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僕の都市伝説的先輩

作者: 閂 九郎

「はあ。やっと終わった」

 塾の正面玄関を通り抜けながら、今井時子は溜まった疲れを吐き出した。手にした携帯電話の画面に映るのはワンゼグ放送のオカルト番組。

「……それでは真冬の心霊スペシャル、次の恐怖のお話。この世にはあなたとそっくりな顔の人間が三人居るのをご存知ですか? ……」

 聞く者に胡散臭さを感じさせるナレーションと共に、そっくりな顔をした男二人が雑踏の中で対峙する映像が流れる。

 番組を見ているうちに、いつの間にか池袋駅近くの繁華街までたどり着いていた。塾の近くは静かだったが、深夜だというのにこの辺りは人で溢れていて、彼女はそのギャップに軽い酔いを感じた。

 小さい頃から今井時子は人混みが苦手だった。歩きにくいのも理由の一つだが、それ以上に大勢の中に自分が埋もれて、消えてしまうような感覚が苦手だったのだ。

 ――こうしてすれ違う人達みんな、私と同じように生きてるんだろうな。

 学校へ行き、塾へ行き、部活に出て、友達と遊び、家族とテレビを見る。そんな自分にとっての当たり前な毎日は、見知らぬ誰かにとっても当たり前。自分が特別な存在でありたいと思うようなタイプでもないが、彼女は人混みの中に居ると、自分がいつでも交換が利く消耗品であるような錯覚に囚われるのだった。

 疲れているのか、今日は一段とその感覚が強かった。塾でも集中することができず、隠れて携帯でテレビを見ながら、二時間半の講義をやり過ごしていた。

「……もしドッペルゲンガーと呼ばれるその存在とあなたが出会ってしまったら、あなたの寿命はあと少しかもしれません。その例を一つご紹介しましょう……」

 番組は相変わらず眉唾物の心霊現象についてのVTR。彼女は特別オカルトが好きなわけではなかったが、他に目ぼしい番組も無かったので仕方なく、帰路の寂しさを紛らわす為に画面を見ながら駅へと歩みを進めた。


 その時だ。彼女の視界の端が、見慣れた人物の姿を捉えた。

「……お父さん?」

 交差点を渡った反対側、人で溢れた駅の出入り口から時子の父である今井正が現れたのだ。くたびれたスーツと薄い色のネクタイ、勤勉さの象徴のような眼鏡見間違えようがない。

 信号が赤でいる間の一分弱、駅前の大きな交差点を挟んで彼女は父親の姿を見つめていた。考えてみれば何も不思議なことではない。正は家電メーカーの営業マンであり、単に仕事でたまたま池袋に来ただけだろう。忙しい部署のようだし、十二時近い深夜まで働くことも珍しくないのかもしれない。

 そして信号が青に変わる。両側から染み出すように人の群れが車道を渡り始める。彼女も彼女の父親も、周囲に溶け込むようにして歩き出し、近づいていく。どうやら正の方は時子に気づいていないらしく、一度も彼女と目が合わないまますれ違い、やがて見えなくなった。

「声、かけた方が良かったかな?」

 すぐ隣を通ったというのに自分の娘に気付かないなんて、私以上に疲れてるんだろうな、などと考えながら定期券を取り出し改札を通る。するとホームへ下りる階段の途中でオカルト番組の画面が切り替わった。家から電話の着信だ。

「もしもし、お母さん?」

 時子の家は父と母と彼女の三人構成、典型的な核家族だ。父親はさっき池袋に居たのだから、ここから電車で三十分程の新築した自宅に居るのは母親だけのはずだ。――が、

「時子か。父さんだ。気をつけて帰ってくるんだぞ」

 それだけ言って電話が切れた。

 家に居ないはずの正の声が聞こえてきた。聞き間違いのしようが無い位にはっきりと。

 まず思考が止まり、続けて足も止まる。混雑した駅の階段の途中で立ち止まる女子高生を、怪訝な顔で行き交う人々は見ていた。

「え?」

 無意識の内に声が漏れる。まだ彼女の足は動かない。

 一体どういうことだろうか? 時子は確かについ一分前にここ池袋で正の姿を見た。しかし今、正は離れた自宅に居る。

 まるで――まるで正が二人存在しているような……。

 ――この世にはあなたとそっくりな顔の人間が三人居るのをご存知ですか? ――頭の中でぐるぐると先程の番組のナレーションが響く。

「……ドッペルゲンガー」

 そう呟きながら時子は階段の上を振り返った。存在するはずの無い父親の姿を捜すように。

 そこにはただ、どこにでも居る人々が溢れているだけなのに。


          ◆


「岡山春人、居る?」

 昼休み、教室でのんびり昼寝していた僕は突然現れた進藤先輩に呼び出された。今月に入ってから何度目になるだろうか? 教室の面々はまた変人が来たと苦笑いし、僕は言われるままに先輩に付いて行く。

