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六個目*鬼の目にも涙あり。(後半)

「そんな……フクメさ……あやさんには、そんなことが……」


 現在迷子センターテント内にいる俺たちに、フクメ――いや、天童てんどうあやは落ち着いた様子で全てを話してくれた。ところが、カナは驚きと哀れみを抱いて口を手で覆い続けてしまう。

 まぁ、無理もないだろう……学校からも、彼氏からも、そして世界からも棄てられてしまった人生だったのだ。聞いていたコッチからしてみれば、掛けてやれる言葉が全く見当たらない。


「これが、アタシが思い出したこと……つまり過去だよ。ゴメンね、変な空気にしちゃったよね……」


 俯きながら呟いた天童は肩まで深く落としていたが、大きな悲しみを背負っているようにしか視えなかった。

 目の前には、今現在老人となってしまった神埼透が、水嶋みずしま麗那れいなと楽しげに会話している。もちろん天童彩が目の前にいることに気づかず……。


 そうなると幽霊となった者は、どうやら歳をとらないようだ。本来ならば同い年のはずなのに、心だけでなく年齢まで離れてしまうとは。現実世界の残酷さは、幽霊の立場でも同じのようだ。


 元気を無くした天童を、カナは何とか取り戻してほしいと、励ましの言葉を送り続けていた。が、いっこうに顔は上がらない。むしろ後頭部に着けている鬼のお面が、上の空を向いたままだった。


 俺は悩んだ。果たして、幽霊となってしまった天童彩にとっての、一番の幸せは何なのかと。



 神埼透と会話をさせることなのだろうか?



 だが、話を聞いた限りでは、天童は浮気されている側。望ましい再会だとは、到底思えない。



 ならば神社に訪れて成仏をしてもらうことか?



 しかしそれは水嶋啓介の二の舞で、魂すら消されて天国に逝けなくなる。コイツの存在自体が、跡形もなく……。



 じゃあ、四十四個のコトダマを、地道に集めるしかないのか?



 でもアホで怖さを感じられないコイツに取り憑かれた俺としては、マジで驚けず解放してやれないのだが……。



――どうすれば……?



「……なぁ水嶋」

「はい?」

「ちょっと、トイレ行ってくるわ……」

「わかった。じゃあここにいるね」

 悩みに悩んでいた俺はそのまま水嶋の隣から離れ、カナと天童ごとテントから去る。

 すぐそばにあった建物の物影に入り、まずは辺りに誰かいないかを確認する。もちろん御手洗いなど本当の理由ではない。


「や、やなぎさん? トイレは、この辺りにはないのでは……」

「あぁ。公衆トイレなんて、行く気ねぇしな……」

「えッ!? じ、じゃあ!」


 しかし驚き声を上げられた俺は不審ながら振り返ってみると、カナが顔を真っ赤にしながら、今度は両手で顔を隠していた。



 ……え? ま、まさかお前……。



「ひ、ヒャなぎさん! こ、こォんなところで用を足しては……」

「……違う違う! 誰がこんなとこでするかぁ!!」


 カナは完全に勘違いをしていた。俺がこの場で御手洗いを済ませるという愚考を膨らませていたため、一気に槍で破裂させてやった。

 本当にとんだ勘違いを招くアホ霊だ。俺も作者も下ネタが嫌いなのだから、ちゃんと上品にわきえてほしい。規制かかっちまうだろうが? ただでさえ人気ねぇのに……。



「はぁ……よし、誰もいないな……」



 何とか切り換えた俺は再度、周囲に人がいないのを確認してから、まだ動揺しているカナと、未だに足下を見つめる天童へ顔向けする。


「フクメ……いや、天童彩?」 

「なに……?」


 しかし暗黒の俯きをめない天童には、お祭りに来た当初の元気など皆目見当たらなかった。隠しきれないショックを抱くのは、人間も幽霊も変わらないようだ。


「……聞こえたぞ。お前の昔話」

「だから、それがなによ……?」


 相変わらず天童の喪失気味な顔が垣間見えたが、他者の想いに興味などない俺は、俺として抱えていた問題の解答を求める。



「お前は今後どうしたい? 一応過去は思い出したんだろ……?」



「や、やなぎさん……?」

 まるで空気を読まない発言ではないかと、カナがしかめた表情で語っていたのがわかる。しかし俺の中では予想通りだった。何せ憂鬱な過去を思い出した天童を、更に追い込もうとしているのだからな。立派な悪役してるに違いない。


「さぁ……成仏でもすれば、いいんじゃん……」


 天童の瞳からは完全に輝きが消えていた。幽霊として存在きることからも希望を無くしたようだ。


「そうか……じゃあ、神社に向かう……」


 すんなり受け止めた俺は天童に背を向け、これ以上コイツの顔を視るのをめた。


 正直、視れたものではなかったからだ。


 人格が変わってしまったかのように、はっちゃけたお転婆娘の一面は、もはやどこにも残っていない。



 それに成仏は、天童彩のためでもある。



 嫌な過去を思い出して、さぞ心は潰れてしまっているだろう。きっと天国に逝くモチベーションだって、また意味すら皆無のはずだ。大切な他者の存在も無ければ、誰かを待つ訳でもないのだから。



 ならばこのまま魂ごと消えてもらい、天童彩としての時間を停めてやりたい。



 それが熟考の末に導きだした、俺の答えだ。残忍と叫ばれても、後悔するつもりはない。



「……行くぞ?」



 悪く思わないでくれよ、天童彩。これはお前の意思に習って、そしてお前にこれ以上苦しんで欲しくないが故の行動なのだ。

 俺は天童に一目も置かず歩き出し、前回と同じく小清水神社に向かおうとした。


 だが、ヤツが俺を食い止める。



「会わせてあげましょうよ!!」



 突発的に鳴らされた大音は、俺と天童にしか聞こえないカナの叫びだった。

 俺は立ち止まり振り返ると、すぐにカナの涙が頬を伝っていく素顔が視える。


「カナ……」

「せっかく会えたのに……こんな気持ちで成仏なんて……あんまりですよ!」


 意外に思えてしまった俺は、開いた口が塞がらなかった。なぜならカナの大きな瞳から、大粒の涙が次々に溢れていたからだ。

 感情移入ってやつなのだろうか?

