表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/66

二十五個目*ゲリラ豪雨、後に快晴

近くのスーパーに来た俺、麻生やなぎは、セールの影響で戦場と化したこの場所で必死に買い物をしていく。

目的物を無事に集めることができてホッとしていたが、そこにはあの二人がおり、嫌な流れからの再会を果たしてしまう。

セールとは仁義なき戦争である。毎日、新聞と共に挟まれ届く広告は、俺には戦争招集願いの赤紙にも見えてしまうもので、多くの人間がそのお店に(いざな)われる。特に、主婦層に関しては、自身の大切な家庭のために、こういった広告を毎日目を通して、今日のお買い得商品は何か、曜日はいつまでか、タイムセールだとしたら一体何時からスタートなのかと、血眼(ちまなこ)になって調べているに違いない。なぜ皆がこんな戦いに挑もうとするのか、それは言わずもがな、お金のためである。人間という生き物は、お金という、身分の象徴とも言うべき造形物を持ったときから、できるだけ安く、そして納得できる商品を手に入れようとする思想があり、それは今も、そしてこれからも変わらないであろう。他人に自分が望む商品を取られたくないあまり、早足で商品を探しにいく、または取り合いになって力ずくで奪い合う、そんな数多の戦が行われるスーパーやショッピングセンターは、いつも戦場と化してしまう。あのときの主婦たちの目と言ったらとても恐ろしいもので、端から見ている者を寄せ付けないドロドロしたオーラが見えてしまう。

こんな光景を見てしまうと、俺はいつも頭に過るものがあった。そう、戦争は、文化だったのである。



「……午後一時か……さぁ、始めよう」

独り暮らしの高校二年生である俺、麻生(あそう)やなぎは、今とある大きなスーパーの入り口前で、自身が着けている腕時計を見て時間を確認していた。今日の午後一時から始まる、このスーパーでのタイムセールに、俺は足を運んでいたのである。本日は、主に日用品の商品が大幅に安くなっており、最大で半額の商品が在庫限定数で販売されている。その影響なのか、スーパーに入っていく者は主婦の方々が多く、また今日からは御盆休みが始まるため、家族連れで来ている者もおり、エコバックと名のる買い物袋を片手に戦地へと赴いていた。その一人である俺も、半ズボンのポケットにしまっていたレジ袋を取り出して、いざスーパーの入り口に入っていく。

自動ドアが開けられると共に、室内からは場内アナウンスが耳に入ってきており、今日のお買い得セールを謳っていた。目の前の食品コーナーではあまり人だかりが無いことから、恐らく人間どもは奥の日用品コーナーで溜まっているのだろう。

入り口に置かれた買い物籠を握って、持っていたくしゃくしゃのレジ袋を広げた俺は、その中から一枚の紙切れを取り出した。そこには今日買うべき品々の名前が記載されており、俺はメモ帳替わりとして握っている。まず、目の前の食品コーナーへと足を運んだ俺は、本日の献立は肉野菜炒めと決めていたため、細かく切られたキャベツとニンジン、貧乏人には必須のモヤシが入った野菜ミックスの袋を一つ籠に入れる。次に出向いた精肉コーナーでは、やはり戦地に近づいているせいか、徐々に人間の数が増しており、なかなか歩きづらい店内となっている。店内で働くパートのおばちゃんも、辛そうに汗を浮かべながら作り笑顔を見せており、早歩きで段ボール箱を運んでいく様子が伺われる。きっと、御盆休みぐらい家でゆっくりしたいのだろう。それなのに、寄りによってこんなに客が来てしまう一日になってしまうとは……アンタはまだ長生きするべきだ。

人の群れに入りながらも何とか精肉コーナーにたどり着いた俺は、目的としていた一人前用の豚肉トレーを早速手に取り、息苦しい人混みから一旦外れる。ふともぎ取ったトレーを眺めると、そこには赤いシールで『30%引き』と示されており、確か今日は日用品だけでなく、精肉コーナーもセール対象だったことに気が付く。そう考えると、この豚肉を手にいれたことは幸いだと感じるべきかもしれない。まあ、本当の戦いはここからなんだがな……

