三十二個目*良い感じに焼けた的な
アカギとはどんな霊なのだろうか?
一見、凶暴にも見える彼女だがその優しさを知るショウゴはやなぎに向かって発表する。
しかしその内容はどこか変で、アカギの良さよりもショウゴの辛さが込められた話だった。
先輩という存在はどうして、あれほどまで愚かな生き物なのだろうか。
先輩と後輩という関係になると多くの場合が、後輩がメイドのように先輩にこき使われることとなる。あれを買ってこいやら肩を揉んでくれやら、まるでヤツらは小国の王様のように振る舞ってくる。
百歩、いや、兆歩譲ってその点は許してやるとしよう。だが、一番の問題点はその働き相応の報酬が返ってこないことだ。ごく一部の先輩という大人は自身の後輩を兄弟姉妹のように可愛がるヤツらもおり、時には自腹で生活を支えてくれる温かき人徳者がいる。しかし、これはあくまで数えるほどの頭数しかおらず、一般的に彷徨いているヤツらはその真逆である。
後輩を使うだけ使って、最後には使い捨てボロ雑巾のようにして廃棄する。一言でまとめるとこんな感じだろう。
そんな縦社会を苦手とする俺、麻生やなぎは現在、笹浦市内のとある真っ暗な墓地で霊のアカギたちと向かい合っている。何もできず天国に逝くことが難しい浮遊型の霊の話を終えてからはしんみりとした空気が流れており、何処と無く夏の冷たさを覚える。
しかし、一匹の霊であるショウゴの様子だけは異なり、少年らしい熱を灯した瞳で俺を見つめていた。彼がアカギを慕っているのは視てわかる。だが、この二匹どもにはどんな経歴があるのか。
多少の興味を持ち始めた俺は小さなショウゴを見下ろしながら、果たしてこの幼稚そうな少年がまともに発表できるのか心配だったが、とりあえず耳を傾けて脳内に送り込むことにした。
「……アカギお姉ちゃんは、おれたちにとってヒーローそのものなんだ……」
まさかいきなり自身の感想を述べやがったショウゴに、俺はそんな俯きながらも笑う少年にため息が出そうだった。彼の見た目は小学校中学年辺りに視えることから、あまりプレゼンテーション能力には期待していなかった。しかし、開口一番が自分の想いを発することとは。説明のはずが感想文になっているじゃないか。
「……今から、随分前にね……」
どうやら俺の意思は報われず、ショウゴはアカギとケテケテに背を見せながら、俺に向けて細い喉を鳴らしていく。すでに退屈すら思えてしまう俺だったが、ここで変な真似でもしたらアカギに何されるかわからない、と思いながら仕方なく黙ることにした。
***
今から十年前のこと、少年は深い眠りから目を覚ます。澄んで晴れた冬空の下、どうやらアスファルト上で寝転んでいたようでゆっくりと起き上がる。
ここは確か、ついさっきまで走っていた道路。
今は車の通りが無くなっているが、ダウンジャケットを着込んだ少年は右左と顔を動かしていた。
場所はわかる。だが、どうしてこんなところで寝ていたのか。
不思議がる少年は自分の記憶をたどっていたが、唯一残っているのはここの道路を渡ろうと駆けていたところで途絶えており、残念ながら肝心の就寝原因が思い当たらなかった。しかし、少年はもう一つ気になることが生まれてしまい息を飲む。
おれは、誰だ……?
