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二十四個目*ピッタンコ

梨農園の手伝いを終えた俺、麻生やなぎには、日常の変化が訪れてしまう。目を覚ますと、今までずっと傍にいたカナが忽然と消えてしまったことだ。

彼女がいっこうに帰ってこないことに落ち着かない俺は、屋上の地縛霊、湯沢純子のもとへと足を運ぶと、彼女からはカナのことだけではなく、言霊についての情報が知らされる。

最終章、真の悪霊編、始まります。

 帰りを待つときの気持ちとは、何よりも心を荒立たせるものだ。相手の帰りを今か今かと待つときの落ち着きの無さは、何にも言い換えができなくて、じっとしていられなくなるくらいだ。 アイツは今何をしているのか、という葛藤の後にくる、アイツは今無事なのであろうか、に転換されるときが一番辛い。幼い子どもたちがよく学校の先生に言われる、行き先を伝えることと帰りの時間を守ることは絶対だ、という言葉は何歳になっても共通する大切なものだと伝えたい。

 本当にアイツは、今どこで何をしているのか……



 俺の名前は麻生(あそう)やなぎ。笹浦一高に通う二年生の俺には現在夏休みが訪れていた。世間では今日から御盆の期間となっており、実家に帰省する者や親族の墓参りなどに足を運ぶ者で溢れている。一人暮らしの俺にも勿論実家というものが存在するが、正直帰りたいと思える場所ではなく、高校二年の今年も夏休みの一部に過ぎなかった。

 夏の太陽が激しく燃える今日の朝、一人の俺は半袖短パンで黒ずくめに近い姿になってとある場所に歩んでいた。こんな真夏に熱を吸収してしまう黒を選んだ俺は、全身から汗をかきながら後悔していたが、男にとってこの色は何となく落ち着くものだ。男とはあまり頭を使わずに、自身の感じかた、いわゆるフィーリングというやつで物事を決めるのが日常であり、人間特有の知能を機能させないのが特徴だ。

 そんな道理や訳のわからない男性として生まれた俺は、自身が通う笹浦第一高等学校の正門前に到着した。御盆の期間ということもあり、黒鉄の門は施錠されており立ち入りが禁止されているのがわかる。だが、世間のルールに従うも、学校という社会から隔離された場所では反抗的な俺は、目の前の門をよじ登って校内に侵入する。入ったところで誰もいないのは当然で、アスファルトに着地したときの音が辺りに響いていた。この広い校舎にある噴水も止まっていることから、どうやら学校の内部にも人はいないようで、俺は気にせず歩みだす。

 無人と化した空間を歩いて数分後、校舎の端の方にある、屋上へと続く非常階段を上っていく俺は、夏の温い風を受けながら一歩ずつ上がっていた。風が吹く度にギシギシと音をたてる、この錆び付いた階段は七不思議の一つともされているが、噂による怖さよりも、錆のせいで突然崩れたりしないかという心配の方が勝っていた。

 学校の最上階まで上った俺は、夏の暑さとスタミナ切れのゲッツーをくらって苦しかったが、以前から開けっ放しになっている屋上フロアの策を軽く乗り越えていく。普段は立ち入りが禁止されているこの屋上だが、約一ヶ月前から俺は何度もこの場に来ている。その理由は、地縛霊のアイツと相談するためだ。

 端から端まで約五十メートルはあろうかというこの屋上、俺が中央部まで来たところで、奥の方では首から鎖を垂らして背中を向けている、古風な制服を纏った少女が、宙に浮くサラリーマンのような姿をしたおじさんと話していた。頭がバーコードのように整えられた男性は、掛けた眼鏡の下から涙を流しているようだが、決して悲しんでいる訳ではなく喜びからのものであった。

