十七個目*離婚調停についてなんですが
篠塚のお爺さんと共に話す俺、麻生やなぎは、ナデシコの命名理由を知ることとなる。しかし、夜はそれだけで終わらず、ナデシコ、篠塚碧、そしてカナまでもが俺を襲う。
月光の浴びる外というのは、なんだか別の世界に来たような錯覚を覚えてしまう。静かな夜なのに明るく照らしている月は、それはそれは神秘的なものであり、自然と心が落ち着く。日中のウザい太陽とはまた別の輝きを秘めていることから、俺は何だか優しく包み込まれているようにさえ感じてしまう。例えるなら、太陽は強くたくましく威厳のある労働基準法で、月は優しく美しく麗しい生活保護法のような存在であろう。つまり、太陽と月は対の関係となっており、太陽嫌いの俺にとっては、月がたいへん好ましく思うのだ。
そんな自然界の趣を味わいながら、俺、麻生やなぎは、月が優しく照らす、梨農園の入り口へと向かっていた。とても静かなこの夜中は、日中の蝉と代わって鈴虫が鳴いており、安らぎに満ちた世界となっている。そして土を踏みながら足音を立てる俺は、この自然の世界とセッションを奏でながら、一人の老人が立つ入り口に着いた。
「何かあったんすか?」
俺の一声は老夫を振り向かせることができ、そこにいた篠塚碧の祖父と目が合った。日中の収穫作業では俺といっしょに行った彼は、最初は誰だと思わせるような表情をしていたが、顔を見た途端、すぐに俺であると認識して微笑みを見せる。
「やぁ……別に何もないよぉ」
老人特有のイントネーションの効いた言葉を放ち、俺に笑顔を見せていた。
しかし時刻は既に夜の九時を回っており、何もないのにこんな時間に外にいるのはおかしい。仮に日課だとしてもその内容が気になる。俺は再び質問を続けていた。
「いつもこうして、外に出るんすか?」
「いつもではないねぇ……今日みたいに、月が輝いているときだけだよぉ」
篠塚の祖父は夜空を見上げ、俺たちを照らす白い月
に目を当て始める。俺もつられて見上げるが、やはり美しいものである。しかし、それ以上に気になったのは、どうしてお爺さんがわざわざ農園の入り口のところまで来て、一人で月光を浴びているのかだ。正直、家の前でも見られるため、ここにいる理由の検討がつかなかった。
「ここまで来なくてもいいんじゃないんすか?縁側からでもよく見えますよ」
「フフフ……それもそうだね……でも、僕はただ月を見に来ただけじゃないんだよぉ」
俺は再び篠塚のお爺さんと目が合う。その目からはうれしさがひしひしと伝わってくるのが感じたが、どこか寂しげな表情にも見えた。
「……長話に付き合ってくれるかい?」
「別に……構わないっすけど……」
老人が一拍置いて言うと、俺も聞きたいことがあったため、彼の言う長話とやらに付き合うことにした。屋上の地縛霊である湯沢純子以来の長話で、正直こういうのはあまり気が乗らずにいるが、黙ってお爺さんの言葉を待っていた。すると、篠塚のお爺さんは俺から視線をそらし、前方に広がる梨農園に目を向ける。
「ここ数年で、うちの梨の生産量が格段に増えたんだよぉ……僕らは何もしていないのにねぇ……」
「碧さんから聞きましたよ……何か心当りとかは無いんすか?」
「う~ん……あるにはあるけど……信じてくれるかな?」
早く話せよ。俺は勿体ぶる老人に対してそう思っていた。他人の長話に付き合うほど、俺は人間できていない。しかし彼は一度黙りこんでいたが、再び口を開く。
「梨の神様が、舞い降りたような気がきてね……」
「ナデシコ?」
「おや?なぜ知っているのかい?碧にも教えたことがないのに……」
俺はついつい先走って言ってしまうと、篠塚のお爺さんはビックリしたように俺を見つめる。あぁ、やりにくい。これだから人間との対話は嫌いなんだ。話すなら話すで一方的に情報を伝えればよいのに、突然質問なんてしやがって。俺は何とかなる言い訳を探していたが、結局、「勘です」と、答えることしかできなかった。
「フフフ……そうかいそうかい。君はうちの碧みたいだねぇ」
「え?なんで?」
「うちの碧は、昔から予想を当てるのが上手くてねぇ。僕も驚くくらい、天候とか収穫量とか、なんでも勘で当てちゃうんだよ」
あの水嶋麗那も言っていた。篠塚碧は、学校でも予想を当てることが得意で、周囲の人間から尊敬されているようだった。実際に俺も、彼女の勘の鋭さは認識している。この地に妹、篠塚翠がいることを感じているらしく、それは正しく正解である。そんな篠塚碧の勘の凄さは、どうもこの祖父も認めているようだ。
