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漆黒の剣士様

 さらに数日が経ち、レイの怪我はずいぶんよくなった。

 少し足を引きずるが、もう松葉杖は使わずに歩ける。

 レイは少しずつ身体を動かす訓練をしながら、御影や凪たちにせがまれて剣を教えたり、家の中の仕事を手伝いながら過ごしていた。

 手当の必要がなくなっても蘭花はレイを気にかけて、よく側に付き添った。

 蘭花はレイにいろいろなことを教えてくれた。

 神花里の風習、薬草茶の作り方、木の実の殻の剥き方、毒キノコの見分け方など。 

 それらは、レイが今までまったく知らなかった分野の知識だった。




 縁側で洗った薬草を干しながら、蘭花は隣に座る花音と世間話をしている。

 知らない人たちの話を楽しげに語る蘭花を、レイはいつの間にか目で追っていた。

 蘭花は見ていて飽きない。

 あどけない顔は、よく笑い、よくしゃべり、よく泣き、レイの前でくるくると表情を変える。そのたびに純白の耳やふわふわの尻尾も感情に合わせて動いた。

 ルクサリアの上級国民たちの中には、獣人をペットにして飼っている好事家もいた。

 そういった歪んだ性癖をレイは嫌悪していたが、蘭花を前にして少しだけその気持ちがわかる気がした。




 心地よい秋風が吹く午後。

 レイは庭で万象の持っていた木刀を持ち、剣術の練習をしていた。

 軍にいたころの習慣が染みついているせいか、じっとしていると落ち着かない。

 まだ怪我が残る脇腹と左足は無理をすると痛むが、日に日によくなってきている。

 

(傷が完治したら、この先どうする?)

 

 レイは木刀を振る手を止める。 

 汗の滲んだ額の髪をかきあげると、硬い三角形の石が指に触れた。

 生体管理核(コア)――これが自分をルクサリアに縛りつける鎖だ。


 レイは狐の隠れ里を探しているルクサリアが、コアの追跡機能で自分の足跡を辿り、この里にたどり着くことを懸念していた。

 しかし、ここで過ごすようになって数日が経つが、ルクサリアが追ってくる気配はない。

 蘭花と万象が最強と誇る神花里の結界は本物のようだ。

 

 ずっとここにいれば、ルクサリアから解放されるのだろうか?

 一生追跡されない保証は?

 結界の効果は、いつまで続く?


 もし、自分のせいで、この里がルクサリアに見つかったら――


 いつの間にか、そんな思考がぐるぐる頭を回りだす。

 振り払うように、レイは首を振った。

 