 にしてもなぜ、カナはそこまでして、天童彩を神埼透に会わせたがるのだろうか?



 誰かを愛する心を、誰よりも知っているかのように……。



「彩さん! もう一度、もう一度透さんとお会いしてみませんか?」


 俺が考えている最中、カナは止まらない涙と共に、天童の闇に染まった顔を覗き込む。すると呆れたような微笑が現れ、ピンクの浴衣が久々に揺れる。


「……お姉ちゃんさ、アタシの話ちゃんと聞いてた?」


 天童は下を向きながら、そして無気力のまま続ける。


「アタシはフラれたんだよ? それなのに、なんで会わなきゃいけないのよ? ホントのバカみた……」

「……フラれてなんかいません!!」


 すると裏返る大声で言葉尻を被せたカナに、天童はやっと顔を上げてみせる。だが表情の曇りはいっこうに晴れておらず、花火なんか打ち上げられても隠れてしまうほどの、厚い暗雲を抱いていた。


「なんで、そんなこと言えんのよ……?」

「きっと透さんも、彩さんと会いたがってるはずですから!」

「はぁ? 意味わかんないんだけど……」


 再び顔を地に落とした天童彩。しかし眺めていた俺もコイツとは同意見だった。女の勘だとも聞こえる無茶苦茶な論理を投げたカナが告げた真の意味が、全くもって理解できなかったからである。神埼透のどこを窺って、六十年も前に亡くなった天童彩を未だに愛しているのかと。



わたくし、そういうのわかるんです! きっと透さんは、心から会いたがっているに違いありません!!」



 言い切ったカナは涙を拭き取り、目を合わせてくれない天童を真剣に見つめる。もちろん言葉は返されず、ピンクの浴衣が再度静止した。



 早く成仏してほしいという、天童彩の想いを尊重するべきか?


 それとも、女の勘否めないカナのいい加減な提案に従うか?



 霊感抱く人間として選択権を持つ俺は悩み考えたが、ふと思い付いた策を抱きながら、財布の中身を覗いてみる。見えたのは千円札一枚と、数枚の錆び付いた硬貨たち。独り暮らしとしては余裕の無さが具現化していた。


「英世が一人か……よし、じゃあ行くぞ……」

「行くって、どこにですか?」

「……」

「や、やなぎさん!?」


 素っ気ない言葉を置いた俺はカナの叫びを無視しながら、お祭り本部の広場から離れ、人だかり溢れた道へ踏み入れる。相変わらず好めない、群衆の愚かな騒ぎ声ばかりが耳を傷つけてくるが、時間は刻一刻と迫っているため止まる訳にはいかない。