「今度は何があったんですか?」

 一瞬、「今度は何に首突っ込んだんですか?」と言いかけたが、きっと怒らせるだろうと思ってやめておいた。

 先輩は僕の質問に耳を傾けず、いつもの呼び出し場所となっている学食へ向かって行く。一人の時なら近道が使えるのだが、先輩と一緒なので仕方なく長い廊下を歩いて外階段を下る。

 進藤先輩は三年生。うちの学校の新聞部の女部長だ。成績優秀な上にそこそこの美人という事で有名だが、それ以上に有名なのは……。

「今井さん! ドッペルゲンガーの話聞かせなさい!」

 無類のオカルト好きとしてである。

 学食に着くなり、先輩は待たせていたのであろう背の低い女子の前に座って命令した。その女子は身を乗り出して顔を近づける先輩に引き気味になりながら、震えた声で返事をした。

「え……でも、今になると私の勘違いのような気がして」

「いいから詳しく話して」

 既に後輩に買わせておいたのであろう、二人分のカレーライスの一つを引き寄せ、頬張りながら再び命令する先輩。

 オカルトや都市伝説が絡むと先輩の口調は有無を言わせぬ物になる。もっとも、普段からあまり丁寧な人ではないけれど。

 新聞部としての情報網があるのか、よく先輩は胡散臭い噂話をキャッチしてくる。それだけなら良いのだが、大抵こうして僕も半ば強制的に巻き込まれる。これまでにした反論は全て「どうせ暇でしょ」の一言で一蹴された。

 しばらく押し問答が続いたが、今井と呼ばれた女子が折れて話し始めた。自宅に居るはずの父親を遠く離れた街で見た、というよくある怪しげな都市伝説に過ぎない。先輩も今井さんも傍に居る僕には目もくれない。

「実際に帰ったらお父さんは家にいらっしゃったの?」先輩が尋ねる。

「いえ、ビールが切れたから買いに行ってた、って私が帰ってから三十分くらい後に帰ってきました」

「ふん、なるほど」

 名探偵でも気取るように先輩が顎に指を当てる。これはお得意の薀蓄が始まるぞ、と思ったら案の定得意げに話し出した。


「ドッペルゲンガーはドイツ語で『二重の歩く者』という意味なの」

 いい加減この手の話にはうんざりしていたので席を外そうと思ったが、じっとりした目で先輩に睨まれたので仕方なくその場に残る。

「誰かとそっくりな分身は昔から世界中で死や不吉な物の象徴とされてきたわ。もちろんこの日本でも。離魂病、生き霊の呼び名で江戸時代から文献が残ってるの。その正体は人の姿を真似る妖怪だとか、地球人に成りすました宇宙人だとか、諸説あるんだけど……」

「要するにデタラメですね」

 思わず口を挟むと、今度は先輩はすごい剣幕でこちらに顔を向ける。僕はこんな下らない話で青筋を立てる女子高生を初めて見た。向かいの席の今井さんは、不思議そうな顔で首をかしげながら先輩を見ている。

「……まあ良いわ。ドッペルゲンガーの都市伝説の中でも有名なのは『自分のドッペルゲンガーと出会うと死ぬ』というアレね。今井さんも聞いたことあるでしょ?」

 矛先が自分に戻ってきて慌てる今井さん。ガクガクと首振り人形のように頷いている。

「はい。でも私が見たのは私のじゃなくて……」

「そうね。お父さんのドッペルゲンガーなのよね」

 再び迷探偵、じゃなくて名探偵ポーズをとる先輩。本人としては格好良く決めたつもりなのだろうけれど、カレーやラーメンの匂いが立ち込める学食でやられても間抜けなだけだ。

