笑うツチノコ
お久し振りです。河守です。
今回は純文学に挑戦しました。
笑うツチノコ
…ハァ……ハァ………ハァ……ハァ……
荒い息の音が頭に響く。足元ではグシャグシャと真っ赤な落ち葉を踏む音がし、その単調な音は足の運びを余計に遅くした。もちろんその音を出しているのは自分だが、その感覚さえとうに何処かへ行ってしまった。自分のものではなくなった一対の足が私の体を前へ前へと運んでゆく。時々鼻に感じる冷たい森の香りが唯一、強引に私の思考を正常に戻してくれていた。長野県赤羽山脈。晩秋を迎えた山の静けさの中を、その雰囲気に同化しきれない私が進んでゆく。
厚着し過ぎた体から汗が噴き出している。その傍を、山ならではの早くも冬の匂いが入り混じった風が通り過ぎていった。見上げた先には黒ずんだ雲が出来上がり始めていて、周りの巨大な木々を先っぽから食べていた。もうすぐ降るかもしれない。空気の中に雨の匂いを感じていた。しばらく見ることをやめていた時計を見ると、短針は4を指していた。まだ明るい。しかし山の夕暮れは突如として訪れるものだ。最初の頃は暗闇の急な登場にかなり焦った。
(今日はここまでだろう)
近くにあったほど良い広さがある場所を見つけると、リュックから野宿用の道具を取り出す。今日も収穫なし。何かあったとすれば、年季が入ったテントに穴があったことに気付いて少しショックだったことぐらいだろうな。そう思いながら淡々と穴あきテントを組み立てていった。組みあがる頃には雨が降るはずであった雨の気配は太陽と共に消えていた。
今日で三日目だ、と食料を食べつつ今後の予定を確認してみる。パチッと火花を散らす焚き火の明かりの下で、片手でリュックの中身を探った。あとおにぎりが五個と缶詰が二つか…。この食料の量では明日には尽きる。探索できるのは明日の八時に出発するとしても、あと七時間ぐらいだろう。パチパチとまた火花が跳ねた。(頑張らなくては)と、おにぎりをほお張る。
(そういえば)
と、ふと思う。私が暖かい夕食を食べたのはいつの事だろうか?冷たいおにぎりが機械的に胃袋を満たす。全く美味しくない。今更ながら料理を一切学んでこなかった自分を恨んでみる。かつての自分はさぞかし恵まれた状況だったな、とも懐古してみた。そうこうしているうちに気が付くと手元にあったおにぎりは、ベタベタする糊だけを手のひらに残して消えていた。ゴミとなった包装紙を小さくしてビニール袋に捨てた。
もう辺りは真っ暗だった。火も勢いを失くし、森が不気味さを増していた。素早くリュックから寝袋を取り出して寝る準備を済ませる。以前、寝ている間に狸が忍び込んできたことがある(あれは中々驚いた)ため、しっかりと入り口のチャックを閉めたことを確認する。そしてさっさと寝袋に入った。時刻は七時になっていた。
(今回もこのまま見つからないのだろうか?)
誰もいないどころか生物の気配さえ消えてしまった森の中でついつい怯えてしまう。枕もとで光るランプの灯がもの悲しくテントの中を照らす。外では、木枯らしだろうか、強い風がピュウピュウ息巻いていた。この世でただ一人だけ生き残ったらこんな感じだろうな、と初めて野宿した時に思ったことを、寝袋の中で再び感じていた。
ツチノコに憑りつかれてもうすぐ五年、妻と息子が出て行ってから四年になる。子供の頃からUMA、いわゆる未確認物体が好きだった私は、五年前、三十歳になる頃、ある雑誌の記事に巡り会った。その雑誌はUMA専門として有名で、私もずっと前から愛読していた。最も、大人になってさすがにUMAのことは「胡散臭い・信じられない」と思っていた。けれどあの時、凝り固まった私の常識は見事に打ち砕かれた。
いつものごとく読み進めていた私は“ツチノコ”の特集に出会った。UMAの中でもUFOが専門だった私は、正直ツチノコについて全く興味も知識もなく、あの時も読み飛ばしてしまおうとしていた。しかしその特集の扉を飾っていたのは、思わず仰天したが、“はっきり”としたツチノコの証拠写真だった。
UFOを始めとしたUMAの証拠写真にはある共通点がある。それは例外なくぼやけていることだ。UFOを間近で撮っている物など見たことがないし、UFOの仕業とされているキャトルミューティレーションは映画の中でしか見たことがない。まあ、私に言わせてみればその“神秘性”もUMAの魅力の一つだが、同時にその存在を疑わせる主因には違いなかった。
