四十一個目*……したい。
崖から転落死したしまった牧野紅華は幽霊となったものの、誰にも視られぬまま涙を流していた。
大好きなお父さんとお母さんには、もう会えない。
絶望の念に駆られることとなっていた紅華だったが、ふと地面に転がるビーズのような球体に気がつく。
一体それは……?
人間とは全く、脆い生き物です。だって、簡単に死んでしまうのですから。
五臓六腑を抱えながら生きる人間は、死のうと思えばすぐに死ぬことができる存在です。首を絞めて息ができない首吊り、働き過ぎや勉強し過ぎなどの睡眠不足による過労死、エナジードリンクといった身体に毒である物質の過剰摂取、風邪や病気など。挙げれば切りが無いほど、私たちの環境には死の道がたくさんあります。
そんな弱く儚い人間が末永く生き続けることは、並大抵の努力では敵わないでしょう。
そんな人間の弱さを気にしている私、牧野紅華は現在、高い崖から落ちてしまい、間もなく息を引き取りました。高さ約十メートルはあろう崖から転落した私の身体は固い土の上でうつ伏せに倒れており、びくとも動きませんでした。
――そう、私は死んでしまいました。
遺体となった私の身体で何よりも鮮明だったのは、落下の際に頭へ大きな岩が当たってしまったせいでしょうか、血管が走る耳上辺りの頭部からは赤い血が勢いをつけて垂れ流されており、私の顔を赤一色で染め上げておりました。もちろん息はしておらず、まるで岩と同化したかのように動きません。さっきまで本当に走り回っていたのかすら疑わせる、非常にぐったりと倒れていました。
上空にいたはずの牧野朱義の姿も、いつの間にかどこかに消え去りましたが、私の死体は三人の人間たちだけが見守られるだけでした。それも信頼など到底置くことができない、犯罪者集団によって。
崖の上から眺めている大学生三人たちも、さすがに予期していなかった様子で、揃って神妙な顔立ちで見下ろしていました。
「ど、どうすんだよ……?死んじまったじゃねぇか」
「あ、アタシは知らねぇぞ!!だから足もいっしょに縛っとけっつったんだ!!」
坊主の男性の後、茶髪に染め上げた女性は声を荒げていましたが、やはり目に映る光景を現実として捉えきれていない様子が伺えます。それもそのはずでしょう。人質として捕まえた私が死ぬことは、彼らにとって骨折り損のくたびれ儲けになることを意味しておりますから。
これで三人の努力は水の泡の如く、儚くも静かに弾ける。
「チッ、仕方ない……」
すると眼鏡を掛けた清楚な男性は一歩前に進み、三人の中で先頭に立って私を眺めていました。冷静さを保とうとしているようですが、やはり顔のしかめはとれない状況であることが、彼の歯をくいしばる姿を見ればよくわかります。
「埋めよう。ヤツには、俺が電話しておくから、その間に二人であの死体を頼む」
私の遺体に指差した眼鏡男はそう言うと、最後にもう一度舌打ちを鳴らして去っていきました。よほど悔しかったに違いありません。計画通りに私をどこの誰だか知らないもとに売りつければ、それなりの金銭を得られたのですからね。
清楚な男が去ったあと、坊主の男性と茶髪の女性らはゆっくりと崖を下り始めました。ゴツゴツのした岩を僅かな足場にしながら下る姿はロッククライミングの逆再生に見えると共に、この二人はもともと運動神経が良い人間であることが観察されます。
茶髪の女性が数々の愚痴を溢しながらも、二人はようやく地面に足を着けることができ、私の遺体へと小走りで向かってきました。
「おい、スコップだ!これで埋めておけ!証拠を残さないよう、装飾品とかもいっしょにな!」
すると一人崖の上にいた眼鏡の男性は二本のスコップを持って現れ、崖下の地面に突き刺すようにして投げ落としました。
結局固い土には刺さらず転がってしまったスコップでしたが、二人は早速拾って、死んだ私を埋めようと作業を開始しました。
――ここまで聞いて、何か不思議な点に気づきませんか?
