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隣人はホルマリンがお好き

作者: 糖辛

 理科準備室からホルマリンが盗まれた。

 何が目的だったのかと先生たちは首をかしげていたが、私は犯人を知っている。

 ――近所のコンビニ店員だ。



 本日は土曜日、晴天なり。

 今日こそは。そう決意してコンビニに入った所為である。


「いらっしゃいませー」


 いつもどおりの間延びした低音に優しいスマイル。最近ここに姿を見せるようになった彼は、今日もすっかり溶け込んでいた。

 人ごみを歩いていたら頭が飛び出している確率百パーセントの長身。すらっとした体躯はコンビニのエプロンでさえ見事に着こなす。シミ一つない灰色の肌、血のように赤い瞳、若さに見合わない白髪はまさに『違和感の寄せ集め』そのもの。

 しかしレジに並ぶ客は誰ひとりとして変な反応を見せない。女性客なんかむしろそうそうお目にかかれなさそうな整った顔立ちの彼に頬を染めながら店を出ていく始末だ。

 ……そして私も、実は彼を見るためにコンビニに通う女子中学生の一人だったりする。私みたいな人がたくさんいるからこのコンビニは女性客の割合が高い。

 人気の(まと)である彼の名はアーデル灰戸(はいと)。なぜ灰戸アーデルではないのか。ネームプレートに刻まれた名にそう突っ込む輩は未だこの店に現れない。


 私はどきどきしながら、初めて灰戸さんに声をかけた。


「すいません、ちょっといいですか?」

「……」


 灰戸さんはきょろきょろと辺りを見回し、自分の顔を指さした。こくこくと頷いて答える。彼はニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべながらそそくさとこちらに寄ってきた。

 彼の移動と共に、店内の若い女性客の首がわずかに動く。


「ご指名ですね」


 なんでホスト調。


「あの、おにぎりのおすすめってなんですか?」


 正直何を質問すればいいのかわからなかった。何か会話することが目的だった。灰戸さんは少し考えて、言った。


「パン派なのでちょっとわかりかねます。生粋のご飯派の店員を十人ほど呼んでどれが一番おすすめか討論させましょうか?」

「いえ、おすすめ聞くためだけにそこまでやっていただかなくてもいいです……」


 適当に梅干しおにぎりを手に取る。

 灰戸さんはぽんと手を打って、明るい口調で言った。


「お客様、お飲み物はいかが致します?」


 きっとおすすめを教えられなかったことに対しての償いなのだろう。

 僕持ってきますよ、と灰戸さんはにこやかに言った。やった。


「……おすすめは?」


 ダメもとで聞いてみた。

 好みが知りたかったのだ。

 灰戸さんは今度は間を置かず、はっきりと言った。


「ホルマリンです」


 ホルマリン。

 ……それって飲み物だったっけ。


「いいですよ、ホルマリン。飲んでもおいしいけどお風呂にためればご自宅でホルマリンプールができますよ」

「はぁ」

「僕、昨日あれがどうしても飲みたくなって……出来心で近所の学校に忍び込んだらあったんですよぉ、ホルマリン」

「えっ」

「おいしかったなぁ……」


 そういえば昨日、理科準備室のホルマリンが盗まれたということで、全校集会があった。

 なんだ、この妙な一致は。まさか……。

 私は遠い目でどこかを眺めつつヨダレを垂らしている灰戸さんを見つめた。


「…………あ、でもウチにはないんですよ。薬局あたり行ってみたらどうですか?」


 ないものを勧めたのか。


 私は結局梅干おにぎりだけを買い、コンビニを後にした。レシートを確認してみれば、午前十一時三十七分と下の方に印刷されていた。




 ひょっとして、人間じゃないんじゃないの。

 今更そんな違和感を覚えた私は、家から近い公園でおにぎりを食べている。


 消しゴムならまだしも、人間が灰色の肌ってありえるの?

 目が赤いってどこの国の人よ?

 あのルックスで常にエプロンの下が緑ジャージってなに? 他に服ないの?


 最後のものはともかく、あらためて考え直してみれば変わった人だ。

 そんなことを考えながら元気に遊ぶ子供たちをぼーっと眺めていたら、公園と路地を仕切るゲートの外に、灰戸さんが見えた。朱色の目立つエプロンはつけておらず、ただの緑のジャージ姿だ。


「うそっ」


 家、ここから近いのかな。

 私は残りひとかけらのおにぎりを口に放り込み、急いで灰戸さんのあとを追った。


 灰戸さんが私の家に近づくにつれて、胸が高鳴ってくる。

 電信柱の陰に隠れてじっとその進む方向を見つめていた私は、思わず叫びそうになった。


 ひとまず呼吸を整え、灰戸さんが曲がったところの隣に位置する一戸建てを見る。――間違いなく、あれは見慣れた私の家。

 ということは、隣!?

 すごい! 友達に自慢できる!


 ……いや待てよ、私の隣は空き地ではなかったか。


 そう思った時には、全速力で走ってきた私は自宅の隣にたどり着いていた。


「あ」


 ――……彼は、灰戸さんは、腰まで土に埋まっていた。


「また会ったね、お客様」


 爽やかな笑顔で片手を上げる灰戸さん。そして何事もなかったかのように、耕された茶色い土にもぞもぞと潜っていく。


「な、何やってんのっ!?」

「え……。何って、家に入ってるんだけど……」


 何言ってんだこいつ、みたいに言われても。

 灰戸さんは首だけが出ている状態になっていた。まるで人間が生えているようなシュールな光景だ。


「ひょっとして、近所の方だったのかな? はじめまして、アーデルハイト・ファントム・ジャッカーです。親しみを込めてアデルと呼んでおくれ」

「私は四谷(よつや)夏奈(かな)ですけど……。アーデル灰戸じゃなかったの?」

「それはコンビニアルバイトとしての仮の姿さ」

「なんのひねりもないじゃん」


 灰戸さん、もといアデルはへらへらと笑った。なんか落ち着かないのは私だけのようだ。


「あの、失礼かもしれないけど……家無いの?」

「ここが我が家さ。入る?」


 アデルの誘いにぶんぶんと首を横に振る。

 こんな空き地のど真ん中を正方形に耕した場所が果たして家と呼べるのか。なんという悪物件だ。入るというより埋まるというのが正しい気がする。


「なんか変わったことばっかりするけど、アデルって何者なの?」


 そう聞くと、アデルはもったいぶる様子もなく、案外あっさりと答えた。


「ゾンビだけど、別に普通だと思うよ」


 少しの沈黙をはさんで、私は口を開く。


「普通じゃないでしょ」




 引越しそばじゃなくてホルマリンでいいからね。

 隣のゾンビは図々しくも笑顔で言った。

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