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三十五個目*俺の勘違い

アカギとの初遭遇を終えたやなぎは、今日からアルバイト初出勤となっていた。

しかし、早速クビになってしまいそうになり、焦りながら続勤を嘆願することとなる。

また小清水千萩とも出会すこととなるが、その姿は昨日のものとは大きく違っていた。

そして最後には、やなぎの想像を超えた現実が待っていたのである。

 バイトの初出勤というのは、何だかよくわからない期待と不安で満たされるものだ。

 この勤務がどのように己を磨いてくれるのかという期待がある反面、果たしてどれだけの期間を面倒見てくれるのかという不安がある。

 最初の時点では、自分が一体何をやらされるのかもわからない分、どちらかというと未来への不安が大きく占めているように感じて仕方ない。

 しかし、世の中はそんなものだ。

 たくさんの不安という闇の空間を持ちながら、そこに一寸の期待という光が射し込んでいるからこそ人間は続けることができるわけで、その姿は儚くも美しい。


 そんな一寸先は闇であるようにしか思えない俺、麻生(あそう)やなぎは本日、小清水神社での初出勤となっていた。

 八月の眩しい太陽が昇るこの日ではすでに真夏の暑さを引き起こしているが、御盆を迎えたこの時期ではそれなりの参拝客も伺える。親子で訪れる者たちもいれば、年末年始と勘違いしているヤツらも少なくなく、小さな神社からしてみればなかなか見られない光景が広がっていた。

 そんななか、口許にマスクを着けて作業服を身に纏った俺は、俺のバイト勤務を心から引き受けてくれた橋和管(はしわくだ)拓磨(たくまろ)の指示により、社内で掃除を専門として活動するととなった。周囲の人間には俺がここで働いていることを知られたくはないため、できるだけ顔を背けながら長箒(ながぼうき)を使って清掃している。

 周りから見てみれば窮屈な環境だと疑わられるかもしれぬが、決して居心地の悪いものではない。なぜなら、俺はこう見えて清掃に関しては真面目に取り組む人間で、それなりに楽しみを抱いているからである。汚れている場所を綺麗な状態に変えるというこの流れは、俺にはとても興味深いものがあり、労力を掛けただけやりがいも生まれる活動だと践んでいる。あの汚いところを新品の姿に生まれ変わる瞬間はたいへん心地好いもので、人間味のない俺ですら感動的な一面を感じさせてくれるのだ。

 それにこの神社の後継ぎとして任されている小清水(こしみず)千萩(せんしゅう)とも、今日まだ顔を会わせていない分、俺の気分は(うなぎ)(のぼ)りのまま活動を続けることができていた。

「よし……これでいいかな……?」

 額に着いた汗を首から掛けたタオルで拭った俺は周囲の石畳を見渡して、来たときよりも輝きを増していることを目に入れる。今日俺が来たときでは落ち葉や砂埃(すなぼこり)で被せられていたこの鳥居付近の白い石畳通路も、今や銀の光を放っているかのように綺麗になっていた。

 自分の行った清掃がどうやら確固たる結果として残すことができた俺はホッとため息を漏らしていると、背後の神社を伝う階段から草履の音が近づく。

「麻生くん、ご苦労様です」

 名前を呼ばれた俺が振り向くと、現在この小清水神社の神主代理を務める橋和管が微笑みながら、見慣れた袴姿で階段を下りてきているのが目に映る。

「いや~、こんなに綺麗になっているとは。麻生くんを雇ったのは、どうやら正解のようでしたね」

 真面目さを表す丸眼鏡を着用しているが、まだまだ若々しい青年のようにも見える橋和管は更に微笑みを増した様子で階段を下り終え、俺のもとで立ち止まる。彼の様子から、俺はどうやら高評価を頂けたようだ。

「いえ、大したことないっすよ。こんなんで良ければ、どこでも清掃やりますから」

 得意気に答えた俺に対して、橋和管はニッコリと笑いながら返す。

「それは何とも頼もしいあまりです。じゃあ今度は、と言いたいところですが……」

 すると突如言葉を止めてしまった橋和管が悲しげに俯いてしまった。


 も、もしや……


 橋和管の様子を眺めていた俺はふと嫌な予感がしてしまい、手で支えていた箒を地面に転がして固まってしまう。


 もしかして、戦力外通告か……?


