えていないことを望む。
担任の九条満からの協力もあって、遅れながらも学校を飛び出した俺は次第に墓地が見え、目的地まで間もなく到着するところだった。
嵐の前の静けさを表すように、静閑とした闇夜の墓地。外灯も設備されてないため、墓石を照らすのは今夜の月明かりだけである。しかし目指す俺には顕在として瞳に映り、嫌な予感に駆られながらも、禍々(まがまが)しい闇の入り口から突っ込んだ。
「カナァ! アカギィ!」
墓地の奥に置かれた『牧野家之墓』を目指し進もうとした刹那、俺の視界では予想もしていない、とんでもない光景が広がり足がすくむ。
――バチィィンッ!!
「――!?」
まだまだ幼い女子中学生の小さな拳が、大人びた女子高校生の腕に当たって音を立てる。だが驚くべき点は、もちろんこれだけではない。他者を傷つけることに関しては、先日父親に殴られた俺には珍しいことではないと気がしたからな。
「マジかよ、どこの戦闘民族宇宙人だよ……」
しかし俺は表情を失った顔を上空へ向けて、予想を遥かに越えた姉妹の姿に茫然とした。
――そう、カナとアカギは上空で、激しい肉弾戦を繰り広げていたのである。
――バゴォォッ!! バチィィッ!! バグァァンッ!!
鬼の形相であるアカギの怒拳を、冷徹なカナが腕で防ぎ止める。それが繰り返される熾烈な攻防は収まるところを知らず、コンマ一秒無駄にしない戦闘が続いていたのだ。
「……カナ!! アカギ!! 頼むからやめてくれ!」
慣れてない叫びで声を唸らせた俺だが、二匹の衝突は依然として演じられていた。
ダメだ、聞こえてない。
間に合ったと言って、良いのだろうか?
喧嘩の枠を大きく凌駕してる二匹を、地面から仰ぐ俺は恐怖を持ち始め、一歩後退りをしてしまった。まだカナとアカギが消えていないため、魂の存在を考慮すれば、確かに間に合ったと言えるのかもしれない。だが、どちらかの死が確定したようにも想定される舞空闘劇を見ると、もはや手遅れだとも思えてならかった。
「――やなぎお兄ちゃん!!」
突如俺のもとには、幼い男子の甲高い一声が放たれる。右を振り向くとそこには声主の少年、浮遊霊のショウゴが、この上ない悲壮な表情をしながら走ってくる。
「ショウゴ! お前は無事だったんだな!」
身体も向けた俺は少年の名を叫ぶと、小さなショウゴに抱きつかれ、眉間の皺を見せられる。
「どうしよう……どうしよう、やなぎお兄ちゃん!?」
気が気でない様子で泣き出しそうなショウゴだが、それも無理はないだろう。今夜はアカギへの恩を込めたサプライズとして、浮遊霊たちみんなで集めた言霊を、尊敬する姉御にプレゼントするはずだったのだから。
顔をしかめた俺はしゃがんでショウゴと目線を合わし、小さな両肩を手で押さえる。
「まずは落ち着け! 他の浮遊霊たちはどうなった?」
「一応、ここにいるみんなは今、墓石の後ろで隠れてる……」
ショウゴの言葉を聞いて辺りを見回すと、俺には確かに浮遊霊たちが身を潜めている姿が視える。とりあえずは防災できてるようだ。
「そっか、上出来だ!」
「でも……」
「ん?」
だがショウゴは俯いてしまい、ついに瞳から滴を落とす。
「――ケテケテが、殺されちゃったよ……」
「ま! マジか……」
息を飲まされた俺の目の前で、更に増えたショウゴの涙たちは、地面の枯れ葉に当たろうとしていた。しかし接触する瞬間、滴はまるで無かったかのように音もなく消えてしまい、無力な浮遊霊たちの儚さを暗示させていた。
「そっか……ぎ、犠牲者はまだ、ケテケテだけなんだよな?」
動揺を放ちながら話した俺には、泣いてるショウゴから何とか頷き返された。
正直、俺はショックだったことが否めない。一度は俺を驚かそうとした――終いにはコッチが驚かしてしまったが――ケテケテのことはもちろん覚えており、知人が亡くなったような喪失感が襲ってきた。アイツだって根は悪いヤツではなかった分、実にやりきれない思いである。
――そして何よりもショックだったのは、ケテケテを殺害したのが、カナだということ。
ショウゴの言葉と頷きで察した俺は、何よりもカナが既に霊を殺めてることに気づき、無意識に唇を噛んでいた。関係のないケテケテにまで手が及んでしまうとは。
