6.トカゲ
春過ぎて、更衣の季節となった。几帳や壁代などの調度も夏物になり、涼しげだ。私は撫子の表着に蓬生の唐衣を夏らしく合わせた。夏が近づくと浮き浮きする。梅雨前のこの時期が一年で一番好きな季節かもしれない。
「宴ですか?」
「そうなの。ごく小さなものなのだけどね。」
小宰相さんの話では、二の宮様は兵部卿、兵部省の長だ。時折り慰労も兼ね、部下達を招き宴を開くのだそう。上司も大変だ。
「大輔様へはこちらの禄(土産)を、小輔様はこちらね。間違えぬように。そこの几帳はあちらへ移動してちょうだい。」
宰相の乳母さんが、女房達にテキパキと指示を出していく。二の宮様の乳母は他にも三人いらっしゃるが、能力的にも身分的にも乳母筆頭は宰相の乳母さんだろう。その女房名の通り、父親は宰相=参議で右大臣様の腹違いの兄君だ。梅壺女御様とは従姉妹にあたる。若狭さんとその母君である小納言の乳母さんは「あんなに動き回って品がない。」なんて陰口を叩いていたが、品よくおっとり控えているだけでは仕事は回らない。たいして上品でもない私は動き回って働くことにするのだった。
夜になって客人達がやって来た。二の宮様が、
「皆、ご苦労であった。心ばかりだが、席を設けたので、飲んで欲しい。」
と簡単な挨拶をして宴が始まった。下っ端女房の私はお客様へのお酌係だ。隣に座っているのは、小輔様だ。
「どうぞ、一献。」
「うむ。かたじけない。」
始めは大人しく飲んでいた小輔様だったが、途中からひどく酔い出した。
「さけがたりないじょぉ」
呂律があやしい。盃に酒を満たすとぐいっと飲んでしまった。
「小輔様、美味しい肴もたくさん用意してありますゆえ、そちらもどうぞお召し上がりになって下さい。」
小輔様は焼き蛸をつまみ、「うん、びみよのう」とご満悦だった。やれやれ。
二の宮様は酔ったようで、「皆はゆっくり飲んでくれ。」と退席してしまった。上役がいなくなったせいか、座が乱れてきた。
「えちぜんと、いったか。いつくだ。んん?」
小輔様が私の手を握りながら絡み出した。
「あら、お酒が尽きてしまったわ。取りに行って参ります。」
するっと手を引き、廊下に出て来た。
手を握られてしまった。気持ち悪い。セクハラよ。ぶちぶちと心の中で文句を言いながら台盤所に向かっていると、ぐっと引っ張られた。何事!?と思って振り向くと小輔様が私の裳を掴んでいる。
「つかまえた」
にやっと笑った顔を見た瞬間、ぞぞぞ〜と鳥肌が立った。えっ、なにこれ。ヤバくない?何とか前に進もうとすると、ぐっと余計に引っ張られた。これはもしや、貞操の危機では…。こんな酔っ払いオジサンいやなんだけど!ぐぐぐと引っ張り合いになった時、(今だ!)シュルリと小腰(裳を結んでいる帯)を解いた。そして猛然と走り出した。後ろでゴトンと音がしたけど、知らん!振り返らずに走った。すると、「こちらへ」と声が聞こえて来た。聞こえた方へ向かうと、二の宮様が居られた。一部始終見ていたらしい。
「ここならば、大丈夫だ。」
「…ありがとうございます。」
私は裳の無い間抜けな姿を二の宮様に晒すこととなった。いや、緊急事態ですし。
俯いた二の宮様が震えている。お具合が悪いのか?声をかけようとしたその時
「とっ…トカゲ…トカゲの尻尾切り。アマガエルの妹がトカゲ…くっくっくっ」
耐えきれないと笑い出した。お元気で何よりです。その日以来、二の宮様は私を見ると思い出し笑いが起きるようで必死に我慢されていた。なんだか申し訳ありません。