「ちょ、ちょっと待ってください!!」

 声を張り上げた俺は橋和管を驚かせてしまうが、真剣な眼差しを送り続けた。

「俺はまだまだできます!これで満足していないなら、これからはもっと綺麗になるよう取り組みますから!」

 必死の思いで言葉を送る俺だが、それに対して橋和管は苦笑い見せていた。

「い、いやぁ~でもですねぇ……」

 何か言いたげなようである橋和管はじしんの頬を人差し指で掻いてそっぽを向いてしまう。

 そんなバカな……俺はここまでただ直向きに掃除をしていたのに、まさかの即刻解雇だと!?

 さっきの様子とは真逆の言葉ではないか。確かに俺の至らないところがあったとすれば認めざるを得ない。正直、途中で何度もスマートホンアプリゲームのことを考えてしまい、本日のログインボーナスは何かと気にしながらやっていたくらいだ。

 しかし、まだ働いてから半日も経っていないというのに、なぜ俺をすぐにクビにしようと目論むのか。実はここは黒より黒いブラック企業だったとでもいうのか。

「お願いします!!働かせてください!」

 橋和管の前でついに頭を下げた俺は彼をより悩ましい表情にさせていた。冗談ではない。もちろん親から仕送りを止められてしまったため現実的な生活費も考慮には入れているが、それよりも俺にには今後の課金という名の生活がかかっているのだ。その思惑がこんなにも簡単に打ち砕かれようとなるとは思いもしていなかった。だからこそ、こんなところで諦めてたまるものか。

 頭を下げている俺には橋和管の影が足元にしかない状態だけが目に映る。その形からは彼がどのような体勢をしているのかわからなかったが、少なくなくとも彼の様子に関しては、話し方及び声のトーンから困惑しているのが聞き取ることができた。

「でも、麻生くん……もう……」

「……そこを何とか!御慈悲をお願いします!!」

 困った様子の橋和管の言葉尻を被せた俺は絶えず頭を下げながら叫び、彼の発言を阻止しようと企んでいた。折角見つけた好条件の職場を、こんなにも簡単に手放す訳にはいかないのだ。

 すると、前方から橋和管のため息が鳴らされてしまい、俺はより一層の恐怖に襲われていた。しまったな……反って見苦しい真似をしてしまっただろうか。

 頭頂部を橋和管に向けている俺はそのまま静止し、固唾を飲み込んで彼の言葉を待つことにした。どうか解雇だけは避けたい。ただ黙々と掃除だけをやって稼げるこの職場を離れたくない。

「麻生くん……?」

 ついに橋和管から呆れ返ったような一言を漏らされると、俺はゆっくりと顔を上げていく。ただならぬ緊張感が走るなか、彼と目を会わせて黙っていた。頼む、橋和管拓磨。俺のユートピア計画の邪魔をしないでくれ。

 そして橋和管の口が開けられようとした刹那、俺は身体中に電気が走るかの如く気をつけの姿勢をとって眉間に皺を寄せていた。


「……お昼ご飯、食べないのですか?」


「……………………………………………………へ?」

 橋和管の発言を聞き間違えたと思った俺は何度か瞬きをして伺うと、彼はよく見かける笑顔を表情に出していた。

「もう正午になりますから、切れの良いところで上がってください。ご飯は寺の中にある食堂でご用意しておりますから」

「は、はい……」

 俺の力無き返事を聞いた橋和管は最後まで微笑みを絶やさずにして、踵を返して寺へと続く階段を上がっていく。

 彼が纏う袴の裾を揺らしながら去っていく姿はどこか俺を惹き付ける優雅なものにも見えてしまい立ちすくむ俺は黙ってその後ろ姿見えなくなるまで眺めていた。

 階段を昇りきった橋和管の姿がついに見えなくなると、一人の俺はさっきまでの力みが自然と抜けており、安堵のため息として表現する。どうやら、俺の勝手な勘違いだったようだ。よく考えればわかったはずだ。こんなにもすぐに解雇するだなんて、もはや雇った意味すら無いだろう。少しクビに対する意識が強かったみたいだ。もう少し気楽に関わっていこう。

 内心、恥じらいを抱いてしまった俺は頬を少し赤くしながら、転がっていた長箒を拾って階段を上っていった。



 ***



 小清水神社の社内にある食堂は、どちらかと言うと広い和室であると言った方が適当だ。畳となっている足元に座布団を敷いて低い長テーブルが数多くあるこの空間は学校の教室並みの広さであり、俺の住まうワンルーム八畳の城よりも数倍の大きさを占めているように感じる。約四十人もの人間が一度に入り込むことができるこの一部屋は高そうな(ふすま)や白く美しい障子(しょうじ)に囲まれており、高台に位置しているだけあって、それを開けてみれば笹浦市の街並みを観察できるようになっている。夜であれば夜景も楽しめそうで、まるで旅館とも似たような環境が拡がっていた。

