10.すごい新人
連日暑さが続いている。こう暑いと女房装束が辛い。裳も唐衣も脱ぎ捨てて、実家の様に薄物ひとつで過ごしたい。
しかし、歯牙無い女房勤めの身、しっかり皆具で過ごしている。熱中症で倒れそう…。
「しばらくご無沙汰であったから、右大臣邸に行って来る。」
朝、お着替えを手伝っていると、ずーんと暗い様子で二の宮様がおっしゃる。
北の方様に会うのが嫌なのか、右大臣様にお酒を勧められるのが嫌なのか。どちらであっても難儀な事だ。
どんよりとした様子で内裏へと出勤される二の宮様を見送った。
二の宮様は良いお方だが、口下手というか言葉足らずでいらっしゃる。高貴な姫君(しかも噂好き)であらせられる北の方様には、物足りなくお感じになられるのかもしれない。
そんなことをつらつら考えながら仕事に取り掛かるのであった。
本日の仕事は、二の宮様の衣を縫うこと。他の女房方と共にちくちく縫っていると小納言の乳母さんと若狭さん、それともう一人が連れ立ってやって来た。
「この者は新しいく入った刑部と申す者。私の姪です。皆、よろしく頼わね。」
小納言の乳母さんが紹介してくれた。刑部と紹介された私と同年代の女性が、ぺこっと会釈したので、お辞儀を返した。
黒目がちな瞳は少し垂れ目で、頬も唇もふっくらしていてなかなか可愛らしい容姿の方だ。女郎花の表着に撫子の唐衣をあわせ、可憐な様子だ。
「後は頼むわね。」
と若狭さんに言い置いて小納言の乳母さんは去っていった。
「これからの事は私が教えるわ。心して聞くようにね。」
若狭さんが刑部さんに話しかけた。刑部さんは聞いているのか、聞いていないのか。ぽけーっとしている。
「さあ、宮様の衣に香を焚き染めるわよ。」
若狭さんが棚に置いてある火取香炉を指先すも、刑部さんは動かない。
「刑部の君、香炉をこちらへ!」
イラっとしたのだろう、若狭さんはきつめに言った。すると、刑部さんはきょとんとした様子で、
「わたくしがするのですか?そのような事、女房にさせればよろしいのでは?」
と宣った。ちらりと若狭さんを見ると、目を吊り上げている。
「あなたが女房なの!あなたの仕事よ!」
「わたくしは、宮様のお相手をするために来たのであって、そのような下働きなどできないわ。」
刑部さんはぷうっと頬を膨らませた。
「んなっ!」
若狭さんは絶句して怒りのあまり震えている。これは、すごい新人が入って来た。
あの後、小納言の乳母さんがやって来て、刑部さんに懇々とお説教していたが、全く響いた様子は無かった。
「刑部の君は、亡くなられた刑部卿の末娘なのよ。召人との子供だけど、歳を取ってから出来た子だから、甘やかされたらしいのね。」
情報通の小宰相さんが教えてくれた。
刑部卿のの召人だったのが小納言の乳母さんの妹で、すでに亡くなっているそうだ。
翌日も、その翌日も刑部さんは変わらず仕事らしい仕事をしなかった。教育係の若狭さんがキリキリしながら叱るも、暖簾に腕押し、糠に釘。
「いい加減にしなさいよ!なんの後ろ盾もない身の上のくせに。あなたはいち女房なの。仕事をしなければならない立場なの。自覚なさい!」
若狭さんが嫌味たっぷり言い募ると、刑部さんは
「…たかだか受領風情の娘のくせに。」
と返したものだから、取っ組み合いの喧嘩になった。髪を引っ張ったり、頬を抓ったり。
慌てて止めに入ったが、私だけでは止めきれず、他の女房はオロオロするばかり。
結局、騒ぎを聞きつけた家司の方々が二人を引き離した。
私は叩かれるし顔を引っかかれるしで、酷い目にあった。血が出なかったのは不幸中の幸いだ。
昼過ぎ、二の宮様が帰ってらした。
「どうした、その顔は。」
私の顔を見ての第一声がこれ。