「さて、脱線してしまったから、話を戻すね……」
お爺さんはそう言い、再び農園に視線を送りながら話を始める。
「僕は勘ではなく、実際に目にしたから、神様がいると思ったんだよ」
「えっ!?」
俺は老人の一声に早速驚いてしまった。神様と言うだけでそれは霊的な存在であるため、俺と同じように視えるのかと思っていた。しかし、老人は再び言葉を放つ。
「まぁ視たといっても、一度きりだけどね……しかもハッキリとは見えなかったよ……視えたのは、今日みたいな月によってできた、幼い子供の人影だけだったねぇ」
やはりそうだったのか。作業の時、老人にはナデシコが抱きついていたのに無反応であったことから、彼は霊を視えるわけではないと予想していた。それに、今だって俺の後ろには霊のカナとフクメがいる。コイツらに気づいていない時点でも判断でき、俺は確信していた。しかし、気になったのは、彼が人影を視たということだ。
「どんな風に視えたんすか?」
「う~ん……詳しくは説明できないけど、地面にその子の影があってねぇ。空を飛んでいるように、あっちこっちと動いていたねぇ……それからというもの、うちの梨たちはみるみる成長していったんだよぉ。何か魔法をかけてくれたんじゃないかなと思ってねぇ」
「成長……ですか……」
「うん。だから、僕はこの子を神様だと思っているんだよぉ。名前はナデシコ。梨の子という意味を込めて名付けたんだよぉ」
梨の子であるナデシコか。そんな意味合いがあったのか。これで一つ謎が解けた。ナデシコがお爺さんに名付けられたのは、彼女を神様だと崇めているためであった。だが、それと共にもう一つ気になることがあった。
「……そのナデシコ……翠さんだとは思わなかったんですか?」
「え~っ!?」
俺の質問は隣の老人をつい驚かせてしまったようだ。確かに、俺が篠塚翠のことを知っているのもおかしいと思われて仕方ない。また変なことを言ってしまった気がする。口は災いの元とは確かに存在するのだな。ああ、ショック死とかしなくて本当に良かった。俺はお爺さんの反応に困惑したが、気を取り直したように笑顔で笑い出す。
「ハハハ~。君は不思議な子だねぇ。碧からでも聞いたんだろぉ?」
「ええ……まぁ……」
俺は、これ以上口を滑らせまいと思い、とりあえず相づちを打つ。
「……実は、そのこと、僕も碧に言われたんだよぉ……翠なんじゃないかってねぇ……」
すると、老人から笑顔は消えており、下を向いて悲しそうな表情を見せていた。死人を思い出す辛さは俺にも何となくわかる。思い出してももう二度と会うことができぬ存在だ。記憶のなかだけに生き留まられるのは、正直辛いものだ。
「碧に言われると、本当にそうなのかもしれない……でも、僕は、翠ではないと言いたいんだ……」
老人は再び微笑みを取り戻して口を動かしていた。
「どうして……ですか?」
「翠には、天国でゆっくりと過ごしてほしいからなんだよぉ。きっとこの世界では良い思い出などないだろう……あの娘は、天国で幸せになってもらいたい……」
哀愁漂う老人の発言ではあったが、どこか温かみを帯びていた。かわいい孫には、きっと会いたいに違いない。それなのに、彼女の幸せを願うとは。これが孫を想う祖父心というものなのか。俺は普段味わえない心の温かさを実感していた。何かを言おうとも思ったが、ここは俺の言葉を投じる場面ではない。俺はただ黙って、隣のお爺さんの傍に寄り添っていた。
「……何だか暗い話になってしまったねぇ……そろそろ帰ろうか……」
「そうっすね……もう遅いですから……」
静かな夜長、俺たちは梨農園に背中を預けてゆっくりと家路をたどった。
時刻は深夜の零時。家の中は真っ暗となり、屋根の下にいる者は皆布団の中に入っている。俺たちは荷物を置いた寝室で寝ることにし、男女間に襖を境界にして部屋を分けていた。俺は小清水千萩と相部屋となっているが、小清水はもう既に睡眠に入っていた。コイツにとって今日の作業は、ほぼ一人でやっていたようなものだから、肉体的に疲れていたんだろう。まあ一方の俺も疲れているには疲れてる。だからこそ、この涼しく、夜の虫の音が響くなか、早く眠りたかったのだが、
「ガァ~……ガァ~……」