「いや~助かりましたよ。言霊を貰えるなんて夢のようです」

「それは大切にしなくてはな……今度は、お主の力で集めるんじゃよ。人間を驚かせて、あと四十三個集めなさい」

「はい。素敵なアドバイス、ありがとうございました!」

 手に持っていた白いハンカチで涙を拭き取ったサラリーマンは、彼女にそう伝えるとすぐに遠い空へと向かっていき、さっきまでそこにいたのが嘘のように消えてしまった。

 その後すぐに、背中を向けた少女のもとに近づいた俺は、わざわざ来てやったと言わんばかりに声を飛ばす。

「よぉ……言霊でもあげたのか?」

 大きい声を出し慣れていない俺の言葉に、彼女はゆっくりと振り向くと、不機嫌そうな顔つきで俺と目を会わせていた。

「なんじゃあ?こんな御盆にも来るとは、日本の伝統を守らぬ罰当たりじゃな、小童(こわっぱ)め。それにワシが持っている訳無かろう、先方が誰かから頂いたそうじゃ」

 目を細める湯沢純子(ゆざわじゅんこ)には正直小童という言葉を発して欲しくなかったが、ここはいっそ無視をして話を変える。

「……カナは、来てないか?」

 俺の素っ気ない質問に、湯沢は大きくため息をついていた。

「じゃから来とらんと言っておろう……お主もしつこい男じゃ」

 呆れるように言った湯沢だが、その言葉は正しかった。俺に取り憑いていた霊、カナがいなくなってからは、実は数日が経っていた。俺が目を覚ましたとき、突然いなくなった日から彼女が俺の城に帰ってくることはなく、音沙汰はもちろん、今どこにいるのかという話も耳に届いていない。それからというものの俺は、こうして湯沢のもとに毎日のように来ている。来れば返ってくる言葉はいつも変わらず、最初はカナがいなくなったと知って驚いていた湯沢も、今は鬱陶しいと言いたげな様子で俺に構っていた。

「そうだな……わりぃ……」

 短パンのポケットに手を入れた俺は、下を向きながら呟くと、湯沢はそれをため息で返していた。別にカナを心配しているわけではない……俺は自分にそう言い聞かせていた。正直、喧しい霊たちがいなくなることを望んでいた俺だったが、この短い期間で二匹も消えてしまったことが原因なのか、一匹狼の精神を持つ俺に変な心が生まれているように感じていた。

「……アイツ、今ごろ言霊でも探してんのかな……」

「口を開けばカナ嬢のことばかりじゃな……まったくお主は……」

 何か言いたげであった湯沢だったが、言葉を止めて背中を向けて屋上の策に手を置いていた。それにつられて俺も顔を上げて、この屋上から見える笹浦市の風景を眺め始める。今朝から強い陽が照りつける町並みからは、タオルを首に巻いて汗を拭う者がたくさんおり、アスファルトの道路からも蜃気楼が視える。今日の最高気温は『35℃』を超える予想が出されていたことで、より夏の苦しい暑さを感じていた。

 自身が飛び降りてしまったことが原因で設置された、屋上の回りを囲む策に手を置く湯沢は、そんな炎天下の風景を見ながら俺宛に声を鳴らす。

「……麻生やなぎ……」

「なんだよ……」

 隣り合っているにも関わらず目を会わせない二人だが、その静かなやり取りは続いていく。

「……お主、言霊については、どれ程知識を得ておる?」

「人間が驚いた時に出てくる……人間の活力……味はない……そんなところだ……」

「そうか……あまり知らないようじゃな……」

「え?」

 前を向きながら淡々と話していた湯沢に、隣の俺はふと顔を彼女に向ける。あまり知らないということは、言霊にはまだ他にも性質があるってことなのか……俺が言霊について知ったのは、全てカナの口から教わったものだし、湯沢なら他のことを知っていてもおかしくはない。

「なんか知ってるのかよ?言霊について……」

「知りたいか?」

 やっと俺に目を向けた湯沢は、瞳を細めて睨み付けるようにしていたが、更に目付きの悪い俺には到底及ばなかった。

「知って得するなら、教えてもらっても構わない……」

「まったく……素直に教えてください御姉様と申せば、もっと可愛らしい子童(こわっぱ)になると思うんじゃがな……」

 生憎、俺は幼いお前を姉とは思っていないし、ガキ扱いされたいとも思っていないんだよ。端から見たら絶対俺の方が歳上に見えるからな……この幼女ババア……

 偉そうに話す湯沢に言葉をぶつけたい気持ちは山々な俺だったが、彼女は再び顔をもとに戻して町並みへと焦点を当てていた。あまり風もないため時間が停まっているのか錯覚しそうなこの場所で、湯沢はゆっくりと口を動かし始める。

