行きたいところ
レイが神花里に流れ着いて数日が経過した。
満身創痍だった身体は順調に回復し、補助があれば歩くことができるようになった。
朝食後、蘭花がレイの腹部に巻いた包帯を交換する。
包帯をほどくと、あらわになった腹部の傷は塞がっていた。
だが、盛り上がった瘡蓋には浸出液がにじみ、まだ痛々しさが残っている。
「まだ痛そうだね……」
蘭花は少し顔をしかめながら、薬を塗った布を傷口に当てる。
「このぐらいの痛みなら問題ない。慣れてるからな」
「慣れてるって……そんなのに慣れたらダメでしょ」
けろりとして言ったレイに蘭花はため息をつきながら、新しい包帯を取り出し、レイの腹部に巻きつける。鍛えられた逞しい胸板にドキドキしながら、蘭花は包帯を巻いていった。
腹の治療の後は、左足首の怪我の状態を見る。もう腫れは引いていたが、鬱血して紫色になっている。
「うーん……こっちも、まだまだだね」
蘭花がそう言ったとき、がらりと入り口の障子戸が開いて、松葉杖を持った万象が現れた。
「レイ、これを使え」
松葉杖をレイに向かって差し出す万象に、蘭花が驚きの声をあげる。
「わぁっ、万象様これどうしたの?」
「大工の万里が作ってくれた。気分転換に散歩でもしてきたらどうだ?」
レイは万象に礼を言って松葉杖を受け取ると、蘭花に向かって言った。
「蘭花、行きたいところがある。案内してくれるか?」
蘭花に付き添われながら、レイは神花里に来て初めて屋外に出た。
久しぶりの太陽の光が眩しくて目を細める。
山に囲まれた集落には緑の木々が生い茂り、踏み固められた道の周囲には苔むした大小の岩が埋まっている。起伏の多い坂を隔てた先に、木造の小さな家がぽつぽつ見えた。
万象の家は里長というだけあって、かなり大きな木造の屋敷だった。板張りと漆喰でできた外壁に、板葺きの屋根が深く張り出している。
その屋根の下をくぐり、蘭花とレイは屋敷の離れに向かう。
そこには太い梁と板壁で組まれた厩舎があった。大きな木戸の横に干し草が積まれ、乾いた藁と獣の臭いが漂っている。
蘭花は松葉杖のレイが通りやすいように木戸を大きく開けた。
厩舎に足を踏み入れた瞬間、レイの耳に聞き慣れた高い魔獣の声が届いた。
レイは松葉杖を動かし歩調を早める。
木枠で仕切られた厩舎の中には、深緑の騎竜が一頭丸くなっており、その隣で毛足の長い荷運び用の魔獣が二頭、無心に干し草を食べている。
その奥にレイの目的の銀色のギルタロスが、木枠から首を乗り出すようにしてこちらを見ていた。
「イアル!」
レイの声に答えるように、銀の騎竜は短く鳴いた。
イアルの木枠の前にレイが立ち、手を伸ばすと、イアルは低く喉を鳴らし、頭を擦りつけて甘えた。
レイはイアルの首を片腕で抱きしめる。冷たい鱗の下に生きたぬくもりが脈打っているのを感じて、レイは嘆息する。
体を見ると、臀部に逃走中に受けた怪我の跡があったが、傷はもう治りかけている。イアルの元気そうな姿にレイは安堵した。
無言で再会を喜び合うレイとイアルを蘭花は黙って見つめている。
そんな蘭花の後ろから声がかかった。
「この銀色のギルタロスは、兄ちゃんの騎竜?」
そこには御影と同じ年頃の狐人の男の子がいた。こげ茶の髪に栗色の耳と尻尾が揺れる。紺色の丸い目が好奇心に輝いている。
「凪、来てたの」
蘭花が男の子を呼んで、レイに紹介する。
「この子は凪。近くに住んでる子だよ。魔獣が好きでよく世話を手伝ってくれるの」
「レイだ。こいつは俺の騎竜イアルだ。凪はイアルの世話をしてくれたのか?」
「うん!」
元気よく返事をして笑った凪にレイが礼を言うと、イアルは鼻をヒクヒクさせて凪を見た。
「魚、今日も持ってきたよー」
凪が持ってきた木の桶を見せると、イアルは嬉しそうに喉を鳴らした。
ギルタロスは雑食だが、イアルはとくに魚を好んでいた。イアルの前に置かれた桶には水の中に生きた魚が数匹泳いでいる。目の前に桶を置くと、イアルはすぐさま首を突っ込んだ。
「この騎竜、警戒心が強くてさ。ここに連れてきたばかりの時は何も食べなかったんだ。怪我してたから仕方なかったのかもしれないけど……」
凪はイアルの前にしゃがんで魚を食べている姿を嬉しそうに見る。
「溺れて弱ってたし、何か食べてほしくて、いろいろ試したんだー。初めて魚食べてくれたとき嬉しかったなぁ」
「そうか、イアルもずいぶん世話をかけたんだな」
レイは申し訳なさそうに言って、イアルの頭を撫でた。
そんなレイの横で蘭花もイアルを見つめる。
窓から差し込む光が銀色の鱗に反射して冷たく輝いている。縦に長い瞳孔の澄んだ金色の目は、まるで宝石のようだ。
「銀色のギルタロスって珍しいよね。わたし初めて見た。すごく綺麗」
レイの隣でイアルを見つめながら蘭花が言った。
「イアルは大陸の北方、雪深い地方に住む種だ。寒さに強くスタミナがある。北に遠征に行ったときに、群れから逸れていた幼竜のこいつを拾ったんだ」
懐かしそうに言いながら、レイはいとおしげにイアルの首に触れる。
「元気そうでよかった」
そう言ったレイの横顔は、蘭花が見たこともないような優しい目をしていた。
「レイは、イアルが大好きなんだね」
「イアルは、俺の大事な相棒だからな」
魚を食べ終わったイアルが、再びレイに顔を擦り付ける。その金色の目が幸せそうに細められる。
レイも微笑みながら、その首を抱いた。
凪はその光景をニコニコしながら眺めている。
「やっぱり、ご主人のそばが一番だよな!」
凪の言葉に、蘭花も微笑みながら頷いた。
「羨ましいな……」
誰にも聞かれないよう、こっそり呟いた蘭花の言葉は、風に溶けて消えた。