三十八個目*私(わたくし)は、蘇生したのです。
――それは、牧野紅華の過去。
そして、カナの抱く想い――
皆様は、蘇生という言葉を御存知でしょうか。
蘇生――それは一度息を引き取った人間の魂が、もう一度身体という名の棺に入り、再び人間として生活を営むことです。簡単に述べるなら、死んだ人間が生き返ると言ったところでしょうか。ある意味では、多くの方々が憧れている『転生』という言葉に似ていることでしょう。ただ、霊としても生活していた私にとっては、その言葉には少しばかりの違和感を覚えるのですがね。
なぜ違和感かだって……?
それは、お教えできません。それを知ってしまったら、あなた方は私を私として見てくれなくなると思うからです。
そんな周りから距離を置こうとする私はある日、病院の白いベッドの上でゆっくりと目覚めました。
「……」
最初に見えたのは白い天井――かとも思いましたが、どうも口に貼り付く感じが否めなく、とても呼吸がしづらいものでした。
「……ハン、カチ……?」
口ごもるように答えた私の顔上には、死者を表す白いハンカチが置かれていたのです。正直
、なぜこのような真似をされているのか検討が着きませんでした。だって、私は今、生きているのに。
「紅華ちゃんッ!?」
ふと女性の名前のような叫びが、私の耳の中に入りました。発したのは声質からして女性でしたが、一体誰の声なのかまではわかりません。
まだ眠気さが残る私は半開きの目を開けていると、次の瞬間には目の前の白いハンカチが消えて、実際の天井が目に映りこみました。それもまた白さを見せるものでしたが、辺りは薄暗い闇に包まれており、目を凝らさなければ見えない空だったのです。
「紅華ッ!!」
男性誰かの名前が叫ばれた刹那、私の身体に何者かが触れているのがわかりました。小首を動かして確認してみると、もうすぐ初老を迎えそうな女性が私の小さな手を握りながら泣いており、その後ろでは、彼女と同い年程度の男性が瞳に涙を浮かべていました。
はっきり言って、この黒いスーツ姿の二人が誰なのかは理解できませんでしたが、私は恐らくこれだろうと予想を立てて声を鳴らしてみました。
「おとう、さん……?おかあ、さん……?」
それは僅かな音で、相手からしたらなかなか聴きづらいボリュームでした。しかし、私を見つめる涙ながらの二人は頬を緩め始め、今度は女性が飛び込むように抱き着いてきたのです。
「そうだよ、紅華ちゃん!お母さんだよ!それに、お父さんだよ!」
私の胸元に泣き面を当てる女性がそう言うと、彼女の涙のせいか生温い温度を感じとりました。ですがそれ以上に、普通の涙よりかは温かみを帯びていたもので、私にはどこか心地よさすら感じるものでした。
――お母さんと、お父さん。
ついには父と思われる男性も頬に滴を垂らしており、スーツの袖で何度も目を擦っておりました。
病院のドクターや看護婦の方まで近寄ってくるなか、私はふと自分自身の姿に目を向けました。先ほど母によって握られていた手は細々しく、それを伝う腕も今に折れそうな状態です。肘からは半袖の白い患者服が見えてくると、その白が身体全身を纏っていました。どうやら、まだまだ未発達な少女の身体が否めません。
父母の涙、ドクターの笑顔、看護婦の拍手。
これらをもとにして考察した結果、私はある結論を導きだしました。
――私は、蘇生したんだ。
このときは知りませんでしたが、一度霊となっていた私には、これまでに生きていた記憶が消えてしまっていたのです。だからこそ、父母の顔を見ても、声を聞いても誰だか理解できませんでした。しかし、私はどうやら牧野紅華として、再び人間生活を贈ることができるようになりました。
まだ自力で起き上がることもままならない私は、どうにか自分自身の過去を思い出そうと、必死に思考を巡らせました。どうも脳に残った記憶と、私という魂の記憶には直接繋がっていないようでしたので、思い出すためにはかなりの時間がかかってしまいました。しかし、次第に脳の動きが活性化されるおかげで、目覚めて数十分後、私はやっと父母の名前や、なぜ私この病院にいるのかなどの情報を手にいれることができました。ですが、どうも違和感だらけの記憶たちが蘇ってくるもので、私は素直に受け入れられずに耽っいました。
私の名前は、確かに牧野紅華らしい。
私は今、笹浦第四中学校に通っている、中学一年生の女子らしい。
生まれつき心臓が弱かった私はつい最近の七月に、この病院で緊急入院をしていたらしい。
