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北の国へ6



 息を切らせ、王の私室にたどり着いたクロフは、扉の前の衛兵に王への取り次ぎを頼む。

 扉は内側から開けられ、王の厳しい声が返ってくる。

「昨日の吟遊詩人か。入れ」

 クロフが部屋へ入ると、王は炉ばたの長椅子の上でゆったりと横たわっていた。

 王の傍らには、黒い二頭の番犬が王を守るようにクロフをにらみつけている。

「楽にするがいい」

 王は鋭い目だけを動かして、クロフに炉ばたの近くの席をすすめる。

 クロフは鹿皮の上に腰掛け、竪琴を手に取った。

「王は、今夜の宴でどのような詩をご所望でしょうか?」

 長椅子の上の王は何も答えず、品定めするようにクロフを見回している。

 炉の炎が揺らめき、重苦しい沈黙が部屋に流れる。

 クロフは重い空気に飲まれないように、赤い炎越しに王の年老いた顔を見つめていた。

「ふむ、若いが少しは骨があるようだな」

 王はクロフから目をそらし、長椅子から起きあがった。

「昨日、王妃に部屋に呼ばれたそうだな?」

 クロフは思わず顔を強張らせた。

「それで、部屋で何をしたのだ? わしに話せないことか?」

 王は深く刻まれたしわの間から、鷹のような鋭い眼光を光らせる。

 クロフは王にどう話して良いものか、考え込んだ。

 迷った末、庭での一部始終を話すことにした。

 中庭で少年兵達の訓練に混じり、そこで王妃に部屋に呼ばれたこと。

 王妃の部屋では他愛ない話をしたこと。

 クロフが火の神の生まれ変わりである話や、薬草酒を老婆が作っていたことなどは、あえて触れなかった。

 王は話を聞いている間中、ずっと黙り込み、二頭の番犬の頭をなでていた。

「わたしは、王に疑われるようなことは、何一ついたしておりません」

 王は眉間の深いしわを指で押さえ、難しい顔をしていた。

「それは、本当であろうな?」

「はい、太陽の女神様に誓って」

 クロフは拳を胸の前に当て、頭を下げる。

 王は眉間から指を放し、疑いの眼でにらみつけた。

「まあいい。今夜の宴で歌ってもらいたい詩だが」

 王はクロフに若い頃の戦場での出来事を話し始めた。

 今から二十年以上も昔のこと。

 王には幾人かの頼れる部下がいて、そして愛すべきたった一人の妻がいた。

 しかし度重なる南との戦争で、部下の多くは死に、ある者は捕虜として行方知れずになった。

 多くの犠牲を払い、南との戦争に辛くも勝利した王だったが、王宮に帰り着いた彼を待っていたのは、愛しい妻の死の知らせだった。

「わしもこんな年だ。王子も王女もいないとあっては、わしの血筋もここで絶えてしまうだろう。だがせめて、わしの生きた証だけは後世に語り継いでもらいたい。そう思うのだ」

