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二十個目*民を煮込んで、一人も逃がさず

人殺し疑惑が生じたナデシコは、この笹浦市を彷徨き始める。麻生やなぎたちは、何としてでも彼女を止めようと決意するが、一方でフクメに元気がない。

そして、再びナデシコと遭遇するやなぎたちだが、その姿はまるで別人のように視えてしまうのだった。

 全力疾走なんて、どうしてしなきゃいけないんだ。人間の足の早さなんて高が知れており、よっぽど自転車や車で走った方が速い。それに、早まったところで一分もしくは一秒の世界だ。所詮その一瞬のために体力をけずってまで求めるなど、陸上競技選手以外考えられない。

 しかし、今は違う。

 俺、麻生(あそう)やなぎは、急げと急かすカナ、暗い表情ながらも焦りを見せて浮遊するフクメとともにある場所へと駆けている。すっかり真っ暗になったこの笹浦市は、外灯と家々の明かりのみが道を照らしており、なかなか見えづらい夜道が続いていた。この笹浦市は決してドが付くほどの田舎町ではないが、郊外で暮らす俺たちの周りは毎日闇に包まれているような暗さが拡がっている。ここら辺で明るい場所といえば、国道六号線くらいしかないもので、そこを離れれば暗黒の世界が待っており、俺たちはその空間を走っていた。

「……やっと、着いた……」

 息を荒くした俺は、とある神社の鳥居の前で立ち止まる。ここは小清水神社であり、俺の同級生、小清水千萩(こしみずせんしゅう)の家でもある。幼い頃は良くここで小清水と遊んでいたため見慣れた風景が広がるが、今はその懐かしさなど気にしている場合ではなかった。

「おーい!!小清水!!」

 俺は鳥居の前で大声を出して小清水を呼ぼうと頑張っていた。大声をあげるなんて、なんともはしたないことか。夏の高校野球の応援ですら、声を出すのを恥じていた俺は、頭が痛くなったとホラを吹いて一声も出さず観戦していた人間なのに。

「どうしたの?中に入ろうよ!あのお兄ちゃんを呼びに行こうよ!」

 すると、鳥居の前で立ち止まる俺に、フクメは心配そうな顔を見せている。しかし、俺はそんなフクメが愚かに思えた。

「だって、そんなことしたら、お前らここから出られなくなるんだろ?またぐなよ……」

 これは以前カナから聴いた話である。神社には、人間が目視できない結界のようなものが張られているらしく、もちろん俺にも視えない。そんな神社は、霊たちを成仏するための場所とも考えられているのは周知で、霊が通ることができる唯一の入り口がこの鳥居だと言っていた。だが、それはあくまで入り口であり出口ではない。霊が一度この鳥居から侵入してしまえば、もう二度と外の世界には戻ることができない。残された道は、成仏される、若しくはこの狭い社内で生活するかのどっちかだということだ。

 フクメはそれを忘れているのかとも思ったが、彼女俺に不思議な表情を浮かべて口を開く。

「私たち憑依型の霊は、人に憑いたままなら結界があるから平気だよ」

 その言葉を聞いて、俺の頭の中を困惑させていた。確か、カナとフクメは自分でも言っていたように、人に取り憑く憑依型の霊だと聞いている。また、他には自縛型の湯沢純子(ゆざわじゅんこ)、そして浮遊型のナデシコと種類がある。その中で憑依型という種に存在する彼女たちは、どうもこのまま神社に入っても、俺に取り憑いていることから平気らしい。しかし、俺は確かカナからは、入らないで下さいと言われたことがある。実際、鳥居を潜れば出られなくなるという情報を手に入れたのもカナの言葉からであり、二匹の見解がまったく矛盾しているように思った。

「ったく……誰かと思えばお前か……」

 ふと、後方から声が聞こえて振り向くと、そこには小清水が、両手に買い物袋を抱えてこちらを訝しげに見ていた。

「こんな夜に何のようだ?まったく煩い……国道を突っ走る暴走族より迷惑だぞ」

 ふてぶてしく発言する小清水には少し苛立ちを覚えたが、俺はまず先に言うことがあった。

「小清水。お前の力を貸してほしい」

「嫌だ。どうせ、新しいゲームが発売されるから、金を貸してくれってことだろ?」

「ちげぇーよ。笹浦市が危ないんだよ!」

「戦隊ごっこでもやりたいのか……はぁ、お前の廚二病は匙を投げられるほど末期のようだ……」

「だから!悪霊が彷徨いてんだよ!」

 怒りに満ちた俺の悪霊という一言で、呆れていた小清水の表情が一変する。いつもの真面目な顔をした彼は、俺と目を合わせて口を開ける。

「どういう意味だ?」

「そのままの意味だよ。お前にその悪霊を成仏()してほしいんだよ」

 どうやらまだ半信半疑の小清水は、真剣に発言している俺の顔色を伺っている。どうしてすぐに信じてくれないんだよ。お前を裏切ったことなんて、ほとんど無いだろ……最近は。