「まあ、お主とて、いずれ知ることになろう……教えてやろう、言霊とは何物かを……」

 神妙に話した湯沢は、策から手を離して身体全体を俺に向ける。先ほどの俺に対する目付きはより鋭いものとなっており、自然と固唾を飲み込ませていた。

 俺たちが睨みあう間に沈黙が起きていたが、湯沢の固く閉ざされていた口が開けられる。

「まず、言霊とは、生きている人間の、生命の一部であるということじゃ。人間一人あたりには、言霊が十個含まれているそうじゃ……この十個が無くなってしまえば……」

「……人間は死ぬってことか?」

 湯沢の重苦しい言葉に続くように俺が言うと、彼女は首に繋がれた鎖の音を立てて頷く。

「驚いてショック死する、という話があるじゃろ?あれは要するに、生きる源である言霊を全て失ってしまったからじゃ。特に長生きした者がほとんどじゃろう……」

 目線を変えずに話す湯沢の言葉には、俺は確かに納得出来ていた。言霊とは、人間が恐怖を初め様々な感情により、心から驚いたときに吐き出されるものらしく、それを命の一部と考えれば、ショック死の意味と合致する。俺たち人間は大いに驚く度に生命力を削っている訳で、それがあのビーズのような鮮やかな玉となって出てくるのである。長生きをした者、つまり老人に多い理由は、今までの長い人生のなかでたくさん驚いてきたため、その最後の驚きに出くわしてしまったからだろう。

 ここまでは、カナが言っていた、言霊とは活力の源であることと同じであり、俺はすんなり内容を脳内に取り入れることができた。

「……んで、他に特徴は?」

 あまり他者の目を見ない俺だが、このときは目の前の湯沢としっかり会わせていた。すると、彼女はそのまま再び小さな口を動かす。

「その人間の活力の塊である言霊……わしらはそれを四十四個集めると、無事に天国へと逝くことができる……まあ、これが性質の内容じゃな……」

「へぇ……え?おい、ちょっと待てよ……」

「なんじゃ?子童(こわっぱ)

 ついに怒りのデッドヒートモードに達した俺は、拳を握り締めて、虫歯のない歯を噛み締めて、散々俺をバカにしてきた湯沢に視線をぶつける。

「何があまり知らないだぁ?ここまでの内容なら、もうとっくに知ってるっつうの!お前俺の話ちゃんと聞いてたか?どこのインチキメディアだよ!?」

「な、何をぬかすか!ワシは、言霊について知っておるか、と聴いたのじゃ!まだ言霊の特徴しか話しておらんじゃろうがっ!何も知らんヤツが偉そうに喋れるなっ!勉強してから来いっ!」

「だったら省略とかできただろ!何でワザワザ知ってることから話すんだよ!?」

「それはお主が子童(こわっぱ)だからじゃ!愚かな男で子童(こわっぱ)ときたら、話すこっちがたいへんで仕方ないんじゃぞ!」

「はいはい女尊男卑(じょそんだんひ)ってやつですか!でも生物学上は、胎児はもともと女であって、そこから細胞分裂やら何やらで進化して男になるんだぞ!要するに男は女の進化態なんだぞ!」

「だから何じゃ!ワシら女とて、存在しなければ子を産むことすらできないのじゃぞ!お主らが進化態とぬかす前に、ワシらを人類の創成者と敬え!この野蛮な変質的猿め!」

「生憎、お前の下敷きみてぇな胸には興味ねぇんだよ!そりゃあ変質者からだって襲われないわけだ!」

「たわけ!すぐ女性の身体に目をやる外道め!やはりお主らは変質的及び不審猿じゃ!」

「なんだとぉ……」

 誰もいないはずの屋上で、激しく言葉をぶつけ合う俺たち。顔をしかめながら、今にも相手を潰してやろうと睨み会っていたが、ここは大人の俺が先に怒りを収めようと、まだまだ幼い湯沢の前で何とか飲み込んだ。

「んで!続きはなんなんだよ?」

 未だに怒りからの震えを抑えられていない俺が言うと、目の前の幼女はふと虚ろな目で下を向き始める。何か言いづらそうな雰囲気を見せていたが、彼女は再び顔を上げて俺と対峙する。

「ここからは、言霊による影響じゃ……」

 さっきよりも神妙さを増した湯沢に、俺は忘れるように怒りを鎮めることができ、我を取り戻して彼女の言葉に集中する。

「まず、自然界に対する影響じゃ……言霊は、人間の活力……それは草木などの成長や繁栄に大きな影響を与えるのじゃ」

 言葉を終わらせた湯沢は、ふと顔をそらし、屋上から見える校内の木々を眺めていた。その件に関しては、俺もついこの間知ったことだった。梨農園の手伝いに行った俺たちと出くわした、梨農園の神様とまで言われていた、篠塚碧(しのづかみどり)の亡き妹である篠塚翠(しのづかすい)、通称ナデシコが夜中に、農園全体に言霊をばら蒔いていた。それは梨の成長を促すために行っていたもので、その結果が篠塚(しのづか)家の農園を繁盛させていた。蒔かれた言霊は、そこら中の梨の木に吸い込まれるように取り入れられていたのは、俺も確かに目視している。カナも言っていたことから、どうやら言霊は、そのエネルギーで成長させる影響があるのだろう。

