三十一個目*事実だもん……
アカギから霊の種類を聞くこととなったやなぎ。
憑依、自縛、誘引、そしてもうひとつあった。
静夜の墓地で最も怖いもの、それはすぐ下である。
若い少年少女たちは肝試しをする際、この静かで真っ暗な夜中によく訪れることが後を絶たない。男女二人組みのグループを作って懐中電灯を手に持ち、恐怖心が掻き立てるせいか、カップルのように寄り添いながらゆっくり歩いていくシーンがよく思い浮かぶ。その中で二人は互いの話を交えていくことで、肝試し終了後には、心という、内面的な部分の距離までも近づいているらしい。
しかし、墓地周辺は言葉通り闇に包まれており、足元ですまともに確認できない状況に違いはない。一足間違えたら、そこには得たいの知れないワーム共が活動していて、彼らに自ら触れてしまうことにもなりかねない。
そう、だからこそ夜の墓地で最も怖いものは、己の真下である足元なのである。
そんなことをカップルに対する嫉妬代わりにボヤく俺、麻生やなぎだが、現在は静かな夜空の下、自宅近くの墓地で突っ立っている。
俺と向かい合っている一基のお墓の前には、さっきから胡座かいて座り込む患者服の少女、右目がないアカギがおり、その隣に寄り添う少年、夏なのにダウンジャケットを纏うショウゴと、反対側にうつ伏せのまま血だらけの顔を上げている男、名前は知らないが、彼らの姿が目に映る。
アカギを中心とした隊形を見せられる俺は、中央に居座る彼女の小さな口が開けられるのを待ちながら、思わず固唾を飲み込む。
「……さて、じゃあ早速説明しようか……」
右手を顔に添えたアカギは、その肘を自身の膝に置きながら、俺に不気味な笑みを浮かべて話し出す。
「まずは、テメェがどれほどの予備知識を持っているかだ……霊っていうのは、何種類あるか知ってるか?」
尋ねられた俺はカナやフクメ、そして湯沢純子から聞いてきた内容を思い出しながら考える。
「……確か、三種類じゃないか?」
核心を持てずに発したが、案の定アカギからは大きなため息を漏らされてしまう。
「ここからかぁ……これだから、人間はバカばっかりで嫌なんだよ」
嫌々な様子が伺えるアカギに、愚か者呼ばわりされた俺は小さな舌打ちをしていた。少なくとも、人を勝手に変質者扱いするようなガキよりかは、頭の出来は良い方だと思ってる。あんまり大きな態度続けてると、お前のそのボサボサヘアーにアイロンかけてやるからな。
腸が徐々に煮える俺は何とか堪えて言葉を飲み込んでいたが、するとアカギから再び鋭い視線に襲われる。
「いいかぁ?アタシら霊は、全部で四種類だ……よく覚えておけ……」
低い重低音が俺を固まらせるなか、アカギは同じトーンで続ける。
「……まず一つは、テメェも知ってる憑依型だ。憑依型っつうのは、一人の人間を固定し、対象とした者にだけ姿を見せることができ、ソイツを驚かす霊。ヤツらはとり憑いた人間を中心に小さな結界を生ませ一人と一匹だけの空間を造ることで、他霊からの邪魔を受けないシステムになってる……」
ゆっくりではあるが、やはり恐ろしさを感じさせるアカギの話し方に、俺は何とか耳を傾けて理解する。確かに、憑依型はカナとフクメの特徴であり、アカギの言う通り俺も既知だ。アイツらにとり憑かれて以降、俺は二匹の喧しい霊と共に毎日過ごすはめになってしまった。今となっては、良い思い出と捉えられるものになってしまったが。
小清水千萩による強制成仏で消されてしまい、二度と会えなくなってしまったフクメの顔が浮かび哀愁を漂わせるなか、アカギは気にせず言葉を紡ぐ。
「……だが、憑依型には大きな欠点がある。結界を張ったのは良いとして、そこから出るには……」
「……言霊を取り出すしかない、か?」
俺は言葉尻を被せるようにして言い、持っている知識を表現すると、アカギを頷かせることができた。
