十九個目*ONE KILL
二日間にわたる梨農園の手伝いを終えた俺たちは、笹浦一高へと到着する。夏休みでもあってなかなか湯沢純子と会えていなかったため、屋上へと向かおうとするが、そこにはもう一匹の霊が出現してしまう。
どんなに短い期間だとしても、別れというのはなんだか寂しいものである。普段はあまり他者との関係を持たないように努力している俺ですらも、このときばかりは心が重い。
別れ際、ついさっきまでの出来事は全て、思い出という記憶の一部に塗り替えられ、過去という二文字で表すことのできないものになる。そして、その全てが一気に思い出されたときは、自分自身を見失いそうになるくらいの心の波が押し寄せてくる。
出会いがあれば別れもある。
皆口を揃えてその言葉を紡ぐが、正直俺は、この言葉が嫌いである。要するに、誰かいなくなれば、新しい誰かが登場するってことだろう。そんな流動的な生活は生憎求めてはいない。毎日が同じ繰り返しで、なにも変わらない。静かな平和を願う俺は、そんな日々が続いて欲しいと心から祈る。
最後の昼食を終えて時刻は昼の三時を迎えており、宿泊荷物を車へと運び終わった俺たち、麻生やなぎらは、篠塚梨農園を経営する二人の老夫婦と最後の対面をしていた。この二日間はとても短いものではあったが、色々ありすぎたせいか、内容の濃いものだったと感じている。もちろんそれは俺だけでなく、初めて収穫作業を行った小清水千萩、初めて大人数で手伝いをした水嶋麗那、初めて俺に告白をした篠塚碧たちも感じているはずで、俺たちと篠塚老夫婦の間には、お別れを残念に思うしんみりとした空気が漂っていた。
「今回はお世話になりました。皆さんのおかげで、今年も無事に出荷が出来そうですよぉ」
篠塚のお爺さんは、この八月の青空の下、輝かしい笑顔を放っていた。俺たち一人一人に向かって放たれたその言葉からは、老人特有の優しさが込められており、安らかな居心地すらも感じさせる。
すると、今回の手伝いの発案者である、担任の九条満が、一歩前に出て口を開く。
「いえいえ。お二方のお役に立つことができて、私も、そして生徒たちもうれしく思っていますよ」
こいつ、やっと元気になりやがった。今日の朝では、前夜にビールの飲み過ぎで二日酔いと自己申告していたこの担任。昼食時には回復していた様子でいたが、前日のように食べ過ぎて、また動けなくなることを予期した俺は、彼女の周りにあったオカズを手当たり次第取って食ってやった。案の定、今度は俺の腹が大きく膨れており、今こうやって立っていることが苦痛でしかたない。しかし、この二日間、一番手伝いをしていない、そして一番迷惑をかけたのはお前だと言うことを、俺は心から叫びたかった。
俺はそんな九条を冷徹に睨み付けるように見ていると、篠塚の老夫婦は、ちょっと待っててねと、言い残して家の倉庫へと向かっていく。何かを察したように孫の篠塚碧もうれしそうについていったが、少ししたあと、篠塚家の三人は、先程俺たちが包装したものであろう、梨の入った段ボールを運んでおり、お婆さんが一箱、お爺さんと篠塚は二箱ずつ持ってこちらに帰ってきた。
「誠につまらないものですが、今回収穫した梨を、お家で食べてみてください」
笑顔で皺がより際立つお爺さんがそう言うと、まずは九条から渡されていく。
「こ、こんなに頂けるなんて。くぅ~、来た甲斐があったなぁ!」
本音が出てるぞ、このオンボロ教師。
目を輝かせて梨箱を受け取った九条のあと、お爺さんたちは次々に俺たちに渡していく。お爺さんの残り一箱は小清水の手に渡り、相変わらず無愛想な彼は、ありがとうございますと、一言で終わらせていた。