だからこそ、この写真にはビックリした。小さめの体にヘビの頭。その特徴である体のフォルムはもちろんのこと、その体の模様さえ克明に見て取れた。私は急いで、その雑誌の専門記者である友人(長年熱狂的ファンを続けていれば、それなりに仲良くなれるものだ)に連絡してみた。すると、その男は「さすがだねぇ」と一言目に発した。
「宮川さんならあの記事に目が留まると思いましたよ。あの写真は長野に別件で行った時に偶然手に入れましてねぇ。山奥に住む爺さんが撮ったそうですが、それも偶然だったそうですよ。ちょうど20年前だそうです。ええ、畑でたまたま。畑仕事に行く時、畑の端っこで見つけたんですよ。急いで家にあったカメラで撮ったって。え?ああ、爺さんは亡くなったそうで、この話はその息子さんから。はいはい、なんで捕まえなかったのかって?あー、捕まえようとはしたらしいですけどねぇ、逃げられたって。残念ですよね~、もし捕まえたら今頃金持ちですよ、そのご家族。え?本当ですよ!ある町なんて懸賞金つけているらしいですよ。マスコミだって食いつくだろうし、一生とは言わないけどしばらくは遊んで暮らせるでしょうねぇ…」
その言葉に私は飛びついた。これで家族を養えると本気で思っていた。実はその一年前から私は仕事を辞めていた。鬱病だ。多忙で体が削られてゆく毎日に、体より先に精神が悲鳴を上げたのだ。一時は布団からも出られず、家族には多大な迷惑をかけていた。それでも妻や息子は嫌な顔一つせず励まし続けてくれた。私は今でも心の底から感謝している。どうにかしてその恩に報いたい。もっといい生活をさせてあげたい。鬱病に罹っている間、そして治まってから毎日、私はそう思っていた。はっきり言って、その特集は神様がくれたチャンスだと思った。これだけはっきりとした写真もあるのだ。何とかして捕まえなければ!
最初、妻は黙認してくれた。後で聞いたが、妻はもし私の“道楽”を禁止したら、また鬱病が再発すると考えていたそうだ。すぐに飽きて何かしら仕事に就いてくれる、とも思っていたそうらしい。だが、段々と彼女は私の“道楽”が“使命”になりつつあることに気付いた。彼女たちが妻の実家に逃げる一か月前は喧嘩の嵐だった。私は泣きつく妻を説得、時には振り払い、山へ籠りツチノコを追い続けた。今思えば愛想を尽かすのも必然だろう。山から帰ってきた私は誰もいなくなった家のテーブルにメモと妻の名前だけが書かれた離婚届を見つけた。震える妻の筆跡を見た時、この一年の努力が全て裏目に出たことを思い知らされた。
それでも私は諦めなかった。いや、諦めることができなかった。妻子を捨てる結果に追い込んだツチノコという存在を憎みすらした。なんとしても捕まえなければ!私の決意は皮肉にも家族がいた一年前より固くなっていた。それから四年。まるで素人の賭け事のようにずるずると時間を賭けてきた私に、もはや後戻りはできなかった。
あの雑誌はというと、実は昨今の不景気の煽りを受け、廃刊になってしまった。あの記者は異動となり、そのまま音信不通となった。そして遊ぶ暇さえない山籠もりとその準備の間に、人付き合いが下手な私の周りから忠告や助言してくれる数少ない友人は徐々に去って行った。妻との仲を修復することは絶望的だ。両親はすでに七年前に交通事故で死んだ。私にはもう助けるべき人も助けてくれる人もいなかった。後はツチノコだけだった。
いつの間にか八時になっていた。私は思い出に浸ることを止めてランプのスイッチを捻った。その瞬間、都会では考えられない本当の闇がスッと降りてきた。風はいつの間にか止んでいる。私が憧れた星空は手が届かないほど高く、何もないテントの中で私は逃げるように目を閉じた。
顔に感じる冷気に目が覚めた。差し込むようにテントを透けて入ってくる朝の光は、まだ点いているはずのランプの存在を霞ませていた。腕時計にはいつもの起床時間よりずいぶんと早い時刻が示されていた。だが、背中に感じる嫌な汗は私をもう眠らせてはくれなさそうだった。
懐かしい夢を見た。まだ二人が出ていく前、三歳の息子が私の膝の上で遊んでいる夢だった。窓からは私を溶かすぐらいの光が舞い込む。遊ぶ手を止めて急に振り返り、私と同じようにUMAが好きな息子は笑顔で言う。「パパ、ゼッタイにツチノコ捕まえてね!」外の光を押し返すほど眩しすぎる笑顔に私は夢の中で(ごめんな。ごめんよ)と心の中で謝りながら泣いていた。情けなく、馬鹿のように泣きじゃくる私を、息子は何も言わずキョトンとした目で見つめ続ける。そんな辛い夢だった。
