三十四個目*お前は悪霊だ
アカギからナデシコの名前を聞いたやなぎは彼女に怒涛の勢いで迫る。
あのとき、ナデシコをおかしくしたのは、あの幼い女の子を恐ろしい姿に豹変させたのはアカギだったのだ。
あの出来事でどれだけの人や霊が犠牲になったのか。
やなぎが怒り荒れ狂うなか、アカギの本心とは?
人間には必ず、喜怒哀楽という四種の感情が備えられている。どんなに寡黙な人間でも、どんなに無頓着な人間でも避けられない必需品なのだ。
ならばこの四種のうち、人間は一体どの感情を主に使うのだろうか?
これはあくまで俺の意見だが、恐らくは『怒』だろう。
多種多様な人間が住まうこの世界において、ストレスを抱えぬ者などいないはずだ。たまに、ストレスを感じないなどどほざくヤツらもいるが、あれは真っ赤な嘘であることを知らせておこう。あれはストレスを感じない訳ではなくて、あまり溜まっていないストレスをすぐに且つ上手く解消しているからこそ成り立つものなのである。
さて、ではなぜ『怒』が主に使われるのか?
それは、この世界がストレスという空気で渦巻いているからである。怒りという言葉には様々な種類の感情から結びつけられるもので、それは憎しみや妬み、羨み、被害などを始めとする、言わばマイナス的な考えが起点となっているのだ。
要するに、このストレス世界からはマイナス的な考えを浴びせられざるを得なく、俺たち人間は日々そんな禍々しい空気を吸って吐いているのだ。
実に愚かな人間界である。ただ悔しいことに、俺もその一員なのだ。
そんな反社会的な立場にいる俺、麻生やなぎは現在、目の前で話していたアカギの胸ぐらを掴んで怒涛の情況に至ったところだ。
「やなぎお兄ちゃん、やめてよ!?アカギお姉ちゃんを離してッ!!」
「そうです、やなぎ様!!どうか心を落ち着かせてください!!」
浮遊型の霊であるショウゴからは背中から大声を受けて、同じく浮遊霊で地を這うケテケテからは足首を持たれており、後方の二匹から抑制されかけている。だが、俺は止めずアカギのことを持ちながら鋭い目付きを見せていた。
「テんメェ~……」
怒り止まぬ俺の前で、アカギは辛そうな表情をしながらそっぽを向いており、それは俺の怒りゲージをさらにかき立たせることとなっていた。あのときの事件の犯人はコイツだったのだ。黙っていられる方がおかしい。
アカギが纏う患者服の胸ぐらを片手で掴んでいた俺はついに彼女の態度に我慢できなくなり、今度は両手で握り締めて顔に近づける。
「テメェだったのか!ナデシコを変えたのは……アイツに言霊を食わせたのはッ!!」
普段は声など張り上げない俺は何度も言葉をぶつけていたが、アカギの不貞腐れた様子に変化はない。
「なんとか言えよ!?」
「やなぎ様!どうか御静粛にッ!!」
次の瞬間俺は後ろから、地にうつ伏せの状態から立ち上がったケテケテから腹部を強く抱き締められてしまい、不意を突かれた思いのまま後ろに引っ張られる。ついアカギの胸ぐらを放して距離を置いてしまうこととなったが、俺は彼女に絶えず怒りの目を見せながら舌打ちをしていた。
「テメェ、やっぱサイッテーな霊だ……悪霊だ!テメェはただの悪霊だッ!!」
さっきまでの話はそれなりに聞いていた俺だが、アカギがナデシコの名を出したところでもうコイツを見損なっていた。多くの浮遊型の霊のために自身の集めてきた言霊を消費してきた彼女は確かに優しさあると言えば否定できない。しかしコイツはナデシコを豹変させた張本人でもあり、その罪は真っ暗な日本海峡ほど深いものだ。
俺の周囲にはたくさんの霊たちがどよめきを立てているなか、俺は背後から―弱々しくてあまり気にならないのだが―ケテケテの確かな締め付けを感じ、アカギがいる前方からはショウゴが抱きついている。しかし言霊を体内に取り入れていないショウゴに関しては全く触れられている感覚はなく、俺の注意は言霊を取り入れたことがあるケテケテにのみ向いていた。
「やなぎ様~!どうか、どうか落ち着きを~!」
「落ち着いてなんていられるわけねぇだろ……だって、アイツは……」