別に三人の大学生のことではありません。男女の二人は私の遺体のそばで穴を掘り、崖上にいる一人は背を向けてスマートホンを掲げ電話をしてします。確かに彼らが行っている姿は非人道的な行動でありますが、決して間違った行いをしている訳ではございません。
そして、消え去った牧野朱義のことだって異なります。なぜだか意味嫌う私を死へ誘った彼女は、きっと今ごろ喜ばしい限りでどこかに舞っており、『M-1グランプリ』の決勝を観ているかの如くお腹を抱えていることでしょう。嬉しいあまり飛びだった彼女のことだって、何ら不思議な点はございません。
もう、ご理解いただけたでしょうか?
きっとわかっていらっしゃると思いますので、結論を申し上げましょう。
――それは、死んだ私が、あたかも生きているように物語っていることです。
人間が命を失えば、当人の意識だって無論消えてしまいます。これは生死という運命を背負わされた人間にとって、誰もが知っている当たり前な生理機能です。あのときの記憶がないだとか喚く方々をご覧になったこともあるでしょうが、それとよく似ている気がします。
ではなぜ、死んだ私はこんなにも鮮明に世界を見ることができているのでしょうか?
ここまでくれば今さら説明の必要もないことでしょうから、簡単に申し上げます。
――今現在、私の遺体のそばには、私の姿を象った魂が浮遊しているからです。
死んだことで幽霊となった私ですが、穴を掘り続ける男女の二人には気づかれておらず、一人宙に浮かびながら俯いていました。こうして目線を下げていると、私遺体には何度も、スコップで持ち上げられた土の一部が被さるシーンが目に映り込み、何とも表し難い気分に見舞われてます。ここから移動する気も起こらない。顔を上げることすらしようと思えない。これがいわゆる絶望という言葉の意味なのかと、身体という棺を失った私は改めて知りました。
「ふぅ、こんだけ掘れば、大丈夫だろ」
「なんでここの土、こんなにかてぇんだよ!?力仕事になるなら、引き受けるんじゃなかった」
下を向いたまま立ち竦む私のそばで、穴を掘り終えた男女がそれぞれ額の汗を拭うと、男は私の血まみれた頭を、女はスカートを纏う私の脚を持ち運びました。
「あぁ、キャンセルだ……わかってる、死体の方はこっちでしっかり片づける」
電話を耳に当てながら話し込む眼鏡の男の言葉も聞こえるなか、私の死体は無慈悲ながらも埋められてしまう状況でした。身体は約一メートルほどの穴へと投げられ、いよいよ大量の土を被せられるところでしたが、私は自分の遺体にすら目を向けずに涙を流していました。
「おとう、さん……おかあ、さん……」
大好きな二人には、もう会えない。
私自身が父母の前に出向いたとしても、今の周囲を観察すれば、姿など視てもらえないことは明るみです。
愛する父母のことを考えた私には、二人の温かな表情が頭に浮かんでおりました。
ベッドみたいにしっかりと支えてくれるような、お父さんのたくましい微笑み。
ふわふわとした毛布のような、お母さんの優しい笑顔。
確かに二人の顔は私の脳内に顕在でしたが、もう私という存在はこの世には無いのと同然で、反って涙が止められない理由ともなっていました。
「お父さん、お母さん……」