俺は悔しさのあまり地面に舌打ちを鳴らすと、ふとショウゴが泣き顔を上げる。
「どうしよう、やなぎお兄ちゃん……」
先ほどとは違って静かに囁かれ、俺はショウゴの眺める方へと視線を向けて、カナとアカギの攻防を目に入れる。
「……アカギお姉ちゃんが、あの悪霊に殺されちゃうかもしれない」
泣き止まないショウゴの言葉は、確かにその通りだと俺は思う。因縁を抱くアイツらは間違いなく、相手の魂を消そうと企んでいるに違いない。だからこそ、あれほどまでの凄まじい空中衝突が続いてるのだ。
一歩も退こうとせず、ひたすら交わるカナとアカギ。
「おいッ!! もうやめてくれッ!!」
必死に轟かす俺。しかし、二匹の幽霊には届かない。
何とかもう一度叫ぼうとしたが、ふとカナとアカギの攻防が止まり、空中で睨み合っていた。
「……テメェ、言霊は食わねぇのか?」
まず口を開いたアカギは、片目が無いせいでより恐ろしい表情に見えたが、カナは依然として冷静だった。
「ええ。言霊など持ってはおりませんから。それに、貴女を葬ることに、超能力の金縛りや、これ以上の殺意など必要ありませんからね」
あのバカ……怒りを促してどうすんだよ!?
カナ発言は俺の顔をしかめさせ、共にアカギの左頬を緩ませる。
「だったら、先手は撃たせてもらう。ちょうどここに来るまで、一個拾ったからな」
不敵な笑みを浮かべるアカギはそう言うと、自身が纏う患者服の胸内から一つ、黒いビーズらしき球体を取り出した。
――あれは、言霊だ!
視力の良い俺には、今アカギの指先にあるものが言霊だと、すぐに理解した。だが、気づいた瞬間に激しい悪寒が襲い、嫌な未来が想像されてしまう。
まさか、アカギのヤツは、言霊を食べるつもりなのか?
言霊の恐ろしさに関しては、この前に亡くなったナデシコから、痛々しいまでに教わっている。言霊を体内に取り入れた霊の魂は暴走し、殺戮衝動や摩訶不思議な超能力を備えるという、人間でいえば覚醒剤にも近い物体と言えるかもしれない。
「……ダメだ、そんなことしてはダメだ!!」
「アカギお姉ちゃん!! もうやめて~!!」
俺とショウゴの必死且つ悲愴な叫びが響くが、やはり夜空の二匹は気づいてくれなかった。耳が悪いとか、ツンデレ気取ってるとかではない。互いに大きな殺意を抱いてるからこそ、アイツらには目の前の敵しか情報が入ってこないのだ。
「黒の、言霊ですか……フフフ」
「なんだよ? 何がおかしい?」
今にも口入れようとするアカギは止まると、小さく笑うカナは再び槍を放ってしまう。
「――間違いありません。その言霊は、先ほどケテケテさんが持ってた物ですね」
「……そうか、そうなのか……」
アカギは俯いて小さく呟いていたが、俺はカナを見上げながら拳を強く握り締めてしまう。なぜ余計なことを、次から次へと出すんだ!? どこのバカコメンテーターだ!!
もはや悪魔にしか視えない、カナという女子高校生の霊。
そんな悪魔に、怒れる俺は叫ぼうと息を吸ったが、今度はアカギがなぜか笑っていたことで、再び息が止まる。
「……そうかよ、へへ……」
「何かおもしろいことでも、あったのですか?」
「……ありがとな」
「はい?」
上空のカナも、そして地上の俺も首を傾げた刹那、アカギは勢いよく顔を上げて叫ぶ。
「――おかげで! テメェを殺らねぇ以外の考えが浮かばねぇ!!」
まずい! アカギのヤツ、殺る気満々じゃねぇか。
俺が止める間もなく、有頂天に達したアカギはついに黒い言霊を口に運んでしまう。するとすぐに頭を抱えだし、強き殺戮衝動の酔いに苦しむように、声を唸らせながら悶えていた。
「う゛うぅ……やっぱ慣れねぇな、これはぁ」
「いい表情ですよ。苦しそうで、とてもお似合いですね」
「へへ、でもよ~……」
未だ平然とするカナに迎えられながら、アカギは頭から手をゆっくりと離し、瞳と白目の境を失った真っ赤な目を輝かす。
「――今回の酔いは、大したもんじゃねぇなぁ!!」
その刹那、アカギは両腕を左右に開き、手のひらに蒼白い球体を現す。
あ、あれは、ナデシコのときと同じだ!