「自分のドッペルゲンガーと会った者は死ぬ、か」

 自分の言葉を反芻する先輩。

「父親のドッペルゲンガーを見た場合はどうなるのかしらね?」

 うふ、とわざとらしい笑い声を上げて先輩は立ち上がった。その不気味な迫力に今井さんは椅子ごと身を引く。

 いつも通り、先輩のスイッチが入ってしまったようだ。今回はどこまで調べる気だろうか。

「ありがとう今井さん。また何か聞きたくなったら連絡するから」

 そう言い残して来た時と同じように颯爽と学食を後にする先輩。目で命令されたので俺も一緒に。

 この台詞は進藤先輩のお得意のもの。大抵これを言った相手に「また何か聞きたくなる」ことは無い。先輩は情報を搾り出した相手に興味はないし、本音を言えば人間自体にもあまり興味は無いのだろう。

 彼女が興味を持つのは一つだけだ。それ以外の事は目に入らないし、耳にも入らない。無愛想な事で有名な先輩だが、意図的に無視しているわけではないのだ。

 背後で今井さんの声がする。

「あの……進藤先輩! お昼代私が払ったんですけど!」

 もしかしたら意図的に無視していることもあるのかもしれない。


          ◆


 都市伝説について調べる時の先輩は実によく働く。普段の部活や学校での様子を見ていると、ほとんどの場合あくびを噛み殺しながら退屈そうに過ごしているのに、この時ばかりは目を輝かせて調べまくる。

 彼女はまず放課後の情報室に入り浸り中世からここ数年に至るまでの、ありとあらゆるドッペルゲンガー目撃例を調べた。

 僕に言わせれば全部デタラメなのがバレバレだ。酷い例を挙げれば、体験者が人気の無い場所でドッペルゲンガーと出会って一分後に死んだ、なんていうのもある。本人が誰かに話す間も無く死んだのに、一体誰が記録したのだろう?

 そんな体験談も先輩にとっては妄想を膨らませる格好の材料らしく、見つけるたびにうっとりと豊かな感情を込めて音読してみせる。三日目にもなると流石に僕もリアクションが尽きて、感想を求める先輩を無視する事に決めた。

 正直な事を言うと、僕はもう今井さんの話の途中で彼女が見たというドッペルゲンガーの正体に気付いていたのだ。だから、もしかしたら僕の先輩を見る目には、哀れみの色があったかもしれない。


          ◆


 落ち込んだ様子の先輩が僕の所に来たのはちょうど一週間が経った頃だった。

「……岡山春人君、居る?」

 明らかにいつもと調子が違う。がっかりしたと言うか、退屈したと言うか、塩を振られた青菜のように背筋まで曲がっている。

 先輩が首を突っ込むオカルト話は学食でするのが定番になっているので、言われなくても僕は先輩に付いて学食へ。先輩のおごりで缶ジュースを二本、自販機で買って席に座る。先輩はすぐに重い口調で僕に告げた。

「例の今井さんの話、ドッペルゲンガーでも何でもないって気付いちゃった」

「あ、そうですか」

 知ってました、なんて言おうものなら何を言い返されるか分からないので、素直に驚いた振りをする。が、してから自分は演技派じゃないと痛感した。

「何よ。まるで知ってたみたいな言い方ね」

「ははは、ご冗談を。で、ドッペルじゃなきゃ何なんです?」

 僕がドッペルと言葉を略したのが気に入らない様子だったが、先輩は大きく溜め息をついてから話し始める。

「子供騙しのトリックよ。今井さんのお父さんと共犯者が、彼女を誤魔化す為に即興でやったトリック」

 こんなもので誰が騙されるのかしら、と呟く彼女は一週間前自分が見事に騙されていた事なんて忘れているのだろう。たまにこの人の頭の構造が羨ましくなる。

「彼女が見たのは本物のお父さんだったのよ。彼女に見られた事に気付いたお父さんは、池袋に居ながら自宅の電話で話したの」

「どうやって?」

「ポイントは共犯者――今井さんのお母さんよ」

 どうやら先輩は共犯者という言い回しが気に入ったらしい。

「まず、お父さんが池袋から携帯でお母さんの携帯にかける。通話状態にしたままお母さんが自宅の電話を今井さんにかけて、受話器に携帯のスピーカーを当てればトリック完成。どこに居たって自宅の電話に出られるわ。すぐに切ったのは声の遠さとかから疑われるのを防ぐ為でしょうね」