「やなぎさん?」


 すると少し落ち着いた様子のカナは、落胆した天童をおんぶしながら、俺の目の前に現れる。



「小清水神社は、こっちの道ではないのでは……?」



 やはりカナは、俺が天童を成仏するのだと捉えていたようだ。勘違いといい、まったく世話が焼ける悪霊だ。

 首を傾げたまま浮遊する、姉妹のような幽霊二匹が視界を邪魔してきた。が、俺は思わず小さな吹き出し笑いを起こし、唯一目が合ったカナに千円札を見せ放つ。




「――知らぬ仏より馴染なじみの鬼。英世が一人いれば、充分買えるだろ?」




「やなぎ、さん…………っ! はいッ!! そうですね!!」

 笑顔に変わったカナは、やっと理解してくれたみたいだ。これから俺がしようと企む作戦を。

 カナの背に乗せられた天童彩も少しだけ顔を上げていたが、時間を気にする俺は腕時計のみを見つめ、早足のままとあるの目的地へ進んでいった。



 ***



 お祭り本部。

 もうじき最後を飾る花火が打ち上げられる時間帯では、たくさんの人とテントが並ぶ中に、水嶋麗那は一人俺を待っていた。


「麻生くん、遅いなぁ……」

「あら、一人かい?」

「あ、神埼さん!」


 寂しげな水嶋に声をかけたのは、本部迷子センター担当をしている神埼透だ。笑顔が似合う老人が傍に着くことで、不安を薄めていたように窺える。


「今、麻生くんを待っているところです」

「ハハハ。本当にカップルみたいだなぁ」

「だから、そんなんじゃありませんって。わたしは、狙ってませんから……」


 眉をハの字にした水嶋は呆れ気味に笑っていたが、神埼は老いで細くなった瞳を夜空に向け始める。


「……今年も、もう少しで花火だねぇ」

「そうですね。わたし、お祭り最後の花火、毎年楽しく見させてもらってます」

「そうかいそうかい。それは何よりだ……」


 神埼は確かに頬を緩めていた。しかし妙な間を置いたことが、水嶋に振り向かれる要因だった。



「ねぇ、神埼さん……?」



 訪れた少しの沈黙の後、水嶋は戸惑いの表情を見せながら口を開く。


「神埼さんの昔話、よかったら聞かせてくれませんか?」

「老いぼれの話かい? ちょっと辛気くさくなるよ……?」


 神埼は花火が訪れる夜空から目を背け、自身の足元を覗いていた。今日は晴れていたいたため、泥濘ぬかるみなど全く感じさせない。


「大丈夫です。わたし、聞きたいんです」

「……そうかい…………実はね……」


 優しい微笑みを残しながらも、どこか鬱気味な神埼透。すると再び星空を見上げ、まるで空に語りかけるように喉を鳴らす。



「――失恋したんだよ。ちょうど、この場でね」



「失恋……?」

 神埼の寂しさを込めた呟きに、水嶋は思わず聞き返していた。きっと辛い過去なのだろうとわかっていながら。


「まぁ、大切な人を失ったってところかな」

「……ご、ごめんなさい。無理な話をさせてしまって……」

「いやいや、気にしないでくれ……」


 神埼の笑顔を苦笑いとして捉えた水嶋は俯き、聞いてしまった自身の罪悪感に駆られた様子だった。大切な人を失う辛さは、胸奥が僅かな風ですら裂けてしまいそうなほどだと、妹のコイツだって知っているからである。


「ボクは当時、大好きだった子と付き合っていたんだ……」


 老人の穏やかな音で何とか顔を上げた水嶋は、再び神埼の横顔に目を向ける。春の大三角を描いた星たちが彼の目にも映っていることが、より儚さを感じさせるものだった。


「でも、その子は帰ってこないどころか、還らぬ人となってしまったんだ……」

「神埼さん……」

「でもこうやってお祭りの中にいると、何だか彼女に会える気がしてね。昔から信じて、お祭り関係の仕事を続けているんだ……」


 亡くなった相手でも、内に秘めた愛を指し示す神埼透。たとえ半世紀以上経った現在でも、その形は以前と変わっていないようだ。


「あの子は今、どこにいるんだろうなぁ~……」


 神埼は夜空から顔を逸らさなかったが、静かに瞳を閉じて、弱々しく老いぼれた独り言を鳴らす。



「会えないのかな~。もうボクらは……」



 訪れない流れ星に願いを込めるように、ひっそりと。



「――それでも、会いたいんだけどな……彩」



――「ここにいるぞ……?」



「え……?」

「麻生くん!? いつの間に来てたの?」

 神埼と水嶋は振り向いた先には、もちろん闇にまみれて盗み聞きをしていた俺、後ろにはカナ、そして表情が晴れない天童彩で並んでいた。


「麻生くん……てかそのお面、どうしたの?」


 まず気づいた水嶋は、俺の頭頂部に載せた鬼のお面に不審がっていた。


「遅くなって悪い。ちょっと、訳あって買ってきたんだ……なぁ、神埼さん?」


 俺は早速、神埼に声を投げて瞳を交わす。正直自腹で鬼のお面など購入したくはなかった。予定外の雑費だと否めない。領収書ごと差し出し、費用を返してほしい気持ちはやまやまではある。しかし、今は金銭よりも大切なことがある。


 神埼にも、もちろん俺にも……。


 そして誰よりも、天童彩に。



「天童彩は、ここにいる……」



 俺は後ろで俯く天童に指を指しながら告げたが、やはり霊感を備えていない神埼の顔には皺が増える。


「な、何を言ってるのかね?」

「信じてねぇな……」


 ここまでは想定の範囲内だ。視えない死人が傍にいると言われても、普通の人間ならば受け入れがたいはずだ。とはいえ、この前の水嶋はよくもあっさり受け入れられたなと、今更ながら思える。


 どうしたら神埼が信じてくれるか?


 それを考えた結果導いた答えこそが、この鬼のお面の購入理由だ。視えない仏を知らないならば、馴染みある鬼を見せてやろうという訳である。


「コイツが亡くなったとき、こんな鬼のお面を着けてただろ? 幽霊となった今だって、同じ格好だぜ?」


 俺は神埼に自腹のお面を放ちながら、天童のお面に目を置き、他にもピンクの浴衣やツインテールの髪型まで、様々な身だしなみも伝えた。

 俺が買った鬼のようなお面は確かにまるっきり同じ物ではないが、角や怒涛どとうの顔つきなどの特徴をしっかり刻まれている。

 現在高校二年生の俺が六十年前の出来事を、それも事細かに知っていることなど、恐らく神埼にとってあまりにも意外で驚いているに違いない。仮にニュースになった事故だとしても、あまりにも年月を重ねているため、世間からだって忘れ去られているはずだ。

 ならば俺が知っている理由はなぜかと問われれば、昔の話を俺に教えていない神埼からしてみれば、実際に天童彩本人から聞いた以外考えられないことだろう。


 場が整ったと感じた俺は不適な笑みを浮かべ、神埼へ近寄ろうと歩み出す。が、老人の震えた拳が見えたことで、すぐ停止してしまう。



「……違う」



「はぁ……?」

 神埼が周囲で楽しむ人間どもの声に負けそうな弱い声を漏らし、聞き取りづらかった俺は首を傾げる。

 決して挑発のつもりではかったのだが、すると穏和なイメージが強かった神埼は初めてかたくなな表情を顕にし、俺に花火のような轟音をぶつける。



「――彩が着けていたのは! もっと昔の安っぽい鬼のお面だ!!」




「……あ、当たりめぇだろ!? まるっきり同じやつなんて、どこにも売ってる訳ねぇだろうが!!」

 つい神埼にあおられたような俺も声を上げ、片手の林檎飴を強く握っていた。


 先程はお面を購入するために売店に向かったのだが、やはり今の時代には昔のような、クオリティー低めな鬼のお面など見当たらなかった。しかも終盤を迎えたお祭りの時間帯でもあって、選べる数も相当限られてしまったことも懸念材料と言える。