と、隣の女子部屋からの、九条満のものと思われるイビキが煩くて眠れるものではなかった。俺がこの家に帰ったあと、九条はずっとビールを飲んでいたらしく、最終的には泥酔してしまい、水嶋と篠塚が運んで部屋に連れていった。幸い嘔吐することはなかったが、このアホ担任には、自分がどれだけ他人に迷惑をかけているのかを身をもって知ってほしいと思う。
「あぁ、うるせぇな……」
俺はイライラが有頂天に達してしまい、起き上がって立ち上がる。
「麻生さん、眠れないのですか?」
傍で正座していたカナは不思議そうな顔で俺を見ていた。一方フクメは、カナとは対照的に寝転んでおり、時々寝言も言っていた。
「アハハ……やめろよ、やなぎ……どこ触ってんだよ~……この変質者……」
口元にガムテープでも張ったら窒息するかな。俺はそう考えたが、死人である以上、コイツを窒息死に至らせることができず、冗談混じりだが大きくため息をついた。
「カナ……外に行こうと思うんだが、フクメのこと頼めるか?」
「はい。私がおんぶすれば、麻生さんからの結界に当たらずに済みますので、お任せください」
俺は、静かな夜のはずなのに、この煩すぎる空間が嫌になって、とりあえず夜風にでも当たろうと思った。カナは言ったとおり、フクメを背負っており、共に廊下へと出て行く。射し込む月明かりのお陰で、電気を点けずに廊下を歩くことができ、すぐに玄関から靴を持って、居間の縁側に出ていった。篠塚の老夫婦は、また別の部屋で寝ているらしく、居間は無人の空間となっており、縁側の窓が大きく開かれている。ここられんは空き巣など無いと言って、夜中も開けているらしく、平和ボケとはこういうものかと少し感じながら、靴を履いて縁側の外に出た。
「ふぅ……やっぱ涼しいなぁ……」
「はい。麻生さんの家とはまた別の涼しさですね」
未だ白く輝く月の下、俺たちは優しく吹き付ける夜風に当たっている。程よい湿り気を持ったその風はとても心地よく、俺の城を包むクーラーからの風とはまた別格だった。自然というものも悪くない。この俺ですらそう思わせていた。何度か背伸びをしてリラックスをしていたが、隣にいたカナが重々しく口を開く。
「麻生さん……お尋ねしてもよろしいですか?」
「ん?」
またどうでも良い質問が飛び出してくるに違いない、と思いながら返事をしたが、どこかいつもと違う様子でいた。
「ナデシコさんのことなんですけど……どう思います?」
「どう……って言われてもなぁ……」
『5W1H』において、一番面倒なのは『How』と感じる俺は、カナからの質問になかなか口を動かせなかった。ナデシコに関しては、今日遭遇したばかりで、これといって情報も持ち合わせていなかったため、俺はとりあえず声を発する。
「まぁ……どうでもいいんじゃないか。篠塚たちだって、悪いようには思ってねぇみたいだし……お前らと何ら変わりねぇだろ。放っておいて大丈夫だろ……」
「そうですか……」
カナは相変わらず、見慣れない暗い表情を見せていた。何かを隠すようなその顔からは、俺も自然と気になったが、カナの口が開くのを待つ。
「強制成仏をするかしないかになったら、麻生さんでしたらどうしたいですか?」
「それは小清水次第だ。別にアイツがどんな判断をしたところで、俺は止めようとも思わん……」
「そうですか……最後にもう一つだけお聞きしてもよろしいですか?」
「……なんだよ?」
カナの重いトーンは変わらず質問は続き、最後に俺に聞くが、
「私って、やっぱり臭いんでしょうか!?」
と、今までとはうって代わり、今にも泣き出しそうな顔で言っていた。コイツ、結構引きずるタイプなんだな。ナデシコに言われたことが、こんなにもダメージになっているとは。
「俺はぜんぜん匂わないから、気にするな……」
「ほ、ホントですか!?」
カナは、まるで夢が叶った人間のように輝かしい目をしていた。こんな単純な性格だと、ストレスとかも溜まらないのだろう。まったく、世の中はバカが制するもんだ。そう考えながら、俺はもう口を動かすのを止めていた。これ以上隣のポルターガウストが煩くなっては困る。何度も聞き返してくるカナを、俺は全力で口を閉ざしていた。
「麻生……くん?」
すると、俺たちの後ろから一人の女子の声がした。振り替えると、そこには寝間着姿の篠塚碧が、居間の中、立ってこちらを見ていた。
篠塚に気づいたカナは、慌てはじめ、俺の半径五メートル付近にあった壁に隠れるようにしていた。別に篠塚は霊が視えるやつではないのだから、隠れる意味はないだろと思ったが、俺はため息をついて動かずにいた。