私の涙ながらの囁きは誰にも届いておらず、眼鏡の男からは背を向けられたままで、二人の男女は穴を埋め終わる頃でした。
お父さんとお母さんに、会いたい。
叶うならば実現してほしい、私の一生に一度の願い。でも死んでしまったらのなら、そんな夢だって叶えられないのでしょう。きっとこの声は姉の牧野朱義にも届いていないことですし、幽霊である自分のことを考えれば、一人喧しく叫ぶポルターガウスト同然でした。
「やだよ……こんなの、嫌だよ……」
誰も聞いてくれない。そして、誰も視てくれない。
これからの私がどうなるかなんて考えず、ただ現在の状況を飲み込めずに佇んでおりました。
助けの手を差し伸べてるくれる者だって、きっといない。私はもはや、一般人からは視られない幽霊なのですから。
牧野紅華として生きてきたなかで、始めてこんなにも泣いた気がした私は何滴もの滴を頬から落としていました。地面に落ちれば接触音もなく、染みすら残さず消えてしまうことから、この自然すらも私の存在を認めていない様子が否めません。
今思えば、受けてきたイジメだってさほど苦しくありませんでした。常に一人だけで過ごしてきた学園生活だって、何の嫌味も感じませんでした。
なぜなら私には、心から帰りを待ってくれている二人がいたから。
でも私にはもう、還る以外の選択肢がない。
ついに膝から崩れ落ちた私は地面と接触するかと予想しておりましたが、見えないガラスのようなものに遮られてしまい、結局は宙に浮いたままの状態でした。
自然の地にすらまともに足を着けられない、私という哀れな魂は、未だに止まらない涙たちを溢していました。
落ちては消え行く、自分のように儚き滴たち。
もう、全てがバッドエンドだ。
そう頭に過ったときでした。
――ピトゥ……
「は……」
小さな驚きを示した私には確かに今、涙の落ちた音が耳に入りました。さっきまで地面に当たっても音を鳴らさなかったはずなのにと、私は潤みきった瞳を制服の肩袖で拭って確認しようと試みます。すると地面には、ビーズのような淡い赤の輝きを放つ、一粒の小さな球体が落ちていることに気づきました。
「これ、は……?」
弱々しい声を鳴らした私の瞳にはまだ涙が残っておりましたが、そっと右手を球体へ伸ばしました。すぐに目が潤んでしまって、なかなか目的物までたどり着かない右手は、何度も地面を突き抜けてしまい、幽霊の自分には何も触れられないのだと暗示されている気がしてなりません。
それでも諦めず手を差し伸べる私はやっと到達させると、不思議なことに、そのビーズだけが指先に当たる感触を覚えたのです。どうしてこの球体だけ触ることができるのかは、このときは知りもしませんし、考える余裕すらありませんでした。
細い指先で摘まむようにして拾った私はビーズを顔に近づけて、まじまじと観察しました。
「きれい……」
淡く透き通った赤いビーズ。今夜の月に照らされていることで、その輝きはより美しいものでした。誰かの落とし物なら、普段ならすぐに交番にでも届けたい思いだと考えられますが、幽霊になってしまった自分はただ呆然としているだけで、座りながらじっと球体を見つめていました。
確かに無意識だったのですが、なぜなのか私は球体を眺めていると、ふとこう思ってしまったのです。
――美味しい、かな……?
