三十六個目*おれたち、浮遊霊合唱団
カナは牧野紅華だった。
それを知ったやなぎはすぐにアカギのもとへと向かうため、昨晩彼女と出会った墓地にたどり着くが、そこにはアカギの姿がなかった。
しかし、墓地に残されていた浮遊霊たちは何やら集まって話し込んでおり、やなぎに注意を向けさせていた。こんなときに彼らは何を企んでいるのだろうか。
夜道には危険がいっぱいだ。
一人で歩いていれば、誰かから見られているのではないか、はたまた着けられているのではないかという恐怖心を煽ってくる。
だが、仕事や学校から解放されて自宅に帰っていることへの安心感も忘れてはいけない一面だ。
基本的に一人になると人間は、己の思うままに場景を一喜一憂して感じ取る、まるでワガママな人間と思われるに違いない。
一方で、大人数で並んで歩んでいる場合では、今日一日で何があったとか、何かおもしろい話題はないのかと、辺りとは違って明るい雰囲気に包まれてるのがよく目に映る。
暗い雰囲気はないのか、と言われると、俺は正直あると信じてる。いや、絶対あるのだ。
例えば、二人の彼氏彼女が共に歩いていたとしよう。 そこで喧嘩などしてしまえばどうだろうか。無論足取りが軽い訳がないはずである。
結局のところ、夜道とは人間の感情を色々なものへと変えてしまうため、情緒を不安定にさせる摩訶不思議な通路なのだ。だからこそ夜道は危険で溢れかえっているため、少年少女たちには控えてもらっているのだ。どうか、このことを頭に入れてほしい。
そんな、長年一人で登下校を繰り返し、夜道も昼間の道も至って平常運転を行ってきた俺、麻生やなぎは現在、僅かな外灯に照らされながら猛ダッシュしていた。
ここ最近、何とぞ息を上げる機会が多くなったことが懸念されるが、今回の場合もそんなことを気にしている余裕などなかった。なぜなら俺は、とんでもない真実を突きつけられてしまったからである。
―アカギの妹である牧野紅華は、あのカナだったのだ―
アカギがどうしてカナのことを探しているのかは、正直検討が着かないが、あの言われた時の彼女の真面目な顔からは、どこか待ち望んだ再会とはほど遠いものを感じる。
最初はまだ俺自身がアカギに対して恐怖心を抱いているから恐く見えたのだと思っていたが、振り返ってみればそんなこともないように思われる。アイツがたくさんの浮遊型の霊を助けていたことから、俺に人間味ある彼女を応援してもいいという気持ちすら生ませたのだ。だからこそ、あのときのアカギの顔は本当に恐ろしい考えをしていたに違いない。
しかし、だとすればアカギは、カナと再会したら一体何をするつもりなのだろうか。
アカギの話によればカナも浮遊霊の一匹であり、そのことは、今までカナが起こしてきた憑依型らしからぬ言動を目の当たりにした俺も素直に受け入れられる。だが、アカギが牧野紅華という名前を告げたときは、どこか厳しい表情にも見えた。
―浮遊霊であるカナを助けるのか。それともカナを―
嫌な予感が頭に過りながら走る俺だったが、すると昨晩アカギたちと遭遇した墓地が見えてきた。相変わらず外灯もない真っ暗闇に包まれている空間ではあるが、俺は迷わず入り口を潜って突き進む。暗くて足場や墓石が見えづらい分、何度か転びそうになったりぶつかりそうにもなっていたが、俺は墓地の奥にある『牧野家之墓』と刻まれた墓石目掛けて駆けていった。
ガヤガヤ……
「ん?」
徐々に目的地へと向かっている俺だが、前方には大勢の人だかりが見えてくる。ほとんどのヤツらは俺に背中を向けながら円陣を組むようにして話し込んでいるようだが、そのうち何人かの者が地に足を着けずに宙へと浮いていることから、俺は人だかりではなく霊だかりだと判断した。
昨晩では俺を警戒するように、皆揃って墓石の裏などに隠れていたのに、どうも今夜は違うようだ。一体何を話し合っているのだろうか。