一方、篠塚は俺を見ながら何やら緊張した面立ちでいた。どうせ俺のこと嫌いなんだろと思っていたが、
「眠れないの?」
と、声を震わせて俺に質問を投げ掛けた。このまま黙っていようとも思ったが、俺は仕方なく返答することにした。
「まあな……お前もか?」
「う、うん……ちょっと騒がしくて……」
十中八九は九条のせいに違いない。鈴虫やコオロギに負けるような静かな声で話す俺たちたが、すると、篠塚は再び口を開く。
「麻生くんの隣に、行ってもいい……かな?」
「……好きにしろ……夜風は気持ちいいぞ……」
言いづらそうにする篠塚に、俺はそう言い残して背中を向ける。夜になってから、篠塚が俺に近づくなんて、どういう風の吹き回しだろうか。花火のときといい、今といい、訳のわからんやつだ。そう思っていると、篠塚はいつの間にか俺のすぐ隣にいた。
「う~ん……やっぱり涼しい。ここの風は気持ちいい……」
「篠塚でも、快適に思うんだな」
「うん。私は、ここの孫と言っても、年に何度かしか来てないからね……来る度にこうやってリラックスしてるよ」
「そうか……」
篠塚とあまり話したことがない俺は何を話したら良いかわからず、花火のときのように黙りこんでしまった。すると、気を遣ったのか、篠塚は口を動かす。
「水嶋さんはグッスリ眠っちゃった。結構疲れてたみたい」
「そうか……アイツは人のためなら何でもするやつだからな……お人好しもいいとこだ……」
今回の農園の手伝いを考案したのも水嶋麗那であり、その後先考えない献身的な彼女に、俺は終始呆れていた。一銭にもならないボランティアに参加するなんてどうかしてる。それでも、他者の笑顔のために頑張る水嶋は、俺には到底理解などできなかった。
「あの、麻生くんさ……」
「あん?」
俺は見向きもせずに返答したが、篠塚の次の言葉に反応してしまう。
「麻生くんと水嶋さんって、本当に付き合ってないの?」
「はぁ!?」
俺はついつい声を荒げてしまった。なんだ、その風評被害は。いかにも周囲の人間は付き合ってると言っているようなその言い方は。これだから集団生活は嫌いなんだ。ありもしない事実を鵜呑みしているなんていい迷惑だ。嘘っぱちの記事を書かれる芸能人の気持ちがよくわかる。俺は篠塚の顔を見たまま固まっていた。
「ほら、最近は二人ともいっしょだったでしょ?だから、付き合ってるのかなっと思って……」
予想と真実をごちゃ混ぜにするな。俺は断じて付き合ってもいないし、水嶋のことが好きなわけもない。そのことを伝えると、
「そ、そうなんだ……ふぅ……」
と、篠塚はひと安心した様子で息を吐いていた。何に対して安心したのかはわからないが、次の瞬間、篠塚は体ごと俺に向けて、言葉を放つ。
「あの……実は私……」
篠塚は顔を真っ赤にしながら一度下を向くが、気を取り直したように再び上げて、俺と目を合わせる。
あれ?こういう展開、なんか嫌な予感がする。
「私、麻生くんのこと……好きなんです!」
「……へ?」
今は八月。こんな暑苦しい季節のなか、突如俺に春が舞い降りてしまった。誠心誠意伝えた様子の篠塚と、あまりの衝撃で驚く俺は、両者時が止められたかのように固まっていた。
「な……なんで……」
俺は何とか口を動かすが、依然として驚愕していた。
「前から思ってたの……麻生くんの、寡黙で、皆の意見を全て認める懐の深さ……そういうのが、素敵だなと思って……」
篠塚は下を見ながら恥ずかしそうに話していた。
俺が寡黙なのは確かだ。しかし、何も反対意見をださないからと言って、相手を認めている訳ではない。むしろいつも、心では愚痴ばかり言ってるのに。
俺は篠塚がとんだ勘違いをしていると感じ、勘の鋭い彼女は、恋愛に関しては、花火大会とかの出店にあるくじ引きの一等ぐらい当たらないものだと知ってしまった。
「それに、今日だって、私に花火の火を着けてくれたの……スゴくうれしかった。ありがとう……」
確かにやったが、あれは仕方なくだな。別にお前に好意を寄せていた訳ではない。俺は全ての心情を言葉にしたかったが、全く口が動かず、得意の心の叫び止まりだった。
一方で、フクメを背負って隠れているカナは、口を手で覆い震えている。
「あ……麻生さんが……二股……ふ、不倫です……もう、離婚になってしまうのでしょうか……」
結婚してる体かよ!!