 そこで俺が購入したのが、天童が着けているお面に一番近かった赤い鬼のお面……いや、よく見てみれば、鬼というよりも特撮ヒーローに出演する、性格が救いようなく悪そうな怪人だ。たぶん序盤で敗北する、幹部の中で次第に距離を置かれる立ち位置だろう。



「そ、それでは、ボクは信じない! 彩がいるなんて……老人をバカにするな!!」

「じ……じゃあ天童てんどうあや! お前はまだ、フルネームで言ってないだろ!? 俺が知ってるっておかしいと思わないか!?」

「フン! どうせ、ボクらが付き合っていた当時の写真でも見つけたんだろ? あれにはお互いの名前を書いたしね。ボクは騙されない!」

「……だ~か~ら~! 六十年前の物なんて、どっから取り出せっつうんだよ!? タイムカプセルも土になっちまうわ!!」



 こんの、頑固ジジイめ……。



 なかなか受け入れてくれない神埼と睨み合うよう身構える俺は、想定外のイライラを歯軋りで鳴らしていた。まさか、心の広い老人と思っていたコイツが、素直に認めてくれない頑固者だったとは。


 確かに俺が言っていることはメチャクチャかもしれないが、天童彩がいるのは紛れもない事実なのに。これだから、自意識過剰な年輩の人間は嫌いなんだ! 老害なんて無駄言葉作りやがって。



「フン! 老いぼれたからと言って、そんなマルチ商法には引っ掛からんぞ!」

「売る訳で買ったんじゃねぇし、勝手にセールスマン扱いするな! 笑いながら人差し指ぶっ指すぞ!?」


 俺と神埼は口論が続くばかりで、互いの想いは平行線を辿っていく。ついには背も向けられてしまい、完全に俺の話を無視されてしまう。


 一体どうしたら、神埼透は天童彩がここにいることを認めてくれるのだろうか?

 二人の思い出の品である林檎飴だって、わざわざお面まで揃えてやったというのに……。


 これ以上の策が、アドリブ苦手な俺には毛頭思い付かない。



「チッ馴染みの鬼作戦、しっぱ……」

「……やなぎさん、貸してください」

「え、カナ……?」



 するとカナは言葉尻を被せ、無気力な天童の左手を引きながら、俺から鬼のお面を突如かっさらう。


「お、おい……?」


 俺は挙動を示してしまったが、カナはそのままお面を顔に着け、天童と共に神埼の隣に立つ。



 アイツ、何をするつもりなのだろうか?



 普通ならこう思うべきなのかもしれない。しかし俺は、カナの突発的な行動と現状には幽霊として矛盾があることに気づき、あまりにも不思議で首も傾げることすらできなかった。



――実体を持たない幽霊は、物を持てないはずじゃなかったのか……?



「お、お姉ちゃん……?」

 天童もさすがに困っていた様子で聞いていた。

 当たり前のようにお面を着けているカナだが、幽霊事情に詳しくなった俺には、不気味でしかなかった。買ってほしいと願った林檎飴すら持てないと言っていたのに。

 一体あのアホ霊に何が起きているのかと考えたが、人間と幽霊の間に立つカナは少し腰を下げ、頭の位置を天童の高さと同じに変えた。



 そして神埼の手を、そっと包み始める。



「――っ! な、何……はっ! お面が、浮いてる!?」



 カナに触れられた神埼は今まで以上に驚いていた。きっと身が凍るほどの思いなのだろう。なんせすぐ傍では、お面が宙に浮いてるよう見えているのだから。視えない幽霊がしている物だとも知らずに。


「カナ、お前……」

「やなぎさん! 作戦を続けてください!」


 幽霊として幽霊らしくない状況を公開し、お面で顔を隠しているカナ。もちろんコイツの声は、俺と天童彩にしか聞こえない。


 相手の声だけでは、相手が何を考えているのかなど不透明で、理解できる者など心理学者以外いないだろう。お面のせいで、表情だって視えない状況だ。


 しかし俺は共に、お面のまま振り向いたカナの声からは、覆われた表情と想いまで自然と読み取ることができ、同じくつり上がった眉を神埼に放つことができた。




「――今、お前の手を握ってんのは……て、天童彩の手だ!」




「「――ッ!!」」

 神埼と天童は同時に俺へ振り向き、全く同じの丸い瞳で驚愕を示した。これは俺も予定外だったことが否めず、つい言葉が片言になってしまったが、カナの考えには正直感心を覚えていた。


 知らぬ仏より馴染みの鬼。

 鬼すらわかってもらえないのならば、身をもって知ってもらう。肌に触れて、感じてもらうのだ。


 会わせたい神埼と天童それぞれの手を握ることで、両者の架け橋となった、一匹の自称悪霊。

 アホ霊のお前としては、なかなかえ渡った作戦だ、カナ。褒美として、今日から恋愛ドラマ視聴時間を延ばしてやろう……ちょっとだけな。



「さぁ天童、それに神埼、さん? これで場は整った。何か話したいことがあるなら、遠慮なく話せ」



 天童の口を開けさせようと囁いた俺を応援するように、カナも戸惑う浴衣少女に頷いてみせた。だが、先に開いていた口から声を鳴らしたのは、未だに現実を受け受け止めきれていない様子の神埼透である。