驚き顔を自身の両手のひらに見せながら思った少年には、自分の名前が何なのかという記憶すら失っていたのだ。
向かおうとしていた場所もわからない。
自分の帰る場所もわからない。
自分は記憶喪失になってしまったのかと感じ、深刻そうに頭を抱え始めた少年はふと、少し離れた電柱のところで人だかりが目に入る。
「……何か、あったのかな……?」
決して寝ぼけているわけではなかった少年はそこに近づいていくと、数々の黒いスーツや制服を纏った大人や子どもたちが口を押さえていたり俯いていたりと様々な立ち振舞いを見せていたが、皆が揃って涙を流していた。ガードレールが無いこの狭い道路の傍らにある電柱の麓だが、少年には見たことがあるような人間までもが目を潤ませていると気づく。
「あ、あの……どうしたんですか?」
たくさんの人々の背中に少年は恐る恐る疑問を投げるが、無情にも誰からもかえされることなく嘆息のみが響いていた。
返答されなかったことよりも、一体みんなの前で何があったのかが気になった少年は首を傾げて、人だかりの間を覗いて電柱の下部へと顔を向ける。だが、背が低い自分には大人たちの脚が邪魔しておりなかなか目的地が見えず、次第に苛立ちが芽生えていた。
「ねぇ!どうしたんですか!?」
先程よりも声を大にして叫んだが、やはり誰も振り向いてはくれない。なんで無視するんだよと、目の前の人々にいよいよ腹立たしく感じた少年はムッと小顔を膨らませて、無理だとわかっていながらも力いっぱいジャンプして人々の頭を越してを見ようとした、そのときだった。
「う、うわぁぁーーーー!!」
すると跳び跳ねた少年は自身の身長の何倍もの高さに舞ってしまう。目の前にいた黒き人々は徐々に小さくなっていき、ついにはあともう少しで電柱の頭までたどり着こうとしていた。
上昇スピードが次第に落ちていくにつれて、落ち着きを取り戻した少年はホッと安堵のため息を漏らす。一時はどの高さまで行ってしまうのか心配されたが、どうやら電柱の高さを少し越したところで止まったようだ。
しかし身の危険を感じた少年が上空で安心しているのも束の間、少年には新たな奇怪現象が襲っていた。
「…………あれ?」
少年はある異変に気づいて瞬きをする。
宙に浮いたままで地面に落ちない。
まるで足元には透明なガラス板があるかに思えた少年は何度か足踏みをしてみると、全く反動を受けずばたつかせているだけだった。
「ど、どうしたらいいんだよ……?」
唯一触れられた頭に手を載せた少年は困惑のあまり泣き出しそうになってしまう。
「あのー!!誰か助けてくださーいッ!!」
足下の人々に助けを求めるがやはり誰も応答しない。なぜ誰も気づいてくれないんだ。どうして、みんなはおれを徹底して無視するのか。
味わった覚えのない人間の冷徹さを感じた少年はしかめ面のまま涙を浮かべてしまった。だが、ここから見下ろすことで彼の瞳には不思議な物が映り込む。
「花束……?」
下の人だかりが囲む電柱で線香が焚かれているなか、質素にまとめられた花束が添えられていた。目を凝らしてよく見てみようと顔を覗かすと、不思議とどんどん地面へと動き出していた。
徐々に人だかりの中心へと向かっていく少年が眺めていると、今度は線香の煙で隠れていた薄い楯が目に映る。
「あれ、写真?」
眉をひそめながら緩やかに落ちていく少年に映り込んだのは、笑顔の男の子が写った写真たてが電柱に立て掛けられていた。サッカーボールを片手に笑うその表情は幸せという言葉そのものを体現しており、回りに嘆き悲しむ人々がいる分眩くさえ見える。
気がつけばやっと地面に足を着けていた少年は人々の前に立つことに成功し、目の前に置かれた花束、線香、写真たてを見ながら不審に考えていた。きっとこの子が亡くなったのだろう。だからみんなは泣いてるし、お葬式みたいな格好をしているんだ。
写真の男の子に同情するように、少年は悲しんだ顔を見せて立ちすくむなか、ふと後ろから女性の嘆きが耳に入る。
「ゴメンなさい、翔吾……守ってあげられなくて」
「え……?」
どこかで聞いたような名前だと感じた少年は後ろを振り向く。聞き覚えのある名前、いつも聞いていたような名前だった。
気になって仕方ない少年は先ほど言葉を漏らしたらしき女性の姿を目をやっていると、その隣から唇を噛む男性に肩を掴まれていた。
この、二人……!?