出て行って以来、息子とは会っていない。私が会えるのは写真の中で動くことなく笑っている息子の姿だけだ。あの後必死になって連絡を取ることに成功した時、妻は息子に会う条件として『ツチノコ探しを止めること』を突きつけてきた。しかしもう遅かった。彼女たちが出て行って二年、ツチノコを探し出すことはもはや私の天命となっていた。それだけは飲めなかった。それを伝えたら、妻は「馬鹿ね」とつぶやいて電話を切った。それが二年前。毎年、郵便で送られてくる写真の中で幸せそうに笑う息子の姿は私から疲れや苦しみを消してくれた。ポケットからその一枚を取り出す。もうすぐ上級生となる息子の姿は私の若い頃に似ていて、それでいて(親バカのようだが)その当時の私よりずっと大人びている。そんな息子の成長を私は素直に喜んだ。
寝袋の中でじっと写真を見つめる。子供はいつも親の苦労や悩みなど知らずに笑って暮らしている。だけど、そんな日常を作り上げてやるのは親の仕事であり、親の幸せなのだ。今は辛い。とても辛い。けれど、この苦しみは子供を幸せにしてくれる。写真を見ているうちに段々と背中の汗は引いていく。私は寝袋をガバッと剥いだ。体中に冷たい空気が張り付くも、心の奥から流れ出る私の熱気にはかなわない。入り口のチャックを開け、新鮮な空気を吸い込む。森林が放つ香りに体が洗われた。
(よし、今日も頑張れる!)
拳をギュッと握り締める。かすかに聞こえる鳥の声や木々を通り抜けた木漏れ日は、そんな私を応援してくれるようにして、穏やかに私を囲んでいた。
とは言っても、頭の奥まで手詰まり感を覚える。出発の支度を終え、地図を握りしめてこう思っていた。地図にはあらゆるところに×印が記されている。これがこの五年間の成果。これだけがこの五年間の結果だ。例の老人が発見した場所から念入りに調べてゆき、最近では隣の岐阜県にまで探索範囲は及んでいた。しかしこのままでは日本全国を探険する羽目になる。そこで今回は
(やはり初心に戻るべきだろう)
と思い、この×印を最初に付けた場所、つまりあの老人が発見した付近を探索していた。だが正直自信はない。国道とも近いこの場所を歩き回る車の環境に悪そうなエンジン音が何度も聞こえるからだ。三年前にできたばかりの道路のことを否応なしに思い出させる。確実にここの自然は豊かさを失っていた。こんなところにツチノコはいるのか?そしてこんなところに、まだ誰も見つけていない場所は存在するのだろうか?
グダグダ考えてもしょうがない。ゆっくり歩き始める。“お話”によれば、ツチノコはヘビの仲間だとされている。その体長・生態は話によってまちまちだが、牙に猛毒を持っていて、地面を尺取虫のように体を屈伸させて進むことは共通しているようだ。その情報を信頼した私の手には対毒用のゴム手袋がはまっており、その手で行く先々の地面の落ち葉の山や大きな岩を裏返してゆく。さらには、木々にぶら下がっているかもしれないので、隈なく枝先を見渡す。ヘビを探すように探す。それが私の発見手段だ。
もちろん服装にも気を使っている。急な噛みつきでも耐えられるように上半身には厚手の服、下には登山用の撥水ズボンとその中にもう一枚ジーパンを穿く。そして腰にはクマ除けの鈴と共に金槌が用意してある。見つけたらこれで叩いて気絶させてやるのだ!…もっとも反射神経は良くないのでうまく叩けるかどうかは分からない。この前も釘を打つ時に親指を痛めたばかりだ。今はもっぱらテント作りに左遷している状態だ。いや、本来の仕事か?
話戻って、当然のことだが罠も仕掛けてある。一メートル四方の木製の檻で(体長は写真から判断した)、カモフラージュのため迷彩色で塗っている。中に仕掛けられた死んだネズミに引っかかり入ると扉が閉まる簡単な仕組みだ。今回も3個仕掛けた。これを調べに行き、他の動物が引っ掛かったら解放してネズミの交換をするのも私の山籠もりの日課だ。この前も比較的大きなヘビを一匹捕まえた。檻の中から私を見つめるその恨めしそうな瞳は、久しぶりに達成感を味わったものだった。
歩いていくうちに私を取り巻く空気から早朝の冷気はすっかり無くなっていた。大きな自然の段差を踏み越えるたびに後ろでガチャガチャとリュックが音を立てる。リュックの中には捕獲した時を考え、もっと頑丈な檻を用意してある。これだけあればかなりの重量だ。坂道を降りて行くようにのんびり衰えていく精神とは裏腹に、肉体の方は会社勤めをしていた自分とは比べ物にならないほど発達していた。もう一端の登山家を名乗れるだろう。
(いやいや、集中しなければ!)