一度息を吐いた俺は、凛とした顔を上げて歩き出す。既に歩きづらい道中なのに、奥に行けば行くほど更に歩幅が狭くなっていく。ついには立ち止まってしまった俺は、人と人の間に決死の覚悟で突っ込んでいき、手を伸ばして何とか目的のシャンプーを掴みとる。

「……死ぬかと思った……」

人混みから抜け出した俺は、聞いたこともないブランド名の安いシャンプーを、安堵のため息と共に買い物籠入れた。


「麻生、くん?」


ふと聞きなれた声が耳に入った俺は、顔を横に向けると、そこには見覚えのある二人の女子高生がこちらを見ていた。

篠塚(しのづか)……水嶋(みずしま)……」

俺は驚きのあまり固まってしまい、買い物籠を持った薄緑色の半袖と長い白のスカートを纏った篠塚碧(しのづかみどり)と、彼女の隣でもう一つ籠を持つ、細い腕を出した水色のワンピースを着込む水嶋麗那(みずしまれいな)たちに目があってしまう。

思い返せば、この二人と会ったのはフクメとナデシコが強制成仏されたとき以来であり、そのときは、目の前の出来事にもう頭の中がメチャクチャだった俺は、二人に心ない言葉をぶつけてしまっていた。初めて水嶋が俺にキレたその日から、二人からの音沙汰は全くない状況であり、あの嫌な流れからの再会である。

驚いている様子の篠塚の隣では、水嶋はすぐに目を細めて睨み付けるようにしており、まだあの日の俺の言動を気にしているのがわかる。正直、学校が始まるまでは会いたくなかった俺は、すぐに視線をそらしてこの場を去ろうと、二人に背中を向けようとする。

「お久しぶり……だね」

俺の動きを止めるかのように篠塚が言い放つと、俺は渋々下を向きながら頷いて見せた。

「篠塚さん、アッチに行こう」

見なくてもわかる、水嶋のふてぶてしい発言から彼女の不機嫌な様子が伺えた。そのまま二人で早くどこかに行ってほしい。俺もお前らとは長居するつもりも、話す内容もないんだから……

「あのさ、麻生くん……」

再び篠塚の緊張した声が届く。どうして水嶋と行かないんだよ。早くどっかに行ってくれ……

今すぐにでも消えたい俺だが、篠塚は少しの間を置いて言葉を放つ。


「……ありがとう、あのとき、駆けつけてくれて……」

「えっ!?」


篠塚の発言に驚いて声を出した水嶋だが、それは俺も同じであり、下げていた顔を前方の彼女たちに向けた。そこには、開いた口が塞がらない水嶋に見られた篠塚が、俺に優しい微笑みを向けているのが目に映る。

「なんでだよ……」

予想もしていなかった篠塚からの言葉に、俺は目を見開いて言葉を漏らす。目の前の出来事があまりにも予想外だったため、手の握力が無くなって、持っている買い物籠が落ちそうになっていた。どうしてありがとうなんて言われなきゃいけないんだよ。俺はお前の心を傷付けたはずだ。隣の水嶋が思っているように、それは間違いない事実なのに……

彼女の発言の意図が全くわからない俺だが、どうしてと水嶋に言われている篠塚は、微笑みを絶やさずにずっと俺と目を会わせてながら言葉を続ける。

「まだ、感謝の言葉を言えてなかったから……エヘヘ」

困り顔を見せながらも笑う篠塚に、俺はついに持っていた買い物籠が手から離れてしまった。エヘヘって、お前実は天然ボケのお姉ちゃんだったのかよ。あれだけ予想が得意と言われてる篠塚が、まさかこんな本性の持ち主とは……まあ、俺なんかに告白する時点でおかしな奴だとは思っていたが……