しかしその発光体は、俺に見覚えがある。忘れもしない、暴走したナデシコが放った、小清水千萩の御札を燃やした、蒼い鬼火と同じ色だったのだ。
「カナ!! 危険だ! 避け、ろ……んな!?」
だが、アカギの握る二つの鬼火に変化が訪れる。球体だった二つは次第に上下に延びて、アカギの身長の二倍はあるように思われる、それぞれ細長い槍と化していた。相手を射殺すにはもってこいの尖りを象り、先端はついにカナへ向けられてしまう。
「死ね!! 偽モンがあぁぁ――――!!」
もはや話など通用しなそうなアカギは槍を放ち、カナへまず一本が襲う。まともに受けたりしたら、痛いじゃ済まされない。
俺が凝視する槍は物凄いスピード向かっていくが、カナは平然と右腕で振り砕く。そして次の二本目すらも、左腕のみで防ぎ、周囲に蒼白い粒子を撒き散らしていた。
アイツ、どんだけ強いんだよ? 霊とは言えども、スカウターぶっ壊れるレベルじゃねぇか。
両手で槍を防いだカナは何とか一命をとりとめたようだが、刹那アカギは瞬間移動の如く、カナの目の前に姿を現し拳を弾く。
――バゴォォォォ――ン!!
「か、カナ~!?」
アカギの鉄拳がカナの腹部に炸裂し、霊感がある者にしかわからない恐ろしい物音を立てて吹き飛ばす。カナのヤツ、相当痛がった顔をしていた。
するとアカギは再び二本の槍を出現させ、すぐに追跡して飛び去ってしまう。まるで悪魔を仕留める死神と言える姿だった。
こうして墓地の上空から二匹の姿は消え、たくさんの無力な浮遊霊と、無力に等しい人間の俺だけが残された。
「………………」
止めに行かなくてはと、普通だったら今すぐに駆け出さなくてはいけない場面だ。しかし、俺は足が動かせなかった。ここにきて迷いが生まれてしまい、ただ茫然と立ち竦むことしかできなかったのだ。
待てよ……あんなの、俺に止められるのかよ……?
それは、現実主義者としての率直な恐怖心と、確かな困惑だった。ここにたどり着くまでは、日常的なポコポコと弱々しい姉妹喧嘩を想像していたため、男である俺が仲介すれば簡単に押さえられると思ってた。
しかし、現実は大きく違ったのだ。
人間離れしたカナとアカギの攻防は、正に特撮と言える類いで、一般人が割り込むなど到底不可能な環境だったことが言える。実際に声を届けることもできなかったし、俺がここにいることすら気づいてもらえなかったのだ。
俺に、できることは何か?
その考え方も変化を始め、足が震える俺は次第にこう思うようになっていた。
――俺に、何ができるっつうんだよ……?
