北の国へ4
王妃の部屋は螺旋階段を上りきった、四階の隅にあった。
部屋に足を踏み入れた瞬間、クロフは鼻を押さえた。
薬草や花の蜜、あらゆる匂いが混じり合い、鼻が曲がりそうになったのだ。
部屋の中は薄暗く、炉には大きな釜がかけてあり、赤い炎が暗い部屋を照らしている。
部屋の片隅では、ディリーアの治療をしてくれた老婆が、石を使って薬草を粉にしていた。
「いい香りでしょう? ばあやに王が飲む特別な蜜酒を作ってもらっているところなの」
クロフは鼻を押さえたまま、部屋の入り口で立ち尽くしている。
「どうして、このような場所で?」
クロフが何気なく尋ねると、王妃の目がわずかに険しくなった。
「だって、王が飲んでいるのに、わたしが飲めないのは不公平でしょう? だからばあやに頼んで、特別に作ってもらっているの」
王妃は少女のような無邪気な微笑みを浮かべる。
「でも、これは城の者には内緒よ」
口元に指を当て、王妃は片目を閉じた。
クロフはさらに奥の、炉の炎が燃える暗い部屋へと足を踏み入れた。
炉ばたの前にある椅子を王妃に勧められ、クロフはそこへ腰を下ろす。
炉の釜の中からは、同じような甘ったるい匂いと熱い湯気が立ち上ってくる。
クロフは肩に下げていた竪琴を下ろし、指でつま弾いた。
「王妃はどのような詩をご所望でしょうか?」
クロフは竪琴に目をやり、王妃の方を見ないで尋ねる。
「どうせならばさっきの話した、火の神クルススが地下の神々に戦いを挑む話がいいわ」
クロフは手を止め、ゆっくりと顔を上げる。
黙り込んだまま、赤金色の瞳で王妃を見据える。
王妃は声を立てて笑う。
「神殿に、知り合いがいるの。彼にちょっとね。南の神殿に珍しい子供がいると聞いたの。何でもその子は火の神の生まれ変わりだとか。太陽の女神の神託では、何でも彼が世界を救うそうよ。すごいわね」
王妃はじろじろと物珍しそうにクロフを眺め回す。
「そう、ちょうどあなたのような赤い髪と瞳を持つ少年だそうよ」
「人違いです」
クロフは視線をそらす。
王妃は椅子から立ち上がり、クロフのそばの敷物に腰を下ろす。
クロフは出来るだけ王妃の目を見ないように、炉の中で燃える炎を見つめた。
王妃は白い手を口元に当てる。
「ねえ、あなたの妹、ひどい熱でうなされているんですって?」
クロフの肩がわずかに震える。
「でも、妹と言うわりには、髪も瞳も顔立ちも、全く似ていないように見えるけれど、これはどういうことかしらね?」
「何が言いたいんです?」
クロフは押し殺した声でつぶやく。
王妃は絨毯の上から立ち上がり、両手を広げる。
「あなたの力を借りたいのよ。そう、ほんの少しでいいの。ほんの少し、あなたがこの国のために力を貸してくれるだけでいいの」
王妃は婉然と微笑み、口元に手を当てる。
それは何者をも心とろかすような魅惑的な笑みだった。
「協力してくれるでしょう?」
クロフは視線をそらし、部屋の片隅の暗がりを見つめる。
「少し、考えさせてください」
そう答えるだけで精一杯だった。