 お互い沈黙の中に置かれた俺たちだったが、鳥居の前にある道路から赤い光を放つ車が現れる。

 ピーポーピーポー……

 サイレンを鳴らして走り去った救急車を見過ごすと、小清水もそれを目で追っており、再び俺に顔を向ける。

「場所はどこだ?」

「さぁ……学校から飛び出したっきりだ」

「……まさか、あの自縛霊か?」

「いや違う。篠塚の梨農園にいたヤツなんだ。どうも俺たちの帰り道についてきたらしいんだ。お前が言っていた事故も、恐らくはソイツが関与していんたんだよ」

 汗を流し事態の状況に慌てる俺は、首を横に向けて夜の街灯で照らさせた笹浦市を眺め始める。いつもと変わらぬ夜景ではあるが、俺には嫌な予感しかしなかった。さっきの通り過ぎていった救急車だってそれを暗示しているようで、気味が悪い。

「……あのド田舎で何件も事故を引き起こしているんだ。圧倒的に人口が多いこの街なら、一体どれだけ犠牲者が出ることか……」

 俺は笹浦市を見たままそう呟いて、最後に小清水の方を向く。すると彼は、俺を見て不思議そうな顔をしており、まったく状況を把握していないように見えた。

「なんだよ?」

 話が伝わらなかったと感じた俺は、苛立ちを覚えながら発すると、小清水はそのまま口を開く。

「……いや、お前にしては随分熱いなぁと思ってな……」

 その言葉を聴いた俺は、細い目を見開いてふと我に返る。確かに、こんなことに俺のような一般ピーポーが顔を出すだけ無駄なことなど、考えればすぐにわかったはずだ。何をこんなに自棄(やけ)になっているんだ。一刻も早く城に帰って、溜まりに溜まったゲームのスタミナを消費したかったはずなのに。

 自身考察を始めた俺は、後ろにいる霊のカナとフクメに視線を送った。早く行きましょうと言わんばかりのカナ、未だに現実を受け止めきれていない様子のフクメがおり、唯一カナと目が合っていた。このように俺を急かしたのは、フクメでもない、湯沢でもない、お前だよな。だが、どうして俺は、お前のためにこんな全力疾走をしたり、大声で叫んだりと一生懸命になってるんだ。

 カナは気まずくなったのか、視線をそらして目を合わせるのを止めると、俺ももとのように小清水に顔を見せる。

「んなこと、どうでもいいだろ……」

 少し冷静に戻った俺が言うと、小清水は不審そうに顔を近づけてくるが、諦めたかのようにため息をついていた。

「そうだな……どうせお前のことだ。ろくなことを考えていないのはわかる」

 俺の何を知ってそんなことが言えるんだ。バラすぞ、お前が小学生のときにザリガニを捕まえて、鼻をハサミで挟まれて大泣きしたことをバラすぞ。

 すると小清水は、もう一度ため息を吐くと、きりっとした真面目な顔を俺に見せ始める。

「……待ってろ。すぐに準備をする」

 凛とした小清水はそう告げると、背中を見せて社内へと駆けていった。両親や祖父が悪霊によって殺されたアイツだって、事態をちゃんと認識しているはずだ。悔しいが、今回はお前の力が必要なんだ、頼むぞ。

 俺は安堵の一息を吐いて後ろを振り向くと、相変わらず二匹の霊たちは、重い空気を漂わせている。見ているこっちまで気分を害するような二匹の顔は、このときばかりは立派な悪霊をやっているようにも思えた。