「お父さん!?お母さん!?」
驚いた顔だけでなく全身を振り向かせて叫んだ少年は、その悲しむ二人の大人が自分の親であることを思い出す。
「ねぇ!!どうしたの!?何があったの!?」
急いで両親のそばに行こうとした少年はまったく動こうとしない周囲の人々を避けていくが、不思議と肩には触れずに簡単に進むことができ、すぐに両親のもとに着いて抱きつこうとした。だが、
「……あれ……?」
少年は掴めなかった。
何度も二人に手を出しても全く触れられず、まるで父母が立体映像のようにすり抜けてしまう。
もう訳がわからなくなってしまった少年は何度も叫んで二人を呼ぶが、こんな目の前にいるのに目すら向けてくれなかった。なぜだと思いながら悲愴な表情を浮かべると、もう一度写真たてにまじまじと眺める。すると、写真に写る少年を改めて目にした少年は刹那、あまりの衝撃でつぶらな瞳を大きく開けてしまう。
「あれ……おれだ……」
固まってしまった少年が見る写真の男の子は、今自身が着ているものと同じダウンジャケットを纏っており、その下には小さな字で『安達翔吾』と書かれていた。
その名前を見た少年はあまりにも驚愕していた。なぜならそれは、今ふと思い出した自分自身の名前だったからである。
「……そっか……」
周りの人々からは悲しみに満ちた泣き声が耳に届くなか、記憶を失っていた少年は全てを思い出し瞳から熱を失う。あのときは、サッカーボールを抱えながら道路を渡ろうとしたときだった。友だちと近くの公園で遊ぶ約束をしていて遅れそうになっていたため、一秒でも早く向かおうと走っていたのだ。一度は左右を確認して横断したのだが、渡りきったあと不意にサッカーボールを落としてしまい、道路に転がしてしまう。慌てて取りに行こうと引き返したその瞬間、自分の前にはクラクションすら鳴らさない大きなトラックが猛スピードで向かってきていた。それからは全く覚えてないが、それもそのはずだ。
自嘲気味に笑ってしまった少年はこうして、やっと自分の現状を理解することができた。
おれ、死んだんだ……
それからというものの、周囲の人からは視てもらえないショウゴは、誰とも相談できず何をしたら良いかわからない、ただ孤独な生活が始まった。
始めのころは親戚の方が多く訪れていたが次第に脚数は減っていき、気がつけば二人の両親だけが訪れる日々となった。それも毎日ではなく、週に三回、二回、一回と……終いには月に一度来てくれれば良いほどのものとなってしまい、いつしか線香の灯火は消えていた。
通りすがる人に声を掛けても、わかってはいるが誰一人として相手をしてくれない。
誰からも顔を向けてもらえない。
誰も自分のことを構ってくれない。
そんなホームレスと似た環境は徐々に日常へと変わっていった少年は、雨の日も雪の日も台風の日も、この一本の電柱に寄りかかりながら座っていた。誰からも気づいてもらえず、ただ悲しげに。
そんなある日、瞳から少年らしい希望の光を消してしまったショウゴがこの生活を始めてから数ヶ月後の春、萎れた桜の花びらが地面に落ちているなか、彼はふと立ち上がってしばらく使っていなかった足を動かすことにした。どうせ暇だしここにいても退屈だ。生きていたうちに行ったことがない場所にでも行ってみよう。
そう思いながら歩みを開始したショウゴはトボトボと自身の小さな足を見ながら進んでいく。この狭い歩道では時折、前方から歩いてくる少年少女や大人、時にはかつての同級生だった小学生たちとぶつかりそうになるが、ショウゴは決して進行方向を換えず、そして顔すらも上げずに歩いていた。どうせ人間と対面したところで、死人であり幽霊である自分には触れられないことを知っていたためである。それに自分と同じ学年のはずである友だちやクラスメイトの成長した姿を見るのが、なんだか辛い。まるで自分だけがおいてけぼりにされたような孤独感に襲われてしまい、顔を上げる気力すら湧かない。
哀れだが確かな理由で進んでいくショウゴは、目の前に現れる人間をすり抜けながら進んでいき、内外の温度をまったく感じ取れないまま脚を運んでいた。
目的地を定めない少年の徘徊は時間と共に進んでいくと、春の太陽はいつしか消えて辺りは静かな夜に変わっていた。涼しいはずの春風すらも感じることができないショウゴは、気がつけば周囲は多くの木々で囲まれた真っ暗な林道の中におり、今自分はこの笹浦市のどの辺にいるのかすらわからないまま立ち竦む。迷子と言えば迷子なのだろうが、そんな自分を探してくれる大人は誰一人としていな既知だ。