思いっきり叫んでやろうと思ったが、篠塚の口はさらに開く。
「付き合ってください……とは言えない。私のような凡人は、麻生くんには似合わないからさ……ただ、この想いを伝えたかったの……どうか、尊敬する麻生くんの心に、留めてもらえればうれしいです」
篠塚は下をむいたままだったが、声の質から少し微笑んでいるのがわかった。
それに対して俺は何も反応できず、ただ驚く顔を見せたままだった。いまだに現実だと思えない。この俺が告白なんて。考えたこともない。スマートホンアプリのギャルゲーのキャラくらいにしか言われたことがない俺は、この状況をどうこなせば良いか知るよしもなかった。
「あ、それとね……」
まだ何か言うつもりか。早く終わってくれ。あぁ、こんな真夜中に外に出るべきではなかった。十八歳未満の外出時刻をキチンと守るべきだった。
すると、篠塚は顔を上げて俺と再び目を合わせる。
「翠のことを、あそこまで真剣に聞いてくれたのも麻生くんだけなんだ……それが一番うれしかったよ」
最後に笑顔を見せた彼女からは、確かに心からのうれしさが伝わった。まぁ、そこらの一般人に、死んだ妹がいる気がするなどと言ったら、ひかれるかバカにされるかのどちらかだ。それは俺も経験済みでありよくわかる。
「ゴメン……また変なこと言っちゃったね……私、そろそろ戻るね……お休みなさい……」
すると、篠塚は元の羞恥心を示す顔に戻っており、俺に背を向けて去ろうとした。
「なぁ……妹に……会いたいか?」
「えっ?」
ついつい言ってしまい、篠塚を止めて再びめが合う。しかし、確かにこの地には篠塚の妹が徘徊している。彼氏としてではなく知人として、俺は篠塚に会わせたくなっていた。どうせコイツも、俺が霊を視ることができるのを知ってるはずだ。俺は今後のことを一切考えずに口を滑らせていた。
「会いたいかって言われたら、会いたいけど……」
すると、篠塚は突然暗い顔を見せた。俯いた彼女を月光が照らしている分、更に悲壮を漂わせている。
「会ってはいけない気がするの……」
彼女の一言に、俺には疑念しか生まれなかった。一体どうしてだろうか。素直に会いたいと言えば良いのに。まるで妹が、懲役中の罪人と言わんばかりの表現だった。
「なんでだよ?」
「うん……そんな気がしてならないの……」
篠塚碧の予想は良く当たる。学校でも、この農園の人たちも皆口を揃えて言っていた。だとしたら、なぜ会ってはいけないのか。
「……気を遣ってくれてありがとう。また明日もよろしくね……おやすみ」
「あ、あぁ……おやすみ……」
篠塚に俺が返答すると、彼女はすぐに縁側から姿を消し、外には俺とカナ、寝ているフクメだけが月に照らされていた。俺は呆然としたまま立っており、カナが徐々に近づいていることに気づいていなかった。
「あの、麻生さん……離婚調停についてなんですが……」
「うるせぇ、黙ってろ……」
「ヒィ!!」
カナは脅されたように震えていた。俺も言い過ぎたとは思うが、カナに構ってるほどの余裕を持ち合わせていない。ナデシコといい、篠塚碧といい、篠塚翠といい、この数時間の夜中だけで膨大の情報が俺を襲っていた混乱が収まる気もしなかったため、俺はとりあえず縁側から家に上がって、寝室に戻ろうとした。
「あ、麻生さん!!」
「今度はなんだよ!?」
「ヒィ……あ、あれを見てください……」
憤りを見せる俺だったが、カナは怯えながら外の梨農園の方を指さしている。つられてその方角を見てみると、白い月の中に一部、人影のようなものが見えた。不思議のあまり怒りが収まった俺は、その影の正体を考えていた。
『……視えたのは、今日みたいな月によってできた、幼い子供の人影だけだったねぇ……』