ケテケテが懸命に後ろへと引っ張ろうとしているが俺はびくとも動かず、前のショウゴの背後で立ち竦んで下を向いているアカギを睨みつけていた。
「……アイツはナデシコをおかしくした……一匹の浮遊霊を殺したようなもんだぞ!?」
俺がアカギに怒号を上げた刹那、ケテケテの力が少し弱まったのを感じた。きっと彼も知らなかったからだろう。尊敬どころか崇拝しきっている相手が、自身と同じ種類の霊を殺害しているなど聞けば狼狽えるに違いない。
驚きを隠せていないケテケテに解放された俺はそのまま身構えるようにして立ち、アカギに厳しい視線を送り続けていた。相変わらず言葉を漏らさず暗い顔の彼女には余計に嫌気が差してしまうが、拳を固く握り締めることによって少しの冷静さを保ち、アカギの口をこじ開けようと問いただす。
「テメェなんだよな?この前、ナデシコに言霊を与えたのは……?」
「……あぁ……」
俺がキレてから、アカギからは久々の言葉が返ってくる。それはとても短くて、僅かな夜風にも負けてしまいそうな微かな声だった。その様子は彼女の姿にも全面に出ており、俺と目を会わせず下を向いているのがずっと続いている。
「なんでだよ?おかげで他の霊も巻き添えになるはめになったんだぞ……?」
憎しみに押しつぶれそうな俺はしかめ面になってしまい、言葉を返してこないアカギを眺めていた。
幼稚園児のまま亡くなってしまったナデシコが暴走したあの日、俺の環境にとって被害はとても大きいものだった。
もともとは篠塚碧の妹で、生存時の名前は篠塚翠であるナデシコは、彼女らの祖父母が営む梨農園の神様と呼ばれるほど大切に思われていた。集めた言霊を利用して梨の育成を促成していた訳だが、その活躍は目まぐるしいほどもので篠塚梨農園を繁盛させることとなる。近辺では不審な事件があったらしいが、きっとそれはナデシコが言霊を集めようとしていたときに起こったものであり、死者が出ていない分どこか許してしまいそうだ。
だが、そんな梨農園の神様は邪神に変えられてしまった。
俺たちが梨農園の手伝いから返ってきた直後、ナデシコは両目を真っ赤にして殺戮衝動に駆られることとなっていた。あの日では何台もの救急車やパトカーのサイレン音が夜の笹浦市を包んでおり、実際に死者が複数人も出ていたらしい。彼女が人を殺すところは実際に俺も目の前で見ているため、信じるしかない現実だ。それに俺の知り合いでもある水嶋麗那に殺人未遂を行うこととなり、終いには実の姉である篠塚碧のことも首を持って絞殺しようとしてしまったことを忘れてはいけない。
あの場面を自分に置き換えて考えると、実の妹に殺されるというのは兄貴である俺にとってもやり場のない、死んでも死にきれぬ慚愧に堪えない思いである。
結果的には小清水千萩による強制成仏で、水嶋と篠塚の尊い命は失わずに済んだのだ。
しかし、あの強制成仏こそが一番の問題で、俺の環境を大きく破壊した要因でもある。
黙りコクるアカギが前に映るなか、俺も同じように俯いてしまい、墓地に落ちている枯れた落ち葉を悲しげに眺めていた。
ごめんな、フクメ……助けられなくて……
あの夜の強制成仏ではナデシコだけでなく、ただひたすらアホで、悪事など思い付かないほど愚かな霊であったフクメ―生存時の名前は天童彩―も共に消されてしまった。
フクメは自分の身を捨てるようにして、暴走から覚めないナデシコを取り押さえたことは国民栄誉賞を授けてやりたいほど勇敢な行動であり、この俺も承認するほどの勲章だ。
そんな彼女はナデシコのことをまるで実の妹のように可愛がっていたため、あのような形で成仏され存在ごと消える運命となったことに、俺はフクメに対する哀れみ感情がより込み上げてくるのを感じる。
こうして強制成仏をくらってしまったナデシコとフクメ。そして彼女たちの消失による波紋はまだ続くこととなった。
脳裏にフクメとナデシコが寄り添いながら笑っている様子を浮かべている俺はふと夜空を見上げ、夏の大三角形の星であるデネブ、アルタイル、そしてベガを目に入れる。三つの星たちが協力して見せる三角形は質素ながらもきれいで、自然とボーッとしてしまうほど見とれるものだ。