二の宮様が私の頬に触れるので、思わず顔を顰めてしまった。痛いので触らないで欲しい。
あの取っ組み合いの顛末を話すのも憚られたので、
「猫にやられました。」
キャットファイトだけに。
「ふーん」
全く信じてない様子だが、追及されないのでよしとする。
着替えを終えて、さて朝餉を召し上がって頂こうとしていると、何だか騒がしい。
「宮様〜!」
ぱっと御簾を上げて刑部の君が入って来た。
「宮様。わたくし、刑部っていいますの。宮様のお側に侍るため参りました〜」
ニコッと笑う刑部の君。呆気に取られている二の宮様。
「宮様、大変失礼いたしました。入りたてで指導も行き届きませんで、申し訳ありません。」
宰相の乳母さんが他のベテラン女房に目配せし、指示を受けた女房達がさっと刑部の君を部屋の外へ引っ張っていった。咄嗟の出来事にも慌てず、動じず対応できるのだからすごい。
宰相の乳母さんはずっと菩薩のような微笑みをたたえているのだが、かえって怖い。
結局、あの後宰相の乳母さんから最終通告が出された。次に問題を起こしたらクビ。さすがに小納言の乳母さんも庇えなかったようだ。
刑部さん本人は、膨れっ面で反省の色は見えない。
刑部さんの振る舞いは、まるで幼な子のようだ。女童の方がよっぽど分別がある。箱入りで可愛がられて育ったのだろうけれど、本当に大切ならば信頼できる人に後見を頼むなりすればよかったのに。可愛がるだけで、生きて行く術も教えないなんて、亡き刑部卿も酷なことをなさる。
私たち貴族の女など、父親や夫の庇護を失えばあっという間に転落してしまう。後見を失った高貴な姫君が、荒屋に住む話など世間でもよくある事。
明日は我が身だ、そう思うと胸の辺りが重くなるのだった。
「あなたが、越前?」
刑部さんに呼び止められた。呼び捨てか。
「はい。何かご用でしょうか。」
上から下までじろじろと見た上で、わなわなと体を震わせながら言い放った。
「あなたが宮様のお気に入りなんて、嘘よ!わたくしの方がよっぽどかわいいわっ!」
そうですね、刑部さんの方が可愛いです。気に入られたのは琵琶の腕前であって、見た目ではないのだ。
「わたくしの方がずっとずっと…」
鼻を赤くして、目がうるうるしている。あっ、これは泣きだしそう。どうしよう、下手なことすると刑部さんクビになっちゃう。私が困っていると、
「あらあら、こんなところで。こちらでお話ししましょうね。」
讃岐さんが刑部さんの手を引いて、私たちの局へと連れて行ってくれた。
「一緒に菓子を食べましょう。」
讃岐さんはどうぞと言って、干し杏子を差し出した。刑部さんは杏子を一口食べると「おいしい…。」と言って泣き出してしまった。
「お父上を亡くされて間もないのに、知らない人ばかりの屋敷に来たら不安になるわよね。私もそうだったわ。このお屋敷の方々は皆さんお優しいの。きっと刑部の君もやっていけるわよ。」
だから大丈夫よ、と言って讃岐さんは泣きじゃくる刑部さんの背中をずっと撫でていた。
「越前の君、突っかかってごめんなさい。讃岐の君、ありがとう。杏子おいしかった。」
ひとしきり泣いた刑部さんは自分の局へ戻っていった。
「讃岐の君、本当にありがとうございました。私だけではどうにも出来ませんでした。」
讃岐さんにお礼を言うと、讃岐さんは少し悲しげに話してくれた。
「妹を思い出していたの。天真爛漫な子でね。今生きていたら、あなた達くらいだったわ。だから放っては置けなかったの。」
その後、刑部さんは讃岐さんについて仕事をする様になった。「えぇ〜むずかしい〜」とか言いながらも一生懸命に取り組んでいた。
讃岐さんは褒めて伸ばすタイプで、「はじめてなのに、すごいわ!上手」とおだててその気にさせていた。
讃岐さん、きっといいお母さんになるなぁ。