「ねぇ……やなぎ……」

 微かな音を放つフクメの声は、俺を彼女の口に集中させる。

「本当に、ナデシコを強制成仏するの?」

「ちょっと、フクメさん!?」

 隣のカナは驚いたように発言すると、フクメはカナに向かって声をぶつける。

「だって、まだわからないじゃん!!ナデシコが人殺しなんて!……やっぱり……考えられないよ……」

 最後にはいつもの元気がまったく感じられないフクメに戻ってしまい、そんな彼女からは、俺は違和感しか感じられなく返す言葉が見つからなかった。コイツにとって、ナデシコは相当お気に入りなんだろう。梨農園で遭遇したときも、最初に抱きつかれたのはフクメであり、彼女がナデシコに一番近づいた何よりの証拠だ。まるで妹をあやす姉のようにも見せたその姿は、俺がフクメに会ってから一番楽しんでいるようにも見てとれた。そんな愛娘がいなくなるなんて、そりゃあショックだよな。俺だって、その気持ちはわかる。

「なぁフクメ……」

 俺は、背を向けて俯くフクメの肩に手を乗せようとする。しかし、霊である彼女の肩には乗らず、体を突き抜けてしまい、気がつけば腕が地面に真っ直ぐ下ろされていた。

「やなぎだって、そう思うでしょ?ナデシコが、そんな悪い娘じゃないって……」

 震える背中で語っていたフクメは、ふと俺の方に全身向ける。彼女の目からは今にも涙が溢れそうであり、唇を噛んで必死に堪えていた。

 俺は一つ息をついて、身長が俺よりも小さいフクメと目線を合わせるように、膝に手をついて顔を向ける。

「フクメ……確かにまだ断定できないが、ナデシコが悪いヤツだということも、残念だが言い切れない……」

 俺の言葉にフクメは言葉を返さずいじけたように下を向くが、俺は言葉を続けた。

「……仮にだ……もし、アイツが人殺しをしていたとしても、俺は別にアイツを嫌いにはならない」

「え……」

 涙目のフクメは顔を上げて、俺と目を合わせ始める。たらっと一滴落ちるのが見え、俺はその涙が地面に吸収されるのを見届けて口を開ける。

「この世にはな、こんな言葉がある……(つみ)(にく)んで、(ひと)(にく)まず……」

「……(たみ)煮込(にこ)んで、一人(ひとり)()がさず?」

 よくそんな恐ろしい間違いできるな。お前はどこの独裁国家主権者だ。ていうか、俺そんなに滑舌悪かったか?俺は革命戦士ではないぞ。キレてないっすけど……

 俺はフクメの返答に大きくため息をついてもう一度気を取り直してハキハキと話す。

「罪を憎んで、人を憎まずだ。悪いことをしたのはちゃんと反省させるが、その人自身を嫌いになるなって意味だ」

「罪を憎んで……人を憎まず……」

「言えたな。お前もさっき言ってただろ?話せばわかってもらえるって。だったら、お前の一言でナデシコを止めてやれよ……それで辞めてもらえればハッピーエンドじゃないか?」

「……うん」

 両手で浴衣の太股部分を握りしめるフクメは、下を向きながら頷いていたが、共に涙が落ちていたのがわかる。あんまりこんな言葉は言いたくないが、僅かな希望を信じてみよう。俺たちがアイツを止めるんだ。もうこれ以上、ナデシコに罪を負わせないように。

 すると、涙が止まらないフクメの右肩に、カナの左手が乗っていた。それに気づいたフクメは首を曲げて、微笑する表情のカナに涙目を見せる。

「……カナ、お姉ちゃん……」

「麻生さんの言う通りです。ナデシコさんを止めて、今度は四人で暮らしましょう」

「……ん?ちょっと待て!」

 ふと、俺の頭の中に変な予想が思い付く。

「四人って……俺たちと暮らすってことか?」

「はい。勿の論です!!」

 眩しい笑顔を見せるカナには、俺は身の毛も弥立つ寒気が襲った。

「マジかよ……湯沢のところに居てもらえればいいじゃんかよ?」

 ただでさえ、この二匹といるだけで精神疾患が起きそうだというのに、これでまた一匹増えるとなったら、もう今度は俺が霊に成りかねない。

「いいえ、四人で暮らすんです。ねぇフクメさん?」

 フクメは俯いたまま微動だにしなかったが、カナはあえて明るく振る舞っているようにも見えた。一番危険を感じていたのはカナであり、その様子は俺にも伝わっている。しかし、今は目の前のフクメが元気に前向きな姿に戻ってほしいのか、さっきとは違った優しい口調で言っていた。姉のお姉さんってとこだな。