様々な記憶たちが、長い眠りから覚めたような私の精神を襲うなか、一つだけもっとも大きな情報が飛び込んでくるのです。
――私には、牧野朱義という、大好きな姉がいた。
「チッ……」
ふと舌打ちが耳に入った私は、音が聴こえた病室の窓側へと目をやりました。するとそこには、私と同じ患者服の姿をし、私とほぼ背格好が同じな女子が夏盛りの空を背にして、宙を浮いたまま恐ろしい鬼の顔を見せつけていました。
何が彼女の不機嫌を誘っていたのかはわかり兼ねましたが、私はそんな怒れる女子に向けて弱々しい喉を鳴らしました。
「朱義……お姉、ちゃん……」
歯軋りを止めぬ彼女は、私の姉である牧野朱義の霊だったのです。長めな髪の毛を下ろした彼女の二つの瞳からはおぞましい憎しみの煌めきが見てとれ、まるで目覚めた私のことを歓迎していない様子でした。
私の咄嗟の一言は父母たちにも聞こえていたようで、二人とも私が向ける視線の先へ顔を放っていました。しかし、二人とも最後には呆れ返ったように笑いを吹いてしまい、病室の中には場違いを思わせる声が響いておりました。
「紅華ちゃんたらぁ、いきなり変なこと言わないでよ」
「え……?」
私は涙を浮かべながら笑う母に首を傾けていましたが、続いて父からも微笑みを向けられます。
「そうだぞ、紅華。まだ、夢でも見てるつもりかい?でもきっと、朱義も紅華が目覚めたこと、天国ですごく喜んでるんじゃないかな?」
すると二人は、病室の白い天井を見上げてました。恐らくは天国に向けて顔を上げているのだと伺えましたが、正直二人がそのような行動をとっている意味がわかりませんでした。
――だって、朱義お姉ちゃんはそこにいるのに。
どうも二人には牧野朱義の姿を見ることができていない様子でした。それに父が言っておりましたが、朱義は決して笑ってなどいませんでした。むしろ彼女の面からは憎悪のような闇しか放たれておらず、自然と私から明るさを取り拐っていくものです。
「許さねぇからな……」
「え……?」
怒りで震えた朱義から声をいただいた私は再び首を傾げると、その刹那、朱義の姿は小さな丸い発光体へと変化し、笹浦市の町並みがよく見える窓をすり抜け飛びだってしまいました。一体彼女はなぜ、私のことをあれほどまでに恨むのでしょうか。
霊となった姉の言動全てに不信感を抱く私でしたが、このことはとりあえず心の奥底にしまって、今は目の前で歓迎している父母に笑みを見せることにしました。
布団よりも遥かに暖かい母の抱き締め。
窓から見える太陽よりも眩しい父の微笑み。
姉は望んでいなくても、どうやら父母たちは私を待ってくれていたようでした。
入院生活はしばらく続くこととなりましたが、身体の以上はどこも感じなくなり、ドクターから懸念されている心臓の動きも良好であることを告げられました。
この期間中では、まだ話す言語能力が低いことを感じてしまったため、小説を読んだり滑舌を鍛えるなどの特訓を重ねていました。特に敬語に関しては必死に勉強をして、今こうしてお伝えしているように、自分の一人称を『私』と言うまでになったのです。一応、目上の方が相手でも大丈夫なように仕上げることができ、これで誰とも無礼なく会話できることとなりました。また、ほぼ父母の二人が私に付き添う形となっていたので、まだまだ自分自身のことを理解しきれていない私は二人から私の過去を始め、牧野家に起こった出来事、私を襲った出来事を聴くことにしました。
二人曰く、姉の牧野朱義も私と同じく心臓の悪い少女であったため、彼女は三年前の中学二年生の夏に亡くなったそうです。私に関しても同じ夏の季節、夏休みが始まろうとしていた中学校から帰宅したときに、母だけがいた家の中で急に倒れてしまったようなのです。
しかし、今は心臓のことは気になりませんでした。むしろ本当に自分が倒れたのかどうかすら怪しいもので、ふと胸元に手を当ててみると、確かな脈を一定に打ち続けていました。
自分自身の蘇生にすら不審に思える私でしたが、心から待っていてくれた父母たちにもう一度、おとうさん、おかあちゃんと小さく囁きました。
***
私が蘇生に成功してから、時間はかなりのスピードで進んでいきました。しかしそれも無理はありません。なぜなら、私、牧野紅華の人生はとても退屈なものだったからです。
学校に通えるようになった私は中学一年の十三歳。二学期の秋口から笹浦第四中学校へ登校するようになりました。学校に関する記憶はあまり出て来なかったため、一体どんな顔をして向かえば良いのかわかりませんでした。とりあえず制服を纏って、履き慣れた運動靴に足を通して、最後に父母から笑顔を向けられたまま外出していきました。