「しかし、信じられないなぁ……」

「神埼さん? 麻生くんは、嘘なんてつきませんよ」

「れ、麗那ちゃん。どうして君まで……?」


 すると水嶋も参戦し、天童と神埼の心をより近づけさせようと微笑みで促す。



「わたしも、彼には同じことをしてもらったから。視えないけど、信じて大丈夫ですよ?」



 水嶋は神埼にそう告げ、最後には俺に振り向いて合図を送ってくれた。



 さぁ、始めよう。半世紀を超えた、再会だ。



 カナに、そして水嶋にも助けられた俺は強気な面を構え、きっと話を繰り出すであろう神埼の発言を待った。ところが、乾いた口が微動しながらもなかなか音が出現せず、彼のもどかしい想いがしわの数だけ伝わる。




「老けたね、透……」



「――っ!  天童……」

 俺はつい驚いてしまった。先陣を切ったのは、あれほど黙り沈んでいた天童彩だったからだ。神埼からは視線を逸らしているものの、カナの右手を強く握っている。


「……老けたね、だってさ」


 俺は水嶋のときのように、人間と幽霊の間を通訳で結び、またカナは神埼と繋いだ左手に力を込め、彩の握力をしっかり肌に感じさせていた。

 手を握るカナが一人と一匹の心を繋ぎ、俺はコイツらの想いを通わせる。

 まだ花火が起こらない闇夜のもとで、俺は通訳を続けていく。もちろん気が散るだろうから、ここからはあくまで神埼と彩が話しているように進めていくからな。


「そ、そうだなぁ。なんせ六十年振りだもんなぁ……彩も、もうおばあちゃんかい?」


 やっと状況を飲み込んでくれた神埼は少し緊張した様子で、カナの顔に着いた鬼のお面と目を合わせていた。もちろんその先には、天童の横小顔が隠れている。


「アタシは、あの日のままだよ……」

「そっか、羨ましいなぁ。子どものままなんて、夢のようだ」

「どういう意味よ……? バカにしてんの?」

「そういう訳じゃない。ただ、彩が彩のままでいてくれて、心から嬉しいんだ」

「……」


 せっかく会話が弾んだように思えたのも束の間、天童は再び下を向いて止まってしまう。


 やはり会わすべきではなかったのだろうか。

 今更ながら後悔に駆られてしまう。



「ねぇ、彩?」 



 すると神埼は天童を振り向かせ、温厚な瞳を見せる。間にはカナがいるのだが、後ろから眺めている俺には、両者の視線が揃っているように窺えた。



「ボクは君に、謝らなければならないことがある。……あの日のこの時間、彩は見ていたんだろ?」



「え……?」

 神埼がどこか悲愴を抱く微笑みで進め、天童を小さくも驚かせていた。

 神埼の謝るべきこととは、きっと浮気の件だろう。謝って済むほど、簡単な内容ではないはずだが。

 同じ男である俺は冷たく寄せ付けない瞳で言葉を待ったが、やはり神埼から発せられた内容は想像通りだった。



「あの日ボクは、以前付き合っていた子にまた会ってしまったんだ。もう一度付き合おうって言われて、抱きつかれたんだよ。だから、ホントに済まない……」



「そ、そう……。そ、そうだよ、ね……」

 頭を下げた神埼が反って見苦しかったのだろう。天童は自嘲気味に笑いながらも、儚げに潤む瞳を乾いた地に向けてしまう。

 あのジジイ、なぜそんな酷いことを言えるのだろうか。残酷な真実を本人から告げられては、もう見間違い勘違いでもフォローできない、確固たる証拠になってしまうではないか。きっと天童彩は、あれは違う! と是非言ってほしかったはずなのに……。


「んで、再び付き合ったんでしょ? はぁ~、やっば透は、プリンセスとお似合い……」

「……いや、復縁はしなかったんだ」

「え? ど、どうして!?」


 言葉尻を被せられた天童は、久しぶりに声を大にして驚いていた。それは想像していた俺も同じで、神埼の告げた真実に固唾を飲み込む。



「――ボクはね、彩のことがホントに好きだった。いや、今でも好きさ。だからね、ボクは君以外と付き合わないって、あの日の記念日から、ずっと決めているんだよ」



 神埼が告げた記念日。

 それは間違いなく、二人が始めて真心を通わせた、淡い夕焼け色に染まった空の下での日。



――そう、告白の日だ。



「あ、アタシのどこが……良いって言うのよ……?」

 天童は林檎飴のように顔を赤く染め、口を細めて呟いた。恋愛なんてろくにしたことがない、純粋無垢な少女のように。


「当時彩が、ボクに話しかけてくれたから」

「は……?」


 今度は、天童から眉間の皺を放たれた神埼が俯き、視えない重荷を背負わされているかの如く猫背を顕在化させる。


「中二の冬頃にね、ボクはあの子からフラれたんだ。つまらない男だからってさ」

「透が、フラれた……?」


 次第に瞳へ温度を保ってきた天童は身体ごと向けると、半世紀以上も離れ離れだった神埼が、弱々しいながら頷く。



「でも、周りの生徒たちは信じてくれなかった。どうせお前がフッたんだろって……。女子はもちろん、男友だちですら信じてくれなくて。結局卑劣な嘘つき扱いされたボクは、周囲からもフラれてしまったんだ……」