また篠塚は水嶋に一箱渡しており、うちの生徒会長を大いに喜ばせていた。そして、残りの一箱は、まさかの俺に対するものだった。よりによって篠塚本人から渡されるとは。自然と顔が強張る俺の前に彼女は立ち、恥ずかしさのせいか下を向きながら梨箱を渡してくれた。
「麻生くん……今回は、色々とありがとうね……」
「お……おぅ……」
篠塚の声は小さくて震えていたが、それは決して怯えているわけではなく、少しうれしさがこもったものであることが伝わった。俺は篠塚が持つ箱を、彼女の手に触れないように工夫して受け取った。
梨の箱は無事に俺たちに渡ると、お婆さんは残り一箱を持って篠塚の前に向かう。
「はい、碧」
「えっ!?わ、私のもあるの!?」
「もちろん。勉強とかでたいへんだろうけど、また遊びにおいでねぇ」
「ふわぁ……ありがとうお婆ちゃん!!お爺ちゃん!!」
こうして梨箱を頂いた俺たち五人は、九条の車の荷台に積み、最後の別れの挨拶をして出発した。車が去っても、二人の老人たちは見えなくなるまで手を振っており、その温かさは離れていても感じてくる。車の中では、水嶋と篠塚の二人が主に話しており、家に着いたらまず何をしようか、頂いた梨をどう調理しようかと、賑やかな雰囲気が広がっている。
また、霊であるカナとフクメも無事に車に乗り込んでおり、荷台に積み重ねられた梨箱を見ながらヨダレを垂らしていた。
「はぁ~いい香りです。梨のみずみずしさがよくわかります」
「そうだねぇ~。癒される~」
それは、食欲を持たない霊すらもそそられるものらしい。鼻をヒクヒクしながら、匂いを嗅いでいる二匹を見ていると、篠塚家の梨がいかに美味しいものなのか、未だに食べていない俺にも伝わってくる。
暑すぎるとは言い難い、田舎の夏空。太陽の輝きはこの時間になっても衰えていなく、道路は僅かな蜃気楼を放っている。良い思い出をつくり、そんな道中を走っていく俺たちだったが、俺は唯一心残りがある。それは、最後の最後に、ナデシコと会うことができなかったことだ。助手席に座る俺は、窓から外の緑溢れる田んぼの風景を見ながら、夏風と共にこの地を去ることにした。
時刻は夜の六時半。夕闇のなか俺たちは、無事に笹浦一高に到着し、正門前で荷物を降ろしてるところだ。道中は帰省ラッシュのせいか、高速道路で渋滞に巻き込まれてしまい、長い帰路となっていた。初日に見られた、九条のヤンキー風ドライバーセンスも発揮されぬままだったが、正直安全運転をしてくれて助かった。最近は高速道路を始め、様々な場所で覆面パトカーが走っているため、交通時に下手な真似をされて捕まっても困る。終始苛立ちを見せて、今にもアクセルを踏んで車の間を駆け抜けようとしていた九条ではあったが、このときばかりはよく我慢してくれたと心から思えた。
日没間近、俺たちは荷物を全て降ろし終えると、車に乗り込んだ九条から声をかけられる。
「よし、お前たち。二日間お疲れさまな。まだお盆前だが、宿題はちゃんと片付けて、学校に来いよ。あと、登校日は八月の下旬だからな間違えんなよ。そんじゃ、またな」
九条はそう言うと、車の自動窓を閉めて、ウィンカーも出さないまま曲がって走り去っていった。
残された俺たちも、それぞれ荷物を背負って家に帰ろうとしていた。俺の前方には水嶋と篠塚が隣り合っており、向き合いながら話している。
「じゃあ篠塚さん。途中まで一緒に帰ろう」
「うん。よろしくね」
二人の笑顔を絶やさない会話が終わると、そのまま振り返って俺と小清水の方を見始める。
「それじゃあ、麻生くんも小清水くんもお疲れさま。また新学期に会おうね!」
「お、お疲れさま……二人も手伝ってくれてありがとう……」
疲れているはずなのに元気を見せつけるような水嶋の後、篠塚も緊張した様子で言っていたが、俺と目が合った瞬間、明らかに顔が赤くなっていたのが、この薄暗い夜でもわかる。正直、このようなシチュエーションをギャルゲーぐらいしかで経験してない俺は、とりあえず、じゃあなと、一声かけるだけだった。