「だって、おれ死んでるんだもん……」
陰鬱ながらも頬を緩ましたショウゴが下を向きながら独り言を漏らすと、彼は再びこの闇に包まれた細い上り坂を歩み出す。
「ぎ、ギィィヤァァァァーーーーーーーー!!」
その瞬間、ショウゴは立ち止まってしまう。暗い林の奥から放たれた男性の悲鳴が轟くのが耳の奥を刺激されると、ふとその声の鳴った暗黒の世界に顔を向けた。
「あっちかな……?」
しかし無表情のショウゴはそう呟くと、アスファルトの一本道から外れて道無き林道を進んでいってしまう。仮にこれが事件による悲鳴だとしても、どうせ姿を視られない自分が行ったところで見つかる訳ではない。そう考えれば恐怖心などはまったくなく、寧ろ趣味の悪い傍観者としての興味心が沸いてくる。
一度木の表面にに手を着けて触れられることを確認したショウゴは数々の木々を避けることで進行する。地面にはたくさんの落ち葉が散りばめられているが、踏んでも葉の破ける音がせず、ひたすら無音の空間が広まっていた。
忍び足など知らないショウゴは辺りのように闇で染まった瞳を開けて進んでいくと、少し離れた林の中に一人の女性らしき人物の背が目に入る。全身を白の患者を思わせるような服装で、その上からはボサボサに荒れた髪の毛が垂れていた。何やら下を向きながら話しているようだが、あの女性が何を話しているのかまだ聞こえない。
もっと近づいて声を聞こうと思いだったショウゴは木に隠れもせずに歩くスピードを上げて向かうと、その後ろ姿の女性の声が徐々に耳に入るようになった。
「チッ……たったの二つかよ?ビビりで情けねぇ神職だったんだなぁ……」
少年にとって聞き慣れない言葉を紡ぐ女性に、ショウゴは耳を傾けながら更に近寄っていくと―薄暗くて見えづらいが―女性の前には袴姿の大人がうつ伏せで倒れているのが視界に入ってくる。きっとさっきの悲鳴を上げた男だろう。
それでもまったく退かないショウゴは歩みを止めずに向かっていく。すると、病人のような女性は大きなため息を漏らした後、ゆっくりと踵を返して右から徐々に顔を現す。どのような人なのだろうかと冷徹な瞳のまま考えていたショウゴだが、その右横顔が目に入った瞬間、少年は久しぶりの恐怖心で目を大きく見開いてしまう。
「ヒィ!」
まるで前方から押されるようにして尻餅を着いたショウゴは、全身を震わせて女性の右顔を眺めていた。その顔にはあるはずの右目がなく、何かで抉り取られたかのように真っ赤な窪みとなっていたのだ。
腰を抜かして立てなくなってしまったショウゴに、ついに女性は顔の全てを現すと、まだ幼さが残る顔の眉間に皺を寄せながら残った鋭い左目を向ける。
「ん?どこのドイツだ……?」
上から尋ねられる形となったショウゴは疑問を寄せていたが、それ以上に大きな恐怖で言葉を出せずに見上げており、なぜだか暗闇の中でも鮮明に見える女性に強張る顔を向けていた。どうしてこの女の人は、幽霊である自分のことが視えているのだろうか。死んでから一度たりとも視てもらったことは無いし、声を掛けられたことも無い。しかもよりにもよって、こんな恐ろしい人から視られてしまうとは。
「おい、聞こえてんだろ?早く答えろよ?」
ドラマで見かけるヤンキーのような口振る舞いを見せる女性が疑問を放つと、ついに歩き出して真っ直ぐ少年へと向かっていく。
完全に恐怖の虜となってしまったショウゴは冷や汗が垂れ始め、この状況を改めて理解していた。きっと、この女の人があの男を襲ったのだ。倒れたまま動かない男はきっと気絶しているに違いない。それほどまでに強烈だったから、あのような大きい叫び声を上げたのだろう。だったら、今度は……
ついに頭の中が真っ白になったショウゴは諦めかけたように、ボソッと小さく呟く。
「今度は、おれだ……」
誰か、助けて!!
動けないショウゴは自身の心の中で必死に叫ぶが、それが音源として空気を振動させることはなかった。無情にも恐ろしい女性にはもうすぐたどり着かれそうになると、彼女からは細い右腕を伸ばされ向けられている。
目の前まで来られるとついに触れられるとわかったショウゴは彼女を見上げて怖じ気付いてしまい喉を鳴らせない。この人にボコボコにされてしまう。そう察してしまうともはや目の前の光景を信じられなくなってしまい、両目を強く瞑り身構えるようにして踞っていた。
助けて!!お父さん!!お母さん!!