「だからこそ、しっかりとした人選力が試されてしまう。テメェみたいに全く驚かない人間にとり憑いてみろ……驚かないなら言霊だって手に入りはしないし、それこそ強制成仏してもらった方が気が楽だ。そうならないためにも、憑依型は脅かし安い人間にとり憑こうとする、賢い霊の一種だ」
アカギの恐い顔を見ながら話を聞いていた俺は、彼女の発言をインプットしながらも不可解な部分を発見してしまい、なるほどと言えなかった。よく驚く、言い換えればビビり安い人間にとり憑こうとする点は納得がいくが、俺の知ってるなかで賢い憑依型は一匹もいない。フクメに関しては、自身が憑依型であることも知らなかった分、彼女のマヌケさは充分わかっている。一方でカナは自身の特徴をちゃんと認知しながらとり憑いたのだが、この俺を選んだ時点で賢い霊だとは言い難い。仮に、カナが賢い霊だとして考えると、なぜ俺なんかにとり憑いたのだろうか。よほど、近くに住む同級生、水嶋や篠塚たちの方が脅かし安いと思うのだ。
やはりカナはアホ霊だと感じた俺がため息を漏らすと、前方のアカギは二つ目の霊を話し出す。
「次は、地縛型だ。まぁ、湯沢純子のことを知っているなら、あまり話す必要もあるまい……」
「死に際に、その場から離れたくない想いが、強かった霊、だよな……?」
この問題お前ならわかるよな?という、授業中の教師による無茶ぶりに似たプレッシャーを感じた俺は片言になってしまい、小さな声で届くかわからなかったが、アカギは首を縦に振っていた。
「その場に鎖で繋がれてしまい、場所が限定されてしまうのが問題点だ。だが、運が良ければ多くの言霊を得るチャンスを生ますことができる」
「心霊スポットって訳かぁ……」
アカギの言葉からふと思いついたことを呟いた俺は、地縛霊であり自分が通っている高校の屋上に住み着く湯沢純子を思い浮かべる。一時は強制成仏をされそうになったが、現在も無事に俺の前に現れる。アイツが飛び降り自殺だと勘違いしている笹浦一高は、基本的に屋上を閉鎖しているため、どちらかと言うと湯沢は運が悪い方だろう。だが、亡くなった小清水一苳からの言葉は今も忘れずにいるようで、この夏休みも関係なく霊たちの相談役を務めているのが視受けられる。
霊を悪霊にさせない。
きっとこの言葉が、湯沢純子を突き動かしている存在理由なのだろう。
夏のものではない温かみを感じた俺だが、幼い男の子と地面に這いつくばる大人に挟まれているアカギは、空いている左手の指を三本挙げる。
「三つ目は、誘引型だ。時には、人寄せ型とも言われる種だ……」
誘引という言葉を聞き慣れていない俺は質問しようとしたが、後に告げられた、人寄せという言葉で理解する。人寄せ型は、カナと初めて遭遇した日に言われた名前だ。彼女に出会う前の帰り道、当時は知らなかったアカギのことを告げたときに教えられた。と、言うことは……
「……それって、お前の特徴か?」
するとアカギは、少し驚いたように左目を大きく開る。
「なぜ、わかった?」
「……まあ、予備知識ってやつだ」
俺が名づけた名前のカナという霊に言われたと言っても、アカギはきっと信じてくれないと悟った俺は適当な言葉を選んで返す。
「……へぇ……テメェ、なかなかやるじゃん」
アカギは自嘲気味に笑うと、先ほどよりも少し柔らかな顔を見せていた。
「テメェの言う通り、誘引型はアタシの特徴だ。人間は気づいていないだろうが、テメェらの第六感っていうやつを刺激して引き寄せる。近づいてきた人間には姿を見せることができて、その時に驚かすのが誘引型のやり方だ」
自分の胸に手を当てながら話すアカギは、自身の特徴のせいかテンポが上がっていた。人間の誰しもが持っていると言われている第六感とは、簡単に言えば霊感である。もちろん個人差があることは、こうして平気に霊を視て、周囲の人間から避けられるようになった俺がよく知っている。