同じ言葉を並び替え、少し付け足しただけで、意味が大きく異なってしまうのが日本語文である。その理由は恐らく、この国の言葉は人間の感情と共存してきたため、発信者の心象心理で文意が決まるからであろう。それがたとえ同じ文字、同じ言葉だとしても意味が変化するのだ。
日本語は感性豊かだと称されることも、これを知っていれば何も不思議と感じないはずだ。少なくとも今の俺には、染々と伝わる。
「どうしろっつうんだよ……あんなの」
あれほど意気込んでいた俺も、いつの間にか消沈しかけていた。希望と絶望は常に隣り合わせであり、コロコロと変わる流動的な想いである。希望から絶望にシフトする際は、主に不安や困惑といった感情が後押しし、次第に絶望へのトンネルへ向かわせるのだ。
それを直に経験したのが俺だったため、こうしてジーっと動けずにいる。
だって……仕方ないだろ。お前らだって実際に戦地に赴いたら、まず心配するのは己の生命のはずだ。きっと今の俺と似たことをするぜ。特に妄想好きで、幸せを夢見るヤツに限っては尚更だと言ってやるよ。
ダメだ……止められる訳がない。
次第に諦めムードを漂わせる俺は、顔を下に向けたしまう。二人を止められる見込みが全く立たない。もはや“どうするべきか?”ではなく、“どうしようもない”の領域に来ていた。
いつの間にか拳は解かれてしまい、俺はいつも通りの、温度のない冷徹な瞳に変化し出していた。ここまで希望を抱いていたつもりだが、やはり現実はそう甘くない。
助けられる魂があれば、助けられない魂だってある。
そんな当たり前なプラマイ法則すらも、俺は忘れていたようだ。
「――やだよ、そんなの……」
それは、泣きじゃくるショウゴの一言だった。
振り向いた俺は、もはや絶望といった瞳を少年に向けていたが、ショウゴの両手がまだ握り拳だったことに驚き、再び輝きを取り戻す。
「ショウゴ、お前……」
「……どうして?」
俺の言葉尻を被せたショウゴは踵を返し、くしゃくしゃな童顔を放つ。
「どうして、アカギお姉ちゃんが、実の妹と戦わなきゃいけないの?」
「……」
俺は何も言い返すことができなかった。少なくとも、アカギの想いと過去を知ってる俺は。
視線を反らそうとしたが、喘息気味のショウゴは言葉を続ける。
「アカギお姉ちゃんは、ただのいいお姉ちゃんなのに……どうして……」
止まない涙を拭い続けるショウゴ。そして、俺が目を合わせた瞬間に叫ぶ。
「――どうして! こんなことになるのッ!?」
ショウゴの言葉は、絶望そのものだと言えるだろう。アカギに殺人を犯して欲しくないという願いを持つ少年には、さぞ見苦しい現実に違いない。しかも目の前で槍を投げるという、殺害行為そのものを見せられたのだから。背負った心の傷は、相当深いはずだ。
ショウゴも、俺と同じく諦め思考が働いてる。
――そう思ったヤツらは、大きな間違いだからな。
なぜなら、ショウゴの小さな拳は依然として開かれなかったからである。それを視る限り、コイツはまだ僅かな希望を信じていると、一度は諦めで拳を失った俺には強く感じる。
大好きなアカギが、消えてほしくないのはもちろん、人殺しや霊殺しだって、してほしくないと。
無力な自分たち浮遊霊を、今日まで面倒を見てくれたアイツには、感謝が止まらない想いだ。だからもっといっしょに、平和に暮らしたいと。
まるでそう訴えている、小さくも固い、強き拳の形をしていた。
――そう、無力な浮遊霊のコイツは、まだ諦めてなんかいないのだ。アカギのことを。これからも、共に生活する未来さえも。
「……何やってんだ? 俺……」
ふと呟いた俺は、ここまでの道のりを思い出していた。それは走ってきた距離ではなく、俺に救える可能性を与えてくれた戦友たちである。
二人を止めてくれと、カナとアカギを我が子のように大切にする想いが伝わる、地縛霊の湯沢純子。
シード権だとか訳のわからんことを言っていたが、自身の減給を招こうとも、俺の意見を通してくれた、GTKこと九条満。
ここまでに、俺は一人と一匹に協力を得ている。それも、ついさっきのことなのに、忘れていた気がする。
ふと周囲を見渡せば、ショウゴ以外の浮遊霊たちの辛い姿が目に入る。アカギの名を叫ぶ者、いなくならないでくれと嘆願する者と、様々な声を上げてわ泣いていた。
「バカじゃねぇの……俺」
なぜ、今になって気づいたのだろう。諦めてる場合ではないなど、幽霊たちの顔を視れば明らかだろうが。
俺がやろうとしていることは、カナとアカギを止めること――だけではないのだ。それはここにいる浮遊霊たちのため、ショウゴのため、そして湯沢のことだって含まれる。
――幽霊が視える俺が、霊の想いを知れるこの俺が! コイツらの意思を無視してどうすんだよ!?