と、頭の中で作られていく回顧録を切り上げ、探索に集中する。木の根元で溜まっていた落ち葉の山をかき分けていく。この時期の落ち葉は昆虫などにとって冬を越すための防寒着にもってこいだ。かき分けたこの落ち葉にも様々な主達が眠っており、招かざる客に皆驚いている様子だった。見上げる木々にはもう葉の姿はほとんどなく、ぽこぽこと木に穴が開いているのが見える。そういう木に近づくと私は持っていた金槌を振りかざし、ぶつける。大きめのノックに鳥たちが騒ぎつつ穴から飛び出てくる。空振りだ。ねぐらから追い出された鳥たちに「ごめんよ」とつぶやく。この繰り返しで時間は滔々と流れていく。早く解放されたいものだ。
同じような風景が続く道なき道を歩いていくと、暇つぶしかのように思考が勝手に働きだす。自然と頭の片隅で幸せな家族像が描かれてゆく。笑顔の妻、笑顔の息子……そして私ではない男の笑顔が徐々に浮かび上がってくる。
もうすぐ妻は再婚するらしい。今年の初めに届いた息子の写真と共に、淡々とそのことを綴ったメモ書きのようなものがまぎれていた。まだ婚約はしていないが、結婚を前提に付き合っているそうだ。私は憤慨した。出て行ったとはいえ、私のこのチャレンジは妻達を幸せにするために行っているのだ。なんだってその思いを踏みにじるような行為をするのだ!あまつさえ儀礼事項のように「結婚式に呼ぼうか?」と書かれているではないか!ふざけるな!しばらくの間、釈然としない思いを抱え続けた。何度も妻の実家に怒鳴り込もうかと思った。
その思いが自己嫌悪に変わったのは暗い冬の終わりを告げる桜が咲く頃だった。彼女は何も悪いことはしていない。悪いのは間違いなく私自身だ。アパートの窓から見える桜と通学する小学生の眩しすぎる姿を眺めながら考えてみた。私は彼女に何をしてきただろうか?仕事、鬱病、そしてツチノコ探し。これが、彼女が与えてくれた愛情に対して私がしてきた行為すべてだ。夫として、いや、人として最低だ。
(私は今何をしているのだろうか?誰のために生きてきたのだろうか?)
探険費用を稼ぐためにしているコンビニのバイト中、そのバイト仲間の一人が今度結婚すると私に自慢してきた。真夜中、客がいない店の奥で休んでいる時だった。
「絶対に彼女を幸せにしてみせます!」
先が見えないフリーターという職業、ぼさぼさの頭、無精髭。安物の缶コーヒーを握りしめたむさ苦しい身なりの若者の目は、どんな宝石よりも輝いていた。その瞳に対して私は「頑張れよ」と目線をそらしながら答えるしかなかった。私はこの思いをどこに置いてきたのだろうか?私の缶コーヒーはいつの間にか冷え切っていた。その翌日、彼女には「結婚式には呼ばなくていい」と手紙を送った。彼女は「結婚するときは教えます」と返信をくれたのは有難かった。でも彼女は行く。私の知らない遠くへ。
それでも私は奴を探すことに執着した。これ以外、私に何ができるだろうか?自己満足でもいい。もう一般的な幸せなど望みはしない。ただ、まだ“パパ”と言われている間に息子に見せてやりたい。「すごい!」と言われたい。彼の笑顔をもう一度見たい!
私は空を見上げた。高くそびえ立つ杉の先、青々とした空の向こうに黄金の太陽が輝く。私は太陽に祈る。もう時間はない。頼む!ツチノコを見つけさせてくれ!