アカギが述べたことを要約すれば、誘引型は人間の霊感を刺激させて誘い込む霊なのだ。あの日コイツに出会ってしまったのも、俺が人一倍霊感が強かったからであろう。新しく聞く名前ではあるが、今回は素直に飲み込める。
患者服の彼女が話した内容に納得している俺ではあるが、アカギは笑みを浮かべると共に饒舌になって続ける。
「それに誘引型は、憑依型や地縛型と違って場所を限定されないんだ。まあ、強いて言えば自分自身の目の前ぐらいだが、人間を引き寄せることはどの場所に行ってもできるんだ」
「……なんか、一番都合いい霊だな……」
話すスピードが増していたアカギに引目を向ける俺が囁くと、片目が無い彼女は頬を緩ませながら俯いてしまう。
「……だが、問題点だってある。それは、誘い込む人間を選べないことだ……」
悲しみを帯びた笑みを地面に向けるアカギから、俺は彼女の儚げな姿を目に焼き付けていた。
「人間を、選べない……?」
「ああ。誘い込みやすい人間は、もちろん第六感が強いヤツラだ。それがどういう意味か、わかるか?」
ふと顔を上げて左目を会わせてきたアカギに、俺は自分以外に霊感を持っている人間を考えていた。すると、脳裏には現在小清水神社の代理で代表者を務めている男、橋和管拓麿の顔がまず浮かぶ。確か小清水のヤツが言っていたが、橋和管は俺と同じように霊を視ることができる人間であり、神職業界ではエリート的な存在らしい。また他にも浮かんだのは、湯沢純子を説得していた一苳のじいさんだ。あの人だって橋和管のように、そして俺のように霊と難なく接していたのはわかる。
橋和管拓麿、小清水一苳、オマケとして小清水千萩らの顔が思い浮かんだ俺はこの三人の共通点を見つけると、なぜアカギが人を選べないことに残念がるのかに気づく。
「……そうか、霊感が強い神職に見つかったら、成仏される危険性があるからか……」
真顔の俺の前で、アカギは口を少し横に伸ばしていた。
「アタシら誘引型はいつも成仏と隣り合わせで言霊を集めなきゃいけねぇ。正直、あのときはテメェで良かったって、今でも思ってるさ……」
初めは恐かったアカギだが、そんな彼女からふと優しい微笑みを視せられてしまった俺は、変な熱が込み上げ緊張を覚える。何だろう、この感覚は?なんだか、篠塚に告白されたときと似ている気がする。
「ん?どうした?気持ちわりぃ顔して……」
「え、いや!何でもない……」
アカギのもとの、相手を蔑むような顔に戻ったところで俺はすぐに我に返った。実は俺って、尻軽で結構最悪な男なのかもしれない……すまん、篠塚。やっぱり、俺なんかよりも良い人間はたくさんいるから、せめて小清水以外の男子を選んでくれ。
深呼吸に似せた大きなため息を吐いた俺は、気を取り直した真剣な顔をアカギに向けた。
「あと、一つだよな……?」
尋ねた俺に対して、アカギは左目を鋭く尖らせる。
「ああ。最後の四つ目は、一番忘れてはいけねぇ存在だ……」
今までの話し方よりもずっと低く暗い声であるアカギに、俺は言葉が出せず仕舞いで耳を傾けていた。
「……四つ目の名前……それは、浮遊型の霊だ。その特徴はなぁ……」
まるで怪談話を聞いているかのように感じた俺は、普段は怖くないはずなのに冷や汗が垂れそうになっていた。なんて恐ろしい声なのだろうか。コイツがテレビの心霊番組のナレーションでもやったら、一躍有名になってボンボンの生活を送られるに違いない。
ふざけた思考をすることで何とか緊張から放たれようと試みていた俺だが、前方からのアカギによる強い左目がそれを許してくれなかった。
眼球が無い右目が前髪に隠されていても、彼女の左目だけでも視ていて辛さを感じる俺は遂に目線を反らしてしまった。だが、視線を換えた先からは追い討ちをかけられてしまい、俺は緊張から解き放たれぬまま疑問が生まれていた。
あの二匹、なんであんなに恐がってるんだ……?
