北の国へ3
ディリーアの寝かされている部屋に戻ったクロフは、寝台の枕元に老婆がかがみ込んでいるのに気が付いた。
老婆はクロフを振り返り、歯の抜けた口で笑う。
「若いの、まあそんな心配そうな顔をするな。ここにはいい薬草もあるで。何よりわしの腕がいいからな。きっとこの娘も助かるわい」
老婆はディリーアの額に枯れ木のような手のひらを当てる。
「この熱は背中に受けた傷のせいだな。背中の傷から悪いものが入り、そこが膿んでおるのだ」
老婆はディリーアの体の向きを変え、傷に巻かれた布を解きながらつぶやく。
「若いの、いつまでそこに突っ立っておるつもりだ? 手当を手伝うつもりが無いのなら、目障りじゃ。さっさと出て行きなされ」
クロフは老婆に追い出されるように、部屋を出て行った。
クロフは廊下の壁にもたれかかり、長いため息をついた。
ディリーアの容態が心配だったが、老婆に任せた以上、クロフの手伝えることは何もなかった。
それよりも王に申しつけられた詩を作るためにも、その題材を探さなければならなかった。
「あまり詩を作ることは、得意じゃないんだけど」
クロフはため息一つ、廊下を歩いていく。
廊下をしばらく行くと、空の見える大きな中庭に出た。
中庭の所々に木々の若葉が芽吹き、草地には白い花が咲いている。
中央には大きな石が置かれ、その傍らからはこんこんと清水がわき出している。
その周りでは兵士見習いの少年達が、盾や槍を持ってぶつかり合っていた。
クロフはぼんやりと庭の様子や、少年達の動きを眺めていた。
金属のぶつかり合う音、少年達のかけ声が青い空に大きく響く。
少年達の様子をもう少し近くで見ようと、クロフは中庭の中央へと歩いていった。
クロフに気が付いた少年達は、槍を持っていた手を休め、一斉に注目する。
クロフは慌てて言いつくろう。
「すみません。邪魔するつもりはなかったんです。ただ、訓練の様子をもう少し近くで見せてもらおうと思って」
少年達の中で、一番背の高い年上の少年が進み出る。
「かまいませんよ。戦場の騎士の武勇を詠う吟遊詩人のあなたの目にとまるなど、光栄なことです。良かったらもっと近くでどうです? あなたがかまわないのでしたら、一緒に訓練に参加してみませんか?」
盾や槍を手渡され、クロフは戸惑った。
しかし少年達の申し出を無下に断るわけにもいかず、クロフは渡された槍や盾を手に考え込んだ。
クロフは神殿で一通り剣や盾の扱い方は教わっていたが、実践したことは一度も無かった。
手渡された槍はクロフの背丈をゆうに超える長さがあったが、不思議と重さは感じなかった。
それどころか、初めてとは思えないほどよく手になじんだ。
感触を確かめるために、クロフは槍を二度三度振ってみる。
それを見ていた少年の一人が、年上の少年に願い出た。
「槍の扱い方を知るには、実際に使ってみた方が早いんじゃないですか? 何ならぼくが教えて上げてもいいですけど。吟遊詩人さんはどうです?」
「あ、あぁ。よろしく」
好奇な目で見つめられ、クロフは小さくうなずいた。
クロフは少年達の見ている中、広場の中央に進み出る。
対する少年がクロフの向かいに進み出て、槍を突き合わせた。
「太陽の女神ラナンよ。我らに正しき道を示したまえ。公平な戦いでの勝利を約束したまえ」
突き合わせた槍を放し、お互い後ろに下がる。
少年はクロフの動きを伺うように、じっと盾を構えている。
「やっちまえ」
「負けるなよ、ルーン」
ちゃかすような少年達の声が周りから投げかけられる。
クロフは少年の動きに目を配りながら、間合いを取る。
最初に動いたのは少年の方だった。
体を半歩横にずらし、クロフの胸元目がけて槍の一撃を放った。
クロフはかろうじてそれを弾き、受け流す。
続けて少年の槍が三度ひらめく。
クロフはそれらを盾で弾きながら、徐々に後ろに下がっていった。
不意に少年が後ろに飛び退き、つまらなさそうに口をとがらせる。
「お兄さん、少しは真面目にやってよ。北の王国中を探したって、そんな臆病な人はいないよ?」
少年達の間からどっと笑いが漏れる。
「それとも、ぼくと戦うのが怖いの? それだったら、最初から槍なんて持たなければいいのに」
「それじゃあ……」
クロフは槍を握り直し、盾を下げる。
クロフの赤金色の瞳に赤い炎が燃え上がり、獰猛な獣のように狂気が宿った。
クロフは身を低くし、槍を構えた。
初めて戦いの意志を示したクロフに、少年は目を細める。
「やっと本気になってくれたみたいだね。そうじゃないと面白くないよ」
少年は盾を構える。
クロフは地面を踏みしめ、風にも勝る速さで強烈な一撃を繰り出した。
その槍の穂先からは白い炎が吹き出し、その手元が陽炎のように揺らいで見える。
クロフの槍の先は少年の盾の中央に突き刺さり、そこから煙を立ち上らせる。
槍先は盾の金属さえ溶かし、赤く燃えさかった炎をまとい、少年の胸元をかすめた。
少年はとっさに盾を捨てて、後ろに倒れ込んだ。
周りで見ていた少年達は瞬きさえ忘れて、その光景を眺めていた。
クロフは槍の先を盾から引き抜き、炎をまとわせたまま横に振り払った。
少年達は一様に黙り込み、物音一つ立てずに黙り込んでいる。
「遠い神話の時代、火の神クルススはその燃えさかる炎の槍で、天上の神々に逆らった地下の神々を退けたと伝え聞きます」
不意にかけられた女の声に、クロフは振り返った。
中庭の泉の側にたたずむように、年若い王妃は婉然と微笑んでいた。
「あなたも吟遊詩人なら、この神話はわたしより詳しいでしょう?」
王妃はゆったりとした衣を風になびかせ、クロフの前に進み出た。
「お強い吟遊詩人さん。わたしの部屋でその神話を語ってくださらないかしら?」