 現在は正午を過ぎてから間もない時間。まだ神職関係の人間が誰もいないなか、俺はただ一人、部屋の端に座って黙々と弁当を掻き込んでいる。日の丸を表した冷たい白飯に対して様々な冷めたオカズが入っている幕の内弁当ではあるが、腹が減っていてそんなことを気にしている余裕もない俺はひたすら箸を駆使して口へと頬張り続けていた。

「ふぅ~、ゴチになります……」

 箸を置いて手を会わせた俺は呟くと、膨れたお腹に押されるようにして畳に両手を着けながら、胡座(あぐら)をかいて寄りかかっていた。

 それにしても、さっきの勘違いはとても羞恥に襲われたものだった。きっと、昨晩寝るのが遅くて寝不足のせいだろう。

「勘違い……そういえば……」

 とりあえず言い訳を考え出した俺は独り言を呟いてふと昨晩の出来事を思い出し、座布団に腰を置きながらでも部屋から見える、笹浦市の街並みへと視線を向けながら振り返っていた。

 昨晩の静寂に包まれたとある墓地、俺はアカギ―生存時の名前は牧野(まきの)朱義(あかぎ)―という片目がない霊と出くわすこととなったのだ。笹浦一高の地縛霊である湯沢(ゆざわ)純子(じゅんこ)からは警戒しろというような内容を聞き受けたが、患者服を纏った彼女の殺意を感じた最初の頃は正しいと思っていた。しかしアカギを含め少年の浮遊霊であるショウゴ―生存時の名前は安達(あだち)翔吾(しょうご)―や、同じく浮遊型の霊であるケテケテたちの話を聞いたところ、彼女が悪い霊であるとは到底思えなくなった。自身が集めた言霊を無力な浮遊霊たちに分け与えることを知ったときは、少しだけ彼女を応援してやりたいという気持ちすら生まれたのが本音だ。

 たくさんの浮遊霊を救う形で過ごしているアカギは、今では殺害行動を()めて、自身の能力である誘引型の霊として言霊を集めているらしい。一回の驚きで言霊一個という、コストパフォーマンスが殺害よりも遥かに悪いことは俺にもわかり、彼女が大層苦労しているのだなと考えられる。しかし、アカギを愛し尊敬しているショウゴたちの前で人殺しという恐ろしい姿を見せなくなったことは、それはそれで良かったのではないかと感じる。

 きっと湯沢自身もアカギがあのように更正したことは知らなかったのだろう。だからこそ人間且つ霊感を持っている俺に危険視することを促してきたに違いない。

「それにしても、俺の勘違いって……」

 広い天井から多くの照明が目に映らせた俺は独り呟く。

 確か、あれは俺がカナの特徴を伝えたときに言われた言葉だった。俺が初めて憑かれることとなった霊のカナはフクメと同じように憑依型の霊であり、それを理由に俺から離れることができないと言っていた。おかげで毎日が騒がしくてゲームはもちろん、学校での授業にすらまともに集中できない環境を強いられた。しかしながら、ついこの前に姿を消してしまった訳なのだがな。

「勘違いって、カナの特徴のことなのか……?」

 再び天井を見上げて独り言を漏らした俺は寄りかかるのを()めて腕組みをし、座布団の上で胡座をかきながら熟孝する。カナの特徴については俺が知る限り、彼女が憑依霊ということぐらいだ。あとは涙脆いとか、ビビりだとかバカだとか。まぁ、そこらへんの特徴は性格であって、別に重要視する必要は無さそうだ。

「だったら、なぜアカギは、俺が勘違いしてると思ったんだ……?」

 思い返しても、俺がアカギに告げたカナの特徴はただ一つ、彼女が憑依型の霊であることだけである。それが、俺が寝ている間に突然いなくなっただけなのに。

 なかなか疑問から解消されない俺は、アカギから言われた憑依型の霊についての説明を、脳内再生してみた。


『……まず一つは、テメェも知ってる憑依型だ。憑依型っつうのは、一人の人間を固定し、対象とした者にだけ姿を見せることができ、ソイツを驚かす霊。ヤツらはとり憑いた人間を中心に小さな結界を生ませ一人と一匹だけの空間を造ることで、他霊からの邪魔を受けないシステムになってる……』