私にとっては新学期という特別な思いは持ち合わせておりませんでした。しかし、どうせだったら楽しい学園生活にしたいと思いながら、久々にアスファルトを踏みながら進みました。
学校は家からずいぶん近いため、歩いて十分経たないうちには既に下駄箱にたどり着きました。回りには同じクラスの生徒と思われる方々がたくさんいらっしゃいましたが、不思議と誰も声を掛けてはくれませんでした。それどころか、何だか皆揃って遠ざけている様子も伺えて、私には疑念ばかりが募る胸中のまま、下駄箱から上履きを取り出して履き換えようとしました。
「いったッ!」
突如として私の足裏から恐ろしい痛覚が襲いました。咄嗟に上履きから足を出して紺ソックスの足裏を返して見ると、やはり赤い血が僅かに噴き出していました。初日早々、運の悪さを感じておりましたが、それも束の間、私ふと上履きの中身を確認してあることに気づきます。
――そうだ、イジメられてるんだ。
目の輝きが失せた私に見えたのは、上履きの中身で先を尖らせた一つのガラスの破片が光っていることでした。さっき私を襲った凶器はこれで間違いありません。それは私の学生生活の全てを物語っていたようで、怪しげな光を見せていました。
確かに、私は入院することとなったのは現在と同じ、中学一年のときです。ですが、通っていた小学校から私のことを知る人間がたくさんいる状況でしたので、小学校に引き続きこのような世界が待っていたのです。ただでさえ夏休み間近に倒れているのです。入院していた私のことはきっと知らないでしょうし、かわいそうだなと慈愛を抱く者など誰もいないから、初日早々こんな目に遭うのでしょう。
湯水の如く蘇ってくる学校の記憶。それをたどってしまった私は、なぜここに来る前に思い出せなかったのか、何となく理解しました。
それは、牧野紅華が嫌悪していた記憶だったから。
当時の私はきっとこの現実を嫌がっていたため、脳から記憶を取り出せなかったのでしょう。しかし人間という弱き生き物は、嫌な記憶ほど消すことが困難です。むしろ良い記憶や大切な記憶ほど忘れやすい儚き存在なのです。
私のように――
案の定、相談できる友人もいない私は、このイジメの件を隠すことにしました。担任の先生はよく、いつも独りでいる私に声を掛けてくださって、悩みごとはあるかい?と、口癖のようにして近づいてきます。ですが、私はそれでも無表情を貫いて首を左右に振り続けました。
イジメという、強い粘着力を秘めたレッテルを一度貼られると、それは剥がせても一生跡を残すものです。だから世間では、イジメはよくない、してはいけないと何度もしつこく豪語される訳なのです。まぁ、決して無くならないのが現状なんですけどね。
それでも私は、口を閉ざしながら学校生活を贈ることにしました。その理由は至って単純で、事を大きくしたくなかったからです。
入院生活のときに、父母がこのイジメを私知らせなかったのはきっと、あの二人は知らないからでしょう。だからあそこまで無邪気に笑うことができて、あそこまで可愛がってくれたはずです。
私の緊急入院でたいへん悲しんだ二人を、こんなくだらないことで悲しませたくない。
私は、牧野紅華の蘇生を心から喜んでくれた、世界でたった二人の人間のことを考慮して、このイジメという『現実』を『運命』という言葉に切り換えて、傷んだ足を引きずりながら学園生活を再開させました。
こうして人生のスピードを加速させた私は次第に学年を上げていき、気づいたときにはこの中学校を卒業することとなりました。この登校再開をしてからの期間では、入院理由であった心臓には全く問題がなかったため、無事な二年半を過ごすことを成し得ることができたのです。
もちろん進学することとなった私は市内に建つ県立高校、笹浦第二高等学校に入学することとなります。県の中でも平均的なレベルであるこの高校は、周囲からは進学校の一校だとも言われており、私以上に父母が入学を祝福していました。彼らを喜ばすことができて、内心とてもホッとすることができたのです。
女子高校生という新天地を迎えた私でしたが、中学校で交遊関係など皆無のまま勉学のみで過ごしたせいか、同級生とどのようにして会話をしたら良いのか、全くわからず立ち竦んでしました。あの女子グループはどうして、意味のない会話をおもしろそうに続けているのか。あの男子たちはなぜ、そこまでスマートホンのゲームに夢中になっているのか。