二人の女子は荷物と梨箱を抱えて歩き始めると、徐々にその姿は消えていき、正門前では俺と小清水の二人が残っていた。
アスファルトに置かれた荷物を背負い始めた小清水は、一度ため息をついて俺に振り向く。
「……いっしょに帰ってやるよ」
「ツンデレのツンか?」
上から目線の小清水には、終始ムカムカする思いが押し寄せるが、不運にも、こいつとは家までの帰る道がほぼいっしょであるため、仕方なく荷物を手に掴み立ち上がった。
「麻生さん!!」
ふと、俺の後ろにいたカナが声を発し、振り返るとフクメと共に話し出す。
「せっかくだから純子ちゃんに会いたいよ~」
「はい。私も、湯沢さんにいろいろとお伝えしたいことがございますし……」
楽しそうに話すフクメ、それにカナも続いて言ったが、最後にはなぜか俯いていた。
確かに、俺たちは夏休み中は、屋上の地縛霊である湯沢純子と顔を合わせていない。七月いっぱいまでは学校であったが、それっきりで八月中はまだだ。会っていないと言っても二週間ぐらいだが、まあ仕方ない。このまま家に無理矢理帰っても騒がれてしまうだけだ。俺は、一つため息をついて小清水に口を開く。
「わりぃ、先に帰ってくれ。学校に忘れ物があるんだ……」
「まったく……だらしないやつだ。それだから恋人も友だちもできないんだよ」
冷徹な小清水を論破させようとも思いだったが、彼はすぐに梨箱を抱えて歩きだし、見向きもせず立ち去っていった。
「よし……じゃあ行くか……」
小清水が見えなくなるのを確認した俺は、荷物をもって早速正門から学校内に入っていく。夏休み中だけあって誰もいない校舎は、夏の蝉の声が響く一方で人の声などない。昇降口は閉鎖されており、その前にある噴水も止まっていることから、学校の関係者はどうも俺一人だけであることが伺われる。普段は制服でこの校舎を歩いてきた俺は、今回は私服なこともあり、あまり感じられない新鮮な心地がした。
そんな無人の世界を、俺たちは一歩一歩と歩いていき、屋上に続く外付け非常階段へと向かう。
「あの……麻生さん?」
「あん?」
後ろに憑いている二匹のうち、一匹のカナが不思議そうに話しかける。
「結局、麻生さんはこのまま水嶋さんと夫婦生活を選ぶのですか?それとも……篠塚さんと不倫ですか?」
「えぇ~!!やなぎが不倫するのって本当だったの~!?」
何も答えてないし、とんだ誤報だ。
カナの発言に、目玉を飛び出すように驚くフクメは、初めて聞いたかのように、ガタガタ震えながら隣のカナから詳しい経緯を聴いていた。カナは淡々と答えていたが、どれもこれも言葉を間違えており、完全に誤解を生ませるものであり、フクメは頭を抱えて困惑している。
「どっちとも付き合わねぇよ……」
ため息と共に放った俺は、肩を竦めながら歩いており、早く湯沢純子のもとに着きたい一心だった。いや、待てよ……恐らくコイツらは、第一声に湯沢にこのことを伝えるだろう。そうすれば、またアイツからガキ扱いされるに違いない。どうしよう……帰りたい。俺の頭の中では、湯沢が俺によく言う言葉、「子童」が何度もリピートされていた。
「そっかぁ~……まあ私は、やなぎの好きにすれば言いと思うかな」
「ええ!!フクメさんは不倫をしても許せるんですか!?」
「そういう訳じゃないけど……まあ、恋ってやつは、どれが正しいとかわからないからね……」
「コイ~!?チョれって、鯉のぼりのこと~?」
「何言ってんのカナお姉ちゃん。恋愛の方の恋だよ。もう天然なんだからさ」
「……私、何も言ってませんよ……」
「え……」
そのやり取りには、俺は反射的に振り向いてしまった。あのしゃべり方、あのかん高い声、あのサ行が言えない言葉。まさか、いるのか?
