北の国へ
四章北の国へ
クロフは走っていた馬の足を緩め、明るくなった草地の丘を見渡す。
辺りは白い朝の光に溢れ、川に立ち上る朝霧が金色に輝いている。
クロフはまだ暗い西の空を見て、馬の首を軽く叩く。
「行こう」
クロフは気を失っているディリーアを支えながら、慎重に馬を走らせた。
太陽が空に地上を照らす頃には、クロフは小さな村にたどり着いた。
クロフはその村で宿を借り、歩き疲れた馬を休ませる。
ディリーアの看病を村の薬師に任せ、クロフは宿の外に出た。
馬は宿の壁に取り付けてある鉄輪につながれ、村の少年に桶から水を飲ませてもらっていた。
少年はクロフに気が付くと、馬の首をなでながら歯を見せて笑う。
「これ、お兄さんの馬? いい馬だね。おれもいつか自分の馬を持つのが夢なんだ」
「そう言ってもらえると、その馬も喜ぶよ」
クロフは少年に礼を言って、入れ替わるように馬に話しかける。
「調子はどうだい? 昨夜は夜通し走らせて、かなり無理をさせてしまったけれど」
馬はたてがみを振り、高くいななく。
「かまいません。一度はあの森で失いかけた命です。あなたのような主人になら、喜んでこの命、預けましょう」
栗毛の馬はうれしそうに鼻面をクロフの肩にすり寄せる。
後ろで馬の飼い葉を運んでいた少年は、そのやり取りを見て目を丸くする。
急ぎ足でクロフの側に駆けてきて、興奮したように声を張り上げる。
「すげぇ、すげぇ。お兄さん、本当に馬と話してるみたいだったぜ。もしかして、お兄さん実は偉い神官様? それで馬と話が出来るとか?」
クロフは困ったように苦笑いを浮かべる。
「すげぇなあ。おれもいつか馬と話せるようになりてぇ!」
少年はなおも叫んでいたが、村の男に呼ばれどこかへ行ってしまった。
「動物の声が聞こえる神官も、この頃めっきり少なくなったと聞くから、きっと珍しいんだろう」
「人間にもいろんな人がいますからねえ」
馬が相槌を返す。
クロフは少年の運んできた飼い葉を馬に与え、その隣に腰を下ろす。
宿でもらった布袋から大麦のパンを取り出し、半分に切った。
「ところで、君はどうして城壁の外にいたんだ? もとはヒーネが君の主人だったんじゃないのか?」
クロフは大麦のパンを小さくちぎり、口に運びながら尋ねる。
「ええ、そうです。以前にお会いしたときは、あなたは沼地で畑を耕していましたね。わたしがあの貴族の馬として、再びあの森を訪れた時のことでした」
馬は飼い葉桶から顔を上げ、口を動かしながら答える。
「あの貴族には、反省すると言うことは無いのでしょうか? あの貴族はあろうことか、部下の兵士共々、森へ馬で突っ込んだのです。馬で走り続ければ、泥に足を取られないとでも思ったんでしょうか? 馬鹿ですね」
馬は鼻息を荒くする。
「結果は、想像が付くでしょう? 結局、わたし達は泥に足を取られ、彼らはわたし達を見捨てて、森の奥へと入っていきました」
「それでどうしたんだ?」
鼻息を荒くする馬を横目に、クロフが先を促す。
「そのまま泥に沈んだままだったのなら、君がここにいるのはおかしい。誰かに助けてもらったのだろう?」
馬はいらだたしげに片足を上げ、地面の土を掘る。
「ええ。そのままでいたら、わたし達は命を落としていたでしょう。わたし達が泥の中に沈もうとしていた時、森の奥から鉄砲水が流れてきたんです」
クロフはパンをちぎっていた手を止め、馬を振り仰いだ。
「わたし達は水に押し流され、運良く泥から助かることが出来ました。その後、わたしは仲間達と共に草原で気ままに暮らし、今に至るのです」
話し終えると、馬は飼い葉桶に鼻を入れ、再び食べ始めた。
クロフは澄み渡った春の空を見上げ、赤い髪を風にそよがせた。
「ほんとうに、運が良かったんだね」
クロフは太陽の光に目を細め、口元に笑みを浮かべた。