友だちなど作ろうとしなかった私がいざ高校で顔を上げてみると、そこは一言で現せば未開拓地帯でした。
――また、独りか。
再び私の学園生活は無色透明なものとなり、毎日が同じ繰り返しの退屈な日々を強いられるとこととなるのです。
しかし、きっとこれも運命なのでしょう。
この現状をなんとか受け入れる努力をした私はそう言い聞かせながら、目線を少し下げて生活していきました。
学校に心を寄せる相手がいなくとも、私にはいつも家族という存在がいるのです。それは何よりも心を置ける存在で、叶うならずっとそばにいたい環境です。
――そう、ずっとそばにいたいと思っていた。
高校生活では中学校よりも勉学に励む時間が多くなり、私は既に周囲の目など気にしている余裕などありませんでした。担任の教師による登下校の注意もまともに聞いておらず、気づけば自分が高校二年生になっていたことだって全く実感が沸かないほどです。
そんな二年生の夏休み目前とした頃、私には大きな事件が発生するのでした。
七月を迎えたこの季節は梅雨から解放された太陽げ眩く輝き、この笹浦市に熱帯夜をもたらすほど活発でした。
本日の授業も終わり、早速下校した私は、もう少しで夏休みということに心を踊らせながら歩いていました。だって、もう少しで父母たちとじっくり生活できる時間が来るのですから。去年は家回りの草むしりや清掃を手伝いましたが、今年は何をお手伝いしましょうか。母の隣に立って、ご飯作りを手伝ってみましょうか。
このようなことを考えながら、独り太陽の下で帰路を辿る私は、夏服の制服にあるリボンを揺らしながら歩んでいました。
「あの~、すみません……」
「……」
「ねぇ~、そこの女の子?」
「えっ?私ですか?」
他者からなどあまり声を掛けられたことがない私は一度無視をしてしまいましたが、すぐに顔を向けて驚きました。見えたのは大学生ほどの若い男性と女性が一人ずつと、その背後には白い大きなワンボックスカー。どうやらその中には運転手がいるようで、全部で三人の人たちと出会すこととなったのです。
見も知らない彼らたちなだけに、一体 私に何の用があるのでしょうか。
疑念を抱きながら男たち二人に顔を向けていると、髪を茶色に染めた女性が一歩近づきました。
「あのさぁ……アタシら道に迷っちゃったんだよねぇ~」
苦笑いをしながら茶頭を掻いてみる女が告げると、今度はその後ろにいた礼儀正しそうな黒髪の男が、茶髪な彼の隣に立ちます。
「いきなり声を掛けてごめんなさい。無礼ですよね?」
「え、いえ、別に……」
同じ表情を見せる二人から一歩退いた私でしたが、男の丁寧な言葉に声を鳴らしました。どうやらこの方々は、どこか行きたい場所があるのに迷ってしまったようでした。
「ところでさ、君の名前は?」
気さくに話しかける茶髪の女でしたが、私は牧野紅華の名を、口ごもりながら言ってみました。
「ま、まきのって、もしかして牧野さんの娘さん!?」
突如驚いて声を唸らせた茶髪の女に言われると、私も驚きを隠せず頷きました。
「そ、そうですけど……どうしてですか?」
不振を面に出しながら私が問うと、ふと清楚な男から微笑みを向けられていました。
「そうですか~。これはたいへん失礼致しました。実は僕ら、今から牧野さんの家に向かっていたところなんですよ。今日は大学の授業がお休みになったから、久々に挨拶しに行こうと思いまして。まぁそれが、この有り様でしてねぇ……」
「父母のことを、ご存知なのですか?」
少し緊張が和らいだ私は瞬きをすると、再び茶髪の女性が無邪気な笑顔で近寄ってきました。
「そりゃそうだよ!アタシたち、お嬢ちゃんのお父さんにはすっごく感謝してるんだからさ!」
「か、感謝……?」
この二人が父母の知り合いだと言うことは理解できましたが、一体父から何の恩恵を受けてきたのかまではわかりませんでした。すると私の心を察したかのように、黒髪の青年が一度咳払いをして喉を鳴らします。
「牧野さんからは、幼いときから世話になっていてね。貧しい僕らの家庭、それぞれを支えてくれたんだ」
「そ、そうなのですか……?」
「そうだよ!てか、知らないの!?」
「は、はい……」
介入した茶髪の女性に、私は苦い顔をして答えてしまいましたが、確かに父母たちが他者の家庭に金品を贈ったりすることなど、蘇生してからは聴いたことがありませんし、私の脳にも記憶されていません。