俺は挙動不審ながらも、辺りを見回していると、二匹の霊たちも異変を感じたかのように首を横に振っていた。
「こっちこっち~!!」
その声に、俺たちは同時に視線を集める。俺たちの目に映ったのは、学校の二階にある、大きなベランダの柵を綱渡りのように歩いている、幼稚園の制服を纏った幼女だった。
「ナデシコ~!?」
「わぁ~い!!フクメお姉ちゃ~ん!!」
柵からそのまま落下するナデシコは、うれしそうにフクメに抱きつこうと近づいていた。
「待ってくださいっ!!」
すると、カナは突如フクメの前に両腕を開いて立ちはだかり、二匹の再会を食い止めるように構えていた。どこの制服だかわからないスカートをフラッと靡かせ、それがもとに戻ると時が動き出す。
「あぁ~くチャいお姉ちゃんだぁ!!」
いきなり禁止用語からか。これではカナの機嫌が悪くなり、また絶望モードに突入してしまう。
「ん?」
しかし、俺の予想は外れたのか、カナは強張る表情を変えぬまま、ナデシコを睨み付けていた。
「どうして、ここにいるんですか?」
苦し紛れに放つカナの言葉は、目の前のナデシコを笑わせている。
「お姉ちゃんたちの車と追いかけっこしてたの~!!チョチたら、いつのまにか、ここまで来てたんだよ~!!チュごいでチョ~!!褒めて褒めてー!!」
見た目の如く幼い子どものようにはしゃぐナデシコであるが、カナは微動だに動かず固まっている。
「ね、ねぇ……カナお姉ちゃんどうしたの?」
カナの後ろからツンツンと背中をつつくフクメが、訳のわからぬ様子で聞いていたが、それは俺も同じであった。どうして、仲の良いこの二匹を、わざわざ引き離すような真似をするのか。これが、女特有の嫉妬というやつなのか。
様々な疑問が浮かぶ俺だったが、冷や汗を流しているカナが言葉を放つ。
「この娘は、危険です!!近づいてはいけません!!」
カナはまるで、目の前に爆発物があるかのように叫んでいた。俺もついこの間、パソコンオンラインゲームでクエストを進めていたときに、女性の妖精モンスターが現れたときにナビゲーターから同じことを言われた。油断していた俺はワンキルされてしまい、唖然としてデスクトップの前で固まっていた。あのときちゃんとガードスキルを発揮していればなぁ。だだでさえ一回だけ殺られると報酬金が三分の一減ってしまうしなぁ。それに二回目復帰のときは、せっかく備えてきたスキルや体力が通常モードになってしまい、本当に残酷なゲームなんだよなぁ。
いや、そんなことよりも、今は目の前の出来事が大切だ。どうしてカナは、目の前にいるナデシコを危険物扱いするのか、まったくわからなかった。一体この幼女が何をしたというのだろうか。
カナは依然として唇を噛み締めている。
「う~ん……チョれにチても~……」
すると、ナデシコは辺りを見回してキョロキョロと目を動かし始める。
「……前に、来たような……」
右人差し指を口元に寄せて、不思議がる幼女は宙に浮く体を動かしていた。だが、何かを見つけたように、その動きは突然停止し、満面の笑みを浮かべてある方向に視点を置く。
「思いだチたぁ!!ここはくチャりのお姉ちゃんがいるところだぁ!!」
「ふっ!!」
ナデシコが言葉を終わらせた瞬間、カナは瞬間移動の如く動きだし、背中を向けていたナデシコを、両腕を開いて取り押さえようと試みた。
「おっと!」
しかし、ナデシコにするりと交わされてしまい、勢い余って顔から校舎の壁に激突してしまう。
「ヒャッ!!」
ドカン……
衝突と同時にカナの悲鳴が聴こえ、俺も流石に見ざるを得なかった。なんというドジっぷりだろうか。未来から送り付けられる猫型ロボットにでも世話してもらった方がいいのではないか。
「もう~いきなりなに~?もチかチて、鬼ごっこ~?」
宙に浮いたままのナデシコは楽しそうに、顔を手で被うカナの背後で呟いていた。
「わかった!!ヂゃあ、お姉ちゃんが鬼ね~!!よーいチュタート!!」
すると、フクメは笑顔のまま去っていき、俺たちの向かう屋上と同じ方向を飛んでいく。
「……お、おい、カナ……」