アカギの両サイドそれぞれにいる、ショウゴとテケテケ風情の男が身震いをしているのが目に入り込む。同じ霊である二匹があんなにも恐れているということは、浮遊型はそんなに危険な霊だというのか。
二匹の様子を確認した俺は、もう一度目をアカギに向けて苦い顔を見せる。
「どうした?もしかして、ビビってんのかぁ?」
不敵な笑みを浮かべるアカギから挑発的な一言を受けたが、俺は口を動かせずにいた。恐くないって言ったら嘘になる。こんなに恐怖心に駆られるのは、あの九条満が二年連続で担任になったと発覚したとき以来だ。いや、それだけじゃない……二年になった春先に、俺が九条の抱える全ての欠点を書き上げた分厚きノート、通称『苦情苑』を発見されてしまい、放課後の職員室に呼び出しをくらったときだってそうだ。あのときは、マジで殺されると思った。
それと比べれば、アカギによる浮遊型の話なんて微塵も恐さを感じない。
凶暴怪獣、九条満のことを考えた俺は持っている勇気を振り絞り、震える口を動かす。
「……ビビってねぇよ……んで、特徴は……?」
するとアカギは鼻で一度笑い、固まる俺に顔を近づける。
「特徴は、なぁ……」
アカギの闇を秘めたトーンの影響を受けてしまうなか、俺は固唾を飲み込んで彼女の発言を待つ。さぁ、来いよ。浮遊型の正体はなんだ!
両手を拳に換えて待ち構えていると、ついに真面目なアカギの幼い唇が揺れる。
「……何もできない、ただの凡霊だということだ……」
「……………………………………はぁ?」
最初は聞き間違えかと思った俺は脳内再生を繰り返したが、アカギの発言は確かにそのまま耳に入っていることに気づき呆気に取られる。
「ち、ちょっと待てッ!」
「あん?」
焦る俺の前でアカギは首を傾げる。
「何もできないって、人間を驚かすこともできないってことか!?」
「だからそう言ってるだろ。力もない、貧しい霊なんだ」
表情を変えずに言葉を放ったアカギに対して、俺は開いた口が塞がらなかった。俺はこんなものに恐れおののいていたのか。これはバカにされてしまう。きっとまた、コイツは変質者だとからかわられ、この静かな夜の下に大爆笑が起こるに違いない。
肩をガックリと落とした俺は、前方の霊どもからバカ笑いを受けることを覚悟していた。またバカにされるのか……なんで俺は人から、そして霊からもこんな扱いをされてしまうんだ。ダメだ、勉強しよう。個の力を付けなくてはいけないようだ。
「…………あれ……?」
だが、俺の想像していた悲劇は訪れず、不思議に思いふと顔を上げる。するとアカギたち三匹が同じ位置にいたままであるが、誰一人クスリとも笑っておらず、むしろ今夜よりも暗い雰囲気が漂っていた。
辛そうな表情を止めないショウゴとテケテケ男に挟まれているアカギは、依然として真剣な顔をしており、俺を蔑む要素がどこにも視受けられなかった。
「どうした?テメェ、さっきから変だぞ……?」
「な、何でもない……浮遊……そうだ、浮遊型の話だよな……」
焦りながらも、何とか場を取り戻すことに成功した俺は安堵のため息を漏らし、アカギに真剣な顔を見せる。
「……んで、浮遊型には他に特徴とか無いのか?」
「何度も言わせんな。浮遊型には何の能力も無い、弱き存在だ」
同じ質問だと感じたのか、少し頭に血が上っているようなアカギに言われるが、俺はどうも不思議でならなかった。
「だったら、なんで一番忘れちゃいけない存在なんだよ?どうやら、危険ではないみたいだし。なんか、どうでもいい存在って感じじゃないか……?」
俺は何も考えずに、ただ率直に思ったことを呟いた。アカギがあれほどまで棚に上げるようにして言っていた浮遊型。それがまさかの無能な存在だ。彼女のそばで明らかに怯えている二匹の霊たちも不審に感じながら、脳内にハテナマークが浮かび続ける、だがそのときだった。
「チッ、テメェ……殺す……」
舌打ちを響かせたアカギは突如立ち上がり、俺に鬼の形相を向け始める。
「な、なんだよ!?」
予想もしていなかった状況に陥った俺は困惑してしまうなか、怒れるアカギは拳を固く握りしめながら歩き出す。
あれ……俺、殺されるのか?何か悪いこと言ったとでもいうのか。なんでそんなにキレてんだよ!?