心の叫びは己にのみ聞こえる少年。だが、決して誰も助けに来てなどくれない。自分の感情はただひたすらに自身の気持ちを焦らせるだけだった。
そしてついに、邪悪なオーラが放たれているような右手はショウゴの頭へとゆっくり近づいていく。
嫌だ……もしかしたら殺されるかもしれない……
ついには命の危険性すら感じてしまい、顔を下げた少年の瞳からは一滴の滴が地面へと落下し、落ち葉に当たっても音を鳴らさず消えてしまう。
少年が絶望という二文字のみを頭に残し、全てを諦めた、そのときだった。
ポンッ……
「え……?」
ふと頭頂部から柔らかな感触を受けたショウゴは不思議に思い、目を開けると地面には彼女の両膝によって踏まれた落ち葉たちが、ちぎれずに形状を保っていたのが目に映る。頭には手のひらを載せられている感触を覚えながら、ショウゴは恐る恐る顔を上げながら彼女の様子を伺おうと試みた。
「ヒィ!!」
しかし目の前には先ほどのおぞましい真っ赤な右目が見えてしまい、再び両目を強く閉じて頭を抱え踞ってしまう。きっと殺されて終わりだ。ただそれだけを思っていたが、ふと前方の女性から鼻で笑ったような呼吸音が林中に放たれる。
「おい坊主、なに怯えてんだよ?」
先ほど掛けられたときよりもどこか温かみを帯びた声だと感じたショウゴは小さく驚き、もう一度彼女顔を覗く。すると、先ほど見せられていた右目は彼女の長い前髪によって隠されており、寧ろ凛としながらも優しく労るような瞳を向けられていた。
恐怖の対象だったはずの彼女を、今は言葉が出せずとも身体の震えを無くしたショウゴは涙を浮かべた両目を、優しさ籠る左目に当てる。
黙り込む二人が見つめ合う時間は静かに過ぎていくと、ショウゴの頭に掌を載せている女性は表情を変えずに首を傾げる。
「お前、霊だろ?霊が霊を視て、なに怖がってんだ?アタシもお前と同じ、死人だぜ」
最後に恐さを秘めながらも頬を緩ました女性からはどこか誇らしげに話しているように見えた。
恐怖のあまり、自分がすでに死んでいることを忘れていたショウゴからは徐々に彼女に対する恐さが失せていき、少年の瞳孔は久々の光を取り戻しながら大きく開く。
「……お、お姉ちゃんも、死んじゃった人なの……?」
恐怖心はまだ残っているが声を鳴らすことができたショウゴが尋ねると、彼女はボサボサな髪の毛と共に頷く。
「アタシは病死したんだ。視ての通り、患者のままな。お前は?」
「お、おれは交通事故、みたい……」
あまり確信を持てず自信がないままショウゴが口ごもると、片目を隠した女性の口許が緩む。
「じゃあ、名前を覚えてるようだな?なんていうんだ?」
「ショウゴ……安達、翔吾……」
「ショウゴか……へぇ~。かっこいい名前じゃねぇか」
言われるがままにショウゴは告げると、目の前の恐くて仕方なかった女性からは無邪気さが残る笑顔を見せられる。だが、ショウゴは意外な様子を見せることで瞳をさらに光らせていた。
恐怖という鎖で閉ざされていた少年の心の扉は、ほんの少しだけ開いたようだった。
女性からは、生きていたときにはいなかった姉のような優しさを感じることができたショウゴは患者女性の笑顔を凝視しており、ふと心が温かくなるという、死んでから味わっていない感情が芽生える。この女性は、もしかしたら優しい人なのかもしれない。初対面の自分にここまでにこやかな顔を見せてくれるとは、最初は想像すらできなかった。
しかし、今は違う。
まるで親戚のような、まるで友だちのような、まるで家族のような温かみさえ身に染みてくる。きっとこの人は、見かけによらず良い人格の持ち主なのだろう。
すると、ショウゴは本日初めて頬を緩ます。この優しく和やかな温かさは久しぶりだった。嬉しさのあまり涙すら浮かびそうになる。死んでから改めて気づいたが、他者に自分のことを見てもらうことは、こんなにも幸福なものだったのだ。