首を傾げながら浮遊霊たちへと近づく俺は次第にスピードを緩めると、依然として振り向こうとしないヤツらのそばまで来たところで立ち止まる。
「おい?」
「「「「ギャアァァーーーー!!」」」」
ふと俺が声を投げ掛けると、浮遊霊のみんなは突如盛大に驚いてしまい、その声はそこらの合唱団なんかよりも高らかなビブラートを効かせていた。これなら間違いなく金賞は狙えるだろう。
ヤツらの大きな悲鳴で反って驚いてしまった俺が茫然としているなか、まるで密輸売買が見つかったかの如く、浮遊霊たちは直ぐ様周囲へと散って隠れてしまう。が、一匹のダウンジャケットを着こんだ少年は俺の顔を見ると、ハッと気づいたようにして立ち止まった。
「あ!やなぎお兄ちゃん!!」
「ショウゴ……あれ、アカギは?」
息を上げながら質問した俺には、昨日居座っていたはずのアカギが彼女の墓石前にいないのがわかる。
俺が辺りを見回してもアカギの姿が見当たらないでいると、ショウゴは安堵のため息を漏らして俺を振り向かす。
「アカギお姉ちゃんなら、今外出中だよ!」
「ま、マジか~……」
どこか嬉しそうに呟いたショウゴだが、正直俺はガッカリしてしまい、ここまで全力疾走してきた自分を悔いていた。折角カナの、牧野紅華の正体がわかって聞きたいことが山ほどあったのに。
初日のアルバイトでの疲労もありながら、共に失望して肩を落とした俺は地べたに座り込んでしまう。骨折り損のくたびれ儲けとは、正にこのことだ。アカギのヤツ、こんなとき一体どこをほっつき歩いてるというのか。夜中に徘徊するなど、全くけしからん女の子だ。
胡座で座った俺が闇夜に大きなため息を放つと、前方にいるショウゴははにかみながら口を開ける。
「やなぎお兄ちゃんで良かった。アカギお姉ちゃんに見つかっちゃったら、サプライズ失敗になっちゃうからね」
「さ、サプライズ……?」
ふとショウゴに対して顔を上げた俺は、不思議ながら笑顔の少年を眺めていた。
先ほど集まっていた霊たちからも安心した様子が伺われるなか、次第に息を整えていく俺は立ち上がり疑問を投げる。
「てか、さっきは何を話し合ってたんだよ?何だか集会みたいだったけど……」
「そ、それはね……」
何だか言いづらそうなショウゴはそっぽを向いて俺から視線を逸らし、右手で小さな頭を掻きながら左手を背中に隠していた。
「左手、何持ってんだよ?」
「ギクッ!!」
ショウゴは一瞬にして氷結したかのように驚いていたが、正直俺から見たらバレバレな行動だった。だいたい人前で片方の手を隠すなんて、何か見せることができない物を持っていか、ゲームの最中にイライラして背中を掻きむしるかのどっちかだ。少なくともショウゴの場合は前述した方に違いない。ちなみに俺は大抵が後述した方で、いつも真っ赤になった背中にシャワーを浴びると恐ろしい激痛があることを教えておこう。
俺が疑う視線を少年へと送り続けていると、ショウゴは残念そうに再びため息をついてみせる。どうやらあまり公にできない物を持っているようだが、彼の小さな手のひらに収まるくらいならそれほど大きな物ではなさそうだ。果たして、一体何を手にしているのだろうか。
「……成人雑誌か?」
「せ、せいじん?なにそれ?宇宙人のこと?」
「いや、何でもない。気にするな……」
まだまだ汚れなき心を持つショウゴに不思議な様子を見せられるなか、俺はすぐに否定して発言を無かったことにした。よく考えれば、彼は小学生でまだ学年も低いことであろう。恐らくは『星人』と聞き間違えたのだろうが、そのあたりショウゴは特撮が大好きな熱き少年であることが伺われる。なんともヒーローを愛する子どもらしい誤解だった。