徐々に近づくアカギは、よくテレビで目にする凶悪犯罪者に似た顔をして、ドシドシと足場を鳴らして近づいてくる。
冗談だろ!?なんでだよ……?
ついに脚すら動かせなくなってしまった俺に、殺人鬼にも視えてしまうアカギは目の前まで来てしまった。
あと一歩で触れられる。
そう脳裏で叫んだときだった。
「アカギお姉ちゃん!!待って!!」
「アカギ様!!どうかお止めくださいませ!!」
さっきまでアカギのそばにいた二匹の霊、ショウゴとテケテケ擬きの男たちが叫び、片目で俺を固まらせている彼女を挟み撃ちするように位置を換えて、まず小さな背のショウゴは正面から抱き締め、次に地面に寝そべるケテケテが彼女の細い足首を掴んで、二匹で取り押さえるようにしていた。
「ケテケテ!はなせッ!!ショウゴも邪魔だッ!!」
「アカギ様!!落ち着いてください!!私たちは、気にしておりませんから!!」
「アカギお姉ちゃん!!おれたちのことは気にしないでくれよ!!」
テケテケ風味の男の名前はどうやらケテケテという完全無欠のパクり名だと思いながら、立ち竦む俺の目の前では必死でショウゴたちがアカギを鎮静しようとしている。だが、気になったのは二匹がそれぞれ、気にしていないという同義的な言葉を発していたことだ。なぜあの二匹の霊がそんな発言をしているのか。
疑問が度重なる俺であるが、アカギからは止まない殺意の左目が向けられている。二匹がかりで押さえられてももがき、強行突破しようとしている彼女は目を尖らせがら喉を鳴らす。
「お前ら、ムカつかねぇのかよ!?あんなヤツに、あんな人間に!無意味な存在みてぇに言われてよッ!!」
茫然とする俺を見ながらのアカギが放った罵声が轟くなか、彼女の正面で抱き押さえる小さな身体のショウゴは諦めずに顔を上げ、泣き出しそうな面をアカギに映す。
「だからって!アカギお姉ちゃんが手を汚すことじゃないだろッ!?人殺しするアカギお姉ちゃんなんて、もう見たくないよ!!」
泣き叫ぶようにして訴えたショウゴの言葉はアカギを停止させ我に返す。だが、その言葉は俺の情にも響き、これは少年の心からの叫びだと認識した。ショウゴがアカギを止めたのは、もう人殺しという悪行をしてほしくなかったからなのか。恐らく、彼女は以前から何度も人殺しをして、現在のように平気で殺害しようとする心が生まれてしまったのだろう。だが、それを端から見ていたショウゴは、きっとケテケテも、忠誠を誓うようにして寄り添う姉貴分にこれ以上汚れ仕事をしてほしくなかったんだ。
尊敬しているからこそ、大好きだからこそ、そんなアカギに待ったをかけたんだ。
読み取った俺にショウゴの背から鼻をすする音が聞こえてくると、落ち着きを取り戻したアカギは悲しげな顔をして、涙ぐむ少年の両肩に手のひらを載せ、膝を折って目線を合わせる。
「ショウゴ……お前、アタシのことを……」
「だって、アカギお姉ちゃんには、ずっと優しいままでいてほしいから……」
瞳を輝かせ笑顔になったショウゴは、次の瞬間アカギに飛び込むようにして抱きつく。
そんな少年に応えるように、アカギはショウゴの小さな背中に両腕を巻き付けて強く抱き締めていた。
「ゴメンな、ショウゴ……ケテケテも、済まなかった……」
「いえいえ。アカギ様はやはり、それでこそアカギ様ですよ」
三匹の間に穏やかな雰囲気を感じた俺は黙って、彼女たちの安らかな様子を伺っていた。この三匹の関係がどのようなものなのかは知らない。だが、ここまで打ち解け合うには、それなりの年月が必要のはずだ。きっとこの三匹はずっと前からいっしょに暮らしてきて、天国に逝くため共に努力してきたのだろう。