 何度リピートしてもカナから教わった内容と同じだ。決して俺は憑依霊の特徴を勘違いしていないようだ。だとすれば……

「ん?待てよ……?」

 ふとアカギの言葉を思い返していた俺はあることに閃いてしまう。

「一人と一匹だけの空間を造る……おかしい……」

 突如立ち上がった俺は開けた障子の方へと向かい、街並みを見下ろしながら違和感を覚えていた。憑依型の霊には確かに結界を張ることができるのを知っている。実際にフクメが壁らしき物にぶつかっていたところだって目視しているから飲み込める。ただ一つ矛盾があるのは、その空間では人間一人と霊一匹のみと限定されてしまうことだ。そうなれば、俺は二匹の憑依霊から憑かれることはなく、最悪でも一匹で済むはずだ。

「……じゃあ、カナとフクメのどちらかは……」

 腕組みを止めて笹浦市の様子を眺める俺はただ一人、呆然として立ちすくむなか無意識に喉を鳴らしてしまう。


「……憑依霊ではないってことなのか……?」


 ボソッと言葉を漏らした俺だが、正直こうだとしか考えられなかった。だとすれば、どちらかが俺に対して嘘をついていることとなる。

 アホな死人のくせになかなか腹立たしい思いが込み上げるが、俺は更にカナとフクメの大きな違いを見つけて驚いてしまい、シューティングゲームで鍛え上げた瞳孔を大きく開いてしまう。


「……カナが結界にぶつかったところを、視たことがない……」


 俺はまるで衝撃の真実をぶつけられた気分だった。カナは俺に対して、結界があるとは言っていたが、実際にあるのかという証拠を残していなかった。

 驚きが隠せなかった俺は眉間に皺を寄せて厳しい顔をして、考え込むようにして顎をつまんでいた。思い出せば思い出すほどカナの言動はおかしかった。アイツがいなくなる前の笹浦ー高の屋上、非常階段の方にいたカナは、湯沢と話していた俺から相当離れたところにいる。確か、憑依霊の結界はとり憑いた人間の半径五メートルと聞いたことがあるが、それが本当ならば、あの日カナは俺から屋上の端から端までの距離にいた時点で五メートル以上、いや、数十メートルは越えていたからおかしな現象だ。俺を中心とした結界があるとは毛頭理解できない。


 ―それに、もう一つ違和感を感じることがあった―


 静かな畳部屋からは神社に訪れる者たちも伺えるなか、俺は次にナデシコが笹浦市に飛び出していった時の出来事を振り返る。ナデシコが飛び出してから間もなく、俺たちは小清水神社に来て鳥居の前にいたときだ。カナとは以前にも同じように立つことがあったのたのだが、そのときに言われたのはこうだった。


『はい。鳥居には結界が張ってあるんです。私たち霊が一度潜ったら、二度と外に出られないようになってるんです』


 と、なかなか真剣染みた顔で俺に伝えた。

 それはナデシコを止めるあの日だって俺は危惧して中に入らないようにしていたが、一方でフクメは違った見解を述べた。


『私たち憑依型の霊は、人に憑いたままなら結界があるから平気だよ』


 この時点で二匹の違いはもはや明らかである。

 アカギから勘違いをしていると告げられた俺は、どうもフクメが間違った言動をしているとは到底思えない。アカギの前ではフクメの話を一切していないし、むしろカナについてだけだった。


「じゃあ……」


 独り静かに長々と考えていた俺はついに答えにたどり着くことができたのだが、それは受け入れがたい真実だった。なぜならそれは、俺の今までの知識全てを覆すものだったからだ。


「……カナは、俺に嘘をついていたのか?それも、最初に出会った、あの日から……」


 周囲に人がいないこの和室の空間、独りの俺は気にせず呟いてしまう。徐々に身体中の力が抜けていくなか、俺はボーッと突っ立っていることしかできずに外の景色に顔を向けていた。

 カナと初めて出会ったのは夜中の城で、俺が眠りに就こうとしていただった。俺にとってはよくあることだったが、その夜も金縛りにかけられたことで眠れずにいると、自称悪霊と名乗るカナと対面することとなった。女子高校生の制服を着ていた彼女に関しては視たことがない顔や姿であり、別に知り合いでもなければ近所に住んでいた者でもなく、(まさ)しく赤の他人そのものだった。


 だったら、なぜ俺に嘘をついたんだ……?