返答せずに黙る俺は呆然として篠塚を見ていると、彼女は表情を変えずにそっぽを向き始める。

「あのときは、もう死んじゃうのかなって思った。視えない何かに首を絞められているようで、息ができなくて、とっても苦しかった……」

周りの数人の主婦たちから変な視線を浴びる篠塚だが、コイツが言っている言葉は間違いではない。あの日、篠塚と水嶋は、暴走したナデシコによって殺されかけていた。水嶋に関しては電話越しだったが、その苦しみは痛いほど伝わっており、彼女の悶え声を聴いた俺は困惑していた。また篠塚については、実際に俺も目の前で首を強く握られていたのを見ている。まさかこの二人が襲われるとは思っていなかった俺は、もう巻き込みたくないの想いから、あの言葉を発言してしまった。


『もう、俺とは関わんな……そのままの意味だ……お前らは邪魔だ……消えろ』


嫌な記憶を思い出す俺は再び下を向くが、今度は篠塚が顔を上げて俺を見ながら言葉を続ける。

「……でも、麻生くんが来てくれたおかげなのか、私や水嶋さんは、今こうやって息ができて、こうして生きている……だから、ありがとう……」

一度水嶋に目配りした篠塚は、最後に俺に向かって笑顔を見せていたが、下を向いている俺には、彼女の顔があまりにも眩しすぎて、片目で彼女の足下を見るのが精一杯だった。

篠塚の隣で話を聞いていた水嶋も、どこかふて腐れた様子を浮かべながら目線を下げており、誰一人として目を会わせている者がいなかった。

「……助けたのは、俺じゃない……小清水(こしみず)が強制成仏してくれたおかげだろ……」

俺の冷たい発言に、篠塚は目を閉じて首を横に振り、再び優しさが込められた瞳を俺に向ける。

「小清水くんを連れてきたのは麻生くんでしょ?小清水くんから聴いたよ、今まで見たことない焦った顔して神社に来たって……」

「でも、俺はやっぱり何もしてねぇよ……」

「……」

顔を横に向けた俺が言うと、篠塚も憂鬱な表情を浮かべて自身の足下に目を遣っていた。小清水千萩(こしみずせんしゅう)が言ったことは、決して間違いではない。しかし、あのときはただ、ナデシコに殺人を犯して欲しくなかったし、カナが一方的に俺を煽っていたからだ。お前たち二人の命が助かったのはうれしいが、正直あのときは、ナデシコを止めることで頭がいっぱいで、そして、フクメが成仏()されてしまったことで周囲に気を遣る余裕など無かった。そんな俺は、お前たちには何もしていないことと同じで、決して感謝の言葉を受けるほどの善者ではない。

黙りこむ俺たちの横を何人もの客が通り過ぎていき、周囲からは多少の視線を感じながら立ちすくむ三人。騒がしいなかでも喧しい場内アナウンスが鳴りやまない天井の下、俯いている篠塚は微かな声を鳴らす。

「ねぇ麻生くん……あのときさ、あのときはやっぱり、お化けが私たちを襲っていたんだよね?……」

「そうだな……悪霊ってやつだ……」

「そう、だよね……それってさ……」

まだ彼女の話が続くのかと思った俺は、ポケットに手を入れてテキトーに返答していた。早くこの場から去りたい気持ちでいっぱいなだけに、篠塚がどうしてそこまでして俺に感謝の言葉を送ろうとすのか考える気も起こらない。もういっそのこと、テキトーに聞き流してこの二人から遠ざかろう。

取り合えず耳だけを傾けた俺は、とっととレジに向かってスーパーから退出しようと考え、床に落ちてしまった籠を持とした、そのときだった。


「……(すい)のこと、だよね?」


篠塚の弱々しい声に、俺は動きを止められてしまい、細い目を大きく開けて彼女の顔を見る。

「おまえ!どうして……」

驚きのあまり声を大にした俺には、傍を通っていく客からさっきよりも疑わしい視線が多く向けられていた。が、普段から周りの目を気にしてきた俺は、このときは目の前の篠塚碧をただじっと見つめていた。