「おい、テメェ……」
すると温かさを感じさせる環境は一挙に変わってしまう。俺には再びアカギから強い視線が襲い始め、彼女が奥歯を噛み締めている様子が伺える。
「ショウゴに感謝しろよ?今度、コイツらがいないところで言ってたら、アタシはすぐにテメェのもとに駆けつけてやるからな……」
ドスを効かせるアカギの低い声により、俺は無意識のまま頷いてしまう。また言ったら、次こそ殺されるに違いない。決して死に対する恐怖心は無いが、痛いことをされるのは御免だ。ここはとりあえず、先陣を切って彼女を止めてくれた少年に礼の一言でも添えよう。
「あ、ありがとな……ショウ、ゴ……」
少年の向ける背中に、俺は初めて彼の名前を呼ぶことに戸惑いを覚えたが、詰まりながらもなんとか言い切った。
すると、ショウゴはアカギから離れて涙を拭き取るような後ろ姿を見せ、踵を返して俺に穏やかな表情を向ける。
「やなぎ、お兄ちゃんだっけ?やなぎお兄ちゃんはおれに感謝する必要はないよ。だって、やなぎお兄ちゃんが言ったことは、事実だもん……」
微笑みながらも最後には俯いてしまったショウゴからは、どこか辛く残念そうな気持ちが見てとれる。
「……!?アカギお姉ちゃん……」
すると、儚げなショウゴの左肩には再びアカギの右手のひらが載せられ、白い患者服の彼女も同じく暗い顔をしていた。
「ショウゴはな、浮遊型として生まれた霊なんだ。それに、ケテケテもだ……」
ショウゴの俯く顔を見ていたアカギは、次に後方にうつ伏せで倒れている男に顔を向けて囁いた。
ここで二匹が浮遊型の霊だと知った俺は、先ほど気になっていたショウゴとケテケテの発言を、改めて理解することができた。この二匹が言っていた、気にしていないという内容は、自身のことである浮遊型を、人間ごときの俺に侮辱されたことだ。存在している意味などないと似通った俺の発言は、きっと二匹の浮遊霊を傷つけただろう。我ながら酷いことを言ってしまった気がする。
二匹に申し訳なさが込み上げる俺は謝罪しようとすると、今度は俺に顔を見せたアカギが話し出す。 「例えば……ある日、テメェのもとから一気に金が無くなったとしよう。それに加えて身体が弱いのが条件だ。そうなったら学校に通えないのはもちろん、ご飯すらまともに買えない生活になるだろ?」
昨日、大嫌いな親からの仕送りを停められてしまい、自分の生活のためにアルバイトを始めることにした俺は、今アカギが出した例を素直に考え頷いた。
すると、アカギは真剣な表情を変えずに言葉を続ける
「じゃあ、お腹が空いたらどうする?」
「……生活保護に頼る……」
アカギと同じく真面目に答えた俺だったが、目の前の彼女からは大きなため息を漏らされてしまう。まるで俺のことを呆れている様子が伺えるなか、患者服中学生は気を取り直したように、再び俺に鋭い眼差しを向ける。
「……じゃあ、生活保護はないし、奨学金もないことにしよう。そして誰からも相手にされない。それだったら、テメェはどうする?」
新たな条件のせいであまり考えたことがない質問になったと思った俺は、利き手の左手の指で顎を挟みながら深々と思考を開始した。まるでホームレスのような状況だと感じながら、なんとか結論を見出だして顔を上げる。
「……海外逃亡なんてどうだ?」
「テッメェ~~ッ!!」