「確かに、そうだな……」

 言葉を漏らした俺は、この話の内容に賛同していた。だが、どうして湯沢はあんなにも発することを拒む顔をしているのか、それがどうも気がかりだった。別に悪い影響でもないのに、なぜそんな顔をするのだろうか……

 彼女の表情はいっこうに変わらず、そして再び若々しい口許が動き出す。

「そして、ワシら霊に対する影響じゃ……」

 そう一言放った湯沢は、より一層血相が悪くなっているのが、俺には見えた。どうも言いづらそうな彼女だったため、内容にいくらか察しがついた俺は、代わりに口を開ける。

「言霊を食ったとき……ってことか?」

 俺に睨まれた湯沢は、眉間に皺を寄せながら深く頷く。すでに目線が俺の足元になっている彼女は、静かに空気を吸い込んで話し出す。

「これは、ある人から聴いた話じゃ……霊が言霊を体内に取り入れると、まず、我を忘れて殺戮行動に陥るのじゃ」

 辛そうな表情を浮かべる湯沢の言葉は、俺には聞き覚えがあった。それは、暴走したナデシコの前で放ったカナの発言だ。


『……とある霊が口にしたことから始まりました。言霊はこれといって味は無いのですが、人間でいうアルコールのようなものであり、霊自身を活性化させるんです……』


『……はい。殺戮衝動に駆られます。それも我を忘れて、言霊を集めるという目的を忘れた、ただ無慈悲な殺害行動を始めるんです……』


 ほとんど言葉が一致していたことから、コイツらがいう、ある人とは、恐らく同一人物であり、二匹が実際に会った者なのだろう。

「ある人って、一体誰なんだ?」

「……それは、私からは言えぬ……」

「はぁ?」

 先ほどのまで俺の爪先に目線を置いていた湯沢は、顔を上げぬままそっぽを向き始める。なぜその正体を言えないのかは俺にはわからなかった。実際に俺に関係しているヤツだとしても、正直霊のことに詳しい人間及び霊は、ナデシコを強制成仏した小清水千萩(こしみずせんしゅう)、そしてカナと湯沢純子しかいない。別に俺に知られたところで何の差し支えもないように感じるが、一体どうして湯沢は隠しているのだろうか……

「……それからじゃ……」

 俺の質問を無視するように、屋上の地面に目を向ける湯沢は再び言葉を紡ぐ。

「……言霊を取り入れると、他に二つの効果をもたらす……その一つは、摩訶不思議な力を手に入れることじゃ。お主ら人間でいう、超能力と言ったところじゃな」

 まったく顔向けを変えない彼女だったが、俺はふとナデシコが放った光の弾丸を思い出した。あの日、悪魔と化したナデシコは、両手から青白い光の弾丸を飛ばし攻撃してきた。その効果は小清水が放った縛りの御札を燃やしてしまうほどであり、人体に当たれば火傷を負わせるものだと見受けられた。

「宙に浮くことぐらいは、ワシとて、全ての霊たちができる。じゃが、それ以上の、常識では考えられないことをする霊は、言霊を体内に摂取したと考えて妥当じゃろう……」

「で、あと一つは?」

 黙りこもうとしていた湯沢だったが、俺は隙を与えずに話すと、彼女は強く目を閉じていた。

「……質量を得る……じゃ……」

「質量?」

 聞きなれない言葉に、頭にクエスチョンマークを浮かべる俺は、小さな声で苦しそうに発した彼女に聞き返していた。

 目を閉じていた湯沢はゆっくりと目を開けると、まだそっぽを向いている。

子童(こわっぱ)、ワシに触れてみろ……へんな場所に触れようとしたら、警察を呼ぶからな……」

 霊であるお前がどうやって警察に通報するのか、俺には到底理解できなかったが、俺は暗い表情の彼女に近づいて、その小さく低い肩に右手を載せようとする。

「あ……」

「触れんじゃろ?」

 口を開けた俺に見えたのは、俺の右手が湯沢の肩を貫通しており、彼女の身体も温度も感じないまますり抜けていた。

 そのまま右腕を降ろした俺は、言霊を食べたことがない湯沢が言った、質量の意味が何となく理解できた。霊が質量を得るというのは、つまりこの世に触れられる物質として存在できるようになるということだ。