持っていた買い物籠を身体の前で両手で握りしめる篠塚は、その中味に視線を送りながら憂鬱からの微笑みを浮かばせる。

「やっぱりそうだよね……何となく、そんな気がしたの……」

これが篠塚碧の予想ともいうべきなのか、彼女のが真相を当てたことに、俺は未だに驚きを隠せずに固まっている。実の妹に殺されかけたんだ……ショックではないのだろうか。そんな予想がたったとしても、内心は信じたくなかったんじゃないのか。仮に俺が同じ立場として、死んだ妹に殺されそうになったなんて考えたら、きっと俺はしばらく城に隠って、現実逃避を目的にずっとパソコンのオンラインゲームを満喫するだろう。それなのに、どうして篠塚はこんなにも飄々と外に出られて言えたのだろうか……

かつては同じ妹という存在を持っていた俺だが、篠塚は自身の買い物籠に入っている、饅頭や羊羮、お煎餅やクッキーなどのお供え物たちを見ながら再び小さな口を開ける。

「私が苦しくなったあのときにね、助けて翠って言ったら急に楽になったんだ。あのときは、翠が駆けつけて助けてくれたのか、それとも翠が私のことを苦しめるのを止めたのか、そのどっちかだと思ったんだけど、今の麻生くんの様子でわかっちゃった……」

最後に顔を上げて、眉をハの字した篠塚が笑顔を見せて、エヘヘと笑っていた。

「……ショックじゃねぇのかよ?実の妹が、悪霊だったなんて知って……」

眩しくも辛さを感じる篠塚の笑顔に目を当てられなくなった俺は、言葉を終わらせるとすぐに下の綺麗な床を眺める。

「……正直、ショックじゃないって言ったら嘘になる。でも、きっとこれは翠からの復讐だって考えると、仕方ないのかなって思うの。翠とは確かに姉妹だったけど、当時から引っ込み思案だった私は、ずっと自分の部屋で引きこもって、明るく元気な翠とは遊ばず、ろくに妹の面倒なんて見ていなかった。しっかりしなきゃいけないはずの姉が、これじゃあねぇ……あの子を幸せにするどころか、寂しい想いをさせて逆に苦しめていたのかもしれない……」

弱々しい篠塚が発する声のトーンは徐々に下がっており、彼女の顔を見ていない俺も篠塚から笑顔が消えているとは予想がついていた。

「そして突然亡くなっちゃってさ……結局最後まで、あの子を幸せにできなかった。こんなんじゃあ、亡くなった翠から怨まれても仕方ないのかもね……姉とか兄って、本当にたいへんな役職なんだね。翠がいなくなって、やっと気づいたんだ……」

返す言葉を見つけられない俺は、ただじっと白い床を眺めて、篠塚翠として生きていたナデシコを思い出す。自分が生きていたときの名前すら思い出せないまま成仏されたナデシコは、祖父母のことも思い出せず、実の姉の顔すらも覚えていないままだった。そのため、姉である篠塚碧とあまり密接な関係ではないことは何となくわかる。いくら幼い彼女だから言っても、家族である親密な関係者の顔なら覚えているはずだ。生きていた記憶を失う、それが霊だとしても、最後には水嶋の兄貴やフクメのように、過去の記憶を思い出してもらって成仏()えてほしかったものだ。

俺たちの間には何度も沈黙が訪れており、篠塚の隣でいる、兄を亡くした妹の水嶋も黙っている。客やお店の従業員の忙しない足音が響くなか、俺たちはそれぞれの足元を眺めながら陰鬱な表情を浮かべていた。

「……ごめんね。また、長々と話しちゃって……私たち、もうそろそろ行くね……」

偽装とわかる笑顔を見せた篠塚は、踵を返して俺に小さな背中を向け始める。それにつられて水嶋も篠塚の進行方向に身体を向けて、二人ともここから去ろうとしていた。

篠塚に突きつけられた現実は、とても辛いものだって俺にもわかる。お前が買おうとしてるそのお供え物だって、きっとナデシコの……いや、篠塚翠のために飾るんだろう。死別という、もう二度と再会できない状況に立たされたお前は、それが生きている自分にできる、妹への償いだと感じているのだろう。お前の考えを否定するつもりはない。でも、お前の妹は、決して怨んでなどいなかった。確かに記憶はなかったけれど、少なくともお前を殺害しようとしたのは、アイツの本心ではない。じゃなかったら、あのときお前の首から手を離すわけがないじゃないか。そう、助けたのは、もちろん俺ではない。そして、小清水でもない。