「レイ、ちょっといい?」


 縁側に顔を出した蘭花がレイに手招きしている。


千里(せんり)がレイの服を補修して持ってきてくれたの。レイに会いたいんだって」


「千里?」


 それは、よく蘭花の世間話に出てくる彼女の友人の名前だった。


「千里はね、大工の万里さんの娘で、めちゃくちゃ器用なの! お裁縫も上手だけど、装飾品なんかも作れるんだよ。ほら、この髪飾り作ったのも千里」


 ニコニコしながら指差した蘭花の髪に、月華蘭の髪飾りが揺れる。


「これ、本物の花を特殊な素材で固めてあるんだって。付けると少しだけど霊力を回復するんだよ」


 よくできた造花だと思っていたが、本物だったとは。

 レイは蘭花の髪飾りを眺めた。

 月光を宿したような白い花は、銀の髪にひときわ映えていた。




 レイが蘭花に連れられて来客用の座敷に行くと、先に女性が座っていた。

 千里と名乗ったその女性は、砂色の耳と尾を持つ、すらりとした狐人だった。

 やや眦の上がった茶色い瞳に、赤茶色の長い髪を後ろで一つにまとめている。萌葱色の着物が落ち着いた印象を与える。

 蘭花の二つ年上らしいが、ずいぶんと大人びて見えた。

 互いの自己紹介が済むと、千里は持参した風呂敷包みをレイに手渡した。


「あんたの服、すごい布使ってるねぇ。こんなに薄くて軽いのに丈夫で霊力の感受性が高い。これ、どうやって作ってるんだい?」


 興味津々といった様子の千里に、レイは自分の知っている範囲で服の特性を伝える。 


「ルメニウム魔鉱石で作った布を織り込んでいると聞いたことがあるが、詳しくはわからない。魔力伝達と瞬間的な硬化に優れた布だそうだ。軍からの支給品だ」


 千里は腕を組んで感心している。


「へぇー、魔鉱石が布になるんだ。ルクサリアの技術ってすごいんだねぇ。あと、手袋! 素材は魔獣の皮かい?」

「フェルナスという翼竜の皮だ。魔力耐久が強い上、滑りにくいから使いやすい」

「この辺りでは見ない魔獣だね。うーん、面白いねぇ」


 千里は矢継ぎ早にルクサリアの技術について質問してくる。

 一通り答えたレイは、千里に許可を得て、風呂敷包みを開けた。

 中には見慣れた黒い軍装がきっちり畳まれて入っていた。広げて確認すると、破損していた箇所は綺麗に繕われていて、ぱっと見ではわからない。


「破けてたところは魔蚕の布で補修してるよ。ちょっと材質は違うが、丈夫さでは引けをとらないはずだ」


 言った千里の横で、蘭花が得意げに微笑んでいる。


「ねっ、千里はすごいでしょ」 


 レイは頷く。千里の裁縫の技量には素直に感心する。


「世話になったな千里。この対価なんだが……あいにく、今は持ち合わせがない」


 レイがばつが悪そうに言うと、千里はきょとんとした。


「対価? ……ああ、お金とか? そんなものいらないよ。あんたは蘭花の恩人じゃないか。それに、珍しいものを扱えて楽しかったよ。ありがとね」


「そういうわけには……」


 申し訳なさそうにしているレイに、千里は明るく言う。


「外の国じゃどうか知らないが、ここの里の住人はこんなことでお金なんて払わないし、受け取らないよ。困ったときはお互い様さ」


 続けて、千里は思い出したように言った。


「ああ、そうだ。あんたの長剣と短剣は汚れと刃こぼれがひどかったから、鍛冶屋の幻灯じいさんのところに持って行ってるよ」


 まさか、とっくに失ったと思っていた剣が二本とも戻ってくるとは。

 思わぬ朗報にレイは喜ぶ。

 蘭花もそんなレイをニコニコしながら見ていた。


「それにしても……」


 レイをしげしげと眺めて、千里が言う。


「あんたが『漆黒の剣士様』ねぇ……なかなか男前じゃないか」

「千里! その話は……」

 

 蘭花が慌てたように千里を制する。


 レイは首を傾げる。

 漆黒の剣士様――神花里に来てから何度か聞いた単語だ。


「その『漆黒の剣士様』っていうのは一体……」

「ん? 蘭花、もしかして言ってないのかい?」


 焦る蘭花と怪訝な顔のレイの前で、千里は楽しそうに暴露した。 


「この子はね、あんたに助けられてからというものの、あんたのことを『漆黒の剣士様』って言って崇拝しててねぇ。私なんか姿絵まで描かされたんだから」


「千里!!」


 顔を真っ赤にして叫んだ蘭花の反応に、レイはビクッと身じろぎした。

 千里はニヤニヤしながら、蘭花の肩に手を回すと、レイには聞こえないように蘭花の耳元で囁いた。


「本物見られてよかったよ。新しい姿絵描こうか?」

「えっ……」

 

 そのあと密かに交わされた約束を、レイは知らない。



 

 外はもう日が暮れ始めていた。

 家に帰っていく千里をレイと蘭花は屋敷の門前で見送った。


「……『漆黒の剣士様』っていうのはね……」


 夕焼けの中に遠ざかる千里の後ろ姿を見ながら、蘭花がぽつりと言った。


「わたしが小さい頃、命を救われた剣士様——レイに、勝手につけた名前なの」


 蘭花は恥ずかしそうに俯きながら、上目遣いでレイを見た。


「初めてレイと逢ったあの日……万象様が風邪で高熱を出して倒れててね。わたしは心配で居ても立ってもいられなくて、夜中にこっそり里を抜け出して、月華蘭を摘みに行ったの」

 

 レイの脳裏に、幼い蘭花が必死に花籠を抱きしめていた光景がよみがえる。

 魔獣に襲われながらも、小さな腕は花籠を放さなかった。


「夢中で花を摘んでたせいで、空から魔獣に狙われてるのに気がつかなかったの。すごく怖くて、もう食べられちゃうかと思ったときに、あなたが――レイが来てくれた」


 蘭花の視線は、夕焼けよりも熱を帯びてレイに注がれていた。


「あの時から、わたしにとって、あなたはヒーローなの」


 レイを見つめる蘭花の瞳にこもる熱に、レイは気づかないふりで、目を逸らす。

 まっすぐな蘭花の想いに対して、どこか後ろめたいような感情が湧く。


「大袈裟だ、蘭花。たまたま通りかかっただけだ。魔獣狩りのついでだったんだ。俺は、おまえの思うような人間じゃない」


 自嘲気味にそう言ったレイに、蘭花は胸元で拳をぎゅっと握りしめた。

 そして、まったく熱の冷めない瞳で言った。


「それでも、レイがわたしを助けてくれたのは本当のことだよ」

 



 その夜、レイは床についてもなかなか寝付けずにいた。

 熱い視線とともに自分に向けられた蘭花の言葉を思い出す。


「ヒーロー、か……」


 レイはぽつりと呟いた。

 自分を慕ってくれる蘭花の真っ直ぐな気持ちが、嬉しくないわけじゃなかった。

 しかし、それを聞いた時、どこか後ろめたい気持ちになった。

 自分は、蘭花の理想のヒーローである『漆黒の剣士様』とはあまりに掛け離れている。

 上からの命令に従い、剣を振るっていただけだ。

 そこには信念もプライドもない。正義も希望もない。自我すらない。

 あげくの果てに仲間に裏切られて、死にかけて――


(何が、ヒーローだ……)


 悩ましげに額を押さえた手に、生体管理核(コア)の無機質な表面が触れた。


 本当の俺を知ったら、あの子はがっかりするだろう。

 想像すると、なぜかチクリと胸が痛んだ。



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