 知っていたが、改めて他人から聞かされると本当に下らない。しかし単純だからこそ、当事者は案外気付かないのかもしれない。現に今井さんは完全に騙されていた。ついでに当事者じゃない先輩も騙されていた。

 しかし、ここで一つ問題がある。

「でも、どうしてそんな事までして、今井さんのお父さんは自宅に居る事にしたかったんでしょうか?」

 つまりは動機だ。それだけがいくら考えても分からなかった。

 僕が聞くと先輩は今日見た中で一番苦々しげな顔をした。

「借金だってさ。新築の家を無理して買ったとかで、池袋界隈の怪しげな金融会社からお金借りてて、返済が滞ったから呼び出されたんですって」

 しかし、どうして先輩が知っているのか?

「今井さん家の電話番号調べてお母さんに確認したの。お父さんは今井さんに心配をかけたくないが為に、猿芝居をしたってわけ」

 なるほど。いかにも先輩が嫌いそうな単純で俗っぽい理由。

 先輩は人間的なことが嫌いだ。金、名誉、恋愛といった人間的な要素がまとめて嫌いだ。

 先輩にとってオカルトはそんな人間的な物で溢れた日常に亀裂を入れてくれる物なんだんだ、多分。自分の見つけたオカルトの裏にあったのがこんな人間的な事情だったからこそ、こんなに不機嫌なんだろう。

「でも、今井さん本人は仕事だと思ってまったく不思議に思わなかったんですよね」

「そう。あの電話をしなければ誰にも知られることは無かった。居るのよね、余計な事して事態を悪化させる人って」

「確かに約一名、そんな人間が俺の目の前でジュースを飲んでいます」

「何か言った?」

 別に、とお茶を濁す。僕の目の前に手付かずで置かれているのはジュースだけど。

 多分、先輩は真実を今井さんに話すことはしないだろう。前にも言った通り人間には無関心な先輩だ。これ以上この件を引っ掻き回すことはしないだろう。基本的に悪い人では無いのだから。

 先輩がオカルトに首を突っ込むのは単に自分が好きだから。ましてやこの件はもうオカルトですらない。折角掴んだネタが空振りだった為か、先輩は頬杖をついて不機嫌そう。どうせ数日もすれば新しいネタを掴んで来るのだろうけれど。

「そのジュース、くれる?」

 未だに手付かずの僕の分のジュースを指して先輩が聞いた。答えは分かっているだろうに。

「ええ、どうせ僕には必要ないですから」

 僕はわざと掴むように缶に手を伸ばし――自分の手が缶をすり抜ける様子を見せてみた。

 そう、僕にはジュースは必要ない。ついでに言えば先輩よりも年上だし、この学校の生徒だったのは何年も昔の話だ。享年はもう先輩に追い抜かれてしまったが。

 先輩が僕に付きまとうのも、僕と先輩が話しているのを周りの学生が不思議そうに見ているのも、全部このせいだ。

 僕のことが見える先輩が入学してくるまではずっと、僕は普段の居場所にしている、昔は自分のクラスだった教室で一人で居た。その教室で先輩が僕を見つけ、僕が彼女の大好きな存在であることに気付くまでは。

「ねえ先輩、昔から気になってたんですけど」

 良い機会なので聞いてみることにした。

「どうして先輩は僕を呼びに来る時わざわざクラス中に聞こえるようにするんですか? アレのせいで先輩は影で変人って馬鹿にされてるんですよ」

「どうして、ってねえ……」

 例の名探偵ポーズで考え込む先輩。そしてにっこり微笑んで見せながら、答える。その笑顔がなんとなく眩しい。

「寂しそうだから、かな。あの教室に居る時、岡山はいつもクラスに混ざりたそうな顔してる。だからね、なるべく岡山の事は人間と同じように扱う事にしてるんだ。このジュースもそう」

 そう言って美味しそうに僕の分のジュースを飲み干してみせる。そう言えば二人で話すときはいつも自分と同じ飲み物を買ってくれていた気がする。

 本当に悪い人ではないんだ、進藤先輩って人は。

駄文読んで頂きありがとうございました。

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