そんな潔白過ぎる少年には、まだ俺の言葉は早かったようだ。俺はなんてことを質問しているのか。だから男という生き物は愚かだと豪語されるのだ。俺もショウゴくらいの年齢に戻って、もう一度清々しい人生を送ってみたい。あの頃は何も考えずただバカらしく走り回っていた。そんな少年時代が愛おしいあまりだ。
「……やなぎお兄ちゃん!?」
「な、なんだよ……?」
懐かしい過去に耽っていた俺へと、突如視線を戻したショウゴはさっきと違って真剣な表情を見せており、俺に変な緊張感を与えていた。
「アカギお姉ちゃんには言わないって約束するなら、教えてやってもいいぜ?」
「こっちは見下ろしてんのに、お前は上から目線かよ……?」
ショウゴの意気揚々とした様子に、俺はまた別の怠さを覚える。しかし、今少年が何を持っているのかがそれなりに気になっていたため、ここはとりあえず彼からの偉そうな発言を渋々認めることにした。
「わぁったよ。日銀の金庫並みに固いこの口が保障する」
「にちぎん?今度はグラビアアイドルのニックネーム?」
「…………嘘だろ……?」
さっきまで少年が示していた綺麗な心は偽物だったのかと、半ばショックを隠せない俺はボソッと呟いてしまう。まるで衝撃の真実を突きつけられてしまった思いに襲われていたが、首を傾げていたショウゴにはどうやら聞こえていなかったようだ。
明らかにしたくない真実は、なんとか闇のなかに消し去ることができたようだ。
するとショウゴは、すぐに納得したような表情に切り替えてふと微笑むと、そのまま自身の背中に隠す左手をゆっくりと移動させていき、ついに俺も見える彼の前へと姿を現した。
「ずいぶん重そうな袋だな?」
瞬きを繰り返した俺の目に映ったのは、ショウゴの小さな手のひらに載る巾着袋だった。中身には何かがたくさん敷き詰められていることから、口の緒が今にもはち切れそうな状態である。そんなソフトボール以上の大きさを示す袋の中身には、一体何が入っているのだろうか。
正体がわからず依然として考え込む俺だったが、ショウゴはどこか誇らしげな様子で頷いていた。
「言霊が入ってるんだよ。全部で四十三個まで集まったんだ」
ショウゴの自信に満ちた答えに、俺は細い目をいつもより大きく開けていた。
「……じゃあ、あと一個じゃないか?これで無事に天国に逝けるな?」
少し頬を緩ますことができた俺は、どことなくショウゴを温かく眺めていた。彼が亡くなって霊となったのは今から約十年前だと、昨晩の話で言っていた。それはきっと辛く苦しい毎日であり、まだまだ子どもな彼にとってはより長く感じてしまう生活だったに違いない。それを考慮すると、変にこっちまで快い気分だ。
しかし、ショウゴは俺の前で首を左右に振っていた。まるで俺の発言が間違ってると暗示しているようだが、彼は手に載せる言霊袋を見つめながら再び喉を鳴らす。
「これは、アカギお姉ちゃんに挙げようと思ってるんだ」
ショウゴの静かめな囁きに、俺は再度裏を突かれて黙っていた。人間を驚かすこともできず、無力で言霊を拾ってしか集められない浮遊霊が、まさかアカギの天国逝きを優先するとは意外だった。
自分だったら迷わず我が物にしようと企む、そんな姑息な俺の前で、ショウゴは優しい微笑みを見せながら言葉を続ける。
「実はさ、明日はアカギお姉ちゃんの誕生日でさ。今までありがとうの気持ちを込めて、プレゼントしようと思ってたんだ」
するとショウゴは低い目線を上げて、周囲への散った同じ浮遊霊の仲間たちの顔をそれぞれ覗く。
「だから、ここにいるみんなと協力して、アカギお姉ちゃんの目を盗んで言霊を集めていたんだ。まぁ、結構時間掛かっちゃったんだけどね……」
最後には俺へと目を会わせたショウゴは苦笑いをしており、そこからは相当な時間を費やして集めたのだとわかる。
「……アカギの片目が無いだけに?」
「え?」
「あ、いや何でもない……」