私の虚ろな瞳に映る赤きビーズからは、もちろん可憐な美しさが放たれておりました。が、私は理由もよくわからず、自分の口へと近づけていたのです。まるで、生まれながらにして抱く癖のように、無意識の状況のもとで右手を動かしていました。
手で摘まれたビーズはついに唇に当たると、私の味覚には何も刺激を与えませんでした。やはりただのプラスチック性の物体なのかと疑わせる物でしたが、それでも私はさらに近づけて、いつの間にか口のなかへと投入していました。
私は一体何をやっているのでしょうか。落ちていた物を、それも食べ物でもないとわかっていながら口に入れるとは、何ともはしたない振る舞いです。我ながら、自分自身の意味不明な行動にうちひしがれていました。しかし、このときは知らなかったのです。
――今、私が口にしたビーズは、死んだ自分から吐き出された言霊だったことを。
「――うぅッ!!」
言霊を食らった刹那、私は激しき目眩と頭痛に襲われ、自身の頭を抱えながら苦しみ悶えておりました。
「うぅ!ううぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!!」
頭蓋骨が今にも破裂しそうなほど痛む頭部、徐々に視界がまともに見えなくなっていく両眼。霊である私の唸り声は、もちろん誰にも届いてはおりませんでした。一人苦しみ、一人悶えるという状況は天高く昇った月だけが見下ろしているだけのようで、異変に見舞われた私のことなんか誰も気にしてなどございません。
「う゛っう゛ぅぅぁぁああ゛ッ!!」
ついに座っていることすらままならなくなった私は、今度は身体を横に倒して、寝転がりながら全身を横転させていました。
もはや視界には限界が訪れたように、目の前の世界はボヤけてほとんど見えなくなってしまい、なり止まぬ激しい頭痛からも解放されずに、ただ悶絶するだけの時間が過ぎていきます。
私は、もう死んでしまうのでしょうか。
変な話であることは自負しております。だって、牧野紅華はすでに死んでいるのですから。どうやら魂すらも死が訪れていることなのかと、疑って仕方ありませんでした。
割れそうな頭を抱え続ける私は今にも意識を失いそうでしたが、ふと学校で習ったアルコールに関するお話、覚醒剤取り締まりの訪問授業が頭にうっすらと浮かび上がっていました。もちろん未成年且つ真面目な生徒だった私には、触れる機会など毛頭ございませんでした。世間からダメだと言われていることをやろうとするほど、驕りや勇気など持ち合わせておりませんでしたからね。
しかしながら、今の私にはその二つの作用が引き起こされているように思いました。アルコールを取り入れたように薄れていく意識、覚醒剤を使用したかの如く襲う苦しい気分。双方とも、学校の先生や業者の方々がおっしゃっていた現象であり、私はとんでもない物体を口にしてしまったことを後悔していました。それもなぜだか、以前に味わったことがあるように思えたことが心残りでした。
もう、ダメだ。絶対。
空中で大きく動き回る私でしたが、次第に身体の動きは鈍くなり、共に意識が遠退いていきます。今度こそ、本当の終わりのようでした。
ゆっくりと瞳を閉じた私には、もうどこにも力を入れることができなくなってしまい、安らかな永眠に就こうとしておりました。空中にいたせいで今自分が落下していることが、背中に当たる風らよくわかります。死んでから初めて味わった自然の感触ではありましたが、無意識に近い私は微塵の興味も抱いておりません。
これで、本当の死だ。きっと遺体と同じように、地面を突き抜けて埋もれてしまうのでしょう。最後の最後まで、私という存在は悲愴なものでした。
――バタッ!
「うっ……」
しかしながら、私は背中に地面が強打して、肺に残っていた空気を吐き出す共に意識が戻り始めました。それほど高い場所から落ちた訳でもなかったため、決して背骨が折れた感覚はありません。
ついには頭痛や目眩すら晴れた魂の身体には、どこにも異常を感じなくなると、私はいつものように立ち上がることができました。いつの間にか、二つの足裏は地面に接触させることも可能となっており、さっきまで持ち合わせていなかった質量を得たように思いました。不思議なことに、目を閉じたままでも大地の上に立ち続けることができており、場違いな落ち着きを取り戻しておりました。