「待たせたな」


 鳥居の入り口から男の声が聞こえ顔を向けると、そこには白の袴姿を纏った小清水がこちらに向かっており、右手に大幣(おおぬさ)、左手に茶色の数珠玉を持って歩いてくる。それは、学校の屋上で湯沢純子を強制成仏しようとしていたときとまったく同じ姿であり、ナデシコの強制成仏が現実味を帯び始めていた。

 鳥居を潜り抜け、俺の目の前で立ち止まる小清水は、怖い表情を俺に向ける。

「悪霊は人目の多い所や、明るい場所では襲わないはずだ。人気のない暗い道を優先して探すぞ」

 真剣な小清水に俺は頷くと、一呼吸置いて早速走り出す。隣に小清水、後ろには前を向くカナと下を向くフクメ。様々な想いが交差していたが、俺は無心になってただ足を動かしていた。



 俺たちは、十分もしないうちに田んぼが拡がる夜道を走っていた。辺りは外灯が無くてほぼ真っ暗であり、上空の雲ががった月のみが照らしている。田んぼの近くにはバイパス道路が高架橋として存在しており、車の走る音と夜の虫の鳴き声が包み込んでいた。

 そんな静かな田園地帯で、まず異変に築いたのは小清水だった。彼は何かを察したのか、急に止まりだし、隣の俺を急停止させる。

「なんだよ?」

「……近い……臭うんだ、悪霊の匂いが……」

 小清水は鼻を四方八方に向けていた。なるほど、こいつは悪霊の居場所が匂いでわかるのか。確か、あのとき屋上ですれ違ったときにも、臭うぞ、とか言われたな。案の定、俺の後ろには悪霊とは呼びがたいアホ霊どもがいるわけだが。とにかく、これでナデシコが見つかることを願う。まぁカナとフクメに惑わされなければいいんだがな。

 俺も自分の目を駆使して辺りを見回してみる。正直、目の前は闇の世界でありほぼ何も見えない状態だ。田んぼの水面に月の光が見えるだけだが、なんとか目を凝らして探し続ける。


「はっ!!麻生さん!!あそこですっ!!」


 カナの大きな声を聴いた俺は、彼女が指差していた方向に目を向ける。ここから約二百メートルくらいか、ぼんやりとだがその方角には、道路上二つの塊のような物が見え、一方は動いているのが確認できた。俺は早速小清水を誘ってその現場へと駆けて向かった。近づくにつれてその塊は徐々に形作っていき、どうも人のような姿にも見える。ただ違和感を感じたのは、片方の人は動いているのに対して、もう片方はびくともせず道路上に倒れていることだ。

 残り約十メートルといったところで、驚きで立ち止まる俺は、その現場が今どのような状況なのか理解できた。

  「ナデシコ……」

「どうした?やなぎ!」

 霊の視えない小清水に説明しようとも思ったが、目の前の光景は口にしたくない。俺の目の前では、ナデシコと思われる幼稚園児が、うつ伏せになっているスーツ姿の中年男性の上に乗っており、その首を両手で握っている。顔を地に着けて横を向く男性の口からは、泡と共に鮮明な赤い液体が流れており、首を垂直に曲げていおり、白目をしていた。

 現場に近づいた小清水も状況を理解したのか、俺と同じように立ち止まって倒れた男性を眺めていた。マズイと一言放ってさらに近づくと、背中から首を押さえている幼女は俺たちに目を向ける。その目は誰かに洗脳されているかのように赤く光っており、まるで目をえぐりとられたかのように真っ赤だった。

「あれ~!!人間だぁ~!!ニッヒャッヒャ~!!」

 ナデシコの不気味な笑みを見せながら発した声には俺も、カナも、そしてフクメも驚きと恐怖を隠せずに固まっていた。赤く目を光らせる彼女の口からは透明な涎が垂れており、俺たちを見ながら立ち上がる。

「だいチュき~……人を殺チュの、だいチュき~!!」

 笑い続けるナデシコはゆっくり歩きだし、徐々に俺たちの方に近づいて来る。その恐ろしい眼光に凍りつかされたような俺たちは未だに固まっており、あまりのショックに身震いすらできずにいた。