「クソッ!ここもダメか!」
思わず悪態をついてしまう。頭がおかしくなったわけではない。仕掛けていた最後の罠が空だっただけだ。だがしかし、これで今回の調査も空振りに終わる可能性はぐんと高まった。冬間近の小さな太陽はすでに青い平面の真ん中近くに来ていた。タイムリミットはもうすぐだ。疲労感と不快感で頭に血が上る。頑丈な装備の代償として、下着は水に飛び込んだかのようにべちょべちょだった。額からも汗が噴き出す。焦りは募るばかりだ。
そんな状態でも腹は減る。本能は大抵の場合、理性に勝るのは人間の宿命かもしれないな。そんなことを考えながら私はリュックを下ろし、上下一枚ずつ脱いだ。手袋も脱ぐ。そして中から最後のおにぎり二個を取り出し、その皮を剥いてむしゃぶりつく。うまい。冷え切っているこの米の塊は、暖かいフランス料理よりもうまいかもしれない。昨夜とは何が違うのだろう?やはりこの腹の減り具合と言ったところか。『空腹は最高のスパイスだ』とはよく言ったものだな。水筒から流れ出る普通の水は私のすべてを潤し、先ほどまでの不快感を拭い去ってくれた。
これ以上は無理かな、とおにぎり片手に思ってみる。再びあの苦痛を味わうのは嫌だ。これが本音。ツチノコを追い求めた朝の情熱は汗と共に地面へと流れ出て、その空白から休息を求める声が零れていた。一個目のおにぎりの最後の一片を口に放り込む。帰るための元気がムクムクと湧き上がる。もう帰ることは決まっていた。この時、私の頭からツチノコの姿は消えていた。この時は。
傍らに置いていたもう一つのおにぎりを掴む。が、手ごたえは無い。振り返ってもその姿は見当たらなかった。
(あれ?どこいった?)
あたりを探すと、私の最後の食料はコロコロと緩やかに傾いた斜面を転がっていた。ゆっくりとした速度にもかかわらず、不思議と止まる気配は無いようだった。
(おいおい、昔話かよ)
ついついため息が漏れる。さすがにおにぎり一個では下山まで持たない。小走りで追う。しかし傾きが急になったのか、おにぎりの速度が増す。待て!むきになった私はその小物体を追い詰めた。
ところが、急におにぎりが浮き上がった。は?なんだこれ?…いや、違う。私が落ちているのだ!
「うわっ!」
おにぎりは地面から生えているように見える小枝に引っ掛かり止まったが、私はその枝を隠している落ち葉でできた地面を踏み抜いてしまった。視界が落ち葉で真っ赤に染めあがり、思考もパニックに塗りつぶされる。滑りやすい枯葉の力を得て体はどんどん勢いをつけていく。
(とまれっ!なにか、なにかないのかっ!)
必死に何かを掴もうにも手に残るのはほとんど落ち葉しかない。掴んでは投げ捨てるのが精いっぱいだ。不幸なことに木にはぶつからない。スピードはますます上がっていく。どこへ向かっていくのだろうか?!もう斜面というより崖のような場所を滑り落ちて行く。このまま地面に落ちて行ったら間違いなくお陀仏だ。
(もう、だめだ!)
その時、ちょうど進路方向に斜めに佇む大木を見つけた。しかも私のために伸びてくれたように地面に向かって一本曲がった枝があるではないか!
(しめた!)と思って手を伸ばす。すると、まるで手に吸い付くようにその枝を掴むことができた。グッと力を入れる。不幸中の幸いといえるだろう。その枝は折れることなく私に急ブレーキをかけてくれた。
ズザザザザッと音を立てて止まる私。完全に止まったことを確かめて安心する。心臓がバクバク言っている。あたりには少し霧が立ち込めて、ここからでは状況が分からない。荷物を持たない身軽な状況を生かし、枝を伝ってヒョイッとその木の側面まで上り、息と体勢を整えた。そこから改めて下の様子に目を凝らす。
「うわ…!」
やっと見えた景色に思わず絶句する。なんだ、これ?!その木の向こうには細い(といっても幅が二メートルもあるが)隙間があり、そこから見える下の空間にはロードオブザリングさながらの大渓谷が広がっていた。一体どうやってできたのだろうか?隙間からつぼ型に広がるその谷は計り知れないほど深く、その底は霧に見えなかった。その霧もまるで雲のように感じるほど高い場所にある気がした。思わず指先や足先が少し震える。怖い。私の頭には感動の文字はなく、ただただ大自然に対する畏怖の念があった。本当にここは日本だろうか?
「よっ…と!」
恐る恐る登って行く。落ちたら一巻の終わりだ。もう下にはこのような木も草さえない。そう考えるとつくづくあの枝には感謝だな。蜘蛛の糸のように思えてきた。平地だったらイスラームのように這いつくばって神に感謝するところだが、それは少し待ってもらおう。まだ危険なことには変わりはない。天国には行きたくないが、現実世界まで登らせてもらおうじゃないか。
「グッ……うしっ!」
たっぷり時間を使ってあの木の上部に位置する太めの枝に登ることに成功した。先ほどよりしっかりした手応え・足応えにふぅと安堵の息が漏れる。先は長そうだが、慎重に行けば大丈夫だろう。
改めて周りを見渡してみる。向こう側の崖から飛び出る木は、飛び渡れるのではないかと思えるほど近く、なるほど、この木々がこの大渓谷を隠していたのだろう。下に見える隙間の先はもうここからは見えない。風が通らない地形になっているのか、濃い霧もその存在を隠すガーディアンになっていた。誰にも見つからない自然の桃源郷。私にもう少しの好奇心とたっぷりの装備があれば調べてみようと思うのだが、なんて強がってみる余裕も出てきた。
(私はトムソーヤのような冒険家ではない。ただのツチノコハンターさ……あれ、ツチノコ?)