ショウゴが微笑むなか、女性も乗じてニッと口を横に伸ばしており、陽気ながらも丁寧に優しく口を開ける。
「ところで、ショウゴは今、言霊をいくつ持ってんだ?」
「え……?」
突然聞いたことがない言葉を耳にしたショウゴは困り顔を見せて返してしまう。そんなものは持っていないし、そもそも言霊とはなんなのだろうか。
見るだけで頭上にクエスチョンマークを表していることが伺えるショウゴの表情により、女性は不思議そうに瞬きを見せる。
「ショウゴ、もしかして言霊を知らないのか?」
ショウゴは静かに頷くと、患者服の彼女からは困り果てた顔を見せられてしまう。もしかして怒らせてしまったのだろうかと、先ほどの恐怖心が甦ろうとしていたが、それは彼女による優しい頭撫でによって抑制された。
「お前、浮遊型なんだな……」
「え?」
再び聞き覚えのない言葉を囁かれたショウゴが童顔を向けると、微笑してみせる女性は口を開ける。
「いいかショウゴ?言霊っていうのは、アタシら霊にとって、とっても大切で必要なものなんだ」
「言霊?」
「ああ。ショウゴは、今ここにいるってことは、要するに天国に逝けなかった訳なんだ。天国に逝けないと、ショウゴはずっとこのまま霊として存在きていかなきゃならねぇ……そんなの、続けられそうか?」
優しく問いかけた女性に対し、ショウゴは暗い顔になって首を左右に振る。自分が亡くなって以来、今日までの孤独で寂しい時間は、正直、心から嫌だった。誰からも相手にされないということが日常となると、失望というよりも恐さの方が先走るものであり、早くこの生活から抜け出したいというのが本音だ。
その想いを込めてショウゴは否定すると、目の前の女性からは、柔らかな口調で告げられる。
「だったら、言霊を集めなくてはいけねぇなぁ」
「それって、たいへんなの?」
「そりゃあたいへんさ。特に、浮遊型のショウゴの場合は、アタシよりも遥かに厳しいだろうなぁ」
徐々に口が軽くなってきたショウゴが不思議に思いながら尋ねると、女性の返しでまた新たな疑問が生まれて小首を傾ける。同じ霊なのに、どうしてそれぞれ集めることに難易度が異なるのか。確かに自分は言霊というものを見たこともないし聞いたこともないが、別にもの集めなら大したことなさそうなのだが。それにさっきから言っている浮遊型ってなんなのだろう?
ショウゴの疑問は続くなか、ふと女性はショウゴの頭から手を離し、自身が纏う患者服に着いている腹部のポケットに右手を突っ込む。拳となって出てきたことから、なにやらその中から物を取り出したと思ったショウゴが彼女の小さな右手を眺めていた。彼女の手のひらサイズに収まる物とはなんだろうと見つめていると、女性は拳の甲を下にして手のひらを開く。
「こいつが言霊だ。アタシら霊にとって、唯一天国に逝くことを許してくれる代物だ」
彼女が開いた手の上には、まるでビーズのような小さい玉が二つ載っていた。それぞれ赤と黄の輝きを放っており、よく言えば小さな宝石にも見える。
「これが、言霊……?」
少年が言霊の輝きを目に浮かべながら呟く。すると女性からは微笑みを絶やさぬまま頷かれ、ショウゴはすぐに顔を上げて彼女に驚いた顔を見せる。
「じゃあ、お姉ちゃんはもう天国に逝けるんだぁ!いいなぁ……」
彼女を羨むようにして眉をひそめたショウゴだが、質素な女性はフッと笑って苦笑いを浮かべる。
「残念ながら違うなぁ。たった二個じゃあ全然足りねぇんだよ」
「じゃあ、どのくらい集めなきゃいけないの?」
「全部で四十四個だ」
「えぇーー!?四十四個も~~!?」
本日初めて彼女の前で大声を上げたショウゴだが、女性からは声を出した笑いを浴びていた。
「いいリアクションだなぁショウゴ!来世に生まれ変わったら俳優でも目指した方がいいんじゃねぇか?」
少しからかい気味に言われたショウゴだったが、それよりもこの言霊をたくさん集めなくてはいけないことで頭がいっぱいだった。集めると言ってもせいぜい何個かと思っていた分、四十四という二桁に圧倒されてしまい開いた口が塞がらない。