「……篠塚翠だよ……」

周りの足音にかき消されそうな俺の一言は、背中を向けていた二人の歩みを止めて振り向かせた。下を向いていた俺は、目の前で不思議に思っている様子の二人に、真面目な顔を見せつける。


「お前の首を絞めていたのも、お前の命を助けたのも、両方とも篠塚翠だ!霊が視える俺が、永続的に保証する!」


二人の目を開かせた俺の言葉は、大きかったせいか、周りの大人たちも顔を向けていた。気持ち悪そうに思う表情を浮かばせながら去る従業員、子どもの手を無理矢理弾いてこの場から消えいく主婦と、多くの冷たい視線を感じている俺は、目の前で唯一目が会っている元姉と対峙している。

「でも、篠塚を殺そうとしてたのは、別にお前を怨んでいたからじゃないんだ。説明すると長くなるからハショるけど、暴走しちまって我を忘れていたんだよ!それに、霊は生きていたときの記憶を忘れてるのが普通なんだ!でも、それでもよ……」

「麻生くん……」

「……最後には、お前の言葉を聞いて殺すのを辞めたんだ!絶対にお前を怨んでいない、むしろこれからも生きてほしいっていうメッセージなんだよ!それは妹であるアイツが、大切な姉を想っていることに違いない!」

気づけばこの日用品コーナーに客は誰もいなく、本日のセールが嘘のように空いていた。きっと、へんな発言を繰り返す俺のせいに間違いない。しかし、これは紛れもない事実であり、どうしても伝えたかった内容だ。

両拳を固く握り締めた俺は、自分の発言は確かであると伝えるように、眉間に皺を寄せて篠塚に顔を向けていた。

俺の目には、未だに驚いているように映る篠塚だが、すると俺に目を向けるのを止めて下を向いてしまう。

「……正直、信じられないよ。翠に何かしてきたかって言われたら、何もしてないし……」

まるで俺の気持ちが届いていない様子の篠塚だったが、ふと彼女の顔からは、一滴の滴が頬をつたい、白く光る床へと落ちていった。

ピタッと音を経てた水滴が弾けると、篠塚はゆっくりと顔を上げ始め、俺に泣き顔を見せながら笑っていた。


「……でも、私の尊敬する麻生くんが言うのなら、本当なんだね。翠が私を嫌っていないってわかって、とっても嬉しい……」


両目から次々に溢れる涙は、何滴も床へポタポタと落下しており、冷たかった床を優しく温めている。

「ありがとう麻生くん……やっぱり麻生くんは、優しい人なんだね」

最後に嬉し涙を拭き取ってニコッと笑顔を見せた篠塚からは、どうやら俺の言葉がしっかり届いたのだとわかり、俺は肩の力を抜くと共に安堵のため息を漏らした。

「そのお供え物、妹のために飾るんだろ?」

「うん」

「そうか。だったら早く帰って、大切だと気づいた妹に捧げてやってくれ。アイツの大好きな、篠塚農園の梨も忘れずにな」

「うん!」

篠塚の瞳はまだ潤んだままであったが、彼女の笑顔はゲリラ豪雨の後の快晴のように、とても眩しい輝きを放っていた。

「じゃあ、また今度……学校でかな?二学期もヨロシクね」

「おぅ」

子どものような無邪気の笑顔を浮かべる篠塚に、俺は僅かに頬を緩ませて返答した。なんだか久々に笑った気がする……それも、こんな綺麗な形で……

「じゃあ行こう、水嶋さん……ん?」

笑顔で立ち去ろうした篠塚だが、隣の水嶋はまだ浮かない表情を見せている。彼女は何故か俺の買い物籠の中味に視線を送っていると、突如動き出して近づいてくる。水嶋のムッとしている、怒っているような表情からは、俺が何か不味いことを言ってしまったのかと考えさせたが、彼女は俺の籠から、先ほど人混みから入手した激安シャンプーを取り出す。