空気をあえて読まない俺のブラックジョークはショウゴの不審顔によって相殺されてしまうが、正直面倒ごとに巻き込まれずに済んで幸いだったと、顔を逸らして密かに思っていた。
だが、これではっきりしたことがある。
―サプライズとは、正にこのことだったのか。
ショウゴから目を離した俺には、そのまま周りにいるたくさんの浮遊霊たちが目に映り、彼らが安らかに笑っているのが理由と共に理解できた。コイツらにとってアカギという存在は、一言で表せば恩師なのであろう。人を驚かすこともできない、ただ宙を舞うことしかできず、まともに言霊を集められない浮遊型の霊たちにとってアカギは、数えきれぬほど自身の言霊を分け与えてきたのだ。それは大切な仲間だと思いながら、最後まで面倒を見てやるという実の家族のような温かさで。
「誕生日に天国か……悪い話じゃないな……」
ショウゴを中心とした浮遊霊たちの企画を、ふと笑ってしまった俺は浮遊霊たちを視ながら真に受け止めることにした。誕生日でのサプライズとは、なかなか感動的な場面だと想像できる。浮遊霊にだってそれなりに良いところがあるじゃないか。アカギの言った通り、確かに忘れてはいけない存在のようだ。
「やなぎお兄ちゃん!」
「ん?」
突如目の前で声を張り上げたショウゴに、俺は顔を向けて対峙する。怒っているようにも視えてしまう少年の頬の膨らみが伺われるなか、その口はすぐに頬の緩みによって開けられた。
「アカギお姉ちゃんには、絶対に内緒だからね!?」
「あぁ。肝に命じる……」
俺の静かな受け答えはショウゴの顔を満面な笑みで染め上げ、どうやら少年を心から落ち着かせることができたようだ。
夏の喧しい太陽などあったのかと思わせるような暗い墓地、もちろんそこには外灯はなく、鈴虫やコオロギといった夏の昆虫合唱団がセッションするコンサートホールと化していた。それはなんだか儚げで悲しげにも聞こえてしまうが、自分はここにいるよという、自身の存在表明を表すには充分の音量だった。
それはこの浮遊霊たちもまた同じで、互いの想いを共有してアカギを喜ばそうとする姿は、視ているこっちも惹き付けるものがあった。歴史で御恩と奉公という言葉を習ったことがあるが、今それを直に目の当たりにしている気持ちであり、どこか夏の太陽とは違った優しい温かさを感じる。俺は主従関係にはあまり良いイメージがなく好まない人間ではあるが、今回だけはしっかりと視野に入れようとすら思えていた。
―お前のやってきたことは、どうやら無駄じゃなかったみたいだな、アカギ。
いつの間にか良い雰囲気に飲み込まれていた俺は立ちすくんでいると、前にいるショウゴがふと心配そうな面立ちで墓地の入り口を覗き込む。
「どうしたんだよ?アカギのことか?」
「うん。それもあるけど……」
尋ねた俺とは目を会わせぬままにするショウゴは、他の誰かの帰りを待つかのようにソワソワしていた。
落ち着きが無くなってしまった少年が目に映りこむなか、俺は眉間に皺を寄せながら見つめていると、ショウゴは悩ましいながらため息を漏らす。
「……ケテケテがまだ帰ってこないんだよな~……」
「あ、そういえば……」
彼の言葉を聞いた俺は少し驚いてしまった。言われてみれば、昨晩ではほとんど地を這う姿だったケテケテがいない。常に足元にいたため途中で存在を忘れていたことが否めないが、まさか連日忘れてしまうこととなるとは。
ショウゴにつられて俺も入り口へと視線を移してはみたが、やはり人間や霊の気配が全くなく、妙な静けさが観察された。
「ケテケテも外出中なのか?」
するとショウゴは、まだ悩みから解消されぬまま頷く。
「あと一個の言霊を見つけてくるって言って、今朝から出てったんだけど……かなり時間が経ってるんだよね。日が落ちる頃には戻るって言ってたのに……」