「カナお姉ちゃん大丈夫!?」
俺は、今はナデシコのことよりも、目の前で痛そうにしているカナを優先した。同様にフクメもカナの傍に寄り添い心配していたが、顔を被った霊はそのまま口を開く。
「麻生さん……早く……」
「はぁ?」
訳のわからない言葉を発するカナだったが、次の瞬間、俺に顔を見せつける。
「早く行かないと!!湯沢さんが危険です!!」
「顔……真っ赤だぞ……」
「そんなことよりも!!早く屋上に!!」
カナの様子がいつもと違うのは、俺だけでなくフクメも感じているようだった。普段は見せない鬼の形相を示す彼女の顔からは、まるで今は非常事態の最中であるように思わせる。早く!!と言葉をぶつけられ続ける俺たちは、言われるがまま走って屋上へと向かい始めた。アスファルトの地面を走っていると、すぐに非常階段の前に着き、既に薄暗く足下が見えづらかったが、一歩一歩注意しながら上っていく。踏み出す毎に古びた錆びの音がガタガタと響くなか、息をあげて走り続ける。宙に浮くコイツらがなんと羨ましいことか。こんな全速力で駆けるのは、煩く喧しい暴走族と思われるヤツのタイヤに、黙ってコンパスの針を突き刺して逃げたとき以来だ。
灯りもないこの階段を無事に上り終えた俺たちは、屋上への入り口である柵を跨いで、なんとか目的地に到着した。
息を荒げる俺は、まず何度か肩袖で顔の汗を拭い、屋上の光景を見渡した。
「湯沢さん!!」
カナの一声と共に、俺の視界には、首を鎖で繋がれた湯沢純子が尻餅を着いており、顔をあげて驚いているのが入る。その顔の向く方角には、屋上の地面から約一メートルほどの高さで浮遊するナデシコがうれしそうに笑っていた。
恐慌するカナの指示通り、慌てて湯沢たちのもとへと駆け寄る俺は、地縛霊の傍で立ち止まる。
そこでカナはすぐに腰を抜かしたように座り込む湯沢に近づき、隣でその両肩を包むように抑えた。
「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……ワシは何もされておらん……」
困惑の表情を続けるカナに、湯沢は目の前のナデシコを見たまま驚愕した様子で言っていた。
「ふわぁ!!くチャりのお姉ちゃんだぁ!!おひチャチぶり~!!」
なんともうれしそうに笑顔を見せるナデシコであったが、その表情はカナと湯沢の様子を見れば相反するものであった。二匹は変わらず恐怖の対象のような幼女を睨み付けており、動かず固まっている。どうも、ナデシコは湯沢とは初対面ではなさそうだ。しかし、なぜ二匹は再会を望んでいない様子なのか。ただただ可愛らしい五歳児ではないか。その可愛らしさは、ロリコンでない俺でも薄々感じているのに。そんな彼女の前で身震いを見せる二匹だが、俺にはその理由がわからず仕舞いだった。恐らく、俺の隣で、どうしてと呟いているフクメだってそうだろう。
「ねぇねぇ!!くチャりのお姉ちゃん!!」
すると、ナデシコは驚愕し続ける湯沢に言うと、足をアスファルトに着けて笑顔を近づける。
「ワタチねぇ、今お爺ちゃんやお婆ちゃんのためにがんばってるんだよ~!!」
ナデシコは、現在自身の行いを伝えていた。梨農家の老夫婦の名前まではわからなくとも、自分がどのように関わりを持っているのか、どんどん口を動かして話し込む。
「ナデチコのおかげで、ナチちゃんたちがぐんぐんチェいちょうチてるって、お爺ちゃん言ってくれてるんだよ!!これも、くチャりのお姉ちゃんがおチえてくれたおかげだよ~!!」
「……と言うことは、お主は未だに続けておるのか……」
やっと湯沢の重い口が開くと、聴いたナデシコは首を傾げてなんのことだかわからぬ様子で夜空を見上げていた。
「なんのこと~……ワタチが続けてること……ん~……なヂョなヂョ~……」
ナデシコは腕組みをして、目を閉じて考え込むのが見られる。その刹那、
「はっ!!」
視線をそらしていたナデシコを、カナは先程と同じように飛び付いて捕まえようした。
「ほい~……」
「えっ……あぁ!!」
ガシャッ……