 力がなくなったことで独り言すら呟くことができなくなった俺は、表情一つ変えずに障子を片手で握っていた。カナが俺に嘘をついていたことは、甘んじて受け止めよう。しかし、そんな嘘をついたからといって、アイツにどんな利益が発生するのだろうか。別に憑依霊でなくとも、無力な浮遊霊だと答えた方がよほど相手に慈愛を生ませられるし、霊からしてみればその方が上手く利用できると考えられるのではないか。

 疑問を解決したはずが、再び新たな謎に囚われてしまった俺は静かに外を眺めながら固まっていた。誰よりも長く、誰よりも近くにいたカナの思いがわからない自分を後悔してながら、神社の鳥居を潜る家族たちや、兄と妹を思わせる二人の子どもの姿を捉える。

 他人の胸中など考えたところでわかるものではないと知っている俺だが、それでもカナの思惑を想像していた。だが、ふと後方の襖から視線を感じることでやめてしまう。


「どうやら、ゲームはやっていないようだな?」


 俺の背中にふてぶてしい男の声が当てられるが、この正体は振り向かなくてもわかるほど聞き覚えのある声だった。どうせ俺が独り籠ってスマートホンアプリを立ち上げているとでも思ったのだろう。だが、今日の俺はいつにも増して真面目人間を演じており、お前に隙を見せるような真似はしていない。それでも疑いを持たれるなんて、将来神主として全くどうかと思う。

 疑いをかけられたことに呆れてため息を漏らした俺は踵を返し、声を放った男へと嫌々な顔を向ける。

「なんだよ、小清水?……え?」

 身体ごと振り向かせた俺は確かに小清水の顔を目に入れたが、袴姿ではなく男子高校生らしい私服を着用する彼の痛々しい姿に驚いてしまう。

 襖のそばで立ち、相変わらずの親しみを持てない小清水の顔には絆創膏を始め白いガーゼが頬や顎に貼られていたが、中でも一番鮮明に映ったのは彼の額に白い包帯が巻かれていたことだ。

「どうしたんだよ?ついにお前の煩悩が頭蓋骨だけでは押さえられなくなったのか?」

「シバくぞ……」

 純粋に近い濃度の冗談を交えた俺に、小清水は僅かな声を鳴らして和室へと踏み入れる。

 入ってすぐに俺の席の隣で座った小清水に続き、俺も再び胡座をかいて着席をして、見慣れない彼の姿を隣からマジマジと眺めていた。

「真面目な話、どうしたんだよ?」

 昨日の時点ではこんな姿の彼には見覚えがない。いつも通りの袴姿になって、いつも通りに神職見習いとしての振る舞いを見せていたのだが。

 気になって仕方ない俺は小清水に顔を向けていると、頭に包帯を巻く彼は俯いたまま振り向いてくれなかった。

「なぁ?答え……」

「……襲われたんだよ、悪霊に……」

「はぁ?」

 言葉尻を被せられた俺は不思議に感じていると、小清水は俺にゆっくりと真剣な顔を現す。


「あなたも、小清水(こしみず)一苳(いっとう)のようにしてやるってな……」


 矢のように尖った小清水の目と言葉に、俺は狼狽えて息を飲んでしまう。小清水が悪霊に襲われたなんて初めて聞いた話だ。それに襲った側の悪霊は一苳のじいさんのことを知っているらしい。

「……じゃあ、その襲ってきた悪霊っつうのは……?」

 我ながら真面目に質問をしかけた俺の前で、痛々しい小清水は静かに頷く。


「ヤツこそが、お祖父様を殺した犯人に違いない……」


 最後に舌打ちをした小清水は怒りを面に出しており、悔しさが増しているせいか、彼の両手は固い拳に変わっていた。

 そんな彼の言葉を直に聴いた俺も、さすがに驚きを隠せずに黙ってしまい、改めて悪霊の恐さを知ってしまった。あのとき暴走したナデシコのように、睨まれただけで禍々しいオーラを放っていたアカギのように襲ってきたのだろう。それも今度は実の孫である、この小清水千萩のことを。

 正直、この男が還らぬ人とならなかったことには、素直に喜べない自分がいる俺は小清水を見つめていると、彼は険しい表情のまま口を開ける。

「俺には、ソイツの姿を視ることはできなかった。姿さえわかれば、今すぐにでも成仏()してやるのに。まったく、それだけが心残りだよ……」

 声を震わせた小清水からは相当な憎悪を感じられた。確かにコイツは俺と違って、霊を視ることができないごく一般的な人間だ。目は使えなくても、コイツは霊を感知できる鼻を持っている分、それなりに神職らしい特性があると言えるが、残念ながらそれでは今回の悪霊の正体はわかるはずもない。

