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1.私は独身主義

姉は美人だ。ふっくらとした頬や唇、黒目がちな瞳、額にかかる髪の様などどこを取っても美しい。おまけに歌人としても名高く、(こと)の腕前もなかなかだ。

そんな才色兼備の姉だが、ひとつ問題がある。



ドスドスドスと足を踏み鳴らし、渡殿(わたどの)を歩いて来る人物が貴族の姫君とは誰も思うまい。挨拶もなしに、御簾(みす)の中に転がり込んできた。


「殿がっ!殿が、今日も来られないのですって!もう、五日も来ていないのよ!!きっと宮中で宿直なんて方弁よっっ!」


ぐしゃぐしゃになった文を握って、姉が北の対からすごい勢いでやって来た。つぼみ菊の襲に菊折枝文様の美しい(うちき)が肩からずり落ちている。

顔をみれば、目が吊り上がり、髪を振り乱し鬼の様。美人だからか、すごい迫力だ。せっかくの美貌が勿体無い。後から「お方様〜」と姉付きの女房が慌ててやってくる。


「姉様、ごきげんよう。義兄様は姉様を大切にされてますよ。大切なお役目があるのですから。こちらで菓子でも食べて、少し落ち着い…」


「いいえっ!!いいえ!きっと女よ!あの小路の下賤な女のところよ、きっと!」


一月ほど前に発覚した、義兄の愛人が小路の女だ。あの時も酷かった。姉は尼になりますと文だけ残し、少ない共を連れて尼寺に家出したのだ。

当然、屋敷は上へ下への大騒ぎになった。母は倒れるし、兄はオロオロするばかり。

父と義兄が説得して連れ戻したのだ。当然、都中のウワサになった。


私は当時を思い出し、げんなりとした。


「あんなに熱心に恋文をよこして、私に愛を囁いたのに。なぜあんなつまらない女なんかの所に…許せないぃぃ〜」


キィイイ〜と姉の口から異音が聞こえたと思ったら、ばたりと倒れた。失神したのだ。「お方様、お気を確かに!誰か、薬師を」と女房達が大騒ぎしている。


そう、我が姉は大変ヒステリーなのだ。




私の父は馬寮(めりょう)の長官である右馬頭(うまのかみ)を務める諸大夫(しょだいぶ)(中級貴族)だ。三十半ばになって、やっと従五位下に叙爵された。

あの時は屋敷中、皆で大騒ぎしてお祝いしたのでよく覚えている。供された甘葛(あまづら)をかけた小豆が甘くておかわりしたい程、美味しかった。


それから何年か経った頃だ。義兄から姉宛に恋文が届いたのは。義兄は右大臣様のご次男で、当時兵衛佐(ひょうえのすけ)(二十代前半ですでに従五位下)でいらした。御曹司からの恋文にまたしても、屋敷中大騒ぎになった。

早くお返事を!と急かす父。玉の輿じゃない!と浮かれる母。オロオロする兄。姉は、


「一度文が来たくらいで、返事なんてできません。」


とにべもなく言う。


「う、右大臣様のご子息であるぞ!失礼があってはならん!早くお返事を!」


唾を飛ばす勢いの父に負けて、姉は渋々返歌をしたためた。

それからは、来るわ来るわの恋文攻勢。貴方にお目にかかれたらこの命、惜しくはない、とまぁ、情熱的な内容であった。(文は両親と回し読みした)

姉の求婚者の中で飛び抜けて高貴で、将来性もバツグンだったので、あっという間に結婚と相成った。


義兄は身分だけでなく、見栄えもよくなかなかにハンサムだった。

義兄が熱心に通う様になって、姉のたか〜いプライドも満足したようで、妻らしく義兄の衣装を誂えたり、会えない日は文をしたためたりと、しばらくは幸せそうに機嫌良くしていた。



ある日、従伯母(母の従姉妹)が菊の着綿(きせわた)を持って訪ねて来てた。着綿は、重陽の節句の頃、菊の花に綿を被せて、朝露を含んだその綿で体を拭くと、無病息災になるという習慣で、いわゆる一つのイベントだ。

母は幼い頃、この従伯母と共に育ったそうだ。

姉と共に従伯母に挨拶をしていると、茶と高杯に柿を盛った物を女房が持ってきたので、母が従伯母へどうぞとすすめていた。柿は私の分もあったが、客人の前でがっつくのもみっともないので、従伯母が帰ってから頂こうと思っていた。


「久しぶりねぇ。うちの菊が立派に花をつけたから持ってきたわ〜。あらあら、私より年下なのに随分と老け込んだわねぇ。これで拭き取ってしまいなさいな。」


そう言いながら、着綿をよこした。確かに老いを拭き取るといわれているがこれは…。

この人は母にライバル心があるらしい。従伯母の夫が未だ六位なのに、母の夫である父がが先に叙爵した事にプライドが傷ついたようなのだ。

確かにお年のわりにはほっそりと若々しい。母は『三人の子持ちお母さん』と聞いて皆さんが想像するであろう容姿だ。

母からひりついた気配がする。


「まあ、悩んだり考えたりする事も多いからかしら。」


少しわざとらしく母がため息をついた。


「色々な行事があるじゃない?婿殿のお召し物の支度大変なの。婿殿は少将(先の除目で兵衛佐から出世した)でいらっしゃるし、あんまり下手な物、用意できないじゃない?」


決まった!母のマウント返し!従伯母の一人娘は二十代半ばだったか。未だ独身だ。


従伯母は顔をひくつかせながら、


「そうそう、その婿殿!おめでたい事あったわねぇ。北の方が若をお産み遊ばしたそうじゃない。お祖父様の右大臣様もたいそうお喜びってウワサよ。」


母のマウント返しに対して、とんでもない爆弾を放り込んで来た!


そう、義兄には姉より先に結婚した妻がいるのだ。民部小輔(みんぶしょう)殿の一の姫。あちらと我が家の家格はほぼ同等。義兄は民部小輔殿の姫も通いの結婚だ。それをわざわざ北の方(正妻)呼びするとは。

それにしても最近産まれたという事は、あちらが妊娠中に姉と結婚したのだろう。

ちらりと姉を見ると、まさに能面の様な顔貌の姉がそこにいた。

従伯母は、あらあら余計な話ししちゃったわね、お暇するわ〜と言い、導火線に火のついた爆弾を残して帰って行った。


その後、楽しみにしていた柿は着せ綿とともに庭に放り投げられ、ぐちゃぐちゃになった。




失神した姉のため床を用意し、介抱していると姉が目を覚ました。


「姉様、お薬湯です。ゆっくり飲んで下さい。」


「…ありがとう」


女房に介助させ、薬湯を飲むとひと心地ついたのか、姉は北の対にもどって行った。


元々、癇癪持ちのケはあったが、姉はここまでヒステリックな人ではなかった。プライドが高いので、ツンケンしがちだか、私のために衣装を誂えてくれたり優しいところもあるのだ。

母とて普通の貴族の婦人だ。それなのに、父の浮気がバレた時、火桶の灰を父にぶち撒け怒りを露わにしていた。灰で真っ白になった父が平謝りしている姿を几帳(きちょう)の陰で小さくなりながら見ていた。


ここまで人を変えてしまう、恋とは愛とは恐ろしい。私も恋をしたら、結婚したらあんな鬼の様になってしまうのだろうか。

ならば、結婚はしまい。子供心にそう誓うのだった。



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