「どうした。やなぎ!!何かいるのか!?」


 俺の前方にいた小清水のおかげで、少し我に戻れた。俺は、恐怖と闘う凛とした顔の小清水を一度見て、近寄る化け物に視線を送って口を開ける。

「……いるんだ、目の前に……」

 強張る俺はこの一言を話すだけで精一杯だったが、聴いた小清水は何かを察したかのように、袴の胸元から一枚の御札を取りだし、口に加えて両手を合わせ始める。

「覚えよ……」

 小清水が呟いたその瞬間、俺たちの前で動くナデシコの全身が、一度緑色に光るのが見えた。光はすぐに消えてしまうが、違和感を感じた様子のナデシコは止まり、踵を返して小清水に顔を向ける。

「なにチたの~……もチかチて、鬼ごっこチたいの~……」

 最後にニッと笑うナデシコは、急に空へと舞い上がり、俺たちを見下すようにしていた。

「じゃあ……鬼チャんはお兄ちゃんたちね~……ナデチコは逃げるよ~」

 もはや支離滅裂の言葉を続けるナデシコは高笑いをする刹那、瞬間移動のように飛び去ってしまい、姿が見えなくなってしまった。

 待て!とも声を出せない俺はただ立ち竦み、消えたナデシコの残像が目に焼き付いていた。梨農園の神様と呼ばれていた者とは、もはや別人のように感じるナデシコ。学校から飛び去ったときはあんな様子ではなかったのに。一体、彼女に何があったというんだ。

 茫然と立っているのは勿論俺だけでなく、ナデシコを可愛がっていたフクメも、目の輝きを消して暗い夜空を見上げていた。

「……ナデ、シコ……」

 小さく呟かれたその言葉からは、フクメは絶望真っ只中であることがわかり、涙も流せず固まっている。

 俺としても、フクメに返す言葉が見つからなかったが、同じように空を見上げるカナは、冷や汗を流しながら真剣な表情をしていた。

「……間違いない。言霊を、食べている」

「えっ?」

 カナの言葉に反応した俺は咄嗟に声を出してしまう。言霊を食べるなんて始めて聴いた。言霊は人間の活力の素であることは以前に知ったが、そもそも、言霊を食べるという行為が意味不明だった。その行為を当たり前のように知っているようなカナには、不審な思いに駆られるのも無理はない。

「ど、どういう意味だよ?言霊って、集める物であって、食用として使うこともあるのかよ?」

「はい。麻生さんの言う通り、言霊は集める物であって、決して食べ物ではありません。しかし……」

 冷静に答えていたカナは顔を下げて俯き始めるが、そのまま言葉を続ける。

「しかし、とある霊が口にしたことから始まりました。言霊はこれといって味は無いのですが、人間でいうアルコールのようなものであり、霊自身を活性化させるんです……」

 嫌な予想が過る俺の頭の中だが、さっき視たナデシコの恐ろしい姿を思い描いていた。

「……じゃあ、活性化した霊は……」

 固唾を呑み込んでカナを見ると、彼女は小さく頷く。

「はい。殺戮衝動に駆られます。それも我を忘れて、言霊を集めるという目的を忘れた、ただ無慈悲な殺害行動を始めるんです……」

 やはりそうかと言いたいところだったが、正直、自分の予想が当たってしまったことに悲観した。ということは、ナデシコはまたこれからも殺戮行為をしかねないということだ。しかし、仮にそれがアルコールのような効果を持つ言霊のせいだとしたら、その酔いがいつか解けるに違いない。

「じゃあ、言霊の効力はいつまで続くんだ?永遠なことなんてないんだろ?」

「はい。確かに、言霊の力は一時的なものであって、永続的なものとは異なります。でも……」

 カナは再び言葉を止めてしまい、唇を噛んでいるのがわかった。すると、彼女は面を上げて、俺にキリッとした目を見せて話す。

「ナデシコさんは幼稚園児です。あの子を人間として考えると、あんな幼い子どもにアルコールを与えたらどうなるのかは、わかりますよね?」

「急性アルコール中毒……死ぬってことか?」

 二十歳未満には禁止されているお酒。それは勿論アルコールを含んだものであるが、どうもこいつは、幼い子どもからまだ発達しきっていない少年少女の身体では、酵素による分解がされることが難しいらしく、臓器を始め脳などに多大な悪影響を及ぼす。手足の痙攣や意識を失うこともあり、最悪の場合、死に至らすこともある。