しかし、またしても避けられてしまい、カナは顔面から、今度は屋上に張られた金網のフェンスへと激突してしまう。あいつ、生きていたら顔面崩壊どころじゃなかったな。俺は何度も顔をぶつけるカナを見て、彼女が霊であることを幸いだったと感じていた。
「か、カナ嬢!!」
座り込んでいた湯沢は慌てて立ち上がり、今度は逆にカナの肩に手を置いていた。大丈夫かと心配しながら声をかけていたが、マイクの先のような痕がついた顔のカナは、なんとかと、苦し紛れに言いながら涙目になっている。
「そ、それよりも……あの娘は?」
カナの一言で湯沢は辺りを見回し始める。
「あそこじゃ!!」
すると、湯沢はすっかり夜になった空を見上げて指を指していた。
鼻を撫でるカナも、つられて俺とフクメもその方角を見ると、少し雲がかった満月を背景に、宙に浮くナデシコがシルエットのようになっているのが見られた。その姿は、俺が昨夜にカナと共に見たシルエットと一致しており、やはり昨日見かけたのはナデシコだったのだと確信できた。
屋上では相変わらず重苦しい雰囲気が漂うなか、ナデシコはその空気すらも吹き飛ばすかのようにバカ笑いをしている。
「チョんなんヂゃ、ワタチを捕まえられないよ~!!ワタチ、鬼ごっこ得意だから~!!」
恐怖するカナと湯沢、何事かまだ理解に苦しむ俺とフクメ、そんな一人と三匹が空を舞う幼女をじっと見つめている。
すると、ナデシコは思い出しかのように口を開く。
「鬼ごっこ続きやろう~!!お姉ちゃんたちが鬼ね~!!バイバ~イ!!」
手を振って背中を向けたナデシコは、楽しそうに舞いながら飛び去っていく。待てと大きく叫ぶカナと湯沢だったが、無情にも彼女には届いておらず、この笹浦市の夜街へと消えていった。
一体どういうことなのか。疑問ばかりが俺の頭を横切っており、自然と口を開くことができた。
「カナ、湯沢……どうしてナデシコをそんなに恐れるんだよ?」
「そうだよそうだよ。ナデシコは良い娘なやつだよ!」
俺に続いてフクメも眉をハの字にして問いかけると、カナと湯沢らは、共に首を横に振っていた。
「ナデシコさんは、良い娘などでは断じてありません……」
カナの重くのしかかるような言葉には、俺とフクメを自然と口を開かせる。
「どうして……」
「なんでよ?ただ楽しそうにしてるだけじゃん!」
泣き出しそうな表情を浮かべるフクメが言い終わると、カナと湯沢は立ち上がり、俯きながら口を開ける。
「実は、彼女は……」
「待て、ワシが代わりに話そう。お主には荷が重い話じゃからな……」
湯沢は背中から語りかけるように、後ろにいるカナに言い頷かせ、一度大きく息を吐いて目を閉じる。
「単刀直入に言おう……あの娘はな……」
俺とフクメに固唾を呑ませた湯沢は、次の瞬間ゆっくりと目を開けて、その危機を暗示させる瞳を俺たちに向け始める。
「……殺人鬼じゃ……」
突如、俺たちのもとに冷たい夜風が吹き付ける。最初は聞き間違いかと思った。しかし、隣のフクメは殺人鬼と口を動かしていることから、どうも間違いでさないようだ。
「だって、鬼は私たちじゃないの?」
鬼ごっこの件はとりあえず置いておこうか、フクメちゃん。よくもこんなところでボケていられるな。正直、その強心臓が羨ましいくらいだ。
しかし、そんなフクメも束の間、カナの助言から、湯沢の放った言葉の意味を理解して下を向いていた。
「どうしてよ……」
フクメは声を震わせて小さく呟いており、次の瞬間、面を上げる。
「どうしてそんなこと言うの!?」
怒涛の叫びのなかに、少しばかりの涙が流れていた。フクメにとっては無理もないだろう。あれほどなついていた、妹のようなナデシコが、まさか殺人鬼呼ばわりされては怒りたくもなる。
感情的になるフクメは拳を作って、俺の前に立って湯沢に言葉をぶつける。
「ナデシコが、人殺しってこと!?」
「フクメさん、落ち着いてください!!」
カナはフクメの背後に回り込み、両腕を押さえ始めるが、依然としてバタツキを見せながら言葉を続ける。
「どうしてよ!?どうしてそんなことが言えるのよ!?」
「フクメさん!!お願いします!!」