不思議なことばかりが起こるようになった、幽霊の私。それは、今までに経験したことのない感覚や思いで溢れておりました。そして私はそっと瞳を明け始めると、さっきまでのボヤが嘘のように消えてなくなっており、視力を取り戻した目には、スコップで地面を固める二人の男女が鮮明に映し出されました。
私の遺体を埋め終えた二人は、穴と周囲の地面とを同化させようと、石ころや木の葉なども振り撒いておりましたが、そんな二人の動きを観察している私はたった一つの思いを抱いていました。
…………たい……
それは私が生きていたときすら、一度も起きたことのない感情でした。
……したい。
こんなことを口ずさんでしまったら、きっとさらに嫌われることとなり、大好きな父母からも見放されることでしょう。それでも私は、二人の大学生、そして一人の眼鏡な男子大学生を見ながら思い続けたのです。
――殺したい。
牧野紅華がこの世に誕生して約十七年。短いようで長い期間でしたが、ここにきて私は殺戮衝動という、今までに抱えたことのない禍々(まがまが)しい感情に埋もれていたのです。
「よしっ、とりあえず小屋に戻るぞ」
「あいよ~」
坊主の男がスコップを肩に乗せながらそう告げると、返事をした茶髪の女性が先に歩き出しました。
現状で最も近いのは男性の方だったため、凛とした表情の私は、彼の大きな背中を鋭く睨みつけながら、地面を蹴って距離を縮めます。
「う、うぅ、あっ!」
「お、おいどうしたんだよ!?」
坊主の男はスコップを落としてしまい、それに気づいた女性も踵を返して驚いていました。
「い゛、い゛ぎが……がはぁっ……」
「おいッ!!」
声を張った女性は、私と出会ってから見せていない、たいへん焦りにまみれた顔をしておりました。一方で男性の方はそのまま地面にひれ伏し、息もしていない様子でぐったりと倒れました。
「ふ、ふざけんなよ、しっかりしろよ!?」
生命を示さない目を開けたまま倒れた男性の頬を叩く女性でしたが、そんなことをやっても無駄だということを直々に伝えたくて仕方ありませんでした。
――だって彼は今、私のこの手で首を締め上げていたのですからね。
人間とは簡単に殺せる、虫けらにも及ばない生命力であると感じていました。首から脳へと伝わる血管には共に酸素を運んでいるため、そこを強く押さえてしまえば必ず生き絶える。首吊りが自殺ランキングトップであることを、正に象徴しているようでした。
「し、死んだのかよ?……んな、なんなんだよ!?」
冷徹な表情をやめない私の目の前で、再び絶叫した茶髪の女性は走り出してしまい、死体となった男性を置き去りにして逃げていきました。
「待てッ!!」
絶対に逃がさない。
聞こえる訳もないと知っていながらも叫んだ私は、ふと右手を彼女に対して伸ばすと、摩訶不思議な事態が待ち受けていたのです。
「う、うわぁッ!!」
私の考察上、運動神経には自信がありそうな茶髪の女性ですが、見るも無惨にコケてしまいました。それほど焦って逃げようとしていたのでしょうか。
しかし私の見解が違ったことは、ただいま異変に気づいた眼鏡の男性が近寄ってきたことで明らかになります。
「おい!何事だ!?」
「死んだし、うご、けねぇ……」
「はぁ!?」
「何でか知らねぇけど、アイツ死んじまったんだ!それにアタシの身体も、全然力が入らねぇんだよ!!」
夏にも関わらず冷や汗を垂らして叫ぶ女性でしたが、彼女の言葉から私はあることに気づいたのです。
――私は今、彼女に金縛りを掛けたんだ。
辺りが騒がしいなか、私自分の手のひらを不審ながら見つめていました。きっと、先ほど手を伸ばした時にでも発動されたのでしょう。金縛りによって彼女は身体を動かすことができなくなり、彼女らしからぬ転倒を招かせたに違いありません。
自分の手のひらに、ついにやついてしまった私は次に彼女を死に至らしめようと、地面に落ちていた作業用スコップを持って近づいていきました。
「はっ!?」
「お、おい、どうしたんだよ……?」
目をバッと開けてみせた眼鏡の男に、起き上がれない女性は苦し紛れに声を鳴らしていました。しかし、それも無理はございません。私の姿を視ることができないのならば、今彼の瞳に映っているのは、スコップが宙に浮きながら近づいている魔法のような世界なのでしょうから。