大きなお世話だと思われるかもしれない。別に、俺だって望んでやっている訳でもない。できれば痛いことは避けたいし、テキトーな日々をのんびり暮らしたいくらいだ。
しかし、もう嫌なんだ。俺の知る魂が、俺の視えるところで消されるのは。
水嶋啓介、ナデシコ、特にフクメのようになってほしくない。それがたとえ、人を殺したことがあるアカギでも。そして、霊までも殺害したカナでも!
「……ショウゴ?」
「え……?」
反応してくれたショウゴに、俺はしゃがんで目を合わせる。
「俺の話、聞いてくれないか?」
「何? やなぎお兄ちゃんは小さい子好きだってこと?」
まだあの日のストーカー疑惑晴れてねぇのかよ? しかもこのくだり、フクメのときだって同じようなことあったよな? お前ら幽霊は何がしたいんだよ? 空気読めや!
つい罵声を放ちそうな俺だったが、咳払いで場を整え、真剣ながら喉を鳴らす。
「アカギがいなくなるの、辛いか?」
「そ、そんなの当たり前だよ!」
「だよな。だったら、今お前にできること、言ってやる……」
目に涙を浮かべたショウゴに見られながら、俺は冷静を保ちながら口を開ける。
「――アカギがいなくなるって、ずっと考えてろ」
「え……?」
ショウゴの瞳孔が大きく開いていたが、俺には予想通りだった。突然こんなことを告げられたら、しかも淡々と言われたら、間違いなくショックを感じるだろう。
「なんで……絶望しろって言ってるの!?」
ショウゴは怒号を上げてしまうが、俺にとっては想定の範囲内だった。
「あぁそうだ。今の俺に、二言はねぇ」
「どうしてだよ!? どうしてアカギお姉ちゃんがいなくなるなんて、そんな酷いこと言うんだよ!?」
再びショウゴの瞳から、涙が一粒溢れた。大きな絶望に屈しない様子が全面に出されていたが、反って俺は心配していた。
なぜなら俺は、ショウゴには一度、心から絶望してほしかったからだ。
サイコパスと呼ばれても仕方ないだろう。小さな少年に絶望してほしいなんて、それだけで刑務所に向かってほしいくらいだって、俺も思ってる。
それでも、ショウゴに絶望を味わってほしかったのだ。もちろん、そこにはしっかりとした意図がある。あまり答えを明らかにはしたくないのだがな。
「……じゃあ、聴くか?」
するとショウゴから頷き返されると、俺は一度ため息を漏らしてから言葉を紡ぐ。
「……もちろん俺だって、アカギが消えろなんて思っちゃいねぇ。霊として存在きてほしいし、むしろ助けたいとすら思ってる」
「だったら、どうして!?」
「お前の、未来のためだ」
「はぁ!?」
俺がよく霊に対して放つ言葉を、今夜はショウゴが口にしていた。確かにこれだけでは、幼い少年には抽象度が高い。仮に俺が言われた立場を考えても、理解できないだろう。
俺はショウゴの心に染み込ませるように、幼き涙目をしっかりと視ながら話す。
「残念ながら、アカギを絶対に救えるとは限らない。可能性だって、半分満たないだろう」
「そんなぁ……」
「だからな……」
怒った顔が不安そうな表情に変えるショウゴだが、俺は真の意図を伝える。
「――常に、最悪の状況を想定するんだ。そうしておけば、いざ現実になったとしても、実際の絶望やショックが、いくらか軽減されるからな」
「けい、げん……」
するとショウゴの涙は止まり、俺を茫然と眺めるように固まっていた。どうやら伝わったようだ。幼いながら、コイツは割りと賢い。ヘディングで脳細胞を平気で殺してるサッカー少年でも、なかなか頭の利くヤツいるのだな。
「絶望って、苦しいよな? そのくらい俺だってわかるよ。正直、俺もしてるし……だからお前には、今のうちに絶望して、未来起こるかもしれない災難に備えてほしい。苦しみは、軽い方がいいに決まってるだろ?」
これは、普段から悲しまない俺が考え抜いた、悲哀防止案である。
魂を抱く者が悲しむことは、残念ながら避けられない。喜怒哀楽という四字熟語にも含まれているため、人間に起こって当然な感情の一つである。望まれた感情でないことは、もちろん俺もわかっているし、一般ぴーぽーだってそう思うだろう。