「……あれ?」

 だが、彼の言葉に気がかりな部分があったように感じた俺は首を傾げながら、小清水に向かって言葉を投げる。

「なぁ小清水?」

「ん?」

 顔は下に向けたままで鋭い目だけを俺に見せた小清水だったが、俺は気にせずに言葉を紡ぐ。

「お前、その悪霊の声は聞こえたのか?ほらさっき、一苳のじいさんのようにしてやるって言ってたじゃん?」

 小清水が言っていた様子から、俺はコイツが悪霊から囁かれたというイメージがあった。だが彼は霊の臭いはわかっても、声や物音を聞き取ることができるとは思えない。なぜなら、それができていれば湯沢純子を成仏しようなど行動できないはずだからだ

 。湯沢から一苳のじいさんの想いを聞ければ、いくら悪霊嫌いのコイツだって自ずと成仏をしなかったに違いない。

 彼の言葉に疑いを持つ俺が質問してみると、小清水は俺へと視線をやめて、自身が穿いている青の半ズボンのポケットへと向けて手を入れる。何か俺に渡すものがあるのだろうか。金なら是非とも受け取りたいものだが。

 だが俺の想いも儚く散ってしまい、小清水はポケットから一枚の紙切れを取り出してテーブルの上に置く。

「これを目の前に落とされたんだよ……」

  小清水はそう呟くと、俺はその紙切れに身体ごと近づけて覗き込んだ。大きさは手のひらサイズの紙切れで、何本かの線が載っていることからルーズリーフの切れ端だと推定される。そしてその小さな枠の中には

『貴方も、小清水一苳と同じ運命を辿ってもらいます。神職を辞めればもう襲いません』

 と、シャーペンで書かれた丁寧且つ小さな文字が記されていた。小清水が言っていた言葉とは少し違うが、ニュアンスは全く同じものである。確かにこれは、その悪霊が一苳のじいさんを殺した犯人だと思わせる証拠品だ。

 恐らくこの悪霊も、アカギと同じように神職を嫌悪していると伺えるなか、小清水は小さなため息を漏らして喉を鳴らす。

「そのときは袴姿で歩いていてな……端から見たら神職そのものに見えるだろう。それが原因で襲われたのかもしれない……」

「なんで着替えてから外出しなかったんだよ?」

「近所の人が忘れ物をしたから、それを届けに行ったんだ。小清水神社の人間である証証明として、袴姿で訪ねた方がいいだろ?」

「確かにそうかもなぁ……てっきり、お前は私服もない貧しい人間だとばかり思っていた」

「じゃあ、今着てるこの服はなんだと説明するんだ!?」

 どうせ拾ってきたものだろうと呟こうとした俺だったが、これ以上小清水に声を張り上げては困るため言葉を止めた。それに今日はコイツをそれなりにからかうことができたため、内心はすでに満足だ。

「神職を辞めればもう襲いません、か……」

 再びルーズリーフの切れ端を眺める俺はボソッと呟くと、小清水はふて腐れた様子を見せて腕組みをしていた。

「俺は辞めるつもりは一切ない。この神社のためにも、お祖父様の死を無駄にしないためにも続けていくつもりだ」

「だよなぁ……」

 小清水が頑固でなかなか曲げない性格だと知っている俺は、彼の返答が予想通りで素直に飲み込めた。


 ガヤガヤ……


 ふと俺たちがいる和室の空間には大勢の話し声が聞こえてくる。どこかからの来客かと思ったが、前方の襖から現れたのは袴姿の大人たちであり、どうやらこの神社で働く神職のようだ。

 その人数は圧倒されるほどで、この広々とした和室が一気に覆い尽くされてしまう。

「こ、小清水?この神社って、こんな多くの人間雇ってんの?」

 周囲の人間には聞こえないように、俺は小清水の耳元で静かに囁くと、彼は周りを気にせず話し出してしまう。

「聴いただろ?最近この辺で、霊が霊を殺す事件が起きてるって。橋和管さんが直々に召集したらしいんだ」

 小清水を言葉を聞いて、俺は橋和管拓麿の偉大さを痛感することとなった。確かに一昨日、その不審な事件が起きてるとは聞いている。霊が霊を殺すなんて、何の利益があるかわからないし、それなら小清水がされたように人を殺害した方が言霊ゲットの道に繋がるはずだ。

 しかし、そんな事件すらも解決しようとするのが橋和管拓麿だ。この大勢の人数を呼ぶことができるのも、あの人がどれだけ人望に富んだ人なのかを表している。中途半端な正義感を持つ小清水よりも、それはそれは立派な御方だ。