ハッと目が覚める。そして思わず苦笑い。恥ずかしながら私は“今、なぜ、ここにいるのか”を忘れていた。そうだ私はツチノコ探索に来たのだった。そしてここは“誰にも見つかっていない”かもしれない場所。(ここならば!)と、私はあたりを警戒する。この木が頑丈に根を張る地面にはこの大木に寄生するように薄く苔が生えていて、生物が隠れるような場所はない(どうしてこんな所にこれほどの大木が育ったのか?なんて疑問の答えはまさに神のみぞ知るといったところだろう)。上に目線を運ぶと、葉は無いとはいえとはいえその無尽蔵に伸びる枝は自然の神秘を感じさせるほど偉大で、妖精かコダマ住んでいても不思議ではなかった。(ここは異世界なのだ)と言われたら納得してしまいそうだった。その神聖さにもめげずに探していっても、小鳥一匹見つからなかった。
視覚で駄目なら聴覚だ。目を瞑ってじっと耳を澄ます。ひんやりとした空気を震わす音はなく、鼓膜を潰されたかと疑ってしまうほどだ。先ほどの森では聞こえていたはずの水の流れる音や葉のそよぐ音さえも。ここは異世界であり、死後の世界であるらしい。肌が恐怖でざわつく。
しかしこんなチャンスを逃すわけにはいけない!これはきっと神様がくれた奇跡なのだ!そう思ってじっと目を瞑り続ける。一層静けさに耳が痛くなりそうだ。自然と拳に力が入る。ミシッと足元の枝が唸った。その時
「……キー…」
とかすかに異質な音が聞こえた。この声は!噂通りならあの生物なのか!?
急いでその音源を探す。どうやらこの隣の木から聞こえた。急いでかつ慎重に枝を伝って隣の木へと移る。また「キー」と声が聞こえた。かなり近い!その木の幹の部分へと向かってみる。その音はより近くなったようだ。
「キー…キー…」
あせるなよ、私。ようやく、ようやく、見つけたかも知れないのだ。ここで逃したら世界一の馬鹿だろう。焦るなよ。その“生物”に見つからないように音を手繰っていく。頭の中も、関係ないのに、つい小声になる。異常に心臓の音が聞こえる。やめろ!音が聞こえなくなる!そう思えば思うほど心臓は沸騰する水のように跳ね続ける。もう恐怖心は微塵もなかった。
幹の裏側から聞こえる。そう気づいた時、胸の高鳴りは最高潮を迎えた。手が震える。深呼吸して整えようとしても駄目だ。その息もうまく吐き出せなかった。
(ああ、神様。どうか、どうか!)
恐る恐る体を傾ける。そしてゆっくりと幹の裏側を覗く。手の先までくすぐったいような緊張が走る。その裏側には大きな穴が開いていた。
「や、やった!」
思わず声が漏れる。その声に中の生物がビクッと反応した。私に神様はついていてくれたそうだ。そこには写真で見た通りの生物が二匹いた。ツチノコだ!巨大な人の姿に驚いたのか、キーキーと先ほどよりも甲高い威嚇の声を出していた。泣きそうだった。
その姿は驚くほど想像通りだった。緑と茶の斑模様の体表にヘビのような頭。赤い口に鋭い牙。その代名詞の奇妙に真ん中が膨れたボディー。可愛らしいしっぽ。その体長は30㎝にも満たないだろう。彼らはその体を潰すように曲げてグネグネ動いている。当然のことながら足はない。その住処の地面にはどうやって持ってきたのか知らないが枯草が敷き詰められ、しっかり平らに整えられていた。
私の観察の間にもその二匹は口を大きく開け、威嚇し続けていた。チロチロ見える猛毒を持っているはずの牙でさえ私には愛おしく思えてしまう。さらに二匹が動いてくれたおかげで奥が見えるようになった。そこには
「た、卵!?」