そんな三つの星たちの如く、俺のもとにはもう一匹の霊がいた。
カナ……
フクメとナデシコが強制成仏をくらってからというものの、誰よりも悲しんでいたのはきっとカナであろう。あの夜はずっと黙っていた状態が続いており、彼女の顔を覗くと涙目のまま俯いていたのを覚えている。普段は喧しいほど明るいカナがあんなにも静かだった姿は、俺が彼女にとり憑かれて以来初めて視せた弱々しい姿だった。
そしてその次の日、カナは俺のもとから突如姿を消したのだ。
置き手紙もなく勝手に去っていったカナに、当初の俺は腹立たしく思えていたが、今となってみれば早く顔を見せてほしいという思いが多くを占めている。始めのころはあれほどカナの存在が鬱陶しくて早く離れてほしいと思っていた自分が、今や真反対の立場にいることに驚かざるを得ないのだが、そんなことよりも今アイツが元気でいるのか心配で仕方ない。
こうして俺のもとからは霊一匹残らずいなくなってしまい、会えるとしたら学校の屋上にいる湯沢純子しかいない。久しぶりの孤独な時を城で過ごすこととなった俺は何だか違和感を覚えるようになってしまい、ここ毎日は落ち着かない日々の繰り返しである。
そうなったのも、全てはナデシコが暴走したあの日がきっかけだ。
孤独の二文字を心から愛していたはずの俺は夜空から再び地面へと視線を落とし、現在広がる現実を目の当たりにできない状態だった。
アカギと同じような体勢となった俺は彼女に対して、再び疑問を超えた憎悪の気持ちが甦ってくる。
「……なんで、だよ……?」
どうして、あんな幼いナデシコに言霊を取り込ませて暴走に走らせたのか。
「なんでだよ……?」
なぜ、フクメまで巻き添えになるような真似をしたのか。
「なんでだよ?」
どうして、カナまでもが姿を消すはめになってしまったのか。
そして俺の怒りはついに有頂天へと達すると、俺は勢いよく怒涛の顔を上げてアカギに向ける。
「なんでだよ!?なんで……」
「……全部見てたよッ!!」
俺の言葉尻を被せることとなったアカギによる突然の叫びを聞いて、俺はふと時間が止まったような錯覚に陥る。会話が噛み合っていないことも気になったが、それ以上に彼女が叫んだ一言が俺に我を取り戻させていた。全部見ていたとは、一体どういう意味なのだろうか。
怒っていた自分を忘れように、俺は眉をはひそめながら俯く彼女を眺めていると、アカギは華奢な肩を微動させながら声を鳴らす。
「……ナデチコだけじゃない!……もう一匹、鬼のお面を着けていた霊も、共に成仏されてしまったことだって知ってる!……」
力みながらも声を震わせながら話した彼女に、俺は不思議に思いながら見つめていると、アカギは徐々に顔を上げ始め俺にやっと顔を見せる。その表情は強張りを見せて怒っているような様子も伺えるが、それよりも俺は彼女の左目に違和感を覚え注目していた。凛とした鋭い目付きは健在であるが、俺は思ったことを無意識に言葉に出してしまう。
「お前、なんで泣いてんだよ……?」
口許を痙攣させているアカギの尖った左目は潤みを表しており、この暗い墓地の中でもわかるほど輝きを見せていた。次第にドスの効いた瞳までもが震えだすと、その僅かな切れ間からは一筋の光が頬を伝っていく。彼女の顔に跡を残した小さな灯火はついに顎から地面へと落ちてしまい、乾いた落ち葉に一滴の雨を浴びさせた。
「……当たり前だ……」
小さく囁いたアカギは患者服の袖で潤う瞳を拭い、
前髪で隠れていた穴の右目を垣間見させて言葉を続ける。
「……同じ霊が成仏されたんだぞ!?それに二匹も!平気でいられる訳がないだろ……」
ついに恐ろしい顔を歪めて嘆息気味になったアカギは膝から崩れるようにして地に膝と手を着け、俺に旋毛を見せながら何滴もの涙を地面へと流していた。
この光景には見覚えがある。