「ど、どうして……?」

 悲しみが伝染した天童は口許を震わせ、感極まった瞳で神埼を見つめていた。


 そうか、これがコイツらの真実なのか……。


 俺は少しばかりだが、実は犠牲者だった神埼透を憐れみ、なぜ天童彩との恋愛物語がスタートしたのかも理解できた。


 当時は皆からプリンセスと呼ばれるほどの美しき女子と付き合っていた神埼透。だが、周囲からは厳しいまでの視線を受けていたはずだ。嫉妬しっとはもちろんだが、女を幸せにするために誕生した、守護すべき存在として。

 しかし、二人は別れてしまった。それもプリンセスからのワガママ極まりない、一方的な突き放し方で。

 神埼は突如一人になってしまった訳だが、本当に彼を傷つけたのは、この後に待つ孤独の世界への招待だったのだ。

 一人から独りへ状況が変わってしまい、毎日が憂鬱な暗雲に覆われていたに違いない。それも思春期の男子として、雨を降らすことができない、たちの悪く分厚い曇天だったことだろう。



 そこで、神埼透に陽射しを浴びせ始めたのが、同じく周りから距離を置かれていたお転婆女子――天童彩だったのだ。



“「アタシ、天童彩! よろしくッ!!」”



 神埼にとって最初は本当に僅かな陽射しで、木洩れ日の如く細かったに違いない。どうせ時間が経てば、再び厚い雲に隠されてしまうほど、か細く儚い蜘蛛の糸とも比毛を取らない。



“「ねぇねぇ! 好きな食べ物は? オキニの芸能人とかいる?」”



 だが、一寸の光は何本も射し、いつしか神埼の暗雲が次第に取り除かれていった。



“「それとさ! 趣味ってなに~? ちなみにアタシは人助け!! 達成感がもぉ~サイッコーに気持ちいいの!!」」”



 しつこいまでに、何本も何本も。

 反ってイライラするほど、光の線が射し込み続ける。



“「やっば! もう授業じゃん……。んじゃ、また後でね!」”



 そして、孤独の雲に覆われた空が、神埼の微笑みと共に晴れ渡る時がきた。



“「よろしくね、彩?」”

“「ふあぁぁ~~~~! う゛んッ!! 透~ッ!!」”




 それは眩しい日々の始まりでもあり、たとえ夜になっても、空の星が照らしてくれた。



 まるで、今夜のように。



「彩はいい意味で、周りとは違った。強く、優しく、わだかまりもなく、ボクに話しかけ続けてくれた。それが、ボクが彩を愛する理由だよ」

「透……」


 神埼の優しい微笑みにも関わらず、天童は涙を堪えていた。今にも心が破裂しそうに、口許が微動している。



――ドガアァァ~~~~ン!!



「――っ! は、花火……」

「お~、ビックリしたなぁ」

 神埼と天童が見上げた夜空には、ついに大きく盛大な花火が打ち上げられた。轟音よりも増して大輪で、淡い輝きたちが静かに夜の色に溶け込んでいく。


「きれい……」

「うん、今年もきれいだ。……ねぇ、彩?」


 神埼は横を向き、カナが着けた鬼のお面と目を合わせる。

 すると強引にも、静かに黙っているなカナは天童の手を引っ張って身を寄せ合い、お面の正面に幼き顔を運んだ。それは言うまでもなく、六十年ぶりの見つめ合いを促す行動に他ならない。


「透……」

「やっといっしょに見られるね。今夜は最後まで、いっしょに見ようよ」

「……う、うん」


 笑顔の神埼へ笑みを浮かべられなかった天童だが、揃って夜空に灯される花火を見上げる。

 大きな轟音が何度も響き渡り、胸の奥底まで揺らす花火。茫然と観察してしまうほど、心を持つ者たちを夢中にさせている。


「彩?」

「なに……?」

「ボクは君を、亡くなってからも愛そうと思う。今ここで、誓うよ……」

「透……」


 神埼は見上げた花火の光を瞳に描きながら、傍の天童に横目を向ける。夜なのに、暗い表情など全く見当たらない。



「ずっと、ずう~っとだ。だからね……」



 ヒュ~と次の大花火の星が昇っていき消えた刹那、透と彩の身体が正面を向き合う。



「――もうちょっとだけ、待っててね? 彩に、会いに行けるからさ」



――ドガアァァァァ~~~~ン!!

 ついに二人の背景である星空に、盛大な花火が打ち上げられた。空を裂くほどの、轟音を放って。


「透……」


 大花火は夜空から舞い落ち、次第に姿を消していく。



「とお……うぅ……」



 しかし花火の灯火は、消えたのではなく、吸い込まれていくように俺には見えた。




「うぅ……グズッ……」




――相思相愛(そうしそうあい)の心を抱く、二人のシルエットの中へと。



「……透、グズッ……うぅう……」

 立て続けに大花火が夜空に現れると、微笑む神埼の表情がより鮮明にいろどられていた。しかし、幽霊の天童は照らされるだけで、目から溢れた涙たちをカラフルに染められるだけだ。



「フゥッ……自殺とか、病死とかハッ……命を粗末にしたら、絶対に許さないんだからねェッ?」

 大涙が止まらず、嗚咽おえつ気味で言葉がままならない、天童彩。



「わかってる。だから今度は、天国で、手を繋ごうね」

 笑顔を絶やさず、優しく包むように返した、神埼透。



「うぅ……ウゥウ……」

 天童はピンクの袖で何度も瞳を擦り続ける。が、それでも涙は止まらなかった。


 何度拭っても、何滴も何滴も溢れてしまう。

 何滴も、更に何滴も……。

 あの日、神埼透に話しかけた数だけ、数えきれないほどに……。


 すると天童は拭うのをやめ、着けていた鬼のお面でくしゃくしゃな顔を隠し始める。再び大花火が開こうとした瞬間、俺には轟音より響く音があった。




「――フゥウ゛ゥウア゛ァァアァァーーーーア゛ァァ!!」




――ドガアァァ~~~~ン!!