そう、白い卵があったのだ。そうか、この二匹は番いなのだ!私の興奮は余計に高まっていく。古典的だが頬をつねってみた。しっかりと痛い。痛くて涙がこぼれ出る。これがうれし涙というものだろう。
ひとまず体勢を元に戻してみた。はぁ。これはため息ではない。私の幸せが漏れ出た音だ。私は涙をぬぐって座り込んだ。頭の中を走馬灯のように五年間の歴史が蘇える。先ほどまで見るのが苦しくて仕方なかったプロローグは、もうすでに良い思い出と化していた。はぁ。また漏れ出た。魂が飛び回っているようだ。体はただただ動かず、魂の帰りを待っていた。
だが、急に魂が戻ってきた。『どうやって捕まえるのか?』籠が入ったリュックも奴らを持つためのゴム手袋さえ休憩場所に置いてきてしまった。
私は再び上を見た。今まで転げ落ちてきたことを思い出すと指先まで震えだすほど急な斜面。木がつながって生えているから登ることには問題ないと思う。けれども、また降りてくる自信はない。
ではツチノコを担いでいくのか?いやいや、それは危険だ。手袋もしていない状態ではあの牙にガブリとやられるかもしれない。たとえ毒がなくても危険だろう。暴れだしたらこちらもバランスが取れない。最悪の場合、一緒に落ちる。そして今度こそ終わってしまうだろう。
クソッ、せめてカメラがあれば!座り込んだまま頭を抱える。先ほどまでとは一転、天国から地獄に落ちた気分だ!霧がこの枝まで上がってきた。足元で「キー」とツチノコが呻いている。
安全か、栄光か、という問題でさえなかった。担いだら間違いなく失敗する。これは確信を秘めていた。2㎏はあるはずの動く物体を担いでのクライミング。こんなのプロの登山家でも無理だ。と、私の理性は淡々と答えを出す。
感情は違う答え(それはワガママに近かったが)を出していた。ここまで来てお前は引き下がるのか。お前、それでも男か。これまでの苦労を思い出してみろ。妻や息子まで捨ててたどり着いた“宝物”をみすみす見逃すのか。感情は喚き散らしていた。
まるで天使と悪魔だ。しかし私にはどちらが天使でどちらが悪魔か分からなかった。理性が言うことは正しい。でも感情の主張も正しい。私の中で正義と違う正義が戦っていた。
そんな中でもタイムリミットは迫っていた。時計は2時を示している。この斜面を登るのに1時間はかかるだろう。山歩きは体力が大事。それを生み出すのは食料だ。その食料が無いということは下山するしかない。しかしあの休憩所から人里まで出るには2時間以上必要。繰り返すようだが山の日暮れは早い。これ以上ここに留まることは経験上不可能だ。
(なんてことだ!見つかったらハッピーエンドじゃないなんて!)
ここは現実。そんなことは分かっている。ああ、この世は不条理。そんなことは分かっている。でも私は物語の主人公になりたいのだ!ヒーローになりたいのだ!
その一方でまた理性が語りかける。無理だって。こんな斜面を登るのに一人だって苦労するのに、担いで登ろうなんて自殺に近いじゃないか。だいたい担いで行くならもっと時間がかかってしまうだろ。仮に登り切れたとしても、そこは人間がいてはいけない闇の世界になっている。そこから食料なしでどうやって夜を耐えしのぐのか?感情に従って行動したら大抵失敗するのさ。
そんなことはない!今度は感情が反論する。なんでバットエンドと決めつける?幸せなエンドロールを見たいと望むのはいけないことなのか?!今までこんなに苦労してきたじゃないか!報われたっていいだろ!ご褒美を貰ったっていいだろ!見つけておいて心に閉まっておくなんてあんまりじゃないか!