仲間割れのようなこの展開。俺は茫然と立ったままであり、三匹のやり取りには加入しなかったが、その熱は少なからず伝わってくる。
「理由は!!理由は何よ!?」
徐々に言葉を荒くしていくフクメが問い詰めると、湯沢は目を閉じて口を動かす。
「以前、ワシが話したことを覚えておるか?ワシに大量の言霊を見せに来た、幼い霊の話じゃ……」
落ち着きを見せる湯沢は、涙を浮かべながら恐ろしい目付きを見せるフクメにそう言うと、俺にも過去を振り返させていた。
『結界が張られる前、様々な霊たちがワシのもとに来てな……悩みを始め多くの話し相手になっておったんじゃ……しかしある日、ワシのもとに一匹の幼い霊が来てな……その子は突然大量の言霊を見せて、とてもうれしいそうに言ったんじゃ……』
『人を殺したら、こんなにゲットできたよ……とな』
あれは確か、湯沢が小清水に苦しめられていたときだ。言霊を必要とする霊が、どうして世間からは悪霊と呼ばれるのかを説明されたときだ。その話からは、普通の霊と悪霊との違いを学ぶことができたが、まさか……
「そうじゃよ……麻生やなぎ……」
目を開いていた湯沢は、威厳ある目付きで俺と目を合わせている。少し冷たい風が強くなるなか、鎖に繋がれた彼女は重い口をゆっくりと開ける。
「あの幼い霊は、ナデシコじゃよ……」
その言葉には俺、そしてフクメも目を見開いてしまい、動かず固まってしまった。だから、湯沢はナデシコと認識があったのか。ナデシコだって、以前この場所に来たことがあると言っていた。まさか、あの幼女が人殺しなんて。
「で、でも、今は辞めたんじゃないか?ほ、ほら、人殺しなら、近くにいた俺だって狙われてもおかしくないわけだし……実際遭遇して、何もされなかったしよ……」
想像が理解に追いつかない俺だが、前方でフクメを取り押さえているカナは再び首を横に振り、俯きながら口を開ける。
「いえ……ナデシコさんは、間違いなく人殺しを続けています……」
「どうしてだよ!?そんな証拠あるのかよ!?」
真っ向に否定された俺は、カナに荒々しい口調で言うと、カナは長い髪を揺らし、振り返って俺に苦い顔を向ける。
「麻生さん……昨夜、空飛ぶナデシコさんを見ましたよね?」
「あ、あぁ……」
誘導尋問のようにされる俺だが、カナの話はどんどん進んでいく。
「そのとき、光の粒のようなものが蒔かれているのを、見ませんでしたか?」
「み、見たが……」
俺は冷や汗が流れるとともに唾を呑み込むと、カナは一拍おいて声を鳴らす。
「あれは、言霊なんです……間違いありません」
再び俺は驚愕してしまった。はぁ?としか声を出すことができず、頭のなかをかき乱されている気分だ。
「その証拠だってあります……それは……」
意識が飛んでしまったのではないかと思わせるフクメを抱きながら、カナは最後に言葉を放つ。
「……梨農園に落ちていた、言霊です……あれは、ナデシコさんが蒔いていた言霊だったんですよ」
目の前の出来事が一瞬停まりかけたように感じた俺は、やっと理解することができた。
梨農園の神様。それは、活力の源である言霊を空からたくさん蒔いており、篠塚家の梨の成長を促していた。それは夜中に行われるのが基本であるらしく、だからこそあの時間に目撃することが俺も、そして篠塚のお爺さんもできた。しかし、問題はその言霊の入手方法である。小清水が確かこう言っていた。
『最近、この辺で妙な事故がいくつか起きていてな……』
その事故は全て証拠がないという点で一致しており、小清水は霊が犯した事件だと考えていた。どうやらそれは小清水の正解のようだ。あれは事故ではなく事件だ。もちろんその犯人は、ナデシコ、篠塚翠だったんだ。彼女はそこで人間を驚かしたり殺めたりすることで言霊を入手し、それを梨農園に蒔いていた。これが、梨農園の神様の真実である。要するに、梨農園の神様の正体は、人殺しの邪神だったんだ。
衝撃の事実を悟ってしまった俺と、絶望に追いやられたフクメが固まるなか、カナだけ動き始め、ナデシコが飛んでいった方角を見ていた。
「捕まえなくては……この街に危害が加わる前に……」