「やなぎ?」

「はい?」

 ふと小清水に声を掛けられた俺は振り向くと、彼は先ほどからテーブルに置いてあるルーズリーフの一部に指を差していた。

「その紙切れ、持って帰って保管しておいてくれないか?」

「え?なんで俺なんだよ?」

 なぜ俺のもとにワザワザ置かなくてはいけないのか。この神社のどこかに保管しておけばいいのに。頭の怪我はどうやら脳まで響いたようだな。

 すると小清水は自嘲気味に笑って言葉を続ける。

「正直、それを見るだけでも(わず)わしい気持ちだ。でも昨晩のことを忘れないためにも、どうかお前のところで預かっていてほしいんだ」

「はいはい、パシりですね」

 小清水のワガママに振り回されることとなった俺だが、この小皇帝をあまり怒らせるとクビにさせられる危険性があったため、ここはすぐに受け入れることにした。それに、たかが紙切れ一枚置けばいい話だ。労力など全く掛からないため、大した支障にはなるまい。

 不機嫌そうな小清水の前に置かれた紙切れを、俺は拾い上げてもう一度眺めてみる。


 ―だけど、このルーズリーフ、俺のやつにそっくりなんだよな―


 俺は気がかりな一面も持つ一枚の紙切れを、静かにバッグの中にしまって小清水の目に映らせないようにした。



 ***



「あかん、疲れた……」

 時刻は夜の六時を回った暗い夜。

 アルバイト初日を無事に終えた俺は現在自分の城へと辿り着き、畳むのを忘れていた敷いたままの布団に寝転がっていた。身体を使う仕事というのはこんなにも疲労感を覚えるものとは思ってなかった。これでは確かに毎日働くのはたいへんな訳だ。改めて賃金とうものが大切であるかを痛感する。

「でも、明日も行かなきゃなぁ……」

 仰向けの俺は白い天井へとため息混じりで呟いていた。そういえば、昨晩も同じように布団へとすぐに倒れていた。 アカギたちの長い昔話に付き合わされたせいで、帰宅したのは十一時に近い深夜だったのだ。そりゃあ寝不足にもなる。

「……あ、そういえば」

 ふと昨晩にアカギから言われた言葉を思い出した俺は、横になりながらスマートホンを掲げる。


牧野(まきの)紅華(こうか)……それが妹の名前だ。それなりに有名な人間だから、ネットにでも検索かければ出てくるだろう。もしもこの名を聞いたら、すぐにアタシに伝えてほしい。いいな?』


 アカギはそう言っていたが、一体どれ程の有名人なのか気になる。正直、俺は聴いたことがない名前であるため、あまり期待はできないのだが。

 恐らくは人気のないアイドルの類いだろうと疑いながら、俺はスマートホンの画面に出現した検索欄をタップする。昨日、アカギが指差して見せた墓にも刻まれていた名前、『牧野紅華』と漢字表記で打ち込んで検索ボタンに触れた。果たして、以下ほどの者なのだろうか。

 スマートホンの画面が一度真っ白になった後、すぐに様々なヒット欄が浮かび上がることから、どうやらそれなりに名の知れた人物であることがわかる。

「へぇ……ん?」

 画面をスクロールしながら眺めていた俺は、ふとある記事を目に入れて指を止めてしまう。


「牧野紅華、誘拐殺人事件……」


 その記事にはそう書いてあった。

 再び指を動かした俺は早速記事をタップして開いてみると、トップニュースのような新聞記事らしき画面が飛び出した。

 あまり長い文章ではなかったため、俺は迷いなく横に羅列された小さな文字を黙読してみたのだが、どうして牧野紅華がそれなりに有名なのかがすぐに理解できた。


「彼女は、殺されたのか……しかも相当悲惨な事件だったんだな……」


 その事件は今から約十年前のものである。当時は笹浦市にある某県立高校へと通っていた女子高校二年生、牧野紅華はある日、三名の大学生たちに道案内を理由にして、車内へと連れ込まれたところを目撃されていた。

 その後の詳しい経緯は今だにわかっていないようで、最後に彼女の遺体は山奥の地中で発見されたと書いてあった。顔の一部に殴られた痕が見つかったり、以前から心臓の弱かったという診断過程もあったりして、死因としては暴力によるショック死だと断定されている。


 ―だが、亡くなったのは彼女だけではなかった―


「なんだ?犯人は全滅したのかよ?」

 画面を更にスクロールさせていくと、三名の男子大学生の死体も共に発見されたと記載されていた。一人は喉を絞められた痕があることから絞殺、また一人は木の枝が喉を貫通した状態で見つかり呼吸困難死、そしてもう一人は車ごと谷から道を外れてしまい転落死と、それぞれ述べられている。