「これ、違う!」

「はぁ?」

困り顔を見せた俺だが、水嶋は不機嫌な表情を変えることなく動き出し、俺の籠に入れていたシャンプーとはまた別の種類を棚から手にとって、ツンとした表情で俺に差し出す。

「はい!」

「はいって……どういことっすか?」

あまりにも状況を飲み込めなかった俺は、同い年の水嶋に敬語を使ってしまうと、生徒会長は怖い顔を見せながらシャンプーを俺の手に握らせる。

「篠塚さんの好きなブランドのシャンプー、これだから」

「は、はぁ……」

「ちょっと、水嶋さん!?」

水嶋の背中を後ろから、顔を赤くしてポコポコと両手で叩く篠塚がいたが、俺は渡された華やかなシャンプーをまじまじと眺めていた。よくテレビのコマーシャルで目にするメーカー名が書かれたシャンプーからは、どれだけの値段がするのかわからなく、俺はゾッとしながら商品の単品カードを覗く。

「……さっきのシャンプーより二倍以上の値段……」

「これからは、そのシャンプーを毎日使うように。篠塚さんきっと喜ぶから」

「水嶋さん、変なこと言わないでよ~!」

今後の予算が心配になる俺だが、さらに顔を赤く染めた篠塚は、俺の前で仁王立ちする水嶋の大きな背中を、小さな子どもが泣きじゃくるように叩き続けていた。

値段に対しては納得いっていない俺であるが、これで棚に戻したらまた手元に返されるのがオチだと感じ、ため息を漏らしながら買い物籠に入れることにした。

「麻生やなぎくん!!」

「は、はい!?」

突然大声を出した水嶋に驚いた俺は、自然と気をつけの姿勢となっており、担任の九条満(くじょうみちる)のような、堂々とした立ち振舞いの水嶋と目を会わせる。

「篠塚さんに注目!!」

「は、はぁ……」

「返事が小さい!!もう一度!!」

「……はい!」

威厳な風格を見せる水嶋が横に避けて、背中に隠れていたリンゴのような顔をした篠塚が現れると、俺は取り合えず水嶋の言われるがままに篠塚と対面した。

「はい!!篠塚さんにしっかり謝りなさい。あのときは、酷いことを言ってごめんなさい、さんはい!!」

「……」

「コラッ!!ちゃんと言いなさい!!」

絶対に九条満の真似をしている水嶋に付き合いきれなくなった俺は、呆れた顔をしてボーッと立っていた。

傍でガミガミと喧しい水嶋がいるが、前方の篠塚の視線を感じると、俺はそっぽを向いてしまうが口を開けることが出来た。

「……あのときは、俺も言い方が悪かった。ゴメンな……」

嫌々ながら小さく呟いた俺は顔の位置を変えず、目だけを動かして篠塚の表情を覗きこむと、彼女は嬉しそうにニッコリと笑っていた。

「ううん。私たちを危険に巻き込みたくなかったからだよね。私こそ、麻生くんの考えも知らずに、勝手な思い込みをしてゴメンなさい」

優しい笑顔を見せ続ける篠塚は、頭を下げて一礼し、顔を上げて元に戻ると、彼女の表情はより晴れ晴れしい温かみを増していた。

にこやかな彼女の顔を目の当たりにした俺は、少し恥じらいを感じてしまい、横を向いて視線を反らしてしまう。すると視界に入った水嶋を見て、俺は彼女にも謝罪を試みた。

「み、水嶋も……」

「私は結構!篠塚さんが許してるのなら、私も麻生くんを許す!だって……」

目を閉じながらまだ怒っているように言っていた水嶋だが、最後に目を開けて篠塚の隣へと飛び移り、一回り小さな彼女の肩に抱きつく。

「……親友の愛する人を、悪く言えないもん、ね」

最後に篠塚と顔を会わせた水嶋は、明るい笑顔を見せていた。

愛する人という言葉で羞恥心に駆られた様子の篠塚は、沸騰するように顔を赤くして下を向いていると、隣の水嶋は再び厳しい顔つきを俺に向ける。

「いい、麻生くん!!今後また、篠塚さんに酷いことしたら、ただじゃおかないからね!!……ンフフッ!」