普段似つかわないカナの真剣な表情は、俺の口を動かし始める。
「まずは小清水に聞いてみる……このままだと、強制成仏をした方が賢明だ」
「ちょ……ちょっと待ってよ!!」
意識が飛んでしまっていた様子のフクメは息を吹き返し、俺と向き合って話しかける。
「まだ、わからないじゃん!!きっと、私たちが何とか言えば、辞めてくれるかもしれないよ!!」
困惑するなか、僅かな希望を抱くフクメには、俺は頭が上がらなかった。確かにフクメの言う通り、願わくは強制成仏無しで済まし、もう一度篠塚梨農園に帰ってもらうことだ。
「わかってる……でも、まずは保健が必要だ……小清水もいっしょに連れて探すぞ……俺、痛いの嫌だし……」
俺の言葉にフクメは、渋々頷くのを確認し、カナと目を合わせる。
「行かねぇって言ったら、騒ぐんだろ?……」
「はいっ」
「気をつけるんじゃぞ。相手は平気で人を殺せるヤツじゃ。危険だと感じたら、カナ嬢と共に逃げるんじゃ……」
湯沢の言葉に同意し、俺たちは屋上の非常階段へと駆けていく。何かその場のノリでこんな風に焦る俺は正直気が乗らないていたが、カナの指示通り走り、勢いよく階段を降りて正門へと向かっていった。
そんななか、笹浦市の夜街には一匹の霊が迷いこんでいた。
「ふわぁ!!明かりがたくチャ~ん!!」
「おいっ!!待て!!」
「ん~?」
街中を飛び回る一匹の幼稚園児は、病人が着る病衣を纏った女性霊に話しかけられていた。
「お前……どこのどいつだ?」
「ふわぁ!!片目が真っ赤っか~!!おもチろ~い!!くチャいお姉ちゃんかと思ったけど、服も違うから別の人だね~!!」
「くチャい?……ん?お前、言霊を持ってるのか?」
「あっこれ?チョうだよ~!!ワタチが集めたんだよ~!!」
ナデシコは腰に着けていた巾着を広げ、中身にぎっしり詰まった言霊を見せてはしゃぐ。
「ほう……こんな数を一人で……面白い」
「ん?」
不適に笑う赤目の女性は、口をニッと開いて話す。
「なぁ小娘……」
「ワタチはナデチコ!」
「おうナデチコよ」
「だ~か~ら~、ナデチコ!!」
怒られて訳がわからず狼狽える女性は、一度考えてもう一度名前を発音する。
「……ナデ……シコ?」
「そう!!」
エッヘンと言わんばかりの態度をとるナデシコに、女性は気を取り戻して頬を緩ましていた。
「よし。じゃあナデシコ……その言霊、食べてみろ……美味しいぞ~」
「え~!!チョうなの~?チらなかった~!!お手てを合わチェて、いただきま~チュ!!」
ナデシコは巾着から一つ言霊を取りだし、すぐに口の中に放りこむ。
「本当に美味チい!!おい……チい……あれ……」
徐々に気が遠くなるナデシコは、首を倒して目の輝きを失い始めた。それを見て不気味に笑う女性は、ナデシコの耳元に口を近づける。
「お前は人殺しが、だ~い好きだ。人殺しがだ~い好きだ……」
何度も同じ言葉を口ずさむと、次第にナデシコの口を動かしていた。
「だ~いチュき……人殺チ……だ~いチュき……だいチュき!!」
刹那、ナデシコは両目の色を真っ赤に光らせて、素早く飛びさってしまう。
「ヒャッハッハァ!!だ~いチュき!!人殺チだ~いチュき~!!」
豹変したナデシコは、そのまま宙を舞いながら、人ごみを探して去ってしまう。
一方で、制服の女性はその場にポトンと置かれた巾着を拾っており、言霊の数を数えて病衣の胸元にしまう。
「これで三十個……さて、愉快な夜にしてくれよ……ナデチコちゃん……」
彼女のおぞましい笑い方は、徐々に雲が月を覆うのを促しているようだった。
皆様こんにちは。個人的に安保法案は反対の田村です。だって、よくわからないじゃん。もっと説明してほしい。
さて、政治のことになると口が止まらなくなるので話を切り替えます。今回もありがとうございました。一体ナデシコはどうなってしまったのか。そして彼女は最終的にどうなるのか。そんな幼稚園児のナデシコちゃんをよろしく見守ってあげてください。
もうそろそろこの章は終わります。また次回もよろしくお願いします。