俺の頭にふと、篠塚のお爺さんの言葉が再生される。確かに、目を凝らして見てみると、そう見える。しかし、影だけあって全身真っ黒に見え、一体どんな顔なのかまではわからない。しかし、そのシルエットはどこかで見た覚えがあった。
「ナデシコか?」
初めてナデシコに遭遇したとき、俺はアイツの後ろ姿を見ている。それと重ね合わせると、見事に一致していると感じた。すると、月のシルエットに変化が生まれる。
「あ、動きました」
「あぁ……どこかに行くみたいだな……ん?」
移動し始めた影に、俺は一つの違和感を感じた。
「カナ……」
「はい?」
「移動したとき、なんか光ってなかったか?なんか、農園に降り注いでる感じが見えたんだが……」
俺の言葉が終わった頃には、人影は既に消えており、俺は確かに目にした光の粒子的なものをカナに話していた。
「そうですか……」
すると、カナはそう呟いていたが、下を向いて暗い表情をしていた。どうして今のシルエットを見てそんな表情を見せるのか、俺は検討がつかなかったが、さっきまでふざけていた霊とは別人のように感じる。
「麻生さん……もう寝ましょうか……」
「あ、あぁ……」
重々しいトーンで話したカナにつられて、俺は返事をしてしまったが、それ以降彼女の口は閉ざされていた。
まあいい……明日会えたらナデシコに聞いてみよう。一体何をしていのかを。
俺たちは月に背を向けて、居間の廊下の方へと向かっていく。俺の足音が静かに響く廊下にはもちろん誰もおらず、月明かりのみが照らしている。篠塚のヤツがまだいるのではないかと思い、忍び足でゆっくりと歩いて、靴を玄関に置いた。篠塚の靴らしきものも隣にあったため、再び遭遇しなかったことにひと安心し、大好きな布団がある寝室に向かう。
廊下から寝室の襖を開けると、まだ九条のイビキが鳴り止んでいなかったが、先ほどまでとは静かになっているため、俺は一つ息を吐いて布団の中に入った。
共にいたカナは、背負っていたフクメを畳の上にそっと仰向けに寝させ、俺の傍で正座をしていた。
「お休みなさい。フクメさん……」
ぐうすかと眠るフクメに、カナが優しく伝えていた。それはまるで、かわいい妹を世話する姉のようにも見える。そんなカナを見て、俺はカナの方を見てそっと口を開く。
「お前は、寝ないのか?」
そういえば、カナと遭遇して以来、一度も寝顔を見たことがない。いつも俺が先に寝て、いつもカナが先に起きている日常だ。いつも傍で正座をしているこの霊は、人間のように睡眠を摂る必要がないのかとも思っていたが、フクメが寝ている以上はきっとカナも睡眠を必要としているだろう。
「えっ?私ですか?」
すると、カナは驚いたように一度声を上げて言い、申し訳なさそうに口を開く。
「私は、麻生さんが眠ってからでけっこうです。お気になさらないでください」
「別にいいよ。お前も寝てくれた方が、俺は気になることがないんだ。いつまでもそこから視線を浴びてると、ノイローゼになる……」
他者からの視線を嫌う俺は、そんなカナに言うと、
「わかりました。では、お言葉に甘えさせて頂きます」
と、なぜか俺の左傍で横になり始める。顔と顔の間は約十センチ。俺たちは向き合っており、満足そうに目を閉じるカナと、満更でもない俺が布団の上にいた、
「お、おい……なんのつもりだよ?」
「一度でいいから、麻生さんの隣で寝てみたかったんです。ダメでしょうか?」
目を開く彼女は、俺の目の前で瞳を見せていた。
そんなカナに、俺はノーなどと言える勇気がない。頬が赤くなっているのを実感しながら、すぐに目を閉じることにした。
「好きにしろ……」
カナに対して背中を向けてそう言うと、背中にカナの手らしきものが当たる感触に気づいた。
「ウッ!?……カナ、お前……」