俺はふとアカギの泣き姿を眺めながら、昨日の道路で見かけた彼女を思い出していた。あのときはスーパーから城に帰ろうしたときに、大嫌いな親からの電話を受け気分を損ねてしまい、気晴らしに徘徊しようと歩き回っていたときだ。俺は偶然にもフクメとナデシコが強制成仏されたところへ足を運んでしまったのだが、そのときに目に視えたのは、今のようにして泣き崩れていたアカギ本人。
そんなアカギが目の前で静かに泣き続けているなか、俺はふと足首を優しく握られる。
「ケテケテ?」
後方の足元に顔を向けた俺には、地へうつ伏せに戻ったケテケテの居たたまれない様子が目に映る。
「やなぎ殿。アカギ様は、決して悪い御方では御座いませぬ……先程の御話を聞いていただければ、そう難解なことでないと思います……」
「そうだよ、やなぎお兄ちゃん……」
ケテケテが静かに告げる後、今度はアカギのそばに座ったショウゴから声を鳴らせれ、俺は顔をもとの位置に戻して少年を見下ろす。
ケテケテと同じようにたいへん辛そうな表情を見せせているショウゴはアカギの肩に手を置き、泣き止まぬ彼女に寄り添いながら口を開ける。
「アカギお姉ちゃんは、おれたちに言霊を分けてくれる優しいお姉ちゃんなんだ。それがたとえ自分の手を汚しても、自分が天国に逝くまでの時間が延びようとも……アカギお姉ちゃんは、おれたち浮遊霊が天国に逝くことを優先してくれるんだ。おれが出会った日から、ずっとさ……」
アカギの影響もあってか、ショウゴの瞳もキラキラと輝きを見せ始めており、少年はそっと彼女の肩に抱き着く。微笑みながら小顔をアカギの患者服に添えているが、やはりショウゴの瞼からも涙が溢れていた。
そんな二匹の哀れな姿を目の当たりにしている俺は、ショウゴから言われた言葉をもとにアカギの人柄を見返していた。
ショウゴとアカギが出会ったのは、さっきの話によると確か十年前だ。
それの前までアカギが何をしていたのかは、正直殺人を繰り返していたとしか想像できない。しかし、ショウゴの影響を受けてきた彼女は様々な浮遊霊に対して言霊を分けて、時には所持するすべての言霊を与えてきた。人間に対する殺害行動だって、あるとき小清水一苳と遭遇したときに止めている。それからもきっと、言霊を集めたら、無力な浮遊霊たちに分けてあげるの日々を過ごしてきたのだろう。それは悪霊としてではなく、誘引型の霊として。
誰よりも浮遊型の霊のためを思って。
いや、アカギの温かな思いは決して浮遊霊だけではない。そうでもなければ、フクメが強制成仏に巻き込まれたことも気にしないはずだ。
アカギは、存在きとし存在ける霊たちを、常に大切に思っていたのだ。
「……想定外だったんだ。ナデチコが、あんな姿になってしまうなんて……」
すると徐々に呼吸を整えてきたアカギはゆっくりと立ち上がり、まだ左目に涙を浮かべたままの真剣な顔を俺に会わせる。
「あの娘も浮遊型の霊だったから、アタシはなんとかして助けたかった……なのに……」
再び泣き出しそうになるアカギは視線を下げてしまうが、俺は閃くようにして言葉を捧げる。
「だからお前、昨日も泣いていたんだな」
アカギにとって霊とは、種類分け隔てなく全てを仲間として、或いは家族として捉えているのだろう。だからこそ、消えてしまったナデシコのために、同じようにフクメのことも思って涙を流すことができるのだ。
あのときは、彼女がどうして泣いていたのかわからなかった俺だが、今はっきりとわかった気がした。
―アカギという少女は、どんな相手にも真心を抱くことができる、純粋無垢で確かな正義を築き上げた女の子なのだ―
再び患者服の袖で目を擦ったアカギは悲しみながら、まだ幼さが伺える喉を鳴らす。
「アタシ悪霊だ。そのことはしっかりと受け止めている。だからこそ……」
するとアカギは顔を上げて、墓地にたたずむ多くの霊に視線を向ける。
「……貧しい浮遊型の霊たちを、天国に逝かせてあげたい。ただそれだけだ……」
