第27話 ゼウスの裁定
「セラム、一体何があったのだ?」
「ニンリル様……」
女神ニンリルに呼び出されたセラムは言葉に窮していた。
「アテーナーの神殿に忍び込み、狼藉を働いた暴徒の中に、其方が居たというではないか」
「…………」
「アテーナーがひどく怒っているぞ」
「まったく、その方をレイラに付けたのは――」
「ニンリル様」
ここでセラムは意を決すると、これまでのいきさつを洗いざらい話してきかせた。
「同じような事が再び起こったら、私は次も立ち上がります」
「セラム」
セラムは一段高い位置に座る女神ニンリルを見上げた。
「ニンリル様も同じ思いに至るのではないでしょうか」
「…………!」
セラムはもう後に引く気などなかったが、ニンリルとてこのままで丸く収まる方法など無い事は重々承知である。
「これはポセイドン様に会う必要があるな。其方もついて参るがいい」
元々の発端は、海神ポセイドンとメドゥーサは愛人関係であり、アテーナーとメドゥーサは互いに美を競い合っているという状況で起きた。
神殿を逢引の場にされ、当然怒ったアテーナーであるが、格上のポセイドンには手が出せないかわりに、メドゥーサを化け物に変えてしまった。
しかし神々の中にはメドゥーサに同情する者も数多くいた。その先頭に立つのが当然ポセイドンである。
女神ニンリルの報告に、ついにポセイドンが立ち上がった。ポセイドンは以前からメドゥーサを哀れに思っていたのだ。
晴天にわかにかき曇りとはその事であった。
「あれは何だ!」
海から巻き上がった潮の塊が龍のようにねじれ、天空に向かって上って行くではないか。天空で何やら異変が起きているようである。
「アテーナー、そなたの傍若無人ぶりには、儂の堪忍袋の帯も切れたぞ」
「何を言うかポセイドン。その方こそ神聖な神殿を汚しおって!」
たとえ相手が格上といえども、そんな暴挙を黙って見ているわけにはいかないアテーナー。言葉遣いに気を使うことも無くなる。だがポセイドンも売り言葉に買い言葉である。
「メドゥーサに八つ当たりして恥ずかしくないのか」
「おまえの汚らわしい情事で、私の神殿が俗界にまみれてしまったのだ」
女神と海神の激しい争いの前に、アイダたちの暴挙は何処かに飛んでしまった。周囲を取り巻く神たちも、ただ見守るしかなかった。
「アイダ、どうする?」
「首はメドゥーサさんに戻ったから、盾だけを神殿に返しておきましょう」
メドゥーサを見つめるトゥパック、
「メドゥーサさん」
「トゥパック、ありがとう」
「…………」
首を手に入れて心の平安を得たメドゥーサの霊は、綺麗な髪に戻っていた。彼女が再び入る箱は、メドゥーサ自身の希望で静かな海に沈められる事になる。
「カラス、出てこい」
「何か御用でしょうか、ご主人様」
「この箱を遠く静かな海に沈めてきてくれ」
「かしこまりました」
女神アテーナーと海神ポセイドンとの争いには、新たな展開があった。
「ゼウス様」
「何を騒いでおるのだ?」
騒ぎを聞きつけやって来たゼウスは、宇宙や天候を支配する天空神であり、神々の王である。だがそのゼウス自身も好色な神で、しばしば浮気を繰り返していた。
「ポセイドン、おまえがアテーナーの神殿を汚した事は事実である。謝罪をするのだ」
そう言いながらゼウスはポセイドンに目配せをした。
ポセイドンはうなだれながら、「儂にも責任はあります」と答える。
「アテーナー、その方もメドゥーサの姿を化け物に変え、更に斬り落とされたその生首を盾に埋めて利用するとは、まるで晒しものではないか。やり過ぎであろう」
「……私はメドゥーサを許せなかったのです」
アテーナーの言い分は十分わかるゼウスであるが、ここで聞く訳にはいかない。
「……これは警告である。双方共に矛を収めなければ、儂が黙ってはいないぞ。後悔をする前に引くがいい」
ゼウスの発する言葉は重かった。その裁定でアテーナーは、アイダたちに盾を盗まれ、更に埋め込まれていた首を取られた事には何も言えなくなってしまった。
それでも神殿に押し入られたのだ、何もしないわけにはいかない。逃げたアイダたちを追おうとしたアテーナーだったが、
「アテーナーが追ってくるわ!」
「やろう、こうなったら」
「トゥパック、それは」
トゥパックは再びにんにくを手にしていた。
「んっ!」
それを見たアテーナーが一瞬とまどった。その表情がわずかにこわばっている。
「今の内に逃げろ!」
その時、海が激しく割れた。ポセイドンの警告である。しかしそれが無くとも、本気で追う気の無かったアテーナーであった。
結局盾には石材で作られたメドゥーサの首が埋め込まれ、アイダたちは事なきを得る事になる。神殿に盾を返した皆は転がる様にして外に出た。
「助かった」
すると皆が声を掛けあっているところで、後ろから聞き慣れた声がしてきた。
「レイラ」
レイラが振り向くと、そこに消えていたセラムが居るではないか。
「セラム」
「…………」
熾天使のセラムが柔らかな笑みを浮かべてレイラを見ている。
「心配していたわ。戻ってこれたの?」
「実はね、ニンリル様から呼び出された時は覚悟をしていたの。あなたの守護天使を解任されて、更に謹慎させられるかもしれないと」
「じゃあ――」
「全て元に戻ったわ」
「わあっ!」
だが女神ニンリルは、セラムに釘を刺すことも忘れてはいなかった。
「あなたはレイラの自由奔放な考え方に影響されないよう、注意するのですよ」
ニンリルは、レイラの何ものにも拘束されない自由な考えがいかに強いものであるか、充分に認識していたのである。それは熾天使セラムのパワーをも凌ぐものであるという事を。その破壊的な力をまだ知らないのは、レイラ自身であった。




