第1話 銀貨一枚と古びた帳面
「これが、私の全財産……銀貨一枚と古びた帳面――それで世界を買おうと思うのよ。」
高城綾乃は、まだ眠そうな瞳で小さな木箱を開けた。
侯爵家の二女として転生した屋敷に、残されたものはこれだけだった。
「侯爵家の二女って、案外便利な立場なのかもしれない──」
寝ぼけ眼で帳面を撫でながら思う。長いドレスに縛られた身体は不自由だが、頭だけは自由だ。
「高城家はもう終わりだ」──そう噂される夜、屋敷の片隅に置かれた銀貨一枚と古びた帳面は、まるで挑戦状のように綾乃を見上げている。
「これをどう使うんだろう……」
侍女のカナが呟く。
「学んだことを全部使うの。世界の『値段』と『需要』を読めば、人は動く。人が動けば、世界も動くわ」
綾乃はにやりと笑った。
屋敷の中庭で、早速試しに市場の視察を始める。
「なるほど……この街ではリンゴが高くて、鉄鉱石は地方から持ってくると儲かる……」
頭の中で数字と流通を組み合わせ、彼女は小さな取引プランを立てた。
「まずはこの銀貨で、夜市の果物屋に話をつけよう」
銀貨一枚の価値を最大限に生かすため、綾乃は笑顔を武器に取引に向かう。
夜市。人々のざわめきと香ばしい匂いに包まれながら、綾乃は果物屋の前に立った。
「こんばんは、少しお話を……」
年配の果物屋の主人が眉をひそめる。
「お嬢様? こんな時間に?」
「ちょっとだけ、試させてください。リンゴを五個、私に譲ってくれますか?」
「五個? その銀貨一枚で?」
主人は銀貨を手に取り、首をかしげる。
綾乃は自信満々に帳面を広げ、簡単な図を描く。
「この銀貨を使えば、リンゴを売った先でさらに利益を生む方法があります。私と一緒に試してみませんか?」
主人は驚いた表情で綾乃を見た。
「……お嬢様、君は本当に商人か?」
「ええ、ちょっとだけね」
綾乃はにっこり笑い、銀貨一枚を手渡した。
数時間後──
果物屋は笑顔で帳面を片手に計算している。
「こんな方法、今まで考えたことなかった……」
綾乃は静かに頷いた。
「取引って、知っていれば怖くない。むしろ楽しいものよ」
その日の夜、綾乃は屋敷の自室で今日の成功を振り返った。
「一度でも信用を勝ち取れば、次はもっと大きな取引ができる……」
カナがそっと差し入れの紅茶を持ってくる。
「お嬢様、明日も夜市に行くのですか?」
「ええ。でも今日は小さな勝利を祝おう。明日から本格的に動くわ」
窓の外、王都の灯りがちらちらと瞬く。
小さな銀貨一枚から始まった挑戦は、まだ誰も知らないが、やがて街を、国を、世界を動かす第一歩となる──。