涙を堪えようとしながら言葉を紡いだ彼女に合わせて、俺も周囲で様々な表情を浮かべる浮遊霊たちに目をやる。現場が何事もなく済んだことへの涙を流す者、ホッと胸を撫で下ろす者、嬉しそうに隣の霊と抱き合う者など多種の顔色が伺えるが、それらは全て、アカギのことを愛しているからという一言で理由が視てとれる。そばでうつ伏せになって泣いているケテケテのように。そして彼女に抱き着いているショウゴのように。
「なるほどな……」
少し頬が緩み出した俺は視線をアカギに戻すと、前方の彼女と目を会わせて一度鼻で笑う。
「確かに、お前は悪霊だな」
「ち、ちょっと!やなぎお兄ちゃん!?」
「な、なぜですか!?やなぎ殿!」
再度アカギを俯かせた俺の発言は、前後にいるショウゴとケテケテに困り顔と共に放たれて訂正するよう求められるが、俺は左手をズボンのポケットに入れてながら、悪霊である彼女に僅かな微笑みを向ける。
「だって、ナデチコじゃねぇもん。正しくは、ナデシコだ。名前を平気で間違っちまうところで、お前はやっぱり愚かな悪霊だ」
得意気にもの申した俺だが、するとアカギも徐々に頬を揺るませていくのがわかる。それは今日俺がコイツと遭遇してから初めて視た、温かく穏やかな顔をしていた。
「あそう、やなぎ……」
俺の名前を小さく呟いた彼女から俺は睨まれていたが、彼女の左目からは全く殺意など感じない。まだ涙が残っている分、彼女の健気な想いが伺えるほどであり、視ているこちらとしても安心感を抱くことができた。
ふと俺は身に付けていた腕時計を見つめると、デジタル式に表された数字にギョッとしてしまう。
「うわっ、もう十時回ってんのかよ?」
この墓地に来てからそれなりの時間が経っているとは考慮に入れていたが、どうやら俺はこの場に相当長居してようでため息を漏らしてしまう。だから昔話を聞くのは嫌なのだ。
微笑みを絶やさないアカギから目を向けられているなか、俺は早速踵を返す。
「じゃあ、俺はもう帰る。明日からは仕事が始まって、色々と忙しいからな」
「……んま、待ってくれ!」
アカギに背を向けたまま告げた俺は一歩踏み出した刹那、俺の足は彼女の叫びで止められてしまう。鬱陶しいと思いながら振り返り、もう一度アカギの様子を確認してみると、彼女は眉をハの字にした悩ましい顔をしていた。
「アタシはどうなったって構わねぇ!でも、コイツらの成仏だけは……」
真面目に答えたアカギだが、思わず俺は笑ってしまった。
「しねぇよ、バ~カ。俺は神職でもねぇし、ただ霊が普通に視えるだけの一般ぴーぽーだ。それに、こんな数を成仏しようだなんて面倒過ぎる。むしろ、コッチから御免だ」
呆れながら言った俺の言葉の後、アカギは安心したかのように温かな眼差しを向けていた。どうやら彼女を再び微笑ませることができたようだ。
すると優しく笑うアカギは少し横へとずれ、彼女の背に隠れていた一基の墓に指を差しながら俺に顔向けする。
「牧野朱義。それがアタシの名だ」
アカギが指した墓石を眺めた俺には『牧野家之墓』と縦に掘られた文字を目に入れることができ、その下には二名ほどの名前が刻まれていたが、その内の一名は確かに『朱義』という、彼女が名乗った文字だった。
「お前の墓だったのかぁ……てか、生きてたときの記憶もあるんだな?」
意外だと思いながら俺が尋ねると、アカギは静かに頷く。
「お前のことは、どうやら信じても良さそうだ。人間のクセに」
人間のクセに。
それは、俺が初めてアカギと会った日に言われた言葉。
当時も全く驚かなかった俺に対する侮辱的な一言である。しかし、今の微笑む彼女からは悪意など感じられない。自分はコイツに褒められているのかとすら感じさせる言葉で、長い月日を通じて意味が変化して俺のもとに届いたのだった。
「勝手にしろ……」
俺は言葉を吐き捨てて背を向け、早くこの場を去って城へと帰還しようとしたが、不思議と気が楽でいられた。どこか温かくて、変に熱を帯びたこの胸中は久しく味わったことがないものだ。俺も一人の人間のようだ。
ショウゴを始め、ケテケテや周囲に存在する浮遊霊たちから和やかに見守られるなか、俺は歩み出して墓地の入り口へと向かっていく。ときに霊とぶつかりそうになるが、言霊を体内に取り入れていないせいか、ヤツらを簡単にすり抜けることができる。質量を持たない霊だからであろう。
