冬の餅
くまくるのさんとかなめんさんの『エッセイ村へようこそ』に載せて頂いた作品です。村長、副村長、いつもどうもありがとうございます。
私が子供の頃食べていた餅は、母の実家で搗いたものだった。
山深い村で伯父が育てた餅米を祖母が大鍋で蒸し、それを伯父が搗く。近くに住む親戚の若者達も餅搗きにかりだされる。親戚中に配るぶんの餅なので、もう凄い量だ。十升以上の米を数日かけて搗く。冬の一大イベントだ。
あべかわ餅、あんころ餅、きなこ餅、どれもそれぞれ美味しく、ことに大豆を重たい石臼でゴリゴリ挽いてきな粉を作るのは美味しいうえに面白かった。しかし美味しさダントツ1位は何と言ってもよもぎ餅だった。
田んぼの畦道や家の前を流れる川の土手から、祖母が背籠一杯に摘んできた蓬で作る草餅は、目の覚めるような綺麗なグリーンで、とても良い香りがした。そして祖母は、グリーンの草餅の中には赤い小豆のあんこではなく、畑で採れたエンドウ豆で作ったグリーンのあんこを入れてくれた。私は普通のあんこはあまり好きではなかったのだが、祖母の作るほんのりと甘くてホクホクしたエンドウ豆のあんこは大好きだった。外も中もグリーンのお餅は、まぁありふれた言い方ですが、風や太陽や豊かな自然、そしておばあちゃんの愛情がギュッと詰まって、本当に本当に美味しかったのだ。
ある冬のこと。
私は冬休みを祖母の家で過ごしていた。普段は仕事で忙しい父も休みを取り、珍しく家族全員でのんびりしていた。
そして正月を前に始まった恒例の餅搗きイベント。
180をゆうに超えるガタイの良いトモユキ伯父や、母の若い従兄弟達が威勢のよい掛け声と共に軽々と杵を振るのを見ているうちに、「やりたがり」の父の血が騒ぎ始めた。
「どれ、僕もお手伝いしますよ」 などと言い出す父。
「え〜、パパ、杵なんか持てるの?」 と私や母に言われ、「それくらい出来るさ」と胸を張る。
都会っ子の父に餅搗きの経験などない。おまけに彼はかなりニブイ。鉄棒の逆上がりも出来ないほど運動神経ゼロなのだ。鉄棒と餅搗きなど関連性がないと思われるだろうが、どちらも最低限の筋力及びちょっとした器用さが求められる点で似ている。ニブイうえに自他共に認めるぶきっちょの我が父にはハードルが高いのだ。
おそらくその場にいた全員が、いやいや、多分無理だと思うよ、と思っただろう。しかし優しい田舎のヒト達は、そんな事は思っても口にはしない。
「ほんならヒョウさん、ちょっと頼んますわ」 とトモユキ伯父が父に杵を渡した。嬉々として杵を受け取る父。
「お、結構重いな」
「ちょっと、ホントに大丈夫?」 と疑り深げな母。
「大丈夫、だいじょーぶ!」
「ほんなら、ひとつ、よろしゅうおねがいします」
祖母がニコニコ笑いながら蒸したての餅米を臼に入れ、手を水で濡らして臼の横にひざまずいた。
ホイショッと妙な掛け声と共に高々と振り上げられた杵が勢い良く振り下ろされ、ガンッと思いっきり臼の端を叩いた。
「わあっ! アブナッ」悲鳴を上げて仰け反る祖母。
「ちょっとどこ搗いてるの! 臼の端っこなんか搗いたら木っ端が入るやん! ちゃんと狙って! 真ん中よ、真ん中!」
「わかってるって」
餅搗きはリズム。
テンポ良く杵を振るヒトと、水で濡らした手で臼の中の熱い餅をひっくり返すヒトの呼吸が大切だ。餅ではなく臼の端をひっぱたく確率70%超の父にリズムなど求めるすべもなく、それどころかいつ自分の脳天に杵が振り下ろされることやら分からぬ状態で、返し手の祖母の腰も完全に引けている。
ガンッ、ゴンッ、ヨロヨロ。
「おっとっと」 おっとっとじゃない! 周りでハラハラしながら見守る人々の声にならない声が渦巻き、子供達がそれを見てげらげらと笑う。
「あかん! ヒョウさんにやらしとったらゴミだらけの餅になるやん! 兄ちゃん、はよ代わったり!」
数度目の『臼搗き』の後、とうとう母に強制退去を命ぜられる父。
「まぁ、そないなこと言わんと」 と父をかばいつつも露骨にほっとする祖母の顔がおかしくて、笑い転げる私。
「おっかしいなぁ、こんなハズじゃなかったんだけどなぁ」 と不思議そうに首を傾げる父。
雪のちらつく空の下、ほかほかと白い湯気をたてるつやつやの餅米。
ぺったんヒョイッ、ぺったんヒョイッと息の合った餅搗きの音と人々の笑い声。
そして蓬の青臭くも香ばしいかおり。
あれから二十余年。
祖母が台所に立てなくなって久しい。
田舎も変わり、伯父が餅を搗くこともなく、あの大きな臼と杵も納屋の奥でひっそりと埃をかぶっている。
ポケットに突っ込んだ指先が冷たい。
しかし大人になってふと想う冬は、味も香りも懐かしく、搗きたての餅のように、いつもふんわりと温かい。