 夜空には盛大な大花火が上昇し、地面には鬼の目から水滴が落下していた。実体を持たない幽霊の涙はすぐに消えてしまうが、溶け混む様子はどちらも似ていたように思える。



 果たして、天童彩の涙にはどんな意味があるのか?


 もうまともに話せない、悲しみの大雨なのか……?


 反って今でも好きだと告げられ、それに応えてやれない、苦しく切ない五月雨さみだれかもしれない。

 しかし俺は、希望を意味する恵みの雨――つまり嬉し涙だと感じている。感涙かんるいと呼ばれるやつだろうと、信じたくて仕方なかった。

 なぜなら全てを失った天童彩には、大花火よりも光る存在意義が生まれたからである。



 それは、最愛の神埼透を、天国で待ってあげること。



 いつになるかは特定できない。平均寿命が長い日の国において、現在七十五歳辺りの神埼でも、亡くなる日は結構先かもしれない。もうすぐ会いに行くと言っていたが、正直叶わない哀れな願い事にも思える。


 しかし、空白の六十年間と比べれば、天童彩にとってはそう長くはないはずだ。いくらなんでも、苦労人の神埼透が百歳以上生きることは無さそうだ。



――ひたすらに、そう信じたかった……。



「……グスッ、透……?」

「なに?」

 すると自分から透へ始めて窺った天童が、荒れた呼吸を整えて言葉を紡ぐ。


「ありがと、愛してくれて……」

「だって、彩の存在は、ボクの光だから」

「なに気取ってんのよ……? バカみたい。……フォールじゃん」

「それを言うならfool(フール)だよ。相変わらず、英語が苦手だね」

「何よ、もぉ~……」


 小バカにされた感否めない天童は頬を膨らませたが、不思議と涙が止まっていた。



「……じ、じゃあさ、五月の記念日って、何ていうの……? ほら、六月だとジューンブライドとか、四月だとエイプリルフールとかあるじゃん?」



 お前、そっちのfool(フール)は平気で言えるんだな。



「そうだね~。memorial(メモリアル)とか、|anniversaryアニバーサリーとかはあるけど、五月で、か~……」


 神埼は瞳を閉じて考えあぐねていた。

 確かに俺も聞いたことがない、五月限定の記念的御言葉。だが、透はすぐに開けた目を彩に向けて、そっと笑いかける。



Azalea(アザレア) heartハートなんて、どうかな?」



「アザレア? 五月の、花の名前……どうして?」

 皐月さつきとも称される五月は英語でMay(メイ)、またはAzalea(アザレア)とも呼ばれる。きっと透はそれを知っていたからだろう。

 子どものような丸い瞳を輝かす天童彩だが、物識りの神埼透は自信と笑顔を備えながら頷き、視えないはずの相手に目を合わせる。



「――“あなたに愛されて幸せ”。アザレアの、花言葉なんだ」



 アザレアの意味を、心に宿す記念日――故に、Azalea(アザレア) heartハート



「……うん、納得」



 天童彩は俯いたが、静かながら微笑んでいた。それは神埼透に半世紀超えぶりに放つ、少女の懐かしい笑顔に違いなかった。


 春の大三角を背景に様々な色の花火が出現し、その光を全身に受けている、同級生でありなから大きな歳の差を示すカップル。

 そんな二つの恋のシルエットを、俺は水嶋の隣で見守っていた。


「なぁ、水嶋。これやるよ……」

「え、林檎飴?」


 俺は水嶋に、一口も付けずにずっと持っていた林檎飴を差し出す。表面は甘く、実際の中味は酸っぱい、お祭りには必要不可欠と言っていいほどの産物らしい。


「麻生くん、結局食べないの?」

「あぁ……」

 水嶋が不思議がるのもわかる俺だが、静かに頷いて返す。



「甘酸っぱいのは、ちょっと苦手なんだ……」



 不思議がる水嶋には、

「じゃあなぜ買ったの?」

 と問われてしまったが、俺はテキトーな言い訳を見つけて、無理矢理にも林檎飴を渡した。

 花火が煌めく夜空の下、俺はあれほど忌み嫌っていたお祭りに出向いたのだが、花火の終わりと共に告げられる終了時間まで、待つことにした。



 ***



 お祭りの花火を見終えた俺たちは去り、まずは水嶋を自宅まで送迎し、俺とカナ、そして天童彩の、一人と二匹で城れの帰路を辿っていた。


「……」

「……き、きれいでしたね! お祭りの花火。花火だけに華やか~、な、んて……」

「……」


 俺の背後でカナが沈黙を破ろうと、あまりにもつまらないダジャレを投げたが、やはり天童は応答しないまま暗く俯いていた。神埼透と別れて以降、水嶋と共に帰っていたときからこのままなのだ。


 全く女心とはわからないものだ。会話もできて、微笑むこともできて、心は充分に満たされたはずなのに、なぜ全てが終わってしまったかのように失落しつらくしているのだろうか?

 いや、満たされたが故に、気力を失っているのかもしれない。もう今後、これ以上の幸せなど訪れないだろうと考えてしまうほどに。


 これから先、俺は天童彩にどうやって接してやればいいのだろうか?