 すると、湯沢はふと俺の顔を見始めると、自身の手が拳に変えらていた。

「な、なんだよ?」

「いいか、避けるなよ……」

 湯沢の右腕が弾かれると、次の瞬間、彼女の小さな拳が俺の顔めがけて飛ばされる。

「ばっ!やめろっ!」

 醜い殴り合いの喧嘩などオンラインゲームでしか経験がない俺は、叫びながら目を瞑ってしまった。だが、まったく痛みもなく、当たった感触すら無かった俺は不思議に思い、ゆっくりと固く閉ざされた目を開ける。すると、目の前にはやはり湯沢の拳が俺の顔に到達していた。しかし、当たっているはずなのに彼女の温もりすら感じられず、ただじっと不思議に見つめていた。

「ワシら普通の霊は、こうやって人間に触れることはできる……じゃが、質量を持たぬ故、お主らの触角を刺激することはないのじゃ……」

 そっと腕を降ろした湯沢を見て、俺はナデシコが人間の首を絞めていた出来事を思い出していた。道端に倒れた人間の首を思いっきり掴んで絞め殺そうとし、知り合いである水嶋麗那(みずしまれいな)、実の姉である篠塚碧すらも()ろうとしていたあの姿は、想像だけで鳥肌が立つほど未だにトラウマになっている。だが、ここで一つわかったのは、あのときナデシコが人間の首を絞めて殺害することができたのは質量を持っていたからということだ。言霊を飲み込んで質量を得た彼女は、直に人間の肌に触れることができ、首骨を折ることまでできていた。

 殺戮衝動といい、質量を得るといい……どうやら言霊を食べた霊はまったく救いようのないものだ。言霊を食らったその瞬間から悪魔と化しているにも聞こえるし、甚だ恐ろしいのみである。

「……まるで、悪霊だな」

「ああ。言霊を取り入れた霊など、もはや同じ霊として考えないのが……身のためかもしれぬ……」

 一度言葉を止めそうになった湯沢だったが、下を向いたまま終わらせた。

「……まあ、言霊についてはざっとこのようなものじゃ。あくまでこれは、ワシが他者から聴いた話じゃから、お主らでいう都市伝説のようなものじゃ」

「でも、こんなに立証できてるんだから、確かな真実なんじゃないのか?」

「……そうじゃな……」

 まるで現実を受け止めたくない様子の湯沢は、下を向いたまま目を閉じて黙りこむ。最後まで聴いても、どうしてコイツが辛そうな表情を浮かべるのか、俺にはまったく検討がつかなかった。

 俺はふと腕時計を見てみると、時刻はあっという間に正午の時間が近づいていたのがわかる。いつもだったら湯沢との会話は三十分持たずだったものが、今日は一時間以上話し込んでしまったことに気付き、夏休みという恐ろしい時間の流れの速さにため息を漏らしていた。

「……じゃ、俺は帰る。昼飯とか昨日切らしたシャンプーとかも買わなきゃいけねぇし、ここらで御開きにさせてもらうぞ……」

 湯沢の背中に向けて、俺はそう言い残して踵を返し、屋上の端にある非常階段の方へと歩き出す。実は本日正午から、近くのスーパーではお客さまポイント還元セール及び全品半額キャンペーンが始まるのだ。お盆の初日でもあることから、商品の欠品を避けるためにも正午ピッタリに行くしかない。一歩歩くと俺の運動靴と屋上のゴム質地面の擦れる音が鳴らされていたが、その音はすぐに止んでしまう。