わからないことだらけで小首を傾けてしまうと、礼儀ある男は二度三度と首を縦に振っていました。
「だって、牧野さんはきっと、そんなこと言いふらすようなお方じゃないでしょ。あの人って思い遣りのある人だから、自分が誰かを助けたことなんか口にするわけない」
その言葉は私に向けられたものでして、家族を愛している自分は素直に受け入れられたのです。父にはそんな素晴らしい経歴があったのかと、内心嬉しい思いで染まりました。
「そうなのですか。でしたら、私が自宅までの道をお伝えしますね!」
嬉しさのあまり笑顔で答えた私は、親から渡されていたスマートホンを点灯させて地図のアプリ画面を開きました。ですが……
「あれ……住所って……」
普段自分の住所など記載したことがなかった私は手が止まってしまい、地図の画面が現在地のままでした。
「ごめんなさい。私、住所がわからなくて……」
「マジかぁ~!箱入り娘とか超かわいい!」
茶髪の女性が大きな声で叫んでいましたが、それも無理はありません。だって、女子高校生である私が自宅の住所すらわからないのです。きっと、世間知らずで頼りない女の子だと思っていることでしょう。
何度も頭を下げて謝罪を見せた私でしたが、二人の大学生からは決して嫌な顔を向けられておらず、むしろどこか安心した様子すら垣間見えるものでした。
「そっかぁ~、だったらぁ……」
すると茶髪の女性が子どもらしい笑顔で呟くと、そのまま顔を隣の礼儀ある青年に向けて頷かせていた。
「よかったら、家まで送ってあげるよ。目的地は同じだから、ちょうど良いかなと思うんだけど」
微笑みを絶やさずして青年が言いますと、私は彼の意見にすぐ賛成しました。これならいくら住所を知らなくても、帰り道を知っている自分なら案内できそうです。
「わかりました。車に御乗車してよろしいということですか?」
「えぇ。質素な車ですが、嫌でなければ乗ってください」
「ありがとうございます」
こうして私は大学生二人に挟まれながら、白のワンボックスカーの後部座席に座ることとなりました。この方々を連れて会わせれば、きっと父は喜んでくれることでしょう。普段何もできていない分、こういうところで恩返しをして差し上げたい。
外では滅多に見せてこなかった頬の緩みが増し、私を中心とした車が走り出してました。
車内では私の隣に茶髪の女性が座り、助手席には律儀な男性が座る配置となりました。二人からは次々に話し掛けられることで、この空気を楽しいものに変えてくれていました。一方で声を出さない運転手の方は顔まで確認できませんでしたが、身体つきを考慮すると男性であることがわかりました。
「いや~、しっかし暑いね~」
ふと隣の女性はそう呟くと、足元に置いてあったクーラーボックスから一つのペットボトルを取り出しました。一本だけ、かと思いましたが、彼女は二本手に取っており、ほの一本を私の膝元に置きました。
「お嬢ちゃんも暑いでしょ?せっかくだから飲みな」
「え?でも、悪いですよ……」
「気にしない気にしない!遠慮なく、飲んだ飲んだ!」
私は半ば強制的に飲まされることとなりましたが、この炎天下の日々の飲み物とはとても快楽を得るもので、私の心まで落ち着かせるほどでした。
発車してからしばらくして、道中では帰省の時間帯の影響で渋滞が起きていました。あいにく私たちも見事に巻き込まれてしまい、なかなか自宅までたどり着かないものでした。
すると私はふと、視界がぼやけていくのを感じました。
――あれ、なんでこんな眠いの?
珍しく睡魔に襲われることとなった私の瞼は徐々に重さを増していき、瞳を半開きにしているのがやっとでした。しかし、ここで眠ってしまっては道案内ができない。せっかく私を乗せてくださったお三方に失礼でしょう。
私は自分自身を叱るように言い聞かせて、なんとか目を開けようとしました。ですがそれでも睡魔には勝てぬままであり、視界がまともに見えなくなってきました。
――ダメだ、ダメ、だ……
ついに私の瞳は瞼というシャッターに遮られてしまったのです。意識も消えていくことから、私はただ車に揺らされながら眠ってしまいました。
皆様、明けましておめでとうございます。毎年恒例のバイト正月だった田村です。
今まで隠してきたカナの過去がやっと書くときが来ました。新年早々だいぶ苦しい話ですが、どうかお付き合いしてもらえると助かります。
次回はカナの過去後編といったところです。
皆さんも帰り道には気をつけてくださいね。