 そんな最悪の状況を口にして驚きを隠せない俺に、カナは深々と頭を縦に振る。

「そのとおりです。しかし、問題なのはここからです。私たち霊は、勿論命など宿しておりません。既に死んでいる訳ですから、霊にとって、人間でいう死ぬ、という概念はありません。霊として存在している以上、怪我をしたりしても、勿論自然治癒能力など無いため、回復することなく一生そのままなのです。つまり、ナデシコさんは……」

 冷静沈着ながらも重々しく聴こえるカナの説明は、俺の脳みそをショートさせようとしていた。霊とは人間の身体が出た魂そのものであり、確かに命など持ちはしない。コイツらが食欲などの欲求を持たないことから、人間とは異なる歪な存在だ。きっと身体の成長や劣化も無いってことは、湯沢やフクメを見れば明らかである。だったら、ナデシコは一体どうなるというのか。まさか……

 俺の脳みそが回転し始めたころ、カナは重い口を開ける。


「……一生あのままの可能性が、充分高いです……」


 俺が目を見開くと共に、遠くの空からは一瞬稲光が放たれていた。音もなく放たれた光だったが、約十秒後にはゴロゴロと地を揺らしており、夏にしては遅すぎる天気の急変が伺われる。

 その間俺たちの会話は止まっており、目の前には真剣なままのカナ、後ろには顔を下げて目を合わせてくれないフクメが茫然と立っている。雷鳴のあとに聴こえる唯一の音は、倒れた男性を見ながらスマートホンで電話する小清水の声だけだった。彼は最後に電源を切ると、男性の傍でしゃがみこみ、目を瞑りながら両手を合掌して呪文のような言葉を口にしていた。

 すると、目を開けた小清水は立ち上がり、俺のもとに近づいて口を開ける。

「とりあえず救急車を呼んだ……しかし、恐らくは……」

 そうだよな……やっぱり、もう遺体なんだよな。

 呼吸している様子も見せないその男性は、血のついた口を明けながらうつ伏せになっているが、正直その顔を見ずに済んでホッとしていた。死体の顔を見るなんて気味が悪い。想像しただけでも吐き気が襲ってくるものであり、俺も小清水のように一度合掌して、南無阿弥陀仏と小さく呟いた。


『お兄ちゃん!!電話が来てるよ~♪誰かな誰かな~……』


 ふと、俺のスマートホンからは、幼い妹ボイスが流れて、着信音が鳴り始める。しまった……今日に限ってマナーモードにするのを忘れていた。

 小清水からは軽蔑する目を向けられている俺だが、まずはスマホの画面を点灯させる。

「……ん?水嶋(みずしま)からだ……」

 画面に現れたのは、未だに登録していない水嶋麗那(みずしまれいな)の電話番号だ。以前生徒会の手伝いをしていたときに、水嶋から無理矢理番号交換を迫られてしまい、仕方なくメモ書きしたがその用紙は現在消息不明。しかし、一度この番号を書いたことから覚えているのか、この番号は水嶋のものであると察した。

 こんな時に一体なんのようだ。こっちは忙しいのに。正直このまま電話に出ないで無視することも選択肢にあったが、場違いの着信音が俺の親指を通話ボタンに触れさせて、ピッと音が鳴り響く。

『あっ!!麻生くん!?やったぁ!!出てくれたよ~!!』

 俺が話す前から水嶋の明るい声が聴こえ、俺は通話相手に聴こえるようにため息をついた。

「……なんだよ?」

『実はね、今、隣に篠塚(しのづか)さんがいてね……いいじゃん、寂しいって言ってたでしょ……』

 合間に篠塚碧(しのづかみどり)の震える声が聴こえてくることから、どうもこの二人は今いっしょにいるのは本当のようだ。最初はただ茶化すだけのイタズラ電話番号かと思ったが、水嶋の言葉を聴くかぎり、篠塚と俺を電話越しで会話させようという狙いに違いない。そうか、篠塚を告白に誘ったのはこの女に違いない。

 勝手な予想立てている俺だが、依然としてもめている電話主の声を聴いていた。

『チャンスだよ、チャンス!!……だって、夏休み…………うっ……ううっ……』

 ん、どうした?