「じ、じゃあ、言霊はどこにあるの?」
「言霊は人間の中にあるんだ。ヤツらが心から驚いた時に口から出てくんよ。あとはなぁ……」
すると女性は突如笑顔を消してしまい、鋭く尖った左目を横に向ける。
ショウゴも揃って同じ方向を見ると、そこには未だに倒れたまま動かない袴姿の男が目に映った。女性による恐怖とあけっらかんとした態度で、倒れた男をすっかり忘れていたショウゴはその男の様子を伺うと、あれ?と不審な気持ちが迫る。
最初見かけたときから、まったく動いていない……
光など通さないこの林中、真っ暗な闇に包まれながら倒れている男は呼吸の様子も見せず、ビクともせずにうつ伏せのままだった。
もしかして……
嫌な予感が頭に過ったショウゴは息を飲んで眺めている。すると、ついに女性の呟きが始まり彼の心に突き刺さることとなる。
「……人間を殺すか、だ……」
最初は言葉を疑ったショウゴは大きく目を見開くが、残念ながら予想が当たってしまい固まる。さっきまでオーバーリアクションすら見せていた少年らしさは再び消えてしまい、身体の震えが再発していた。そして何も話さないショウゴは倒れた男のもとにゆっくり近づいていくと、その顔を恐る恐る覗いた。だが、少年が顔を覗かせた刹那、今度は膝を地面に着けて崩れてしまう。
やっぱり、この人は死んでいる……
倒れている男は白目を開けたまま、口からは大量のヨダレが地面へと伝っていたのだ。
驚きというよりもショックを隠せないショウゴはすぐに後ろを振り返って女性の姿を確認する。患者服を纏い決して恐ろしい顔出はなかった女からは首を傾けられて不思議がられていたが、ショウゴは唇を強く噛み締めながら、恐怖と戦いながらも真剣な表情で対峙していた。
「お姉ちゃんが、殺したの……?」
ショウゴの額から冷や汗が垂れると、女性も睨み付けるようにして頷き返す。
「ソイツはアタシらの敵だからだ。殺らなきゃこっちが殺られるはめになっちまうんだ」
「で、でもだからって殺さなくても!!」
正直、ショウゴは内心信じたくなかった。さっきまで優しく接してくれていた、この女性が人を殺害したことを。
反抗的な立ち振舞いとなったショウゴが身構えるなか、女性は怪訝な表情を浮かべながら少年に近づいていく。だが、彼女は少年の隣で膝を地に着けて座り、倒れた袴姿の男を悲しみを含んだ顔で見下ろしていた。
彼女が近づいてきたときは何かされるのかと感じたショウゴは安堵のため息を漏らすと、女性と同じように男の顔をもう一度覗く。息をしていないため、やはりこの人は死んでいる。この女の霊はどうしてこんな酷いことをするのか。
「ショウゴ、よく聞いておけ……」
男を眺めたまま隣の女性に言われたショウゴは、返事はしなかったが、彼女の俯く姿を見ながら固唾を飲み込む。
「アタシら霊が天国に逝くためには、こういう服を着たヤツらに注意しなきゃいけねぇんだ」
「ど、どうして……?」
「消さちまうのさ……魂ごとな……って言っても、わかりづれぇか?要するに、天国には逝けねぇってことだ。アタシら霊は確かに死んでいる。でもな、心はあるんだ。天国に逝って幸せに暮らすことを願い、そしていつしか生まれ変わって、またこの世に還ってきたいっていう心がよ……」
すると、言葉を淡々と進めていった女性は顔を横に向けて、ショウゴと顔を会わせる。
「……それはショウゴだって同じだろ?天国に逝きたいかどうかは知らねぇが、もう一度この世界で、命と心を持つ人間として生まれ変わりたくないか?」
女性の質問に対して下を向きながら考え始めたショウゴだが、もうすでに答えは決まっていた。
「うん……やっぱりおれ、もっと友だち作って、もっとたくさんサッカーしたい。だって、メッチャ楽しいんだもん……」
下の落ち葉たちを見ながら放ったショウゴは、最後に顔を再び女性へと戻すと、さきほどの優しい微笑みが待っていた。自分はまだ小学生だ。これから大きくなって、もっとサッカーをしたいし、もっとたくさんの人と仲良しになりたい。