ショウゴの言葉を聞き終えた俺は、右手首に着用していたデジタル式の黒い腕時計を覗き込む。するとそこには『19:44』と映し出されており、ショウゴの言ったことが本当ならば、かなりの時間を外出しているのがわかる。それに日が落ちてからすでに一時間以上は経過していることだって、太陽嫌いの俺は直ぐに気づいた。
「まだ、見つからないんじゃないか?そんな簡単に落ちてる物でもないんだろ?」
ショウゴたちだって、長きに渡る時間を割いて拾ってきたのが言霊四十三個だ。それを一日に一個だけ見つけてくるのだとしても、それは一か八かのギャンブル的な要素があると感じる。
しかし、ショウゴは俺の話に納得していない様子で、気がかりなのか頭を掻いていた。
「でも、ケテケテは言霊を食べたことがあるから、おれたちと違って、人間を驚かすことができる霊なんだ」
ショウゴはそう言うと、より不安を増した表情を浮かべていた。
ケテケテが言霊を体内に取り入れたことがある話は、俺も昨晩アカギから聞いたし、直接アイツから足首を捕まれこともあったため認知している。言霊を食べれば質量や摩訶不思議な超能力を得ることだってできるため、ショウゴたちからしてみれば、ケテケテなら簡単に言霊を手に入れられるだろう。だが、こんな長い時間を掛けても言霊を持って帰ってこないのは、俺も確かに違和感を覚えた。
「もしかしたら、何かあったんじゃ……」
心の不安を音として出してしまったショウゴだが、俺は言霊を体内に取り入れていない少年には触れられないことを考慮して、彼の隣で膝を折って目線を合わせることにした。
「アイツから大丈夫だろう。言霊食べてんなら、身の危険は回避できるはずだ。そのうち帰ってくるさ」
「だと、いいんだけど……」
言霊を食べれば寧ろ、食べた自分自身が人間に害を及ぼす危険な存在になることを知っている俺が囁くが、ショウゴは依然として眉をハの字にしたままだった。
「……このままだと、アカギお姉ちゃんも帰ってきちゃうかもしれないし、折角のサプライズがみつかっちゃうよ~」
「あ……」
悩めるショウゴの声を聞いた俺はふと、自分がここに来た理由を思い出した。そういえば俺はアカギに会うためここへ来たのだ。何をいい感じの雰囲気に呑まれているのか。
「なぁショウゴ?」
「なに?」
早速尋ねた俺は、ショウゴを振り向かす。
「アカギが今どこにいるのか、知ってるか?」
やっと少年と視線を交わすことができた俺が尋ねると、ショウゴは頷いてみせた。
「湯沢純子のところに行ってくるって言ってたよ」
「そうか、サンキュー」
ショウゴの言葉を信じた俺はすぐに立ち上がり、気持ちを切り替える。アカギが湯沢のもとにいるならば、一石二鳥でちょうどいい。カナが牧野紅華だったことを伝えられるのはもちろん、もしかしたらカナの居場所がわかるかもしれない。
「もう帰っちゃうの?」
厳しめな表情をした俺の横からは、ショウゴの少し残念がった言葉が投げられる。
「アカギに用があってな。俺も湯沢のところに行ってくる」
「アカギお姉ちゃんに用?何かあったの?」
問いただしてくるショウゴに対して、俺は彼に身体を向けて答えることにした。
「アカギの妹についてだ。俺も探している浮遊霊の一匹なんだよ」
「え……?」
だが、俺の真面目な言葉でショウゴはどこか驚いた様子であり、少年の輝かしい瞳を大きく開けていた。
「……それって、紅華って人?」
「あぁ。てか、お前も知ってるんだな?」
「う、うん……」
どうやらショウゴもアカギから言われていたのだろうと思う俺だが、彼の俯いて暗くなってしまった様子から疑問が沸き起こってしまう。やはり、アカギとカナにとっては望まない再会なのであろうか。
「……じゃあ、またな」
下を向いているままのショウゴに捨て台詞を述べた俺は踵を返し、墓地から出るため入り口へと歩んでいった。