しかし、俺の一生懸命考えた答えはアカギをまた怒らせてしまい、ショウゴとケテケテが焦って食い止めるという、全くさっきと同じ状況を生んでしまった。
「アカギお姉ちゃん!!落ち着いて落ち着いて!!」
「そうです、アカギ様!!どうか、心を安らかに!!」
二匹の必死な防衛行動が俺の前で繰り広げられるなか、怒り狂うアカギからは殺意がこもった左目を見せられてる。
「テメェ!!なんでコッチが求めてる答え言わねぇんだよ!?」
「そ、そんなの知らねぇよ!だったらソッチから早く答え言えばいいじゃねぇか!?」
焦りというよりも困惑が俺を襲うが、アカギの恐ろしい声は止まない。
「テメェ!俗に言う、ひねくれモンだろ!?」
「だったら、なんだよ!?」
「フッ!やっぱそうだよなぁ!!テメェはひねくれモンだ!!テメェみたいな生徒が増えるから、学校の授業は進まねぇし、教員の数だって減ってくんだよ!!ひねくれモンは相手の意思を全く考えない、ジコチューで最悪なヤツだッ!!」
なんでそこまでひねくれモンを嫌うのかと聴きたかったおれだが、アカギからの厳しい視線に圧倒されて言えなかった。確かに、俺はひねくれモンであることは認めよう。だが、今回はそれなりに考えた発言だったのに。
息を荒くするアカギは二匹の霊によってなんとか暴れるのを止めたが、俺に対する鬼の睨みは続いていた。
「……テメェ、道端に落ちてる金を拾うとか思い付かねぇのかよ?」
話し方的にまだ血が上っている様子のアカギを見て、これ以上面倒に巻き込まれたくなかった俺は、なるほどとテキトーな一言を漏らして耳を傾けることにした。
一度舌打ちを響かせて、激しかった息づかいを徐々に整えていく彼女の肩は止まり、自身に抱きついていたショウゴの頭に手のひらを載せる。すると怒りの表情は次第に悲愴な顔へと変化を始め、俺に哀れみを感じさせる左目を見せていた。
彼女が何を考えているのか定かではなかったが、アカギは重さが増した唇をゆっくりと動かす。
「それをショウゴたちは、毎日のようにやってんだよ……」
アカギの小さくも重要な内容が込められた言葉に、俺は声を出さずに驚く。こんな幼い少年がホームレスの如く生活しているのか。だが、どうしてそんなことが言えるんだ。
俺が疑問を湧かせていると、落ち込んだ様子のショウゴはまだ幼い男の子を声を鳴らす。
「おれだって、天国に逝くためには言霊が必要なんだ……」
ショウゴの悲しげな発言で、彼がお金ではなく言霊を拾い集めているのだとわかった俺は、なんと返して良いのかわからず、俯く少年をじっと見つめていた。たとえこの小さな少年であろうと、無事に天国に向かうためには四十四個の言霊が必要なのか。だから俺が見かけたとき、言霊を拾った彼はあんなにも嬉しそうに叫んでいたんだ。
霊の世界も相当残酷なものだと覚えると、アカギの傍らでしがみつくショウゴの顔には暗雲が立ち込めているが、ふと顔をアカギに向けて少し頬を緩まし、そのまま小さな喉を鳴らす。
「……でも、アカギお姉ちゃんが助けてくれたおかげで、諦めずに頑張れるんだ……」
最後にニッと白い歯を見せてはにかんだショウゴに、反ってアカギは悲しくも労る左目で少年を見下ろしていた。
「やなぎお兄ちゃん……」
「な、なんだ?」
突如ショウゴに名前を呼ばれた俺は、小さな少年から微笑み顔を向けられて身構える。
「教えてあげる。アカギお姉ちゃんが、どれだけ良い霊なのかを……」
するとショウゴは、アカギが纏う白い患者服の裾を掴みながら、俺に笑顔を見せて昔話を始めることとなった。