 こうして計四人の命を失うこととなった笹浦市では、当時は登下校のパトロール強化を始め、県警も総力を挙げて協力したらしい。

「知らなかったなぁ……十年前だから、俺がまだ小学二三年の頃だもんなぁ」

 あの頃の俺は毎日小清水と外で遊ぶことが日常であったため、テレビのニュースは言うまでもなく、学校からの連絡もまともに聞いていないほど遊び呆けていた少年だった。あのときは何も考えずに暮らしていたから、今と比べればとても気楽で素晴らしい毎日だった。しかしその裏では、こんな恐ろしい誘拐殺人事件があったとは。牧野紅華には頭が上がらない。

 結局文章のみの画面であったことから、牧野紅華の姿を観ることができなかった俺はため息を漏らして一つ前の記事欄へと戻す。だが、彼女の情報を得ただけでも有益なのかもしれない。

 そう思いながらブラウザを消そうとした刹那、俺は最下部で検索欄のそばにあるいくつかの候補欄に目が止まる。

「牧野紅華、画像……」

 俺が呟いた通りの候補があったため、俺は半ば興味を持ちながら文字をタップした。

 するとすぐに多くの画像が映しだされたが、それはとんでもない画像をヒットさせてしまう。


「んなっ!?」


 一番最初に登場したのは長い髪の毛を垂らした女子高校生の姿だった。僅かに微笑むことで彼女の優しさが伝わる顔をしていたが、俺はただ瞳孔を開いて固まっていた。


「なんで、だよ……牧野紅華、お前だったのか……」


 その制服姿に見覚えがあり、表情や髪型、唇と頬の赤み、そして健気な瞳の明るさまでも、俺は知っている。


「アカギのところに行こう!」


 すぐにスマートホンの画面を消してポケットにしまった俺は起き上がり、昨晩アカギと出会った墓地へ急ごうと動き出す。

「ぬふあっ……」

 しかし靴下を穿いたままだった俺は突如、床との摩擦係数を失ったように感じて尻餅を着いてしまう。

「んっだよ~……ん?ルーズリーフ?」

 独り愚痴を漏らしていた俺には、床に一枚のルーズリーフが落ちているのが見えた。きっとこれを踏んで転けてしまったのだろう。なぜこんなところに落ちているのだろうか。いくら整頓を好まない俺でも、床に紙を置きっぱなしにすることはないのだが。

 不思議に思いながらルーズリーフを眺めていると、その紙に俺は新たなメッセージが送られたように感じてすぐに拾う。

 そのルーズリーフは確かに俺が使用しているメーカーのものだが、その四隅のうち一ヶ所が千切られたようにして無くなっていた。

「切れ端……じゃあ……」

 焦りを見せる俺はバッグの中に手を入れて、本日小清水から預かった悪霊からの紙切れを取り出した。そして息を飲みながら、一部欠けたルーズリーフと紙切れを近づけていくと、俺の目の前では信じられない光景が映ってしまった。


「ダメだ……一致してる……」


 俺は絶望した。

 なぜなら、小清水を襲った犯人の正体がわかってしまったからだ。そしてその犯人を、俺は知っていたからだ。

「アカギ!」

 俺は再びギアを上げて城の出口へと向かう。バイトで足がクタクタだったはずだが無意識に稼働させることができ、靴を履いてすぐに退出し、アカギがいる墓地へと伝う夜道を駆けていく。


 ―信じられない。

 牧野紅華と全く同じ姿のお前を―


 ―信じたくない。

 小清水を襲ったのはお前だったことを―


 全力疾走の俺は息を激しく上げながら足を運んでいると、ふとポケットに入ったスマートホンが点灯してしまう。そしてその画面には、俺がさっきまで観ていた画像である牧野紅華の姿が映し出されていた。

 しかし、俺は写真の彼女を牧野紅華として受け入れられない。

 なぜならその写真の女子高校生は、カナと全く同じ姿だからである。

皆様、こんにちは!

この季節は羞恥心の弱虫サンタを毎日聴いている田村です。

今回もなんとか間に合いました。

ついに物語りはクライマックスに突入です。

アカギとカナがなぜ共にいないのか。

カナはどうして小清水を襲ったのかに注目してみてください。

次回はとりあえず日曜日を予定しておりますが、間に合わない可能性が濃厚だと思います。できるだけ間に合うよう努力しますので、今度もよろしくお願いいたします。


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