 確かにうるさくないだけまだ増しなのしれないが、視える者として、どうも気にしないではいられない。


「はぁ……コトダマ、落ちてねぇか……」

「……なぁ、やなぎ!!」


 すると天童は俺の台詞を覆い叫び、歩みを停止させて振り向かせた。

 俺にはすぐに凛とした真剣な小娘顔が視えたが、カナも見つめる中、天童彩は更に大きな声で叫ぶ。




「――アタシ、成仏は嫌だ!!」




「……はぁ?」

「彩、さん……」

 袖口を強く握りながら言い放った天童に、俺はポカンと口を開けてしまう。しかし一方で、カナの瞳はキラキラとまたたいていた。



「だって、成仏されちゃうと、天国には逝けないし、存在自体なくなるんだろ? だったらアタシは、絶対に嫌だ!! 断固反対!!」



「え……うそ……」

「ということはぁ!」

 迷いなどどこにも視当たらなくなった天童からは、俺は嫌な答えが返ってくる気がしてならなく、口をへの字に曲げていた。

 すると熱を取り戻した天童は、突如人差し指を俺に向け、振り袖を華やかに揺らしてから宣言する。



「――だからアタシは、ちゃんとやなぎを驚かして! コトダマもしっかり集めて! 絶対天国に逝ってみせるよ!!」



「……は、ハアァァア!?」

 俺は恐怖を感じたことがない天童に、初めて驚かされた気がする。ただコトダマが出るほど驚愕した訳ではなく、驚きよりも苦悩の方が増していた。

 だって考えてもみてくれよ。

 独りだった俺が今後はこのアホ霊と、しかも二匹も共に生活していかなければいけないんだぞ? 城の中でだって、学校だって、休日のプライベートまでだって、コヤツらと。


「……嘘だと言ってくれ」

「嫌だ! アタシ、嘘はアクネ菌より嫌いだもん!」

「ニキビとか知らんがな~……」


 がっくり肩を落とした俺は、なぜさっき驚いた際にコトダマを吐き出せなかったのかと、数少ないチャンスを逃したことをたいへん後悔した。

 あぁ~、ストレス疲れでニキビが発生しそう。ブツブツ界の仲間入りも、そう遠くなさそうだ……。


「あ、彩さん!」


 一方で天童の答えを聞いていたカナは嬉しそうなままに、浴衣娘の前に立ってお辞儀をする。


わたくしカナも改めて、よろしくお願い致します!」

「違うよ!!」

「え……?」


 頭を下げたまま驚くカナの視線先には、天童がニッと笑う無邪気な笑顔が映っていた。すると今度は親指を立て、カナに向けて下手なウィンクを披露する。




「――アタシは、フクメだよ! カナお姉~ちゃん!! ニヒヒ~!」




「ふわあぁぁ~~~~! はいッ!! フクメさん!!」

 感激を声や瞳で表したカナは空かさずフクメに抱きつき、嬉しさのあまりに涙を浮かべていた。コッチはそんな気分ではないのに。


 こうして俺は再び、二匹の悪霊に縛りつけられた日々過ごすことになることが決まった。

 もちろん望んではいないし、早くコイツらが俺の元から去ってくれるのを願った。流れ星でも来ないかと、夜空をずっと見上げるほどに。

 だが流れ星は訪れることなく、アークトゥルスやデネボラ、そしてスピカで繋がれた春の大三角のみが見えるだけだった。

 やかましいが故に悪霊なコイツらとの生活がどうなるかなど、俺はある意味恐くて想像したくなかった。しかし見上げた夜空では、おとめ座の一部であり女神の意を持つスピカが一番輝いて見え、妙に俺の口を閉ざしていた。



「ほらやなぎ! さっさとおうちに帰るよ!」 

「やなぎさん急ぎましょう!」



 気づけば俺の前には、二匹の悪霊が先を急ぐように立っていた。六十年前の鬼のお面を頭に置くフクメと、俺が買った怪人のお面が見当たらないカナらが必死に促していた。



 あ、そういえば……。




 改めてカナを視た俺はふと、コイツの幽霊としての不可思議な点を思い出す。



 実体を持たないのに、どうしてカナはお面を着けることができたのか?


 何よりも、同じく幽霊のフクメはすり抜けてしまったのに、なぜカナだけは神埼透の手に触れることができたのか?




「もう少しで恋愛ドラマ始まっちゃうんだから! 早く早く~!!」

「今日は十五分拡大スペシャルです! お願い致します!!」




「……お前らの家じゃねぇだろうが」

 俺は二匹のアホ霊に突っ込みを入れ、カナが起こした不可思議現象の思考を止めることにした。きっと金縛りにも似た、幽霊の超能力的なやつだろう。神埼透が天童彩を愛していることをわかったことだって、人間にはない幽霊特有の何かに違いない。

 五月の夜空へ、願い事の代わりに大きなため息を放った俺は再び歩み、前を歩く二匹の悪霊と嫌々ながら続いていった。今後の生活が苦悩で満たされるのだろうが、とりあえず今夜は、フクメの跳び跳ねる姿で誤魔化すことにした、


―――――――――――――――――――――――


 五月二十五日、午後八時四十一分。


 フクメ――生存当時の名は天童てんどうあや


 最愛の彼氏――神埼かんざきとおると天国で再会を目指し、コトダマ集めを決心したことで、成仏されず存在継続。



 もう他のアホ霊は勘弁してくれよ?


フクメちゃん回を前後編に分けさせていただきました。


正直こんなに長くなるとは思っていませんでした-w


次回からは一話一話短めになりますので、再びよろしくお願い致します。

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