「ありがとうございます。私、今とても幸せです」
今度は、背中にカナの柔らかな頬が当たっていることを覚える。服越しのせいか、カナの温度は全く感じとれずにいるが、コイツの体、僅かな吐息を、確かに感じていた。心臓の鼓動は大きく脈打ち、目が覚める一方となっており、変な汗さえも流してしまう。
「麻生さん……いつも、迷惑ばかりかけてしまい、申し訳ありません。でも、今後もよろしくお願いいたします」
俺の背中で、カナの声が震動として響き、あまりの丁重さに俺は我を取り戻すことができた。
「今後も……って、いつになったら消えてくれるんだよ?こっちは大迷惑だ……」
「ゴメンなさい。言霊集めのメドが全くたたないので、何とも言えません」
カナの変わらない姿勢に、俺は一度ため息をついて喉を鳴らす。
「……ったく、早く集めろよ……それまでは、見届けてやるよ。フクメのことも、お前のこともな……」
「はい……ありがとうございます」
カナの最後の一言は、背中越しでもわかるようなうれしさが込められていた。正直、コイツらのせいで俺の高校生活は滅茶苦茶だ。授業中は煩いし、休み時間ですら喧しい。そんな二匹だが、コイツらは、人憑き型の霊であるせいで、俺を中心に半径五メートルの結界が張られているらしく、俺を脅かすまで離れられないという。まぁ俺から離れられるのは、言霊あと一つとなるときだ。コイツらの脅かしかたはとても幼稚でお見せできるものではない。そこらの幼稚園児の方がよっぽど良い。対して俺は心から驚くことは、この人生で数える程しかない。いっそのこと、俺以外から言霊を集めてほしいくらいだ。
言霊を早く集めて、天国にでも地獄でも、早くどこかに行ってほしかった。
「頑張れよ……言霊集め」
「……スゥ……」
カナの反応無しとその吐息の音から、俺は彼女はもう眠ってしまったのだと理解した。さっきから寝返り繰り返すフクメとは違い、静かにおしとやかに眠っている。せっかく応援してやったのに寝てしまうとは、相変わらずかわいくないやつだ。俺は再び大きく息を吐いて、心を落ちつかせようとした。
「……おにい……ちゃん……」
すると、カナの突然の寝言からの音で、俺の目は再び開けられる。コイツは、もしかして、俺の妹だったりするのか。飛び起きるように起き上がり、俺はカナの寝顔をまじまじと見ていた。
「……んな訳ねぇよな……」
俺はそう呟き、元の形に戻って横になった。カナが俺の妹な訳がない。俺の妹が亡くなったのは、俺が物心付く前。つまり、約十五年前だ。それに、霊は歳をとらないことは、湯沢純子を見て明らかだ。妹に会えたとしたら、一歳や二歳の幼児に違いない。一方でカナは、俺との年齢が差ほど変わらない女子高生のような姿だ。
俺は、自分の考えが多くの矛盾を秘めていると感じ、カナの寝言に出てきた『おにいちゃん』は、彼女の過去の思い出に出てきた人物だろうと考察した。このまま過去を思い出してもらえると、俺も少しは気が楽になるんだがな。
静かな農園の夜中。月は麗しくきらめき、その明かりが大地へと注がれている。こんな神秘的な夜を寝て過ごすのも勿体ないが、明日の作業のこと、そして今日起きた様々な情報を整えるため、俺は静かに目を閉じることにした。
ナデシコが、外で何をしているのかを知らずに……
みなさん、こんにちは。
24時間テレビで早速寝不足になった田村です。今回も読んでいただき、誠にありがとうございます。情報だらけの話となってしまいましたが、ちゃんと伏線を回収していきます。とくに、カナとフクメの様子については、頭の片隅にでも置いといてもらえるとうれしいです。
次回は梨農園最終日。ナデシコとの再びの遭遇となりますが、また次回もよろしく御願いします。