うつ伏せ状態の女性も首を曲げて驚愕してる様子が伺えるなか、私は鋭く尖ったスコップの先端を、彼女の首へと近づけていきます。
「やだ……やだやだやだやだやだあぁぁ――!!」
死を察したような泣き叫ぶ女性でしたが、今の私の心には全く響きませんでした。ただただ彼女を殺したいという観念のもと、スコップを運んでいるだけですからね。
彼女のそばにたどり着いた私は一気にスコップを振り上げ、迷いなどないままに首もとへと降り下ろしました。
「やめろ゛ぉぉ――――!!」
ブチュクリ……
彼女の首骨に当たったせいか、尖ったスコップからは骨折の音も鳴らされていました。しかし問題はありません。スコップは女性の首を貫通したおかげで、地面に対して垂直立ちしていますから。
「あと、一人……」
ボソッと呟いた私は目線を上げて、残る一人の男性へ冷たい瞳を向けました。
「お、お前、なぜ……」
「ん……?」
なんとも不思議なことに、私は彼と目が合ってしまったのです。死んだ女性ほどではありませんでしたが、彼からも驚きで強張っている様子がよくわかり、目の前で後退りをしていました。
「私のこと、視えるのですね。ならば、好都合です」
「……フッ!!」
ついに逃げ出してしまった男からは背を向けられてしまいますが、私は落ち着いたまま彼の疾走を眺めていました。もう一度金縛りを掛けて動きを止めてやろうとも考えましたが、事件に絡んだ三人の中でトップのような彼にはもう少しいたぶる必要があると感じて、手を挙げずに後を追いました。
霊とは何とも便利なもので、目的地へ向かおうとすれば空を舞いながら進むことができるのです。まるで人間の殺害を促すかのように。
すぐに崖を登りきった男性は、予め近くに停車させていた白のワンボックスカーに乗り込み、そのままエンジンを始動させて走り出しました。
「なんなんだよ!?何がどうなってんだよ!?」
心からの戸惑いを一人言として表現する彼の運転は荒々しいもので、今にも車が横転しそうになるくらい凄まじいスピードを保っておりました。急なカーブでもアクセルを踏んで加速しており、警察にでも見つかれば罰金間違いなしでしょう。
「なんで、なんでアイツが!……はっ!!」
バックミラーを覗いた男は、やっと気づいたようでした。彼が乗車してからずっと、私はすぐ後ろにいたことを。
「シートベルトも着けないで、ダメではないですか?」
「お、お前……」
「そのままだと、前方不注意にもなりますよ?」
冷徹に話しかける私でしたが、恐怖に駆られた男の声は完全に震えていました。もう彼のみっともない姿を見ていられなくなり、後ろからハンドルを掴みます。
「んな、何を……?」
高い崖を曲がる急カーブが見えてきたところで、私は再びニヤリと笑みを浮かべました。
「あなたも、私と同じように落ちてもらいます」
次第に見えてきたのは左へ屈折する急カーブでしたが、私はハンドルをそのまま右へと大きく回してやりました。
「は、はなせえぇぇ――――!!」
男の必死たる叫びも束の間、車は見事に道から外れ、私が落ちた崖とよりも高い位置から落下していきました。
ドボガァーン!!
地面に接触した車は故障だけに留まらず、赤く激しい炎を上げ、まるで山中に狼煙を起こしているようでした。これで彼も、間違いなく死んだことでしょう。
一方で私はというと、月夜の宙に浮かびながら、火の元である車を見下ろしていました。
高い温度で燃え盛る紅の炎。触れれば火傷では済まされないように激しく吹き荒れていましたが、絶対零度を乗り越えた氷のように冷たい瞳に、静かに浮かべていました。
皆様、こんばんは。最近投稿時間になかなか間に合わない田村です。本当に申し訳ございません。
今回のお話は、とてもコメディーっぽくない話になってしまいました。こちらも御詫び申し上げます。
次回でカナ――牧野紅華の過去は終わらせるつもりで、もとの麻生やなぎ殿に視点が戻ります。
牧野紅華の悲しき過去を、どうか最後まで見届けてくださるとうれしいです。
では、また今度!
PS
今回は相当急ぎで作成してしまったので、誤字脱字があればお伝えしていただくと助かります。