もう私には何が何だか分からなかった。一段と霧が冷たく感じるようになってくる。もう時間はない。これ以上頭に体力を使わせる訳にもいかなかった。そんな中「キー」と心に響く声が聞こえた。私が捕まえるべき者の声は、まるで親のように私に諭してくれているようだった。
諦めよう。命あっての物種だ。ふぅ。これはため息。諦めのため息だ。そうさ、今回は諦めよう。とりあえず見つけられたのだ。これで満足すべきだろう。そして次に来る時に捕まえたらいいのだ(私には何故かもう二度と見つからない気がしていたが)。「さあ、今日は祝杯だ」なんてボソッとつぶやき、上へと延びる枝を掴んだ。その掴んだ感触と共に懐かしい声が体を貫いた。
「パパ。ゼッタイにツチノコ捕まえてね!」
上着を脱いでシャツ姿になった私は巣穴を覗き込んだ。二匹ともまだ巣穴に留まっていた。再び覗き込んだ顔に対して、先ほどまで鳴りやんでいた威嚇の声を同じように上げる。上着を穴に突っ込む。穴は何の抵抗もなくすっぽり通してくれた。これ以上ないくらい騒ぐツチノコ。一匹が噛みついた!が、上着の厚みで牙は指まで届かない。私は一匹の体をむんずと掴み、指先で上着に包んだ。泣きわめくツチノコ。それに混じってもう一匹のさっきと同様に甲高くも、悲しい声が聞こえた。許せよ。私はツチノコが入った塊を腕に抱えて立った。
息子の顔が心に浮かぶ。これでやっと本物の笑顔に会える。私はゆっくり登り始めた。なるべく太い枝を選んで進む。シャツ姿なのに寒さは感じなかった。口端に笑みが浮き出る。これで息子は幸せになれる。父さん、やったぞ。やったんだぞ。体中に血潮が巡る。あれほど難解そうに見えた枝渡りも驚くほどスルスルとこなしていけた。先ほどの迷いは断ち切れていた。何が安心だ。何が栄光だ。私にとって一番大事なことは“息子の幸せ”ではないか。そうさ!これは自分のためではない。息子のために命を懸けて悪いわけがない!今、私の支えとなってくれているのは神様でも仏様でもなく、自分の息子だった。
順調に登ってゆく。気が付けば、もうすぐ歩けるほどの傾斜にたどり着けそうだ。ついスピードが上がる。息が荒くなる。大丈夫、問題ない。もうすぐ息子を幸せにできる!もうすぐ「パパ、捕まえてね!」と言っていた息子に会える!次の枝を勢いよく掴んだ。
だが、掴んだとたんピタッと動きを止める。あれ?本当にそんなこと言っていたか?確かに息子は私を応援してくれた。しかし妻同様、それは最初の時だけだったような気がする。思い出せ、と自分に言い聞かせる。最後に息子にあった時、彼はなんと言っていたかを。私は考えながら掴んだ枝に体重をかける。その枝がミシッと鳴った時、私の脳裏に舞い込んだ。そうだ!最後に私を玄関で見送った時、彼は
「…パパ、早く帰って来てね…」
その瞬間、手の先の感覚が遠のく。枝が折れた。ワッとバランスを崩し、足の感覚も失った。立っていた枝から落ちたのだ。訳も分からず肩に強い衝撃を受け、目の前がぐるぐる崩壊していく。回転した体はそのまま下へ下へと転がっていく。左腕に重みを抱え込みながら右腕をバタバタと動かす。早く何かに掴まらなければ!
そんな望みもむなしく、右腕に当たるのはむき出しの土か、すぐに剥がれてしまう苔ばかり。藁より頼りない。そうこうしているうちにさっきの木が迫ってきた。もうラストだ。私は少しでもスピードを緩めようと全身を広げて地面に掴みかかる。「キー」と鳴く声。こんな状態でも左手に持つ上着は離さなかった。
「わあああああああ!!!」
あがいても無駄だった。もう私を救ってくれるものはなく、とうとう私の体は最後に跳ね上がったきり、地面と縁を切った。体中に感じる風圧。今、すべての関係から断ち切られた私を支配するのは重力だけとなった。
あの息子の言葉、私のすべてを支えてくれた言葉は正真正銘嘘だった。ウソだった。うそだった。私が作り出した妄想。幻想。理想。息子は悲しんでいた。私の探険なんて喜んでいなかった。彼はただ私と、父親と遊びたかった。一緒に居たかったのだ。それが分かるまで5年もかかってしまった。そしてそんな小さな願望さえ叶えてやれない。ごめんな。ごめんよ。
体はあの隙間へと飲み込まれていく。私はただただ空を見ていた。そのほとんどが木で隠れていたが、確かに存在している。
では、私は何が望みだったのだろうか?金か?名声か?どちらにしても私は結局誰かのためなんて考えていなかった。都合の良い理由で自分を誤魔化して自分のためだけに生きてきたのだ。ちりちりと空気が痛い。今まで“息子のため”と動いていたあの衝動はかすかに光る空に吸い上げられ、残りかすは地獄へと落ちて行く。
上着が左腕から解放され、ブワッと宙に舞った。見上げる私の目の前でその布からツチノコが飛び出した。可哀そうなことをした。このまま一緒に落ちて行くのだろう。
しかしそれは違った。驚くべきことにその太い部分をより広げ、まるでムササビのように滑空し始めた。あっという間に私と離れていくツチノコ。道連れなど真っ平御免だそうだ。
良かったと素直に、素直に思えた。私は最期にちっぽけな満足を感じて意識を放した。薄れゆく意識は最後に「キー」という音を聞いた。
強欲な私をツチノコが笑う