大きな悲愴は人を泣かせ、苦しめ、時に精神すら蝕む有害思想である。それも立ち直れないほど、強く深く襲うのだ。
ならば俺たちは、そんな感情への対処法を考えなければいけない。それこそが今言った、絶望に対する予防接種である。想像を膨らますことができる人間、幽霊ならではの防止策だと言えるだろう。
最悪の状況さえ考えていれば、それより上の悲しみ感情には襲われずに済む。だからこそ、後の現実に起こる悲しみが軽減され、それほどショックを受けないことになるのだ。
ただ、このやり方は感情を冷ましかねないため、何度も行うことはおすすめしない。実際に何度もやってきた俺は、このように冷徹染みた人間になってしまったのだからな。
意図を伝えた俺は起立し、すぐにカナとアカギのもとへ向かおうとした。が、弱々しい声となったショウゴに止められてしまう。
「どうして……やなぎお兄ちゃんは絶望してるのに、そうやって、平気で動けるの?」
「……後押しがあるからな」
「え……?」
ショウゴは首を傾げられないほど覇気を失っていたが、俺は質問にちゃんと答えることにした。
「――絶望で足が止まっても、俺の背中を押してくれるヤツらが、たくさんいるからな」
それは、自縛霊の湯沢純子、担任の九条満、ここにいる浮遊霊のみんな。そして、諦めない心を示していたショウゴ。
もちろん、それだけではない。水嶋啓介だって、その妹の水嶋麗那だって、ナデシコだって、その姉の篠塚碧だって、そして、一人娘のフクメだってそうだ。
今は亡き小清水一苳だってそう、小清水千萩は……どうでもいいや。
そんなみんなから、俺はたくさんの想いを教えてもらえた。誰かのためと考えて行動する、尊き思いやりを。そこにはいつも、相手に対する愛で溢れており、心なき俺に確かな温度を分けてくれたのだ。
――そしていつしか、俺は霊なんかのために、カナのために動けるようになっていたのだ。
別にカナが好きだからという訳ではない。むしろ煩くて、どちらかと言うと嫌いな部類かもしれない。でもなぜか、アイツを救いたい気持ちがあったのだ。たぶんその理由は、あのアホ霊がまだ何かを隠してる気がするからだろう。俺に隠し事など、絶対に許さない。何を考えてるか知らんが、必ず止めて聞き出してやる。
「……それに、諦めてる場合じゃねぇ。お前らの意思、お前らの想いを視てたら、立ち止まってる訳にはいかねぇからよ」
「……絶望なんてしてないじゃん。嘘つき……」
ショウゴからそっぽを向かれたところで、俺は踵を返して出口へと向かう。
「やなぎお兄ちゃん!!」
なかなか焦らすガキだな……。
俺は嫌々ながら足を止めて、背中を向けたまま首を曲げる。
「なんですのん?」
「やなぎお兄ちゃんも、気を付けてね……」
眉をハの字にしたショウゴからは嫌な暗示を受け取ったが、俺は無表情のまま裏拳を見せる。
「――やれるだけ、やってくる……」
その拳こそが、俺が諦めていないという気持ちを具現化していた。父親との喧嘩以来、力を込めた握り拳。だが、今日に限っては怒りの鉄拳ではない。諦めない気持ちを始め、絶対に止めてやるという決心、そして、たくさんの人や霊からもらった想いを握り締めていた。
「んじゃ、行ってくる」
告げた俺はすぐに前を向き、急いで墓地から退出する。姿が視えなくなってしまったため、また一からカナとアカギを探し回ることとなった。
しかし、足は決して止まらない。
覚悟を決めた俺は再び、カナとアカギを求めて、深夜を迎える笹浦市を駆け巡った。
皆様こんにちは。
マイナンバーに頭を抱える田村です。
今回や前回の話は、高梨兄貴こと、キュアメタルの作曲した『PRIDE』というサウンドミュージックを聴いてて思いつきました。良かったら、皆様も聴いてみてください。というか、たぶん聴いたことあると思いますよ。
さぁ、次回はカナとやなぎの会話です。
アカギを殺めようとするカナに、やなぎはどんな言葉をかけるのか?
またよろしくお願いします♪




