第39話 土着の神ムルング
人間より強い力を有する土着の神がいて、多くの部族が崇拝している。大地や、サハラが砂漠になるはるか前から続いている森、水、それに雨や嵐までもが神なのだ。また死者の霊、特に正しく埋葬されなかった者の幽霊は、藪のなかに住み、不用意な旅人たちを悩ますという。
「アル、ムルングは生贄を要求しているようだけど、本当に神なの。土着の神と言っているけど、実は霊媒師か何かなのでは?」
「そうです。霊媒師であり呪術師でもあります」
「王である貴方でも口出し出来ない存在なの?」
「…………」
「なるほどね」
ここはアル王国の片田舎で、ある少女が森の近くで友達と遊んでいた時、美しい不思議な小箱を見つけたが、開けてみても中には何もない。彼女は一旦それを巨木の祠の前に置いて遊びを続けた。
少女は、帰る頃には箱のことなどすっかり忘れてしまっていたが、もう少しで家に着くというところで思い出す。
「そうだわ、あの箱を取ってこなくっちゃ」
友達とももう別れていた彼女は、猛獣が藪の下で眼を光らす夜になり、一人、箱を置いた祠の前まで戻って行った。 次第に深くなる闇が怖かった少女は、少しでも恐怖を紛らわせるため歌を歌い始めた。
行こう行こう どこまでも行こう
どこにつづくの この道
行こう行こう どこまでも行こう
青空へ のぼろうよ
誰かが呼んでる
どこかで呼んでる
呼んでるよ
祠の前には、明るい時にはいなかった巨樹の精霊がいた。精霊は首をかしげて、彼女の歌声を聞き、「何て可愛い声なんだろう」と、うっとりし、その歌声の主を独り占めする事を思い立った。
「あら、変ねえ」
少女は祠の所までやって来たが、前に置いてあったはずの箱が見当たらない。
「娘さん、何を探しているのです」
「えっ!」
突然話しかけられ、うろたえる少女、
「怖がらなくてもいいのよ」
「…………」
「箱を探しているのでしょ」
「…………」
「あれは私の箱なの」
「あっ、ごめんなさい、私――」
精霊は穏やかな口調で語り掛けている。
「でも気に入ったのなら貴女にあげるわ」
「…………」
「箱は祠の中に有るから、私と一緒にいらっしゃい、……さあ先に入って」
一人祠に入った少女はふと不安になり、外に出ようとするが、何故か水の中にでもいるように足が進まない。こうして少女は祠に閉じ込められてしまったのである。
「フフフ、これでいつでもまたあの歌声を聴くことが出来る」
精霊は美味しい食事と引換えに「おまえの歌声を聞かせておくれ」と言って少女を放そうとはしなかった。食事は樹液であったのだが、それでも少女にはとても珍しく美味しい食事に思えた。
精霊はよき音楽を愛でた。よき音楽とは少女の歌声である。精霊が調子を取って手を叩くと、次第に落ち着いてきた少女は祠の中で歌う。こうして月日が流れた。
だが少女の両親は日々嘆き悲しんでいた。可愛い娘が消えてしまったのである。てっきり夜道を歩き、悪霊に取りつかれてしまったか、さらわれてしまったに違いないと、村の霊媒師に頼んでみたがさっぱりらちが明かない。その話はアル王の所にも届いていた。
「アイダ様、どうしたらいいんでしょう?」
「貴方の言うムルングとは関係があるのかしら。この件、ムルングとは別かもしれない」
「たしかに、それはまだ分かりません。なにしろ生贄を差し出すまでは許さないと、それ以降現れていないのです」
「と言う事は、生贄を差し出すと言えば現れるのね」
レイラの発言である。
「はいそれは――」
「じゃあ私が生贄になりましょう」
「えっ」
「ムルングは妖精を連れてこいと言っているのでしょ」
元は風の精霊であり妖精でもあったレイラが生贄となって、ムルングを誘い出そうというのである。行方不明となっている少女の事も何か分かるかもしれない。
ムルングは土着の神を名乗ってはいるが、実はどこまでも深い闇を支配する呪術師であった。ムルングの怪しげな、人の心を自由に操る魔術の一つが、犠牲者のゾンビ化である。人を仮死状態にし、墓から蘇った死人に見せかけて操る術を持っていた。
葬儀の後、墓から連れ出された犠牲者はチョウセンアサガオを食べさせられ記憶も意志も無くなる。後はムルングの意のままに動くゾンビとなるのである。墓場からよみがった死体に追われて逃げ惑う人々にとっては、悪夢のような夜となる。
「用意できたかしら?」
「出来ました」