「や、やなぎお兄ちゃん!!」
しかしその刹那、ショウゴから叫ばれた俺はすぐに止まって彼へと視線を送る。
今日初めて見た少年の身震いから嫌な予感を過らせるものがあるなか、俺はショウゴの言葉を待っていた。
「なんだよ?急いでんだから手短に」
「その、紅華って人のことだけどさ……」
変に答えづらそうな少年が目に映るが、ショウゴはなんとか口を開けるようにして俺に顔を会わせる。
「……あの人、いや、あの霊にはマジで気をつけてね?」
ショウゴはまるで、カナのことを危険視するかのように言っていた。それはあのとき、俺が湯沢から言われた、アカギへの注意喚起と酷似していた。
「なんで、そんなこと言うんだよ……?」
俺には正直、ショウゴがそう告げる理由が見当たらなかった。確かに、カナは小清水のことを襲ったことは甘んじて受け止めた俺だが、彼は神職であり霊にとっての敵だと言っても過言ではない。実際にアカギだって、何人かの神職の人間を襲ったり殺害までしているくらいだ。
ならば、カナのとった行動は同じ浮遊型の霊として称賛に値するのではないかと思ったが、ショウゴの怯える様子からどうも違うようだ。
するとショウゴは顔を強張らせながら、震える口を開ける。
「アカギお姉ちゃんってさ、片目が無いでしょ?」
「あ、あぁ。それがどうした?」
「あれってさ……」
突然アカギの話を持ち込んだショウゴに、俺は不思議に思いながら返した。
彼女の片目と何か関係があるのかと考えようとしたそのとき、俺はショウゴの言葉で思考停止してしまう。
「……紅華ってヤツに抉り取られたんだって。アカギお姉ちゃん、そう言ってた……」
ついに、え?の一言すら漏らせなくなった俺は固まってしまうが、ただ一言だけが俺の頭のなかに残っていた。
―アカギの片目は、カナが奪ったというのか?
「わりぃ!俺行くからな!」
思考よりも身体が先に働きだした俺は直ぐ様、入ってきた墓地の入り口を潜り抜け、湯沢が滞在する笹浦一高の屋上を目指して駆けていった。どういうことだろうか。あのカナは俺の知らないところで、小清水やアカギを襲っていたというのか。小清水のことなら百歩譲って理解してやろう。だが、なぜ同じ霊であるアカギを襲ったのか。もしや、殺そうとでも考えていたのだろうか。
―!?
学校へと伝う歩道を疾走していた俺は急に立ち止まってしまい、小清水から言われた不可解な言葉を思い出してしまう。
『それがな……霊が霊を殺す事件らしい……』
―それって、カナのことなのか?
急がねばと、再び足をフル稼働させた俺は暗い歩道を突き進んでいく。俺に嘘までついたカナが、どうしてそのような行動を起こすのかは理解不能だ。アイツは一体何を目論んでいるのか。ダメだ、マイナスのことばかりが浮かんできてしまう。
もうカナに対して疑惑しか抱けなくなった分、より大きな不安と焦燥に駆られることとなった俺は更にスピード上げていき、徐々に笹浦一高へと近づいていった。
***
「いや、やめろ……やめてくれぇ!!」
真っ暗で人の気配が全くない路地裏、そこには一匹の女子高生の姿をした霊が、叫びを止めない成人男性の悲壮な顔を、片手で持ち上げていた。
平然とした彼女に持ち上げてられている男だが、彼の首から下はどこにも無く、ただ助けを求めるだけしかできていなかったのだ。
「や、やめてくれ!!命だけは……魂だけは消さないでくれ~!!」
怯えを全面に出した男の叫びも届かないのか、女子高生の霊は呆れたようにため息を漏らす。
「だから言っているではありませんか?牧野朱義の居場所を教えれば解放してやると……」
「そ、それは……アカギ様のことは、口が裂けても言えん……」
「そうですか……残念ですね」