心の温かさを感じていたショウゴは真剣な顔をしていると、前の女性からは再び頭に手を載せられる。
「その意気だ。たいへんだと思うが、諦めんじゃねぇぞ?」
「うん。おれ、頑張る!」
「……そうだ。これやるよ?」
すると女性は手のひらを広げて、ショウゴの前に二つの言霊を差し出す。
「えぇ!?だってそれはお姉ちゃんが集めたやつじゃ……」
「アタシはショウゴと比べれば、二つくらいすぐに集められる。ほら、早く取れよ?」
口調は荒くとも優しい笑みで女性の人柄の良さが伝わるなか、ショウゴはゴクリと唾を飲み込んで、恐る恐る手を伸ばして二つの言霊を握った。
「ありがとう……」
「じゃあな、ショウゴ。またどこかで会えたら会おうな」
女性はそう告げると立ち上がり、ショウゴの後方へと向かっていく。このまま見送るべきなのか迷ったが、ふと肝心なことを聴いていなかったことに気づき、同じく立ち上がって踵を返す。
「あのっ!?」
「あん?」
「お、お姉ちゃんの、名前は!?」
「そんなの聞いてどうすんだよ……?」
「いや……まだ知らないし、知りたいし……」
ショウゴからはせっかく勢いが無くなってしまうが、女性は不思議そうな顔から微笑みを表して声を投げる。
「アタシはアカギだ!別に覚えなくてもいいからなぁ!」
アカギと名乗る女性の甲高い声を聞いたショウゴは茫然と突っ立っていたが、心があることを尊重してくれた彼女に対して、生きているときにも増した輝きを瞳から放っていた。
***
「それからおれは、アカギお姉ちゃんについていくことにしたんだ。それで……」
「……って、おいおい!?まだ続くのかよ!?」
ショウゴの長話を聞いてから一時間近くは経ったのではないかと思った俺は、少年の言葉尻を被せて止めてしまう。
「はぁ!?当たり前だろ!?こっからがいいところなんだから!」
「お前、要約って言葉知らないだろ?」
「ヨウヤク……?良い感じに焼けた的な?」
「知らねぇじゃねぇか……」
ここまで我慢して聞いていた俺はショウゴにいよいよ呆れてしまい、彼の目の前で大きなため息を漏らす。冗談じゃない……なぜこんなガキの話を長々と付き合わなければいけないのか。しかも聞いてたら、本来はアカギの良いところを話すと言っていたクセに、ほとんどコイツ自身の経歴話じゃねぇか。男とは、何と愚かな生き物なのだろうか。
まだ話し足りない様子のショウゴが見受けられるなか、俺は彼に冷たい視線を送りながら中断を切に願っていた。
「ショウゴ、ここからはアタシが話す……」
ふとショウゴの後ろから声を投げたアカギは歩き出し、少年を越えて俺の前に現れる。また長話になるのではないかと嫌な予感が脳裏に過ったが、このアカギという凶暴な霊の前では黙るしかない。
するとアカギは一度目を閉じて深呼吸を見せる。
「ここからはアタシ目線での話だ。まぁ、自画自賛する訳じゃないが、人間のテメェにも、いくらか知ってほしいことがあんよ。しっかり聞いておけよ!」
すると今度はアカギの昔話が始まろうとしていた。
明日はアルバイト初日でもあるため、早く城に帰還したい気持ちで張り裂けそうな俺だが、肩を落とした猫背を見せながら、仕方なくアカギの話を聞くことにした。
皆様、こんにちは。過去に囚われていっこうに未来へと進めない田村です。
今回もありがとうございました。交通事故で亡くなったショウゴくんのことを覚えてあげてください。
さて、ここからは悲報です。
実はこの作品、年内には終わらせようと考えておりましたが、このペースだと絶対に間に合わないということが判明いたしました。
ということで、今後は―できればの話ですが―一週間の内に2話投稿していこうと思います。
私もいつまで頑張れるかはわかりかねますが、残り一ヶ月間、もしかしたらそれ以上、今後もよろしくお願いします。