ムルングを呼び出す儀式では祭壇に捧げるヤギとニワトリの頭蓋骨が必要となる。おびただしいニワトリの流す血が祭壇をどす黒く染めて、ヤギの頭蓋骨の周囲を異様な臭気が取り巻いている。
そしてついにムルングが現れた――
「生贄は用意できたのか」
「はい」
アルの横に座るレイラから発せられるオーラは、確かに人間のものではない。ムルングもそれを見て納得したようである。
「ではその妖精の心臓を取り出せ」
「――――!」
儀式が始まると現れたムルングを直接見る事は許されていない。アルは目を伏せたままである。儀式では、生贄の心臓を取り出す際に繰り広げられる犠牲者ののたうちまわる様や、血の流れ具合、取り出した心臓の様子から、あらゆることが占えるのだと言う。
アルは横のレイラに目でうながされ、
「ムルング様」
「…………」
「心臓を取り出す前に、一つお聞きしたい事が御座います」
うつむいたまま話しかけるアリを、ムルングの面がじろりと見る――
「……何だ、言ってみろ」
「近頃森の近くで一人の少女が行不明となって、両親が心配しております」
「…………」
「ムルング様は少女の行方をご存じでしょうか?」
「そのような事は全て心臓の表に現れる。早くやれ!」
ここでレイラが立ち上がった。
「心臓を取り出してもそんな事は分からないわよ」
「貴様、何奴!」
おどろおどろしい仮面をかぶって威嚇するムルングがそこに居た。
「アル、こいつを倒すのだ」
「ムルング様、その仮面を取って顔を見せて下さい」
「なに!」
もはやアルも下を向いてはいない。だが、物陰からアイダやワイナたちが次々と姿を現すと、
「シャ――」
ムルングは骨の杖を振る。
祭壇の炎が青く燃え上がる。
地面から黒い霧が這い、
レイラを包み込もうとした。
しかし風が霧を吹き散らす。
アイダの虹の光が祭壇を照らすと、
呪いは煙のように消えた。
ムルングは奇怪な叫び声を発している。だが、何をやろうと、アイダやレイラには全く効かない。それを見たムルング、
「クアッ!」
再び奇怪な声を残し、身をひるがえして背後に消えてゆく。追おうとするアルをアイダが止めた。
「あの者はあなたの前で神だと言っていたんでしょ」
「はい、王である私も正体は知りません」
「それが只の霊媒師か呪術師で、しかも逃げ出したという醜態を晒した以上、もう大した力は発揮できないわ。追う必要はありません」
「…………本当にそうでしょうか」
「分からないわ、でも今は行方不明となっている少女を探しましょう。それが先よ」
「分かりました」
「森の近くに行ってみましょう」
少女と一緒に遊んでいたという子の話を聞き、アリとアイダたちは森までやって来た。少女の両親も一緒である。
「ノラ、匂いを嗅いでみて」
両親から受け取った少女の服から残された匂の後を辿ろうとするのだが、既に日が経ちすぎて、匂いは残されていなかった。
「仕方が無いわ、消えてしまったのが夜なら、私たちも夜になってから来てみましょう」
アイダの提案で夜また来ることになった。
月の出ている夜である。
風は無い、
虫も鳴かない無限の静寂、
明るい月の下に漆黒の森が静かに横たわっている。
皆が黙々と歩いていた、その時、
行こう行こう どこまでも行こう
どこにつづくの この道
行こう行こう どこまでも行こう
青空へ のぼろうよ
誰かが呼んでる
どこかで呼んでる
呼んでるよ
「あの声は――」
何処からか聞こえて来る少女の歌声に、両親が気づいた。声のする方に走って行くと、そこに手を叩いている精霊が居る。
「あっ」
気配を感じたのか、驚いた精霊が逃げようとするが、ジャガーになったワイナが飛び掛かり、行く手を遮った。やって来たアイダたちの姿を見た精霊が大人しくなって立っている。
「貴方が誘拐したのね」
「…………」
「少女はどこ?」
精霊は素直に祠を指さした。
無事解放されて両親の元に帰った少女には、巨樹の精霊からお詫びのしるしにと、綺麗な箱が渡された。
アイダたちに礼を言う少女に、
「これからも勇気を出して生きて行くのよ、下を向いていたら、虹を見つける事は出来ないの」
アイダの言葉に少女はこっくりと頷いた。
ここは深い森の奥である。
ムルングはチョウセンアサガオや黒い薬草をすり潰していた。
「アル王……精霊ども……」
呪文を唱えると、闇の奥で土がゆっくりと盛り上がる。
白い手が一つ、また一つと地面を突き破った。
虚ろな目をした死人たちが、静かに立ち上がる。
ムルングは不気味に笑った。
「次は貴様らに死者の軍勢を見せてやる……」