彼女たちの会話のラリーが続いていた刹那、男の顔を持った女子高生はそのまま彼の顔面をアスファルトの地面へと投げ付ける。
「イタッ!!」
首から下の身体を持たない男はもちろん、手足で衝撃を吸収することができずに叩きつけられ、直撃した額が大きく腫れ上がっていた。
「ウッ!!」
すると顔だけの男に無表情な女子高生は、自身の履く紺色のソックスが纏われた足の裏を近づけていき、すぐに彼の顔の上に載せる。
「痛いんですか?言霊なんて体内に取り入れるからですよ……」
地面に転がる男を踏みつけながら、冷徹な視線を送る女子高生は前屈みとなって、痛みよりも恐怖心が勝った様子の彼へと顔を近づける。
「最後のチャンスです。牧野朱義は、普段どこにいらっしゃいますか?」
「こ、答え、ない!」
今にも泣き出しそうな男が言い切ると、女子高生はふと頬を緩めて見下ろしていた。
「そうですか……素晴らしい正義感ですね。これなら牧野朱義だって、いつかはあなたのことを好きになるでしょうね。大層、おめでたいお話です。それでは……」
淡々と述べた女子高生は言い終わると、もとの無表情に戻って徐々に男を踏みつけている片足へと重心を移していく。男の顔からより増した悲壮な表情を見せられながら、彼女は再び微笑んだ。
「……さようなら、ケテケテさん。永遠に……」
「イィィヤァァァァーーーーーーーー!!」
ブチャリャリァ……
次の瞬間、ケテケテの顔からは様々な赤い体液やピンク色の固形物が飛び散ってしまい、アスファルトがドロドロした血色に染められていた。
「死ぬときも汚いなんて、本当に見苦しい限りです。これだから、男という生き物は大嫌いなんですよ。虫酸が走って仕方ない……」
顔面に赤色が付着した女子高生の冷たい発言は地面へと向けられていたが、もうそこにはケテケテの顔など原型を止めていない状態だった。
ケテケテの応答もなくなったことから、完全に遺体現場と化したこの路地裏。すると、ケテケテから吹き出した体液や固形物からは白い湯気が立ち込め始め、まるで蒸発するかのようにして見えなくなっていく。それは、女子高生が身に付ける紺ソックスや制服にも飛び散ってしまった血も同じであり、次第に何も無かったかのように染みが消えていった。
「また、朱義さんの居場所を聞けませんでした……すでに小清水神社の神職たちも動いているようですし、時間もあまり残されていません……これでは、やむを得ませんね……」
もはや霊も周囲にはいないなか、女子高生は下を向きながら独り言を漏らすと、長い髪の毛と共にゆっくりと顔を上げていく。その鋭い瞳の先には、真っ暗だがよく見える白き建物、笹浦第一高等学校が存在しており、彼女の表情をより険しくさせていた。
「仕方ありません。最後の頼みはやはり、あなたですね……湯沢純子さん?」
すると彼女は勢いよく地面を蹴り、空中へと高々と上昇していく。夏の生暖かい風で髪の毛を靡かせながら、彼女は真っ直ぐ笹浦一高の屋上へと飛びだっていった。
そして、蒸発して跡形も無くなってしまったケテケテが消えた路上には、儚くも一個の黒い言霊がポツンと残されていた。
ケテケテ―生存時の名前は不明―
八月某日、午後七時四十四分。
一匹の霊による殺戮行動により、魂ごとの消失。
皆様、こんにちは。
ついに冬の寒さに屈した田村です。熱が下がらず頭が痛いんですね~……
昨日は投稿できずに申し訳ありませんでした。こんな身勝手な自分ですが、どうかこれからもよろしくお願いいたします。
さて、いよいよカナの本性が明らかとなってきましたね。彼女の心は何を目論んでいるのか。
次回からはまた週一回のペースに戻します。まぁ、完成したらすぐに投稿するつもりですが、これからはもう少しじっくりと書いていきます。つまり年内には終わりません。
それでは、また次回もよろしくお願いいたします。