厳しい教師を演じていた水嶋も、最後には堪えることができずに笑ってしまい、梨農園の手伝い以来の笑顔を俺に見せていた。

へんに疲労感を感じた俺は、大きなため息を漏らしたが、なんだか心が身軽になった気がする。それは恐らく、この二人がまた今まで通りの姿でいてくれるからなのかもしれない。今まで笑っていた人間が、再び笑っている。そんなごく当たり前な光景が、今の俺には心の落ち着きすら生ませており、なんだか心地よいものだった。他者なんてどうでもいい、他人に対してそんなに興味を持ってこなかった俺には、この心の安らかさは珍しいものであり、笑い合う二人に、閉じていた心の扉を少し開けることができていた。



「あ、麻生くん……じゃあ、またね」

「お、おう。風邪ひくなよ……」

「うん。ありがとう!」

「篠塚さ~ん!!いつまでイチャイチャしてるの~!?帰るよ~!!」

「あ、待って水嶋さ~ん!!」

田んぼが広がる離れたところで、予めスーパーの出口を先に出ていった水嶋のもとへと、恥じらいを抱いた俺と共に退出した篠塚は、購入した商品が入ったエコバックを揺らしながら走っていく。

二人の高低差が見てとれる背中は寄り添いあい、まるで姉妹のような情景を思い浮かばせる。その姿からは、一体どっちが姉でどっちが妹だったのかは、きっと彼女たちの境遇を知る者にしかわからないだろう。

「フン……姉妹かぁ……」

俺のもとから徐々に離れていく背中からは、ふとフクメとナデシコが寄り添っていた情景が頭に浮かぶ。アイツらもああやって、仲良く隣り合っていたなぁ。煩くて、鬱陶しくて、でもその仲を裂けなくて、なんだか憧れて……

二人の姿はどんどん小さくなっていき、曲がり角を進むと見えなくなってしまったが、俺はしばらくその跡を眺めていた。

『お兄ちゃん、電話が着てるよ~……』

「おっと……」

スーパーの出口で突っ立っていた俺のポケットから、スマートホンの着信音が鳴っていた。思い返せばマナーモードにすることを忘れており、篠塚と水嶋がこの場にいなくてホッとしながら取り出す。

ここのところはあまり電話を受けない俺は、一体誰からなのだろうと疑心を抱きながら、スマホの画面を覗く。するとそこには、電話帳には登録していないが、見覚えのある携帯電話の番号が映し出されていた。

「チッ……」

電話主が誰なのか理解した俺はすぐに画面の着信拒否ボタンに触れて、再びスマホを半ズボンのポケットに戻した。結局電話には出なかった俺は、腕時計を見て既に午後二時を回っているのを確認し、苛立ちを覚えながらスーパーから離れていくことにした。

気分が台無しだ。本当にコイツらには怨みの感情しか抱けない……

鋭い目付きに変えた俺は、いつもより足音を大きくしながら、いつもよりビニール袋を強く握りながら歩いていく。夏の一番暑い時間帯で外に出ている俺だが、今は正直城に帰る気にはなれず、真っ直ぐ帰路をたどることなく、反対方向の道へと進んで道草を食うことにした。



皆様こんにちは。お菓子の買い物をして家に戻ると、あまりにも散らかっていたため大掃除を決行しましたが、気づいたら買ってきた物まで捨ててしまった田村です。

今回は、あの二人ということで篠塚碧と水嶋麗那を出しました。やなぎとカップルっぽい話を書いたのは今回が初めてかもしれませんね。今後二人はどうなるのかは、あまり期待せずに……

次回は、新たな霊が登場予定です。それは皆様も知っている、あのときの霊です。

どうか最終章を楽しんで頂けると嬉しいです。

では、また来週もよろしくお願いします。


P.S.「私の描いたキャラクターを載せたい!でも、私の絵を本当に載せてくれるのかしら……」と言う方がいれば、是非ご連絡くださいませ。深夜の通販並みにお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