 王は背を丸め、クロフに頭を下げた。

 王座の間ではじめて見た姿より、今の王はずっと小さく年老いて見える。

「わかりました。今夜の宴までに、すばらしい詩を作ってご覧に入れましょう」

 王は二頭の番犬の頭をなで、満足そうにうなずいた。



 夜になり、王宮の広間では人々が蜜酒を酌み交わし、笑いさざめいている。

 そんな中、クロフは広間の片隅で宴の様子をじっと眺めていた。

 宴もたけなわになり、クロフは広間の炉端にそっと進み出た。

 クロフは中央のテーブルの前にいる王を盗み見たが、酒杯をかかげ、すっかり酔いが回っている様子だった。

 クロフは炉ばたの椅子に座り、竪琴をつま弾く。

 するとその音色に気付き、広間は急に静かになった。

 彼はゆっくりと歌い出す。

「冬枯れの荒野を 風が吹き抜ける

 冷たく霧をまとった風は 

 人々の骸の上を過ぎ 

 やがて海へとたどり着く」

 クロフの静かな詩は酔いの回った人々の間をそよ風のように通り抜ける。

 ある者は酌み交わした杯を下げ、ある者は声をひそめる。

 テーブルの中央にいた王も、赤い顔でその物悲しい調べに耳を傾けた。

「野にある 霜降りたるニワトコは

 戦場に散った者達を 抱き見守る役目を持つ

 その木の枝を見て 旅人は何を想う

 暗い冬の日に 人々は何を願う」

 クロフは竪琴を弾きながら、王の方を盗み見る。

 この一日、クロフが生前の王妃の話を聞いて回ったところ、彼女はいつも王が他の女のところへ通うのを、胸を痛めていたと言う。

 王妃が亡くなってから、王はぱったりと女遊びはしなくなった。

 それから十年以上の間、妻を持つことなく亡き妻を思い、独りで過ごしていた。

 家臣達は年老いた王に子がいないのを心配し、若い女奴隷を与え、子を産ませようとした。

 女奴隷は王の寵愛を受け、ついには王妃の地位まで授かることになった。

 今の王妃のことだ。

 王妃は元々は南の貴族の出身のせいか、生来の性格のせいか、年老いた王に次々とわがままを言うようになった。

 年老いた王は、娘ほど年の離れた王妃をとても可愛がっていた。

 そのため、王妃に言われるままに、何でも望みを叶えてやった。

 王妃のわがままは留まるところを知らず、ついには政治にまで口を出すようになった。

 長年王を支えてきた家臣達が渋い顔をするのにかまわず、王と対等に意見を交わすようになった。

「身罷りしは 白銀の髪の王妃のカーティナ

 その目差しは 春の木漏れ日のように

 見る者の心に 暖かな安らぎを与え

 緑燃える木立に とまる小鳥のように

 王の側に 静かに寄り添う」

 クロフは今日一日話を聞いて回ったが、王の胸中がどのようなものか、亡き王妃への想いが今も残っているのか、計りかねた。

「黒い槍の王モドゥンは 

 灰色の二頭の馬に引かれ

 黄金の戦車で 嵐の荒野を駆ける

 押し寄せる人の波

 ぶつかる槍の穂先

 戦場は血の海となり

 丘の下には赤い川が流れる」

 クロフは詠いながら、ふとディリーアのことを思い出した。

 ディリーアも王妃と同じように、戦争の捕虜として異国へ連れてこられた身だった。

 王妃は戦争の戦利品として、南の国からこの北の都へやってきた。

 そのまま南の国に留まっていれば、どんなにか輝かしい未来が待っていたに違いない。

 王妃は女奴隷として使われる日々に何を思ったのだろう。

 父と子ほども年の離れた王に嫁がされて、何を考えたのだろう。

 年若い王妃の姿が、床に伏せるディリーアの姿と重なって、クロフの胸は鈍く痛んだ。

 クロフは竪琴の物悲しい調べに合わせて、戦いでの王の勝利、都への帰還、北の人々の喜びを歌い上げ、最後に王妃の死を知った王の憤りでその詩を締めくくった。

「月の神シンドゥ

 夜空に優しげな光をたたえながら

 何故美しい王妃を

 暗い地下へと連れ去った

 その清らかな青い鎌で

 小さな草花を刈り取るように

 その鎌を持って

 白銀の王妃の命を刈り取るのか

 彼女の横顔を

 明るい朝の光が照らし

 白い頬は薔薇色に染まる

 王は嘆き悲しみ

 在りし頃を思い返しても

 王妃の命が返ってくることはない

 長い冬が過ぎ去り

 暖かな春の日差しが花々を照らそうとも

 王の心の氷を溶かすことは出来ない

 森の木々が芽吹き

 湖の魚が泳ぐ頃になっても

 ただあの人の姿だけが見えない

 森の奥深く

 谷川に分け入り

 風吹きすさぶ古城を巡り

 荒野を馬でどんなに探そうとも

 あの人はどこにもいない

 どこにもいない」

クロフは最後の旋律を歌い終え、竪琴の弦から静かに指を放した。


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