ついに入り口に着いた俺はそのまま歩みを続けて、満を持して退出しようとした。
「あ、そうだ!やなぎ!!」
しかし、俺の足は再度止められてしまい、仕方なく後ろへと顔を向ける。
「なんだよ?早く帰りてぇんだけど……」
まず始めに視えたアカギに呆れた視線を送りながら伝えると、なぜだか彼女から微笑みが消えていた。本日出会ったばかりのときのように厳しい表情を見せている彼女は真剣な左目を俺に当てながら口を開ける。
「一つだけ、お願いがある……」
「俺の目はシューティングゲームには必須だからあげねぇぞ?」
「そうじゃない。もしも、アタシの妹を見かけたら、すぐに教えてほしいんだ。浮遊霊のヤツで、背はアタシより大きい女子だ……」
最後に視線を落としたアカギから、俺は変な違和感を抱きながら眺めていた。確か先ほど見たコイツの墓石にはもう一人の名前が刻まれていたのを覚えている。きっとそれがコイツの妹なのだろう。
アカギが実は姉だったことは割りと素直に飲み込めたが、もう一点気がかりなことがあった。姉妹で亡くなっているのに、それに妹はコイツが大切にする浮遊霊なのにいっしょにいないとは。恐らく迷子にでもなっているのではないか。
「わ、わかった。でも、お前の妹の顔なんて知らねぇからわからねぇぞ?」
「コウカ……」
「は?」
突然ボソッと呟いたアカギに何度か瞬きをして、俺は彼女に疑問を抱いていた。いきなり何を言い出すのだろうか。
すると彼女は俺に真面目な顔を向けると、もう一度言葉を送る。
「牧野紅華……それが妹の名前だ。それなりに有名な人間だから、ネットにでも検索かければ出てくるだろう。もしもこの名を聞いたら、すぐにアタシに伝えてほしい。いいな?」
「お、おう……」
俺は言われるがままに返事をして、やっと退出することができた。
***
辺りは真っ暗な道中が待っていたが、そんなことよりも俺はアカギの最後の姿を気になり出していた。妹という名前を口にした瞬間、アイツの目付きが恐ろしく見えた気がする。もとの殺意を抱く尖った左目。身の毛も弥立つあの瞳。
それに、アカギの妹、牧野紅華は有名人なのだろうか。実はアイドル好きの小清水からも聞いたことがない名前だが。
どうして今に限ってスマートホンを持ってくるのを忘れたのか。部屋を出たの自分に会えるのなら、一度怒鳴り散らしてやりたい気分だ。
様々な疑問を抱くようになった俺は足を運んでいると、また一つ疑問がうかんでしまった。
そういえば、なぜ俺はアカギから四種の霊について聞くはめになったのか。
確かに俺が勘違いしているからという理由で教えてくれたのはいいのだが、一体俺のどこが勘違いをしているのか結局わからなかった。話は浮遊型の霊の説明途中で脱線して今に至った訳だが、果たして俺の勘違いとはなんなのだろうか。
もう一度引き返して墓地へと向かおうと考えた俺だが、もう城まではもう少しで到着するし、正直この長い一日を過ごした俺はすでに疲弊しきっていた。
「……いいか、明日にでも聞こう……」
こうして俺は再び、真っ暗な帰路を辿っていった。だが、この選択が間違いだったことは、今の俺には無論わかるはずもない。そして俺は今すぐに気づくべきだったのだ。
俺自身が抱く、大きな勘違いを。
その中に隠された、アイツの嘘を。
皆様、こんにちは。レッドブルやモンスターエナジーより普通に、カフェオレが好っき~!!な田村です。今週は二回に渡って投稿させていただきましたがいかがだったでしょうか。
私事ではありますが、フクメのことを書いているときはとても苦しかったですね……
そしてやなぎに待ち受けている未来とはどうなってしまうのか。あまり期待はしない方が心身のためです。
次回はやなぎの初バイトです。できればまた水曜か木曜に投稿しようと目論んでおりますので、どうかよろしくお願いいたします。
また誤字、脱字、苦情等ございましたらいつでも教えてください。