 後半からの水嶋の声は何だか枯れており、迫真の演技にしてはなかなかリアルなものに感じる。

『……ダメ……くる、しい…………ガチャ……』

「おい!どうした!?」

 明らかに携帯電話が落ちた音を聴いた俺は、通話口で声を荒げていた。まだ通話は繋がっているようだが、水嶋からの応答が全くない……ウソだろ……

『……ガチャガチャ……あ、もしもし!!麻生くん!?』

 数秒後、俺のスマホからは篠塚の声が聞こえており、事態に焦っている様子が伺われる。

「篠塚、どうした!?水嶋は、水嶋に何かあったのか!?」

『よくわからないけど、水嶋さん倒れちゃって……それで、首に変な跡が……手形みたいなのが、ついている……』

 まさかと思った俺は、瞬時に目の前の遺体を確認した。その首もとに目を向けると、そこには幼い子どものような手形が、赤く浮きだっているのを発見できた。

「篠塚!どこだ!?今どこにいる!?」

『水嶋さん家の近く……回りは暗くて田んぼが広がって……えっ?水嶋さん、大丈夫!?しっかりして!!』

 明らかに水嶋に対する悲鳴が聴こえてくる。間違いない、ナデシコが襲っている。

「篠塚!いいか!?首を隠すんだ!!」

『えっ?首を?』

「そうだ!服やらタオルやらで隠すんだ!できればその場から逃げろ!」

『う、うん。わかった……』

 終了ボタンを押さない俺は、ふと小清水の顔を伺う。すると怖い顔の彼は一度頷いて口を開ける。

「いくぞ……事態は一刻を争うようだ」

「お前、場所わかるのか?」

「ああ。さっき、悪霊の居場所がわかるようにした」

 小清水は右手に持った御札を見ながら言っており、それは先ほど彼が口にくわえていたものだった。

「それ、GPS的なやつなの?」

「細かいはことは気にするな、行くぞ……」

「あ、ああ!」

 先に小清水が走り出すと、俺もその後ろを着いていく。

「篠塚!聴こえるか?」

『うん。今は水嶋さん落ち着いたみたい……』

「そうか。一応俺たちもそっちに向かう。通話は切らないから、何かあったらすぐに言え!」

『は、はい!』

 俺は耳もとからスマホを離して、腕を振って駆けていていく。静かな夜の町には、俺たちの足が道路のアスファルトに着地する音が辺りを響かせていた。その音の第一責任者である小清水は、俺の前方で御札をくわえながら走っており、その御札に引っ張られるようにして道を進んでいく。進行方向はナデシコが飛び去っていった方向と一致していることから、ヤツが襲っていることが現実味を帯びていく。

 まさか、こんなことまで起こるとは……

 こればかりは仕方なく必死に走る俺は、息を荒くし、汗を流して駆けていく。一刻も早く、彼女たちを助けなければ……

 そんな焦る俺だが、ふと、浮遊しながら進む二匹の霊のうち、小さい方のフクメは俺の隣に来る。

「ねぇ、やなぎ……」

「ん?どう、した!?」

 全力疾走することで、息を荒くすると共に声も荒げる俺だが、フクメは静かに言葉を続ける。

「罪を憎んで、人を憎まず、だよね……」

「そ、そうだけど、今さら何だよ?」

 俺はふと隣のフクメの様子を視たが、彼女は何故だか、先ほどまでの暗さが消えており、顔を上げて前を向いていた。

「ごめん、復習したかったからさ……ナデシコを、止めなきゃ、だよね!」

 強気の表情で頬を緩ますフクメからは、いつもの明るさではないようにも感じるが、少しは元気になったようだ。

 俺は少しうれしくなってしまい、フクメのように口を軽く横に伸ばす。

「そうだな、止めてやろうぜ……」

 闇の世界に顔を向けて走る俺たち。雲の影響で月が消えてしまい、さらに暗さが増す夜道だが、俺たちは小清水の背中を見続けながら疾走していく。

  だがこの時、一番おしゃべりのカナが黙っていたのは、どうも違和感を覚えていた。

皆様、こんにちは。大雨といい地震といい、シゼンノ摂理に屈しそうな田村です。皆様の地域は無事でしょうか?たくさんの基金活動が行われております故、事態は相当なものであると認識しています。無事な方は何よりですが、被害に遭った方々には、心から復興の意を表します。

まあこんなこと言ってるのに、物語はたいへんシビアなものになってきました。ナデシコ、篠塚翠は無事に帰って来られるのでしょうか?

また次回もよろしくお願いします。被災された方々には、この場をお借りして、心から無事であることを御祈り申し上げます。

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