「待て!麻生やなぎ!」

 突如、荒声が耳に入った俺は振り向くと、そこには身体を向けた湯沢が、さっきの表情とあまり変わらない、どこか危険を知らせようとする警戒した顔つきで目を会わせていた。

「な、なんだよ……急に?」

 あまり湯沢の大声を聴いたことがない俺は、事態の変化に流されてしまい、驚いて固まってしまう。

 一方、俺を無理矢理言葉で止めた湯沢は、苦い顔を浮かべながら見つめており、まるで俺に危険が迫っているように感じさせていた。

「……お主、アカギという名を、聴いたことはあるか?」

 まったく言いづらそうに言葉を投げた湯沢だが、俺には疑問符しか浮かんでいなかった。

「アカギ?さぁ……ソイツがどうかしたか?」

「そうか、知らんのか……」

 淡々と話した俺のあと、湯沢は自身の胸に手を当てて安堵のため息を漏らしており、再び警戒心を含んだ瞳で俺を睨み付ける。

「今後、アカギと名のる霊と出くわしたならば、悪いことは言わん……あまり関わりを持たぬべきじゃ……」

「あ、ああ……てか、アカギっていうヤツは霊なのか。どんなヤツなんだ?何か特徴とかないのかよ?フクメだったら鬼の覆面付けてる中学生とか、ナデシコだったらサ行が言えない幼稚園児とか、お前だったらピッタンコとか……」

「ピッタンコ……何じゃそれは?」

 湯沢は怒るかと思ったが、どうやらピッタンコの意味を知らなかったようで、首を傾げながら不思議な表情を浮かべていた。戦前から生きていたコイツには通じなかったか……畜生……

「……まあ、お前そのものってことだよ……んで、アカギの特徴は?」

 すると、不思議がっていた湯沢の表情は雲を増しており、俺から視線を反らしていた。言うのかを迷っている様子を見せられた俺だが、少しの沈黙のあとに彼女の小さな口が僅かに動かされる。

「……片目が無い、ことじゃ……」

「片目が、無い?」

 小さな音を聞き取った俺は、その内容が想像もしていなかったもので眉間に皺を寄せていた。俺が今までに遭遇した霊には、確かに様々なヤツラがいた。しかし、片目が無いなど、そこまで過激なヤツはあまり記憶に残っておらず、皆ちゃんとした人間の姿をしていた。

「片目が無いっていうのは……目玉オヤジみたいなやつか?」

 俺が愛する特撮には他にも例はいくらでもあるが、ピッタンコという現代用語すら伝わらない彼女には、正直このくらいしか例えが浮かばなかった。

 すると、湯沢は目を閉じながら首を左右に振って、乾いた鎖の音を響かせる。

「片目が、潰されていると言った方が伝わるじゃろうか……姿はワシらと同じ人間じゃ。年齢も若々しく、フクメ殿に近いように感じる……」

 相変わらず俯き姿を変えない湯沢だったが、俺は彼女の言葉から大体の姿を思い描いた。アカギと名のる霊は、片方の眼球が無いというのが大きな特徴で、恐らく女子中学生のような身の丈だろう。

「わかった……一応、気を付けておく……それでおしまいか?」

「あ、ああ……そうじゃ……」

 やはりまだ言い足りない様子を見せる湯沢だったが、もうすぐセールの買い出し時間でもあったため、俺は見過ごすことにして背を向ける。

「じゃあ、帰るからな……」

 湯沢を見ずに去っていく俺には、今度はさよならの一言も受けず歩みを続けていく。アカギ……その名前だけが脳内で何度もリピートされており、コイツが一体何者なのかを考えていた。出くわしてはいけない存在ということは、それなりに危険な存在のはずだ。暴走したときのナデシコのような姿をしているのだろうか、アカギというヤツも、平気で人を殺す殺人鬼なのだろうか……


 考え込みながら歩いている俺は、いつの間にか屋上の出口に着いており、策を飛び越えて非常階段を降りていく。歩くごとに呻き声を上げるこの階段を、一歩ずつ下っていく俺が中段辺りまで来たところだった。

「……ん?」

 突如、俺の全身めがけて強い風が吹き付けてきた。短い髪が靡くなか足を止めた俺は、風が吹いてきた校舎と校舎の隙間に目がいく。幅は横に約五メートルといったそこには何もなく、ただ夏の湿った空気が流れてくるだけだった。その影響でガタガタと大きく響かせる階段からは、動きを止められた俺に、何か未来へ向かうことすらも制止させられているをさえ思えてしまい、七不思議以上の不気味さを覚えていた。




皆様こんにちは。昨日は誕生日でしたが、まさか誰からもおめでとうを言われずに過ごしてしまった田村です。誕生日プレゼントは、もちろん自分で作って自分にあげました。

今回から最終章スタートとなります。コメディー感がほとんど無くなっておりますが、皆様の心の優しさを頼りにしております。

次回もまたこの時間に投稿しますので、またよろしくお願いします。

P.S.私の作品の登場人物を描いてくれる善意溢れる方、もしもいらっしゃればどうか助けて下さい。ハードルは大分低いので、ご気軽にお伝えください。

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